「本当にすべての個人情報を抹消してよろしいですか?処理が完了すれば、あなたはこの世界から完全に消え、記録からも存在が消えます」……一人の若い女性が、申請書類を手にしてやって来た。その内容が「身分情報の抹消」だと知った瞬間、窓口の職員は驚きで目を丸くした。「はい、お願いします」彼女――朝倉ゆい(あさくら ゆい)は、やわらかながらも揺るぎない声で答えた。返事を聞いて、職員は資料を受け取り、スタンプを一つ押した。「手続きには十五日前後かかりますので、お待ちください」彼女はそれ以上何も言わず、そのまま庁舎をあとにした。外へ出てすぐ、スマホを操作し始め、ほどなくして航空会社からの「航空券購入完了」のメッセージが届いた。全てを終えてから、ゆいはタクシーを拾って別荘へ向かった。車は静かに住宅街へと入っていき、やがてタクシーがこれ以上進めなくなった。ここから先は、朝倉誠士(あさくら せいじ)の住む別荘まで歩いていくしかない。数分も歩かないうちに、彼女の視線は道路脇に停まっている一台のマイバッハに引き寄せられた。車体が意味不明なほど激しく揺れていて、どう見てもただ事ではない。半開きの窓からは、一人の男と女の影が見える。男はシートに寄りかかり、煙草をくわえながらダラリとジャケットを脱いでいる。片手は女の腰を抱き、もう片方の手で窓を少し下げて、指先の火を静かに消した。その綺麗に整った手には、結婚指輪がはまっていた。そこには三つのイニシャルが刻まれていた――「AY」。朝倉ゆい。体がかすかに震える。スマホを取り出し、かつて七年間もピン留めしていた番号に指を滑らせた。電話はすぐに繋がった。優しくもどこか掠れた、彼の声が聞こえてくる。「どうした、ゆい?」「……今、会社にいるの?」問いに答えず、彼女はごく自然を装いながら聞き返した。目元には、かすかな涙の光が滲んでいた。「うん、そうだよ」電話の向こうからは、彼の低く笑う声が響いた。その声はさらに優しくなっていて、まるで宥めるようだった。「もしかして、オレのこと恋しくなっちゃった?ごめんな、今日はちょっと仕事が立て込んでてさ……いい子にして待ってて?すぐに帰るから」ゆいは何も言わずに、通話を切った。その瞬間、目の前のマイバッハが再び激しく揺れだした。しかも
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