電話が繋がると、蒼空は平静を装いながら呼びかけた。「松木社長、何かご用?」瑛司の声は、いつも通り低く澄んでいて深みがあった。今日は婚約発表の日だからか、その落ち着いた声に少しだけ愉悦の色が混じっている。まるで心地よく響くチェロの音色のようだった。「じいさんが言っていた。お前、来たくないそうだな?」蒼空はゆっくりと身を起こした。「だから?」瑛司は低く言い放った。「必ず出席するように」蒼空は、たとえ行くつもりがあったとしても、その強引な口調に気分を害した。「今どこにいる。迎えに行く」「アパートにいるんだけど」電話が切れる直前、瑛司が言った。「三十分後に着く。どこにも行くな」通話が終わると、文香が肩を揉みながら念を押す。「絶対にお金を取り戻すのよ。あれはお父さんが残した最後のものなんだから、返してもらわないと」蒼空は少し考え、押し入れの奥に隠してあった玉のブレスレットを取り出した。これこそが、本当の父の遺品だ。これがあれば、松木家も誤魔化せないだろう。文香は後ろから覗き込み、不思議そうに首をかしげた。「これ、壊れてたんじゃなかったっけ?いつ直したの?」その言葉に、蒼空はまばたきをし、戸惑いながら答える。「お母さんが直したんじゃなかったの?」「違うわよ。そっちじゃないの?私、修理なんて頼んでないし、どこで直すかも知らないもの」蒼空の眉が寄る。「じゃあ、一体誰が?」文香は彼女の肩を軽く押して笑った。「思い出せないならいいじゃない。直ったならそれでよし。さっさと荷物まとめて、着替えて松木家に行くわよ」蒼空はぼんやりとうなずいた。三十分後。瑛司は時間通りにアパートの下に現れた。蒼空の服装は、ごく普通のTシャツとジーンズ。パーティーに出席するという意識はまるでなかった。瑛司はその姿を見るなり、案の定眉をひそめる。「前に買ってやったドレスは?」蒼空は軽い口調で答えた。「松木家に置きっぱなし。持ってない」「家で用意してある。後で着替えろ」蒼空は気にした様子もなく、ただ軽くうなずいた。だが、瑛司にとっては納得のいかない返事だった。彼女が「松木家」と呼ぶこと。「家」と言わないこと。彼は何度も言い聞かせていた、松木家こそが
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