All Chapters of 生きた魔モノの開き方: Chapter 61 - Chapter 70

81 Chapters

61冊目:禁書

 僕たちはリュネットの捜索を続けた。  一階の書斎の扉を開けたとき、エルドリスが動きを止めた。 「そこにいる。行儀悪く机の上に座って本を読んでいる」  僕は、何もない机上の空間に目を凝らした。姿は見えないけれど、たとえば蜃気楼みたいな空間の歪みだとか、何かが存在する気配を少しでも感じられればと思った。 けれども何も見えなかった。空間をきらきら舞う埃でさえ、清掃の行き届いたこの館には存在しなかった。 「リューナ。本当に、お前なのか?」  エルドリスの声に感情はなかった。故人を懐かしむでもなく、離別を憂うでもなく、ただ淡々と事実確認をするだけの質問。  やがて彼女の目が動き、僕たちの立つ扉の方へと向けられた。 彼女の視線は僕たちを貫通して廊下を見ていた。 「逃げた。追いかけっこでもしているつもりなのか」  僕は廊下に出て、左右を見てみた。何もないまっすぐな通路が伸びているだけで、人が逃げていったような気配はやはりなかった。  踵を返して書斎に戻ると、ちょうどネイヴァンが、「どっこらせ、っと」なんて冗談めかして机に腰かけるところだった。エルドリスが語ったリュネットの再現だろうか。とはいえ細身の女性がやるのとガタイの良い男がやるのとでは趣《おもむき》が異なるだろう。長い脚を組んで堂々と座る様子には、とてもリュネットの姿を重ねられない。  セリカの町のエルドリスの家で見たあの写真。エルドリスと並ぶ、白銀の髪の女性。  ネイヴァンの手が、机のすぐ隣の書棚に伸びた。ピアノの鍵盤を撫でるように、整列した本の背表紙を彼の指先が滑っていく。 「リュネットは、何の本を読んでたんだろうな」  呟きながら、その指先が一
last updateLast Updated : 2025-06-06
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62滴目:隠されたモノ

 僕たちは調理場へ戻り、ウエディングケーキに使う生地などの下ごしらえを始めた。  これまで作ってきたステーキや煮込みや活け造りなどは、メイン食材がなければ先へ進まないような料理だが、ケーキは、そうじゃない。 エルドリスは今回のメイン食材を、小麦粉や生クリームなどケーキの土台となる食材系の魔物ではないと踏んだらしい。となると、その食材の使い道はもっぱらデコレーションだ。  つまり、基本のケーキ自体は魔物以外の食材で作る必要がある。  エルドリスが小麦粉と卵を計量してボウルに入れる横で、僕はエルドリスに渡された砂糖とバターのボウルを混ぜ始める。クリーム状になったら、エルドリスが用意した特製の香草入りのシロップを加えろという指令だ。  僕は泡立て器をガシャガシャ動かしながら、逆に手持無沙汰になってしまった脳で考えを巡らせる。 「エルドリス。あなたが見ているリュネットは、幻覚みたいに実在しない存在だと思いますか? それとも、実在するけれど、あなたにしか見えない存在なんでしょうか」  エルドリスの手が一瞬止まったが、すぐにまた作業を再開する。 「どうだろうな。決め手に欠けるが……少なくとも人間ほどの実体はなさそうだ。例えるならば、靄《もや》のような」「靄?」「歩いていても足音がしないし、実在するものに干渉しているようにも見えない。最初にベッドに寝ているのを見たとき、掛布団を被っていなかった。掛布団の上に横たわっていた」「なるほど……つまり、掛布団を上から掛けられるほどの実体はなかった、と?」「私はそう見た」「だったら、"実在しない存在"だと考えるほうが自然ではないですか?」「そう思ってもいい。だがさっきも言ったが、決め手に欠ける。実在しないモノかもしれないし、うっすら実在するモノかもしれない。前者であれば調理のしよう
last updateLast Updated : 2025-06-07
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63体目:あなただけの食材

 ネイヴァンに呼ばれて僕たちが向かったのは、館の一階の端にある礼拝室だった。  重たい木の扉を押し開けると、中はシンと静謐な空気で満たされていた。小さな教会のような内装で、中央を通路が通り、その左右には長椅子が並ぶ。明かり取りの窓が大きいおかげで、昼間はランタンを点ける必要がない。 通路を進んだ先には、繊細な浮き彫りが施された白石造りの祭壇があった。  が、何より目を引いたのは、祭壇の後ろの漆喰の白壁だ。何故ならそこには何かを無理やり引き剝がしたような跡があり、壁の内側が露出していたのだから。 「あれは……」  僕は通路を小走りで進み、白壁に近づいた。すぐ脇に、壁から剥がれたらしい木製の十字架が転がっている。 「罰当たりなことを……」  エルドリスが特に責めるでもなく淡々と言ったのを聞き、僕はこの十字架は"剥がれた"のではなく"剝がされた"のだなと察した。ネイヴァンの手によって。  何故彼がそんな奇行に走ったかはさておき、僕はあらわになった壁の内部を見た。  そう、びっしりと充満する虹色の胞子状の何か、を。  室内に散乱する黄色い陽光に照らされたそれは、敬虔な白壁に、美しさと不気味さを混ぜ合わせた花を添えていた。 「この虹色のモノ……調理場のタイルの下にもありました。何なんでしょう」「わからねぇが、体に悪そうな色だぜ」「ネイヴァンさんは、どうしてここにコレがあると?」  僕の問いに、ネイヴァンはバツが悪そうに後ろ頭を掻いた。 「いやぁ……懸垂するのにちょうど良さそうだと思って飛びついたら、バキッとな&hell
last updateLast Updated : 2025-06-08
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64心目:狂愛

「ずいぶんとタイミングのいい登場だな。俺たちを監視してたってのか? なあ」  ネイヴァンが不快感を隠さず詰問する。しかし白仮面の男は冷静だった。 「滅相もないことでございます。決して監視などではなく、ただ私どもには、お招きした皆様方の健康をお守りする義務がございますゆえ。それに、お客様とはいえエルドリス様は終身刑の身。この館からお出にならないよう見守ることが、第七監獄《グラットリエ》から言い渡された出張調理の条件のひとつなのです」「ハッ、平たくいえばやっぱり監視じゃねぇか。小型の魔導カメラか? どこに仕込んでる?」  言いながらネイヴァンは家具や天井に鋭い目を走らせる。 「いいえ、魔導カメラはありません。そういった記録に残すのを主は嫌がりますので」「はあ? じゃああんたが目視でずっと見てたってのか?」「ええ。私だけではなく、他にも数名おりますが」「……おちおち用も足せねぇな」「いえ、さすがにそこまでは。プライバシーに関わりますので」 「そんなことはどうだっていい」  それまで黙っていたエルドリスが声を上げた。ネイヴァンが『はいはい、すみませんね』という感じで肩を竦める。 「魔物の存在、と言ったな。この虹色の胞子状の物体は魔物なのか?」「左様でございます。これはこの館の元の持ち主である研究者が、秘密裏に研究した黒魔法により錬成した魔物『イルゼフォリア』です。そして今夜の『30分クッキング』の食材――それは、イルゼフォリアの胞子がもたらす幻《まぼろし》でございます」「幻?」  エルドリスが眉根を寄せると、男は静かに頷いた。 「ええ、幻です。その胞子を吸い込んだ者は、自分にとって最も愛しい人の幻を見ることになります。エルドリス様。あなた様が調理するのは愛しい
last updateLast Updated : 2025-06-09
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65杯目:愛を知らない孔雀たち

 ネイヴァンは黙って首を横に振った。今は追うな、ということらしい。 僕が踏み出した片足を引っ込めると、彼はようやく掴んでいた僕の二の腕を放した。  真顔だったネイヴァンは、唐突に軽薄そうな笑みを浮かべる。 「なあ、喉が渇いた。何か飲むモン作ってくれよ」「……僕がですか?」「調理助手《アシスタント》だって調理人だろ?」  言われて、なるほどそうか、と思った。エルドリスに「助手君」とばかり呼ばれていたので自覚がなかったが、彼女と同じ黒い革エプロンを身につけている間は、僕は刑務官でも監督官でもなく、調理人と見られるのだ。そのことが意外で新鮮で、つい僕はネイヴァンの願い出を了承してしまった。  ネイヴァンを連れて調理場に戻ると、僕は彼にちょっとしたサプライズを与えようと思い立った。材料棚に瓶詰めの紫キャベツの蜂蜜漬けがある。これで"変わり種レモネード"を作ってやろう。  瓶から、紫キャベツの蜂蜜漬け液をグラスに注ぎ、砂糖とレモン汁、それから炭酸水を加えてそっと混ぜる。すると、淡い紫だった液体は、たちまち鮮やかなピンク色に変わっていった。子どものころに母が作ってくれた遊び心のある飲み物だ。  完成したレモネードをトレイに乗せてダイニングへ運ぼうとしたところで、ネイヴァンに「待て待て」と引き留められた。 「カビだか菌だかに囲まれながら飲むのはゴメンだ。外に出ようぜ」  僕たちは裏庭へ出て、六角屋根のついたガゼボ(あずまや)に腰を下ろした。風が心地よく吹き抜け、周囲の花壇には色とりどりの花が咲いている。館の中の異常な状況が嘘のような穏やかさだ。  ネイヴァンはピンク色のレモネードを興味深そうに見つめ、ひと口飲むと「へえ」と小さく声を上げた。 「キャベツの汁なんか入れるのかよと思ったが、美
last updateLast Updated : 2025-06-10
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66陰目:冷凍室

 レモネードを飲み終えると、ネイヴァンは「ちょっと見て回る」と言って、館の表の方へ歩いていった。  僕は空のグラスとトレイを手に、調理場へ戻った。するとエルドリスが、バットに流し入れて魔導冷蔵庫で冷やし固めていたゼリーを切っているところだった。  ウエディングケーキの飾り付けに使う花型ゼリーを、ペティナイフで器用に切り出していく。僕がやったら噴飯ものの出来になるだろうが、彼女はまるでミスをしない。 完成して別のバットに置かれた五枚花弁の赤いゼリーは、磨き上げられたルビーかガーネットのように、艶やかな煌めきを放っていた。  黙々と作業を続ける彼女の邪魔をしたくなくて、僕はしばらくの間、彼女がシンクに入れた調理器具たちを洗って過ごした。  やがてゼリーの細工を終えた彼女が顔を上げた。彼女は残ったゼリーの切れ端を掴んで自分の口に入れ、うんうんと頷き、 「助手君」「はい、な――あぶばっ」  大きめの切れ端を突然口に押しつけられて少し鼻に入った。でも、とんでもなく美味しい。 様々なフルーツの果汁を彼女独自の配合でブレンドしてあるので、味わったことのない芳醇な味と風味が舌の上で弾け、鼻を突き抜ける。 食感も絶品だ。もっちりとした弾力がありながら、舌で少し押すだけでぶりんと崩れるゼリーは、まるで吸い付くように舌を包み込み、味蕾のすべてを掴んで離さない。 「さっきから何か言いたげだな」「あの、いえ……」「はっきりしない男はあまり好きじゃない」「……あなたは、その……大丈夫なのだろうか、と」「何も問題はない」  意味が伝わっていないような気がして、僕は言い直した。 「精神的に大丈夫か、という意味です
last updateLast Updated : 2025-06-11
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67食目:最後の晩餐

 金属製の扉を開けると、ひんやりとした空気が頬を撫でた。そこには石造りの階段が、暗闇へとまっすぐに続いていた。 「うわ……」  僕は思わずたじろいだ。危険はないはずとわかっていても、身構えてしまう。 「冷凍室を、こんな地下に……?」  尋ねると、ネイヴァンはさも当然のように言った。 「古い家には、まれにある。地中は一年中、気温が一定だからな」  言いながらネイヴァンは階段を下りていく。僕は慌ててあとを追った。 「上の扉が閉まったら閉じ込められてしまいますよ……」「そんときゃ転移魔法で脱出だ」  頼もしいことこの上ない。  階段を下りきった先に、また金属製の扉が現れた。ネイヴァンがドアノブに手を掛けて開くやいなや、凍てつくような空気が一気に流れ出してくる。  中に入ると、そこはまさしく極寒だった。吐いた息は白く煙り、肌を刺すような冷気が全身にまとわりつく。僕は両手をこすり合わせながら内部を見渡した。  壁は分厚い断熱材で覆われ、天井には霜が白く張り付いている。床には滑り止めの施された石板。無数の棚が並び、その上には肉の塊や野菜や魚介類、さらには豚の頭や大きな鳥の手羽のようなものまで、所狭しと並んでいた。 「すごいですね……何でもあります」  ネイヴァンは目当てのひき肉を探して歩き回っていた。食材は剥き出しの状態で置かれているものも多いが、さすがにひき肉は何かに包んであるらしく、パッと見では見つからない。  僕も木箱を開けたり布袋の中を覗いたりしながら棚の間を行
last updateLast Updated : 2025-06-12
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68歌目:んふふっふ~、んふふ

 日が沈むのと同時に、館中のランタンが一斉に灯った。きっと白仮面の男たちのうちの誰かの魔法なのだろう。  その明るくなった廊下を、僕はひとり歩いていた。 夕食後、三人でリビングに移動して紅茶を飲んでいたのだが、エルドリスが席を立ったきり、戻ってこないのだ。  僕は――恐らくネイヴァンも――手洗いだろうと思った。だから行き先は聞かなかった。女性に"手洗いへ行く"などとわざわざ言わせる男なんて馬鹿だ。  しかし、三十分経っても彼女が戻らなかったとき、僕は馬鹿になっておけばよかったなと思った。  ネイヴァンとふたり、彼女は大丈夫かという話になったのだが、ふたりして手洗いに押し掛けるのも気が引けて、結局僕だけが、用を足しに行くという正当な名目を掲げてリビングを出た。  館の一階には、男女別のトイレが並んで設置されている。金持ちの館らしく、来客を想定した造りなのだろう。  僕はまず男性用のほうのドアを開けた。中には手洗い場がひとつと個室がふたつ。ランタンの明かりはあるが、ほんのり薄暗い。  女性用手洗いに近い側の個室に入った。そのまま壁に耳を近づけて、何か聞こえないかと息を殺す。自分でも変態的な行為だと思った。だが心配なのだから仕方がない。  しかし何も聞こえなかった。壁が厚いのか、それとも中に誰もいないのか。  ポーズとして手を洗ってから男性用手洗いを出る。そしてすぐ隣の女性用の前に立ち、ドアをノックしてみる。 「エルドリス、いますか?」  返事はなかった。 迷った末、僕はドアノブに手をかけ、そっと開けた。 中の造りは男性用とほぼ同じで、違いは、壁のタイルに花柄のものが混じっているくらいだ。 「エルドリス…&he
last updateLast Updated : 2025-06-13
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69回目:皆さま、こんにちは。『30分クッキング』です

 リビングの置時計が、ボーンボーンと八回、鐘の音を響かせた。 午後八時。 僕たちの前に、執事服を着た白仮面の男が音もなく現れる。 「これより調理場の品々を、会場へ移送いたします」  男は淡々と言った。 「会場……? 今夜の『30分クッキング』は、あの調理場で行うんじゃないんですか?」  僕の疑問に、男は首を振る。 「いいえ。今夜は特別な場所を用意しております」  その言葉に続くように、若い白仮面の男がふたりやってきて、僕とエルドリスに白い布を手渡した。広げてみると、それは白いエプロンだった。 「主《あるじ》の意向です。こちらにお召し替えを」  拒否する理由もないので大人しく着替える。調理人の服装としては、黒い革エプロンよりも白い布エプロンのほうが一般的だが、エルドリスを見ても自分自身を見ても、違和感を拭えない。  黒い革エプロンは、赤い血が目立たないように黒色で、血が染みにならないように撥水性のある革なのだ。用途を考えれば醜悪な衣装だが、自分にもエルドリスにも、そちらのほうが似合っているように思えた。  若い白仮面が、ごま塩頭の白仮面へ耳打ちをした。 「準備が整ったようです。ご移動を」  僕たちは先導する男に従って歩き出した。  たどり着いたのは調理場だった。だがそこは、僕たちが先ほどまで使っていた調理場とはまるで様相が違っていた。  魔導冷蔵庫も棚も、調理器具も、すべてが姿を消していた。空っぽの空間に、ぽつんとひとつだけ残されたもの。それは――  冷凍室への扉。&n
last updateLast Updated : 2025-06-14
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70品目:あなたを捧ぐウエディングケーキ ~血液の採取~

「さあ、皆さま。先ほども紹介がありましたが、改めまして本日の調理人は、エルドリス・カンザラ先生です」  声が震えそうになるのをグッと耐え、広い会場中に聞こえるよう、腹に力を込める。 「そして、本日の食材は……イルゼフォリアの胞子によって生み出された“幻《まぼろし》”です」  観客の一部から、ぱらぱらと拍手が上がる。それはあっという間に周囲に伝播し、円形の観客席全体へと広がった。 耳を打つ音の洪水。嗜虐的な期待に燃えた数百の手が、惜しみなく音の熱を飛ばす。 だが、それもほんの数秒。まるで見えない指揮者の合図に従ったかのように、拍手は静かに収束した。 「イルゼフォリアは、この館の元の持ち主である研究者が、秘密裏に研究した黒魔法により錬成した魔物です。その胞子は熱狂的な愛、すなわち狂愛に反応します。胞子を吸った者に、その者が"殺したいほど愛しい人"の幻を見せるのです。その幻から採取した血肉、そして骨を、今夜はウエディングケーキのデコレーションとして使用します」  言いながら、すでに動き出しているエルドリスを見る。彼女は調理台に置かれていたナイフを今まさに、手に取ったところだった。そして拘束台まで歩いていき、そこに横たわっているであろうリュネットの、おそらく頭を、撫でるような仕草をする。  その冷え切った慈愛の表情に、僕は心臓がぎゅっとなる。 「それでは先生、お願いします」  エルドリスは静かに頷くと、台の上を右から左へ眺めるように首を動かした。左手を見えないリュネットに添えて、右手に持ったナイフを構える。 「では、開いていく」  ナイフの刃先が何もない空間に沈み、ズズズと動いていく。 僕からすればまるでパントマイムだ。空の拘束台の上をナイフが滑っているだけ
last updateLast Updated : 2025-06-15
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