Semua Bab 縁が結ぶ影〜呪われた巫女と結ぶ少年〜: Bab 71 - Bab 80

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縁語り其の七十一:前へと進めた人

倒れた美琴を背負い、僕は石津製鉄所を後にした。 足元の瓦礫を踏みしめる乾いた音が、虚しく響く。澱んだ死の気配が残るあの場所に、彼女をこれ以上置いておくわけにはいかなかった。 僕自身も、霊力を使い果たし、身体中が軋むように痛む。首の傷は熱を持ち、肩からは血が滲み続けている。足は鉛のように重く、一歩踏み出すたびに、全身の細胞が悲鳴を上げていた。 (くそ……目が……霞む……) だが、背中で微かに息をする美琴のことを思えば――そんな苦痛を気にしている余裕など、どこにもなかった。 「はぁ……っはぁ……っ……美琴、辛いよね……ごめん……。もう少し……もう少しだけ、頑張って……」 返事はない。 背中越しに伝わる彼女の呼吸は、か細く、儚い。その小さな身体の存在だけが、僕を前へと進ませる、唯一の理由だった。 *** どれくらい歩いただろうか。 時間の感覚はとうに麻痺し、頭の中は疲労で白い靄がかかったようだ。 こんな人気のない寂れた道に、タクシーなど通るはずもない。頼みの綱のスマホは壊れ、助けを呼ぶ術もなかった。血まみれの僕たちがバスに乗れば、騒ぎになるだけだ。 (……今は、こうして……一歩ずつ……進むしかない……) 自分を奮い立たせ、また重い足を踏み出す。 だが、足元がふらつき、世界がぐらりと傾いた。霊力の消耗と、純粋な疲労が、僕の意識を深い沼の底へと引きずり込もうとする。 それでも――背中に感じる美琴の存在だけが、今の僕を支える、唯一の光だった。 ──その時。 ――プァァァン! 背後から、不意にクラクションが響いた。 幻聴かと思うほど、その音は遠く、現実離れして聞こえた。 恐る恐る振り返ると、そこには一台の車が、静かに停まっていた。 助手席の窓がスッと開き、懐かしい顔が覗く。 「――悠斗!? なんで、こんな所に…!? それに、あんた、血まみれじゃないか!! 美琴ちゃんも、すごく具合が悪そうだけど!?」 あの松田さんの驚いた声が、僕の疲弊しきった意識を叩き起こした。 その隣には、どこかで見覚えのある男性が、静かにハンドルを握っている。 「松田さん……!?」 呆然と、夢でも見ているかのように、彼女の顔を見つめた。 「あんたも、ひどい顔だね……。ねぇ、彼らを乗せてもいいかい?」 松田さんが運転席の男性に声をかけると、彼は言葉少なく、
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-06-13
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縁語り其の七十二:縁の在り処

「悠斗……悠斗……」 遠くから、僕の名前を呼ぶ声が聞こえる。 深い霧の底から、ゆっくりと意識が浮上していくような、曖昧な感覚。 まぶたが重い。微かな光を感じてゆっくりと開くと、見慣れない木目の天井が、ぼんやりと目に入ってきた。 「……松田、さん……?」 視界の隅にその人の姿を認め、彼女が安堵に胸を撫で下ろすのが分かった。 どうやら僕は、彼女の家の清潔な布団の中で、眠っていたらしい。 体を起こそうとすると、全身に巻かれた真新しい包帯が目に入る。首と肩の傷がズキズキと疼き、廃工場での出来事が、決して夢ではなかったと鈍い熱を持って主張していた。 「起きたかい……。まったく…無理するんじゃないよ」 松田さんが、ホッとしたように微笑む。 その声だけが、この非現実的な感覚の中で、唯一の温もりだった。 しかし、僕の思考は一瞬で切り替わる。 疲労で霞んでいた頭に鮮明に浮かんだのは、美琴のこと。 「――美琴は!?」 慌てて尋ねると、松田さんは落ち着いた様子で答えた。 「前と同じ部屋に寝せてあるよ。ずっと高熱が続いてるけど、とりあえずは大丈夫だろう」 その言葉に安堵の息を吐く。 だが、汗に濡れた青白い顔、か細い呼吸……美琴の弱々しい姿が、脳裏にこびりついて離れない。 「……彼女のそばに、いてもいいですか?」 「もちろんさ、行っておいで」 襖を開けた瞬間、僕の目に飛び込んできたのは、布団の上で横たわり、苦痛に顔を歪める彼女の姿だった。 高熱で赤く上気した頬とは対照的に、血の気を失った唇。汗で額に張り付いた前髪。そして、悪夢にでもうなされているのか、時折、彼女の唇から、か細い呻き声が漏れていた。 その小さな身体が、どれほどの重圧に耐えているのか。 そう思うだけで、僕の心は張り裂けそうだった。 「美琴……」 そっと彼女の手に触れると、燃えるように熱い。 なのに、指先だけが、妙に冷たい。そのちぐはぐな温度が、彼女の過酷な状態を、何よりも雄弁に物語っていた。 どれだけの負担を、僕は彼女に背負わせてしまったのだろう。 僕は本当に、あの「強制成仏」をさせて、良かったのだろうか。 疑念が、心を深く蝕んでいく。 ――美琴の意思を、尊重した。でも、その結果が、これだ。 もし、僕があの時「ダメだ」と強く止めていたら? 美琴は、こんなにも苦しまずに
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-06-13
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縁語り其の七十三:縁の温もり、冬の兆し

「悠斗…君…?」 微かに震える声が、僕の耳に届く。 その声は、まだ弱々しいけれど、僕の心に直接、温かい光を灯すようだった。 熱に浮かされた美琴の瞳が、ぼんやりと僕を見つめていたんだ。 「美琴…!」 思わず、彼女の細い手を両手で包み込む。 熱っぽいが、確かに生きているその温もりが、僕の心をじんわりと満たしていく。 「良かったぁ……目が覚めて……本当に良かった……」 美琴の瞳がゆっくりと焦点を結び、僕をまっすぐに捉えた。頬にはまだ汗が滲み、顔色はひどく青白い。 それでも、彼女が意識を取り戻し、僕の目の前で目を覚ましてくれたことが、心の底から嬉しかった。 安堵の息が、自然と漏れる。 松田さんが、僕たちの様子をそっと見守るように、音もなく部屋を出ていく。 あの人なりの、優しく、そして深い気遣いなんだろう。その配慮に、僕の心は温かくなった。 「ここは…?」 美琴が、掠れた声で尋ねる。 「松田さんの家だよ」 「そう…ですか……」 美琴の表情はまだぼんやりとしていて、意識が完全に澄み切ってはいないようだった。 それでも、彼女の声が聞こえ、僕の問いかけに答えてくれたことに、言いようのない安堵感が僕を包んだ。 僕は―― あの時、本当に美琴に強制成仏をさせるべきだったのか? 彼女がこんなにも苦しむくらいなら、あの場で止めるべきだったんじゃないか? 何度も、その自責の念が、僕の頭の中を駆け巡っていた。 けれど、松田さんの言葉が、胸の奥で渦巻いていた黒い靄を振り払ってくれる。 『自分の選択を信じな。どこかで必ずいいことが起こるさ』 そうだ。僕は、美琴の意思を信じた。 そして、彼女を支えると、改めて強く決意したんだ。 だから、もう何も問い詰めるつもりはない。代償のことも――彼女が自分から話してくれるまで、待とう。 今はもう彼女に何も問うまいと、心に決めた。ただ、彼女がもし、また途中で迷った時だけは、ちゃんと止めよう。 彼女の意思を尊重し、そして見守る。新たな決意が、僕の中に確かな光を灯していた。 「目が覚めて、本当に良かった……」 握る手の力が、自然と、そして少しだけ強く、美琴の手を包み込んだ。 僕の言葉に、美琴は驚いたように目を見開く。その茶色の瞳が、僕の真っ直ぐな気持ちを映しているようだった。 「悠斗君…なにも…聞かないん
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-06-14
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縁語り其の七十四:僕が立つ場所

人の歩む道は、常に平坦ではない。 妾は悠久の時の中、汝らが過酷な選択に心を砕く様を、幾度となく見てきた。 だが、うつむいてはならぬ。 絶望に身を委ねてはならぬ。 忘れるな。 汝らの内に灯したその想いの熱こそが、摂理をも覆し、 いかなる困難の闇をも照らす、唯一の光となることを。 それを、人は奇跡と呼ぶ。 *** 雪が静かに、そして細やかに降り積もる、冬の午後だった。 桜織の街は、煌びやかなクリスマスの装飾に彩られ、どこか夢のような雰囲気を醸し出している。通りを包み込む穏やかで、しかしひんやりと澄んだ空気は、冬の到来を肌で感じさせた。 僕は美琴と肩を並べて歩きながら、白く染まっていく街並みを眺めていた。 足元には雪がうっすらと積もり、僕たちの足跡を柔らかく受け止める。踏みしめるたびに、柔らかな「キュッ、キュッ」という音が静かに響き、街の喧騒に溶け込んでいく。 遠くからは、子供たちの楽しそうな笑い声と、イルミネーションのきらめく光が重なって届いてくる。まるで、街全体が静かに微笑んでいるみたいだった。 その光景は、廃工場での死闘がまるで嘘だったかのような、穏やかな日常を映し出していた。 「うぅ…寒いですね……」 美琴が小さく呟いた。 彼女の吐いた息が白く曇り、瞬く間に冷えた空気に溶けていく。袖に手を引っ込めて身を縮めるその仕草が、どこか愛らしく、僕の心を温める。 「そうだね……流石に、少し冷えるかな」 僕がそう返すと、彼女は小さく頷いて、わずかに微笑んだ。その表情は、以前よりも少しだけ、穏やかになったように見えた。 ……廃工場での出来事から、もう数週間が経っていた。 あの日、僕たちは命をかけた戦いを経験した。心が震えるほどの恐怖と向き合いながら、それでも、なんとか生きて帰ってきた。 ……けれど。 日常は、そんな非日常の出来事をまるでなかったことのように飲み込み、静かに流れ続けている。 桜織の街は、今やすっかりクリスマスムードに染まり、通りを歩けば「恋人たちの時間」なんて甘い言葉が、あちこちから聞こえてくる。 まるで、世界が僕たちの闘いなんて知らないふりをして、何食わぬ顔で微笑んでいるみたいだった。 (まぁ……実際、そこまで大それた事では無いのかもだけど…。) ……こん
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-06-14
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縁語り其の七十五:灯火が還る街

僕の言葉に、霊の表情がさらに険しくなった。 彼を覆っていた赤い影が、怒りを増幅させるみたいに、陽炎のように激しく揺らめく。その輪郭そのものが、内側で荒れ狂う嵐によって滲んでしまっているかのようだ。 「俺は……なんで、死ななきゃいけなかったんだ……!」 絞り出すような叫びが、湿った路地裏の空気を震わせた。 その声には、やり場のない悔しさと、深い悲しみが滲んでいる。彼はきっと、この問いの答えを探して、ずっと独りで彷徨っていたんだろう。 「失礼ですが、ご自身の死因は、覚えていらっしゃいますか?」 僕はできるだけ感情の起伏を声色から消し、事実を確認するように問いかける。 同情は、時として相手の混乱を増幅させる。まずは冷静に、彼の置かれた状況を解きほぐすことが先決だ。これまでの経験が、そう教えてくれていた。 霊は、まるで頭の中に霞がかかっているかのように、苦しげに首を振った。 「わからねぇ……。気づいたら、ここにいた……」 ――突然、訪れた死。 彼は、自分が死んだことすら受け入れられないまま、この世を彷徨うことになってしまったに違いない。 だとすれば、彼の纏う「赤」は、誰かへの怨念ではない。自身の境遇に対する、どうしようもない怒りと悲しみの色だ。 「そうでしたか……辛かったですね。冷たい対応ですみませんでした」 僕が彼の苦しみに意識を向け、ただ静かにその存在を受け入れようとすると、変化が起きた。 燃えるような赤色だった影が、少しずつ和らいでいく。夕焼けのオレンジ色を経て、やがて温かい裸電球のような、不安げな黄色へと変わっていった。 (やっぱり……。敵意じゃない。孤独と、混乱からだ) 僕の判断は正しかったようだ。彼は誰かを傷つけたいんじゃない。ただ、この絶望から救い出してほしかっただけなんだ。 それがわかった僕は、強張っていた表情を緩め、優しく微笑んでみせた。 「焦りますよね。自分の身に何が起きたのかもわからないまま、誰にも気づいてもらえないのは、とても怖いことだと思います。でも、大丈夫です。僕たちには、あなたがちゃんと見えていますから」 その言葉は、暗闇の中で差し伸べられた手のように、彼に届いたらしかった。 「ぼく、たち……?」 霊が怪訝な顔で僕の言葉を繰り返した、その瞬間―― ──カツン、カツン。 硬質な、しかし澄んだ靴音が、
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-06-15
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縁語り其の七十六:不穏な気配

僕たちは、天へと還る佐々木さんの魂へ、静かに手を合わせた。 音のない世界。 ひっきりなしに舞い落ちる雪が、僕たちの吐息さえも吸い込んでしまうかのよう。桜織の街は、ただ白く、白く染まっていく。その純白の帳だけが、一人の男性の静かな旅立ちを、厳かに見届けていた。 「……悠斗くん、行きましょう」 沈黙を破ったのは、美琴だった。僕の隣で、穏やかな微笑みを湛えている。その声は、まるで氷の結晶が陽光に溶けていくかのように、優しく澄み切って。彼女の瞳には、大きな使命を終えた者だけが宿す、清らかな光が灯っているように見えた。 「うん。行こうか」 小さく頷き返し、かじかんだ手をコートのポケットに深く差し込む。凍てつく冬の大気が肺を満たし、吐き出す息は竜の煙のように白く輪郭を描いては、淡雪に溶けて消えた。 ──これが、今の僕たちの日常。 少し前の僕なら、霊と呼ばれる存在とこうして向き合うなんて、想像すらできなかっただろう。 得体の知れない気配に怯え、ただ目を背け、それが過ぎ去るのを息を殺して待つだけの日々。僕の世界は、他の誰にも見えないはずの恐怖によって、いつも歪んで見えていたから。 けれど──美琴と出会い、すべてが変わった。 彼らの声に耳を傾け、その魂に触れること。 それが今では、ごく当たり前の営みとして、僕の人生に静かに溶け込んでいる。 そして、僕の隣には、いつだって彼女がいてくれる。 廃病院の屋上で出会った、誠也君。 風鳴トンネルの暗闇で待ち続けた、詩織さん。 湯けむりの向こうで儚く微笑んだ、陽菜さん。 彼らとの出会いが、僕の心に分厚く張り付いていた恐怖を、一枚、また一枚と、薄紙を剥がすように溶かしてくれた。それは、凍てついた心をじんわりと解かすような、穏やかで、確かな変化。 ──いや、少し違うか。 彼らのおかげで、僕は「恐怖」という感情の、そのさらに奥に広がる“景色”を、見つけられたのかもしれない。 霊は、ただ恐ろしいだけの存在ではない。 彼らにも、僕たちと同じように心がある。喜びも、悲しみも、そして、この世に留まり続けるしかない、どうしようもなく切ない未練があるのだと。 その真実を知ったとき、僕の世界は、もう以前と同じではいられなくなった。 だからこそ──。 僕はこれからも、美琴と共に、彼らが抱える名もなき「何か」に、真正面から
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-06-15
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縁語り其の七十七:共に過ごす時間

学校が終わり、放課後のざわめきが満ちる教室を出た、その瞬間──。 「悠斗君!」 背後から、美琴の明るく弾んだ声が響いた。 その声は、冬の澄み切った空気の中、まるで小さな陽だまりのように温かく、僕の心を不意に弾ませる。振り返ると、結い上げたポニーテールを揺らしながら、彼女が駆け寄ってくるところだった。 冷たい風が彼女の長い黒髪をさらりと撫でる。その生命力に満ちた姿は、まるで一人だけ春を先取りしているかのよう。 「ん? そんなに慌ててどうしたの」 僕は少し驚きつつも、彼女の勢いに思わず笑みがこぼれた。 「実は今日、午後から学校に来たのですが……私、故郷に戻って色々と調べてきたんです!」 美琴は目をきらきらと輝かせながら、まくしたてるように言った。その瞳は、知的好奇心という名の光で満ちあふれている。 「あぁ……そういえば、風鳴トンネルの時に言っていたね」 あの時、美琴は僕の霊眼の源流を探るために、一度故郷へ戻ると言っていた。 …………すっかり、忘れていた。 廃工場での出来事がひと段落したとはいえ、あの激しい戦いの記憶は、まだ生々しい傷跡のように僕の心に刻まれている。学校ではその傷の言い訳に追われ、「階段から落ちて」「実家の倉庫整理で……」などと、我ながら苦しい嘘を繰り返す日々。担任の鋭い視線に冷や汗をかき、日常を繕うことに精一杯で、美琴の“調査”のことなど、意識の底に沈んでしまっていた。 「悠斗君! ご自身の力の源流ですよ!? 気にならないのですか!?」 美琴が、少しだけ頬を膨らませて僕の顔を覗き込む。その拗ねたような表情が妙に愛らしくて、僕は照れ隠しに視線を逸らした。 「いや、気にならないわけじゃ……」 もちろん、気になっている。心の奥底に、ずっと解けないままの疑問が澱のように溜まっている。 ──なぜ、美琴は呪われなければならなかったのか。 ──なぜ、僕にはその呪いがないのか。 ──そして、母さんは……今も、あの呪いの影響を受けているのだろうか。 これらの答えを知るためには、美琴と母さんを引き合わせる必要があるのかもしれない。 美琴の持つ、あの清浄で強力な霊力。それが、原因不明のまま眠り続ける母の真実を明らかにする、鍵になるかもしれない。 そんな、淡く、しかし確かな希望が、ふと頭をよぎった。 僕は、彼女の目をまっすぐ見て、決
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-06-16
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縁語り其の七十八:母が繋いだ縁

僕と美琴は、静かに病室の扉を開けた。 ひんやりとした空気が肌を撫でる。ツンと鼻をつく消毒液の匂い。そして、生命維持装置が刻む、単調で規則正しい電子音。それが、この部屋の世界のすべてだった。 窓から差し込む冬の夕陽が、薄手のカーテンを淡い橙色に染め上げている。その光は、ベッドに横たわる母の、眠っているように穏やかな顔を優しく照らしていた。僕が花瓶に生けた花が、無機質な静寂の中で、懸命に命の香りを放っている。 「母さん、来たよ。……この前話した子、覚えてるかな。美琴を、連れてきたんだ」 眠る母の頬に落ちる夕陽を見つめながら、僕はそっと語りかける。それは言葉というより、ほとんど祈りに近かった。 そして、隣に立つ美琴に視線を移した──その瞬間、僕は息を呑んだ。 美琴は、部屋の入口に立ち尽くしたままだった。 まるで、見えない壁に阻まれたかのように、一歩も動けずに。 彼女の瞳から、大粒の涙が、ぽろ、ぽろ、と音もなく溢れ落ちていた。それは堰を切ったように、次から次へと頬を伝い、床に小さな染みを作っていく。夕陽にきらめくその涙の軌跡は、まるで魂の糸が切れてしまったかのように、儚く揺れていた。 やがて、彼女の華奢な肩が、小刻みに震え始める。 がくん、と膝が崩れ落ちそうになるのを、壁に手をついて必死にこらえる。両手で顔を覆うようにして、喉の奥から、絞り出すような嗚咽が漏れた。 ひっ、と息を吸う音。抑えきれない、泣き声。 その小さな慟哭が、静かすぎる病室に響き渡り、僕の心臓を鷲掴みにした。 「み、美琴!?」 突然のことに、頭が真っ白になる。 こんな風に美琴が、感情をむき出しにして、膝をつくほど泣き崩れている姿など──今まで一度だって、見たことがなかった。 「ど、どうしたの? 大丈夫!?」 僕は慌てて駆け寄り、彼女の震える背中にそっと手を置く。薄い制服越しに、彼女の尋常じゃない震えと、燃えるような体温が僕の掌に伝わってきた。僕の手に驚いたのか、彼女の震えがほんのわずかに収まる。でも、覆われた指の隙間から、涙は止まることなく流れ続けていた。 僕はただ、立ち尽くすしかない。どんな言葉をかければいいのか、全く見当もつかなかった。 カーテンが、窓から吹き込む隙間風に揺れる。夕陽が彼女の涙に反射して、光の粒が、まるで感情の破片みたいに病室の中をきらめきながら舞っ
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-06-16
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縁語り其の七十九:宿敵の影

静まり返った病室。 窓の外では、夕陽がゆっくりと地平線に沈み、その最後の光がカーテンを薄紅色に柔らかく染め上げていた。病室全体が、その淡く、儚い光に包まれている。母の穏やかな寝息が、機械の規則的な駆動音と重なり、かすかに響いていた。その音が、この部屋の、そして母の生命の営みを静かに告げている。 僕と美琴は、ようやく高ぶっていた心を落ち着かせた。彼女が泣き崩れてからしばらく経つが、その瞳の縁はまだ微かに赤い。その残照が、彼女の内に秘めた深い悲しみと、感情の激しさを物語っていた。 それでも、美琴は深呼吸を一つし、真剣な表情で僕を見つめた。その瞳の奥には、僕の母を案じる気持ちと、巫女としての使命感が入り混じっている。 「では、悠斗君……遥さんの状態を確認しますね」 その一言に、僕は自然と息を詰めた。 「うん……お願い」 母の病の真実が、今、明かされるかもしれない。 美琴が母の枕元へと歩み寄る。彼女の足音は静かで、その一歩一歩に、張り詰めた緊張が滲んでいた。そして、ゆっくりと母の額に手をかざした── その、瞬間だった。 バチッ!!! まるで、見えない何かに弾かれたかのように、美琴の体がわずかに跳ねる。その衝撃は、僕の目にもはっきりと映った。 「っ……!!!」 美琴は顔をしかめ、額には早くも汗が滲みはじめる。まるで、耐え難い痛みに襲われたかのような表情だ。 「ど、どうしたの!?」 異様な光景に、僕は思わず彼女に駆け寄った。美琴の身に何が起こったのか、理解できないまま、ただ焦りが募る。 「……悠斗君に、二つお話があります」 眉を寄せ、息を整えながら、美琴がゆっくりと口を開く。その声には、まだわずかな動揺が残っていた。 「一つ。遥さんは、呪いが薄い。つまり、巫女の力を使っても──私ほど酷い代償はありません」 「──!」 その言葉を聞いた瞬間、僕の胸には、安堵と……そして複雑な感情が、まるで波のように駆け巡った。 「二つ目」 美琴が、静かに続ける。その瞳には、何か重い真実を告げようとする決意が宿っていた。 「悠斗君のお母様を襲った霊──そして、私の家族を殺した霊──それは、同じ存在です」 「……え?」 僕の脳は、一瞬にして停止した。言葉の意味が、頭の中でバラバラのまま宙を彷徨う。 同じ存在? 母さんと美琴の家族を襲った霊が、同じ…
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-06-17
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縁語り其の八十:不自然な歴史

美琴と共に病室を出た僕は、冷たい廊下の空気に触れながら、放課後に美琴が言っていたことを思い出した。 「そういえば美琴……放課後、故郷へ行って調べてきたって言ってなかった?」 「あっ……」 美琴が小さく声を漏らす。その仕草は、まるで大切な宿題を忘れていた子供のようだった。僕が病院へ行くことに気を取られ、わりと強引に彼女の手を引っ張ってしまったせいで、その話はそのままになってしまっていた。 「私まで少し忘れてしまっていました……悠斗君のこと、言えませんね」 美琴が恥ずかしそうに顔を赤く染めつつも、くすっと微笑む。 「はは、今日はいろいろあったからね」 本当に、いろいろなことがあった。母さんと美琴に接点があったこと。美琴に母さんの面影を感じていた理由──それが単なる偶然じゃなくて、美琴自身が母さんの影響を受けていたからだった、という驚くべき事実。 最初はただの思い込みだと思っていた。 けれど、今は……僕たちが出会ったのは、ただの偶然なんかじゃなくて、必然だったんじゃないか。そんな気がしてならない。目に見えない大きな力が、僕たちを引き合わせ、この道を歩ませているような──そんな感覚。 「私も、悠斗君の家系にどこから『古の巫女』の血が入ったのか気になっていたので、調べていたのですが……ひとつだけ、違和感のあるところを見つけたんです」 美琴の表情が、先ほどとは打って変わって引き締まる。彼女の瞳には、真実を探求する鋭い光が宿っていた。 「違和感?」 僕が尋ねると、美琴は少し間を置いてから、慎重に言葉を選ぶように続けた。その言葉は、まるで歴史の深い霧の中から、一つの名前を紡ぎ出すかのようだった。 「斎ノ宮 沙月様という方の記録が、不自然なほどに残っていないんです」 斎ノ宮……沙月? その名前を聞いた瞬間、僕の胸の奥で、なにかがざわついた。それは、これまで聞いたことのない名前なのに、どこか懐かしいような……。 「彼女は、琴音様の妹で……蛇琴村では、**“怨霊を封印した巫女”**とされているのですが、その封印の際に亡くなった、と」 怨霊を封印……か。 その言葉の響きが重たく、僕の胸に引っかかる。過去の巫女が、どれほど苛烈な戦いを経験してきたのか、その一端が垣間見えた気がした。 「しかし、そこがおかしくて……」 美琴の声が、わずかに強張る。彼女の
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-06-17
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