All Chapters of もう遅い、クズ夫よ。奥さんは超一流ボスと再婚して妊娠中!: Chapter 511 - Chapter 520

618 Chapters

第511話

しかも、すべて自分が使い慣れたブランドのものばかりだ。竜也の細やかさに少し驚いただけだったとしたら、ウォークインクローゼットに入り、ずらりと並んだ服を目にした時の衝撃は、その比ではなかった。年を重ねるにつれ、彼女のファッションの好みは何度か変わってきた。しかしここにはそのあらゆるスタイルの服が揃っている。しかも、年齢ごとの変化に合わせて、几帳面すぎるほど整然と並べられている。強迫性障害かと思うほどに。誰の仕業か、なんとなく想像がついた。心の柔らかい場所を、羽毛でそっと撫でられているような、くすぐったい感覚が胸に広がる。下の段の引き出しを開けようと手を伸ばした瞬間、竜也が不自然に咳払いをした。「ゆっくり見てろ。俺は先に出る。足りないものがあれば初江に言ってくれ」上村初江(かみむら はつえ)は霞川御苑の家政婦を取り仕切る女性だ。孝宏や一郎たちも、彼女に育てられたようなものだ。梨花は彼の動揺の理由がわからず、素直に頷いた。「わかった」彼の足音が遠ざかると、梨花は引き出しを開けた。その瞬間、彼女の頬がカッと熱くなった。中に入っていたのは……きれいに洗濯され、消毒まで済ませた下着の山なのだ。一枚手に取ってみると、驚いたことにサイズまでぴったりで、寸分の狂いもない。いつの間に自分のサイズを知ったのだろう?まだ体が成長し始めた頃、梨花は何もわからなかった。そんな彼女をデパートの売り場に連れて行ってくれたのは、竜也だった。下着売り場から紙袋を提げて出てきた時、二人の顔は茹でダコのように真っ赤だったものだ。その後、成長するにつれて事情が飲み込めてくると、恥ずかしさが勝るようになり、自分で買いに行くか、初江に付き添ってもらうようになった。まさか、恥ずかしがっていたのが自分だけだったとは。コットンにレース、あらゆる種類が揃っている。ここまで気が利くと褒めるべきか、それとも破廉恥だと罵るべきか、梨花は判断に迷った。気が利く上に破廉恥なその男は、片手をポケットに突っ込んで悠々と階段を降りてきた。まだソファで退屈そうにしている海人を見て、片眉を上げる。「せっかく気を利かせて場所を空けてやったのに、まだ帰らんのか?」「……」海人も「この恥知らずめ」と言い返したい。だが、口に出す
Read more

第512話

竜也は彼を冷ややかに一瞥すると、質問には答えず逆に問い返した。「帰らないのか?」「……」海人は慌てて答えた。「帰る、帰るから!」さっさと帰ってやる。後で追い出されたって、自分のところに泣きついてきても知らないからな。海人の車がアクセルを吹かして走り去るのを確認すると、竜也はゆっくりと身を起こして二階へと向かった。ただ、まずは書斎に入り、残っていた仕事を片付けることにした。必要なものは全て揃っている。梨花はコットンのルームウェアを手に取り、バスルームへ向かった。入浴を済ませてベランダに出ると、庭に停まっていた車が消えているのに気づいた。梨花はてっきり、竜也も桜ノ丘に戻ったのだと思った。「お嬢様、老舗のお茶を用意しました。お部屋にお持ちしましょうか?」ドアの外から、初江がノックと共に声をかけてきた。その懐かしい声を聞いて、梨花の胸からこの場所に対する余所余所しさが消えていく。ドアを開けて微笑むと、頬に浮かぶえくぼが、彼女の愛らしさを一層引き立てた。その笑顔を見て、初江の目尻が下がった。なんだかんだ言っても、手塩にかけて見守ってきた娘のような存在だ。両親のいない子だからこそ、使用人という立場でありながら、昔から我が子のように慈しんできたのだ。まだ時間は早いから、梨花は遠慮せずに言った。「初江さん、今下りるよ」ちょうど、そろそろユウユウがシャンプーから戻る頃だ。自分を見たら、あの子はきっと大喜びするはずだ。智子も捻挫のため、今は一階の部屋を使っている。寝る前にもう一度足の具合を診てあげられる。「わかりました」初江は目を細めて彼女を見つめた。久しぶりの再会に、つい口数が増えてしまう。「本当に早いものですね。お嬢様も竜也様もいつの間にか立派になられて……お嬢様がもうすぐお母様になられるなんて」梨花は照れくさそうに笑った。「妊娠しているって、わかったの?」少しお腹が目立ち始めてはいる。なるべくゆったりとした服を選んではいるが、人生経験豊富な初江の目は誤魔化せないようだ。「私が見抜いたわけじゃありませんよ」初江はクスクスと笑った。「先日、竜也様がご自身でお部屋作りをなさっていた時に、言いつかりましたから。お嬢様は身重なのだから、くれぐれも気をつけて
Read more

第513話

かつての家。あの日、梨花の家を離れてから、彼は一時的に桜丘町に戻った。ここには、多かれ少なかれ梨花が生活していた痕跡が残っている。それが少しだけ彼を安心させた。あるいは、梨花がそれほど遠くにいないと感じさせてくれるのかもしれない。突然、放り投げてあったスマホが鳴った。手に取ると、知らない番号からのメッセージだ。【一真社長、私と会いませんか?愛しい人と寄りを戻す方法、知ってるかもしれませんよ】送信された瞬間、千遥のスマホが乱暴に奪い取られた。桃子は送信済みの画面を睨みつけ、歯ぎしりした。「どういうつもり?私をごちゃんの身代わりに据えた時、なんて言ったのよ?」千遥は約束したはずだ。自分が一真と結婚できるようにするって。これはどういうこと?用済みってわけ?千遥は彼女を全く相手にせず、スマホを取り返して冷笑した。「桃子、もっと大きな声で言ったらどう?使用人や母さん、それに彰人兄さんにも聞こえるようにね」桃子は黙り込んだ。屈辱で怒りが頂点に達していたが、無理やり飲み込むしかなかった。生まれが高貴なお坊ちゃんやお嬢様より劣っているからといって、見下されて当然だというのか。だが、ここ数日で聞き出した情報によると、この千遥だって三浦家の本当の娘ではないらしい。偽物の自分と比べて、何が偉いというのよ。そう思うと少し気が晴れ、彼女は怒りを抑えた。「約束を破ったのはそっちよ。私が一真をどう思っているか知ってるくせに……」兄嫁と義弟に、まともな恋愛感情などあるわけがない。だが千遥はわざわざそれを指摘しなかった。今ここで桃子と決裂する気はない。梨花に戻って来られては困るからだ。彼女は腹黒い計算を隠し、作り笑いを浮かべた。「本気であの二人を結ばせるつもりだとでも思ってるの?」桃子の顔に疑問が浮かぶのを見て、彼女は桃子の肩を叩き、目を細めて凄んだ。「安心して。一真も、竜也も、最後には誰一人として梨花と一緒になんかなれないわ」本物のごちゃんを、三浦家に戻すわけにはいかないのだ。そんな企みなど露知らず、梨花はお茶を飲み終え、智子としばらく話をしてから、寝るために二階へ上がった。枕が変われば眠れなくなるのが常だが、ここではまだ時間も早いうちから眠気が襲ってきた。ドアを開けようと手
Read more

第514話

廊下は明るく照らされ、梨花の絹のような黒髪が肩に落ちている。その白磁のような肌をいっそう引き立て、頬に差した淡い紅もひどく目を引いた。竜也は呼吸を深くし、黒い瞳に欲の色が滲む。だが初日から彼女を怯えさせたくはなく、淡々と口にした。「……たまたまだろ」「そっか」梨花も、それが偶然でしかないことはわかっている。占い師でもない彼が、彼女がどんな服を着るか知るはずもない。階下では、智子も使用人たちもすでに休んでおり、孝宏たちは地下のラウンジでくつろいでいる。そのせいで、家の中は不思議なほど静まり返っている。あまりにも静かで、今この瞬間、梨花は目の前の男に見つめられていること自体が、なぜか緊張を呼んだ。彼女はドアノブを握る。「じゃ、じゃあ……先に寝るわ」「うん。おやすみ」男は低くそれだけ言い、特別な含みもなかった。梨花はほっとして、扉を開けるなり部屋へ滑り込んだ。きっちり閉まったドアを見つめながら、竜也の冷ややかな眉目に、かすかな柔らかさが宿った。昔は、こんなに自分を怖がってはいなかった。雷雨の夜中、ぬいぐるみを抱えて、自分の部屋に忍び込んできたのに。そんな思いが通じたのか、梨花は深く眠っている最中、轟く雷鳴に打たれたように跳ね起きた。窓の外では、秋には珍しいほどの激しい雨が降り注ぎ、雷が鳴り響き、稲妻が時折カーテンの隙間から差し込んだ。梨花は胸を押さえ、反射的にもう一方の手で明かりを点けた。柔らかな光が広がり、部屋は一瞬で明るくなる。幼い頃から見慣れた品々を見渡し、張り詰めていた心の糸が、少しずつ緩んだ。何年も経ったというのに。もう二十五歳なのに、雷はやっぱり怖い。幼い頃の記憶がふいに蘇り、彼女は無意識に考えてしまう。竜也の部屋は、何階の、どの部屋なのだろう。今でも、昔みたいに行っていいのだろうか。……いや、今の自分は、そこまで図々しくはなれない。そう思い直し、しばらくベッドに腰掛けてから、布団をめくって立ち上がった。喉が渇いた。水を飲んでから、また寝よう。そう思って眠たい目のまま扉を開けた瞬間、ちょうど廊下を通りかかった男と鉢合わせた。彼女が何か言う前に、男は顔を向け、諦めと心配が入り混じった視線を向ける。「……やっぱり雷、怖いか」
Read more

第515話

竜也の口づけは激しい。まるで自分を丸ごと飲み込んでしまうかのように。そこでようやく、梨花は理解した。彼の言っていた「一緒に寝る」というのは、こういう意味なのだと。男の高まった熱をはっきりと感じ、彼女自身も深い口づけに思考を奪われ、思わずその名を呼んでしまう。「……竜也」「うん、竜也はここにいる」そう応じながら、男の唇は彼女の鎖骨へと落ち、軽く甘噛みするように触れ、そこからさらに下へと移っていく。梨花が小さく震え、目尻から涙がこぼれ落ちるまで、彼はようやく動きを止めた。だが、休む間は与える気がない。自分の手を握った彼の手は、そのまま熱を帯びた場所へ滑り込んだ——梨花はわかっている。お腹に子どもがいるから、彼は自分が無理をしないように気をつけているのだと。それでも彼は、まず自分の欲求を優先してくれた。ぼんやりとした意識の中で、梨花は思う。次は……大丈夫だと、ちゃんと伝えよう。自分の体は問題ないのだから。二階にいるのは梨花と竜也だけ。翌朝、梨花は目を覚ますなり、竜也を自分の部屋から追い出した。昨夜、二人が寄り添って眠っていたことを、誰も知らない。梨花が階下に降りると、竜也はすでに黒のオーダースーツに身を包み、爽やかな顔で食卓についている。わかっていて聞いているような口ぶりで言う。「起きたか。朝食、お前を待ってたんだ」「……」その白々しい態度に心の中で突っ込みを入れつつも、智子の前では大人しく微笑んだ。「はい」続けて智子に目を向ける。「先に召し上がってくださってよかったのに」「この子がからかっただけよ」智子は軽く竜也をたしなめ、梨花の手を引いて隣に座らせる。「自分だって、今さっき座ったばかりでしょ。椅子もまだ温まってないわ」一方、清水苑では、霞川御苑の穏やかな空気とは対照的だ。真里奈は食卓に座り、ゆっくりとお粥を口にしながら、隣に座る千遥と桃子に視線を向ける。「あなたたち、もう何日も付き合ってくれているけれど……いつ頃、紅葉坂に戻るつもり?」千遥の表情が一瞬こわばった。「母さん、まだ来て数日じゃないですか。もう邪魔になりますか?」帰りたくないのは、彼女だけではない。桃子も同じだ。一つは、千鶴の存在だ。千鶴は腹の内が読
Read more

第516話

表向きは、千遥に聞いているようだ。しかし、桃子はなぜか背筋が凍るような感覚を覚えた。朝食を終え、箸を置いた途端、桃子がしきりに目配せをしてくるのに千遥は気づいた。少し迷ったが、立ち上がって手伝いと一緒に食器を片付け、キッチンへと運んだ。千鶴は彼女を冷ややかに見つめ、「そういうことは手伝いさんがやるから、しなくていいわよ」と言った。「大丈夫です」桃子は動揺を隠し、何でもない風を装って答えた。「鈴木家にいる頃も、よくやっていましたから。これでもまだいい方なんです。昔施設にいた頃は……」その言葉を聞いて、真里奈は胸が痛んだ。本当なら大切に育てられるはずだったお嬢様なのだ。それなのに、外で一体どんな苦労をしてきたのかと思うと、いたたまれない。千鶴は顔色一つ変えずに尋ねた。「そういえば、昔いたのは松ヶ丘児童養護施設だったかしら?」この数日、千鶴は紅葉坂に滞在し、桃子のことを徹底的に調べ上げていたのだ。「はい、そうです」桃子は隠し通せないと悟り、素直に認めた。すると、千鶴がさらに問いかけた。「それじゃあ、梨花とは幼馴染ということになるわね?」以前、梨花のために交通事故の証拠確認を手伝った際、千鶴は彼女の生い立ちについて簡単に調べていた。梨花もまた、松ヶ丘児童養護施設の出身だったのだ。今回、彼女がわざわざ足を運んだのは……ある疑念が浮かんだからだ。あまりにも偶然が重なりすぎている。その偶然の一致が、千鶴の心に一つの疑問を抱かせていた。食器を持つ桃子の手が、かすかに震えた。彼女は驚いたような表情を作って言った。「そうなんですか? 彼女も同じ施設だなんて、知りませんでした……」彼女は必死に平然を装いながら、つい言い訳がましく続けた。「私たち、三年間ほど義理の姉妹という関係でしたが、たまに親族の集まりで顔を合わせる程度で、彼女のことはあまり詳しくないんです」「そう?」千鶴はふっと笑い、彼女の言葉に合わせるように言った。「まあ、あの頃はまだ小さかったし、大人になってから気づかないのも無理はないわね」桃子もつられて笑みを浮かべた。自分では上手く切り抜けたつもりだったが、千遥と共に家を出て車に乗り込んだ途端、ひどく罵倒されることになった。「千鶴はただ一言尋ねただけじ
Read more

第517話

気のせいか、桃子はそこに殺意を感じ取ったような気がした。千遥は……梨花を始末しようとしている。途端に、背筋が薄ら寒くなった。何不自由なく育った令嬢も、一度腹を括れば、その非情さは自分と何ら変わらない。あの梨花は……一体いつの間に、千遥をこれほどまでに怒らせたのだろうか。だが、それは願ってもないことだ。千遥には是非とも、期待を裏切らないでほしいものだ。ー珍しく残業のない週末、綾香は昼過ぎまで泥のように眠り、日頃の寝不足を解消しようと決め込んだ。ピンポーン――まだ夢うつつの中、チャイムの音が鳴り響いた。梨花は竜也の家に行っているし、そもそも彼女は指紋認証でいつでも入れるはずだ。宅配便か何かだろうと思った綾香は、構わず布団を頭から被り、二度寝を決め込んだ。どうせ宅配ボックスに入れるか、玄関前に置いていくだろう。ところが、チャイムの音は一瞬止んだかと思うと、またしつこく鳴り始めた。一体誰なのよ!せっかくの安眠を妨害しやがって。綾香は勢いよく布団を跳ね除け、スリッパを突っかけると、怒り心頭で玄関へ向かった。ドアを開け、そこに立っている人を見た瞬間、眠気が一気に吹き飛んだ。とっさにトレンチコートを羽織っておいて正解だ。それでも、寝起きを邪魔してしまったことは一目瞭然なようだ。一真は申し訳なさそうに言った。「ごめん、起こしちゃったかな。梨花はいないか?」梨花は規則正しい生活をしていて、朝寝坊などしないはずだと思ってチャイムを鳴らしたのだ。まさか、出てくるのが梨花ではないとは思いもしなかった。だが、綾香が出てきたということは、少なくとも梨花が竜也との同棲を続けていないということだ。寝起きで機嫌の悪い綾香は、ぶっきらぼうに答えた。「ええ、いないわよ」一真は尋ねた。「どこに行ったか分かる?診療所のスケジュールを見たけど、今日は休診のようだし」診療所の予約サイトでは、医師ごとの出勤状況が確認できるようになっている。綾香は返答に窮し、ボサボサの髪をかき上げた。「さあね。自分で電話して聞いてみたら?」最近、梨花と一真の関係が以前より修復されつつあることは、彼女も感じていた。とはいえ、梨花が竜也の家に移ったことを、勝手に話すわけにはいかない。たとえ
Read more

第518話

いくら一郎でも、この状況でどうすべきかは理解した。彼は慌てて駆け寄り、気まずそうにスマホを差し出した。「どうぞ」梨花さん!これは自分のせいじゃない。全部孝宏のせいだ。あいつ、狡賢すぎる!いや、悪党なんだ!竜也はスマホを受け取ると、通話ボタンを押す気など微塵もなく、即座に拒否ボタンをタップして、尋ねた。「彼女は?」彼女――一郎が一瞬考え込んでいる間に、孝宏がすかさず媚びるように答えた。「裏庭で水やりをしています」竜也は短く答えると、裏庭へと歩き出した。彼が遠ざかるのを待って、一郎は歯ぎしりしながら孝宏を睨みつけた。「お前、汚いぞ!」孝宏はへらへらと笑った。「お前が鈍いせいだよ」元夫からの電話なんて、梨花さんに繋ぐ必要はない。良い元夫というのは、死んだように静かにしているべきだ。ゾンビみたいに蘇って、旦那様と梨花さんを邪魔するなんて論外だ。それに、旦那様はこの手の話になると、針の穴より心が狭いんだから。その「針の穴より心が狭い男」はスマホを手に裏庭へ行き、楽しそうに水をやる梨花の姿を見て、ようやく表情を和らげた。日差しの中に立つ彼女は、全身が光に包まれ、まるで小さな太陽のように輝いて見えた。彼が口を開くより先に、梨花が彼に気づいて微笑んだ。「なぜ昼間に帰ってきたの?」「お前とランチをしようと思ってな」竜也は大股で近づくと、持っていたスマホをひらつかせ、皮肉たっぷりに言った。「電話だ」「誰から?」梨花は不思議そうにスマホを受け取ろうとした。セールスや詐欺なら無視すればいい。だが、履歴を確認する前に、彼が再び皮肉っぽく告げた。「一真だ」「……」梨花の心臓が跳ねた。竜也がこれほど気にしているのは、お腹の子の父親が一真だと思い込んでいるからだと、彼女も薄々感づいた。いっそ本当のことを話そうかと何度も考えた。彼以外の男性とは、指一本触れていない清廉潔白な関係なのだから。しかし、自分の生い立ちが……どうしても臆病にさせた。もし本当に麻薬密売人の血を引いているとしたら、子供どころか、竜也まで道連れにしてしまう。黒川グループも世間も、巨大財閥の社長が犯罪者の娘を妻にすることなど許さないだろう。だが、もし竜也がお腹の子
Read more

第519話

まだ嫁にもらってもいないのに、もうおばあちゃんのことは忘れちゃったのか。もっとも、智子はむしろその様子に安堵した。本来、竜也の生涯に寄り添うのは、妻となる人だけなのだから。もし変に気を遣って親孝行ぶるあまり、そこの優先順位を間違えるようなら、杖で引っぱたいてやるところだった。竜也は鼻をこすった。普段はクールで高貴な雰囲気の彼だが、今は少しも悪びれず、むしろ愛おしそうに言った。「彼女が妻だから」まだ籍は入れていないが、自分の妻になるのは梨花しかいない。ずっと前から、そう決めていた。「妻だからって、それがどうした?」智子は孫の考えをお見通しだ。梨花は彼にとってあまりに大切な存在なのだ。二人は幼い頃から共に育ち、互いに心を温め合ってきた。彼の心の中で、梨花の代わりになる者はいない。だからこそ、やっと彼女が振り向いてくれた今、片時も目を離さずそばに置いておきたいのだろう。それこそ、寸時も離れずに。だが、智子はあえて苦言を呈した。「たとえ妻であっても、彼女には彼女の生活があるし、付き合いがあるんだよ。あんたの交友関係や電話の相手に、梨花がいちいち口出しするか?」説教された竜也は、すねたような声で答えた。「……しない」むしろしてほしいくらいだ。しかし彼女は干渉しないどころか、以前は他の女子生徒からのラブレターを彼に渡す手伝いまでしていたくらいだ。「でしょう?だったら、あんたも彼女を信じるんだよ。たかが電話一本で大騒ぎするんじゃない。そもそも、彼女と一真の相性が良かったら、離婚なんてしてないだろう?」……梨花は何の用だろうと思いながら、少し離れた場所へ移動して電話に出た。「もしもし、一真?」「梨花か」彼女が電話に出たことで、一真はほっと息をついた。「木村が、あなたの好きなクッキーを焼いたんだ。いつ帰ってくる?部屋まで届けようか?」「ううん、大丈夫」梨花は少し言い淀んだが、説明することにした。「最近桜ノ丘には戻らないの」「じゃあ、今は……」言いかけて、一真の声がピタリと止まった。スマホを握る指が白くなり、心臓を鷲掴みにされたような痛みが走る。彼女は人付き合いが得意ではなく、交友関係も狭い。この街で本当に親しい人間など、指で数えるほどしかいな
Read more

第520話

通話を終えて振り返ると、竜也が軒下で静かに佇んでいた。梨花は少し意外に思った。一真からの電話だと分かっているのに、堂々と聞き耳を立てることさえしなかった。ただ遠くから見ているだけだったのだ。電話に出た時、嫉妬深い彼のことだから、邪魔しに来るだろうと覚悟していたのに。自分は彼に干渉しないが、彼に干渉されるのは嫌いではない。それどころか、少し嬉しくさえある。子供の頃も、竜也はそうやって彼女のあれこれを管理していたものだ。彼女の手元に届くはずだったラブレターは、一通たりとも自分で開けたことがなく、中身を見たこともなかった。全て彼によって闇に葬られたのだ。まさにその時だった。彼女は「兄」に対して抱いてはいけない感情を抱き始めたと気づいたのは。竜也がそんなことをしても、怒りを感じるどころか、密かに喜んでいたからだ。もしかして自分のことが好きなのかも、と密かに期待して。でも当時、竜也はただ真面目くさった顔で眉をひそめ、こう言うだけだった。「梨花はまだ子供だろう? あのガキどもは下心しかないんだ。兄ちゃんの言うことを聞きなさい。あいつらの相手なんてしないで、医学の勉強に集中するんだ」まるで老成した保護者のようで、本当に、ただの妹として見ているだけのようだった。今、梨花が近づくのを待たずに、竜也は自然に口を開いた。「終わったか? おばあちゃんは先に入ったよ。食事に行こう」とても何食わぬ顔だ。まるで梨花と一真の電話の内容なんて、少しも気にしていないかのようだ。――心が広いふりしちゃって。梨花は心の中で呟くと、彼の意地を突っついた。「猫かぶらないで。顔に書いてあるわよ」竜也は尋ねた。「何て書いてあるんだ?」梨花は図星を突いた。「二人は何を話したんだって」「……」竜也は唇を舐め、話題を逸らすこともなく、堂々と認めた。「ああ、そうだよ。ダメか?」彼女を束縛するつもりはない。だが、嫉妬心を抑えきれないのも事実だ。自分のパートナーを気にかけて何が悪い。恋のライバルに対して平気でいられる男などいないのだ。梨花は彼の開き直った態度を見て、目を細めて笑った。「悪くないわ、全然悪くない」皮肉ではないことを示すために、彼女は彼の腕を抱きしめ、少し甘えるように寄り
Read more
PREV
1
...
5051525354
...
62
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status