Masuk空ろだった目の焦点が定まり、それに伴い事態が把握できたのか、裕貴がゆっくりと目を見開く。すでに顔色はなくなっていた。「――……啓、太郎、どうし、て……」 裕貴は震えを帯びた声で呟くと、のろのろと体を起こそうとする。すかさず博人がベッドに歩み寄って支えようとしたが、差し伸べられた手を裕貴は弱々しく拒んだ。博人は表情を変えず、裕貴の腰から下を毛布で覆った。 数分ほど、三人は黙り込んでいた。啓太郎は頭が混乱して言葉が出てこず、裕貴は動揺を押し殺すように唇を噛み、ただ博人だけが悠然としている。啓太郎と裕貴のどちらかが言葉を発するのを待っているのだ。 ようやく裕貴が苦しげに口を開いた。「兄さん、もう、帰って……」 「お前がそう言うなら従うが――大丈夫か?」 最後の何げない一言に、啓太郎の頭に血が上る。露骨な含みがあったわけではないが、遠回しに、二人きりになった途端、啓太郎が裕貴に何かしでかしそうだと言われた気がしたのだ。 博人の存在は、今の啓太郎にとっては凶器そのものだ。些細な言動の一つ一つに、啓太郎の気持ちはたやすく荒んでいく。「……いいから、帰って」 博人は一瞬怖い顔をしてから、ジャケットとコートを羽織ると、黙って部屋を出ていった。 二人きりになると、沈黙が痛さを増す。この状況で裕貴から口火を切らせることは酷なのかもしれないが、啓太郎も何をどう切り出せばいいのかわからない。まだ、頭の中は真っ白だった。 一方の裕貴は、血の気の失せた顔色で、膝を抱えて呆然とした顔をしていた。さきほどまで紅潮して汗に濡れていた肌も、今は青白く、なんだか痛々しい。 この肌に、博人は唇や舌を這わせたのだ――。 生々しい想像をした途端、吐き気が啓太郎を襲う。生理的な嫌悪感からというより、感情が極限に達したがゆえの反応だ。 自分がまだ激しく動揺していることを知り、啓太郎はようやく口を開いた。「――裕貴」 呼びかけると、裕貴が肩を震わせ、怯えたような眼差しで見つめてくる。哀れみを誘うというより、加虐的なものを刺激する、危険な眼差しだった。「とにかく、シャワーを浴びてこい。……話が聞きたい。だけどその格好だと、お互い気になるだろ」 裕貴は少し間を置いてから、のろのろと動き始める。ベッドの下に落ちた服を取り上げると、腰を覆っていた毛布を取って、全裸のままバスル
「ど、して……」 呆然としながら啓太郎は掠れた声を洩らす。だがその声は、ベッドの上にぐったりとして横たわっている裕貴の耳には届かなかったらしい。 裕貴は全裸だった。汗に濡れた肌は艶かしく上気しており、剥き出しの胸は忙しく上下している。息も絶え絶えといった様子で目を閉じ、眉は苦しげにひそめられ、唇からは荒い呼吸が洩れていた。 寸前まで、ベッドの上で裕貴がどんな状態だったのかは明白だ。 上気した肌のあちこちに、一際鮮やかな赤い跡が残っており、上下する胸の二つの突起はどれだけ強い刺激を与えられたのか、熟して尖ったままだ。「……あんたは、自分の弟に……」 「他人がどう思おうが、俺たち兄弟には関係ない。互いを唯一の相手と認識して、繋ぎ止めておくためには、必要な行為だ。俺の結婚で少し関係がこじれて、修復するのに二年かかったが、ある意味、君には感謝している。頑固な裕貴の気持ちを解きほぐしてくれたんだからな」 「俺は、そんなつもりは、ないっ……」 博人が何を言っているのか、よくわからない。わからないなりに、築き上げた裕貴との関係を利用されたのだと思い、目も眩むような怒りが込み上げてくる。 それでいて博人に掴みかかれなかったのは、怒りを上回る戸惑いと混乱に、啓太郎の体が動かなかったからだ。「裕貴には何度も、実家に戻ってくるよう言った。温泉に連れて行ったときや、リフォームのことで実家に呼び出したときにキスや愛撫を与えると、二年前までと同じように反応するくせに、心だけは抗う。君と、恋人ごっこをするのが楽しいらしい」 「そういう言い方は、やめろ……」 裕貴の様子が最近おかしかったのは、博人が言ったような理由で間違いないだろう。 裕貴が温泉旅行に出かけるときに感じた嫌な予感は、実は正しかったのだ。 濡れた下腹部と、力を失った裕貴のものまで目にして、啓太郎は嫌でも事実を認めざるをえなかった。 そんな啓太郎に追い討ちをかけるように、隣に立った博人が言う。「裕貴は快感に対して素直で、脆い。そういうふうに、俺がした。大事にして、慈しんで、甘やかして、俺が与えるものだけで満たされるようにした。……可愛くてたまらない、大事な弟だ。世界にたった一人しかいない、俺の宝物といってもいい。だから、他人に渡すわけにはいかないんだよ」 啓太郎は目を見開き、博人を凝視する
酔っていたせいもあり、土産のデザートを買い忘れたのは痛いが、何日間かは時間的に余裕もできるので、裕貴が言えば、どこの店だろうが買いに行ってやるつもりだ。 啓太郎は、思わず声を洩らして笑ってしまい、すぐに咳で誤魔化す。 自分はどれだけ裕貴を甘やかしたくて仕方ないのかと考えると、笑えてきたのだ。裕貴の兄である博人の過保護ぶりが、他人事とは思えない。 マンション前でタクシーを降り、裕貴の部屋を見上げる。電気がついているのを確認すると、啓太郎は足早にマンションへと入った。 エレベーターの中で、裕貴がどんな顔をして出迎えてくれるか想像する。 驚いたように目を丸くしてから、屈託ない笑みを向けてくれるか、大人げないと言いたげに呆れた表情を見せるか。もしかすると裕貴なら、いきなり抱きついてくるかもしれない。 とにかく裕貴の言動は、啓太郎の想像を超えているところがある。そこがまた、一緒にいて楽しいと思えるのだから、惚れた欲目とは恐ろしい。 我ながら酔っているとは思えない颯爽とした足取りで、裕貴の部屋の前まで来ると、いつものようにインターホンを押した。 無意識に心の中で数をかぞえる。裕貴がどれぐらいの早さでドアを開けてくれるか、体が感覚として覚えてしまった。 だが今夜に限って、いつまで経ってもドアが開かない。 眠っていて聞こえないのだろうかと思い、もう一度、今度は数回立て続けにインターホンを鳴らす。一分ほど待ってからようやく、ドアの向こうから微かな物音が聞こえた。 チェーンを外す金属音に続き、鍵を解く音もする。ゆっくりと開けられるドアの向こうから、姿を現したのは――。「えっ……」 その人物の姿を見て、啓太郎は思わず声を洩らす。博人だったからだ。 この瞬間、啓太郎の全身に悪寒が走り、鳥肌が立つ。触れてはならないものに触れてしまったと、本能が信号を発したのかもしれない。 博人はなぜか、スラックスにワイシャツを羽織っただけの格好をしていた。はだけたワイシャツの下から素肌が見えているが、汗が滴り落ちている。 啓太郎は、端然とスーツを着込み、怜悧な雰囲気をまとった博人しか知らない。だが今、目の前に立っている博人は、格好もそうだが、雰囲気もどこか気だるげだ。それでいて、悠然として勝ち誇ったような表情を浮かべているのだ。 捕まってはいけない『何か』に、
**** おおっ、とモニターを覗き込んでいた社員たちの口から、感嘆とも安堵とも取れる声が洩れる。一方の啓太郎はといえば、感嘆も安堵も突き抜けて、虚脱感に襲われていた。 イスの背もたれにズルズルと体を預けながら、大きく息を吐き出す。「はあーっ、気が抜けた」 ずっと取り掛かっていたショッピングサイトのシステムの最終試験が終了し、怒涛の流れでシステムのリリースとなったわけだ。 完成したシステムを顧客に引き渡し、確認してもらうことをリリースというのだが、啓太郎はそもそも顧客の会社に出向いてシステムを作っていたので、完成までにどれだけのバグが出ていたか、すべて会社に筒抜けだ。 そういう意味では、リリースの瞬間も気楽なはずなのだが、万が一にもバグが起こったらと思うと、やはり緊張してしまう。 だが、心配は杞憂に終わった。システムは製品として啓太郎の手を離れたのだ。 すぐに姿勢を戻すと、啓太郎はアタッシェケースから書類を取り出し、このシステムの管理責任者に手渡す。リリースと引き渡しが完了したというサインをもらわなければ、仕事が終わったことにならないのだ。 連日、泊まり込みが続いていて、少し前まではぐったりしていた社員たちも、にわかに活気を取り戻したようだ。 当の啓太郎も、実は張り切っていた。少しの間とはいえ、これでハードワークから解放されるのだ。 ずっと自分が使っていたデスクの上を片付け、アタッシェケースに必要なものを放り込んでいく。「羽岡さん、この後、メシ食うのもかねて打ち上げの店を押さえたんだけど、ちょっと距離があるんだ。それで、タクシーに分乗するんだけど、いいよね?」 「えっ、打ち上げ、今日するんですか」 驚いた啓太郎は顔を上げる。システムが完成してからの打ち上げはよくあることだが、まさか、完成当日に行うとは思っていなかった。すでに店を押さえてあるというのは、手際がよすぎる。 男性社員は苦笑しながら言った。「疲れを取ってから派手に、といきたいところだけど、うちはまだ、業務に付随する細々としたシステム開発が残ってるからさ。だから、大きなシステムが完成した勢いで騒ごうってことになったわけ。そうでないと明日からのデスマーチに耐えられそうにない……」 システム開発者はお互い大変だと思いながら、啓太郎は頷く。「俺は大丈夫ですよ。まさか
すでに凝った突起を指先で弄りながら内奥をまさぐり、裕貴が敏感に反応する浅い部分を指で押し上げる。同時に、口腔に含んだ裕貴のものをきつく吸い上げると、あっさりと裕貴は陥落した。「くうんっ」 短く鳴き声を上げ、裕貴が啓太郎の口腔に絶頂の証を迸らせる。迷うことなく啓太郎は、すべて受け止めて飲み干した。 顔を上げた啓太郎は、顔を上気させて涙ぐんでいる裕貴の顔を見下ろす。照れ隠しのつもりなのか、涙で潤んだ目で睨みつけられた。「……そんなことまで、しなくていいのに……」 「お前だって、俺が望めばしてくれただろ?」 「おれは……いいんだよ」 苦笑した啓太郎は、すでに汗で濡れている裕貴の前髪を掻き上げる。すると裕貴に手を握り締められ、頬を寄せられた。 そんな裕貴を見下ろしながら、指の届く範囲で内奥を掻き回し、蕩けるほど柔らかくしていく。裕貴はときおり声を上げながら、緩やかに首を左右に振っては、すがるような目で啓太郎を見上げてきた。 啓太郎が自分をどう思っているのか気になっているようにも見え、安心させるように裕貴に笑いかける。 つまらない嫉妬は、裕貴を感じさせることで昇華させる。 啓太郎はそう自分に言い聞かせながら、裕貴の胸元に顔を伏せ、尖ったままの突起を舌先で転がす。「あっ」 裕貴の両腕にしっかりと頭を抱き締められ、その感触が啓太郎には心地いい。早く、こいつの中に溶けてしまいたいと思う。「悪い、裕貴。今日はもっと感じさせてやろうと思ったけど、俺がもたん」 「いいよ。おれも早く、啓太郎が欲しいよ」 「……お前なあ……」 興奮を煽るようなことを口にするなと言いたかったが、行為の最中とは思えないほど、あどけない顔をした裕貴を見ると、どうでもよくなった。 啓太郎は裕貴の内奥から指を引き抜くと、両足を抱え上げる。蕩けて熱くなった場所に、それ以上に熱くなった自分の高ぶりを押し当て、擦りつけると、それだけで愉悦を覚えたように裕貴が目を細めた。 自ら両足を抱え持った裕貴の表情を眺めながら、啓太郎は内奥にゆっくりと押し入る。「うっ、あぁ――。あっ、あっ、はうっ」 啓太郎のものは熱い収縮感に包み込まれ、背筋に痺れるような快感が駆け抜ける。裕貴の内奥は、ヒクヒクと震えていた。 少しでも裕貴を早く楽にしてやろうと、逞しい部分を呑み込んだばかりの内
啓太郎は裕貴を伴ってベッドへと移動すると、すぐに細い体を押し倒そうとしたが、反対に裕貴に胸を押されて、啓太郎のほうがベッドに仰向けに転がる。「おい、裕貴……」 「最初の頃からおれ、言ってたよね。気持ちよくしてあげるって」 言いながら裕貴の手が、啓太郎が穿いているスウェットパンツの前に這わされる。意図を察した啓太郎は、慌てて裕貴の手を押し退けようとしたが、裕貴は小さく笑った。「本当に優しいね、啓太郎は」 そう言いながらも裕貴の手の止まることはなく、啓太郎のものは布越しに柔らかく刺激される。感じる心地よさが、なぜか啓太郎を不安にさせる。 裕貴はもう笑っておらず、強い光を放つ目でじっと見つめてくる。「だけど、知るべきだよ。とっくに気づいてるんだろ? おれが――男に慣れてるって」 「俺は別に、お前が前に誰とつき合ってようが気にしない。それを言うなら俺だって、お前の前でさんざん、過去につき合ってた女の話をしている」 一瞬、つらそうな顔をしてから裕貴が目を伏せる。「……啓太郎がしてきた恋愛とは、違うよ……」 このときの裕貴の言葉を、同性同士の恋愛だから、という意味で啓太郎は捉えた。 啓太郎は口を開きかけたが、次の瞬間には唇を引き結ぶ。裕貴が、引き出した啓太郎のものに顔を近づけ、唇で触れてきたからだ。「裕貴っ……」 痺れるような熱い感覚が背筋を駆け抜ける。動けなくなった啓太郎にかまわず、裕貴は舌を這わせてから、ゆっくりと口に含んでいく。すでに何回か、啓太郎が裕貴にしてやっていた行為だった。 あっという間に制止する気力を奪われた啓太郎は、黙って裕貴を見つめる。ときおり上目遣いに見上げてきながら、裕貴は熱心な愛撫を続け、それに伴い、啓太郎の中で快感も高まってくる。 素直には認めがたいが、目を背けるわけにもいかない。裕貴の愛撫は巧みで、情熱と興奮のみで施す啓太郎の愛撫とはあまりに違いすぎた。 狂おしい嫉妬と快感に呑まれながら、とうとう啓太郎は裕貴の頭に手をかける。髪を撫でてから、頬に触れると、濡れた目でこちらを見つめてきながら裕貴が微かに微笑んだように見えた。 裕貴の舌が、高ぶったものの先端に丹念に這わされる頃になると、啓太郎は天井を見上げて大きく息を吐き出す。 しっとりと湿った口腔の粘膜に包み込まれ、柔らかく締め付けられながら吸引され
横目でちらりと、テーブルの上に置いた貯金箱を見る。相変わらず順調に金は貯まり続けており、この金で裕貴一人ぐらいなら優雅な国内旅行ができるはずだ。 もっとも、引きこもりの裕貴がそんなことを計画するはずもない。 食べ終えた啓太郎は財布を取り出して貯金箱に朝メシ代を入れると、立ち上がってジャケットとコートを着込む。そんな啓太郎を、ホットミルクを啜っていた裕貴が見上げてきた。「啓太郎、今日は帰ってこられる?」 こういうことを面と向かって聞かれたのは初めてで、啓太郎は目を見開く。 晩メシの下ごしらえがあるからと、メールでは当然のようにやり取りすることはあるのだが、実際に裕貴の口から問われ
**** 翌朝、約束通りに啓太郎は、プリンを持って裕貴の部屋に立ち寄った。ついでに、数日ぶりに朝メシも食わせてもらうつもりだった。 ドアを開けた裕貴は、パジャマの上からいつもと同じカーディガンを羽織ってはいるが、頬に不自然な赤みもないし、全身から漂っていた倦怠感も抜けたようだ。「さっそく来たね」 そう言って裕貴は笑い、何より先に啓太郎の手からプリンが入った箱を受け取る。「お昼に食べよう」 啓太郎にさっさと背を向け、歌うように呟く裕貴に、思わず苦笑が洩れる。どうやら、完全復調のようだ。「おい、今朝はきちんと朝メシを食わせてくれよ」 啓太郎が声をかけると、くるりと振り返った
「知識としては、わかっていたんだけどな。だけど、お前のここにまで触れるつもりはなかった。それが、俺たちの関係の境界線だと思っていたからだ。だけど最近は……、要領も何もわかってない俺が触れて、お前を傷つけたり、痛い思いをさせるのが怖かった」 そのはずだったのに今は、とにかく裕貴のすべてに触れたくて仕方なかった。そうでなければ啓太郎の欲望は鎮まらない。 裕貴が滴らせたもので濡れた指で、啓太郎は内奥の入り口を慎重にまさぐる。見る間に裕貴の全身は羞恥の赤に染まっていき、ぎゅっと目を閉じたまま啓太郎の手を押し退けようとするが、啓太郎は諦めなかった。「俺のことなら気にするな。抵抗があるなら、自分か
「残念だけど、お前みたいに『可愛い』男の子じゃなかったぞ」 「……嫌味ったらしい。おれだって本気で言ったんじゃないんだから……」 「いやいや、お前は本当に可愛いぞ」 今度は本気で背を殴りつけられたので、裕貴をからかうのはそこまでにしておく。怒らせると、晩メシも食わせてもらえないまま、部屋から叩き出されそうだ。 開けた缶ビールを一口飲んでから、啓太郎はマンションの前で見かけた印象的な男の姿を脳裏に蘇らせる。「――可愛くはなかったが……やたらイイ男だったな。俺みたいに」 裕貴から思いきり冷たい眼差しを向けられた。さきほどの仕返しのつもりらしい。「冗談だ」 「遠慮しなくていいよ。







