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私が去った後のクズ男の末路 のすべてのチャプター: チャプター 341 - チャプター 350

352 チャプター

第341話

この件は、隠し通せるはずもなかった。すぐに「赤坂瑠璃の車が周防輝に壊され、二人そろって警察に連れて行かれた」という噂が広まる。岸本が本当に「自分と自分で婚約」などできるはずもない。その夜、正式な火花を散らす前に、婚約披露宴はあっさりと台無しになった。岸本はそそくさとその場を後にする。宴会場には西洋楽が華やかに流れ、客たちは舞踏や会話に興じている。立都市に怨み合う男女がまた一組生まれようと、あるいは美しい男女が結ばれようと、誰の関心も引くことはない。きらめく灯りの下、京介は上機嫌で舞をダンスに誘った。舞は呆れ笑いしながら言う。「よくそんな気分になれるわね!車を壊したのは輝でしょう?今ごろ留置場よ」京介は口元に笑みを浮かべた。「誰かが言ってただろ、『今日やらなきゃ、明日後悔することもある』って」舞は彼の肩に手を置き、柔らかく反論する。「屁理屈ばかり。あなたも輝と同じで、横暴で理不尽よ」男は黒い瞳を深く落とし、低く問う。「それで……気に入ったりはしないのか?」舞が答える前に、京介の携帯が鳴った。留置場からの電話で、事情説明の後に「迎えに来てください」とのことだった。京介は二、三言やり取りをしてから、舞を見た。「一緒に行こう」宴会場はなおも賑わい、二人が去ったことを気に留める者はなかった。……三十分後、高級な黒塗りのワゴン車が区署の構内に滑り込む。大木がドアを開けた途端、中から怒鳴り声や肉を打つ鈍い音が混じった騒ぎが聞こえてきた。明らかに誰かが殴り合っている。舞が入ろうとすると、京介が腕を引いて止めた。彼は車体に寄りかかり、煙草を取り出して大木にも一本投げる。火をつけ、紫煙を吐きながら言った。「輝の体格じゃ、岸本が勝てるわけない。殴り合いのほうが都合がいいさ。男女のもつれによるケンカなら、保証金を払えばすぐ出られる」舞はあきれ顔で、彼の上着を羽織りながら立ち尽くす。中からはドスドスという音と女性の悲鳴が漏れ、当の京介は涼しい顔のままだ。一本吸い終え、ようやく二人で中へ入ると、案の定——輝はかすり傷程度、岸本は顔を腫らしていた。京介は舌打ち混じりに感嘆する。「輝、男女のもつれにも時と場合がある。恋に順番なんてない。赤坂さんが岸本社長を選んだなら、諦め
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第342話

夜が更け、黒塗りのワゴン車がゆっくりと周防邸の門をくぐった。寛夫妻はすでに玄関で待っており、息子の無事な姿を見るや、寛夫人は輝の肩をぐっと叩いた。「お父さんも私も心臓が止まるかと思ったわ!どんなことがあっても、違法な真似だけは駄目よ」京介と舞も車を降りる。京介は笑みを浮かべてとりなした。「輝は……愛情が深すぎるんです」寛はため息をつく。「京介、今回はおまえのおかげだ。おまえがいなければ、あいつがまた何をしでかしたか分からん」京介は微笑を崩さずに言った。「伯父さん、言い過ぎです。輝も分かってますよ」寛が夜食を作るよう使用人に命じたが、京介は家に子どもが三人いるのを気にかけ、舞と共に先に屋敷を後にした。車が走り去った後、寛の妻は息子の頬に触れ、気遣わしげに言った。「焦らなくてもいいじゃない。婚約なんて、少し落ち着いてからでも。ほら、夜食を食べて、それからゆっくり考えましょ」輝はうつむき、ポケットから煙草を取り出す。寛は息子の胸の内を察し、何も言わずに火を点けた。かすかな音とともに、小さな炎が闇を照らす。……車内は薄暗く静まり返っていた。舞がふと横を向き、京介を見やる。彫りの深い整った顔立ちは、どこを取っても欠点がない。今はそこに、さらに墨色の筆致を重ねたような深みが加わり、鼻先の小さな光が全体の風格を際立たせていた。「ずっと俺を見て、どうした?」京介はそう言うと、舞の手を軽く握った。だがそれだけでは足りないと感じたのか、黒い皮手袋を外し、ざらついた掌で柔らかな手のひらを包み、そっと二度ほど揉んだ。舞は話題をそらすように言う。「輝と瑠璃のことを考えてたの」京介の声色は淡くなる。「二人は別れないだろう」——ただ、少し揉める時間はあるかもしれない。彼は妻の手をぐっと握りしめ、「それより、俺たちのことを考えろ」と言った。舞は涼しい顔で、「私たちのこと?何かあったかしら」と、わざととぼけてみせた。京介が口を開こうとしたところで、車はすでに白金御邸の黒い飾り門をくぐっていた。屋敷は昼間のように明るく、噴水まで陽気に水を噴き上げている。車を降りる際、京介が低く囁いた。「すぐ分かる」深夜、子どもたちはすでに眠っていた。京介は迷うことなく舞を抱き寄せ、寝
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第343話

京介は口元に笑みを浮かべた。「それは……身近な人に決まってる」礼は目を見開き、しばし言葉を失った後、思わず口をついた。「京介、おまえ、知ってたのか?」京介は横を向き、長い指先で煙草の灰を払った。——知らぬはずがない。あの年、舞が伊野家の娘として迎え入れられてからというもの——父の舞への特別な情は誰の目にも明らかだった。母のように鈍感でなければ、周囲はとっくに気づきながら、あえて知らぬふりをしていただけ。過去はあくまで過去だ。京介は軽く揶揄する。「今後は控えめにな。あまり目立たせるなよ」礼の頬に赤みが差し、そそくさと口実を作って寝室へ戻っていった。再び夜は静まり返る。京介は漆黒の夜を見やり、ゆっくり煙を吸い込みながら、過去と未来、舞のこと、そして周防家の家門のことを思った。——帰ってきた、この感覚は格別だ。煙草を二本吸い終え、簡単に身支度を整えて寝室へ戻る。舞をそっと抱き寄せ、その温もりを腕に収めた。……喜ぶ者あれば、嘆く者もいる。病院の救急外来で、岸本は簡単に傷の手当てを受け、車に戻った。今夜の出来事はどれだけ火消しに回っても、完全には抑えきれない。【周防輝・岸本雅彦・赤坂瑠璃】三人の名が、固く結びついてしまった。岸本は助手席の未婚妻を横目で見ながら、低い声で切り出す。「瑠璃、俺は目立ちたくないし、ネットの話題にもなりたくない。こんなことは二度とごめんだ。これからは輝とは縁を切ったほうがいい。おまえたちはもう会うべきじゃない。それから、茉莉のこともちゃんと見ておけ。輝とは関わらせないほうがいい……遺伝ってやつは恐ろしいからな」あまりに失礼な言い方だった。だが瑠璃は黙って受け流す性格ではない。「私自身は会わなくてもいいわ。でも茉莉と彼には血のつながりがある。母親の私に、その権利を奪う資格はない」岸本は面白くなさそうな顔をしたが、瑠璃を妻に迎えるつもりは変わらない。「会うときは必ず使用人を同席させろ。それと……おまえもできるだけ接触を避けろ」……瑠璃は返事をしなかった。彼は彼女の不機嫌に気づき、手を握って声をやわらげる。「おまえを大事に思ってるから言うんだ。同じ空気を吸ってほしくない……」口に出しかけた不快な言葉は、呑み込んだ。代わ
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第344話

事後、岸本は真っ白なバスローブ姿でベッドのヘッドボードに凭れ、煙草をくゆらせていた。若い女はおとなしく胸に身を預け、甘えた声と仕草で男に縋る——要するに、養ってもらいたいのだ。岸本は煙草を指に挟んだまま、その指先で彼女の頬を軽くなぞる。女は顔を上げ、されるがまま。男は大抵、従順な女を好む。もっとも、岸本は女を囲う趣味などない。だが、赤坂瑠璃への不満は募っていた。瑠璃の心に今も周防輝の影があるのは明らかで、創業者世代の彼にとっては耐え難い屈辱だった。その屈辱をそっくり返すため——そして、この若い女が世話上手で見た目も清楚だったこともあり、彼は少し考えてから受け入れた。この業界では、女を一人二人囲うことなど大したことではない。瑠璃は所詮「継ぎの縁」なのだから——岸本は煙草を揉み消すと、再び女を抱き寄せ、甘やかな夜が続いた。……高級マンションの前、瑠璃は車が走り去るのを見送った。名だたるブランドのドレスに高価なジュエリー——それでも蒼ざめた顔色は隠せない。疲れを滲ませながら、エントランスへ歩く。そこに、漆黒の装いの輝が凭れていた。背は高く、影のように立っている。瑠璃は足を止め、視線が交わる。ややあって、彼女は伏し目がちに苦く問うた。「まだ来るの?私の婚約披露宴を潰して、それでも足りないの?……私の一生を壊さないと気が済まない?」エレベーターに乗ろうとする彼女の手を、輝が掴む。「だったら……あいつと結婚するな」瑠璃は冷ややかに笑う。「結婚って、あなたの気分次第で変えられる遊びなの?今日この人、明日は別の人……私を何だと思ってるの?」輝は一歩詰め寄る。「遊びなんかじゃない」両手で彼女の顔を包み、口づけようとする——が、瑠璃が応じるはずもない。乾いた音が夜に響いた。「私を……何だと思ってるの?」輝は舌先で奥歯を押し、彼女の腰をぐっと引き寄せる。「あいつと寝たのか?岸本で満足できるのか?ベッドでは——」二発目の平手が鋭く彼の頬を打った。「もう侮辱しないで!英達の入札で会いましょう。その時は、容赦しない!」輝は黙って彼女を見据える。情の色は、夜の闇よりもなお深く、濃い。……瑠璃はカードキーで部屋に入り、玄関を閉めた。瑠璃の母は遠方から婚約披
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第345話

輝の胸には、燃えるような闘志が渦巻いていた——岸本を打ち負かす、その一念で。翌朝。舞が栄光グループの定例会議を開いたが、開始から五分経っても輝の席は空いたままだった。舞は京介を見やり、短く指示する。「倉庫を見てきて」京介は素直に頷き、妻に使われるのも上等とばかりに三分足らずで倉庫へ。指紋ロックを外して入ると、静まり返った空間に、微かな寝息が漂っていた。輝は疲労困憊で、その場に寝込んでいた。しかも抱き締めているのは——よりにもよって【周防京介】型のAIロボット。その密着ぶりに、京介は背筋に寒気が走る。小さな物音にも、輝は目を覚まさない。夢の中でロボットに向かって指示を飛ばしている。「京介……おまえ、俺のこと恋しいか?」京介は容赦なく拳骨を一発。「太陽が昇ってるぞ、夢見てる場合か!それと、このロボットにそんな気色悪いこと言うのやめろ」ようやく輝が目を覚ます。シャツのボタンを三つ外し、だらりとした様子で言った。「もう仕事か?昨晩徹夜でやっと最適なコードを書き上げたんだ」京介はロボットを抱き起こし、自分の犠牲をしみじみと感じる。——これが量産されたら、どれだけの人間に変な妄想をされることか。考えただけで全身が粟立つ。輝はシャツを留めながら、京介の顔を見て鼻で笑った。「俺、この倉庫で一週間寝泊まりしてんだぞ。まさか今さらおまえ、後ずさりする気じゃないだろうな」「安心しろ、輝様。誰が失敗しても、俺だけはやらかさない」輝は軽蔑の目を向ける。「そりゃそうだ。ガキの頃から金の亡者だ。四千億円の案件、離すはずがねえ」京介は春風のような声で返す。「お褒めいただき、光栄です」そんなやり取りののち、栄光グループは詰めの八時間会議を敢行。終わったのは午後四時、舞の号令でようやく食事にありつく。輝も京介夫妻と共に社長室で六菜一湯の昼食を囲んだが、誰もほとんど箸をつけず、AIロボットの仕様について議論を続けた。京介はノートPCに要点を記録し、入札用の資料に反映するつもりだ。「舞、この部分は修正だ」「輝、ここはもう一度練るべきだ」「じゃあ考え直そう……」……京介は画面から目を上げ、資料の一箇所を指した。「ここは翔和産業の得意分野だ。うちの提案書でうまく潰して
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第346話

瑠璃の全身が強張った。京介が入ってきた瞬間、彼女は悟った——自分の敗北は避けられない、と。岸本は彼女の手を握り、深く目を見据える。「瑠璃、お前は……俺を失望させないと信じてる」だが彼女の指先は冷え切っていた。そこへ京介が中川を伴い、瑠璃の隣の席へ。軽く会釈を交わした後、京介は岸本を見つけ、わざとらしく驚いたように言う。「久しぶりですね、岸本社長。お変わりない……前回は顔が腫れ上がって、別人のようでしたが」岸本の口元がわずかに引きつる。京介は上機嫌のまま腰を下ろす。中川が耳打ちした。「私たちは9番目のプレゼン、ちょうど翔和産業の次です」京介は小さく頷く。やがて英達の責任者が現れ、入札会が始まった。各社の発表は続いたが、責任者の表情は冴えない。……そして瑠璃の番。独創的な切り口と淀みない説明に、初めて責任者の眉間の皺がほぐれる。会場からは熱い拍手。「これで決まりだな、翔和産業だ」「赤坂さん、やっぱり強い。岸本、まさに一石二鳥」……岸本は横目で京介を見やり、表情を整える。だが瑠璃は勝ち誇らない。——京介が正攻法で来るはずがないことを、よく知っているから。京介はジャケットのボタンを留め、前に進むと、栄光グループが持ち込んだロボットのカバーを外した。現れたのは——京介そっくりのAIロボット。場内がどよめく。「どうして本人の顔?正気か?」用意されたはずのPPTは真っ白。数秒後、会場に響いたのは、AIロボット【京介】の声だった。「舞、これはお前の三十五歳の誕生日に贈るプレゼントだ。このメッセージが再生されているということは……俺はもうこの世にいないんだろう。そしてお前はまだ、新しい誰かに出会っていない。あの周防京介というろくでなしを、今も想ってくれているんだね。舞、俺はお前に忘れてほしいと思っている。でも、同時に、自分勝手にも願ってしまう。お前の心の中で、いつまでも僕が一番でありたい、と。舞、子どもたちは元気かな?きっと、もう随分大きくなっているんだろうね。三人もいれば、家の中はきっと賑やかだ。お前が一人じゃないという事実に、俺は心から安堵している。子どもたちがいてくれて、本当に良かった。舞、愛してるなんて言うには、今さらかもしれないけど——
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第347話

入札会が終わり、栄光グループが落札した。岸本は袖を翻して会場を後にする。他社の面々はむしろ大人の余裕を見せ、次々と祝辞を述べに来た。栄光グループは立都市で最大の発注元だ。今回、周防京介が自ら出陣したのは、まさに次元の違う一撃であり、他社にとっては痛いほどの教訓となった。これからしばらくは格好の酒の肴になるだろう。その頃、栄光グループ側ではすでにシャンパンが開けられていた。京介たち三人が会社に戻ると、輝が再び栓を抜き、勢いよく京介に注ぎ込む。プロジェクトチームの面々は拍手喝采だ。今までなら恐れ多くてとてもできなかったが、今日は初めて「周防社長」にこうしてはしゃげる。かつての京介は、冷徹そのものだったのだから。あっという間に京介の服はびしょ濡れになった。彼はパンツの裾をつまみ上げ、プロジェクトチーム数十名を見回した。「今夜は茶晶館で打ち上げだ。チームの全員に三か月分の給与を支給する」そして隣の舞に顔を向ける。「葉山社長、これで決まりでいいか?」舞は微笑んだ。「もちろんです。周防アシスタントが約束した分に加えて、私からはヨーロッパ七日間旅行をプレゼント。費用は全額会社負担、しかも有給扱いで年休は減らしません。このところ本当にお疲れさまでした。思いきり楽しんできてください」歓声が弾ける。輝は京介と舞を見やり、三人で手を重ねて——「お疲れさまでした!」……少しして、社長室。舞は京介のためにスーツとシャツを選び出す。淡いブルーのシャツに、濃いグレーのスーツ——どちらも昔のものだが、京介は体型を維持しており、数年ぶりでもぴたりと合う。舞がシャツのボタンを外しながら、穏やかに言った。「前は皆さん、あなたに遠慮してこんなふうにはできなかったわ。アシスタントになってから、ずいぶん親しみやすくなったみたい」京介は黒い瞳を伏せ、低く返す。「嬉しくないのか?」上機嫌のまま、彼はこっそり唇を盗もうとするが、舞は首を振った。「このあと会議があるんです。少しは大人しくしてください」同じオフィスでは落ち着かない——舞はそう考える。「じゃあ、復縁しよう。そうすれば堂々とできる」「輝が英国へ行くんでしょう?空いたポジションにあなたが就けばいい。普通ならそんなに早く昇進できないけど、今のあな
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第348話

京介はめったに酒をあおらないが、この夜ばかりは笑って言った。「大丈夫だ、たまにはいいだろう」舞も珍しく譲らない。「手術を受けたばかりでしょ。それに、自分をまだ二十そこそこの若者だと思ってるの?」半ば酔いの男は、熱を帯びた黒い瞳で彼女を見つめ、低く囁く。「このあと、三十代の男が二十代に負けないってこと、体で教えてやる」舞は頬を赤らめた。「京介……」その視線は情にあふれ、彼はそっと彼女の手を握る。そしてグラスを一杯傾けると、これ以上は妻を怒らせまいと笑った。「これで最後だ。これ以上飲むと、うちの社長に怒られて、洗濯板の上で正座させられる」周囲は大笑いしながら冷やかす。「おい、お前らなぁ、この悪ガキどもめ!」京介は冗談めかして悪態をつき、もうかなり酔いが回っていた。舞と中川に支えられ店を出ると、車に乗り込んだ途端、ぐったりとシートにもたれ、シャツのボタンを二つ外す。「……この酒、後から効くな」そう言いながら手探りで舞を引き寄せる。前席には中川がいたが、次の瞬間、前後席を隔てる黒いクリスタルのパネルが静かにせり上がる。そして、覆いかぶさるように唇を奪い、ゆっくりと、やがて深く絡めてくる。酒に火照った体は灼けるようで、胸の内はさらに熱い。彼は舞の顔を両手で包み、何度も何度も口づけ、切実な声を落とす。「舞……嬉しいんだ、すごく。わかるか?ただ契約を取れたからじゃない。俺たちがようやく人生を軌道に戻せたからだ」黒い瞳がまっすぐに見つめ、低く愛を告げる。——愛は胸の奥に隠すものじゃない。言葉にするか、触れ合いで伝えるものだ。それは夫婦の営みであれ、恋人の囁きであれ、彼らは今、恋人以上に熱く燃えている。「舞……胸が張り裂けそうだ」京介は頭を仰け、彼女を抱きしめる。頬が彼の胸元に押し付けられ、鼻先がつぶれそうになる。ロマンチックとは言いがたいが、それがたまらなく愛しい。彼女の腕の中には、不完全であっても、本物の京介がいる——この先、また危機が訪れるかもしれない。だが、この瞬間二人は確かに愛し合っている。その愛がある限り、どんな嵐も笑って迎えられる。——京介、帰ってきてくれてありがとう。……茶晶館は、まだ賑やかさの中にあった。輝は酒が回り、トイレに立ったあと、外
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第349話

未明、立都市随一の豪邸。主寝室では、京介が舞と激しく絡み合っていた。ふいに、ベッドの足元に脱ぎ捨てられたスーツのポケットから、着信音が鳴り響く。……チリン、チリン……止まる気配がない。京介は最初、無視するつもりだった。だが、舞は集中できず、彼の頬を撫でながら囁く。「電話、出て……それから続き」京介は黒い瞳を深く沈め、彼女の口角に軽く口づけすると、長い腕を伸ばしてズボンを引き寄せ、ポケットから携帯を取り出す。見知らぬ番号だった。「周防京介です」相手の言葉を数秒聞き、舞に一瞥を送る。「わかった、すぐ向かう」通話を切ると、脱ぎ散らかした服を一枚ずつ着込み、ベルトを締める。舞は薄いシーツに身を包み、首を傾げた。「何かあったの?」「輝が事故った。今、病院だ。交通課の連中が来てるが、幸い車は自動運転で酒気帯びにはならない。ちょっと様子を見てくる」舞はうなずく。「大木さんに送ってもらって」京介は彼女の華奢な肩を撫で、穏やかに言う。「ゆっくり休め。夜明け前には戻る」小さく返事をし、舞は彼の背を見送った。しばらくして、庭に車のエンジン音が響く。……京介が病院に着いたのは午前二時。二階の救急外来の前で、輝は片腕にギプスをはめ、もう一方の手で煙草をくゆらせていた。二人の交通警官が、横で事情を聴取している。京介の姿を見るなり、警官たちはわずかに安堵の色を浮かべた。輝は非協力的な態度を崩さない。「酒は抜けたか?」夜更けの声は少しかすれていた。輝は振り返らず、闇に沈む目でぽつりと漏らす。「京介……俺が昔、他の女を好きだったことって、そんなに許されないことなのか?なんであいつ、よりによって岸本なんか選ぶんだ。あいつには子どもまでいるんだぞ……そんなに後妻になりたいのかよ」京介は事情を聞き終えると、警官に一礼した。「黒川部長とは後で話す」二人が去ったあと、京介は煙草を一本取り出し、火をつける。「で……今はどうなんだ。まだ彼女を想ってるのか?」輝は唇を湿らせ、灰を落とす。「愛してるかどうかはわからない。ただ、一緒に暮らしたい。茉莉を一緒に育てて、できればもう一人……男でも女でもいい、とにかく二人の子どもがほしい。それ以外の女なんて考えたこともない」
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第350話

舞はそっと肩をすくめて平静を装った。「子どもたちが、もう少し大きくなってから」京介は彼女の頬を指で軽くなぞり、無理強いはせず、願乃を抱き上げて頬に口づけた。ふっくらとした頬、白く柔らかな肌、丸みを帯びた二本の腕——まるで抱き心地のいいぬいぐるみだ。夜が更け、灯りが落ちる。舞は京介の腕に半分頭を乗せ、低く囁く。「京介……私、子どもたちのそばに戻りたいの。今が一番いい時期だと思う。あとであなたに代わってもらうほうが、かえって不自然でしょう?」長い沈黙ののち——「本当に、もう商売の世界に未練はないのか?」京介の問いに、舞は迷いなく首を振る。「家には三人の子どもがいるわ。親世代が手伝ってくれているけど、あの方たちにも自分の生活がある。私たちが仕事に追われれば、どうしても子どもを後回しにしてしまう。それに、これは犠牲じゃないの。私は一緒にいるのが好きだから」京介は天井の闇を見つめ、考えた末にうなずいた。舞は彼の肩に頬を寄せ、首筋に顔を埋める。静かな温もりに包まれる寝室。……京介は栄光グループの入札を四千億円で制し、社長への復帰は当然の流れとなった。同時に、グループが開発した【おかえり、愛しい人】ロボットがネットで先行予約を開始。二か月も経たずに予約数は百万人を突破。単価百二十万円、予約総額は一兆二千億円という驚異的な数字だ。さらに株価は一週間連続でストップ高、市場価値は約十二兆円台から一気に十六兆円へ。経済誌はこぞって京介を取材したが、彼は空いた時間があれば妻と子どもたちの元へ帰った。九月初旬、舞の誕生日が近づく。その日の夕暮れ、京介は仕事を終え、金ペンのキャップを閉じた。「佳楠、このあと付き合ってくれ。妻に贈るプレゼントを買いに行きたい」佳楠はすぐに察し、笑みを浮かべる。「最近ディオールの新作ジュエリーが評判です。先日、葉山社長が雑誌で見て、少し長くページを眺めていました」京介は立ち上がり、スーツのボタンを留めた。「よく見てるな。感心だ」二人が黒い車に乗り込むと、京介がふと目を閉じたまま口を開く。「そういえば、お前と山田さんはどうなんだ」佳楠は頬を赤らめる。「いいと思ったら早めに決めろ。山田さんはお爺さんに長年仕えてきた。周防家の不動産は今、全部彼が管理し
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