All Chapters of 火葬の日にも来なかった夫、転生した私を追いかける: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

千咲が振り向くと、翔太の得意げな顔が見えた。「これは私が先に見つけたの」千咲は眉をひそめて言った。「返して!」翔太は舌を出してこう言った。「先に手にしたもん勝ちだよ!」このドリンク、確かに千咲が先に見つけたのに。以前なら、黙って翔太に譲っていたかもしれない。でも最近、ママが言っていた。誰かにいじめられたら、やり返していいって。だけど、千咲がまた取り返そうとする前に――誰かの影が、彼女と翔太の間に立ちはだかった。萌寧が、上から見下ろすようにして千咲に言った。「何を奪い合ってるの?」その声は淡々としていて、感情は分からなかった。でも、子供にとってはそれだけで大きな威圧感だった。千咲は眉をぎゅっとひそめ、小さな拳をぎゅっと握りしめた。まだ何も言っていないのに、目には涙がいっぱいにたまっていた。ひどく傷ついた少女は、その場に固まったまま動けず、まるで誰にも必要とされていない、捨てられた子どものようだった。「泣き虫、また泣くの?どうせ誰もお前が泣いてるなんて気にしないのにさ!」翔太は嘲りながら言い、飲み物を開けた。「こんなの、そもそもお前が飲むもんじゃないよ」そしてそのまま、千咲の目の前で飲んでやろうとした。だが飲み物を口に運ぼうとしたその瞬間、彼の手が突然空を切った。手に持っていたはずの飲み物が、誰かに奪われたのだった。翔太が不満そうに顔を上げると、真衣の視線とぶつかり、少し呆然とした。母がこんな冷たい、見知らぬ人のような目で彼を見るのは初めてだった。真衣は一言も発せず、冷たい表情のまま飲み物をゴミ箱に投げ捨てた。「ドン」と大きな音を立て、翔太の心臓がびくりと跳ね上がる。そして彼女は娘の小さな頬を優しく撫でながら言った。「汚いものはゴミ箱行きよ、そんなの要らない」母の登場で、千咲は一瞬で心強さを得たようだった。涙に潤んだ目で唇をきゅっと噛み、力強くうなずいた。「たかが飲み物一本で、そんな大袈裟なことをする必要あるか?」少し離れた場所から、冷ややかな声が飛んできた。礼央が歩み寄り、真衣を冷ややかな目で睨みつけた。真衣は皮肉めいた笑みを浮かべた。人目もはばからず、彼が萌寧と翔太をここまであからさまにかばう様子は、もはや隠す気すらないのだ。公の場で、萌寧とその息子である翔太のために、そ
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第12話

真衣はまるで息が止まりそうなほど胸が詰まり、瞬間、目の奥がじんと熱くなった。彼女はすぐに立ち上がり、龍平に深く頭を下げた。「申し訳ありませんでした。今回は、もう二度と先生のご期待を裏切りません」龍平は専用車に乗って研究所へと戻っていった。安浩は車で真衣を送る。彼は彼女が龍平と話している時間を使って、千咲を連れてお菓子や文房具、玩具をたくさん買っていた。手に持った袋は、二つともパンパンに膨れていた。千咲は思いきり遊んで、ご機嫌で笑いが止まらなかった。「どうしてこんなにたくさん買ったの?」真衣がそう尋ねると、安浩は彼女を見て眉を軽く上げた。「子供に買った些細なもんだ。まさか、金を払おうなんて思ってないよな?お金はいい、これからしっかり仕事してくれれば」真衣はくすっと笑った。「最初から狙ってたのね」「このまま千咲とホテルに住むつもり?」と安浩が尋ねた。「もう部屋を探してるわ」彼女は、幼稚園の近くにある物件を探したいと思っていた。「条件があったら送って。僕も一緒に探してみるから」真衣は遠慮せずに答えた。「ありがとう、先輩。でも、家賃はあまり高くないほうがいいな」今の彼女には収入がなく、高額な家賃の物件を借りる余裕はなかった。しかし千咲を連れてホテル暮らしを続けるのは、やはり何かと不便が多かった。-ホテルに帰ってから、真衣はパソコンを開き、ISSDCの競技準備に取りかかった。今は技術の進歩が目まぐるしく、彼女はもう何年も実践から離れていたため、しっかりと準備する必要があった。パソコンを立ち上げた瞬間、右下に新しいメールの通知が表示された。開いてみると、それはISSDCからの出場招待状だった。真衣は一瞬、動きを止めた。まさか、こんなに早く届くとは……彼女は画面に映るその招待状を、じっと見つめ続けた。この瞬間、真衣はまるで初めてISSDCに参加したあの頃に戻ったような気がした。当時の記憶や情景が、次々と頭の中に浮かび上がってくる。もしかすると、神が彼女を哀れに思い、もう一度やり直す機会を与えてくれたのかもしれない。今度こそ、彼女はそのひとつひとつのチャンスを、絶対に手放さず掴んでみせる。真衣は復帰への道を整え始め、プロジェクトの準備に集中して取り組んだ。一方その
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第13話

翔太は少しだけ呆気にとられた。だが次の瞬間、彼はすべてを見透かしたような表情を浮かべて言った。「ママ、萌寧さんにやきもちなんか妬かないでよ。ママだって萌寧さんと仲良くなれるんだから。僕たちはみんな萌寧さんと仲良しなのに、ママだけうまくいってない。そういうときは、自分自身の問題を考えたほうがいいよ」真衣はその言葉を無視した。ただ静かに翔太を見つめて、冷ややかに言った。「同じことは三度も言いたくない。降りなさい」翔太は真衣をじっと見つめたまま、二、三秒黙り込んだ。そして、鼻で笑うようにフンと軽く嘲り、車から飛び降りた。「ママ、そんなふうに僕に接して、あとで後悔しても知らないからね。これからは、ママの車なんか絶対に乗らないから!」真衣は翔太に一瞥もくれず、千咲を車に乗せると、自ら運転席に座り、そのまま車を発進させた。バックミラー越しに、後方で小さくなっていく翔太の姿を見つめながら、千咲がぽつりと尋ねた。「ママ、本当にお兄ちゃんいらないの?」「ママの子供は、千咲一人だけよ」千咲はまだ幼く、その言葉の意味をすべて理解することはできなかった。ただ、幼い心にも今回ばかりは、ママが本気で翔太に怒っていると感じていた。-真衣がホテルに戻ると、すぐに競技の準備に取りかかった。このコンペティションは、彼女にとって極めて重要なものであり、人生の新たな出発点となるはずのものだった。千咲はとても賢く、幼稚園で宿題が出ても、真衣が手を貸す必要はまったくなかった。千咲は驚くほどの記憶力を持っていて、たとえ意味がわからなくても、一度目を通せばすべて覚えてしまう。だから、千咲のことで真衣が心配する必要はなかった。それに比べて翔太には、これまでずっと気を配ってきた。宿題にもつきっきりで面倒を見て、彼の偏食を直すために、いろいろな料理を勉強したこともある。けれど、五年もの真心を注いだ結果、返ってきたのは、まるで裏切りのような冷たい仕打ちだった。突然、ドアをノックする音が響いた。真衣が立ち上がってドアを開けると、沙夜が勢いよく飛び込んできて、彼女にぎゅっと抱きついた。「真衣!会いたかったわよ!」真衣は笑いながら彼女を軽く押しのけた。「どうして来たの?」「礼央と離婚するって聞いてさ、それはもうお祝いしに来るしかないでしょ」
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第14話

現場のバックステージ準備室。安浩と沙夜が次々と姿を現した。沙夜は入ってくるなり、露骨に不満げな表情で言った。「さっきまた外で厄介なやつらに遭ったわ。どこに行ってもあの人たち。しかも萌寧もこの大会に出てるって聞いたのよ。本当に頭おかしいわ!あの得意げな態度、まるで何様って感じじゃない?」真衣は笑って言った。「彼女にそこまで怒ってどうするの?」「だって、男頼みで出世したのを堂々と誇ってるなんて、見てられないでしょ!第五一一研究所に入りたかったのに、実力じゃ無理だから、あなたの旦那さんに頼んでコネで潜り込んだんでしょ?」沙夜は怒りで鼻を鳴らしながら言った。「ねえ真衣、あんた礼央と何年も結婚してたけど、彼があんたのために何かしてくれたこと、あった?萌寧には、本当に惜しみなく尽くしてるみたいね」真衣は唇をきゅっと引き結んだ。確かに、結婚して六年間、礼央は毎年欠かさず翔太を連れて、遠く海外まで萌寧に会いに行っていた。好きな相手には、どれほど遠くても会いに行く。目の前の人がどれだけ熱心でも、彼の冷たさには勝てない。六年の歳月で、自分は何一つ手に入れられず、娘と自分の命さえ無駄にしたようなものだった。「トイレに行ってくる」真衣はそう言って席を立った。部屋の中はどうにも息苦しく、胸がびっしりと塞がれたように感じられ、呼吸もままならなかった。一人で静かにして、考えを整理したかった。真衣はそのまま歩いて、会場の裏庭までやって来た。春を迎えたその庭には梅の花が植えられ、ほのかな香りが漂っていた。その花は咲き誇り、艶やかで見事だった。彼女はもう少し近づいて見ようと足を進めたが、曲がり角で突然立ち止まった。木の下で、礼央と萌寧がとても親しげに寄り添っていた。萌寧は礼央の首に両腕を回し、まるでキスをしているような雰囲気だった。真衣の心は一瞬空白になり、深く息を吸い込むと、そのまま踵を返して立ち去ろうとした。「真衣さん?」萌寧が突然声をかけてきた。「どうしてここに?」彼女は笑顔を浮かべていたが、一方の礼央は表情を曇らせ、冷たく沈んでいた。まるで、いいところを邪魔された後の苛立ちのようにも見えた。真衣は唇を引きつらせながら言った。「ごめんね、邪魔しちゃって。続けて」「これで面白いのか?」礼央の
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第15話

礼央の顔色は相変わらず淡々としており、真衣の感情も視線も、まるで眼中にないようだった。これまで真衣は、毎週末、子供と一緒にピクニックや遊園地へ行きたいと頼んでいたが、礼央は決まって「忙しい」と断っていた。どうやら、堂々と翔太を連れて海外へ行くだけでなく、週末のわずかな時間さえも使って飛行機で国外へ飛び、萌寧とのふたりきりの時間を楽しんでいたのだ。真衣の目には、次第に嘲りの色が浮かびはじめた。知れば知るほど、自分が六年間捧げてきた想いは、犬にでもやった方がマシだったとしか思えなかった。「じゃあ、お幸せに」真衣は唇を引きつらせながら言った。礼央の目がわずかに鋭くなった。「自分が何を言っているか分かっているのか?」彼女の視線が礼央に向き、二人の目が合った。だが真衣が見たのは、彼の瞳の奥にある冷ややかな無情さだけだった。彼は一語一語を区切るように、静かに言った。「萌寧は、不倫相手じゃない」真衣は思わず吹き出すように笑った。「そう?それなら、早く……」離婚協議書にサインして。「真衣!」沙夜の声がその言葉を遮った。「ずっと探してたのよ」沙夜はすっと歩み寄り、萌寧と礼央の姿を見ると、嘲りを込めて冷ややかに言い放った。「クズ男と下賤女、話す価値もないわ。さ、行きましょう」萌寧は少しだけ間を置いてから言った。「礼央、真衣さんは私たちをずいぶん誤解してるみたいね。私、今回帰国して何もしてないのに、どうしてこんなに敵意向けられるのかしら?それなら今後はお互いに避けておいたほうがいいかもね。あなたが結婚生活で一緒に寝る相手を失うのも困るでしょ、あはははは」「必要ない」礼央は真衣の遠ざかる背中を見つめながら、冷たく、そして確信に満ちた声で言った。「あいつはそんなことはしない」-道すがら、沙夜はずっとぶつぶつ文句を言っていて、まるで頭から湯気が出ているかのように怒っていた。真衣は小さく笑った。「もう離婚するんだから、あの人たちが何しようが放っておけばいいのよ」休憩室に戻ると、安浩が落ち着いた声で真衣に言った。「ライバルとして、外山のこともちゃんと研究しておくべきだ。あの女は見かけ倒しじゃない。海外留学して、それなりに実力もある。でも、彼女の作品も能力も全部見たけど、君の敵になるような存在じゃない。今の彼女のレベルな
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第16話

萌寧の心の奥底に、じわじわと危機感が湧き上がってきた。彼女は、北眼というチームがまだ卒業もしていない学生グループだと記憶しており、もともとまったく眼中に入れていなかった。そんなチームの中に、こんなに専門性の高い実力者がいるなんて、あり得るのか?「緊張してるのか?」礼央は萌寧を横目で見て言った。萌寧は口元を引き上げて笑った。「そんなわけないでしょ?この程度の試合で緊張するなんて、ありえないわ。緊張するべきなのは私の相手よ」たとえ北眼チームに実力者がいたとしても、結局は未熟なチームに過ぎない――そう思い直すと、萌寧の心は少しだけ落ち着きを取り戻した。24時間の極限チャレンジには、公式に休憩時間は設けられていたが、誰もが一分一秒でも無駄にしたくなかった。そのため、各チームとも交代で浅く目を閉じる程度の仮眠しか取らなかった。試合が終わると、真衣はまるで重荷を下ろしたかのように、深く息を吐いた。椅子にもたれながら、疲れた様子で眉間を指で揉む。審査団は、航空宇宙関連の各部門から集められた専門家グループで構成されており、評価は採点制で行われた。結果を待つあいだ、会場には張り詰めたような緊張感が漂っていた。やがて順位を発表する人物が壇上に上がり、手元のリストを掲げ、ひとしきりの前置きを経て、ついに最終結果を告げた。「ISSDC地域予選の優勝チームは……北眼チームです!」観客席からは、割れんばかりの拍手が巻き起こった。萌寧の顔は見る見るうちに青ざめていた。どうして?舞台上で、司会者がさらに発表を続けた。「チーム内の最優秀個人は……Sophiaです!」「Sophia?!」観客席からどよめきが広がった。「道理であの女性の回答があんなにすごかったわけだ……革新性も専門技術も、ここで試合に出るレベルじゃない。国家の研究機関に所属しててもおかしくないよ……」「彼女、前にもこの大会に出てなかった?国家に引き抜かれたと思ってたけど……今また表舞台に戻ってきたってこと?」かつて、航空宇宙業界でその名を轟かせた天才少女――突然として世間から姿を消し、人々は「才能が枯れて自ら身を引いた」と噂する者もいれば、「とある大物の組織にスカウトされて、名前を隠して活動している」と推測する者もいた。礼央はその会話を聞いても、始終顔に
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第17話

萌寧のチームは二位だった。一位との距離は、決して小さくない。彼女は個人としての実力も申し分なかったが、それでもなお誰かに一歩及ばなかった。萌寧の胸の奥には、拭いきれない悔しさがくすぶっている。どこにいても一番を目指してきた。次こそは、この手でその座を奪い返すつもりだった。-バックステージ。「あああああっ!」沙夜が歓声を上げて跳び上がり、そのまま真衣に抱きついた。「すごすぎるってば!!」真衣はというと、さきほどからずっと心が落ち着かなかった。果たして自分があの関門を突破できたのか、不安で仕方がなかったのだ。実のところ、いまの自分の実力がどの程度なのか、自分でもよくわかっていなかった。それだけに、良い結果を得られたことが、ただただ幸運に思えた。表彰にはステージに上がらなければならない。だが真衣は、今はまだ人前に出たくなかった。だからチームのメンバーのひとりに頼み、代わりに賞を受け取ってもらうことにした。「なんで自分で出ないの?」沙夜が不満げに言った。「もうすぐ離婚するっていう元旦那に見られるのがイヤ?むしろ見せてやればいいじゃん。あんたがどれだけすごいかってこと、思い知らせてやんなよ」真衣は首を横に振った。「出る杭は打たれるって言うでしょ。あなたは彼のやり口を知らないだけ。今ここで私が目立てば、間違いなくあちこちで標的にされるわ。まだ正式に離婚が成立していない以上、無駄なトラブルは避けたいの。これからの試合にしっかり備えたい。彼と無意味に揉めてる暇なんてないのよ」今の自分は、ようやく世に出はじめたばかり。焦らず足場を固めることが何より大切で、目立つにはまだ早い。この一戦は、今後のキャリアに直結する。それだけじゃない。自分と娘のこれからの暮らし、社会的な立場すら左右しかねないのだ。娘を守るために、彼女はもっと強くならなきゃいけない。この道がどれだけ険しくても、歩き続けなければならない。安浩が頷く。「気持ちは、よくわかるよ」「こんなに良い成績を収めたんだから、しっかりお祝いしなきゃ~」沙夜が楽しげに提案した。その言葉が終わらぬうちに、控え室の扉がノックされた。入ってきたのは、主催者側のスタッフだった。「Sophiaさんはどなたでしょう?うちの社長がお呼びです」沙夜は眉をひそめ
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第18話

会場近くの会員制クラブ。真衣は足音を静かに響かせながら、中へと入っていった。礼央は一室の茶室を予約しており、真衣が到着した時にはすでに彼は席についていた。黒のスーツに身を包んだ男は、目を伏せて静かに茶を味わっていた。湯気がゆらめき立ちのぼり、個室にはすっきりとした緑茶の香りがほんのりと漂っている。その香りを、実のところ、真衣はけっこう好きだった。礼央は茶の文化を愛していた。コーヒーなど飲むのは、徹夜で仕事をこなすときくらいだ。彼女が部屋に入るのを見て、礼央は短く言った。「座れ」「何の話?」真衣は椅子に腰を下ろしながら、まっすぐ彼を見つめた。ここに来たのは、彼が離婚の話をするために連絡してきたのだろうと、そう思ったからだ。彼女の視線には、どこか探るような、そして複雑な色があった。礼央はそれに気づいて、ふと視線を返す。そして彼は茶を一杯、静かに注ぎ、真衣の前に置いた。「今日、どうして会場にいた?」「それはあなたに関係ない」真衣はぴしゃりと切り返した。その冷ややかな態度にも、礼央はまったく動じる様子を見せなかった。「お前と千咲は、今どこに住んでいる?」真衣は眉をひそめる。「結局、何が言いたいの?」彼は何も言わず、ポケットからひとつの小さな箱を取り出した。ベルベットに包まれたその箱を、テーブルの上に静かに置き、真衣の方へと押しやった。その瞬間、真衣の胸がきゅっと締めつけられる。今日が、二人の結婚記念日だということを思い出したからだった。こんな日、もう忘れてしまいたいと何度も思ったのに、どうしても忘れられなかった。毎年、彼女はこの日を心から楽しみにしていた。けれど、礼央はいつだって忘れていて、彼女から電話をかけてやっと思い出すのが常だった。前の人生のこの日、彼女はテーブルいっぱいに手料理を並べ、自らケーキも焼いて、彼の帰りを待っていた。彼は「帰る」と約束していた。けれど、その約束は、あっさり反故にされた。真衣は一晩中、灯りをつけたまま家で待ち続けた。それでも、彼はついに現れなかった。当時の礼央は、「仕事が忙しい」とだけ言った。けれど今になってみれば、それは萌寧のコンテストに付き添っていたから、ということなのだろう。真衣は視線を落とし、テーブルの小箱をちらりと見る。「……
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第19話

礼央は電話を取ると、すぐに立ち上がって足早に部屋を出ようとした。「礼央」真衣が思わず呼び止める。「どこに行くの?」礼央の足が止まる。彼女を一瞥したあと、淡々と告げた。「今日は萌寧の誕生日パーティだ。彼女は酔うとアレルギーが出るから、迎えに行く」誕生日?その言葉に、真衣の意識がふっと遠のいた。前世のこの日、彼は萌寧とともにコンテストに参加しただけではなく、彼女の誕生日まで祝っていた。そう、それが――「忙しい」と言って自分を放っていた、本当の理由だった。真衣は深く息を吸い込むと、疲労で重たい身体を無理やり立ち上がらせた。「……10分でいい。話がある」これ以上、引き延ばしたくなかった。高強度のコンテストを終えたあとで、彼女の心も身体も、すでに限界を迎えていた。主婦になってからというもの、こんな過酷なスケジュールは初めてだった。体はまだ、そのリズムに追いついていない。礼央はちらりと腕時計に目をやり、短く言い残す。「家で待ってろ」それだけを言い置いて、彼は背を向けた。歩き出すその拍子に、彼のコートの裾が机の上に置かれていた指輪にかすかに触れる。「カラン、カラン――」小さく澄んだ音を立てて、指輪は床へと転がり落ちた。けれど、礼央は振り返らない。まるで気づかなかったかのように、あるいは――気づいていても、気にする価値もないと言わんばかりに、黙って歩き去った。真衣は、床に転がったままの指輪をじっと見つめ、ふっと冷笑した。ふいに思い出したのは、あの土砂降りの夜のことだった。高瀬グループを退勤したあと、タクシーがつかまらず、礼央に迎えを頼んだ。けれど返ってきたのは、「忙しい」の一言。仕方なく冷たい風に打たれながらずぶ濡れで立ち尽くし、ようやく家にたどり着いたころには、体が芯まで冷えきっていた。そのまま高熱を出して倒れたのに――帰ってきた礼央は、真衣の顔を一瞥することすらなかった。体調を気遣うどころか、まるで空気のように扱った。そんな彼に、何度も何度も助けを求めたのに、応えてくれたことは一度もない。それなのに、萌寧からの一本の電話には、すべてを放り出して駆けつけるのだ。あんな冷たい男を、何の疑いもなく、六年ものあいだ愛してきた。あまりにも滑稽だ。礼央という人間の中で、大切にするものは最初からはっき
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第20話

真衣が二階から降りてきたとき、その顔には明らかな疲れがにじんでいた。「何かあったの?」慧美がそっと声をかける。「その顔……ひどく疲れてるわよ。お風呂、すぐに用意するから。少しゆっくり休んで。明日の朝は私が千咲を学校に連れて行くから」娘の疲れた顔が、慧美にはどうしようもなく痛ましく思えた。小さい頃から真衣は元気いっぱいの子だった。高瀬家で、二人の子どもを抱えながらも、明るさと活気を失わずにいた。今のその姿には、どこか張りつめた影が落ちている。何がどう変わったのか、はっきりとは言えない。それでも、確かに変わったと感じる何かがあった。真衣は静かに首を振る。「……本当は、千咲の顔をちょっと見に帰ってきただけなの。急いで戻ってきたけど、もう寝ちゃってたわ。まだやることがあるの。少し出かけてくる」「こんな時間に、どこへ行くの?」慧美は眉を寄せ、不安そうに言った。「用事なんて、ちゃんと休んでからでもいいでしょう。健康な体がないと何もできないから、忙しくても休まなきゃ」真衣はうっすらと笑みを浮かべた。「分かってるよ、お母さん。心配しないで。自分の中ではちゃんと考えてるから」それ以上、慧美は何も言えなかった。「そうだわ、千咲の保護者会が明後日にあるの。両親そろっての出席が求められてるみたい」慧美は真衣の顔を見つめながら続ける。「礼央にも知らせておいて。あの子は、彼の娘でもあるんだから。千咲も、彼のことけっこう好きみたいだったしね」真衣は立ち止まった。保護者会……礼央は、これまで一度たりとも保護者会に顔を出したことがなかった。いつだって、出席していたのは真衣ひとりだった。だから今回も、彼に伝えたところで来るとは思えない。言ったところで、どうせ無駄だ。けれど、ふと先ほどのことが脳裏をよぎる。夢の中で、千咲が寝言のように「パパ……」とつぶやいていた声。夢の中でさえ、あの子は父親のことを思っているんだ。真衣はそっと唇を引き結んだ。「分かった」礼央は、千咲に「パパ」と呼ばせることすら嫌がっていた。その理由はきっと、彼があの子を計算の産物だと見なしていたから。望まれずに生まれた子。彼の人生を狂わせ、望まぬ結婚に縛りつけた存在。そう思い込んでいたからこそ、あの誇り高い男は今もあの子を素直に受け入れられないのだろ
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