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第330話

Author: ちょうもも
悠良にはどうしても理解できなかった。

自分が出て行ったとき、孝之の体はまだ元気だったのに、たった数年で、まるで別人のように憔悴しきってしまっているなんて。

それとも......雪江が彼にひどい扱いをしたのだろうか?

そのとき、医師が補足するように言った。

「この状態は、何か心に引っかかっていることがあるからでしょう。うちの看護師から聞いた話ですが、以前、彼が救急搬送されたとき、口の中でずっと『悠良』という名前を呼んでいたそうです。おそらく、その悠良という方が彼の心のしこりなんでしょうね」

その『悠良』というのは......あなた方のお母様ですか?」

悠良は医師の言葉に一瞬きまり悪そうな表情を浮かべた。

「......違います」

「そうですか......まあ、今のところ命は取り留めましたが、依然として予断を許さない状態です。心の準備をしておいたほうがいいでしょう」

悠良は諦めきれず、わずかな希望を抱いて尋ねた。

「ほかに方法は......ないんですか?」

「今のところは......」

「ありがとうございます」

悠良はそれ以上言わず、別の医師に連絡を取ろうと電話をかけに廊下へ向かった。

俯きながらスマホを手に歩いていたせいで、前方の人にぶつかってしまう。

「すみません......」

「......小林さん?」

相手の声には驚きと半信半疑の色が混じっていた。

悠良が顔を上げると、そこにいたのは有澤旭陽だった。

病院で知り合いに会うとは思わず、少し驚きながらも礼儀正しく挨拶する。

「有澤先生、お久しぶりです」

旭陽も、当時の悠良の件を耳にしていた。

世間では彼女が行方不明になり、男と逃げたという噂が流れていた。

彼自身は悠良と数えるほどしか会ったことがなかったが、どうしてもそんな人間には思えなかった。

もう一つの噂は――彼女は植物状態のまま亡くなった、というもの。

旭陽は驚きのあまり、しばらく言葉が出なかった。

「......生きていたのですか」

悠良はわずかに頷き、その瞳は澄み切っていた。

「ええ。ちゃんと生きています」

「でも、この数年は......なぜ――」

「有澤先生、父の容態が急を要しますので、先に失礼します」

悠良には、今は当時の経緯を説明する余裕などなかった。

去ろうとしたそのとき、旭陽が再び呼び
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