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縁語り其の七十八:母が繋いだ縁

Auteur: 渡瀬藍兵
last update Dernière mise à jour: 2025-06-16 19:37:00
僕と美琴は、静かに病室の扉を開けた。

ひんやりとした空気が肌を撫でる。ツンと鼻をつく消毒液の匂い。そして、生命維持装置が刻む、単調で規則正しい電子音。それが、この部屋の世界のすべてだった。

窓から差し込む冬の夕陽が、薄手のカーテンを淡い橙色に染め上げている。その光は、ベッドに横たわる母の、眠っているように穏やかな顔を優しく照らしていた。僕が花瓶に生けた花が、無機質な静寂の中で、懸命に命の香りを放っている。

「母さん、来たよ。……この前話した子、覚えてるかな。美琴を、連れてきたんだ」

眠る母の頬に落ちる夕陽を見つめながら、僕はそっと語りかける。それは言葉というより、ほとんど祈りに近かった。

そして、隣に立つ美琴に視線を移した──その瞬間、僕は息を呑んだ。

美琴は、部屋の入口に立ち尽くしたままだった。

まるで、見えない壁に阻まれたかのように、一歩も動けずに。

彼女の瞳から、大粒の涙が、ぽろ、ぽろ、と音もなく溢れ落ちていた。それは堰を切ったように、次から次へと頬を伝い、床に小さな染みを作っていく。夕陽にきらめくその涙の軌跡は、まるで魂の糸が切れてしまったかのように、儚く揺れていた。

やがて、彼女の華奢な肩が、小刻みに震え始める。

がくん、と膝が崩れ落ちそうになるのを、壁に手をついて必死にこらえる。両手で顔を覆うようにして、喉の奥から、絞り出すような嗚咽が漏れた。

ひっ、と息を吸う音。抑えきれない、泣き声。

その小さな慟哭が、静かすぎる病室に響き渡り、僕の心臓を鷲掴みにした。

「み、美琴!?」

突然のことに、頭が真っ白になる。

こんな風に美琴が、感情をむき出しにして、膝をつくほど泣き崩れている姿など──今まで一度だって、見たことがなかった。

「ど、どうしたの? 大丈夫!?」

僕は慌てて駆け寄り、彼女の震える背中にそっと手を置く。薄い制服越しに、彼女の尋常じゃない震えと、燃えるような体温が僕の掌に伝わってきた。僕の手に驚いたのか、彼女の震えがほんのわずかに収まる。でも、覆われた指の隙間から、涙は止まることなく流れ続けていた。

僕はただ、立ち尽くすしかない。どんな言葉をかければいいのか、全く見当もつかなかった。

カーテンが、窓から吹き込む隙間風に揺れる。夕陽が彼女の涙に反射して、光の粒が、まるで感情の破片みたいに病室の中をきらめきながら舞っ
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