この時、史弥はもう玉巳のことに触れる気すらなかった。彼の眼差しは冷たく、目を細めて悠良を上から下までじっと見つめ、強い圧迫感を放っていた。しばらくして、史弥が口を開いた。「航空券を買ってたな。どこへ行くつもりだ?」先ほど廊下である程度心の準備はしていたので、彼にそう問われても、悠良は落ち着いていた。「何のことかしら」史弥は彼女が認めようとしないのを見て、温かい掌で彼女の肩をしっかりと押さえ、しばらく考えてから言った。「最近仕事のことで少し距離ができてしまったのはわかってる。でも、それは故意じゃないんだ。怒ったからって、黙って航空券を買って出て行こうとするなんて、そこまでする必要がないだろ」悠良は顔を上げて彼を見つめた。怒ってもいなければ、騒ぎ立てることもない。その顔は驚くほど冷静だった。「私は怒っていないわ。何か誤解していない?」「玉巳の件、俺の態度が冷たかった。今日も君に手を出してしまったし......すまなかった」史弥は悠良の手を取ろうとしたが、不意に彼女の掌の傷に触れてしまい、悠良は思わず痛みに体を引いた。彼は目を伏せ、ようやく悠良の掌の傷に気づいた。先ほどまで冷たかった声が少し柔らかくなった。「俺が押したときに、つけた傷......?」「平気よ」悠良は身体を引いて、彼の掌から手を引こうとした。「見せてみろ。痛いか?俺が吹いてやるよ」史弥は悠良の手を丁寧に包み、腰を屈めて傷に息を吹きかけた。悠良は彼の黒く乱れた髪を見下ろしながら思った。かつてはこの人にどれほど親しみを感じていたことか。けれど今、目の前にいるのはまるで別人のように感じられる。史弥の温かい吐息が傷口にかかる。その感触は確かに優しかった。でも、痛みのピークはもうとっくに過ぎていた。一番痛かった時、彼女はもう一人で耐え抜いていたのだ。今さらの謝罪と慰めに、何の意味があるというのだろう。悠良は唇をきつく結び、無理やり手を引き抜いた。「本当に大丈夫。ただの擦り傷だから」史弥の墨のように深い瞳は、悠良を心配そうに見つめていた。「しばらくは家でゆっくり休めばいい。玉巳にはもう住む場所を見つけてやった。ここ数日中には引っ越す予定だ」悠良は顔を上げ、しばらくの間声を出せずにいたが
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