All Chapters of 私が去った後のクズ男の末路: Chapter 1381 - Chapter 1390

1458 Chapters

第1381話

SNSは完全にダウンしていた。シェリーは一線目前の中堅女優。それだけに、この騒ぎはまさに破格の注目度だった。芸能記者が最初に公開したのは結安と章真がマンションへ入っていく写真だった。だが、世間の反応は意外なほど薄い。「大物実業家と女優」――そんな組み合わせはもはや珍しくもないからだ。ところが、その直後に公開された一枚が一気に流れを変えた。駿と結安が並んで写る写真だった。結安は目を真っ赤に腫らし、バス停のベンチに座っている。少し離れた場所に立つ駿はただ静かに彼女を見つめていた。その距離感、その視線――まるで恋愛映画のワンシーン。切なさをまとった男女の主人公そのものだった。その写真を見た時点で、章真の機嫌はすでに最悪だった。それでも彼は予定どおりH市へ向かうことを選ぶ。帰ってから片づければいい――そう思っていた。しかし、専用機に乗り込んだ直後、芸能記者は決定的な一枚を投下した。深夜、小さな戸建てから並んで出てくる駿と結安。駿の腕の中には、四、五歳ほどの幼い少女が眠っていた。愛らしい顔立ちを見れば、一目で結安の娘だと思えてしまう。――その瞬間、SNSは完全に機能停止した。【『蒼穹の花』主演シェリー、極秘出産か】【エリート男性の正体とは】【耀石グループ社長、他人の子を育てていたのか】【謎の少女は財閥の後継者?それともこれはエリート男性の策略?】……耀石グループの専用機内。章真の顔色は青白く、険しくこわばっていた。彼は最後の一枚から目を離せない。結安とあの男が子どもを抱き、真夜中に病院へ向かう姿。駿のことは知っている。高校時代の同級生だ。あの男のために、結安は吐き気をこらえながら自分に尽くしていた。あの頃の結安は、少し触れただけでも顔を真っ赤にするような、あんなにも初々しい少女だった。それなのに――すべては、あの男のためだったのか。昔、彼女は「藤堂という名字の人は好きじゃない」と笑っていた。その言葉を自分は信じていた。だが現実には、二人の間には子どもまでいる。自分だけが、滑稽な勘違いをしていたのだ。この数年間、二人は幸せに暮らしていたのだろうか。彼女が最初に心も身体も許した相手は、駿だったのだろうか。そう考えただけで、胸の
Read more

第1382話

電話の向こうから聞こえてきた結安の声は小刻みに震えていた。「拾った子です」章真は鼻で小さく笑う。――拾った子、か。その瞬間、彼はようやく理解した。最近の結安の身体が、以前とはどこか違って見えた理由を。細身であることに変わりはない。それでも以前より柔らかく、女性らしい丸みを帯びていた。出産を経験した身体だったのだ。それでも彼は、まだ少女の素性を疑っていた。もし自分の子だというなら――あの頃、結安と身体を重ねた回数など数えるほどしかない。最初の一度を除けば、避妊もしていた。その最初ですら、彼女は緊急避妊薬を服用している。二人の間に子どもができるはずがない。だが、あのぼやけた写真。少女の眉や目元には、どこか自分によく似た面影があった。章真はすぐに結安の居場所を調べさせる。今すぐ。一刻も早く。彼女のもとへ向かわなければならない。そして、自分の目であの子を確かめる。もし、本当に自分の娘だったなら――結安はもう二度と逃がさない。章真は電話を切った。漆黒に輝く高級ミニバンは、そのまま病院へ向かって走り出す。道中、彼のスマートフォンは何度も鳴り続けた。すべて家族からの着信だった。きっと、あの少女のことを聞きたいのだろう。しかし章真は一本たりとも応じなかった。なぜなのか、自分でも分からない。胸の奥はひどく落ち着かず、これまで幾度となく経験した企業買収や経営危機よりも、はるかに心を乱されていた。もし、あの子が自分の娘ではなかったら。その時、自分はどうするのか。結安を駿に譲るのか。車内は薄暗い。男の瞳は闇よりもなお深く沈んでいた。やがて車が静かに停車する。その瞬間、彼は一つの結論を下した。――DNAの結果など関係ない。あの子は自分の娘だ。いや。自分の娘でなければならない。そして、父親になれるのはこの世で自分だけだ。正午12時。漆黒のベントレーが病棟前へ静かに滑り込む。病院の周囲はすでに報道陣で埋め尽くされていた。この状況では、たとえチョコが章真の娘ではなかったとしても、世間はそう信じるだろう。本来なら、人知れずDNA鑑定を済ませるのが最善だった。だが章真は、チョコが他人の子ということを許せなかった。
Read more

第1383話

間違いない。この子は自分の血を分けた娘だ。DNA鑑定など必要なかった。その面差しも、目鼻立ちも。そして何より、この小さな身体を抱き締めた瞬間に胸いっぱいへ溢れ出した、言葉では説明できない血のつながり。それだけで、章真には十分だった。彼はチョコを強く抱き寄せる。胸の奥から込み上げてくるこの感情は、かつて結安を愛していると気づいたあの日によく似ていた。嬉しくて。愛おしくて。胸が震えるほど満たされる。……けれど、その想いを彼女は受け取ってはくれなかった。小さな身体が父親の腕に包まれる。駿に抱かれたときとは、まるで違う温もりだった。幼いチョコも、ぼんやりと何かを感じ取ったのだろう。小さな両手で章真の頬を包み込み、幼い声で尋ねた。「おじさん……チョコのパパ?」――チョコ。その愛称で呼ばれているのか。章真の胸は締めつけられた。柔らかな頬へ何度も口づけを落とし、額をそっと重ねる。そして、もう一度、力いっぱい娘を抱き締めた。結安はその様子を青ざめた顔で見つめることしかできない。何一つ口を挟めなかった。部屋の中には宇佐美と桐生。廊下にはボディーガードたちが控えている。しばらくして章真はチョコを抱き上げ、自分の腕へちょこんと座らせた。それから結安をまっすぐ見据え、拒絶を許さぬ口調で告げる。「これからこの子を立都市へ連れて帰る。DNA鑑定は受けてもらう。……もっとも、その必要はないと思っている。だが、耀石グループの株主へ説明するためにも、正式な手続きだけは踏まなければならない。この子が、俺の実の娘であることを証明する」結安は反射的に彼の腕を掴んだ。何も考える余裕などなかった。瞳には必死な懇願だけが浮かんでいる。しかし章真の瞳に揺らぎはない。彼はわずかに顎を上げ、桐生へ指示を出した。退院手続きを。これからチョコは栄光グループ系列の総合病院で治療を受ける。その前に結安の家へ寄り、荷物をまとめる。必要な物はいくらでも買い直せる。だが、小さな子どもが見知らぬ場所へ行くなら、お気に入りのぬいぐるみや、いつも使っている枕くらいは持って行かせてやりたい。環境が変わる不安を少しでも和らげるために。章真はそのことをよく知っていた。な
Read more

第1384話

「住所を」あんな安アパートがお前たちの家じゃないだろう。チョコの荷物を取りに行く。結安には、もう拒む余地などなかった。彼からスマートフォンを受け取る。まだ彼の体温が残っていて、熱いほど温かい。震える指先で住所を入力していく。入力を終えて手を離した瞬間、全身から力が抜けそうになった。これから先、どうなるのかは分からない。ただ一つ分かっているのは――もう二度と娘を取り戻せないかもしれないということ。思わず両手で顔を覆う。それでも泣かなかった。もう18歳の頃のように、泣けば誰かが守ってくれる少女ではない。今の彼女は一人の母親なのだから。章真はスマートフォンを受け取りながら、結安を静かに見つめた。その時、チョコが小さな両手を伸ばす。「ママ、だっこ」意外なことに、章真は何も言わずチョコを結安へ渡した。結安は大切な宝物を抱き締めるように、そっと娘を胸へ抱き寄せる。運命は再び二人を引き合わせた。ただ、今度は二人きりではない。腕の中には、小さな娘がいた。車はそのまま邸宅へ向かう。車内には運転手と、助手席の宇佐美。桐生よりも宇佐美のほうが、章真にとっては腹心なのだろう。同性だからこそ分かることもある。章真は終始チョコだけを見つめていた。その眼差しは驚くほど穏やかで、優しかった。彼は心の底から娘を愛おしく思っている。その時、スマートフォンが鳴る。着信相手は澄佳だった。息子がまた世間を騒がせていると聞き、いても立ってもいられなかったのだ。恋人騒動どころか、今度は突然娘まで現れた。写真では顔こそ隠されていたが、横顔だけでも一目で分かる。あれは間違いなく葉山家の血筋だった。章真は母が何を聞きたいのか理解していた。穏やかな声で答える。「……ああ。想乃は結安が産んだ子だ。今から二人を連れて帰る。心配しないで。結安に無理なことはしない」電話を切ると、彼は一瞬だけ結安へ視線を向けた。やがて車は郊外の一軒家へ到着する。立地こそ郊外だったが、土地価格は決して安くない。1億円ほどでようやく200平方メートル程度の家が買える地域だ。それでも庭は丁寧に手入れされ、温かな生活の気配が漂っていた。家政婦が玄関を開ける。目の前に停まった高
Read more

第1385話

車が静かに停まる。章真は結安へ視線を向けた。「降りろ」結安の鼓動が激しく鳴る。四年――結局、自分はまたここへ戻ってきた。たくさんのものを手に入れ、そして失った場所へ。たった一年しか暮らしていなかったはずなのに、この邸宅を前にすると、胸の奥にどうしようもない懐かしさと戸惑いが込み上げてくる。故郷へ帰るのが怖い――そんな気持ちに似ていた。彼女は車を降りようとせず、ただ屋敷の正門を見つめ続ける。そんな横顔を見つめながら、章真は低く口を開いた。「お前が出て行って最初の一年、この屋敷から笑顔が消えた。正月も……誰一人、心から笑えなかった」結安は何も答えない。彼女の視線はある人物へ向けられていた。蝶野だった。4年ぶりに再会した彼女は、すっかり年を重ねていた。こめかみには白いものが混じり、以前よりずっと小さく見える。章真は静かに続ける。「使用人は一人も辞めさせなかった。もし、お前が帰ってきた時、昔と同じ顔ぶれが待っていたら安心すると思ったからだ。……最初は、そう思っていた。でも、お前が帰らない時間が長くなるにつれて、もう戻って来ないんだと諦めた。まさか、子どもまで産んで、その子を連れて暮らしてたとは思わなかった」結安の胸が締めつけられる。自分と章真の関係は許されるものではない。罪であり、禁忌だった。彼は何一つ迷わず、その想いを貫いてきた。けれど、自分には無理だった。今でも夢を見る。両親が命を落とした、あの日の夢を。そんな自分が、何事もなかったように彼の隣で生き、子どもを育て、夫婦として一生を過ごせるはずがない。自分は章真ではない。彼ほど強くはなれない。4年越しの再会。結安はもう少女ではなく、一児の母になっていた。それでも蝶野の目には、あの日の幼い彼女のままだった。声を震わせながら駆け寄る。「結安ちゃん……!結安ちゃん……本当に、あなたなのね!」結安の瞳にも涙が滲む。「蝶野さん……」蝶野は何度も何度も頷いた。「帰ってきてくれて、本当によかった。ニュースで見た時は信じられなかったのよ。大人になって……少し背も伸びて……それに、お母さんにもなったのね」その視線は自然とチョコへ向かう。章真に抱かれた小さな娘。蝶
Read more

第1386話

二階へ上がる。東側の寝室の前を通りかかったとき、章真が声を潜めて言った。「あとでこの部屋を改装させよう。子ども部屋にして、チョコが使えるようにする。もう4、5歳なんだから、いつまでもパパやママと一緒に寝るわけにはいかないだろう……結安、お前が昔ここに住んでいたこと、覚えてるか?」――忘れるはずがなかった。けれど、そこで暮らしたのはほんの数日だけだった。駿の一件を境に、彼女は主寝室へ移ることになった。あの頃の出来事が脳裏をよぎり、結安の目元がわずかに赤く染まる。それでも何も言わなかった。今となってはすべてが遠い昔のことだ。娘はもう4歳になっている。いまさら何を口にしたところで、何も変わりはしない。章真は一瞬、その部屋へ入ろうとした。だが結局は数秒立ち尽くしただけで、チョコを抱いたまま主寝室へ向かった。家へ戻ってきたばかりの幼い娘にとって、この家はまだ見知らぬ場所だ。今は大人がそばにいてやらなければならない。主寝室の扉を静かに開け、リビングスペースを忍び足で抜け、その奥の寝室へ入る。室内は昔と変わらない。黒とグレーを基調とした無機質な空間。冷たい光沢を帯びたインテリアが並び、独り身の男らしい静かな気配を漂わせていた。片腕で娘を抱き、もう片方の手で薄い掛け布団をめくる。小さな革靴をそっと脱がせた。柔らかな子ども用の靴。普段から大切に世話をされていることがひと目で分かる。真っ白な靴下に包まれた小さな足は、ふっくらとして丸みを帯びていた。章真は昔から「可愛いもの」にはまるで興味がなかった。それでも、そのぷくぷくとした小さな足を見ると、思わず指先でつまんでしまう。ぷにぷにと弾力があって心地よい。何度か名残惜しそうにつまんでからようやく手を離した。娘をベッドへ寝かせ、掛け布団を丁寧に掛け直す。前髪をそっと整え、小さな頬を優しく撫でる。4歳という、大きな頭に小さな体のアンバランスさが何より愛らしい年頃。章真は静かにその寝顔を見つめ続け、やがて頬へそっと口づけを落とした。柔らかく、すべすべとした感触。――自分の血を受け継ぐ娘。子ども好きというわけではない。だが、自分の血が流れる存在だけは特別だ。そんな執着は多くの男が心のどこかに抱えているもの
Read more

第1387話

その口づけは、どこまでも強引だった。決して拒むことを許さない意志が込められている。しかも場所はウォークインクローゼット。すぐ向こうの主寝室では、チョコが甘い寝息を立てて眠っている。二人の血を受け継ぐ娘がすぐそばにいるという事実が、この張り詰めた空気をいっそう危ういものにしていた。絡み合う指先。ぴたりと重なる身体。互いの体温が静かに伝わり合う。結安の艶やかな黒髪はソファへさらりと広がり、小さく整った顔立ちは淡く艶めいている。章真の指先は彼女の柔らかな頬を包み込み、その力強さが、かえって彼女のか細さを際立たせていた。乱れた衣服。一歩も引く気配のない男。結安の目尻から、一粒の涙が静かにこぼれ落ちる。あまりにも惨めで、あまりにも恥ずかしかった。隣の部屋ではチョコが眠っている。階下には、自分が連れてきた家政婦も、蝶野もいる。皆がこの屋敷にいるというのに、自分は章真に抱き寄せられ、逃れることもできない。どれほど拒もうとも、彼は決して手を緩めなかった。そこにあったのは男女の情愛だけではない。抑えきれない怒りもまた、確かに混じっていた。――彼女はずっと章真を欺いていた。何人もの男と関係があったと口にした。だが、チョコという存在を知った今、それが真実ではないことくらい章真には分かっている。それでも彼女は自分のもとを離れようとしていた。どれほど身体を重ねても、その心は自分には向いていない。頭の中にあるのは、チョコを連れて逃げ出すことだけ。そして逃げた先で、誰と生きるつもりだったのか。――藤堂駿か。その考えが章真の胸の奥にくすぶる苛立ちへ火をつける。狭い空間には、誰にも知られてはならない気配だけが静かに満ちていった。結安には、そこに安らぎなど一つもなかった。あるのは章真から与えられる罰だけ。永く続いたわけではない。10分ほどが過ぎるころには、室内は再び静けさを取り戻していた。章真は彼女の耳元へ額を寄せ、荒い息をゆっくりと整えている。しばらくしてから彼は結安の頬へ手を添え、もう一度唇を重ねた。まだ足りない――そんな執着が滲んでいる。こんな章真を見るのは初めてだった。結安は顔を背けようとする。しかし身体には力が入らず、思うように動けなかっ
Read more

第1388話

桐生が医師を見送る。寝室には章真、結安と蝶野、そして眠っているチョコだけが残った。少し間を置いてから、蝶野が口を開く。「お母様とお父様がもうすぐお見えになります。それから芽衣様と陽白様もご一緒です。お嬢様に会いにいらっしゃるそうです」DNA鑑定の結果など待つまでもなかった。蝶野には、この子が章真の娘だと確信できた。顔立ちは結安によく似ている。けれど目元、とりわけ目尻の雰囲気は驚くほど章真そのものだった。まるで小さくなった章真を見ているようだった。蝶野が報告を終えると、章真は結安へ視線を向け、不意に言った。「お前はどう思う?」蝶野は思わず目を瞬かせる。その口調は昔とは違っていた。どこか夫婦が何気ない相談を交わしているような響きがある。当の結安も、その言葉の意味が分からず戸惑っていた。章真は遠回しな言い方をやめ、静かに告げる。「チョコには父親が必要だ。この子を親のいないような環境で育てるつもりはない。結安――俺と結婚しよう」……蝶野は思わず息を呑んだ。驚きと喜びが胸に込み上げる。始まりは決して幸せな縁ではなかった。それでも今は子どもが生まれた。だからこそ結安には報われてほしい。お嬢様にも、ちゃんとした家庭を持たせてあげたい。章真ほどの財力があれば、母娘が苦労することはない。もう居場所を転々とする必要もなくなる。だが――結安には頷けなかった。誰にも彼女の痛みは分からない。18歳で両親を失い、望まぬまま章真の世界へ引き込まれた。そして、想いを寄せてはいけない相手を好きになってしまった。何年経とうと変えられない事実がある。両親の死は間接的とはいえ章真と無関係ではなかった。娘を授かった今でも、何事もなかったように彼と夫婦として暮らし、幸せな家庭を演じることなどできなかった。結安の表情には迷いと苦しみが滲む。章真は顎をわずかに上げ、蝶野へ目配せした。先に席を外せという合図だった。蝶野は面白くない。自分だってこの家族の一員なのに、と心の中で不満を漏らす。だが章真に一瞥されるだけで逆らえなくなり、渋々部屋を出ていく。扉を静かに閉めると、寝室には二人だけが残った。章真は結安を見つめ、もう一度静かに告げる。「結安……俺と結
Read more

第1389話

チョコの寝顔を見届けたあと、部屋にはどこか微妙な空気が流れた。あの頃の結安はまだ幼さの残る少女だった。それが今では、章真の娘を産んだ母親になっている。澄佳には、結安を可愛がるべき年下の親族として接すればいいのか、それとも嫁となる人として迎えればいいのか、判断がつかなかった。年齢は章真よりひと回りも下だ。本来なら大切に守ってやるべき存在だ。けれど結安の表情を見る限り、本人は決してこの関係を望んではいない。正直なところ、若い二人の恋愛や結婚に口を挟みたくはなかった。だが、章真の前では結安はあまりにも非力すぎる。放っておくことなどできなかった。しばらく考えた末、澄佳は静かに口を開く。「想乃ちゃんは、きちんと葉山家の子として認めるべきよ。姓がどうなるかは別として、この子の出自だけは誰にも曖昧にさせてはいけないわ。周りから軽んじられるようなことがあってはだめ。それから……結安と結婚するかどうかは二人の問題。でも、想乃ちゃんと結安の将来だけはあなたが責任を持って保障しなさい」澄佳が案じていたのはその先のことだった。もし二人が結ばれなければ、章真はいずれ別の女性と結婚し、家庭を持つだろう。だからこそ今のうちに、結安と想乃の生活だけは守らなければならない。子どもを産んだ結安に、何一つ残らないようなことだけは避けたい。少なくとも母娘が安心して暮らせるだけの生活基盤は必要だった。そしてもう一つ。想乃は母親と一緒に育つべきだと、澄佳は強く思っていた。十月十日お腹で育てた子を、突然母親から引き離すなど、あまりにも酷だから。話し終えると、澄佳は章真へ視線を向ける。母親だからこそ分かる。この息子がどれほど扱いにくい人間なのか。思慮深く、簡単に人の言葉では動かない。親の忠告ですら届かないこともある。少し考えたあと、澄佳は言った。「それなら、結安と想乃ちゃんはしばらく私たちの家へ来ない?」章真はわずかに眉をひそめる。そして結安を見る。結安の表情は一瞬で和らいでいた。その様子を見ただけで、彼女がどれほどその提案を望んでいるかが分かる。章真の胸に小さな苛立ちが湧いた。――そんなに俺と一緒にいるのが嫌なのか。両親も妹夫婦もいる。この場で無理強いするわけにはいかない。
Read more

第1390話

結安が顔を上げる。そこには、深く静かな眼差しで自分を見つめる章真がいた。しばらく沈黙が流れたあと、結安は掠れた声で呟く。「……私が何を考えているかなんて、そんなに大事なの?」その言葉に、章真はわずかに口元を緩めた。どこか愉しげな色が瞳に差し、低い声で返す。「聞かせてみろ」彼はてっきり、結安は「チョコを連れて出て行きたい」と口にするものだと思っていた。だが彼女は焦点の定まらない瞳のまま、静かに言った。「……数年前、あなたに出会わなければよかった。そうしたら私はまだ家族と一緒にいられた。お父さんも、お母さんも失わずに済んだ。章真……あなたは私の家族を壊した。そのあなたが今さら、私と新しい家庭を作ろうなんて……そんなの、あまりにも残酷じゃない」声はとても小さかった。隣で遊ぶ娘を起こさないように。チョコは小さなボールを抱え、楽しそうに遊んでいる。楓ヶ丘邸は広く、リビングダイニングだけでも200平方メートル近い広さがある。子どもなら走り回れるほどの空間だった。まるでお城のような内装。そんな家を嫌いになる子どもなどいない。そこに住む父親は童話の王子様のように格好よくて、優しい。チョコが章真に惹かれるのも、ごく自然なことだった。結安の気持ちは変わらない。それでも娘を悲しませたくはなかった。どうして章真は、こんなにも突然現れたのだろう。どうしてこんなにも早くチョコと引き合わせてしまったのだろう。彼女には心の準備をする時間すらなかった。もう娘は章真と出会い、彼を好きになってしまった。自分に残された選択肢はあまりにも少ない。胸の苦しさに耐えきれず、結安はそっと顔を覆う。そして足早に一階の洗面室へ向かった。章真はその背中を黙って見送る。何を考えているのか読み取れない、深い眼差しだった。そのとき、ボールを抱えたチョコが母親を追いかけようとする。章真は娘を抱き上げ、そのまま膝の上へ座らせた。優しくあやしていると、チョコは洗面室の方をじっと見つめながら呟く。「ママのところ、行きたい」章真は小さな鼻をつまみ、穏やかに笑った。「ママはね、大人の悩みごとがあるんだ。それは大人にしか解決できない。だからパパがママのところへ行ってくる。いいか?」
Read more
PREV
1
...
137138139140141
...
146
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status