All Chapters of 離婚まであと30日、なのに彼が情緒バグってきた: Chapter 941 - Chapter 950

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第941話

蓮司は静かに言った。「俺は橘の名など出していない」その言葉に大輔は内心で反論した。──だが、我々がやったことは、暗に橘家を利用したことに他ならない。もし橘家から『事実無根』だと声明が出されたら、どうする?確かに橘家の名前は出していない。だが、美月の写真一枚で、特に上流階級のパーティーに参加経験のある者なら、誰もが彼女の『身分』を察してしまう。明言など不要。それだけで、背後にある巨大な権力を匂わせるには十分なのだ。すべては、二つの名家が縁組を結ぶのではないかと、人々に誤認させるための、計算された誘導。大輔は、橘家側に一言断りを入れておくべきかと、一瞬迷った。もちろん、自分に橘会長や橘社長と直接話せるほどの立場はない。連絡を取るにしても、相手は透子しかいなかった。しかし、透子は社長と完全に袂を分かっている。その上、彼女はまだ傷の癒えぬ身だ。大輔はポケットからスマートフォンを取り出しかけたが、その手を止め、そっと元に戻した。──どうか、お爺様の顔に免じて、橘家がこの件を黙認してくれますように。……その頃、別の場所では。悠斗は、一夜にして世論が完全に覆ったのを、ただ呆然と見ていることしかできなかった。彼への支持を表明していたはずの取締役会のメンバーは、誰一人として電話に出ない。昨日、契約を結んだ企業のオーナーたちでさえ、様々な理由をつけて契約の無効を申し出、莫大な違約金を払ってでも手を引こうとしていた。「クソがァッ!!」悠斗は獣のように咆哮し、テーブルの上の物をすべて床に叩きつけた。その目に浮かぶのは、粘着質で残忍な光だ。蓮司……女を利用して、世論を味方につけるとはな。こっちはほぼ勝利を確信していたのに、蓮司はいきなり「橘家との縁組」をスローガンにメディア戦略を展開し、あの『風見鶏』どもをすべて抱き込んでしまった。この縁談が芝居だと暴露することも考えた。だが、部下が大輔に探りを入れたところ、「双方のご両親がお食事をされたという事実以外、存じ上げません」と、丁寧にはぐらかされたという。その魂胆など見え透いている。今、こちらが金を使って『縁談は嘘だ』と報じさせたところで、業界の人間は誰も信じないだろう。必死で相手を貶めようとした結果が、逆に蓮司の追い風になるなど、怒りで気が狂いそうだ。悠
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第942話

でなければ、あと数日、美月の嘘が暴かれるのが遅れていたら。そして、透子の本当の身分が上流階級に知れ渡っていたとしたら。彼のこの偽りの『縁談作戦』は、始まる前に水泡に帰していただろう。何しろ、彼は透子と離婚済みで、橘家からは蛇蝎のごとく嫌われている。彼らが報復してこないのは、ひとえに新井のお爺さんの顔を立てているからに他ならない。だから、蓮司が透子を利用して自身の地位を固めるという選択肢は、そもそも存在しなかった。【新井って、マジでゲスじゃない?まさか朝比奈まで利用するなんて。てか、これ橘家と揉めないの?】聡は、妹からのLINEに、ボイスメッセージで返信した。「橘家が口を出す理由がない。新井は写真を出しただけで、橘家の『た』の字も口にしていないしな。それに、うちは国内プロジェクトで新井グループと提携している。トップが誰になろうと提携は続く。連中は中立を保つだろう。結局、どっちが勝とうと、橘家にとっては関係ないんだ」理恵は自室のベッドに寝転がり、兄の返信を聞きながら、考え込んで尋ねた。「じゃあ、お兄ちゃんはどっちが勝つと思う?」彼女には、さっぱり見当がつかなかった。新井のお爺さんは二人の孫を公平に扱っているように見えるし、そもそも、悠斗を呼び戻したのはお爺さん自身なのだ。それに、あの悠斗とかいう男も、相当な切れ者らしい。もし悠斗がずっと国内にいたら、お爺さんが後継者に選んだのは蓮司ではなかったかもしれない、と囁く者さえいる。聡からの返信は、簡潔だった。「まだ五分五分。最終ラウンドがどうなるか、だな」彼の心の中では、すでに天秤は傾きかけていた。何しろ、悠斗のその『手腕』とやらは、すべて海外での話だ。それが本当かどうかなど、誰にも分かりはしない。ただ興味深いのは、新井のお爺さんが今回、完全に沈黙を守っていることだ。だから彼も静観を決め込み、どちらが最後に社長の座に手をかけるか、高みの見物を決め込むことにした。理恵は兄の言葉を聞きながら、これ以上の展開はないだろうと感じていた。あるとすれば、それは橘家がどちらかの味方につくことを表明し、朝比奈の偽りの身分を暴く時だけだ。しかし、兄は橘家が動くことはないと言う。彼女には、もう訳が分からなかった。今夜の新井グループの内紛も、これで打ち止めだろう。野次馬
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第943話

「若旦那様は今、あまりにも危うい博打を打っておられます。あの防衛線は、所詮、張り子の虎……こちら側か、あるいは橘家から一言でも真実が漏れようものなら、すべてが崩壊いたします」執事は、憂いを滲ませた声で続けた。「若旦那様は、旦那様が手ずからお育てになったお子です。十歳そこそこで母君を亡くし、これまでどれほど……」情に訴えかけようとした。今、旦那様が手を差し伸べなければ、若旦那様は本当に再起不能の窮地に陥ってしまう。蓮司の過去の過ちは消せない事実であり、少し調べればすぐに露見する脆い土台の上に、今の作戦は成り立っているのだ。しかし、彼の言葉は最後まで続かなかった。旦那様がおもむろに手を上げたのを見て、心が動かされたのかと思ったが、旦那様は目を閉じたまま冷たく言い放った。「うるさい。下がって休め。わしの安眠を妨げるな」執事は返す言葉もなく、深く長い溜息を胸の内に落とし、静かに部屋を辞した。彼は大輔に電話をかけ、今後の対応を協議する。一方、部屋の中では──新井のお爺さんはこの時、ゆっくりと目を開けた。その表情は、古井戸の水面のように静まり返り、一切の感情を映してはいなかった。この程度の世論の嵐を乗り越えられぬようでは、そもそも蓮司に新井グループを背負う器量はない。それに、彼が今日この状況に陥り、これほど多くの弱みを握られ、取締役会の信頼を失ったのは、すべて彼自身の行いの結果だ。己で蒔いた種は、己で刈り取らねばならん。執事は廊下で大輔と通話していた。電話の向こうもまた、完全に手詰まりのようだった。まさに、一難去ってまた一難。問題は、悠斗側が握る証拠があまりにも完璧で、数ヶ月も前から周到に準備されていたことだ。大輔の声は、焦燥に掠れている。「動画を削除しようが、アカウントを凍結しようが、もはや無意味です。問題は、上流階級の人間がすでにこれを『事実』として受け入れてしまっていること。社長のイメージ回復は絶望的ですし、仮に回復させても取締役会は納得しないでしょう。連中は、すでに留置場にまで裏取りをしています。さらにまずいことに……社長は以前、十日間留置されたことを、『胃病で入院』と偽って社内に説明していました。その嘘が、今になって社長自身の信頼を根底から揺るがしているんです」執事はそれを聞き、胃の腑が焼け付
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第944話

だが、もし橘家が声明を出せば、その時点で詰みだ。執事が橘家に連絡を取っている間も、大輔は手をこまねいているわけにはいかず、蓮司と連絡を取り続けていた。病室の照明だけが煌々と灯り、まるで時が止まったかのような静寂に包まれている。情勢は急転直下し、蓮司にとって絶望的とも言える状況のはずだ。しかし、彼は今、不気味なほどに冷静だった。パソコンの画面に映し出された、悠斗側が収集したであろう自分と透子、そして美月を巡る一連の『事実』。それらを、ただ無感情に見つめている。これほどの証拠を揃えていたということは、あの悠斗がずっと鼠のように自分の後を嗅ぎまわっていたということだ。陰湿で、粘着質な男め。「社長、先ほど執事の高橋さんに、橘家側の意向を確認するよう依頼しました。広報部も火消しに走っていますが、もはや防戦一方で、有効な反撃ができません。決定的な反証材料がないのです」イヤホンマイクから聞こえる大輔の悲痛な声に、蓮司は凪いだ水面のような声で応えた。「反論?無意味だ。起きたことはすべて事実。業界の連中が、裏を取らないとでも?」その言葉に、大輔は唇を固く結んだ。──まさか。社長は、すべてを諦めるおつもりか?事態がここまで来てしまっては、もはや挽回の余地はほとんどない。勝ち目のない戦はしない、ということか。あの悠斗が握るカードは、あまりにも多く、そして完璧すぎた。大輔は、絞り出すように言った。「……明日の取締役会は、ご欠席なさってはいかがでしょう」事実を覆せないのなら、出席してもただ衆目の前で恥をかくだけだ。社長のように誇り高い方が、それに耐えられるはずがない。せめてもの、最後の尊厳を守るために。そう考えた時、電話の向こうから、凛とした声が響いた。「なぜ、俺が出ないんだ」大輔は内心で思った。これも社長に最後の体面と尊厳を残して差し上げるためなのだ。「……以前の離婚裁判の際、朝比奈のSNSアカウントは、藤堂翼という弁護士がすべて洗い出しているはずだ」唐突な言葉に、大輔は意図を測りかねて息を呑む。蓮司は、続けた。「今すぐ、朝比奈のアカウントをすべて買い取れ。その後は、俺の指示通りに動け」数秒の沈黙。やがて、大輔は雷に打たれたように目を見開き、通話を終えるや否や、翼の個人番号に直接電話をかけた
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第945話

これはまさに、崖っぷちからの大逆転。吉報が、立て続けに舞い込んでくる!橘家が介入しないのであれば、『縁談』などという虚構は、いくらでもでっち上げられる。美月本人のことなど、もはや考慮に入れる必要すらない。彼女はとっくに橘家によって囚われの身。余計な口を挟む機会など、金輪際ありはしないのだから。時計の針は、すでに夜の十一時を回っていた。蓮司がタイムラインを更新すると同時に、大輔が手配したサクラ部隊が、美月のアカウントに投稿された写真と蓮司の投稿をセットで拡散し始める。今夜の新井グループ後継者を巡るスキャンダルは、またしても絶体絶命の状況からの、劇的な逆転劇を迎えた。財界の誰もが、この一連の騒動を固唾を飲んで見守っていた。なぜなら、これはもはや単なる蓮司個人の色恋沙汰ではなく、次期後継者を見極める、一つの『風向計』だったからだ。無理もない。もし新井のお爺さんが直接鶴の一声を発すれば、彼らは悩む必要などなく、ただ一方の勝ち馬に乗ればいい。だが、お爺さんは沈黙を貫き、二人の孫を天秤にかけた。だからこそ、彼らは自らの判断で『どちらにつくか』を決めなければならなかったのだ。蓮司は正統な後継者だが、私生児である悠斗は、お爺さん自らが呼び戻した男。蓮司の実績は申し分ないが、悠斗の実力も底が知れない。実力は拮抗。そこにきて、蓮司本人にこれほどのスキャンダルが噴出したのだ。元妻と浮気相手の間で揺れ動き、その浮気相手は、あろうことか橘家の令嬢。最初は元妻を捨てて橘家の令嬢に乗り換え、今度は彼女を捨てて元妻に執着する。もし今夜の色恋沙汰の裏にある権力闘争を抜きにして、純粋なゴシップとして見るならば、誰もが新井蓮司という男の評価が地に落ちたと感じていた。そして、彼らが最終的な態度を決めかねていた、もう一つの理由。あれほどの騒ぎから三、四時間が経過しているというのに、橘家からは何の声明も出ていないのだ。彼らは本当に、令嬢を蓮司に嫁がせる気があるのか。それとも、すべては蓮司の独り芝居なのか。誰もが、その真意を測りかねていた。だが、その膠着状態を、一つの投稿が打ち破る。蓮司のタイムラインに、最新の投稿が更新されたのだ。添えられたのは、一組の結婚指輪の写真。文字説明はない。しかし、それを見る者にとって、これ以上の雄弁
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第946話

あれほど『クズ』と罵られた男が、それでも名門・橘家の令嬢に選ばれるとは。『これぞ、真実の愛』人々は、都合よく物語を書き換えた。やはり、学生時代の恋、しかも初恋というのは、何物にも代えがたい最強のカードなのだ、と。もはや、彼が元妻をまだ愛しているかどうかなんて、些細なこと。未来の『新井夫人』は、橘家の令嬢ただ一人なのだから。……その頃、プライベートホスピタルの病室で。蓮司はイヤホンマイクをつけ、電話の向こうで上擦った大輔の声を聞いていた。ひっきりなしに届く祝福の連絡について、彼は堰を切ったように報告を続けている。蓮司は静かにパソコンを閉じ、サイドテーブルに置いた。その瞳は、絶対零度の湖面のように冷え切っている。──フン。悠斗ごときが、この俺に勝てると思ったか。あの博明でさえ本社から追い出したというのに、腹違いの弟ごときが玉座に手をかけられるとでも?二度と、這い上がれぬ絶望の底に沈めてやる。新井家の本邸。執事もまた、最新の状況を新井のお爺さんに報告していた。その声は、隠しきれない喜びに弾んでいる。「若旦那様のこの起死回生の一手、実に見事でございます!これで完全勝利ですな!明日の取締役会も、もはや何の懸念もございません」新井のお爺さんは執事の言葉を聞き流しながら、手にしたタブレットに目を落とす。画面には、蓮司が投稿したタイムラインが映し出されていた。彼は何も言わず、ただフンと鼻を鳴らしただけだったが、その口の端は確かに上がっていた。小細工は弄さず、ただ一点、急所を突く。危機に瀕しても揺らがぬ胆力は、確かに王の器だ。「ただ旦那様、先ほどから鈴木家、佐藤家、それから田中家よりお祝いのお電話が立て続けに入っておりまして……私では判断致しかねますので、折り返しご連絡するとお伝えしておりますが、いかがいたしましょう」──これは元々、若旦那様が仕掛けた虚構だ。今や業界の誰もが本気にして、結婚披露宴への招待を心待ちにしている。もし本当に縁組を結ぶのであれば、相手は透子のはずだ。美月は偽物なのだから。だが、それは決して口外できない。その上、蓮司と透子が再び結ばれる可能性など、限りなくゼロに近いだろう。「次に誰かが聞いてきたら、直接蓮司に聞けと伝えろ。あやつが発表した結婚だ、わしに聞いてどうする」
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第947話

なぜだ?なぜ橘家からは何の声明もなく、美月個人のアカウントからの一方的な発表だけなのだ?橘家は、この縁談を支持していないのか?それとも、まだこの騒ぎを知らない?……いや、あり得ない。これほどの大事になっているのだ、知らないはずがない。ならば、支持していないのか?だが、支持していないのなら、美月の独断での投稿など、許すはずがない!悠斗は、思考の迷路に陥りながら、ギリ、とテーブルの縁を握りしめた。たとえ橘家が直接、蓮司を支持する声明を出さずとも、この縁談は既成事実と化してしまった。業界の誰もが蓮司と美月の婚約を信じ込み、次々と勝ち馬に乗ろうと寝返っている。明日の取締役会では、雪崩を打って裏切り者が出るだろう。悠斗はテーブルの上のスマホをひったくり、数件の電話をかけた。蓮司が先に不倫しておきながら美月を捨て、元妻に固執したという一連のスキャンダルを、国内だけでなく、海外のあらゆるプラットフォームにぶちまけろ、と。今回、自分が蓮司に負けたという事実は、認める。だが、奴がこのまま勝ち逃げすることだけは、我慢ならなかった。『橘家の令嬢』という絶好のゴシップだ。今夜、海外のネットは必ず、祭りのように燃え上がるだろう。そして、蓮司のようなクズを婿に選んだ橘家も、共に世論の非難に晒されるがいい。……時計の針は、零時を指した。国内外のプラットフォームで、新井社長と橘家の令嬢の『婚約』に関するゴシップ記事が、百件以上も同時に投稿される。悠斗の思惑通り、話題は瞬く間に沸騰し、再生回数ランキングのトップに躍り出た。国内。蓮司はすでに眠りについていたが、不運な大輔は退勤したばかりの身で、広報部長と共に再び地獄の徹夜残業に引き戻されていた。国外。同じく雅人も眠りについていたが、アシスタントのスティーブは、瞬く間に炎上するニュースに頭を抱え、部下に緊急対応を命じていた。二人の有能なアシスタントは今、共通の敵を前に、見えざる黒幕への殺意を共有していた。自宅で、大輔は苛立ちも露わに叫んだ。「何ですって?海外のサイトにまで……至急、運営に連絡を!何としても今日中に動画を削除させ、アカウントを凍結させてください!」広報部がすぐに対応にあたる。国内のプラットフォームなら話は早い。問題は海外だ。金はいくらかかろうと
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第948話

これほどの悪影響をもたらすゴシップだ。橘家が自ら動いたとしか考えられない。橘家側も当然、この件に真っ先に気づいているだろう。そう思うと、大輔はわけもなく後ろめたい気持ちに襲われた。暗黙のうちに『便乗』させてもらってはいるが、心は少しも休まらない。……蓮司と美月のゴシップが広まり始めた途端、国内外のプラットフォームは、驚くべき速さで完全に封じ込められた。悠斗はすぐにその知らせを受け、奥歯が砕けんばかりに拳を握りしめる。これほどの神速ぶり、特に海外サイトの動きは、間違いなく橘家が動いた証拠だ。やはり、橘家は公にはしていないだけで、事実上、この『縁談』を認めている。部下が、まだアカウントを買って投稿を続けるべきか尋ねてくる。悠斗は、怒りを押し殺した声で吐き捨てた。「無駄だ。今さら火に油を注いでも、橘家をさらに本気にさせるだけだ。後始末は完璧にやれ。尻尾は掴ませるな」部下が承知したのを確認し、通話を叩き切る。悠斗は立ち上がり、行き場のない怒りに任せて、そばにあった椅子を蹴り飛ばした。蓮司には橘家という後ろ盾があり、あの美月は蓮司に心底惚れ込んでいる。どうすれば、この鉄壁の布陣を崩せるのか?二人の縁組を、阻止するには……思考を巡らせる悠斗の脳裏に、ある一人の人物が浮かび上がった。──蓮司の元妻、如月透子。二度の離婚裁判、彼女のために起こした数々の騒動、そして、身代わりとなって車に轢かれ、肋骨を骨折した一件。蓮司が本当に愛しているのは、透子のはずだ。美月の存在など、彼女の足元にも及ばない。もし橘家との関係がなければ、あの二人が結ばれることなど、決してなかったはずなのだ。──見つけた。奴の、唯一にして最大の弱点を。ならば、これを利用しない手はない。悠斗は以前、透子の身辺を洗わせたことがある。名門大学を卒業し、駿や理恵と親しい。だが、それ以外に何の背景もない、ただの孤児。これほど、御しやすい駒はない。透子というカードをうまく使いさえすれば、蓮司を意のままに操れる。そう結論付けた悠斗の口元に、冷たい笑みが浮かんだ。彼はすぐさま、旭日テクノロジーに潜ませている部下に、短いメッセージを送った。……翌朝。透子は早くに目を覚ましたが、昨夜、ネット上がどれほど激しい嵐に見舞われていたかな
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第949話

透子のその言葉を聞き、雅人は心の底から安堵した。初めは、妹が別の男のために蓮司に嫁いだのだと思っていた。だが、彼女が長年、蓮司を深く愛していたことを、彼は知ってしまった。だからこそ、その愛の根源を断ち切って初めて、再燃の可能性を完全に絶つことができるのだ。新井グループで昨夜起きたことは、祥平も早朝には知るところとなっていたが、特に何の反応も示さなかった。雅人がすでにすべてを差配しているのなら、自分が口を出す必要はない。ただ、透子が実の娘であることを公表する件については、もう少し先延ばしにして、この騒ぎが完全に沈静化してからにしよう、と彼は考えていた。……午前九時、新井グループ本社ビル、役員会議室。取締役会がまもなく始まろうとしており、席に着いた役員たちは、互いに顔を寄せ合い、ひそひそと囁き合っていた。昨夜、あれほどの逆転劇が起きたのだ。彼らがどちらの勝ち馬に乗るかなど、もはや言うまでもない。当初提案されていた、最高経営責任者を交代させるという議題も、いつの間にか立ち消えになっていた。悠斗が書類を手に会議室へ入ってくると、役員たちはぴたりと口をつぐんだ。彼も、これらの連中が風見鶏であることは承知の上だ。だが、今日の報告は、自身の未来のために、やり遂げねばならない。全メンバーが揃い、悠斗が報告のため最前列へ歩み出た、その時だった。重厚な会議室のドアが、何の前触れもなく押し開かれた。全員の視線が、一斉にそちらへ注がれる。そこにいたのは、漆黒のスーツに身を包んだ、蓮司その人だった。コツ、コツ、と硬質な革靴の音を響かせ、彼は悠然と歩いてきた。その背筋は鉄のように真っ直ぐで、足取りに一切の乱れはない。──亀裂骨折は、もう治ったというのか?蓮司は、最前列に立つ悠斗を射抜くように一瞥する。その眼差しは剃刀のように鋭く、全身から放たれる殺気にも似た気迫に、誰もが息を呑んだ。大輔が彼の後ろに続き、素早く左手の首席の椅子を引いて、主君を座らせる。会議室は、水を打ったように静まり返っていた。数秒の沈黙の後、一人の役員がおずおずと口を開いた。「しゃ、社長……お体は、もうよろしいのですか?いやはや、何よりでございます」蓮司は、感情の読めない表情で答える。「元より、大したことではない」男は、引きつ
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第950話

「取締役会をこれほどまでに軽んじるからには、佐々木部長も、もうその職に未練はないのだろうな」蓮司の怒鳴り声に、会議室は一瞬にして凍りついた。役員たちは皆、身じろぎもせず、ただ固まっている。悠斗の差配で、浩司はすでに呼び出されていた。衆人環視の中で面子を丸潰れにされた悠斗は、今はただ、壇上の脇で屈辱に耐えるしかなかった。先ほど蓮司が入ってきてからというもの、あの風見鶏どもは皆、我先にと彼に媚びへつらい、まるで心臓でも取り出して忠誠を誓わんばかりの醜態を晒している。その中には、元々自分の派閥に属し、自分のために声を上げるはずだった者たちまで含まれている。彼らが蓮司に追従する様は、吐き気を催すほどだった。──覚えておく。一人残らず、だ。悠斗はその顔ぶれを一人一人、その脳裏に深く刻み込んだ。ほどなくして、浩司が血相を変えて会議室に駆け込んできた。「も、申し訳ございません、社長!本日午前、マーケティング部の重要会議と取締役会が重なってしまいまして……私が部内の会議を主宰しておりましたため、こちらには……!なにとぞ、お許しを!」浩司は九十度に腰を折り、恐怖と誠意を完璧に演じきって謝罪した。「以前も、各部署の重要プロジェクト報告の際には、優秀な社員が代行して登壇した前例がございます。今回もそれに倣ったまでで、決して取締役会の権威を軽んじたわけでは……!」そう言って、浩司は必死に自己弁護を試みる。──そうだ。マーケティング部の社員が報告すること自体に、何の問題もない。もし社長がこの点を執拗に追及すれば、それは単なる悠斗への私怨だと見なされるだろう。まさか、役員全員の前で、みっともない『兄弟喧嘩』を演じるわけにはいかないだろう。そもそも浩司は、今日、蓮司本人が乗り込んでくるなど夢にも思っていなかった。悠斗の報告が終わり次第、彼の『後継者候補』としての立場を公にし、息のかかった取締役たちに現社長の解任動議を出させる。すべては、その算段だったのだ。それなのに、まさか蓮司が……蓮司は、腰を曲げたままの浩司を一瞥し、静かに言った。「お前の言う通りだ。確かに、部署の代表として、優秀な社員が報告することもある」その言葉に、浩司はパッと顔を上げた。やはり社長も、公の場で事を荒立てる度胸はないのだ、と思った。だが、彼の顔に安
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