All Chapters of これ以上は私でも我慢できません!: Chapter 481 - Chapter 490

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第481話

看護師が「冴子さんが意識を取り戻しました」と告げると、拓海は昂輝と言い合っている場合ではなく、足早にその場を後にした。玲奈は彼の背中を見送りながら、ふと胸をなで下ろす。これ以上ここにいられたら、先輩がまた何を口にするか分からなかったからだ。玲奈は手を引き抜き、一歩下がって言った。「先輩、私は帰るわ」昂輝は立ち上がった。「送る」玲奈は思わず身を引いた。「先輩は休んでて。私ひとりで大丈夫よ」それでも昂輝は譲らない。「心配なんだ。送らせて」玲奈はしぶしぶ頷いた。断れば、きっと帰らせてくれない。昂輝は玲奈を春日部家まで送り届けると、そのまま車で去っていった。余計なことは何も言わない。玲奈も、それがありがたかった。屋敷には家族の姿はなく、使用人だけがいた。玲奈は全身の疲れを引きずるように二階へ上がり、シャワーを浴びてベッドに横になる。うとうとしかけたところで、携帯が鳴った。相手も確認せずに通話に出る。「......もしもし」掠れた声に返ってきたのは、陽葵の切迫した声だった。「玲奈おばちゃん、愛莉ちゃんが転んだの。意識はあるけど、立てないみたいで......」玲奈の眠気は一瞬で吹き飛んだ。跳ね起きるとタクシーを呼び、幼稚園へ急いだ。園に着くと子どもたちがざわめき、口々に言う。「愛莉の家の人が来た!」玲奈は名乗る暇もなく園内へ入り、子どもたちは大人の姿に道をあけた。愛莉は気を失ってはいなかった。ただ床に横たわったまま、わんわん泣き続けていた。先生たちは周囲に集まっていたが、下手に動かすのが怖いのか手を出せずにいる。玲奈は駆け寄るなり、二度目の子宮内容除去術を受けたばかりの体など構わず愛莉を抱き上げ、そのまま大股で園の外へ向かった。タクシーで病院へ向かう間も、玲奈は愛莉の様子を確かめ続けた。指先をそっとつまんで聞いた。「痛い?感覚はある?」愛莉は涙で顔をくしゃくしゃにしながら首を振った。「痛くない......しびれてる」母親に抱かれたまま、愛莉はそれでもきちんと答えた。その言葉に玲奈の胸は締めつけられた。不安でたまらず、運転手にスピードを上げてもらった。愛莉は玲奈の胸に頬を寄せ、さらに訴えた。「ママ、おな
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第482話

玲奈は振り返ってベッドを見た。愛莉の小さな頬はほんのり赤く、目もくりくりしている。どこをどう見ても、具合が悪そうには見えない。ここで改めて考えると、玲奈は――この子、仮病なんじゃないかと思った。そこで、いかにも困ったふりをして処置室の医師たちに言った。「では、追加で詳しく調べましょう」医師の一人がきょとんとした。「追加というのは、具体的には?」玲奈はさらりと言った。「お腹を切開して、痛みの原因を一つずつ探します。そうすれば、どこが痛いのかはっきりしますから」医師たちが驚くより早く、愛莉が先に声を上げた。「ママ、もう帰りたい」その反応で、玲奈はほぼ確信した。愛莉の不調は全部、芝居だ。玲奈は医師たちに向き直り、淡々と言った。「お手数をおかけしました。少し、この子と二人で話させてください」そう告げると、医師たちは部屋を出ていった。扉が閉まってから、玲奈は愛莉を見つめ、低い声で尋ねた。「どうして嘘をついたの?」見抜かれたと分かっているのだろう。愛莉はもう取り繕わず、ぶっきらぼうに吐き捨てた。「関係ないでしょ」その態度に玲奈は意外に思ったが、責め立てはせず問いを重ねた。「また学校で、誰かいじめたの?」愛莉は唇を尖らせた。「してない」玲奈は声を強めた。「じゃあ、唾を吐いたのは誰?人に野蛮なんて言ったのは誰なの?」愛莉は鼻で笑った。「ママには関係ない」玲奈はもう堪えきれなかった。歯を食いしばり、言葉を絞り出した。「今ここで叩いても、私は間違ってないからね」愛莉は平然として、挑発するように言った。「じゃあ叩けば?」そう言いながら、わざと頬を差し出す。「ほら、叩いて!」そのふてぶてしさに、玲奈は手を上げ、愛莉の頬を平手で打った。愛莉は一瞬呆然とし、次の瞬間「わあっ」と泣き出した。同時に手を振り上げ、玲奈の腹を叩きながら叫んだ。「ひどいママ!ひどいママ!」叩かれた瞬間、玲奈は何が起きたのか分からなかった。だが次の刹那、腹の奥がつき上げるように痛み、思わず苦い息を漏らした。その声に、愛莉は一瞬きょとんとした。けれど玲奈が苦しそうに顔を歪めるのを見ると、むしろ得意げになった。「死んじゃえばいいのに」
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第483話

智也が平然とした顔でいるのを見て、玲奈は声を荒らげた。「こんな娘になるって分かってたなら、あのとき産まなければよかった。こんなに大きくするくらいなら、よっぽどそのほうがよかった」言葉はあまりにきつい。智也は眉を寄せて制した。「もういい。まだ子どもだろ」それでも智也が愛莉をかばうのを見て、玲奈は乾いた笑いを漏らして言った。「いつか、必ず後悔する」智也は気にも留めずに言い返した。「後悔するのはお前のほうだ」そう言うと、智也は愛莉を抱き上げた。玲奈はその場に立ち尽くしたまま、痛みで視界が揺れた。足元がふらつき、体がそのまま床へ崩れ落ちる。愛莉は智也の肩にうつ伏せになっていたから、背後で玲奈が倒れる様子をはっきり見ていた。物音に気づいて智也が反射的に振り向きかけた、そのとき――愛莉が突然言った。「パパ、あとでアイスが食べたい」智也は娘の体を支え直し、やさしく応えた。「いいよ。パパが買ってやる」玲奈は、病室の入口から出ていく二人の姿を横目に捉えた。胸の奥が、穴だらけになったように痛んだ。いつかの自分は、この二人を命そのものだと思っていた。なのに最後に、いちばん深く傷つけてきたのも、この二人だった。冷たい床に横たわりながら、玲奈は思った。いっそこのまま死んでしまえたらいいのに――長い夢を見た。夢の中で、智也と愛莉が玲奈を探し回っている。智也は言った。「俺が悪かった。許してくれ。これからは、お前だけだ」愛莉も言った。「ママ、愛莉が悪かった。これからはママの言うこと、全部聞く。絶対、ママの言うとおりにする」それでも玲奈は、必死に意識を引き上げるようにして目を覚ました。視界に入ったのは白い天井と、ピッ、ピッ、ピッ......という機械音。すると、影が覆いかぶさった。顔を向けると拓海がいた。心配そうに覗き込み、かすれた声で尋ねる。「......目が覚めたか?」玲奈は呆然とした。「私、どうしてここに......?」拓海は小さく笑って答えた。「俺が抱えて連れてきた」玲奈は眉をひそめ、少し苛立ったように言い返した。「誰が抱えてって頼んだの?あなたがまた倒れでもしたら、どうするの」口にした瞬間、玲奈は後悔
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第484話

玲奈は淡く笑って言った。「ありがとうございます、冴子さん」それを聞いた冴子は、気にした様子もなく手をひらひらさせた。「水くさいわね。どうせそのうち呼び方も変わるんだから」玲奈は返す言葉が見つからず、思わず拓海のほうを見た。視線に気づいた拓海は、肩をすくめて澄ました顔をする。「俺はお前のことを話しただけだよ。ほかは何も言ってない」まるで自分は関係ないと言わんばかりだ。拓海が認めようとしないので、玲奈は悔しそうに彼を睨みつけた。拓海は何も言わず、ただ薄く笑うだけ。その横で冴子がさらに畳みかける。「ねえ、あなたたち。ほんとお似合いだわ。結婚の日取りは決めたの?」拓海は相変わらず穏やかに笑って言った。「母さんが決めればいいよ」その言葉に玲奈は慌てて口を開いた。「冴子さん、実は私......」本当のことを言おうとした。まだ離婚が成立していない、と。だが冴子は玲奈に言わせる前に遮った。「冴子さんもなんだか他人行儀ね。ほら、特大のお祝い包むから、それで『義母さん』って呼びなさい」拓海も横から乗る。「うん、それいいね」玲奈は、これ以上ここにいたら本当に実行されかねないと感じた。思わず居たたまれなくなり、病床の掛け布団をさっと持ち上げて立ち上がった。「冴子さん、兄に家で食事するよう呼ばれていて。私、先に帰ります」すると冴子はすぐに言った。「一人で帰っちゃだめよ。ほら、このバカ息子も連れていきなさい」そう言いながら拓海に目配せした。拓海は立ち上がり、玲奈の手を支えるように取った。「一緒に帰ろう」玲奈は断ろうとしたが、少し考えて、そのまま受け入れた。玲奈が拒まないのを見て、冴子はにこにこしながら拓海に言った。「楽しければ、あとで私のところに来なくていいわよ。春日部家に泊まってもいいんだからね」拓海は何も言わず、黙って玲奈の後ろについて病室を出た。病院の入口まで来たところで、玲奈はふと足を止め、拓海に言った。「少し外で気晴らししてから帰って。私は大丈夫だから」玲奈の意図は伝わっているはずなのに、拓海は首を横に振る。「心配だ。送る」玲奈は青ざめた顔のまま言い張った。「本当に平気よ」拓海は静かに告
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第485話

玲奈は拓海の言いたいことが分かったので、それ以上は何も言わなかった。拓海が譲らない以上、送っていくという提案も断らなかった。拓海は玲奈を春日部家の屋敷まで送り届けると、そのまま車で去っていった。玲奈が戻ったとき、秋良たちは家におらず、使用人だけが忙しく立ち働いていた。自室に戻ると、玲奈は熱いシャワーを浴びた。そしてベッドに横になり、眠り直そうとした。次に目を開けたとき、扉の向こうで使用人がノックし、声をかけてきた。「玲奈さま、お客様がお見えです」玲奈は少しぼんやりしながらも応えた。「分かった。すぐ行くわ」軽く身支度を整えてから、玲奈は階下へ降りた。てっきり春日部家の親戚だと思っていたのに、客間にいたのは清花だった。清花に会うのは、ずいぶん久しぶりだった。階段を下りる足音に気づくと、清花は慌ててソファから立ち上がり、玲奈に声をかける。「義姉さん」その笑顔を見た瞬間、玲奈の脳裏に涼真の言葉がよぎった。だがよく考えれば、清花がこんなに明るいのは――体の具合がもう問題ないということなのだろう。そう短く自分に言い聞かせて、玲奈は薄く笑いかけた。「清花、どうしてここに?」新垣家の人間が春日部家の屋敷に来ることは滅多にない。一度も足を踏み入れたことのない者だっている。それほど長い間、この屋敷に新垣家の人影はなかった。清花は玲奈のそばへ寄ると、手を取って言った。「義姉さん、おじいさまに頼まれたの。迎えに来いって。いっしょに小燕邸で食事をって」その言葉に、玲奈の笑みはすっと消えた。瞳の奥に冷たいものが差し、きっぱり告げた。「行かない。今日は用事があるの」清花は腑に落ちない顔で眉をひそめた。「でも、義姉さん......おじいさまがわざわざ私を迎えに寄こしたのに」清花が事情を知らないのは分かっていた。玲奈も細かく説明する気にはなれず、ただ言った。「今日は体調がよくないから。行けないわ」あの日、玲奈は祖父の前で倒れた。一度流産していることも、祖父はもう知っているはずだ。それなのに、入院している間、祖父は一度も見舞いに来なかった。以前は何かと気遣ってくれたのに、あの出来事以来、ぱったり連絡も途絶えた。理由は、玲奈にもおよそ察しがつ
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第486話

祖父が何か言いかけた、そのとき――少し離れたところから、智也の淡々とした声が飛んできた。「食べよう。冷める」それを聞いて祖父は、口元まで出かかった言葉を飲み込むしかなかった。だが席につくと、祖父はなお不満げに言った。「こんなことをする女だと分かってたら、あのとき何があっても家に入れなかった」清花は頭の上に大きな「?」を浮かべたが、祖父には聞かず、智也に小声で尋ねた。「お兄ちゃん、おじいさまどうしたの?」智也は答えず、声を落として言った。「食べろ」清花が小さく返事をしたところで、愛莉が二階から降りてきた。ピンクのパジャマ姿で、髪は背中にさらりと下ろしている。笑うと口元に浅いえくぼが二つ浮かんだ。清花はその小さな姪を見た途端、たまらなく可愛く思えて仕方がなかった。愛莉が智也の隣に座ると、清花は椅子を少し寄せた。そして肉を一切れ、愛莉の皿へ取り分けた。さらに頭を撫でようと手を伸ばした――その瞬間、愛莉がぱしっと手を払いのけた。「触らないで」清花は眉を寄せた。「愛莉ちゃん、どうしたの?」愛莉は清花を睨みつけた。「きたない。触られたくないし、取ってくれたのもいらない」清花が怒るより先に、智也が低い声で問いただした。「愛莉。そんなこと、誰に教わった」愛莉は智也の顔色をうかがい、口ごもりながら答える。「......ママ」その言葉に清花は思わず声を上げた。「ありえないよ。愛莉ちゃん、勘違いじゃない?覚え間違えてない?」だが愛莉は頑として譲らない。「勘違いじゃない。ママが言った」清花は眉をひそめたまま、訳が分からないという顔をした。智也も眉間に皺を寄せたが、愛莉には言い聞かせるように言った。「おばさんはもう治ってる。病気じゃない」愛莉はよく分からないまま頷く。「......うん」それでも食事中、愛莉は自分の椀の中の肉を箸でつまみ出して脇へ避けた。その小さな仕草を清花は見逃さず、胸の奥がちくりと痛んだ。食卓の空気は重いまま、一家の食事は終始ぎこちなかった。食後、愛莉はさっさと二階へ上がっていった。清花はその背中を見送ると、智也に向き直って言った。「お兄ちゃん、外に出て。話がある」そう言い残し、先に
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第487話

そう言い捨てると、智也はホールへ戻っていった。キッチンで温めたミルクを一杯用意し、それを手にして二階へ上がった。清花は初冬の冷たい風の中に立ち尽くしていた。寒いのは体よりも、むしろ胸の内だった。あれだけ玲奈の味方をしたのに、それでも智也は決めつけを曲げない。二階に上がった智也は、愛莉の部屋へ入った。愛莉はベッドの上でタブレットのゲームに夢中だ。足音に気づくと顔を上げ、尋ねた。「パパ、今夜いっしょに寝る?」智也は少し考え、頷いた。「いいよ。ただし、その前に一つ答えろ」愛莉は不思議そうに言う。「なに?」智也は温かいミルクを手渡し、同時に問いかけた。「食卓で、おばさんへの態度。あれは誰に教わった?」愛莉は一瞬だけ言葉を止めたが、すぐに言い切る。「ママだよ」智也は目を見据え、重ねて確認した。「本当に?嘘じゃないな?」愛莉は頷く。「うん。嘘じゃない」それを聞いて、智也はようやく納得した様子を見せた。愛莉がミルクを飲み終えるのを見届けてから言った。「じゃあ寝よう」愛莉は唇をぺろりとなめ、ふと思い出したように尋ねた。「パパ、ララちゃんは?」智也は答える。「彼女は実験中だ。ここ二日は帰ってこない」愛莉は寂しそうな顔をしたが、同時にどこか安心したようでもあった。園から保護者に連絡が来たとき、智也に電話しても出なかった。沙羅にかけても同じだった。最初、愛莉は――二人とも自分を捨てたのだと思ってしまった。理由が分かった途端、一日中くすぶっていた不機嫌は消え、愛莉は小さく嬉しそうに呟いた。「だからララちゃん、幼稚園の電話に出なかったんだ......」それを聞いて智也は言った。「明日の朝、パパはかなり早く出る。おばあちゃんに送ってもらうけど、いいか?」その言葉に愛莉は反射的に嫌がった。「やだ。ひいおじいちゃんと家にいたい」幼稚園に行きたくないのもあるし、何より雅子は以前、愛莉をつねったり叩いたりしたことがある。智也は愛莉の不機嫌を感じ取り、声を落として聞いた。「幼稚園、行きたくないのか?」愛莉は首を振った。「ううん。みんな私のこと好きだもん」それを聞いて智也はほっとしたように言った。「な
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第488話

玲奈は智也のメッセージを特に気にも留めず、足湯を終えると二階へ上がった。寝室に入って間もなく、背中にひやりとした気配が走った。そのとき、誰かがそっと肩を叩いた。たったそれだけで、玲奈の心臓はきゅっと縮み、反射的に悲鳴を上げた。だが次の瞬間、大きな手が口を塞ぎ、声は喉の奥に押し込められた。ちょうど上がってきた秋良が、寝室から聞こえた悲鳴に気づいた。彼は迷うことなく玲奈の部屋の扉を押し開けた。開いた扉の先にいたのは――玲奈の背後から口を塞いでいる拓海だった。扉の音に拓海が振り向き、秋良を見た途端、慌てて手を離した。同時に背筋を伸ばし、きちんと立って小さく言った。「......義兄さん」相手が拓海だと分かると、秋良の表情は一気に冷えた。拓海もその不機嫌さを感じ取り、胸が落ち着かないまま鼓動が速くなるのを感じた。玲奈も振り向いて秋良に何か言おうとした。だが秋良が先に口を開いた。「次から来るなら、正面から入れ」視線は拓海に向けられている。つまりこれは、拓海への言葉だった。拓海は戸惑ったように秋良を見た。秋良は相変わらず冷たい顔のまま続ける。「理由?お前がうちで落ちて死なれたら困る」言い方はきつかった。けれど拓海は、むしろありがたそうに言った。「......ありがとうございます、義兄さん」玲奈は真ん中に立っているのに、二人とも玲奈をいないもののように扱う。秋良はそれ以上何も言わず、踵を返して部屋を出ていった。その背に、拓海が呼びかける。「義兄さん、おやすみなさい」秋良は振り返らないまま、短く返した。「......ああ」秋良が部屋を出ようとした瞬間、拓海が慌てて付け足した。「義兄さん、寝室のドア、閉めていってくださいね」玲奈は、さすがにそんな頼みは聞かないだろうと思った。だが秋良は、部屋を出るとき本当に扉を閉めた。その瞬間、玲奈の頭の中はぐちゃぐちゃになった。扉が閉まるや否や、拓海は興奮したように玲奈の肩を掴んだ。「玲奈、見た?義兄さん、俺を認めたんだ。次から正面から来いって。やっと堂々と会いに来られる!」子どもみたいに無邪気で、顔じゅう笑顔だった。玲奈はその場で呆然とする。だが次の瞬間、拓海が耳元で囁くように
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第489話

拓海は玲奈を抱えたまま、くるくると回り続け、止まる気配がなかった。玲奈は目が回り、吐き気までこみ上げてきた。彼の肩を叩いて言った。「須賀君、もう回らないで......気持ち悪い」その声で、拓海はようやく足を止めた。玲奈を下ろそうとした拍子にバランスを崩し、拓海の体が玲奈に覆いかぶさるようになって、二人はそのままベッドへ転がり込んだ。拓海は慌てて両腕で体を支え、玲奈に負担がかからないように踏みとどまる。けれど距離が近すぎた。玲奈は薄い寝間着一枚で、湯上がりの柔らかな香りがふわりと漂った。枕に広がる長い髪、乱れた布地の隙間から覗く輪郭――拓海は息を呑み、頭が真っ白になった。顔も体も熱を帯びていくのが分かる。玲奈は転んだ痛みが引いてから拓海を押そうとしたが、押し返せない。それどころか、彼の熱と、抑えきれない動揺が伝わってきて、玲奈も頬が赤くなった。視線を逸らし、低い声で言った。「......須賀君、先にどいて」拓海はうわの空のまま、かすれた声で答えた。「うん......うん」そうしてようやく体を起こし、玲奈の傍へ退いた。それでも玲奈の香りが、逃げ場なく彼の胸をかき乱す。甘くて危うい、近づけば戻れなくなるような匂いだった。玲奈は寝間着を整え、咳払いしてから尋ねた。「病院で冴子さんに付き添わなくていいの?」玲奈も起き上がり、背もたれに身を預けたまま、拓海の背中を見つめた。視線を感じても、拓海はすぐには振り向けなかった。「......母さんが、お前の様子を見てこいって」玲奈は小さく言った。「じゃあ、戻って」だが拓海は首を横に振った。「いや。今日はお前のそばにいたい。追い返されても帰らない」玲奈が言葉を継ぐ前に、拓海はぱっと振り向き、縋るような目で言った。「......少しだけ。お願い」玲奈はため息まじりに聞いた。「こんな時間に、どうやってそばにいるつもりなの」拓海は一瞬考えたあと、悪戯っぽく笑って玲奈に身を寄せ、声を落とした。「帰らなくてもいい方法なら、いくらでもあるけど。お前が新しいことを試したいなら、俺は惜しまないよ」玲奈はすぐに意図を察して、苛立ったように言い捨てた。「......最低」拓海は軽い調子のまま
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第490話

拓海は薄く笑うと、いきなり玲奈の手を掴み、そのまま自分の胸元に押し当てた。不敵な目で見つめながら言う。「お前が望むなら......俺たちの声を、外に聞かせることだってできる」玲奈は、彼が何度も同じことを持ち出すのを受けて、今度は真顔で返した。「あなたがそれでいいって言うなら......そうすれば?」拓海は一瞬、ぱっと顔を輝かせた。「......本当?」けれど次の瞬間、その表情は一転して曇った。体を起こし、苛立ちを滲ませて玲奈を見た。「お前......」怒っているはずなのに、続く言葉が喉で詰まって出てこない。拓海は立ち上がった。いったん玲奈に背を向けたが、どうしても収まらず振り返って言った。「俺がお前を好きで、お前のことを大事に思ってて、お前に何もできないって分かってるから――平気で俺の心を抉るんだろ。玲奈、そんなことを繰り返して、俺がいつまでも同じように優しくしていられると思うのか?」玲奈は苦笑した。本当は「優しくしなくていい」と言おうとした。だが口を開く前に、拓海は自分の口元を苛立たしげに叩き、吐き捨てるように言った。「結局、俺が悪いんだよ。俺は......どれだけ傷つけられても、お前に甘くしてしまう」その言葉に玲奈はしばらく呆然とした。こんな言い方をされて、揺らがない女がどれだけいるだろう。もし、拓海が自分に近づいてきた本当の理由を知らなかったら――玲奈は、とっくに絡め取られていたかもしれない。少し黙ってから、玲奈は声を落として言った。「もう帰って。休みたい」拓海は赤く滲んだ目で玲奈を睨み、恨み言でも飲み込むような表情をした。それでも気が済まず、彼は一歩詰め寄り、玲奈の後頭部に手を添えて強引に胸元へ引き寄せた。口づけはしない。代わりに耳元を強く噛み、痛みが走った。玲奈は思わず短く息を漏らした。拓海は手を離し、苛立ちをぶつけるように言った。「......これは、お前の分だ」そう言い捨てると、拓海は寝室の扉から出ていった。玲奈は耳を押さえ、痛みに顔をしかめた。去っていく背中を見ながら、胸の内は言いようのない感情で渦巻いていた。彼が本当に好きなのは深津沙羅のはずなのに、なぜ自分にこんなふうにするのか。玲奈には分からない。
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