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第41話:影の導線

last update Terakhir Diperbarui: 2025-06-17 20:46:18
湿った空気が、地下の通路を這うように流れていた。

古くから閉ざされていた王城地下の水路──今はもう、ほとんど使われることのない“遺構”だった。天井は低く、壁は苔と埃で黒ずんでいる。足元の石畳からは濁った水が染み出し、滑りやすくなっていた。

リリウスは息を詰めるようにして、その水路を進んでいた。

後ろにはセロ。

彼は先の抜け道からずっと、振り返るたびにリリウスの無事を確かめるように動いている。

「……あと少しです。あの曲がり角の先が外縁。そこに抜け口があります」

囁くように言った声は、普段よりも張り詰めていた。

(やっぱり、緊張してる……)

リリウスはセロの背を見つめながら、自分でも意外なほど冷静なことに気づいていた。

逃げ出す前夜まで、震えることすらできなかったのに。

それなのに今は──こうして息を潜めながら、先へ、先へと歩を進めている。

「ここから上がりましょう」

セロが鉄梯子を示す。

だがその瞬間、どこかで石が弾けるような音がした。

「伏せて!」

鋭く叫んだ声と同時、通路の奥で火花が散った。

細身の刃が、警告もなく飛来する。

セロがリリウスを庇うように身を翻えす。

──ガキィン!

火花が散る。セロの短剣が相手の刃を受け止めていた。

「二重スパイです。城内に潜んでいた──!」

相手は黒衣の男。

気配を殺す技術は熟練のもので、間合いに入るのも一瞬だった。

セロは応戦するが、鋭い動きで右肩を斬られる。

「っ……!」

リリウスは咄嗟に、手を伸ばして術式を展開した。

掌に浮かんだのは、極小の光の針。

痛みと疲労でうまく制御できないが、それでも。

「──っ離れて!」

針が放たれ、敵の視界に閃光が走る。

一瞬、動きが止まる。

セロはその隙に体を引き、リリウスを引き寄せて跳躍した。

「今です!」

梯子を一気に駆け上がり、蓋を押し上げる。

外気が、夜の風が、肌を撫でた。

「……はっ、は……」

息を切らしながらも、リリウスは空を見上げた。

見慣れた王都の夜空。

それがこんなにも“遠く”にあったなんて。

「大丈夫ですか、殿下……っ」

セロが片腕を押さえながら立ち上がる。

肩口の服が血で濡れていた。

「ごめん、その傷……僕のせいで……」

「違います。僕の仕事です。……けど、逃げ切れたのは、殿下の術のおかげです」

セロは短く、笑った。

「意外でしたよ。攻撃系、苦手だとお聞きしてたので」

めがねあざらし

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