結婚して三年目、鈴木一真(すずき かずま)の義兄・鈴木拓海(すずき たくみ)が亡くなったその日、佐藤梨花(さとう りか)は彼に離婚を切り出した。一真は眉をひそめ、困惑した顔で問い返した。「僕が桃子を庇って平手打ちされたから?」桃子。なんて親しげな呼び方だろう。けれど、桃子は彼の義姉のはずだった。梨花は口角をほんの少し上げた。「そうよ、ただそれだけ」夫婦関係を崩す理由が、こんなにも単純なことで済むわけがない。あの病院の廊下で残った赤い印は、一真の整った顔立ちに鮮やかに残っていた。あの時、彼は全身全霊で桃子を守っていた。鈴木家の人々が戸惑う中、驚きもしなかったのは梨花だけだった。三日前はちょうど二人の結婚記念日だった。梨花はサプライズを用意し、飛行機で彼の出張先へ向かった。しかし、そこで耳にしたのは、彼と二人の友人との会話だった。「一真、毎年記念日にこうやって逃げるのはどうなんだよ。あんなに真剣にお前のことを想ってる梨花ちゃんが可哀そうだろ」普段は穏やかで気品のある男が、そのときはどこか陰を落としていた。「僕だって、そうしたくてしてるわけじゃない。でも、こうしないと、彼女は信じないんだ。僕が一度も梨花に触れていないことを」「は?」友人は一瞬驚き、そして怒気を含んだ声で呟いた。「まさか桃子のこと?一真、お前本当に頭おかしいぞ。桃子、二人目まで妊娠してんのに、お前まだ引きずってるのかよ」彼は口調を変えて、こう続けた。「それに、そんなふうに梨花を傷つけて、黒川竜也(くろかわ たつや)に怒られないと思ってるのか?」「怒られないさ」一真は指先を弄びながら言った。「梨花と僕が結婚してから、彼とは仲違いしたんだ。三年もLINEをブロックされたままだ」個室の外にいた梨花は静かにその場を離れた。歩みは平静だったが、指先が微かに震えていた。一真に心に決めた人がいることは彼女も知らないわけではなかった。何度も誰かに問いただしたが、誰一人として相手が誰か教えてくれなかった。いろんな可能性を考えた。だけど、まさか「義姉」だったなんて。三年間も、あんなに従順に「お姉さん」と呼んでいたのに。あまりにも惨めだった。会所を出た瞬間、土砂降りの雨が降りしきっていた。それで
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