All Chapters of 離婚まであと30日、なのに彼が情緒バグってきた: Chapter 811 - Chapter 820

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第811話

しかも八億円だ。これほどの金をたやすく動かせる人間は、間違いなく――蓮司は拳を固く握りしめ、憎しみを込めて断言した。「――朝比奈だ。あいつが透子を殺そうとしてる!あの金は絶対に橘が出したものだ。あの兄妹がグルになって、二人して透子を殺そうとしてるんだ!」蓮司の断定を聞き、新井のお爺さんも内心では同じ疑いを抱いていた。しかし、現時点では何の物証もなく、彼らの仕業だと証明することはできない。蓮司の怒りは収まらない。「斎藤は生身の人間だぞ!どうしてそう簡単に消え失せられるんだよ!しかも十日以上も経ってるんだ。絶対に橘のやつが先回りして斎藤を匿ってるんだ!あいつのところで、すべての証拠を消すためにな!」感情が激しく高ぶったせいで胸が大きく波打ち、怪我をした肋骨が鈍い痛みを訴え始めた。執事が彼の顔色が変わったのを見て、慌てて制した。「若旦那様、どうかお気を鎮めてください!まだお怪我をされているのですから!」蓮司は大声で叫んだ。「これで怒るなって方が無理だ!犯人が目の前にいるのに、法で裁くことすらできない!証拠はあいつらに全部消されて、このまま透子に濡れ衣を着せられたまま、なぶり殺しにされるのを見過ごせって言うのかよ!?」執事が彼を支えてベッドに横たわらせると、それまで黙っていた新井のお爺さんが、重々しい声で言った。「では、お前がここで喚いていれば、問題が解決するのかね?それとも、このわしに当たり散らしているつもりか?」その静かな問いに、蓮司はぐっと押し黙った。「……そんなつもりは、ない」蓮司は歯を食いしばり、絞り出すように言った。「ただ、橘のやり方が、あまりに傍若無人すぎる。このままじゃ、透子は次から次へと災難に見舞われて、いずれは……殺される」彼は橘家に怒り、腹を立て、そして何より、こんな時に愛する女一人守れない自分の無力さに、どうしようもない憤りを感じていた。しかも、橘家との複雑な関係から、お爺さんは新井家の名で公然と事を構えることを許してくれない。透子は完全に孤立無援のまま、危険に晒されているのだ。今回の交通事故は自分が身を挺して防げた。だが、明日は?明日また、同じことが起きたら?その時、どうやって彼女を守ればいい?蓮司は拳を握りしめ、苦痛に満ちた表情で押し黙った。新井のお爺さんはそんな孫の姿を
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第812話

雅人の父はそれを聞き、スマホをきつく握りしめると、「……うむ」とだけ、呻くように応えた。電話が切れると、彼は厳しい表情で唇を引き結び、雅人のオフィスへと向かった。――早急に手を打たねば、取り返しがつかなくなる。新井家は既に真相を嗅ぎつけている。否、ほぼ確信していると言って過言ではない。しかも、先代からの両家の付き合いまで持ち出してきている。相次ぐ凶悪事件に、新井家が黙っているはずがない。もはや金で解決できる問題ではないのだ。蓮司の元妻が傷つけられただけなら、まだ弁解の余地はあったかもしれない。だが、蓮司本人まで巻き込んでしまった。彼は交通事故に遭い、肋骨を二本も折った。彼は、新井のお爺さんにとって唯一の嫡孫であり、未来の新井グループを継ぐ男なのだ。だから、もし剛が彼らに見つかれば、橘家と新井家は、修復不可能な仇敵となるだろう。そんな事態を、彼が望むはずがない。ましてや橘家は今、京田市に大型物流拠点のプロジェクトを控えている。新井家の妨害が入れば、計画は頓挫する。それゆえ、人情の面からも、利益の面からも、彼は事の重大さを痛いほど理解していた。しかし、美月は……美月は、二十年も離れ離れだった、ようやく見つけ出した実の娘なのだ!どうして、その子が刑務所に入るのを黙って見ていられるだろうか。雅人の父は心を決め、雅人のオフィスに入った。自分の娘は、何としてでも守り抜かねばならない。父の来訪と、そのただならぬ表情を見て、雅人は彼の目的を瞬時に察した。「先ほど、新井の爺さんから電話があったが出なかった。本人の番号だ。執事からじゃない」だからこそ、話の重要性がうかがえる。十中八九、剛の件だろう。「……わしは、出た」雅人の父は静かに告げ、息子を真っ直ぐに見据えた。「雅人、斎藤剛はまだ生きているのか?」雅人は一秒黙り、静かに頷いた。「今すぐ、この世から消せ……その意味は、分かるな?」雅人は当然理解した。本来なら、とっくに実行すべきだった。だが、彼は今日まで、それを引き延ばしてきた……「父さん、実はあの日、僕が会ったのは……」しかし、その言葉は携帯の着信音に遮られた。美月からの電話だった。先ほどまでの厳しい表情が嘘のように、父の声は慈愛に満ちたものに変わる。「おお、美月か。エンジェル基金の方から、
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第813話

雅人は、透子に護衛をつけ、これ以上いかなる危害も加えさせないよう命じた。少なくとも、彼女の記録を調べ、髪の毛を手に入れるまでの間、透子の安全を確保する必要がある。午後。アシスタントは、どうすれば透子の髪の毛を手に入れられるか、頭を悩ませていた。今となっては、彼女に会いに行くための、もっともらしい口実すら思いつかない。前回の書類は既にサイン済みだ。気軽に会いに行けるような、友好的な関係でもない。最終的に、午後四時になって、彼はどうにか使えそうな口実をひねり出した。――前回の書類を、こちらで弁護士に依頼して公正証書にしたため、その控えをお届けに上がる、というものだ。そう決意すると、彼はさらに弁護士に連絡して口裏を合わせてもらい、万全を期した。そうこうしているうちに、いつの間にか退勤時間になっていた。その頃、都心にあるオフィスビルの外。午後五時半。夏の太陽はまだ高く、アスファルトをじりじりと焼き付けている。透子は退勤後、迎えに来た理恵の車に乗り込むと、助手席に座るなり、一つの豪奢な箱を取り出した。「これ、お兄さんに渡してくれる?この前のこと、お礼を言いたくて。それと、これで料理の件も貸し借りなしってことで」理恵はそれを受け取ると、有名ブランドのロゴを見て目を見開いた。「え、これ、めちゃくちゃ奮発したじゃない!この腕時計、八桁はするでしょ?しかもオーダーメイドモデルじゃないの」「うん。これで、貸し借りなし。橘家からもらった慰謝料で買ったから、気にしないで」透子は静かに言った。金銭で返せる恩義なら、人情で返す必要はない。人情という貸し借りは、際限がないからだ。理恵のお母さんも、わざわざ自分に会いに来たのだ。これ以上、借りを作るわけにはいかない。理恵はギフトバッグを傍らに置き、親友のどこか突き放したような口調に、わずかな違和感を覚えた。しかし、考えすぎだろうと思い直した。貸し借りなしというのは、あくまで今回の「お礼」の話であって、恋愛とかとは関係ないはずだ。彼女は車で透子をマンションまで送り届け、自分は車から降りずに言った。「ごめん、今夜、桐生さんたちとの食事会があって、どうしても顔出さなきゃいけないの。また明日の朝、迎えに来るね」透子は頷き、「運転、気をつけてね」と彼女を気遣った。「あんたこそ
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第814話

「仮にタマがゴミ出しに降りてきたところで、外の警備がアレだぞ。中はもっとヤバい。そんな中でどうやって堂々と攫うってんだ?」その冷静な分析を聞いて、仲間はもう何も言わなかった。マンションの敷地内に軽々しく足を踏み入れれば、下手をすれば瞬く間に包囲されるだろう。「……今夜、ターゲットが出てこないなら、明日の朝だ。出勤する時の、車への乗り降りの一瞬を狙う」運転席の男は、すでに次の手を考えていた。車はマンションの外で息を殺し、機会を窺っていた。今夜はもう無理だろうと諦めかけていた、その時だった。七時半になった頃、ターゲットの女がマンションから出てくるのを、男は発見した。「おい、桐谷(きりたに)に準備させろ!行動開始だ!」その頃、マンションの前に広がる遊歩道では。透子が出てきた。先日会った、雅人のアシスタントが「公正証書にしたためた書類の控えをお渡ししたい」と連絡してきたからだ。アシスタントはクリアファイルを一つ手渡しながら、事務的な口調で言った。「如月さん、こちらの公正証書は厳格な法的効力を持ちます。社長も署名しておりますので、国外にいても有効です」透子はそれを受け取って開いた。空はすでに薄暗く、彼女は街灯の光を頼りにざっと内容に目を通す。だが、その表情に安心した様子はない。橘家のやることは、いつも抜かりない。しかし現に、自分を轢こうとした犯人は野放しのままだ。透子がファイルを閉じると、アシスタントは彼女を――いや、彼女の髪をじっと見つめていた。一瞬の隙をついて、一筋、抜き取るつもりだった。しかし、彼が僅かに重心を前に移した、その時。目の前の女性が、静かに、しかし刃物のように鋭い言葉を投げかけてきた。「斎藤剛が失踪した件、あなたたちがやったの?」アシスタントは一瞬、心臓が喉までせり上がるのを感じたが、表情には微塵も動揺を見せず、あくまで穏やかな笑みを浮かべて首を横に振った。「当初の拉致事件で、美月様が参考人として事情聴取を受けました。我々への疑いを晴らすためにも、私も警察の捜査状況にはずっと注目しておりました。犯人が捕まっていないことは誠に残念ですが、我々が捜査に干渉したという事実は一切ございません。それに、これはあくまで一時的な結論です。警察は引き続き追跡捜査を行うでしょうし、あるいは、明日にも犯人を
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第815話

男が、大きなお腹を抱えた女を支えていた。女の口から漏れる苦しそうな呻き声が、透子の足を止めた。彼女が振り返ると、女は手で腹部を押さえ、苦痛に顔を歪めていた。まともに歩けず、その場にズルズルと座り込んでしまう。隣にいる男もまた汗だくで、焦ったようにあたりを見回し、やがてその視線が透子とぶつかった。「す、すみません!お願いします!妻を車まで運ぶのを手伝ってもらえませんか?すぐに病院に連れていかないと!」男は、藁にもすがるような声で助けを求めた。「どうされたんですか?」透子が尋ねる。「……俺のせいなんです。さっき喧嘩して、妻が車から飛び出した時に、転んで足を捻ったみたいで……」男は自分を責めるように言った。「あと二ヶ月で臨月なんです!急いで病院に連れて行かないと……!」男はそう言うと、無理やり女を立たせようとするが、女の苦しげな呻き声はさらに大きくなるばかりだった。透子は彼の乱暴な動きを見て、思わず眉をひそめた。「そんな風に腕を引っ張ったら!妊婦さんなんですから、ちゃんと腰を支えて抱き起こさないと」男は言われた通りに腰を抱えようとするが、女は大柄な上に妊娠している。対して男は痩せており、途中まで抱え上げたものの、バランスを崩して再び地面に崩れ落ちてしまった。その様子を見て、透子は手伝わざるを得なくなり、男と一緒に女を後部座席へと運んだ。その頃、マンションの敷地を巡回中だった警備服姿のボディガードは、保護対象が妊婦を助けているのに気づき、手伝おうとゆっくりと近づき始めていた。車のそばで、透子も汗だくになっていた。女がなんとか座席に収まったのを見て、彼女はほっと一息つき、声をかける。「旦那さん、早く奥さんを病院へ……」言い終わる前に、突然、先ほど助けたはずの「妊婦」が彼女の手を掴み、ありったけの力で車内へと引きずり込んだ。透子の心臓が跳ね上がったが、なすすべなく相手の体の上に倒れ込んでしまう。痛みのせいでパニックになってるんだわ……彼女はそう思い、慌てて言った。「ごめんなさい、お腹は大丈夫……」透子はとっさに、相手のお腹にぶつからないよう体を捻った。それでも、手のひらが相手の脇腹に触れてしまう。「……ですか?」その言葉は、声にならなかった。彼女の動きが、ぴたりと止まったからだ。手のひらの感触……こ
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第816話

ボディガードは運転席のそばまで歩み寄ると、視線を下に落とした瞬間、言葉を失った。女の腹は、平らだった。どこが妊婦だというのか。しかも、今着ている服は白。さっきの女は、黒いワンピースを着ていたはずだ……腹も服も違う。だが、ボディガードはその顔をはっきりと覚えていた。見間違えるはずがない。そもそも、このあたりに他に女の姿はないのだ。女はわざとらしく胸を張り、高圧的な態度で言った。「あんた、ただの警備員でしょ?私はここの住人よ。管理人に言ってクビにされたいわけ?」その脅し文句を聞いても、ボディガードは全く動じなかった。彼は、本物の警備員ではないからだ。女が車を発進させようとするのを彼は阻み、同時にトランシーバーに向かって叫んだ。「緊急事態だ!全員、正門右側の駐車レーンに集合しろ!」仲間を呼ばれたと知り、女は舌打ちをすると、アクセルを床まで踏み込んで彼に突っ込んだ。ボディガードは咄嗟に身を翻したが、避けきれずに車体にはじき飛ばされ、脇の植え込みに倒れ込んだ。「応援を!如月さんが消えた!」ボディガードは肋骨の痛みをこらえ、再びトランシーバーに怒鳴った。地面に倒れた彼の視線の先に、後方から猛スピードで走り去る、一台の灰色のセダンが映る。即座に、彼はその車が仲間だと判断し、叫んだ。「陽動作戦だ!奴らはチームで動いてる!黒のバンと、灰色のセダンがいる!灰色のセダンのナンバーは『A35-97』、黒のバンは『A25-80』だ!」もともと外を巡回していたボディガードたちが最も早く駆けつけたが、彼らはまず最初に目に入った黒いバンを追跡する。灰色のセダンも仲間だと聞き、三人が分かれてそちらを追い始めた。時を同じくして、新井のお爺さんが手配していたボディガードも異常を察知し、すぐさま出動した。黒塗りのSUVが、エンジンを咆哮させて飛び出していった。その頃、都心へ向かう公道では。灰色のセダンが疾走する中、後部座席で、透子はシートに突っ伏し、身動き一つ取れずにいた。スタンガンの後遺症で呼吸が苦しく、次の瞬間には窒息してしまいそうだ。同時に心臓が激しく脈打ち、胸を突き破って飛び出してきそうなほどだった。罠にはめられたこと、そしてこれから想像を絶する危険に直面することも分かっている。だが、今は逃げることすらできない。電流が
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第817話

その結論に至った蓮司は、すぐさま雅人に電話をかけようとした。しかし、その前に新井のお爺さんからの電話が割り込んでくる。電話口から聞こえるお爺さんの声は、どこまでも冷静だった。「透子が失踪した件は聞いた。お前はまだ骨折が治っていないんだ。むやみに動き回るな。わしが手配した者たちが、今、全力で犯人を追っている」蓮司は表向きは承諾したものの、電話を切るなり、痛む体を無理やり起こして外へ出ようとした。透子が連れ去られて、一秒経つごとに、彼女の身の危険は増していくのだ。彼は苦痛に顔を歪めながらも車椅子の方へとにじり寄り、その手は既に、雅人の番号をダイヤルしていた。十数秒後、相手が応答するなり、蓮司は怒声を張り上げた。「橘!てめえ、それでも人間か!どうすれば透子を返す気だ!透子は無実だ!朝比奈のことで腹いせしたいなら、俺を狙え!もう一度車で撥ねたって、文句は言わねえよ!なのに、なんで透子に執着するんだ!あいつが死ななきゃ、お前の気は済まねえのかよ!」ウェスキー・ホテルにて。雅人は浴室から出たばかりだった。電話に出るなり、理不尽な詰問と罵倒の嵐を浴びせられ、彼の表情は瞬時に怒りで凍りついた。「新井、真夜中に何を喚いている」せいぜい透子に真相を明かせない、というだけのことだろう。なぜ、彼女を死なせたいなどという話に飛躍する?新井蓮司のやつ、新井のお爺さんが後ろ盾にいるからといって、自分が手出しできないとでも思っているのか?「喚いてんのはてめえの方だろ!この人でなしが!なんで何度も何度も透子を狙うんだよ!」電話の向こうから、蓮司の怒鳴り声が再び響き渡る。雅人の顔は険しさを増し、不快感を露わにした。もし今、蓮司が目の前にいれば、間違いなく言葉より先に拳が飛んでいただろう。「頭がおかしいなら病院へ行け。車に撥ねられて、脳みそまでイカれたようだな」雅人は冷たく言い放つと、この狂人の電話を切り、着信拒否に設定しようとした。しかし、彼が通話終了ボタンを押す直前、蓮司が再び狂ったように叫んだ。「お前のアシスタントを見たぞ!お前がそいつに透子を呼び出させて、それから彼女に……!」その後の言葉は、雅人の耳には届かなかった。彼の指が、一瞬早く通話終了ボタンを押していたからだ。しかし、雅人はわずかに眉をひそめた。アシ
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第818話

だが、その言葉――髪の毛を手に入れるためだ、という真実を、雅人はすぐには口にしなかった。まだ、確たる結論が出ていないからだ。雅人は、ただ事実だけを強調した。「とにかく、僕は彼に、如月さんに手出しなどさせてはいない」その言葉が終わるや否や、彼はアシスタントに電話をかけた。相手が応答すると、雅人は鋭く尋ねる。「今どこにいる?」「社長、もうすぐホテルに到着します。すぐにそちらへ伺います。社長が私に、如月さんの……」「もういい。聞きたいことがある」雅人は、絶妙なタイミングで話を遮った。雅人の父は、傍らでそのやり取りを聞きながら、眉間に深い皺を刻んだ。アシスタントは、透子から何を受け取りに行ったというのだ?先ほどから、雅人はその理由を頑なに言おうとしない。これで二度も、話を逸らしたことになる。まさか、本当にまた、彼女に手を出したとでもいうのか?「君は、如月さんに会った後、すぐにその場を離れたんだな?」雅人は確認するように尋ねた。「はい、その通りです」雅人は父に向き直り、言った。「聞いた通りだ。僕はアシスタントに、彼女へ手出しなどさせていない。彼もそう証言できるし、もうすぐここに着く」父親は、冷たく言い放った。「アシスタントが直接の実行犯ではないことは分かっている。奴はただ、彼女を呼び出しただけだ。実際に手を下したのは、別の人間だろう。新井家側の証言によれば、君が誰かに妊婦を装わせて地面に倒れさせ、透子が助けに行ったところを、気絶させて連れ去ったということだ」その言葉を聞き、雅人は即座に否定した。「あり得ない。僕はアシスタントに、そんな指示は一切出していない」電話の向こうで、アシスタントも父の言葉を聞き、慌てて弁解した。「会長!その者たちは、私が指示したわけでは断じてありません!私はすぐにその場を離れましたし、如月さんがそのような被害に遭われたことなど、全く存じ上げませんでした!」ここまで聞いて、雅人の父はさらに眉をひそめ、核心を突いた。「では、アシスタントをそこへ行かせた目的は、一体何だ?」雅人は正面から答えず、論点をずらすように言った。「如月さんが被害に遭ったのは、僕とは無関係だ。アシスタントがたまたま、その直前に彼女を訪ねたに過ぎない。新井家はなぜ、その二つを無理やり結びつけよ
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第819話

雅人の父はそれを聞いて、押し黙った。そうだ、新井家が信じるはずがない。「……では、本当に、君がやったことではないのだな」雅人の父は再度、念を押すように尋ねた。「僕がやったことではない」雅人は、きっぱりと答えた。雅人の父は眉をひそめ、心の中で別の可能性を探る。――では、美月がやったのか?前回も彼女は、透子を殺そうとして失敗した。今回また、手を出したというのか?雅人の父が疑念を深めている間、雅人もまた、同じ疑いを抱いていた。だが、彼は既に美月の金の流れから交友関係まで、すべての動向を監視下に置いている。本来なら、彼女が再び人を雇って手出しできるはずがない。……だが、万が一。今回の実行犯もまた、剛と同じチームの一員だったとしたら?何しろ、手付金だけで一億六千万円も支払われているのだ。その金で大勢の人間を雇い、凶行に及ぶことも可能だろう。「父さん、少し出てくる」「どこへ行く?」「新井の元妻を探す手伝いをする。この濡れ衣を、橘家が着るわけにはいかないからな」雅人は冷静に告げた。特に、もし本当に美月がやったことなら、自分が先回りして証拠を隠滅する必要もある。雅人の父はそれを聞いて、もう何も言わなかった。雅人は着替えに部屋へ向かう。彼がリビングに戻ってくると、ちょうどアシスタントもホテルに到着したところだった。アシスタントは、彼が身支度を整えているのを見て尋ねた。「社長、どちらへ……?」「現場へ行く」「では、髪の毛の件は……」雅人は一瞬、両親の髪の毛を取ってきて、急ぎで鑑定に出すよう言おうかと考えたが、それでは面倒が増えるだけだ。そこで、彼は自分の頭から髪を二本引き抜き、アシスタントに手渡した。「これを頼む。父さんたちには、まだ知らせるな」アシスタントはこくりと頷き、雅人は大股で部屋を出て行った。彼は自分側のボディガードに連絡を入れる。彼らはすでに出動しており、今まさに都心を疾走しているところだった。「当初、敵は二台で陽動作戦をしました。黒のバンは空で、ターゲットは灰色のセダンに乗せられた模様です。追跡の過程で玉突き事故が発生しましたが、灰色のセダンは十分前に乗り捨てられ、逃走しました。しかし、犯人にはさらに別の仲間がいたようです。現在、乗り換えられた先の黒いセダンを追跡中です」
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第820話

「はい。間もなく交差点の信号です」雅人は車載ディスプレイの地図を一瞥すると、即座にハンドルを切り、近道から回り込もうとした。その頃、新井家の本邸では。執事は、新井家が手配していたボディガードと常時通信を繋ぎ、リアルタイムで報告を受けていた。自分たちのチームではない黒塗りのSUVが一台、追跡に加わったと聞き、新井のお爺さんはすぐに眉をひそめた。「あれは、蓮司が寄越した者か?」「……若旦那様かと、存じます」新井のお爺さんは、そこで蓮司に電話をかけたが、相手は出なかった。すぐに、彼は状況がおかしいと察する。彼は急いで病院に残していたボディガードに連絡を取った。すると、蓮司がすでに現場へ向かっていると知り、途端に怒りで激しく咳き込んだ。「電話を代われ!」新井のお爺さんは怒鳴りつけた。ボディガードが恐縮しながら電話を代わると、彼はすぐに受話器の向こうの孫に怒声を浴びせた。「蓮司!命が惜しくないのか!大人しく病院にいろと言っただろうが!こちらからも救出に人を向かわせたし、警察も動いているんだぞ!」「大丈夫だ、車椅子に乗ってるから。じゃあまた」蓮司は、まるで散歩にでも行くかのような軽い口調でそう言うと、一方的に電話を切った。新井のお爺さんは、孫のあまりの身勝手さと、自分の命さえも顧みない無謀さに、怒りのあまりスマートフォンを壁に叩きつけそうになった。彼は執事に向かって叫んだ。「蓮司を死んでも守り抜け!肋骨が二本も折れているというのに、まだ動けるとはな。いっそのこと、足の一本も折れていればよかったものを!」執事はとっくに、蓮司を連れ出したボディガードたちに指示を出していた。速度を落としてでも、何があっても若旦那様を無傷で守り、かすり傷一つ負わせるな、と。その頃、ウェスキーホテルのスイートルームでは。美月は児童養護施設の院長から一本の電話を受けていた。十数台のパトカーと、三、四台のボディガードの車が出動した。作戦は失敗する可能性がある、という内容だった。「こっちを恨むなよ。一応、状況は教えたからな」院長はそう言い残し、一方的に電話を切った。その頃、彼はすでに車で港に着き、私設の貨物船のチケットを手に入れ、水路から国外へ脱出しようとしていた。残りの金はもういらない。口座には、以前のものと合わせて八億円。
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