All Chapters of もう遅い、クズ夫よ。奥さんは超一流ボスと再婚して妊娠中!: Chapter 1 - Chapter 10

20 Chapters

第1話

結婚して三年目、鈴木一真(すずき かずま)の義兄・鈴木拓海(すずき たくみ)が亡くなったその日、佐藤梨花(さとう りか)は彼に離婚を切り出した。一真は眉をひそめ、困惑した顔で問い返した。「僕が桃子を庇って平手打ちされたから?」桃子。なんて親しげな呼び方だろう。けれど、桃子は彼の義姉のはずだった。梨花は口角をほんの少し上げた。「そうよ、ただそれだけ」夫婦関係を崩す理由が、こんなにも単純なことで済むわけがない。あの病院の廊下で残った赤い印は、一真の整った顔立ちに鮮やかに残っていた。あの時、彼は全身全霊で桃子を守っていた。鈴木家の人々が戸惑う中、驚きもしなかったのは梨花だけだった。三日前はちょうど二人の結婚記念日だった。梨花はサプライズを用意し、飛行機で彼の出張先へ向かった。しかし、そこで耳にしたのは、彼と二人の友人との会話だった。「一真、毎年記念日にこうやって逃げるのはどうなんだよ。あんなに真剣にお前のことを想ってる梨花ちゃんが可哀そうだろ」普段は穏やかで気品のある男が、そのときはどこか陰を落としていた。「僕だって、そうしたくてしてるわけじゃない。でも、こうしないと、彼女は信じないんだ。僕が一度も梨花に触れていないことを」「は?」友人は一瞬驚き、そして怒気を含んだ声で呟いた。「まさか桃子のこと?一真、お前本当に頭おかしいぞ。桃子、二人目まで妊娠してんのに、お前まだ引きずってるのかよ」彼は口調を変えて、こう続けた。「それに、そんなふうに梨花を傷つけて、黒川竜也(くろかわ たつや)に怒られないと思ってるのか?」「怒られないさ」一真は指先を弄びながら言った。「梨花と僕が結婚してから、彼とは仲違いしたんだ。三年もLINEをブロックされたままだ」個室の外にいた梨花は静かにその場を離れた。歩みは平静だったが、指先が微かに震えていた。一真に心に決めた人がいることは彼女も知らないわけではなかった。何度も誰かに問いただしたが、誰一人として相手が誰か教えてくれなかった。いろんな可能性を考えた。だけど、まさか「義姉」だったなんて。三年間も、あんなに従順に「お姉さん」と呼んでいたのに。あまりにも惨めだった。会所を出た瞬間、土砂降りの雨が降りしきっていた。それで
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第2話

「え?」綾香の頭は真っ白になった。あの内気でおとなしい梨花が、そんな言葉を口にするなんて、思いもよらなかった。けれど、それ以上に信じがたかったのは、一真、あのクソ野郎が、ここまで人を侮辱したことだ。綾香は小さな声で罵った。「もう宅配便なんかやめて。私が送ればいいじゃない。渡したらまた戻って残業すればいい」電動バイクの宅配便より、自分の車のほうがずっと早い。電話を切った後、梨花自身もこんなに簡潔に、率直に言えたことに驚いた。たぶん、この思いがずっと喉に詰まっていたんだ。心の奥から泥のように溜まっていた。呼吸さえもうまくできないほど、苦しくて、悔しくて。そう、まるであの夜、一真が言ったように。「一度も触れたことはない」言ったところで誰も信じないだろう。結婚して三年、彼女はいまだに「処女」だった。最初は思った。もしかして、一真は体に問題があるんじゃないか?けれど、その考えをすぐに否定した。なぜなら、梨花は何度も見てしまっていたから。一真が書斎でアルバムを抱きながら自慰している姿。男のくぐもった息が、まるで平手打ちのように何度も梨花の顔を叩いた。一度、見つかったことがあったが、一真は梨花を抱き寄せ、首元に顔を埋めながら、低く言い訳をした。「ごめん、梨花......あんたを傷つける気がして、どうしてもできなかったんだ。だからあんたの写真で、我慢してた」おかしかったのは梨花がそれを信じてしまったこと。そして、顔まで赤らめてしまったこと。でも、あの夜。彼女は高熱に耐え、薬を飲んで、最後の意識を振り絞り書斎に向かい、彼が鍵をかけていたキャビネットをこじ開けたとき、見てしまった。そのアルバムの中身。そこに並んでいたのは全部、桃子の写真だった。生き生きとした、魅力的な笑顔。一枚一枚、まるで宝物のように大切に保管されていた。その瞬間、梨花は自分という存在がただの冗談のように思えた。ふと思い出した。昔、自分が一真のあとをついて回っていた頃。本当は、一真を追いかけていたわけじゃない。ただ、兄がいつも彼と一緒にいたから。何度も見ているうちに、自然と、「この人と結婚できたら、きっと幸せだろうな」と思うようになった。一真は穏やかで、辛抱強く、兄の友人の
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第3話

翌朝。梨花は体内時計に目を覚まされ、カーテンを引くと、外は真っ白な雪景色が広がっていた。天気予報では予想されていなかったが、初雪は思ったよりもしっかり降っていた。窓ガラス越しに、冷気がひんやりと感じられた。彼女はワンピースに着替え、洗面所で顔を洗っていると、廊下から大きな物音が響いてきた。ものすごく騒がしかった。誰かが聞けば、リフォーム工事が始まったのかと思うだろう。「恵さん、何が......」梨花は髪をざっとまとめ、部屋のドアを開けた途端、言葉を失った。リフォームどころか、まるで戦争でもあったかのようだった。普段は整然としている家が、今ではめちゃくちゃに乱れていた。一階のソファにあったはずのクッションが、彼女の部屋の前に転がっていた。さらに、見たこともない茶色いシミがついていた。床には落ちて割れた花瓶、廊下に飾られていた数百万はするであろう油絵も無残な姿になっていた。まさに圧巻の光景だった。恵は懇願するように、啓介を追いかけていた。「お願いです、啓介くん、それだけはダメです!それは奥様のお気に入りの茶器で......」ガシャーン!言い終える前に、茶器は床に叩きつけられて粉々になった。啓介は小さな暴君のように舌を出して言った。「べーっだ!おじさんが言ってたよ、ここはもう僕の家だって!メイドのくせに、なんで僕に指図してんの!」言い終えると、彼の視線が上がり、梨花と目が合った。彼女は無表情で彼を見下ろした。啓介は本能的に首をすくめ、後退した。この悪い女!昨晩の夢にも出てきたんだ。サンタクロースと鬼に追いかけ回される悪夢だった。そうだ、この女を追い出せばいいんだ!ママが言ってた。この女さえいなくなれば、おじさんは自分とママだけのものになるんだって!梨花は静かな目で啓介を見つめた。「いいわ。好きなだけ遊びなさい」「ほんとに?」啓介は信じられない様子で、目を丸くした。こんなにたくさん、この悪い女の好きなものを壊したのに、怒らないなんておかしい!梨花は手すりに寄りかかり、リビングで何も知らないふりをしている桃子をちらりと見て、にこっと笑った。「うん。でもね、リビングに飾ってある墨絵だけは絶対に触っちゃダメ。あれは、私が一番大切にしているものだか
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第4話

桃子の表情が一瞬で凍りついた。外に停まっている見慣れた車を目にした途端、心の奥で何かがざわついた。桃子の瞳が怒りに震え、梨花を鋭く睨みつけた。「わざとよね?わざとやったんでしょ!」「お姉さん、何をおっしゃってるの?私、さっきまで二階で一真へのプレゼントを用意してたのに......そんなことまで私のせいにするなんて......」梨花の瞳は涙を浮かび、まるで深い悲しみに沈んだようだった。その瞬間、鈴木家から来た執事の高木大輝(たかき だいき)が玄関から入ってきた。混乱した屋内を見渡して、思わず眉をひそめた。彼は桃子に向き直ると、静かに言った。「桃子さん、おばあさまからのお言葉です。子どもの教育が行き届いていないとのことで、まずはあなた自身を教育し直さなければならない、と」桃子の唇が小さく震えた。「え?」大輝は穏やかな笑みを浮かべたまま、手で「どうぞ」と示した。「では、お庭で三時間、跪いてもらいます」「大輝さん......」梨花が口を開こうとしたが、大輝はそれを察したように制し、にこやかに言った。「梨花さん、お願いですから、取り成しなどしないでください。数日前の拓海さんの葬式でも、あなたは本当に頑張ってくださいました。どうかお体を大切に」「......」違う。彼女が本当に聞きたかったのは、おばあさんの体調が少しは回復しているかということだった。その隙に、離婚の件を切り出すタイミングを探していた。鈴木グループは確かに一真が経営しているが、鈴木家の問題となると、常に本家が口を出してくるのが通例だった。桃子がどれだけ不服でも、跪くしかない。当然の報いだ。梨花は一瞥もくれず、階段を上がろうとした。恵が困ったように声をかけた。「奥さん、あの絵はどうなさいますか?」「放っておいていいわ。あとで誰かが取りに来るから。修復が終わったら戻してもらうわ」梨花は淡々と答えた。もちろん誰にも言うつもりはない。リビングに掛けてあった墨絵は偽物だ。本物は友人が経営するギャラリーで展示されている。無傷のまま。だって、おじいさんの生前の願いは、自分の作品をもっと多くの人に見てもらうことだったから。家の中で眠らせておくなんて、あまりにももったいない。「悪い女!」階段を上がろう
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第5話

一真はプレゼントボックスを受け取った瞬間、胸の奥で何かが鋭く触れたような感覚を覚えた。痛いというほどではない。ただ、少しだけ息が詰まるような感じがした。箱の上に丁寧に結ばれた蝶々結び、それだけで彼女がどれだけ心を込めたのかが伝わってきた。なのに、自分はそんな彼女に、影で薄暗い欲望を抱えている最低な男だった。何も返す間もなく、梨花はすでに玄関へ向かっていた。淡いベージュのウールコートを羽織り、マフラーを巻いて、小さな顔のほとんどを覆い隠すようにして外へ出た。ただ、彼女の歩き方がどこかぎこちない。声をかけようとしたその瞬間、「痛い!」桃子が叫んだ。一真は反射的に意識を戻し、彼女を支えてソファに座らせた。「膝がそんなに痛むのか?病院へ行こうか」「行きたくない」桃子は唇を噛み、彼の手にあるギフトボックスをちらりと見て、ぽつりと呟いた。「彼女に気がないって言うくせに......その贈り物、大事そうに持ってるじゃない」「......」一真は少し眉を寄せた。「桃子、僕は彼女に対して後ろめたさでいっぱいなんだ」桃子の目が大きく見開かれ、涙がこぼれ落ちる。「じゃあ、私は?一真、あなたは一体何を考えてるの?彼女が私と啓介をいじめても、あなたは何も言わないの?」「だから言ったろ、梨花はそんなことしないって」「もういい!」桃子は立ち上がって叫んだ。「あなた、気づいてないの?今のあなた、何を言っても彼女ばかり庇ってるじゃない!」彼女は泣きじゃくりながら啓介の手を取り、二階へ上がっていった。一真はその場にしばらく立ち尽くし、深く息を吐きながら考え込んだ。自分でも、何を思っているのか分からなかった。ただ一つ、誰にも、彼女の悪口だけは言わせたくなかった。雪は二日間、ちらちらと降り続けた。午前中、梨花は漢方医院で診療をして、午後には海外から来た医師の鍼治療の相手をすることになった。本来は先輩の担当だったが、急用で彼女に任されることになった。夕方五時、業務を終えて帰宅し、着替えと軽いメイクをした。梨花は元々整った顔立ちをしており、少し手を加えるだけで十分に人目を惹いた。階下へ降りると、家の中が妙に静かだった。あの母子も今日はやけに大人しい。そのとき、背後から艶やかな声
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第6話

黒川家から出るとき、梨花の足取りはますます重くなっていた。この三年間、一真が彼女を伴わずに帰省するたび、この「しつけ」がいつも彼女を待っていた。驚くことではなかった。ただ、一真は気づいていなかった。彼は好きな人に心を証明するたび、梨花は少しずつ逃げ道を失っていた。黒川家には、「夫の心すら握られないダメ女」なんて、必要とされていなかった。執事の黒川健太郎(くろかわ けんたろう)はため息をついた。「もう少しうまくやればよかったのに......適当にもっとらしい理由でも作って、お祖母様を騙せば、こんな目には......」「健太郎さん」梨花の顔には、少しの恨み言も浮かんでいなかった。「お祖母様は私を育ててくれた恩人です。誰を騙しても、あの方だけは騙せません」「......はぁ」その言葉に、健太郎の目にほんの少し、優しさが滲んだ。彼女の手のひらの赤く腫れ上がった傷を見て、心から心配した。「いいから、早く病院に行きなさい」「うん」それ以上何も言わず、梨花は頷いた。智也はすでに家に帰らされていた。梨花は一歩踏み出すたびに、体中が痛むのを感じる。子どものころから思っていた。彼女はお祖母様がまるで大河ドラマに出てくる意地悪な女みたいじゃないかと疑った。鈴木家のお祖母様はせいぜい「外に跪かせろ」という程度だが、黒川家のお祖母様は容赦なく砂利道に跪かせ、棒で手のひらを打てと命じた。最初は雪のおかげで少し冷たくて気持ちいいくらいだった。けれど、次第に雪が溶け、尖った石がじきに肌に食い込んでくる。体が冷えきった頃、使用人が現れて、容赦なく棒を振るった。この季節に叩かれるのが一番痛い。肉が裂けるほどに。黒川家は山に沿った環境の良い場所にある。山道を下りてようやくネットで車を呼べたが、深夜で雪も降っているため、運転手は山のふもとにしか来なかった。帰り道が梨花には地獄のように長く苦しかった。真冬なのに、背中は痛みで汗ばむほどにびっしょりだった。そのとき、遠くから黒いベントレーがゆっくりと近づいてきた。「旦那様、前にいるのはおそらく梨花さんです」男は長身をシートに無造作に預け、脚を組んだ姿勢で、顔は車内の暗がりに沈んでいた。その顔立ちは凛々しくて、まさに支配者のような気質だった。「うん」彼は目すら上げず、ただ一言で答えた。助手席のアシ
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第7話

彼女の何気ない声を聞いた瞬間、一真の心臓がチクリと刺されたような気がした。彼は思わず眉をひそめた。「どうして急に捨てるの?あんなに大事にしてたウェディングドレスなのに」梨花は黙ってうなずいた。この三年間、彼女はわざわざクローゼットにスペースを作り、そのドレスを吊るしていた。年に一度はクリーニングにも出して手入れしていた。大切にしていたのは「人は一度の結婚を大事にしなきゃ」と思っていたからだった。だからこそ、結婚式のドレスも記念として大事にすべきだと。しかし今は離婚を決意した。一真はきっとすぐに好きな人を嫁に迎えるのだろう。あのドレスも、自分も、この家の中では「余計な存在」に過ぎなかった。梨花は静かに微笑んだ。「破れちゃったの。つい最近、大きな穴を見つけてね」「でも、そんな簡単に捨てるものじゃないだろ」一真は彼女の作り笑顔を見て、きっとまだ未練があるのだと思い込んでいた。「だったら、ドレスショップにお願いして修理してもらうよう手配しようか」「大丈夫」梨花は首を横に振り、真っすぐに一真を見上げて言った。「壊れたものは、もう修復できない」彼女が言ったのはドレスではなく、人の心と、この「縁」だった。言い終えると、彼女は背を向けて家に入っていった。その歩き方にどこかぎこちなさが残っていて、一真はようやく思い出したように彼女を追いかけた。「そういえば、あなた......怪我でもしてるのか?もう二、三日も足引きずってるだろ」全てがもう手遅れだった。でも、彼女には彼の罪悪感が必要だった。梨花は静かに目を伏せて、淡々と事実を告げた。「もう治りかけてたけど、昨夜、黒川に戻って、雪の中で四時間に跪かされてたの」「え?」一真の顔が変わた。彼女の赤く腫れた手のひらに視線が落ちた瞬間、彼の瞳が収縮した。「手も......どうして?」「打たれたの」梨花の声は淡々としていて、まるで他人のことを話しているかのようだった。彼は眉を寄せた。「どうして、そんなに長く......それに叩かれるなんて......」最後まで言葉にするのが怖かった。梨花は黒川家の娘ではなかったのか。一体なぜ、一度戻っただけでここまでの仕打ちを......梨花はふと顔を上げ、じっと彼を
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第8話

一真の心がドキッと跳ね、足が思わず止まった。一真は彼女の澄んだ瞳と目が合い、無意識に名前を呼んだ。「......梨花」梨花はふっと微笑み、淡く軽やかな声で言った。「もう、大丈夫だよ。そんなに緊張しなくても。桃子と昔から知り合いなのは分かってるし、名前呼びに慣れてるのも仕方ないでしょ?」黒いマイバッハが屋敷を出ていくのを見届けると、梨花はゆっくりとソファに身を沈めた。まさか自分があんなに衝動的になるとは思わなかった。ずっと、お利口で優しい妻を演じることに慣れていたのに。ただ一真の罪悪感を利用して、スムーズに離婚すればよかっただけなのに。どうしてあんな余計な一言を口にしてしまったんだろう。彼女は天井を仰ぎ、乾ききった目を細めた。その時、綾香から電話がかかってきた。「梨花、今夜飲みに行かない?」「うん、いいよ」梨花は即答したが、少し間を置いて付け加えた。「でも少し遅くなるかも。今夜はヘルスケアのライブ配信があって、終わるのが十時頃になりそうなの」それは漢方館の仕事だった。本来は彼女の担当ではない。でも、以前担当していた同僚が急遽お願いしてきて、代わりに出ることになった。梨花は最初、黒川家と鈴木家のことを考えて断っていたが、同僚に美肌フィルターを教わってしまえば話は別だった。加工された自分を見て、実の母親ですら気づかないかもしれない。顔立ちが整っていて、話し方も優しい彼女の配信は予想以上に評判がよかった。それ以来、定期的に配信を頼まれるようになった。「わかった。仕事終わったら車出すね、ちょうどいい時間になりそう」「うん、よろしく」綾香と簡単に会話を終えたあと、梨花の気分もいくらか晴れた。彼女は部屋に戻り、今夜の配信用資料を再確認する。一真との結婚で得た最大の自由。それは、彼が彼女のことに無関心だったということ。黒川家は彼女が目立ちすぎるのを警戒していたが、鈴木家の存在もあって今は以前のように彼女を監視できなくなった。そのおかげで梨花は自分の医術を磨きつつ、定期的に漢方館で診療も続けていた。三年の積み重ねで、貯金もかなりの額になっていた。夜10時、配信がきっちり終わると同時に、綾香もタイミングよく車を停めた。車に乗り込んだ梨花に、綾香が眉を上げた。
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第9話

恵はまだ泣いている啓介のことも気に留めず、梨花の表情をじっと見つめた。「奥さん、大丈夫ですか?最近ネットで噂が飛び交ってますけど、あの写真も偽物かもしれません。何か気になることがあるなら、一真様が帰ってきてから直接聞いたほうがいいと思います」「うん」梨花はスープの蓋を開け、静かに口に運んだ。真偽なんて、昨夜、自分の目で見た。もう聞くまでもない。恵はようやく気づいた。梨花の目がひどく腫れていた。しばらく迷った末、彼女は部屋に戻って電話をした。「はい、そうです。梨花さんはきっとニュースをご覧になったんだと思います。お昼ご飯も食べに降りてこなくて、目も泣き腫らしてて......」鈴木家では、エンタメニュースへの関心は薄いが、今回のことを知った瞬間、まさに大騒ぎになった。おじさんと兄嫁?そんなことが公になれば、鈴木家の名誉はどうなる?おばあさまは薬を飲んでも効かず、そのまま気を失ってしまった。鈴木家はまさに大騒ぎだった。それに比べて、梨花は静かだった。何事もなかったようにスープを食べ終え、目を腫らしたまま、恵の同情に満ちた視線を背に階段を上った。部屋に入った瞬間、綾香からの電話が飛んできた。「私じゃないからね!絶対に!」懸命に潔白を主張する声が響いた。「あの写真の角度見ればわかるでしょ?私が撮ったやつと全然違うじゃん!」「分かってるよ」梨花はバスルームへ向かいながら、スマホをスピーカーに切り替え、テーブルの上に置いた。小さな冷蔵庫からアイマスクを取り出す。「あなたがそんなすぐ流すわけないでしょ。もしやるとしても、まず一真を脅して金取るタイプだもん」彼女はさっきリビングでニュースを調べていた。あのニュースは昨夜から流れ始めていた。ただ、本格的に拡散されたのは二時間ほど前。流れがあまりにも自然すぎるから、十中八九、一真のビジネスライバルの仕業だろう。「あなたってほんと失礼ね!」綾香は笑いながら抗議した。「私は弁護士よ?そんな恐喝なんてするわけないでしょ?」「はいはい」梨花は軽くあしらいながら、冗談混じりに言った。「これは浮気写真の管理料っていうんでしょ?」「なんて発想よ」綾香は呆れたように笑い、ふと疑問を口にした。「でもさ、こんなに急いで暴
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第10話

彼女の目の前に立った一真は険しかった気配を収め、穏やかな表情に変わっていた。その瞳には、暗く読み取りづらい感情が渦巻いている。「帰ってたんだな」梨花は一歩後ろに下がり、いつものように静かに声をかけた。「ご飯食べた?恵さんが夕食を用意してくれてたけど......」「梨花」彼は彼女の言葉を遮り、慎重に言葉を選びながら話し始めた。「ネットに出回ってるあの件だけど、あなたが見たようなものじゃない。ちゃんと説明するよ」「うん」梨花は即答した。穏やかに受け入れるように頷いた。「信じてるよ」一真は言葉を失った。彼は梨花が従順であることを知っていたが、それでも今回は想定外だった。家に帰る前、何人かの友人が言っていた。「終わったな。どんなに優しい女でも、浮気は無理だぞ」だが、梨花は違った。泣きもせず、怒りもせず、まるで何事もなかったように静かだった。それが逆におかしい。不安な感覚が胸をかすめた。梨花の「信じてるよ」という言葉は、どこか乾いて響いた。一真は眉を寄せた。頭に浮かんだ言葉は「どうでもいい」。梨花は彼が浮気したかどうかを、気にしていない。彼が他の女とキスしたかどうかすら、どうでもいいのだ。彼女の表情には、特別な感情が見られなかった。いつも通りだった。彼女はコートを手に取った。「お祖母様の様子、見てくるね」「梨花......」一真はなにかが自分から離れていく気がした。彼は反射的に彼女の細い手首を掴み、そっと尋ねた。「怒ってないのか?」梨花は一瞬だけ目を見張った。鈴木家の奥さんって、思ってたより大変だ。そんなことをふと思う。この態度なら、一真はホッとすると思っていた。けれど、彼は満足しなかった。彼は彼女に怒って欲しかった。一真が彼女の答えを待つ中、梨花はただ淡々と彼を見つめた。やがて、静かに口を開いた。「もし私が怒ったら、あなたは桃子と本当に縁を切るの?」その言葉に、一真は気まずそうに顔を逸らしたが、それでも答えた。「梨花、信じてくれ。僕と彼女の間には、本当に何もない。誕生日が過ぎたら、ちゃんと引っ越してもらう」「じゃあ、あなたは?」「何言ってるんだ?僕はもちろん、これからもこの家に住むよ」彼はまるで何
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