植物人間だった夫がなんと新婚の夜に目を開けた のすべてのチャプター: チャプター 1271 - チャプター 1280

1293 チャプター

第1271話

車に乗り込むと、とわこはスマホを取り出し、ある番号に電話をかけた。コール音のあと、相手がようやく出た。「三郎さん、こんにちは。とわこです」相手は彼女の声を聞いて、くすりと笑った。「俺の番号、どこで手に入れた?」「奏のLINEにログインして、そこから見つけました」彼女は率直に切り出した。「少しお願いがあるんです」「三千院さん、森の別荘でのことでもう借りは返したはずだ。だから、もうお前の頼みは聞かない」三郎はあっさりと断った。「確かに、あの時で帳消しです。でも今後も絶対に私に助けを求めないと、言い切れますか?」とわこは穏やかに言葉を続けた。「年齢を重ねると、脳の病気のリスクは上がります。その時に私のところへ来てくだされば、無償で治療します」その一言で、三郎の呼吸がわずかに変わった。「それで、俺に何をさせたい?」彼は薄く笑いながら言った。「まさか奏を奪い返すために呼び出せってわけじゃないだろうな?昨夜の剛の屋敷でのお前の醜態、もう噂になってるぞ」「彼に渡したいものがあるんです。だから、三郎さんの家に呼んでもらえませんか」「それだけか?」「それだけです」「いいだろう。今、呼び出してやる」交渉成立後、とわこのスマホに三郎から位置情報が届いた。彼女はそのままボディーガードに転送し、運転を頼んだ。「すごいコネ持ってるじゃないっすか!」ボディーガードが感嘆した。「六人の法則って知ってますか?世界はどんなに広くても、六人を介せば誰とでも繋がるっていう話です」「今なら信じるでしょ?」とわこは答えず、ぼんやりと窓の外を見つめた。「緊張してきた。奏が私を見た途端に帰っちゃったらどうしよう」ボディーガードは心配そうに言った。「恋愛ドラマ見たことあります?」「え?」「うちの嫁が大好きで、俺も付き合って見たんすけどね」ボディーガードは真顔で続けた。「もし奏が話も聞かずに帰ろうとしたら、キスっすよ。とにかくキス。逃げそうになってもキス。女が粘れば男も負けるんす。恥なんか捨てて本気でぶつかれば、絶対どうにかなる!」三十分後、車は三郎の別荘の前に停まった。とわこは無事に屋敷に入り、三郎と対面した。彼は席を勧め、自らお茶を注いだ。「奏は来てくれるんですか?」とわこは落ち着かない様子で尋ねた。「
続きを読む

第1272話

およそ一時間後、黒い乗用車が別荘の前庭に入ってくる。三郎がとわこに声をかける。「お前の男が来たぞ」とわこは苦笑する。「今はもう彼は私の男じゃない。借りを作った人です」昨夜、彼は何度も繰り返した。必ず痛い代償を払わせると。その言葉のせいで、とわこは一晩中眠れなかった。思い出すだけで、胸がざわつく。車が止まり、ドアが開くと、奏が大股で降りてくる。今日も黒い服に黒いズボンで決め、長身がいっそう際立って見える。護衛は客間には入らず、室内に入るときに靴を取り替える。そして彼の視線はすぐにとわこの顔に向く。昼間に見る彼女と昨夜に見る彼女とは受ける印象が違うらしく、彼の目に一瞬驚きが走る。昼の冷静さが、そうさせるのかもしれない。「奏、座れ」三郎が促す。「体の具合はどうだ」「悪くない」奏はいつもの冷たい表情に戻る。三郎から湯呑みを受け取り、一口含んでから置く。「真帆との結婚式、やり直すつもりはあるか」三郎が何気なく訊ねる。「礼は用意してある。もしやらないなら、後で持ち帰れ」「今のところ考えていない」奏はとわこを空気のように扱いながら、淡々と答える。「最近忙しい。そんな余裕はない」「そうか。剛が手の届かない厄介事をお前に押し付けたんだろう。無理はするな。死人が出るようなことはするなよ」三郎はとわこをさりげなく一瞥し、立ち上がると奏に向かって言う。「とわこが会いに来ている。話すかどうかはお前次第だ」そう言い残し、三郎は大股で外へ出て行く。奏は湯呑みを手に取り、淡々と茶を注ぐ。「奏、返したいものがあるの」とわこは黒い手帳を差し出す。「数日前、剛がこれを私に渡したの。あなたの物だから返すべきだと思って」奏は手帳に目をやり、すぐ視線を逸らす。「ほかに用はあるか」「あなたが記憶消去の手術を受けたことを知っている。だから私のことを忘れたのもわかっている。今あなたがどう接しても、責めはしない」彼女は言葉を早める。いつでも立ち去られるかもしれないと怖れているのだ。「この手帳、持ち帰ってちゃんと読んで」「無駄な抵抗はやめろ。お前との関係は終わった」奏は湯呑みを置き、その瞬間、鷹のような冷たい瞳でとわこを見据える。とわこは正面から見返す。「その台詞は私が言うべきものよ。あなたが記憶を取り戻すまでは、私たちは終わっ
続きを読む

第1273話

「どうやって三郎に手伝わせた?」「方法ならあるわ」彼女は彼の隣に腰を下ろし、悔しそうに言葉を続けた。「奏、あなたに私のことを忘れられるわけがない。私の青春も、情熱も、愛も、すべてあなたと結びついてる。私たちの過去は、あなたが望んだからといって消せるものじゃない。あなたが新しい人生を始めたいと思っても、私が簡単に身を引けるわけがないの」奏の指がぎゅっと握られる。彼は何と返せばいいのか分からない。脅されても、彼女は怖がらない。まさかここで手を出すわけにもいかない。「本当に、もう私に何の気持ちもないの?」彼女は彼の大きな手を握りしめた。「ねぇ、こっちを向いて」「くだらない」喉の奥から冷たい嘲りがこぼれる。「あなたが自分の心を隠すのが上手いのは知ってる。でも、完全に私を忘れたなんて信じない」彼女は力を込め、彼の手をさらに強く握りしめ、もう片方の腕で彼の首を抱いた。真っ赤な唇が、彼の薄い唇に重なる。彼の懐かしい匂いが、胸の奥の感情を一気にかき立てる。今の彼が別の女性の夫であること、冷たく突き放されることを思うと、涙が勝手にこぼれ落ちた。熱い涙が彼の頬に落ちる。奏は彼女を乱暴に突き放し、嫌悪をにじませた目で睨みつけた。「とわこ!昔から、そんな卑しい手で俺を操ってたのか?」「そうよ」彼女は真っ赤な唇をかすかに噛み、彼の言葉に乗った。「もう一度試してみる?今でも私に操られるかどうか」彼女の言葉に、奏の怒りが爆発する。だが、手を上げることはできない。怒りの行き場を失った彼は、目の前の黒いノートにぶつけた。そのノートをゴミ箱に放り込み、立ち上がって部屋を出ようとする。「奏!やっぱり私を忘れたのね!」彼の大きな背中を見つめながら、とわこはかすかに笑った。「嘘だと思ってたけど、本当だったのね」一瞬だけ、奏の足が止まる。だが、すぐに迷いを振り切るように去っていった。彼がいなくなったあと、とわこはゴミ箱からノートを拾い上げ、ティッシュで丁寧に拭いた。きれいにすると、それをバッグにしまい、急須から自分のためにお茶を注ぐ。少しして、奏の車が別荘の前庭から姿を消した。とわこはバッグを手に、静かに外へ出る。ボディーガードが彼女を見つけると、すぐに車のドアを開けた。「さっき二人がキスしてるの見えましたよ」「俺
続きを読む

第1274話

二人は激しく言い争っているが、とわこの胸には大きな自信がある。「で、次はどうするつもり?相手にはもう妻がいるんだよ。会いに行くの、気まずくない?」俊平が尋ねる。「何を気まずくなることがあるの。あの剛が絡んでこなければ、奏と私はとっくに戻っているわ」とわこは水を一口飲んで答える。「手術台を下りたばかりの人に結婚届けを持たせるなんて、見たことある?」「そうだけど、どうして奏が剛の言うことを聞くんだ?」俊平は首をかしげる。「剛が悪人だって、奏は知らないのかってことだよ」とわこは少し黙ってから説明する。「話すと複雑になるの。剛はずっと前に奏を助けたことがあるのよ。善人と悪人を単純に法律で分けられない場合がある。私たちが悪者だと思う人が、ある人にとっては恩人だったりするの」「なるほど。つまり奏が剛のそばにいる限り、安全というわけか」「違うの」とわこは今日、一郎のところで得た情報を思い出すように言う。「剛自身が危険な人物なの。奏が彼のそばにいるだけで、剛が直接手を出さなくても、剛の敵や仇が放っておかない」俊平はそこでようやく全体像を把握する。奏は危険な渦の中にいる。とわこはその渦から彼を引き戻そうとしている。彼女の目的は、ただ奏と真帆を別れさせて自分のところへ戻すことだけではない。奏の未来を守ることでもある。高橋家では剛が奏と真帆を夕食に招いていた。ごちそうが並び、席に着くと剛は酒を注ぐ。奏が手術を受けたことを思い出して、グラスを娘の前に置く。「奏の代わりに飲め」真帆はひょうきんに笑う。「お父さん、最近は奏に甘いんじゃない?一体誰が本当の子どもなのかしら」「奏に甘くするのもお前のためだ。お前の兄たちは役に立たない。年を取った俺たちが頼るのは奏だけだ」剛はそう言って奏を見る。「そういえば今日、三郎が何の用だって?」奏は落ち着いて答える。「結婚式のやり直しについて聞かれた。贈り物を用意してくれるそうだ」「気が利くじゃないか。六郎と七郎が亡くなってから、あいつは俺と会おうとしなくなった」剛が眉を寄せる。「昔は兄弟仲が良かったのに、今はこうなってしまって心が冷える」「過去は置いておこう」奏は空のグラスを取り、自分に注ぐ。「付き合うよ」剛はグラスを上げて奏と合わせる。「この前、一郎ととわこが来たとき、俺がお前を殺した
続きを読む

第1275話

彼がいつか全員を飲み込んでしまう日が来るのではないか。剛はそんな不安を胸の奥で感じていた。「今日、とわこに会ったそうだな。あの女、まだしつこくつきまとうのか」話題を変えるように剛が言う。「いっそ俺が人を使って追い払おうか?お前を煩わせても仕方ない」「彼女は以前、三郎の治療をしたことがある。今回、一郎がこちら側に付いてくれれば、俺たちにとって有利だ」奏は直接「とわこには手を出すな」とは言わなかったが、その一言にはそれ以上の重みがあった。「そうか。じゃあ三郎の顔を立てておくか」剛はうなずき、ふと意味ありげに目を細める。「でも、あの女がしょっちゅうお前に会いに来るのは、記憶を戻させようとしてるんじゃないのか?俺はもう娘をお前に託したんだぞ。ちゃんと大事にしてくれると約束しただろう。たとえ記憶が戻っても、娘を裏切るようなことはするなよ」「そんなことはしない」奏はグラスの酒を飲み干し、静かに置くと、隣の真帆の手を取った。「真帆は素直で優しい。こういう女性こそ、妻にふさわしい」剛は腹の底から笑い出した。「うちの娘が素直なのは当然だ!お前のことは何でも言うことを聞けと、俺が教えてあるからな。もしお前を怒らせるようなことがあったら、俺が代わりに叱ってやる」「お父さん、やめて。奏の前で恥ずかしい」真帆は照れたように笑いながら頬を染める。「でも安心して。奏の奥さんなんだから、ちゃんと尽くすわ」食事が終わると、運転手が奏と真帆を新居へ送った。それは以前、奏が住んでいた別荘で、高橋家の別荘からおよそ五キロの距離にある。車が止まり、真帆が先に降りて奏を支える。酒を飲んだせいで、彼の頭は少しぼんやりしていた。「奏、お医者さまは二週間はお酒を控えるようにって言ってたのに。お父さんも強引なんだから」真帆は優しく笑い、彼を支えながら言った。「まずお風呂に入りましょう。終わったらお手伝いさんに酔い覚ましのスープを作ってもらうわ」奏は彼女に支えられ、寝室に戻る。真帆はすぐに浴室へ行き、お湯を張り始めた。彼女は穏やかで思いやりがあり、決して彼を煩わせることがない。そんな妻は、手がかからず理想的だった。それなのに、彼の脳裏には、とわこの顔と声が何度も浮かんでくる。とわこが言っていた言葉が蘇る。「真帆と同じ部屋で寝ないで」あの日から、彼は
続きを読む

第1276話

とわこに「高橋家の娘と一緒に寝ないで」と言われたのに、彼はあえてそうした。自分はもう過去の奏ではないと証明したかった。今の彼は、自分の意志で動く。誰にも支配されない。「奏、少し緊張してるの……優しくしてくれる?」真帆は頬を染めながら、彼のバスローブの帯に手を伸ばした。彼はその指を掴み、眉をひそめる。「香水をつけた?」「うん。いい匂いでしょ?」真帆は柔らかく微笑み、上目遣いで尋ねた。今夜は男が惹かれる香りと評判のものを、特別に身につけていた。「好きじゃない」奏は淡々と答え、結んだ帯をもう一度しっかり締めた。「洗ってこい」「う、うん……実は私もあんまり好きじゃなかったの」真帆は苦笑して浴室へ向かった。その強い香りのせいだろうか。彼の中の何かが、一気に冷めていくのを感じた。奏はスマホを取り出し、時刻を確認する。まだ早い。彼は寝室を出て、家政婦に酔い覚ましのスープを作らせた。十五分ほどして、真帆がシャワーを終えて戻ってくる。しかし寝室には、もう奏の姿はなかった。真帆は慌てて部屋着を羽織り、外へ出る。ちょうど階段を上ってくる家政婦と出くわした。「奏を見た?」「旦那様は酔い覚ましを書斎に持ってこいと。奥様、ご自分でお持ちになりますか?」「書斎に?どうして……」真帆は小さくつぶやき、スープを受け取って書斎へ向かった。ノックして入ると、デスクのノートパソコンが開いていて、奏はスマホで誰かと話していた。彼は真帆を見るなり通話を切る。「少し仕事がある。先に寝ろ」「うん」真帆はスープをデスクに置き、優しく言う。「これ飲んでね。じゃあ、私は寝室に……」「ゲストルームで寝ろ」彼は淡々と告げる。「明日、病院で検査がある。今夜眠れないと、結果に影響する」「わかったわ。あまり遅くまで起きてないでね。何かあったら呼んで」真帆は微笑み、静かに部屋を出て行った。その笑顔が、彼の脳裏に焼きつく。こんなにも従順で、穏やかで、怒ることを知らない女が本当に存在するのだろうか。彼女はあまりにも完璧で、まるで作られた人形のようだ。湯気を立てるスープの匂いが、現実に引き戻す。彼が真帆を拒んだのは、とわこの言葉のせいではない。医者から「明日、再検査に来るように」と電話があったからだ。酒を飲んだせいで、
続きを読む

第1277話

「奥様、どうして旦那様と一緒にいらっしゃらないのですか」「彼は忙しいわ、私がそばにいる必要はないの」真帆はソファに腰を下ろし、果物皿を手に沈んだ声で食べる。「あの人、私に興味がないみたい。私ってそんなに美しくないのかしら。前に彼の元妻に会ったけど、私のほうがずっと綺麗だと思ったし、年齢だって若いのに」家政婦が褒める。「奥様が元妻より綺麗なのは当然ですわ。だからこそ、あんなにあっさりと婚姻を決めたのです」「でもさっき、私が彼の服を脱がせたのに、また着てしまったのよ」真帆は囁くように推測する。「もしかして体の調子が悪いのかしら」「旦那様は手術したばかりですから、今は体が弱っているのでしょう。あと一ヶ月もすれば普通に戻るはずです」家政婦は慰める。「彼は背が高くて立派な体格だし、とわこと三人も子どもを作ったくらいですから、体に問題があるとは思えません」真帆は急に安心する。翌朝。奏は病院で再検査を受ける。副院長が体調を確認したあと、脳のCTを取る。「奏さん、ひとつ注意しておきます。あなたの元妻がどこからか今日のあなたの来院を聞きつけ、来られる前に一度ここへ訪ねてきました」副院長が告げる。奏は昨日の彼女の言葉を思い出す。彼女は「あなたが記憶を取り戻すまで、毎日来る」と言っていた。彼は検査票を手にして副院長室を出る。すると、向かいからとわこが現れる。とわこは黒いノートを差し出す。「これはあなたのノートよ。手術前に書いていた記録が入っている。受け取ってくれたら、私はすぐに帰る」彼はためらわずそのノートを受け取る。受け取られたのを見て、とわこはほっと息をつく。「今日は検査に来たのね。CT室は六階よ、行って」「とわこ、俺が記憶を取り戻したらお前をまた愛すると思っているのか」彼は傲然と見下ろす。「たとえ何があったかを忘れていても、ネットで調べれば分かる。もう二度とお前に振り回されはしない」「あなたが私に振り回されているかどうかは、記憶が戻ってから判断すればいい。今のあなたの印象は、誰かが植え付けたものに過ぎない。剛が植え付けたものかもしれないし、ネットの情報かもしれない、どちらにせよ偏った見方よ」彼女はわざと彼を刺激する。「今のあなたは半分は馬鹿よ」その最後のひと言が、彼の怒りに火をつける。彼は彼女を強く壁際
続きを読む

第1278話

看護師が通りかかり、俊平の様子を見てすぐさま車椅子を押してきた。とわこは彼を乗せ、急いで救急室へ向かう。検査の結果を待つあいだ、俊平の意識が少しずつ戻ってくる。胸の痛みはまだ鋭く残っていたが、それ以上に胸を締めつけたのはなぜ、とわこがあんな乱暴で暴力的な男をいまだに想っているのか、という思いだ。「とわこ、もしあいつがもう少し強く殴ってたら、俺はもうアメリカに戻れなかったかもしれない。あんな危ない男に、殺されるかもしれないって思わないのか?」俊平の声は痛みと苛立ちに震えていた。今の奏は、もう彼女のことを覚えていない。それでも彼女は必死に彼を地獄から救い出そうとしている。だが彼女の言う地獄は、奏にとってはもしかしたら天国なのかもしれない。「ごめんね、俊平。彼は誰かが背後から襲ってきたと思ったの。だから反射的に。次に会うときは、ちゃんと正面から声をかけてあげて」とわこは申し訳なさそうに言う。「次があるのか?俺はもう二度と会いたくないね」俊平は泣きそうな顔をした。「肋骨、たぶん折れてる。入院コースだな……」その言葉どおり、レントゲンの結果は肋骨の軽い骨折だ。命に別状はないが、少なくとも一週間の安静が必要だという。その頃、日本。この日はレラの休日で、涼太が彼女を館山エリアの別荘まで送ってきた。玄関を入ると、三浦が駆け寄って伝える。「レラ、パパが生きていたそうよ」「お兄ちゃんから聞いたよ」レラは無理に笑おうとしたが、唇がうまく動かない「それに、パパが新しい奥さんを迎えたって」三浦もその話は耳にしていた。だが、どう考えても何かの誤解にしか思えない。とはいえ、今はもう奏の肩を持つようなことは言えなかった。あまりに非常識な話だからだ。「レラ、あなたのおばさん、パパの実の妹さんが、今この家に住んでるのよ」三浦は話題を変えた。「うん、お兄ちゃんが言ってた。しかもそのおばさん、一郎さんの赤ちゃんを妊娠してるんでしょ?」レラはため息をつく。「ちょっと家を空けただけで、こんなことになってるなんて。ほんと、疲れちゃう」ソファに沈みこむように座るレラの顔は沈んでいた。父は遠い国で新しい妻と暮らし、母は戻ってこない。きっとつらい思いをしているに違いない。そのとき、物音を聞いた桜がリビングに現れる。レラを見るな
続きを読む

第1279話

「うん!」二人はまるで長年の友人のように、意気投合して話が止まらなかった。玄関で靴を脱いでいた一郎は、その会話の一部始終を聞いてしまい、胸が痛んだ。「桜、僕たちは二人で話そう」一郎は歩み寄り、静かに言った。「僕たちのことは僕たちで解決する。他の人を巻き込むな」「一郎さん、桜おばさんをいじめないでよ!」レラは一郎の険しい表情を見て、すぐに桜の味方をした。「レラ、いじめてなんかいないよ」一郎は苦笑いを浮かべたが、その顔はむしろ泣きそうだった。「ちゃんと話をつけに来ただけだ」「じゃあ、どうやって解決するの?」レラは首を傾げた。「まさかパパみたいに無責任なことはしないよね?」その言葉に、一郎はぐさりと胸を刺されたような気分になった。「じゃあレラ、君の考えでは、桜と結婚したら責任を取ったことになるのか?」「それはおばさんが結婚したいと思うかどうか次第だよ。一郎おじさんが望んでも、おばさんが嫌なら意味ないでしょ」一郎は言葉に詰まる。「それにおばさんは若くてきれいだし、おじさんはパパより年上なんでしょ?」レラは容赦なく続けた。「涼太おじさんが言ってたよ。年上の男の人は賢いけど現実的でプライドが高くて、ちょっと面倒なんだって。やっぱり若い人のほうがいいって」「涼太、お前、何教えてるんだ」一郎は呆れ顔で涼太を睨む。「事実を言っただけだよ」涼太は淡々と返した。一郎は言葉を失う。「桜、君が二人で話したくないなら、みんなの前で話そう」一郎は深く息を吸い、「君がとわこの家にずっといるのは良くない。あのマンション、気に入ってたろう? 住んでいい」「じゃああなたは?」桜が問い返す。「一人が怖いって言ってたろう?僕も一緒に住む。お腹が大きくなったら、何かあったとき困るだろう」一郎は、昨晩眠れぬまま考え抜いた結論を口にした。結婚するかどうかはさておき、まずは彼女と赤ん坊を守ることが先だと。「私たち、結婚もしないのに一緒に住むなんておかしいわ」桜は眉をひそめる。「結婚しろって言ってるのか?それなら別にいいが、条件は多く出すな。僕は束縛が嫌いなんだ」一郎は半ば投げやりに言った。三浦が蒼を抱いて現れ、運転手と護衛も様子を見に来た。桜はこれ以上人に見られたくなくて、顔を赤らめながら一郎を引っ張って外に出た。「桜、奏の
続きを読む

第1280話

秘密というより、むしろプライベートな情報だ。とわこは、自分のすべてのアカウントとパスワードを、そのノートに書き残していた。だが、奏には覗き見る趣味などない。他人の秘密を暴くことに、何の興味もなかった。ページを一枚めくると、そこに、一枚の写真が貼られていた。それは、かつて二人が仲睦まじく笑っている写真。彼がカメラの前で彼女の頬にキスをしている一瞬を切り取ったものだった。胸が大きく波打ち、鼓動が乱れる。体温がじわりと上がっていく。慌てるようにページをめくっていくと、どのページにも、彼女とのツーショットが貼られていた。リビング、ダイニング、寝室、レストラン、街角、海辺。だが奏は、ひとつひとつを見ようとしなかった。過去を思い出すこと自体が、もう無意味だと思った。自分の過去は「失敗」として終わったのだと、心のどこかで決めつけていた。パタン、黒い手帳が、無造作にゴミ箱へと放り込まれた。「奏さん、CTの結果が出ました」放射線科の医師が、紙のレポートを差し出す。「回復は順調です。ただ、無理は禁物です。頭を酷使したり、激しい運動は避けて、できるだけ休養を」「ありがとう」奏は受け取りながらも、視線はゴミ箱から離れなかった。医師は不思議そうに首を傾げる。「副院長に見せに行かなくていいんですか?」「あとで行く」「何かありましたか?」「いや、ない。仕事に戻ってくれ」医師は頭を掻きながら、CT室へと戻っていった。ドアが閉まるやいなや、奏は即座にゴミ箱へ歩み寄り、あの黒いノートを拾い上げた。最初のページを破り取り、ノート本体を再びゴミ箱に戻す。写真も記録も、もう見たくなかった。だが、彼女のプライベートを他人に晒すことだけは、許せなかった。破り取った一枚の紙を丁寧に折りたたみ、胸ポケットにしまい込む。病院を出ると、運転手がすぐにドアを開けた。車は静かに発進する。その頃、駐車場の一角、とわこのボディーガードが、吸いかけの煙草をアスファルトに落とし、靴で踏み消した。今日の任務は奏の尾行。できれば奏の住まいを突き止める。無理なら、一日の行動と接触相手を報告する。あまりに危険で、気が重い任務だ。朝、その指令を聞いたとき、彼はすぐに首を横に振った。だが、とわこが黙って帰国チケットを
続きを読む
前へ
1
...
125126127128129130
コードをスキャンしてアプリで読む
DMCA.com Protection Status