All Chapters of 離婚協議の後、妻は電撃再婚した: Chapter 581 - Chapter 590

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第581話

真奈がそこまで言い切ると、朝霧は唇を噛みしめ、ためらいがちに口を開いた。「わ、私……あるディレクターからもらったチャンスで……」真奈は眉をひそめ、ぴしゃりと言った。「あなた、まだ佐藤プロの練習生でしょ。会社に黙ってディレクターと会うなんて、契約違反よ」「ただ、芸能界で生き残りたかっただけなの……本当にデビューしたくて……そのディレクターが、立花グループの晩餐会にチャンスがあるって言って……名刺もくれたの。彼の紹介って……でも、こんな場所だなんて、知らなかった……」朝霧には、大人の世界の裏側なんてわかるはずもなかった。立花グループの晩餐会が、企業家たちが欲望のままに獲物を物色する場だなんて、想像もつかなかったのだ。真奈はさらに問い詰める。「どのディレクター?」「前に会社がやり取りしてた番組のディレクター……私のことを将来有望って言って、連絡先を交換してくれたの。もう、どうしていいかわからなくて……」「そんな見え透いた手口に騙されて、本気で信じたの?」朝霧の愚かさに、真奈の声には呆れと怒りが滲んでいた。「そのディレクター、なぜ自分は来ないであなたに名刺を持たせて行かせたの?こんな大きな晩餐会で人脈も作らずに?あなたはただ、立花グループに差し出す商品だったのよ。何もわからないうちに売られたのよ!」その一言で、朝霧の顔から一気に血の気が引いた。彼女は何も知らなかった。本当に、何も……「道は自分で選んだんだから、自分でどうにかしなさい」必要な情報を手に入れた真奈は、それ以上朝霧に時間を割く気はなかった。真奈がその場を離れようとすると、朝霧は慌てて呼び止めようとした。だが、その肩を背後からそっと押さえる手があった。振り返ると、そこにいたのは森田マネージャーだった。呆然とする朝霧に、森田はにこやかに言った。「朝霧さん、ちょっとお願いしたいことがありまして」しばらくして、朝霧は不安げにシャンパンを二杯持って真奈の姿を探していた。彼女がこちらに手を振っているのを見つけて、真奈は眉をひそめる。「また何の用?」「さっきは言ってくれてありがとう。もう、自分が間違ってたって気づいたわ。お礼と……お詫びに来たの」そう言って、朝霧は手に持っていた一杯を真奈に差し出した。少し離れた場所では、森田とメイドが緊張した面持ちでその様子を
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第582話

立花はすぐさま女の顔にかけられた仮面を剥ぎ取った。現れたのは、まったく見覚えのない顔だった。声も違えば、顔も一致しない。朝霧は顔を真っ赤にして、立花のシャツの襟をつかもうと手を伸ばす。立花の目が細く鋭くなり、次の瞬間、低く荒々しい声が響いた。「失せろ!」その声に、扉の外にいた森田が慌てて中に駆け込んできた。ベッドに横たわる朝霧は、すでに薬の影響を受けて意識が朦朧としており、何が起きたのかもわかっていない様子だった。「立花総裁……これは……」立花は顔を険しくしかめ、怒りを露わにした。「その目をかっ開いてよく見ろ!お前が連れてきたのは誰だ?」森田は動揺した。彼は真奈の顔を見たことがなかったのだ。だからこそ、今ベッドにいる女が本当に立花が求めていた人物かどうか判断がつかない。「わ、私が直接確認したんです。間違いようがないはずなんですが……」森田は改めて朝霧の顔をじっくりと見た。すぐに気づく。彼女はさっき真奈と一緒に酒を飲んでいた女だ。森田の顔色がさっと変わった。「立花総裁!あの女にしてやられました!」彼は、朝霧に酒を渡すよう命じ、その見返りに多額の報酬を約束していた。だが、まさか朝霧がここまで不器用とは思っていなかった。あっさりと真奈に見破られ、入れ替わって立花のベッドに送られるとは!立花の怒りを察した森田は、慌てて声を上げた。「立花総裁、すぐに人を手配して彼女を連れ戻します!」「お前、あの女がそんなに間抜けだと思ってるのか?お前が気づいた頃には、とっくに逃げてるのだ」「それは……」森田はぐっと言葉に詰まり、ただ真っ直ぐに叱責を受けるしかなかった。立花は、ベッドの上で身をよじる朝霧に冷たい視線を向け、吐き捨てるように言った。「こいつを外に放り出せ。お前もさっさと失せろ」その一言に、森田は急いで朝霧を担ぎ上げて部屋を後にした。立花の眼差しは冷え切っていた。自分に小賢しい真似を仕掛けてきたのは、これが初めてだった。あの女に自分のやり方を教えてやらなければ、気が済まない。このままでは、受けた屈辱が無駄になる。その頃――真奈はすでに黒澤の車に乗り込んでいた。運転席の伊藤は、彼女が行きに着ていたものとはまったく違うドレスを身に着けているのに気づき、思わず声をかけた。「真奈、その服……どうしたんです?」
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第583話

真奈の脳裏には今でも、二人の男に挟まれた一人の女の姿が焼き付いていた。「計画変更だ。病院に寄る」黒澤が即座にそう言った。「わ、わかった」伊藤もすぐに応じた。この手の汚れきった場所では、思わぬウイルスに感染する危険がある。それがどれほど深刻なものか、彼も理解していた。だが、真奈は静かに首を振った。「大丈夫。わざわざ寄らなくていいわ。私はあそこのトイレも使っていないし、中で何かを口にしたわけでもないから」幸江がたしなめるように言った。「でも念のため検査を受けたほうがいいわ。遼介だって、あなたのことを心配してるのよ」伊藤はハンドルを握りながら、吐き捨てるように言った。「立花グループなんて最悪だ」これまでも立花グループが風俗や賭博、麻薬といった裏社会まがいの業種を抱えていることは知っていた。だが、まさか会員制の名のもと、晩餐会のような場所で堂々と売春をしているとは思いもよらなかった。どうりで立花の晩餐会では、男性の客が家族を同伴するのは禁じられているし、芸能界以外の女性客は事前予約制。しかも一定の身分や地位がなければ招待されることすらない。今思えば、あの規則の裏にはすべて理由があったのだ。病院で検査を受けた真奈は、身体に異常がないと確認されてから、ようやく皆で車に乗り、佐藤家へと向かった。道中、黒澤は真奈の手をぎゅっと握りしめたまま、一度も離さなかった。真奈がふと振り返ると、黒澤の表情は落ち着いているように見えたが、その瞳の奥には陰りが宿っていた。「情報を探りに行くって決めたのは私。そんなに深刻にならないで」そう言った真奈の声に、黒澤は手の力をさらに込め、低く返した。「わかってる」彼は理解していた。真奈がただの女ではないことを。聡明で、勇敢で、そして自らの力で危機を切り抜けるだけの強さを持っていることも。けれど――あのドレスが替わっていたこと、それだけでもう、彼には十分だった。立花グループはあまりに危険すぎる。一時は危険を避けられても、次に罠に落ちるのは時間の問題かもしれない。佐藤家に着いたのは真夜中だった。書斎の扉が勢いよく蹴り開けられる。黒澤が中に入ると、佐藤茂が机の上の写真立てを拭いているところだった。顔を上げた佐藤は、わずかに笑みを浮かべて言った。「戻ったか」「お前を殺したい」黒澤は冷ややか
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第584話

黒澤は眉間を押さえ、どっと疲労が押し寄せるのを感じていた。一方、ホールの中では、真奈が画像を見渡しながら、今夜会った人物たちを必死に思い出そうとしていた。彼らは皆、仮面をつけていたものの、海城では見慣れた顔ぶれだった。晩餐会の前に、真奈は海城の実業家たちについて徹底的に調べていたため、会場ではかなりの人数を見分けることができた。「残す」「残す」「パス」……写真と情報を見ながら、真奈は頭の中でもう一度それらを照らし合わせていた。横で見守っていた幸江が、思わず感嘆の声を漏らす。「真奈の記憶力ってすごいのね。こんなにたくさん覚えてるなんて」佐藤茂は淡々と口を開いた。「何しろ、十七歳で修士号を取った女だからな」瀬川家は代々学問を重んじる家柄。そこで育てられた次の世代が凡庸なはずがなかった。真奈は五十三人を見分けた。だが後半になると、次第に疲れが出始め、記憶の断片と目の前の写真が頭の中で交錯し始めた。伊藤が次の写真に切り替えようとしたその時、佐藤茂が口を開いた。「今日はこの辺にしておこう」伊藤はきょとんとしながら尋ねた。「え?どうして一気に全部覚えようとしないんだ?」その言葉に、幸江が前に出て、ぺしりと伊藤の後頭部を叩いた。「馬鹿ね、あんた全部覚えられるっての?これ以上続けたら、真奈の記憶が混乱しちゃうわよ」伊藤は痛む頭を押さえながら、むくれたように言い返した。「わかったってば!叩くなって!」真奈は静かに口を開いた。「私は、もう一度行く必要があると思う」五十人は判別できた。しかしあの夜に現れた人間は、それ以上いたはずだ。五十三人どころではない可能性もある。見落としたままでは、いずれ取り返しのつかないことになる。「結構ですよ」口を挟んだのは佐藤茂だった。淡々とした声音で言い放つ。「行ったところで、すべてを覚えられるわけじゃありません。かえって危険な目に遭うだけです」「そうよ、真奈。これはあまりにも危ない。行かない方がいいわ」幸江も同調するように言った。さらに彼女は、隣の伊藤を肘で小突いた。伊藤も慌てて首を縦に振る。「そ、そうだよ。もう行かなくていいって!ほんと、危険すぎるから!」「でも……」真奈が何か言いかけたその瞬間、佐藤茂が言葉を遮った。「瀬川さんは今夜、立花に目をつけられたんでしょ?」
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第585話

その場に沈黙が落ちた。真奈はテーブルの上の車の鍵を手に取り、冷ややかな声で言った。「私には私の考えがあります。佐藤さんが本心からそうしてくれたのか、それとも別の思惑があるのか……正直、どうでも構いません。望む結果にたどり着けるなら、私は迷わず行動します。これから先は私一人でやります。二人とも、手出ししないでください」そう言いながら真奈は黒澤を一瞥した。だが、どうしてもきつい言葉は言えず、ただ黙って背を向けて歩き出した。黒澤はすぐにその後を追った。伊藤と幸江も、居心地の悪そうな面持ちで立ち尽くしていた。伊藤は鼻をこすりながら、間の悪さを誤魔化すように言った。「あの……じゃあ、俺たちはこれで失礼するよ。佐藤さん、また近いうちに」そう言って、伊藤はそっと幸江の手を引き、小声で急かす。「早く行こう、さっさと!」皆の背中を見送りながら、佐藤茂は一言も発さず、誰のことも引き留めなかった。人影がすっかり消えたあと、彼は突然激しく咳き込み始めた。そばに控えていた執事が、心配そうに声をかける。「旦那様、今夜はずっと気を張っておられました。どうか、お部屋でお休みください」佐藤茂の顔は青白く、これまでの静けさがすべて無理をしていたものだったとわかる。だが彼は、静かに首を振った。「まだだ。まだ、来るべき者が来ていない」執事が目を見開いたそのとき、ドアの外に身を潜めていた佐藤泰一が静かに中へと入ってきた。顔には黒いマスクをつけ、深く被ったキャップのつばが表情を隠していた。「どなたですか?!」執事は即座に身構えた。向かいの男はマスクと帽子を外し、低く静かに言った。「俺だ」その顔を見た執事の目に驚きが走る。「……泰一様?」佐藤茂は執事に向かって、淡々と告げた。「下がってくれ」「かしこまりました」執事は部屋を出て行った。佐藤泰一は兄の様子に気づき、歩み寄りながら言った。「兄さん、そんな身体で……なぜ医者を呼ばなかったのか?」「ただの持病だ。今さら騒ぐほどのことでもない」佐藤茂は話を切り替えるように問いかけた。「瀬川さんの護衛と、立花の動向を探らせていたが、何か掴めたか?」「立花は真奈に興味を示し始めました。ただ……あの男のやり口を考えると、彼女に危害が及ぶ可能性がある」佐藤茂は黙ったままだった。佐藤泰一は兄の顔をじっと見つ
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第586話

昨夜、真奈は朝霧の目の前で酒に混ぜられた薬を見抜き、その危険と利害についてもきちんと説明していた。だが朝霧は、立花と寝るという好機を逃したくなかったのだろう。まるで何かに取り憑かれたように、自ら進んでその酒を口にしたのだった。そのあと、二人は化粧室でドレスを交換した。朝霧が先に外へ出た途端、森田の部下に連れ去られてしまった。真奈は、てっきり彼女が思い通りになったのだと思っていた。まさか死ぬなんて。背筋にぞっとするような冷たいものが走る。もし昨日、立花の部屋に運ばれていたのが自分だったら――自分も朝霧と同じ運命を辿っていたかもしれない。「社長」扉をノックして入ってきたのは大塚だった。真奈の顔色に気づき、心配そうに声をかける。「昨夜はあまり眠れなかったのですか?」「いいえ、大丈夫」真奈は眉間を押さえ、画面に映るニュース記事を静かに閉じた。大塚が言った。「黒澤様が、ずっと下でお待ちです。お通ししてもよろしいでしょうか?」それを聞いた真奈は、大塚に視線を向けて問いかけた。「あなたは私の部下?それとも彼の部下なの?どうしてそこまで彼の肩を持つの?」「いえ……ただ、黒澤様がずっと下でお待ちでして、うちの社員たちも皆その様子を見ていますので……」「何がそんなに珍しいの?彼が初めて来たわけじゃないのに」「でも……黒澤様、車いっぱいの花をご用意されていて……」大塚はついに核心を口にした。その瞬間、真奈はすぐに立ち上がり、窓のカーテンを一気に開けた。この部屋からは、Mグループのビルの正面がはっきりと見える。視線の先には、黒澤が運転するオープンカーが停まっていた。車の中は色とりどりの生花で埋め尽くされ、道行く人々が足を止め、携帯を構えて写真を撮っている。その光景を見た瞬間、真奈の顔は見る見るうちに曇っていった。黒澤は、周囲の視線をまったく気にする様子もなく、堂々とその場に立っていた。「社長……イメージのこともありますし、そろそろ……」「門前で待たせておけばいいわ。恥をかくのは私じゃないんだから」そう言って、真奈は再び執務椅子に腰を下ろしたが、仕事をする気配はまったくなかった。大塚が軽く咳払いをして、恐る恐る口を開く。「社長、僭越ながら……バラエティ番組『元カノよ』の収録が間もなく始まります。その際、社長は
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第587話

「ただ……真奈を失うのが怖くて」黒澤がこんなにも真剣な表情を見せるのは、滅多にないことだった。普段の彼は、どこか傲慢で不遜、ふざけたような態度ばかりで、ときにその心の内がまったく読めなくなる。だが今は違った。そんな彼に、真奈はふっと微笑みながら、そっと彼の鼻をつまんだ。「私は自分のこと、ちゃんと守れるわ。もし守れなかったとしても、あなたが守ってくれるんでしょ?」その言葉に、黒澤の表情がようやく和らぎ、頬に穏やかな笑みが浮かんだ。彼は何も恐れない。だがただひとつ、真奈が傷つくことだけは、どうしても怖い。「じゃあ……あの花は……」「受け取るわ。その代わり、黒澤様、うちのマンションまで運んでくれる?」そう言って真奈は、バッグからカードキーを取り出し、彼に手渡した。「ちゃんと敷き詰めてよね?」笑顔のまま、そう念を押す。「分かった」黒澤はカードキーをしっかりと握りしめ、柔らかな微笑みを浮かべた。その頃、冬城家にも、すでに情報が入っていた。冬城おばあさんは手にした写真を睨みつけ、そのまま怒りのままに机へ叩きつけた。写真には、花で埋め尽くされたオープンカーの前に立つ一人の男が、Mグループの正面にいる様子が映っていた。別の一枚には、その男が真奈のマンションの下で待ち伏せしており、彼女と何らかの接触をしている場面が写っている。さらにもう一枚――男と真奈が並んで車に乗り、楽しげに談笑している様子が切り取られていた。パパラッチは冬城おばあさんの怒りを見て慌てて言った。「大奥様、ご依頼通り、すべての場面を撮影しました。で、その……報酬の件ですが……」「この男の正体はわかったのか?一体誰なの?」「そ、それは……私にはちょっと……私はただ撮るだけでして……」パパラッチは明らかに関わりたくないといった様子で腰を引いた。冬城おばあさんは深く息を吐いて気持ちを落ち着けると、手元の金を男に手渡した。「瀬川真奈を引き続き見張って。あの男の正体が分かったら――もっと払ってやるわ」「はい!冬城夫人、しっかりと見張っておきますから!」そう言ってパパラッチは素早く金を受け取り、そのまま冬城家を後にした。机の上に散らばった数々の写真を見ながら、大垣さんは思わず言葉を漏らした。「大奥様……これらの写真、本当に本物なんでしょうか……」
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第588話

真奈が冬城家の門をくぐったその瞬間、室内から何かが床に叩きつけられて割れる音が聞こえた。ちょうど茶碗が床で砕け、破片のひとつが彼女の足元に転がってきていた。室内では、冬城おばあさんがソファに端然と座り、冬城は黒のスーツに身を包んでその前に立っていた。姿勢はぴんと伸び、表情ひとつ動かさずに、まさに説教の真っ最中だった。冬城おばあさんは冷ややかな笑みを浮かべ、当てつけるように言葉を投げかけた。「司、あんたが普段仕事で忙しいのはよく知ってるわよ。でもね、家のことにも気を配らなきゃ。あんた、奥さんと何日顔合わせてないの?今じゃ家にも寄りつかず、外で暮らしてるじゃない。そんな状況なら、もっと心を砕くべきなのよ。でなきゃ、そのうち誰かと駆け落ちされても、あんたは気づきもしないんじゃない?」その辛辣な言葉を聞いても、真奈は笑みを崩さず、ゆっくりと室内に入りながら言った。「おばあさま、そんなに怒ってどうしたんですか?いったい何があったんです?」冬城おばあさんは目を細めて真奈を横目に一瞥し、皮肉っぽい笑みを浮かべながら言った。「瀬川社長のような方におばあさまと呼ばれるような身じゃないわ。今までどおり、大奥様でいいわ」真奈は冬城に目を向けて問いかけた。「司、おばあさまは何をそんなに怒ってるの?あなたがおばあさまを怒らせたの?」冬城はしばし沈黙したまま、何かを探るような視線で真奈を見つめた。その目には、はっきりとした「原因はお前だ」という意図がにじんでいた。だが真奈は、その視線に気づかぬふりをして、冬城おばあさんの方へ向き直り、にこやかに言った。「おばあさま、そんなにお怒りにならないでください。司と私は別々に暮らしてはいますが、気持ちはしっかり繋がっています。司が外で浮ついたことをするなんて、絶対にありませんよ」そう言って、真奈は親しげに冬城の腕に自分の腕を絡めた。まるで、自分たちの仲睦まじさを堂々と見せつけるかのように。その様子を見ていた冬城おばあさんは、ますます苛立ちを募らせた。もう取り繕うのもやめたらしく、立ち上がって真奈を指差し、怒鳴りつけた。「真奈!あんた、よくもまあそんな白々しい芝居ができるわね!司がどれだけあんたを大事にしてると思ってるの!?それなのに、外で若い男を囲ってるってどういうつもり!」真奈は困惑したふりをしながら、冬城お
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第589話

「おばあさま!」冬城は眉をひそめて声を上げた。冬城おばあさんは、孫の心が真奈に傾いているのを分かっていた。だからこそ、感情をいくぶん抑えながらも、言うべきことははっきりと口にした。「別に、あんたにチャンスを与えないつもりはないのよ。でもね、あの男との関係を私が世間に暴いたら、どうなるか分かってるんでしょうね?あんたなんて、皆に唾棄されて終わりよ。いい?私が保証するわ。あんたみたいに節操のない女を、妻にしたいと思う男なんて、この世に一人もいない!」「もういい!」冬城は冷たく祖母の言葉を遮ると、手にしていた写真を一枚残らず真っ二つに破り、無造作にゴミ箱へと放り込んだ。その様子に、冬城おばあさんの顔色はみるみるうちに曇った。孫が真奈に他の男の影があると知ってなお、彼女をかばうとは思ってもいなかったのだ。「司……」「おばあさま、俺は真奈を信じている。どうであれ、彼女は俺にとって唯一の妻だ」そう言って、冬城はそっと真奈の手を握った。だが、冬城おばあさんは黙ってはいなかった。「司!あんな家の名を汚すような女、絶対に許してはならないよ!一体どれだけ愚かなの?そんな真似をして、私はもうご先祖様に合わせる顔がないわ!」「大垣さん」冬城は冷然とした声で呼びかけた。「おばあさまを部屋にお連れして、休ませてくれ」「かしこまりました、旦那様」冬城は一度、手をつないだ真奈を見下ろし、やがてその手をそっと放した。そして低く、短く言った。「……ついてきてくれ」さっき冬城が自分のために声を上げてくれた手前、真奈は黙ってその後について行った。冬城と真奈が階段を一列になって上がっていくのを見送りながら、冬城おばあさんの表情はさらに険しくなった。「……あの女、まるで女狐そのものじゃないか!」最初にこの女を家に迎え入れると決めた自分を呪いたくなる。あの時、どうしてあんな判断をしてしまったのか。たった1年で、真奈は孫の心を惑わせ、今や不貞の疑いさえ目をつぶらせるほどにしてしまった。そんな馬鹿な話があるか!「大奥様、お部屋でお休みになってください……」大垣さんがそっと声をかけて腕を取ろうとした時、冬城おばあさんはその手を払うように冷たく言った。「写真のこと……あんた、真奈に話したね?」「……大奥様、奥様はそんな方では……きっと、何かの誤解です」
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第590話

「でも黒澤が、もしその時お前を捨てたら……どうするつもりなんだ?」「彼はあなたとは違う。彼は絶対に、私を見捨てたりしないわ」真奈のその冷ややかな口調は、冬城の胸を鋭く貫いた。冬城は苦笑いを浮かべ、やがて自嘲気味に声をあげた。「俺がお前を捨てた?よく聞け、真奈。俺は――絶対にお前を捨てたりしない。お前のひと言で、何だってする。お前が望むなら、この海城を丸ごと差し出したっていい。眉ひとつ動かさずに、全部だ!……でも黒澤は?あいつはお前のために、一体何をした?」「彼は私を欺かない。貶めない。自分のすべてを私に預ける人よ。命も、心も。立場なんて気にしないで、常に私の隣に立ち続けてくれる。見捨てたりなんて、絶対にしない。他の女のために、私を殺そうとしたりなんて……そんなこと、彼はしない」真奈は言いたいことを一気に吐き出した。彼女にとって、黒澤と冬城は――比べるまでもなかった。「殺す?どうして、俺がお前を殺そうなんて思うんだ!」冬城は真奈の腕を掴み、その手に想いを込めようとした。しかし真奈は、わずかな迷いも見せずその手を振り払い、冷たく言い放った。「冬城、あなた……一線を越えたわ」冷たい表情の真奈を見て、彼はわからなかった。あれほど長く悩み、考えてきたのに、それでも理解できなかった。たった一ヶ月、彼女に冷たくしてしまった。それだけのことで、なぜここまで拒絶されなければならないのか。ふとした瞬間、彼女の表情に――嫌悪と、距離を置く冷たさが幾度も浮かんでいたことを思い出す。いったい、自分の何が、彼女をここまで憎ませたのか……「明日には番組の収録がある。今夜はここに泊まるわ。私たちは約束通り、互いに干渉しない――それでいい。もう疲れたの。おやすみなさい」そう言って彼女は背を向け、ベッドの縁に静かに腰を下ろした。部屋の中に、時計の秒針の音だけが刻まれていく。なおもその場を動かない冬城に、真奈は眉をひそめ、言い放つ。「まだいるの?まさか……一緒に寝たいって言うつもり?」冬城はネクタイを緩めた。他人の前では常に紳士的だった男が、今は頭の中に――黒澤と真奈が笑い合い、寄り添って家へ戻り、同じベッドで戯れる光景ばかりが浮かんでいた。シャツのボタンに手をかけたその瞬間、真奈の顔色がさっと険しくなった。「冬城!」だが冬城は構わず前に出
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