All Chapters of 離婚カウントダウン、クズ夫の世話なんて誰がするか!: Chapter 321 - Chapter 330

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第321話

伶の鋭い眼差しは正雄の背中を射抜くように見つめ、その声色はすでに静けさを取り戻していたが、その奥底にはなお冷気が滲んでいた。「悠良の母親には、かつて恩がある。ほかのことなら何だって譲歩できるが、この件だけは、話し合う余地がない」空気は再び、張り詰めた静寂に包まれた。しばしの沈黙のあと、正雄は何度も思案した末にようやく口を開いた。「史弥のことは俺が処理する。とにかく、お前はもうこれ以上首を突っ込むな」そう言い放つと、正雄はバタンと音を立ててオフィスの扉を閉めた。乾いた衝撃音が耳をつんざく。伶の肩がわずかに震え、唇の端が冷笑めいた弧を描く。「年のわりに、ドア閉める力はまだまだ健在だな」史弥の元へ正雄から電話が入り、彼は反射的に問いかけた。「そちらの件はもう片付いたんですか?伶さんはもう手を引くんですよね?」「もう話はつけた。だが前提として、お前は今すぐこの件を鎮めろ。悠良に不利な噂はすべて消させるんだ。会社のことは......自分で何とかしろ」史弥は思わず声を荒げた。「どうしてです?伶さんともう話し合いは済んだんじゃ......まさか折れなかった?それとも、本当に悠良と......」「黙れ!お前がしでかしたことの尻拭いを、誰がしてやってると思ってるんだ!」正雄は伶の前で飲み込んだ苛立ちを、ここで一気に史弥にぶつけた。伶は元来、誰よりも手強い相手だ。普段は彼が求めることには応じるが、この件に関してだけは絶対に譲らない。それが悠良本人のためなのか、それとも彼女の母の恩義ゆえなのか、正雄にもわからない。だがもし、それが前者だとしたら......正雄の老いた瞳が、わずかに陰りを帯びた。それは白川家にとって、半ば破滅を意味していた。史弥にしてみれば、今さら引くことなどできない。会社にはまだ山のように後始末が残っており、ネット上での暴露がなければ、とっくに世間の罵声に押し潰されていたはずだ。「伯父さん、わかってるでしょう?この世論がなきゃ、俺一人じゃネットの噂に太刀打ちできない。会社は白川家全員の血と汗の結晶なんです。このまま潰れてもいいって、本気で思ってるんですか?」正雄は息が詰まり、怒りと焦燥のまま吐き捨てた。「俺が知らないとでも?伶の性格は鋼鉄みたいなもんだ。お
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第322話

「雪江さんと莉子さん、二人だけです」史弥は最初、使用人に適当に追い返させようとした。だがすぐに考え直した。悠良の件を片付けない限り、彼の頭上には常に剣がぶら下がっているも同然。いずれは自分に降りかかる問題だ。苛立たしげに手を振った。「とりあえず通せ」ちょうどその頃、琴乃と玉巳が二階から降りてきた。おとなしく可愛らしい玉巳の様子は、琴乃の好感を一身に受けていた。「玉巳ちゃん、安心してここに住めばいいわ。私と史弥がいるんだから、怖がることがないのよ。それに悠良だって、まだ戻ってきていないじゃない」玉巳はおずおずと尋ねる。「おばさん......もし悠良さんが帰ってきたら、私、すぐに出て行くから!」琴乃はその言葉に、途端に顔をしかめた。「何を馬鹿なこと言ってるの。悠良が戻ってきたって何になるのよ。彼女はとっくに史弥と離婚するつもりだった。今じゃそれが世間に知れ渡ってるんだから、戻ったとしても離婚届を出すだけよ」「本当にいいんですか.....?」玉巳は頬を赤らめ、唇を噛みしめながら小さく尋ねた。琴乃は再び彼女の手を軽く叩いた。「ええ。心配しなくていいわ」そのとき史弥が声をかけた。「母さん、小林家の人間が来た」玉巳と琴乃が階段を下りてくるのを見て、史弥は低い声で告げる。琴乃は小林家と聞いた途端、先ほどまでの笑顔を引っ込め、顔色を一変させた。「小林家の連中も暇ね。うちに何しに来たのよ」言い終わるか終わらないうちに、莉子と雪江が部屋へ入ってきた。数人が腰を下ろすと、雪江は遠回しな言葉を避け、単刀直入に切り出した。「史弥、悠良は何だかんだ言ってもまだあなたの妻よ。今こうして彼女を放っておくのは、いくらなんでも筋が通らないんじゃない?」雪江は元々愛人から成り上がった女だ。男と女の関係など、一目見れば察しがつく。さきほど部屋に入った瞬間、玉巳の存在で全てを理解した。史弥が口を開く前に、琴乃が反論した。「それは違うわよ。玉巳ちゃんは私が招いた客人。うちの息子はそっちの娘にあれだけ尽くしたのに、結局娘さんのほうがどうしたの?離婚協議書を置いて、失踪したじゃないの!」「離婚するつもりなら、とっくにすればよかったのに、いまさら何を隠れてるのよ」雪江は琴乃と無駄な言い
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第323話

雪江はあまりに露骨な問いかけに、表情を曇らせた。そのとき、莉子が口を挟む。「おばさん、正直言って、姉婿が外で誰と付き合っていたかなんて、私たちはとっくにわかっています。お姉ちゃんが今いない以上、この件もそろそろ決着をつけるべきじゃないですか?うっかりこの石川さんと姉婿の関係が世間に知られたら、やっと落ち着いた世論がまた大騒ぎになるかもしれませんよ」琴乃は突然、机をバンと叩いた。表情は険しく、かすかに怒りが滲む。「あなた、私を脅してるの?」雪江はにこやかに笑いながら言った。「脅すなんて......ただの補償よ。悠良はこの何年か子どもを産まなかったとはいえ、史弥と七年も一緒に暮らしてきた。なのにこんな幕引きじゃ......もし本当に何かあったら、このお金で、メディアだって白川家が悠良に対して義理を果たしたって思うんじゃない?そうすれば、後々余計な口を挟まれずに済むわ」琴乃の顔の筋肉がぴくぴくと引きつる。これではまるで恐喝だ。だが、今の白川家の立場では強く出るわけにもいかない。小林家が何かを暴露すれば、再び白川家は窮地に立たされる。だが、1億円......1千万じゃあるまいし。琴乃は少しでも減額しようと、茶碗の蓋を指先で弄びながら、淡々と口を開いた。「問題を解決したい気持ちはお互い同じだけど、1億円はさすがに多すぎるわ。2千万でどうかしら?」雪江は冷笑した。「今回の件、白川家の損失は1億円どころじゃないでしょ?」「人が落ち目のときに追い打ちかけるのね!前から言ってたでしょう、あの娘は疫病神だって。誰が娶っても、その家は不幸になるのよ!」琴乃は怒りで体を震わせ、今すぐ使用人に二人を追い出させたくなった。そのとき、玉巳が口を開いた。「お金が欲しいなら、はっきりそう言えばいいのに......悠良さんを口実にするなんて、小林家がこんな汚い真似をするとは思わなかったわ」莉子は悠良が嫌いだったが、それ以上に玉巳が気に入らない。玉巳が史弥と悠良の関係に割り込まなければ、悠良は伶と関わることもなかっただろう。それどころか、今ごろ伶と莉子が一緒になっていたかもしれない。莉子はすぐさま玉巳に噛みついた。「石川さんはまだ白川家の嫁じゃないでしょう?名分すらないのに、こ
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第324話

今見る限り、目の前のこの一見無害そうな女――実はなかなかのやり手で、見かけほど単純じゃない。史弥の切れ長の目が、莉子と雪江を一瞥する。「6千万だ。それでダメなら勝手にしろ。それに、今ネットで露出している悠良と寒河江、さらには西垣の件......小林家だって無傷じゃ済まないだろう?」琴乃も続けた。「そうよ。コメント見てないの?」雪江と莉子は目を合わせる。史弥の言うとおり、悠良の現状のせいで小林家の株も影響を受けている。それで孝之が、白川家と相談して何かしら打開策がないかと二人を寄こしたのだ。だが、悠良のことなど二人にとってどうでもいい。むしろこの機会に少しでも多く金を引き出したほうが得だ。莉子は小声で雪江に囁いた。「もういいよ、お母さん。1億円は確かに多すぎるし、姉婿を怒らせて一銭ももらえなかったらどうしようもないし」雪江は莉子の腕を軽く叩き、わかっているというように頷く。二人で相談を終えると、雪江はわざとらしく咳払いをした。「家族同士なんだし、6千万でいいわ」そう言ってバッグからカードを取り出し、テーブルに置く。「このカードに直接振り込んでちょうだい」言い終えると、二人はそのまま白川家の門を後にした。琴乃は外まで出て、二人の背中が遠ざかるのを見送りながら、思わず地面に唾を吐き捨てた。「何なの、あの人たち!普段は一番悠良を嫌ってたくせに、今さら親戚面して金をせびりに来るなんて、恥知らずにもほどがあるわ!悠良も可哀そうだわ。あんな家族を持ったばっかりに、行方不明になってもなお、まだ解放してもらえないなんて」史弥はその言葉を聞き、自分のしたことを思い出して胸が詰まる。胸の奥が綿で塞がれたように苦しかった。苛立ちながら琴乃の背中を見つめ、低く言う。「もうやめろよ、母さん。俺たちだって、あいつらと大して変わらない。この金は......悠良への補償だと思えばいい」莉子と雪江が車に乗り込むと、ほどなく雪江のスマホが鳴った。彼女はカードの残高を確認し、顔に喜色を浮かべる。「へぇ、史弥って、意外と気前いいじゃない」莉子は不安げな表情を見せた。「でもお母さん、お金を手に入れたのはいいけど......お父さんにはどう説明するの?」雪江も考え込み、眉間に皺を寄せる
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第325話

莉子は少し考えた末、ようやく頷いた。「......わかった」雪江は莉子の手を取り、さらに尋ねる。「悠良に薬を盛らせた件、あの人はまだ見つかってないの?」莉子はため息をついた。「まったく消息がないの」雪江の眉目にはわずかな憂色が差す。「もし死んでいるならまだいいけど......生きていたら、それこそ火種になるわ」莉子は母を宥めた。「心配しないで。悠良がまだ生きてるなら、戻らないわけないでしょ?それに、たとえ生きてても、こんな状況じゃ戻る勇気なんてないわよ。雲城のネット民たちが私たちの代わり罵ってくれる」莉子の言葉に、雪江の焦りはすっかり鎮まり、安堵の笑みを浮かべた。「そうれもそうね」日々が過ぎ去る。悠良はまるで蒸発したかのように、人々の視界から完全に消えた。だが、彼女の失踪についての憶測は、ネット上でいまだ盛んに飛び交っている。失踪したのか、それとも誰かに殺されたのか――名声は地に落ち、史弥は正雄の言葉に従い、悠良に関する一部のトレンドを削除した。もちろん、それは史弥ひとりの力ではなく、正雄の後押しもあってのことだった。だがその代償として、白川家は大きな動きを余儀なくされた。もっとも、雲城の人々は知らない。白川家と伶が本来同じ家系であることを。ただ伶がそれを認めようとしないだけなのだ。史弥は長年、悠良の行方を探し続けた。そして伶もまた、ほぼ全国を巡り歩いた。同時に、彼の努力によって会社はますます巨大に成長していた。A国・ロイヤルホテル。伶は床から天井までの大窓の前に立ち、骨ばった指先でペンをくるりと回していた。男の眉目は深く、肩幅は広く腰は引き締まり、長身の肢体は凛としている。端正な顔立ちに加え、その一挙一動からは、生まれながらの気品が滲み出ていた。光紀が扉を押し開け、部屋に入る。「寒河江社長、調べましたが......あの人は小林さんではありませんでした」伶の指がペンを回す動きを止め、墨色の瞳がわずかに翳る。「ご苦労」光紀は黙ったまま立ち尽くした。伶は手にした、悠良と交わした当時の契約書をじっと見つめる。紙は時の経過で黄ばみ、角はすっかり擦り切れている。何度も繰り返し開かれた痕跡がそこにあった。しばし沈黙ののち、伶はま
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第326話

伶の署名する手が一瞬止まり、鋭い視線が光紀を射抜いた。光紀はびくりと首をすくめ、思わず後ずさる。彼の漆黒の瞳は冷ややかな光を帯び、切れ長の目尻は描かれたかのように美しい。その孤高な気配に、光紀はもう何も言えなかった。寒河江社長が口に出さずとも、心の奥底では小林さんを思い続けていることを光紀は知っていた。この数年、全国を飛び回っているのは表向きは事業拡大のため。だが実際には、小林さんを探すためでもある。小林さんに関する噂を耳にするや否や、彼は必ずその場へ飛んでいった。そして、何度も落胆してきたのだ。それが小林さんの母のためなのか、それとも別の理由なのか、光紀にも分からない。寒河江社長という男は、心の内を決して明かさない。長年そばに仕えてきた自分でさえ、その胸の裡を容易に測れはしなかった。光紀は部屋を出る前、机の上の契約書に目を落とした。それは寒河江社長と悠良が交わしたもの。静かにため息をつき、そのまま部屋を後にした。五年後。雲城で重大なニュースが流れ、瞬く間にトレンドに躍り出た。孝之が病に倒れ、命の危機に瀕しているというのだ。余命は長くない。そして孝之が生前に抱く最後の願いは、小林家の長女・悠良に会うこと。だが、あれから何年も経ち、悠良はまるで蒸発したかのように行方不明。生死すらわからない。孝之は、このまま娘を待ちながら息を引き取るのだろうか――そんな言葉が、ネットのトレンドに踊った。――孝之の病室前。雪江と莉子は病床に寄り添う。孝之の顔は蒼白で、全身が憔悴しきっている。手術室から出たばかりで、いまだ意識は戻らない。それでも、口から洩れるのは悠良の名ばかりだった。莉子は思わず唇を歪める。「......ほんと、お父さんは何考えてるのよ。こんな時まで悠良、悠良って......あの子、お父さんに何か魔法でもかけたの?」雪江も、長年行方不明の悠良をここまで気にかける孝之に、やり場のない苛立ちを覚えていた。全部、春代のせいだ。「あなたもあなたよ。あれだけ苦労して寒河江と縁を結ばせたのに、悠良がいなくなった今、障害なんてもう無いじゃない。なんでまだ落とせてないの?」伶の名を出され、莉子の表情は一気にしぼむ。「言うのは簡単だけど。あの寒河江
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第327話

「遺産は当然、私と弟のものよ。でも弟はまだ小さいし、当面は私が管理して、将来大きくなったら会社は自然と弟のものになるわ」雪江は笑みを浮かべたまま言った。「それは駄目よ。弟は年齢こそ小さいけど、小林家唯一の息子なの。あなたは娘だし、いずれは嫁いでいく身。寒河江を落とせなくても、雲城のどこかの名家に嫁げばいいじゃない。お嬢様として幸せに暮らせるのに、わざわざ弟と取り合う必要なんてある?」莉子はとっくに分かっていた。雪江は普段こそ自分に優しいが、利益が絡めば守るのは結局息子であり、自分ではないことを。「お父さんがあんなに悠良を愛してたの、知らないの?どうせ、遺産を私たちに残すわけないに決まってる」その言葉に、雪江の笑みはぴたりと凍りついた。「それ、どういう意味?」「お父さんはもう、会社の三十パーセントの株を悠良に渡してるの。それだけじゃない、大金を使って分社まで作ってあげて、その名前が『ユラ』。想像もしてなかったでしょ?そのお金、私たちには一銭も入らないの」雪江は思わず椅子から立ち上がった。「何ですって?!あの人、頭がおかしいじゃないの?悠良なんてそもそも実の娘じゃないのに、なんで財産を渡すのよ!」莉子は深くため息をつく。「そうよね。でも仕方ないよ。だから、お母さんと私がここで揉めたって意味ないの。そんな暇があるなら、どうするか考えるべきよ」雪江の視線は、命の火が消えかけた孝之に落ちた。「なら、もうやるしかないわね。どうせ彼はも長くはないんだし、遺言を改ざんして署名させればいいだけじゃない!」莉子は冷ややかに横目をやった。「どう分けるつもり?また全部弟にやるつもりなら、私は協力しないわよ」雪江も、ここまで来てはもう引けなかった。莉子と手を組まなければ、誰も何も手にできない。彼女は莉子の肩に軽く手を置き、声を落とした。「大丈夫。ちゃんと準備してあるわ」バッグから取り出されたのは、すでに用意された遺言状だった。莉子は驚きに目を見開く。「もう準備してたの!?」「こういうことは用心するに越したことないのよ。本来なら、公平にしてくれるならここまでしなかった。けど......死んだか生きてるかも分からない悠良をまだ気にしてるんだから......もう、夫婦の情なんて捨てるわ」莉子
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第328話

この時、莉子がペンを持って戻ってくると、雪江はそれを受け取り、用意していた遺言状を取り出した。「孝之、秘書が言ってたわ。会社の方で緊急に署名が必要な書類があるの。孝之の署名がないと資金が下りないんですって」孝之は口元を押さえ、軽く咳き込みながら言った。「持って......きなさい、署名する」雪江はペンと遺言状を渡し、最後のページを開いて差し出した。孝之は署名しようとしたが、何かに気づき、勢いよく紙を払いのけた。「お前たち......俺を騙す気か!これは......これは会社の書類じゃない、遺言状だ!俺に署名させて、小林家の財産を横取するつもりだろう!」莉子の顔色は一瞬で真っ青になった。孝之がここまで衰弱していても、まだこれほど頭が冴えているとは思わなかったのだ。雪江はもう取り繕うことなく、直球で言い放った。「どうせあなたの命はもう長くない。この遺言状、今日絶対に署名させるわ。悠良なんてもういないのに、なんでまだ彼女にこだわるの?私や息子、それに莉子のことはどうでもいいの?」孝之の顔色は怒りで青紫に変わった。「分け前は......ちゃんとやったろう!そこまでしなくても......とにかく、悠良の分は......彼女が戻らなくても、必ず残しておく!」「頭おかしいんじゃないの?悠良はもうとっくに死んでるかもしれないのよ!死んだ人間に金を残してどうするの!」雪江は心底、孝之の思考を理解できなかった。悠良が消えてから、彼は酒に溺れ、毎日春代に謝り続けていた。悠良は実の娘でもない。ただ長年育てただけなのに、どうしてここまで執着するのか......孝之は全身の力を振り絞って言った。「これは小林家の金だ......女は口出しするな。遺言はもう書いてある、お前らが嫌でも関係ない......」そう言い終えると、孝之は力尽き、再びベッドに倒れ込んだ。雪江もついに仮面を脱ぎ捨て、声を荒げた。「そんなにその小娘に金をやりたいなら、こっちだって夫婦の情なんか捨ててやるわ!」そして呆然と立ち尽くす莉子に怒鳴った。「何してるの!早く来て、こいつの手を押さえて署名させなさい!」莉子は震える手で孝之に近づき、起こそうとした。「莉子......お前まで、か?」孝之の怒りの目が莉子を射抜く。莉子
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第329話

病室の中にいた莉子と雪江は、その声を聞いた瞬間、背筋が凍りつき、手の動きも止まった。孝之は病室の入口に立つ人物を見て、瞳孔を震わせた。莉子と雪江はぎこちなく首を回し、互いに顔を見合わせる。「い、今の......聞こえた?」莉子の声は震えていた。雪江の顔は青ざめ、声も震えている。「り、莉子も?」そして二人同時に、まるで幽霊でも見たかのように入口を振り向いた。莉子は震える指で入口の人影を指差した。「そんな......そんなはずない......!」雪江はさらに取り乱し、声を荒げる。「悠良......?!どうして......死んだはずじゃ......?」こんなにも長い年月が経っているのに、まだ生きているなんて......!だが、二人とも同じ姿を目にしている以上、それが幻覚ではないことは明らかだった。悠良はハイヒールの音を響かせながら病室に入ってきた。グレーのスーツに身を包み、その姿は凛として洗練されており、黄色味のあるミディアムの巻き髪が精緻な顔立ちをさらに際立たせ、まるで別人のように気品と冷ややかな圧迫感を漂わせていた。彼女は口元を皮肉げに歪め、氷のような冷たい視線を向ける。「私が死んだ方が都合がよかったみたいね。でも残念......期待に添えなくて悪かったわ」莉子と雪江の前を通り過ぎ、孝之のベッドに歩み寄ると、その表情の冷たさは一転し、わずかに柔らかな色を帯びた。「お父さん......心配かけてごめんなさい」孝之は悠良の姿を見るなり、目に涙を浮かべ、震える手を必死に伸ばして彼女の手を握り締めた。その眼差しには、言葉以上の想いが詰まっていた。莉子は動揺し、瞳を震わせながら悠良の背中を見つめ、肩を小刻みに震わせた。「ど、どうして......どうして生きてるの......?」孝之は興奮し、さらに手を伸ばそうとする。悠良は彼の手をそっと叩き、落ち着かせるように合図したあと、莉子の方へ振り向いた。「あの時、私が殺されたと思った?」本来なら、あの時死んでいたはずだった。毒がゆっくり体に流し込まれるその瞬間――おそらく神様が、前世であまりにも報われなかった自分に、もう一度生きる機会を与えたのだろう。莉子の唇は震え、目の前の光景を信じられず、心の中には疑念が渦
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第330話

悠良にはどうしても理解できなかった。自分が出て行ったとき、孝之の体はまだ元気だったのに、たった数年で、まるで別人のように憔悴しきってしまっているなんて。それとも......雪江が彼にひどい扱いをしたのだろうか?そのとき、医師が補足するように言った。「この状態は、何か心に引っかかっていることがあるからでしょう。うちの看護師から聞いた話ですが、以前、彼が救急搬送されたとき、口の中でずっと『悠良』という名前を呼んでいたそうです。おそらく、その悠良という方が彼の心のしこりなんでしょうね」その『悠良』というのは......あなた方のお母様ですか?」悠良は医師の言葉に一瞬きまり悪そうな表情を浮かべた。「......違います」「そうですか......まあ、今のところ命は取り留めましたが、依然として予断を許さない状態です。心の準備をしておいたほうがいいでしょう」悠良は諦めきれず、わずかな希望を抱いて尋ねた。「ほかに方法は......ないんですか?」「今のところは......」「ありがとうございます」悠良はそれ以上言わず、別の医師に連絡を取ろうと電話をかけに廊下へ向かった。俯きながらスマホを手に歩いていたせいで、前方の人にぶつかってしまう。「すみません......」「......小林さん?」相手の声には驚きと半信半疑の色が混じっていた。悠良が顔を上げると、そこにいたのは有澤旭陽だった。病院で知り合いに会うとは思わず、少し驚きながらも礼儀正しく挨拶する。「有澤先生、お久しぶりです」旭陽も、当時の悠良の件を耳にしていた。世間では彼女が行方不明になり、男と逃げたという噂が流れていた。彼自身は悠良と数えるほどしか会ったことがなかったが、どうしてもそんな人間には思えなかった。もう一つの噂は――彼女は植物状態のまま亡くなった、というもの。旭陽は驚きのあまり、しばらく言葉が出なかった。「......生きていたのですか」悠良はわずかに頷き、その瞳は澄み切っていた。「ええ。ちゃんと生きています」「でも、この数年は......なぜ――」「有澤先生、父の容態が急を要しますので、先に失礼します」悠良には、今は当時の経緯を説明する余裕などなかった。去ろうとしたそのとき、旭陽が再び呼び
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