All Chapters of 雪桜婚〜すべてはスマホ間違いから始まった〜: Chapter 21 - Chapter 30

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第21話

「あ、あのそれで治療費と、ここの個室料金はいくらですか?」 私は光太郎の返事が待ちきれない。 たぶん治療費は入っている保険でどうにかなるだろうが、このオプション的な特別個室料金は、保険では賄《まかな》えない。 確実に自腹だ。たった今、会社を辞めることにした人間にはきつい。 「ああ。ここのお金は要らないよ。体調が悪い中、龍太郎に連れ回されたんでしょ? そう聞いてるけど……。自分のせいだって」 光太郎の返事は意外なものだった。 龍太郎は自分のせいだと思ったらしい。 「いや、それは違います。私に原因がありますから、入院費用は自分で払います。保険がある程度はきくと思うし……」 「え~、でも龍太郎がねぇ、自分で払うって言ってるし……。どうしても払いたいなら、龍太郎に払えばいいんじゃない? 僕はどっちでもかまわないから」 龍太郎、どうしてそこまで……。 日頃から、自己管理ができてなかった私の責任だよ。 「それでさ、過労になりそうな原因は? 思い当たることがあるかなぁ? 過労も甘く見てると命を落とすからね」 命……。光太郎の言葉は私の胸に刺さった。 「まぁその……プライベートで色々あって悩んで、それが仕事にも影響を与えて、悪循環を生んでしまったんです。最近夜勤の後も、ぜんぜん寝れてなくて……」 「そうかぁ。悪循環かぁ。う~ん……」 光太郎は腕組みしながら、考え事をしている。モデルみたいに奇麗な肌だ。 「なら、もういっそ、夜勤のない仕事に変えて、環境を整えるようにした方がいいね。なんてったって身体が一番だし」 光太郎はあっけらかんと言い放った。 「そうですね。夜勤のある仕事はさっき辞めました。私も自分の生活を見直してみます」 さすがに左遷《させん》のことは言えない。自分が悪いのはわかってるけど、これ以上、惨《みじ》めになりたくない。 「あ、そうなんだ。いいんじゃない、まぁ人生色々あるし。英断だと僕は思うよ」 光太郎はけろりと言葉にする。 「これからは自分の体をもっと大切にします。はい」 このひとと龍太郎、性格、ぜんぜん似てないな。龍太郎はこんな感じじゃないもんな。なんていうか、口下手な部分があるっていうか……。 「それで、次の仕事は? なにか当てがあるの?」 光太郎はなにか含んだ言い方をしてきた。 「
last updateLast Updated : 2025-06-17
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第22話

結局、プリンを二つとお饅頭を食べた私はお腹がパンパンになり、罪悪感に駆られながらも、横になりたい衝動に抗うことができず、ベッドに寝転がり、入院のしおりを見ていた。 ……ふ~ん、ここって19床しかないんだ……。そうだよなぁ、クリニックって言ってたしなぁ。 この部屋から一歩も出ていなかったため、外観もわからなかったが、入院のしおりの表紙の写真はクリニックっていうより、真っ白で洋風な建物……まるでリゾートホテルみたいだ。 なになに……。 『まるで高級ホテルにいるかのような贅沢時間——。テラスで美しい花を眺め、美味しいご飯とゆったりとした時間を楽しみながら、治療をしませんか?』 ……謳《うた》い文句がすごいな。 私はパラパラとしおりを捲《めく》る。待合室も豪華だなぁ。これ? 本当にクリニックか? 照明もソファも、まるで超高級ホテルのロビーじゃないか。 しおりにはシェフが料理をする姿や、豪華で煌びやかな食事、天然温泉、ゴージャスな部屋、たくさん花が植えられたテラスのような空間が載っている。 セレブ病院が存在するってのは聞いたことがあるけど、本当にあったんだ……。 なになに……。 『私たちのクリニックは、全室が特別室。ニーズに合ったお部屋を提供します。美味しいお食事を食べながら、スタッフと楽しく治療をしていきましょう』 全室が特別室?? ここが特別じゃなかったんだ! ヒッ!!! 私は部屋の料金と食事料金、その他の料金を見て、私は鳩が龍太郎《まおう》に睨《にら》みつけられたみたいな顔になった。 なななんちゅう、料金だ!! こんなの払えない! とんでもないセレブ病院だ。 ここに一週間も入院するのか……? ウソでしょ……。 私は自分の入院費用をスマホで簡単に計算した。実際はもっとかかるはずだ。 自分の顔の色がどんどんなくなるのを感じた。 どどど、どうしよう。こんなとんでもない特別料金を、私は龍太郎に払ってもらうのか? それはできない。できるわけがない。 彼は家族でもない。他人だ。……でも、ここに連れてきたのもあいつだ。 私は葛藤《かっとう》を繰り返した。 一旦は龍太郎に払ってもらって、分割で返す。分割なら払える額だ。なんとかなる。 私は盛大なため息をついた。もうしおりもあまり見たくないが、ここ
last updateLast Updated : 2025-06-18
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第23話

私は大きく息を吐いて、気持ちを切り替える。お風呂を溜めようと立ち上がった。 先ほどひと通り、スタッフの方から入浴に関しての説明は受けている。 お湯は自分で溜めても、スタッフを呼んでもどちらでも構わないとのことだった。 寮は光熱費は自腹だったから、いつもシャワーで済ましていて、とにかく節約生活だった。 自分しか入らないのにお湯を張るなんて、贅沢すぎる。 今日はしっかり湯船に浸かりたいなぁ……。溜まった疲れを取りたい。 私は個人宅のようなお風呂を想像していたんだけど、想像以上に大きなお風呂に歓喜の声をあげた。 二人でも入れそうな大きさだったのには驚いた。 その上、なんとジャグジーまであるらしい。 シャンプーや、リンス、ボディソープにトリートメントまで置いてあった。 タオルや、アメニティグッズも揃《そろ》っていた。 な~んにも心配いらない。 さすが高級ホテルだなぁ……。いや、違った。ここはクリニックだった。 ホテルと唯一違うのはあちこちに、ナースコールボタンがあるところぐらいか? 私はお風呂に栓をして、お湯張りボタンを押す。 そうだ! 着替え! 龍太郎がわざわざ準備してくれてたんだよね。 あいつ、変なところで気が利くよね……。でも足りるかなぁ? そもそも女性が必要なものって、あいつわかるの? 私は先ほど、光太郎から受け取った紙袋を持ってきて、ベッドの上に中身を出した。 たくさんの衣類やらが所狭《ところせま》しと飛び出した。 龍太郎のことだから、高いものを買ってきたんじゃないかと不安になったけど、ヨニクロの肌着が数枚に、ルームウェアが二枚入っていた。 靴下、洗顔などは有印だった。有印の洗顔や化粧水はとてもありがたかった。 愛用品だ。 あれぇ? 意外に庶民的だな……。龍太郎もこういう店で買い物をするのか……へぇ。 このぶんもきちんと龍太郎に支払いしなきゃな。 でも、下着がさっきから見当たらないんですけど? その時、私の視界にヨニクロでも有印でもない、可愛くラッピングされている袋が目に入った。 赤いリボンで奇麗にそれは特別に包装されていた。 え、なにかな……? いやな予感がした……。 リボンをほどいて、私は中身を確認した。その予感は見事に的中した。
last updateLast Updated : 2025-06-18
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第24話

私が顔を洗っていると、ドアをノックをする音が聞こえたので『はい』と返事をすると、髪をおさげにした可愛らしいスタッフが病室に入ってきた。 「鈴山さぁん。おはようございま~す。スタッフの山路《やまじ》と言いま~す。朝ご飯の前に、体重を測ってもいいですかぁ?」 元気だが、間延びしたような話し方をする女性だった。歳の頃は自分と、そう変わらないように見えた。 体重かぁ……。 痩せたから昔よりは怖い存在ではないが、体重計と聞いて喜ぶ女性は、この世界にほとんど存在しないだろう。 「……はい。四十三キロですね」 体重を山路さんが読み上げる。私はゆっくり体重計から降りた。 ……うわぁ。思ったより痩せてる……。大人になってからは、一度も見たことのない数字だった。 私は自分の体重を知って驚愕していた。絢斗と付き合っていた頃はどんなに痩せても、四十六キロだった。 どうりでブラジャーもサイズダウンしたわけだ……。 無理やり使っている矯正下着は、先月サイズが合っていないと、定期的に通っている矯正下着のお店のスタッフに言われたばかりだ。 だが、買い替える余裕などない。あるはずがない。 正直、矯正下着の意味を成していないと思っているが、じきに体重も戻るだろうという、希望的観測を抱《いだ》いている。 「鈴山さぁん、今日は朝ご飯の後、光太郎先生が回診に来られます~。その後、私と少しテラスを散歩しませんかぁ?」 山路さんが体重計を片付けながら尋ねてきた。 「ああ。はい。行きます」 少し外の空気を吸いたいと思っていたから、ちょうど良かった。 「なら、また後で迎えにきますねぇ。テラスの散歩は病衣のままでかまいませんが、なにか羽織るものがあった方がいいかもしれません。もし、お持ちでないなら、その時はこちらでお貸しすることもできますので、遠慮なく、おっしゃってくださいね」 山路さんは看護師の白衣とは違い、動きやすそうな紺色のユニフォームを着ていた。 違う職種なのかもしれないと思い、山路さんに尋ねてみた。 「山路さんは看護師さんではないんですか?」 「ああ、私は違いますよ。ここの助手です。……ていっても、今月いっぱいで退職するんですが」 「そうなんですね」 「ええ、主人の転勤が決まりまして、ついていくんです。お仕事はやめたくなかったんで
last updateLast Updated : 2025-06-19
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第25話

「ど、どうしたの? その顔……、はは、きっと龍太郎がなにかしたんだね。あのさ、こんなことを言うのも失礼かもしれないけど、鈴山さんって、大人しそうだけど、実はそうじゃなくて、本当はもっと色々なことを考えていそうっていうか、明るい子だと思うんだよね」 光太郎が私の顔を見て微笑した。 「え?」 龍太郎のことで顔に色々出ていたのかもしれない。たしかに口に出せないぶん、私は頭の中で好き勝手考えている。 「いや、悪い意味じゃなくて、もっと自分を出したほうがいいんじゃないかって……。もちろん今が悪いって意味じゃないよ」 「……自分を出す?」 私は聞き返した。初めて言われた言葉だ。 「そう、そのほうが鈴山さんも楽なんじゃない? 今回の過労も、きっといろんなことの積み重ねだと思うよ。言いたいことを我慢しちゃうタイプかな」 光太郎にそう言われると、認めたくない自分と、認めざるを得ない自分がいる。 そう、私は自分がキライだ。自分が大好きな人間が羨ましい。どうしたらそうなれるのかが知りたい。 本当はもっと言いたいことが言えるようになりたいし、笑顔で話ができるようになりたい。 もう少し、強い自分になりたい……! 優しい自分になりたい……! 「今日は山路さんと、このクリニックを散歩してみて。きっと今までとは違う景色が見えると思うよ」 光太郎は快活で自信のある言い方だった。 いろんな患者さんをみて、このひと自身もきっと、色々なことを学んでいるのだと私は感じた。 *** 部屋でテレビを見ていると、山路さんがやってきて、私は彼女と散歩に出た。 散歩中は龍太郎がプレゼントしてくれた、黒のストールを羽織って歩いた。 それはなんとも優しい肌触りで、思わず頬ずりしたくなるような上等なものだった。 「わぁぁ、そのストール、素敵ですね。色が白い鈴山さんにお似合いです~」 山路さんに褒められて満更《まんざら》でもなかった。 私は病衣にスニーカーという姿で、山路さんと一緒にクリニックの廊下を歩く。 廊下にはたくさんのひとがいた。 懸命に掃除をする年配の女性たち、若い看護師さんと一緒に歩行する男性の患者さん、山路さんと同じ制服《ユニフォーム》の女性たちがシーツを運んでいた。 ここでもたくさんのひとが、様々な仕事をしている。 特に
last updateLast Updated : 2025-06-19
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第26話

……なんだ、龍太郎、やっぱモテんじゃん。私はなんだか面白くなかった。 「鈴山さん、真剣にこの仕事のこと考えてみませんか? 私、この仕事で介護福祉士まで取ったんですよ」 山地さんが私に顔を向けた。幸せオーラが滲み出てる。 「え? そうなんですか。すごいですね」 あんまりよく知らない世界の話だが、介護福祉士の国家試験が難しいのだけは知ってる。なんかのニュースで耳にした。 「あんまり深く考えないで、やってみようかぁ……ぐらいの気持ちでやってみても、いいかもですね。まぁもちろん無理にとは言いませんが、鈴山さん、まだ若いから色々チャレンジするのもいいかもで~す」 山路さんの発言は、私の柔軟性のかけらもない思考に響いた。行動もしないうちから、頭でっかちになりがちなのが私だ。 「……少し考えさせてください」 かといってホイホイ決められるものでもないので、一旦保留で。 「お~い! 山路ちゃん!」 私たちが座っている向かいの席から、山路さんを呼ぶ声がした。 その声の方に視線を移動させると、杖を持った八十代ぐらいの男性が、こちらに満面の笑みを向けて椅子に座っていた。 「あ、こんにちは。椎原《しいはら》さん! もうすっかり元気ですねぇ~!」 山路さんが椎原さんの方に歩いていき、彼の隣にしゃがんで座り、明朗快活な口調で話した。 しゃがんだのは、目線を椎原さんに合わせたようだ。 「本当にありがとうね。また今回も軽い誤嚥性肺炎《ごえんせいはいえん》だったわい。抗生剤でなんとかなったから、よかったものの、年寄りの一人暮らしは不安だらけじゃよ……」 椎原と呼ばれた男性が眉をへの字にして、困った声を出した。 「椎原さん、先生から指導があったと思うんですけど、しっかり噛んで、ゆっくり食べること。食べた後、すぐに横にならないことで予防はできますよ。いざという時はここのクリニックもありますから、大丈夫!!」 山路さんがガッツポーズで椎原さんを励ましていた。 さすが介護のプロだなぁ……と私は思った。 自分もこんなふうになにか、自分だけの特技なるものを見つけたいと、山路さんを見ていてつくづく感じた。 山路さんと話した椎原さんは、すっかり元気になっていた。 「山路さん、すごいですね。あんなにハキハキと話せて……」 私は隣に戻ってきた山
last updateLast Updated : 2025-06-20
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第27話

「……あ、そうなんだ。けいちゃんが機械をみてくれるなら安心だ」 なんでもないことのように、私は声を出した。本心ではない。 ……私は最低なヤツだ。 「でもほら、あんなケチな会社辞められてよかったじゃな~い。ほんとに給料もぜんっぜん上がんないしさぁ、イヤになるよねぇ~」 横からみぃちゃんのフォローが入った。 「そう、ほんと、ほんと」 けいちゃんが合いの手を入れる。 自分が悪いし、もう辞める側の人間が、なんにも言えたことじゃないっていうのはわかってるよ。 でも、今はけいちゃんの声、聞くのがつらい。なんでけいちゃんなんだろ? みぃちゃんだって頑張ってるのに……。 そんな疑問がまとわりつく。つくづく私はイヤな人間だ。 「でもゆっき~、仕事辞めた後、どうするの? 実家帰るの?」 さとちゃんだった。彼女はハッキリものをいう。 「実家には帰らないよ……」 「じゃあ、またこっちで仕事探す感じ? 寮も出なきゃいけないし、キツくない? 大丈夫?」 さとちゃんは現実をみてる。この年で子供もいるのだ。守るべきものがある、きっと私なんかより世間と戦っている。 「なにか手伝えることがあったら手伝うよ」 「うん。寮の片付けとかして欲しいことは、じゃんじゃん言ってよ」 けいちゃんとみぃちゃんだ。気まずいものが声に混じっているのがわかった。 はぁ、気を遣わせてるなぁ……。 彼氏と別れた挙句、体調を壊し、仕事まで辞めることになった。 けいちゃんと、みぃちゃんと、さとちゃんはきっと本気で心配をしてくれてる。 私だってわかってるよ。 ……だけど、これ以上、私……惨めな……、哀れな女になりたくないよ……。 「……実はさ、な、なんともう仕事決まってるんだ。ここのクリニックの院長に誘われてるの!」 そう話をする私はバカだ。見栄っ張りで、嘘つきで……。まだ仕事は決まってないじゃない。 ただ誘われただけで……。 その時、ノックの音と共にすごい勢いでドアが開いた。 「今の話は本当か⁉︎ 雪音!!」 そこにいたのは龍太郎だった。なぜか喜色満面《きしょくまんめん》だった。 うぉぉぉ!! なんつータイミングだぁ!!! よりによって、一番聞かれたくないヤツに聞かれたぁ!!!!! 龍太郎の闖入《ちんにゅう》により、病
last updateLast Updated : 2025-06-20
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第28話

半ば無理やり、バラの花束を渡された私は、色とりどりの花の美しさに心が揺れた。 香りも乙女心をくすぐる。 「か、花瓶あるかなぁ?」 恥ずかしくなって、私は立ち上がった。花瓶を探すふりをする。 ……こんな大きな花束を飾れるような花瓶、あったっけ?? 「雪音、私がするから。ご友人とゆっくりしておいで」 龍太郎が私の隣に立ち、どこからか大きな花瓶をひょいと出してきた。手品みたいだった。 そして私の手から、バラの花束を優しく自分の手に移動させた。 ……な、なんか、準備よすぎないか? 「か、彼氏さん、やっさしい~!」 「ゆっき~、羨ましいぞ~」 三人から冷やかしが飛んできた。 ……あははは。もうなんとでも言っとくれ。 でもまぁ、このバラを私のために買ってきてくれたんだよね。今切りましたと言わんばかりの、元気に咲き誇るバラ……。 私は龍太郎にお礼を言った。 「りゅ、龍太郎、忙しい中、バラを買ってきてくれてありがと……。こんなにたくさん、う、嬉しいよ」 すごく、すっごく恥ずかしい。後ろで三人が聞き耳を立てているのもわかるから。 龍太郎は一瞬、目を瞬かせたけど、嬉しそうにはにかんだ。 「いいよ。このぐらい……。本当はこの部屋一面に花を贈りたかった……」 私は胸がキュンとした。部屋中にお花なんて、ド、ドラマか? それに、りゅ、龍太郎ごときにときめくなんて……。 そもそも、これ、な、なに? これなんの遊びなの? こんな(普通の)龍太郎見せられたら、心がついていかないっていうか、すごく(普通に)ドキドキしちゃうよ……。 「……じゃ、龍太郎、私はあっちに戻るね」 私は龍太郎のところから、みんながいる場所に戻ろうとした。 その時、耳元で龍太郎の本来の魔王《すがた》での声が発せられた。 「……後でご褒美くれる?」 え? お仕置きじゃなくて、ご褒美? な、なにを? 彼は私になにをするの? いや違う。今度は私が彼になんかするの? なにゆえ?? その時、コンコンと部屋をノックする音がした。 「はぁい」と私が返事をすると、紺色のスーツ姿の係長が部屋に入ってきた。 「おお、みんな来てたのか~⁉︎ 僕は····この近くまで仕事で来たから、ついでにね~」 「ちょっとぉ。ついでって。ゆっき~
last updateLast Updated : 2025-06-21
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第29話

「あ~ほんと、ほんと、その飾り方、素敵ですね。あ、もう帰らなくちゃ! 保育園のお迎えだわ」 さとちゃんが立ち上がった。芸術にはまるっきり興味のない主婦の発言だ。 「じゃあ、私も。あんまり長居しちゃ悪いし……」 続けて、みぃちゃんも立ち上がる。 「けいちゃんはどうするの? うちらは帰るけど、まだいるの?」 さとちゃんがけいちゃんに確認する。 「うちは係長に送ってもらおうかなァ。仕事のことも聞きたいし……」 けいちゃんは平然と言ったけど、係長は戸惑った顔をしている。 「それなら係長、お願いします。ゆっき~、またね。会えて良かったよ」 さとちゃんとみぃちゃんが私に声をかけて立ち上がり、部屋のドアノブに手をかけた。 「ふ、二人とも! あ、ありがとう」 私は龍太郎の腕を振り払い、二人の後を追う。 「三年間も一緒に働けて良かったよ。色々あったけど、楽しかった……。今日はほんとにありがとう」 私はそういうのが精一杯だった。声が震える……。 もう同じ時間を共有することはないのだ。 「ゆっき~、落ち着いたら連絡してね。また飲みにでも行こっ!」 優しい声でみぃちゃんが言った。心なしか、彼女も泣いているように見える。 「次こそは幸せになれよ、ゆっき~! 今度は絶対に手放すなよ!」 温かい声援はさとちゃんだった。 「……あ、え、う、うん。今度は頑張るよ……」 いまさら否定もできず、私はとりあえず答えた。 「頑張れ! 雪音!」 「いつまでも友達だよ!!」 二人が私を抱きしめてくれる。その力は強くて、とっても温かい。涙が私の頬を伝う——。 うん、私、頑張るよ……。 二人を見送って部屋に戻ると、窓のそばに龍太郎が立っていた。 「おかえり。良い友達だな」 光に照らされた龍太郎の顔と声は、見たこともないぐらい優しい。 私はなんだか恥ずかしくなって、「そうだね」とだけ言って顔を逸らした。 ……ん? さっきまでいた二人がいない。けいちゃんと係長だ。 「あれ? 係長とけいちゃんは?」 私は疑問に思って尋ねた。 「あの二人なら、今帰ったぞ。どうやら入れ違いになったみたいだな」 そこにはいつもの龍太郎の姿があった。あれ、戻った? 一瞬で?? 龍太郎は私の方にどんどん近づいてくる。その目は宝石のよう
last updateLast Updated : 2025-06-22
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第30話

な、なにしてんの? こいつ……。 どさくさに紛れてなにを……? 「ごめん……。わざとじゃない」 龍太郎が申し訳なさそうに口にした。 …………。 謝りながらも、なぜだが固まっている龍太郎。 「わざとじゃないなら早く、手をどけてよ! いつまで、触ってんのよ!」 私は近くにあった枕で思いきり、龍太郎の顔面を殴った。 彼のメガネが吹き飛んだ。メガネに罪はないのにごめんなさい。 「いっ! 痛~っ! なにすんだよ。乱暴な女だな。減るもんじゃないのに……」 龍太郎がメガネを拾いながら、ぶつぶつ文句を言い出した。 「余計に減る気がする!」 「……そんなことなかったぞ。意外に……。おまえ着痩せするタイプか……」 龍太郎が自分の手を見ながら口にした。 私は彼をにらんで、もう一度、頭に枕をゴンッと叩きつけた。 「こら! やめろって! この! 荒くたい女だな!」 私は龍太郎に両腕を押さえつけられ、そのままベッドに押し倒された。 「な、なにすんの……」 私は声にならない声で彼を見つめた。まばたきすら忘れてしまった。美しい黄金比の顔がそこにはあった。 両手は自由にならないし、太ももから下には龍太郎が乗ってるし、これはもう、私、大大大ピンチなんですけど! 自分の心臓の音だけが聞こえる……。 ドクン、ドクン。 「……おまえ、そんなにおれがキライか?」 伏せ目がちに、かすれた声でぼそりと言葉を発した龍太郎は、どこか悲しげだった。 「……き、きらいじゃないよ……」 もう、そう言うだけで精一杯だった。全身が心臓になったみたいだ。 龍太郎がそのまま、私の上に覆い被さってきた。 やばい、やばいって……。龍太郎の身体の重みを直に感じるんですけど……。 手は自由になったけど、今度はその他の自由がまったくなくなった……!! 「な、なにするの」 そういうだけで精一杯だ。 ……てか、うちら病院のベッドでなにしてるの? 「前から思ってたけど……おまえ、いい匂いがするよな……」 龍太郎はそのまま、私の首元に顔を埋めた。 龍太郎の吐息がかかると、今度は熱が全身を駆け巡り、私はなんにも抵抗できなくなった……。 「おれは好きだよ……」 龍太郎の声が耳元で発生したことと、その言葉に私はドキッとした。 「
last updateLast Updated : 2025-06-23
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