All Chapters of 今さら私を愛しているなんてもう遅い: Chapter 651 - Chapter 660

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第651話

彼からそう遠くない後ろのサービスを提供する車では、鷹、狐、蜂が会場内部のロゴ入り作業服に着替え、「ドラゴン」が用意した完璧な身分証明書を頼りに、技術支援チームに混じって別の検査口にすんなりと入り、会場内部へと潜入することができた。目に見えない戦いが、静かに始まっていた。博人は無事に検査口を通過した。会場に入る前に、黒いスーツを着たスタッフが丁寧に彼を呼び止めた。「西嶋様、こちらはニックス様がご用意されたものです」スタッフは肉眼ではほとんど見えないほど精密な通信機を差し出してきた。博人は無表情でそれを受け取り、耳につけた。「私の舞台へようこそ、西嶋さん」ニックスの聞き心地よくも冷たい声がすぐにイヤホンから聞こえてきた。「どうでしょう……あなたのために用意したオープニングを気に入ってくれることを願っていますよ」博人は彼女を無視し、まっすぐに数千人を収容できる巨大な円形の会場へと歩いて行った。この時、会場は満席だった。各国の要人、人道活動支援組織の代表、そしてメディア関係者が会議の始まりを待ちわびている様子だった。ニックスの「指示」により、博人は会場中央の、視界が抜群の席に座らされた。会場の隅々に隠されたカメラが全て自分に向けられていることを、彼ははっきりと感じ取れたのだ。彼こそが、この残酷な舞台の唯一の主役であり……観客でもあるのだ。その間、鷹たちは会場内部に入ると、技術チームから素早く離脱し、幽霊のように複雑な内部者が使用する通路へと潜り込んだ。「蜂、会場の警備システムへの侵入をしろ!人質の位置を見つけるんだ!」「了解!やってるよ!相手のファイアウォールは手強いな……時間がかかりそうだ!」ちょうど午前十時、会議は時間通りに開始された。世界平和賞受賞者の経験もある名高い国際人道活動支援代表がステージに上がり、「戦場で生活する子供たちを救う」というテーマのスピーチを始めた。そのスピーチは情熱と説得力があり、会場全てから拍手をもらった。「なんて感動的なスピーチなんでしょう、西嶋さん」イヤホンから、ニックスの嘲笑気味の声が再び聞こえてきた。「命を救うことにすべてを尽くした天使のような人ですね……残念なことに、彼はすぐに、自分の命さえも救えなくなるでしょう」博人は心臓が一瞬止まったように感じた。「どういう意味
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第652話

時間が無限に引き伸ばされたかのようだった。会議場内の数千人の視線が、ステージに立つ名高い代表に注がれていた。彼の皺のできた手はすでにその命を奪うミネラルウォーターのボトルを握りしめ、口との距離はすでに十センチも離れていなかった。そして博人は、この残酷な演出において真実を知る唯一の観客なのだ。彼の心臓は見えない手で強く握りつぶされるかのようで、ほとんど息もできなかった。飛び出せば、彼は死ぬ。そしてディミトリとセルゲイも死んでしまう。ここに座っていれば、その罪のない老人が全世界の注目の下、ニックスの狂気のゲームの最初の犠牲者となるだろう。これは答えのない死の罠だった。ニックスはこの方法で彼の意志を破壊し、無力感と罪悪感を味わわせようとしているのだ。「さて、西嶋さん、選択はお決まりですか?」イヤホンから、ニックスの愉悦に満ちて、猫が鼠をもてあそぶかのような笑い声が聞こえてきた。「目の前で命が失われていくのを見るのは……とても特別な体験ではありませんか?」博人は答えなかった。彼の脳はこの瞬間、かつてない速さで回転していた。衝動に駆られてはならない。衝動はまさにニックスの思うつぼだ。彼には第三の選択肢を見つけねばならないのだ!代表がキャップを開けようとする危機一髪のその時――「見つけた!」博人のもう一方のイヤホンから、突然蜂の焦りと興奮の入り混じった声が飛び込んできた!「人質は会場天井の換気ダクトにいる!Cエリア、十三番メンテナンスハッチの近く!だが……赤外線センサーと爆弾が張り巡らされている!下手に近づけないんだ!」この知らせは稲妻のように、一瞬で博人の心の闇を照らしてくれた!人質の位置が分かった!接近できなくとも、これで十分だ!彼に必要なのは、ニックスの完璧な計画を打ち破る一つのチャンスだけだった!蜂が位置を伝えたのとほぼ同時に、博人の視線は最も精密なレーダーのように、素早く会場の天井の複雑な金属構造へ向いた。Cエリア、十三番メンテナンスハッチ……見つけた!目標位置を特定した瞬間、彼も動きだした!彼はニックスが予想したような狂ったようにステージへ駆け出すことも、絶望して座って死を待つこともしなかった。彼は誰も予想しなかった行動を取った。彼はサッと立ち上がり、目の前の机の
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第653話

グローバルミーティングセンターでの命のかかった駆け引きは、ついに悲惨な形で幕を閉じてしまった。「ドラゴン」の暗躍により、博人と未央たちはその国にいかなる記録も残さなかった。彼らは来た時と同じように、幽霊のように音もなく国内行きの専用機に乗り込み、血で染まった平和の地を後にした。十数時間に及ぶ長いフライトの間、機内は異様なほど静かだった。未央はほとんどの時間はずっと博人の肩にもたれて眠り続けていた。連日の恐怖と疲労ですべての気力を消耗していたからだ。一方、博人は一睡もしていなかった。ただ静かに窓の外の雲を見つめていた。胸に凭れた大切な人の穏やかな呼吸を感じ取りながら、生死をかけた戦いで荒れ狂った心の中の波が次第に静まり、脱出した後の、重みのある思いへと変わっていった。しかし、飛行機のタラップがゆっくりと下り、虹陽国際空港の堅い地面に触れた時、真の嵐がようやく訪れようとしていることに彼らは気づいた。「見て!西嶋社長と白鳥さんだ!」「ご帰国なさいました!まあ、本当にあのご夫婦なんですね!」誰が最初に叫んだのか、とっくに「ドラゴン」が特殊ルートで情報を与え、長いこと待ち構えていた記者たちは、血の匂いを嗅ぎつけた鮫のように一瞬で沸き立った。VIP専用出口の外では、無数のカメラとマイクがドアに向けられ、フラッシュは白昼の雷のように閃き、その勢いは網膜を刺し貫かんばかりだった。「西嶋社長!カラトグループの崩壊についてどのようにお考えですか!」「白鳥さん!海外で何を経験されたのですか?西嶋社長との関係はすでに修復されたのでしょうか」「西嶋社長、西嶋グループとMLグループの今後の競争をどのように処理されるつもりですか?」騒がしい質問の声、シャッター音、記者たちのざわめきが巨大な音の波となって彼らに押し寄せてきた。その規模はどの商業発表会よりも大きく、より狂気的だった。未央は無意識に眉をひそめ、体がわずかに強張っていた。生死を彷徨った瞬間を経験した後では、かつてプレッシャーを感じさせたこのような場面は、ただただ虚ろで騒がしく思える。彼女は本能的に後ずさり、あのまぶしい光から逃げ出したいと思った。その時、一つの温かく力強い大きい手が彼女の手をしっかりと握り、未央を自身の背後に引き寄せた。博人の大きな体は揺るぎない山のように、彼女と外の狂った世界
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第654話

「一緒に……家に帰りましょ」彼女は声をひそめて言った。博人は一瞬驚いたが、すぐに彼女の言葉の意味を理解し、前の席の高橋に指示を出した。「桐ヶ崎邸に行こう」西嶋家の名義の下のどの家でもなく、白鳥家の屋敷へ行くのだ。この選択そのものが、全く新しい始まりを意味していた。……車がゆっくりと桐ヶ崎邸に入り、彼女の全ての子供時代の記憶を刻んだ懐かしい屋敷の前に停まった時、未央の目は一瞬で赤くなってしまった。車がまだ完全に停まらないうちに、屋敷の玄関のドアが内側から開いた。宗一郎と理玖の二人の姿が、すでに焦りながら入り口で待っていた。「ママ!パパ!」理玖は小さな砲弾のように真っ先に飛び出し、未央の胸に飛び込むと、手を伸ばして博人の脚をしっかりと抱きしめ、わんわんと泣きだしてしまった。「会いたかったよ……もう二度と会えなくなっちゃうかと思った……」「バカな子」未央は息子の温かく柔らかな小さな体を抱きしめ、涙がついに抑えきれず、音もなくこぼれ落ちてきた。彼を強く抱きしめ、ここ数日間の全ての恐怖と懐かしさをこの抱擁に溶かし込もうとするかのようだった。宗一郎も歩み寄ってきた。彼は娘の痩せ細った顔と、博人の身に隠しようのない傷跡と疲労の顔色を見つめ、ビジネス界でどんな激しい嵐も経験したこの老人も、目を赤くしたのだった。彼は博人の前に近づくと、かつては歯を噛みしめるほど憎んでいたこの男を見つめ、結局はただ重々しく彼の肩を叩き、声を詰まらせて、「ご苦労だったな」と一言を言った。一言の「ご苦労だったな」には、あまりにも多くの感情が込められていた。感謝、容認、そして一人の父親が、娘の未来を託すという許可が含まれていたのだ。博人の体はわずかに硬直したが、すぐに真面目にうなずいた。「お義父さん、当然のことをしたまでですよ」この「お義父さん」の呼び方は、ごく自然で、そしてまじめだった。その夜、白鳥家のキッチンから、久しぶりに料理の香りが漂ってきた。宗一郎が自らキッチンに立ち、未央と博人の好物ばかりを作ってくれた。食卓で、現実と思えないほどの温かい雰囲気に包まれていた。理玖は両親の間に座り、この間学校での面白いことをペラペラとしゃべっていた。食卓での雰囲気を賑やかにした有力者になった。一方の博人は、すっかり別人になったようだった。彼はもは
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第655話

あの世界中を驚かせた追跡劇が終幕を迎えてから、数ヶ月が静かに過ぎていた。虹陽は夏の蒸し暑さを失くし、秋の微かな涼しさを迎えていた。白鳥家の庭では、梧桐の葉が淡い黄金色に染まり、陽光の下で温かな光沢をきらめかせていた。生活は、本当にそれにふさわしい平穏と温かさを取り戻したようだった。博人が変わったことは、誰もかも気づいた事実だった。彼はもはや、あの冷たく距離を置き、喜怒哀楽を顔に出さない西嶋社長ではなく、家族を最優先にする夫であり父親でもあった。彼は必要のない付き合いをほとんど断り、毎日時間通りに帰宅し、娘の愛理のおむつ替えやミルク作りを不器用ながらも真剣に学び、すでに小学生になった息子の理玖とレゴで遊んだり本を読んであげたりしていた。未央への気遣いはなおさら、これ以上ないというほどだった。彼は過去七年分の欠けた優しさをすべて、この時を待っていたかのように倍返しにしているようだった。彼は彼女の好みを一つひとつ覚え、生理周期の注意事項を心に刻み、彼女が何気なく口にした新しくオープンしたスイーツ店さえも覚えてくれた。彼の愛は、濃厚で、熱くて、風さえも通さない網のように、彼女をしっかりと包み込んでいた。当初、未央はこの失ったものを取り戻した幸福に浸っていた。この男は、ついに愛することを学んだのだ。彼が子供たちのために忙しく働く姿、自分を見つめる時に彼の目に隠しようもなくあふれる深い愛情を見ると、彼女の心の中でずっと凍りついていた湖面は、確かに少しずつ溶けていった。しかし、時が経つにつれて、このあまりにも濃厚な愛は、次第に彼女に言いようのない息苦しさを感じさせるようになってきた。彼は、彼女が瑠莉と電話で楽しく話している最中に温かい牛乳を差し出し、「医者はもっと安静が必要だと言っていた。長電話は耳に良くない」と優しく注意してきた。彼女が一人で新しい病院の内装工事の進捗を見に行こうとすると、「一人では心配だ」という理由で同行を主張した。彼は彼女のすべてのマイナスな情報をさりげなく遮断し、彼女の見る世界を永遠に平和で穏やかなものにしてくれた。彼は自分のすべてを尽くして彼女を世話し、世にも貴重な宝物のように扱い、目に入れても痛くないほど大事にしてくれた。しかし未央は次第に、自分が再び檻に閉じ込められたように感じ始めた。愛情と気遣いで精巧に作られた、華麗だが
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第656話

彼女のその言葉にはどこか感慨が込められていたが、博人の眉間はほとんど気づかれないほどわずかに皺が寄っていた。「家には何でもあるだろう。君がそんなに苦労する必要はないんだよ」彼は口を開いた。口調は優しいが、疑われる余地のないある感情も帯びていた。「今の君に最も重要なのは、自分自身と愛理の世話をすることだ」リビングの空気の流れはわずかに止まったようだ。未央の笑みは少し薄れ、声を低くして言った。「仕事は私を充実させてくれるの」「未央さんの言う通りですよ」悠奈は慌ててフォローを入れた。「自分の仕事があってこそ、より自信が持てるんです!そうだ、未央さん、お兄さんが高級医療機器を生産する事業をやっている友達がいるって言ってたよ。必要ならいつでもお兄さんに言っていいって」「本当?それはよかった。ちょうど……」「藤崎さんにご迷惑はかけられません」博人が突然口を開き、未央の言葉を遮った。彼の顔には相変わらず穏やかな笑みが浮かんでいたが、その言葉は空気を一瞬で零度以下まで冷え込ませた。彼は悠奈を一瞥し、口調は丁寧だがしっかりと距離を置くように言った。「悠奈さん、あなたとお兄さんのご厚意ありがとうございます。しかし、未央の病院と、彼女のすべての事と同じく、俺がちゃんと責任を持ちます。俺はすでに彼女のために世界一のサプライヤーと連絡を取っており、すべてのものは最先端のものを用意します。俺たちは……よそ者にご迷惑はかけたくないんです」その一言の「よそ者」を、博人に淡々と口にされたが、一本の針のように、容赦なく未央の心を深く刺した。瑠莉と悠奈の笑みも固まり、気まずそうにお互いを見つめ合った。あの慣れ親しんだ、息苦しい感覚が、蔓のように静かに彼女の心によじ登ってきた。まただ。またこの有無を言わさぬ決断だ。またこの彼女を遠ざける「保護」だ。彼は彼女の意見を尋ねることさえせず、直接彼女のために友人の厚意を断ってしまった。彼女は彼の付属品ではない。彼女の仕事も彼のものではないのだ。未央は膝の上に置いた手を、無意識に強く握りしめた。……三十分後、瑠莉と悠奈はついに口実を見つけて立ち去っていった。彼女たちが去った後、リビングのあの陽気な雰囲気も消え、重苦しい沈黙だけが残されていた。未央は博人を見つめ、暫く躊躇った末、ようやく勇気を振り絞って口
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第657話

あの不穏な話し合いは、静かな湖面に投げ込まれた巨石のように、白鳥家の屋敷にあった脆い平和を完全に打ち破った。冷戦は、予兆もなく始まってしまった。博人は以前のようにぴったり側にいることはなくなった。翌朝、未央が目を覚ますと、彼はもう出ていった。食卓には相変わらず、彼が用意した栄養バランスの取れた朝食が置いてあり、横には彼の書いたメモが貼られていた。「会社に急用がある。夜は家でご飯を食べる」説明も謝罪もなく、冷たい知らせだけが残されていた。未央はそのメモを見て、複雑な思いが込み上げてきた。これが多分、彼にできる最大の「妥協」なのだと彼女はわかっていた――口論もせず、最も慣れた方法で、挫折して、理解してもらえないこの家から一時的に逃げることを選んだのだ。彼女は黙って朝食を食べ終えると、そのメモを破り、ゴミ箱に捨てた。日々は、どこか慣れた軌道に戻ったような感じだった。博人は本当に忙しくなった。朝早く出て夜遅くに帰り、時には真夜中に疲れ切った様子で戻ってくることもあった。彼は未央の事には何も干渉せず、彼女の仕事や交際に口出しすることもなくなった。二人が顔を合わせても、必要な会話以外、ほとんど余計な言葉は交わされなかったのだ。空気には、息苦しいほどの気まずさと距離感が蔓延していた。未央は自分の全ての注意力を「心の声」カウンセリングクリニックの最終準備に向けた。毎日病院に浸り、壁の色からソファの材質、流れる音楽の選定まで、細かいところに至るまで自身で選択し、完璧を求めていた。彼女はその忙しさで、心の虚しさを埋め、あの頭を痛める問題――彼女と博人は、結局どうすべきなのか――を考えないように自分を麻痺させようとしているようだった。宗一郎と理玖はこの状況を見ていて、実は焦っていた。「おじいちゃん、パパとママはまた喧嘩したの?」理玖は宗一郎の服の裾を引っ張り、小さな顔に心配な色を浮かべて尋ねた。「なんで二人とも話さないの?」宗一郎は息をつき、孫の頭をそっと撫でながら、どう説明すべきかわからなかった。娘とあの嫌な男との間の問題は、彼が思っていたより遥かに複雑だとわかっていた。あの男の骨の髄までしみ込んだ偏執と支配欲は、時限爆弾のように、いつ爆発してもおかしくなかった。そして未央も、もう従順に耐えるあの少女ではなかったのだ。一番の正義である
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第658話

未央はしばらく沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。その声には少し迷いがにじんでいた。「瑠莉、私……間違っていたのかな?彼は本当に、ずいぶん変わったのに。それなのに私……まだ彼を完全には信じられなくて、つい無意識に彼を遠ざけてしまったの」「あなたは悪くないわ」瑠莉は彼女の手を握り、強い眼差しを向けてきた。「未央、あなたはただ自分を守っているだけよ。七年間の傷は、簡単に忘れられるものじゃないわよ。彼にも、あなた自身にも時間をあげてね。もし彼が本当にあなたを愛しているなら、きっと理解してくれるわ」瑠莉の言葉は、未央に少しの慰めを与えた。しかし彼女の心の中ではわかっていた。一度できた亀裂は、簡単には癒えないということを。……未央が博人が本当にこのまま冷戦を続けるのだと思い始めた頃、転機は彼女の予想もしない形で静かに訪れてきた。その日の午後、未央が病院のオフィスで初めての患者のカウンセリングを行っているときのことだった。それはとても若く見える女の子で、実家のプレッシャーと職場での不順が原因で中度の不安症を患っており、情緒がとても不安定だった。未央は彼女の話に辛抱強く耳を傾け、専門的な知識と優しい言葉で、その壊れやすく敏感な心を少しずつ和らげていた。カウンセリングが終わろうとしていた時、クリニックのドアが突然押し開けられた。未央が眉をひそめ、看護師に誰が予約時間を守っていないのか確認させようとしたその時だった。そこに博人の姿が見えたのだ。彼は急いで来たようで入り口に立ち、重そうなカバンを手にしていた。顔にはかすかな……緊張と困惑の色が浮かんでいる。彼は数日前よりもさらに疲れ切っているように見えて、充血した目もひどかった。しかし、その高価なスーツは、相変わらず皺もなくアイロンがかけられていた。 「博人?どうしたの?」未央は呆気にとられた。部屋にいた女の子も博人を見て驚き、慌てて立ち上がり、少し取り乱していた。この男が放つ強いオーラに、彼女は理由もなく圧迫感を覚えたのだった。博人はその女の子には目もくれず、彼の視線は最初から、未央ただ一人に注がれていた。彼は深く息を吸い込み、何か大きな決心をしたように、未央のオフィスのデスクまで歩み寄ると、そのカバンをデスクの上に置いた。そして、未央とその女の子の驚いた視線の中、彼はゆっ
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第659話

「白鳥先生、こんにちは。あなたのカウンセリングを予約したい。俺の病気を治してください」博人の声は大きくはなく、かすかにふるえていた。静かなオフィスの中では雷のように未央の心の中でその言葉が轟いていた。彼女はぼんやりと目の前の男を見つめ、自分の耳を信じられなかった。彼は……今、何と言った?彼が彼女にカウンセリングをしてほしいと言ったのか?自分に病気があると認めたのか?これは、あの常に誇り高く、自信過剰で、あるいは偏執的ですらある博人にとって、自分自身の最も脆くて、最も惨めな部分を切り裂き、彼女の前に晒すことに等しいのだ。いったいどれほどの勇気と信頼が必要なのだろう?傍らにいた若い女の子も呆然としていた。この、人を窒息させるほど強いオーラを放つ男を一瞥し、そして優しく美しい医師の未央を見て、彼女は一瞬反応を忘れ、頭が真っ白になってしまった。しばらくして、未央はようやく自分の声を取り戻した。彼女はその女の子に安心させる微笑みを浮かべ、優しく言った。「今日のカウンセリングはここまでにしましょう。まず私が話した方法を試してみて、来週の時間はまた後で話しましょう」「あ……はい……分かりました、白鳥先生」女の子はようやく解放されたかのように、自分のカバンを取ると、ほとんど逃げるようにオフィスを去り、去り際に好奇心にかけられて彼らをまたチラリと一瞥した。オフィスのドアが静かに閉められ、部屋には二人だけが残されていた。「あなた……」未央は彼を見つめ、心の中には様々な感情が渦巻き、一瞬何を言うべきかわからなくなった。驚くべきか?感動すべきか?それとも……ついに頭を垂れた彼を嘲笑すべきか?博人は彼女の向かいの椅子に座り、膝の上で両手を組み、教師に叱られるのを待つ小学生のように、非常に低い姿勢を見せてきた。彼の眼差しは普段の鋭さや強さではなく、苦痛と……かつてない迷いに満ちていた。「この間、たくさん考えたんだ」彼はかすれた声でゆっくりと口を開いた。「敦の言葉、そして……君が前に言った言葉が、俺を目覚めさせた。俺には確かに問題がある」彼は顔を上げた。その深い瞳には、未央がかつて見たことのない脆さが潜んでいた。「俺は君と子供たちを失うのが怖いんだ。俺たちがようやく築き上げたすべてが再び崩れ落ちるのが怖いんだ。だから、無意識に君を守ろうとし
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第660話

「西嶋さん」彼女は口を開いた。わざわざ呼び名を変え、二人の関係をもっと客観的で専門的な立場にしようと試みている。「ご自身の問題を認識され、自ら進んで助けを求める意思を示されたことは、治療における第一歩で、そして最も重要な第一歩ですよ」彼女は一呼吸置いて続けて言った。「心理学から見て、あなたの現在の多くの行動は、心的外傷後ストレス障の典型的な症状です。例えば、過度な警戒心、強い支配欲、そして親密な関係に直面した際の怒りや不安の感情などですね。この問題は、決してあなたのせいではありません。大きなトラウマを経験したあなたの脳が、自分自身を守るために形成した、一種の……防衛反応なのです」未央の言葉は、まるで温かな日差しのように、自責と苦痛で責められた博人の心を照らしてくれた。彼は顔を上げて彼女を見つめ、目には信じられないという色が一瞬よぎった。彼女は彼を責めもせず、嘲りもせず、彼の問題を分析し、理解しようとしているのか?「じゃあ、俺はどうすればいい?」彼の声には、かすかに未央を頼るような感情がにじんでいた。「まずは、専門的な治療が必要です」と未央は言った。「ただし、私たちの間の複雑な関係を考慮すると、私があなたの主治医を務めるのは適切ではありません。虹陽市で一番優秀なカウンセラーを何人かご紹介します」博人の目には、一瞬で失望の色が走った。未央はそれを見ていないふりをして、話を続けた。「次に、私たちは健全なコミュニケーションを再構築する必要があります。過去、私たちは常に喧嘩と冷戦状態で問題を解決する習慣がありましたが、それは矛盾を深めるだけです」彼女は彼を見つめ、真剣に言った。「今日から、友人のように、穏やかに、率直に交流したいと思います。感情が制御不能になったと感じたときは、『一時停止』のルールを設定しましょう。まず互いに冷静にさせ、相手を傷つける言葉で責めないようにするのです。それと……」未央は言葉を詰まらせ、言い出しにくそうだった。「私にも問題があります。私も同様に……治療が必要です」彼女は博人を見つめ、眼差しに弱々しい色を浮かべた。「私は見捨てられることと、信頼されないことを恐れていますから、あなたが近づいてくるとき、いつも無意識に棘を立てるような行動をしてしまいましたね。これもまた、トラウマによる自己防衛反応なのです」
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