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All Chapters of 君にだけは言えない言葉: Chapter 11 - Chapter 20

80 Chapters

友人の言葉と現実と 03

「……お前、どう見ても飲みすぎだろ。もうその辺でやめとけよ」 見かねてそう促してみても、木崎は「うんうん」と笑って頷くだけで、お構いなしに次のカクテルを注文する。俺の言葉なんて聞こえていないらしい。「だーいじょうぶだよ。俺誰にも言ってないし、これからも言わないし」 「…………」 「だってほら! こう見えても隠しごと得意じゃん? 俺!」 「知らねぇよ……」 たしなめるだけでは何も変わらない木崎に、俺は深いため息をつく。そのくせ、いつから、どこまで知られているのかも気になって、思い切って席を立つこともできない。 ……まぁ、今まで全く気付いている素振りを見せなかったことからも、隠しごとが得意なのは確かなのかもしれないが……。「しっかし、暮科もさぁ、可愛いとこあるよねぇ」 「……もう帰る」 「え、待って待って! なんでそうなるの?! まだ話の途中でしょ!」 「……ってぇな」 不満げに声を上げると同時に、痛みが走るほど強く肩を掴まれる。鬱陶しげに一瞥すると、ちょうどそこに追加のグラスが運ばれてきた。「それで終わりにしろよ」 釘を刺すように言って、俺は短くなった煙草を灰皿に押し付ける。そうして諦めたようにスツールから下りると、「ちょっ……まさかほんとに帰る気なの?」 木崎が飲みかけていたカクテルを噴き出しそうになりながら、俺の腕にしがみついてきた。 ったく、こいつは……。「ほんとにってお前……そろそろ遅番も上がりの時間だぞ」 信じられないと首を振る木崎に、俺は改めてカウンター内に飾られている時計を指差した。  けれども彼はそれを見るでもなく、「もうちょっとだけ!」と言って絡めた腕に力を込めるばかり……。 時刻は23時30分を回ったところだった。遅番の上がりは24時。そろそろ河原も終業の準備を始める時間だ。  ちなみにアリアは24時間営業ではなく、基本は年中無休だが、年始も数日閉めていたりする。「うん、だから今からなら河原も来られるかなぁ
last updateLast Updated : 2025-09-06
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友人の言葉と現実と 04

    ***  11月ともなれば、もう夜風は十分冷たい。  俺はわずかに身を竦めながら、歩道の真ん中まで歩き、そこでようやく彼から手を放す。すると掴まれていた腕をさすりながら、木崎は喚くように声を上げた。「なんなの! そんなに怒ることないでしょ!」 木崎の少々ハイトーンな声は、そうでなくともよく響く。おかげで――時間柄ということもあるのだろうが――彼が少し声高にしゃべるだけで、通行人の視線を嫌でも集めてしまう。 しかも、俺はただそこにいるだけで、特に何を言い返しているわけでもないのに、彼の言いようはまるで痴話げんかでもしているようで……このままではあらぬ誤解を生みそうな気がして溜息が出る。「どうしても帰りたいなら、一人で帰ればいいじゃん。俺は別にそれでも良かったよ!」 そりゃ、できるもんならそうしたいっつーの。 思いながら、俺はふらつく彼の腕を掴んで支えなおした。 言われたように、仮に放置して帰ったところで特に問題はないだろう。  見た目はともかく、木崎だっていい年齢をした大人で、男で、性格から言っても、人を襲うことはあっても襲われることはないだろうし。 ここからは家もそんなに遠くない。  木崎は自転車通勤だったが、今日は飲むからと店に置いたままにして、徒歩で帰ると言っていたくらいだ。 ……自転車を、押して帰るでもなく、置いて帰る?  今にして思えば、その時から思い切り飲むつもりだったのかもしれない。「ほら、しっかり立てよ」 とは言え、口はともかく足元はまだまだ覚束ない。  さっきから見ていれば、時折ふらりとバランスを崩しては、近くの街路樹やガードレールにしがみついている。  その姿は、さながら動物園辺りで見られるような光景に似て、ある意味面白くはあるのだが……。「ちゃんと歩け。帰るぞ」 そんな見世物も長くは続かず、次にはその場にへたり込みそうになってしまう彼の身体を、俺はため息混じりに支え直す。 ……仕方ない。
last updateLast Updated : 2025-09-06
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友人の言葉と現実と 05

    *** 「そう言えば、河原のさぁ、ピアノの発表会の話があるじゃん?」 「発表会?」 しばらく黙って歩いていた木崎が、思い出したかのように口を開く。俺は横目に視線を向けて、反芻するように訊き返した。 歩く速度が遅いせいか、到着までには少し時間がかかりそうだ。  途中まで支えるように掴んでいた腕は、今はもう放している。まだ時折ふらつくことはあるものの、本人が「大丈夫」と言い張るし、俺から見ても多少は酔いが覚めてきたようにも見えたからだ。「うん。あの、演奏前にステージ上で倒れたっていうあれね」 「あぁ……」 なるほど、木崎も知っているのか。  上がり症の治療の一環として、河原が出されたピアノの発表会。そのステージ上で失神し、挙句の果てには……という、あの話を。 まぁ、河原は木崎とも仲がいいから、話していたとしても不思議はない。  ……思うのに、どこかもやもやとした気持ちになってしまう。 その上――。「その時にさ、河原の手をずっと優しく握っててくれたっていう、幼なじみがいたじゃん? その人にそうされると、不思議と落ち着いたーっていう」 「……幼なじみ?」「んー、まぁ、暮科が今更幼なじみにはなれないけどさ。なんていうか、それって恋人とは違うけど、言ってみればかなり特別なわけじゃん? だから……だからまずは、そういう存在を暮科も目指してみればどうかなって、思うんだよね」「…………へえ」 わずかな間ののち、俺は気のない相槌を打った。  木崎はずっと前方を眺めていたが、その声を聞いて俺の方を見る。「――え、嘘。知らなかった? この話……」 俺は返事をしなかった。  それを肯定と察した木崎は、少し慌てる。「え、あ、待って。どこ知らなかった? 発表会? ……って、それは知ってたんだよね? ってことは、幼なじみ? 幼なじみのとこ?!」 「……」 「あー嘘! やっ……でもこの話、河原が酔っ払った時に言ってた
last updateLast Updated : 2025-09-07
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友人の言葉と現実と 06

「まぁ、ほら。とりあえずさ? 過去はどうあれ、今一番仲がいいのは暮科なんだし……」 過去はどうあれって……どの口がいうのか。「だからさ、きっと大丈夫だよ。なんとかなるって」 「……適当なことばっか言うんじゃねぇよ」 我ながら素気無く撥ね付けると、木崎は不意に立ち止まり、再び声を張った。「もう! なんでそんなふうにしか言えないの?! どうなるかなんてわかんないじゃん!! やってみたら意外といい結果になることだってあるんだよ?!」 「それも〝お前の〟経験則だろ。俺のじゃない」 構わず俺は、ようやく見えてきた木崎のマンションを前に、足を止める。  ここまで来れば、いい加減放置しても平気だろう。「だいたい、なんなんだよお前は。なんだって急にそんな……」 人の中に土足でずかずかと入り込むような真似を――。  俺のことなんて放っとけよ。 振り返りながら、そう吐き捨てるように言うと、「……急じゃないよ」 ぽつりと落としながら、木崎はわずかに俯いた。「ほんとはもっと早く言いたかったよ。でも、タイミングがなくて……」 今度はぽろりと涙の粒が頬にこぼれる。 え……。……いや、ほんとなんなんだ。 俺は小さく息をつくと、木崎の方へと一歩近づく。  これも酔っているからなのか? 次は泣き上戸なのか?「もうすぐ……クリスマスだし」 「クリスマス?」 しかもまた話が飛んだ。  思わず眉をひそめていると、木崎は顔を上げ、俺をまっすぐに見据えて言った。「クリスマスって言ったら、恋人と二人で楽しい思い出を作る日でしょ?! だからさ、二人をよく知る俺としては……やっぱりこの辺でうまく行ってくれたらいいんじゃないかなって……それだけ。それを言いたくて、今日は誘ったの!」 木崎はごしごしと目を擦り、かと思えば強がるように語気を強め、つんと上を向いた。  俺は呆れたように溜息を重ねて、それから目を伏せ、かすかに肩を揺
last updateLast Updated : 2025-09-07
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近いようで…… 01

「河原、チョコパ二つ追加な」 普段通りにオーダーを告げると、河原は少しだけ遅れて了解の合図を寄越した。数あるデザートの中でも盛り付けの難しい、季節のデザートプレートを作っていたらしい。 その手元を見るともなしに眺めていると、ややしてほっとしたように顔を上げた河原と、思いがけなく視線がかち合ってしまった。 ……やば。 とくんと心臓が小さく跳ねる。  反して河原はどこか気恥ずかしそうに微笑んだだけで、俺が通したばかりのオーダーにすぐに取りかかった。 どきどきと鼓動が忙しなく鳴っている。  そんな自分の反応は予想以上で、 ……何やってんだ、俺は。 俺はどうにか視線を逸らせただけで、束の間その場に立ち尽くしてしまう。 数日前――木崎と飲んだ日のことが影響しているんだろうか。  現にあれ以来、必要以上に河原を目で追ってしまっているような気がしないでもない。 こんなだから、木崎にもバレたのかもな……。 心の中で自嘲気味に呟くと、間もなくホールからの呼び鈴が鳴った。  俺は一つ息をつき、再び厨房を後にした。    *** 「あ、ねぇ暮科!」 空いたばかりのテーブルを片付け、汚れた食器を手に戻ってきたら、ちょうど休憩時間が終わったところだった木崎が、急くように二階から降りてきた。 あんなやりとりをした後でも、木崎はあくまでも以前と彼と変わらなかった。もしかしたら酔っていたせいで何も覚えていないのだろうか……。そう思ってしまうほど、彼の態度は不自然なまでに自然だったのだ。  ……とは言え、「俺、どんなに飲んでも記憶を飛ばしたことはないんだよね」という念押しだけはされたから、覚えていないという線はまず消えている。 なるほど、自分で隠し事が上手いというだけのことはあるようだ。  うっかりぞっとしてしまうほど納得した俺は、今後はもう少し慎重になろうと密かに心に決めたのだった。……少なくとも木崎の前ではことさらに。「ちょっと耳かして」
last updateLast Updated : 2025-09-08
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近いようで…… 02

 俺のシフトが特に流動的なのは、もともと俺がそれを承諾しているからだ。決まっているのは基本遅番と言うことだけで、曜日定休が基本の月六日の休みも店側のいいようにしてもらっている。 今回のように人が足りなければ真っ先にシフト変更の打診がされるのも契約の範囲内だし、状況次第で急な残業に応じたりするのも一応それに含まれている。その分相応の手当をつけてもらっているのだ。 ……とはいえ、今回のような状態がこうも続くと……そろそろ契約を見直してもらおうかなんて考えも頭を過ぎる。「お前は大丈夫なんだろうな」 「……それがさぁ、なんかちょっと頭痛い気がするんだよねー」 溜息混じりに訊ねると、木崎は意味ありげに沈黙した後、どこか芝居染みた口調で言った。今日は俺も河原も、そして木崎もそろって遅番だった。「それは単なる二日酔いだろ」 「ひっど! 俺、そんな飲み方しないよっ」 だからどの口が……。 心から心外な! とばかりに口を尖らされ、俺は思わず半眼になった。「でもほんと、昨日は一滴も飲んでないんだよ」 「……そうかよ」「だからまぁ……気圧のせいかもね」 「あぁ? 天気痛ってやつか?」 「そう、それ」 ほんとかよ。いや、どう見ても適当言ってんだろ。 ぺろりと舌先を覗かせた木崎に、俺は呆れたように息をついた。 なんだかんだ言って、木崎は早番も遅番も、そしてホールも裏も全てこなせる貴重な人材の一人だ。正直、こいつがいるのといないのでは全然違う。「そういう暮科はどうなのさ?」 「俺はここ数年風邪らしい風邪なんてひいていない」 「……それって自慢できることなの?」 言外に、「なんとかは風邪ひかないんでしょ」と言われた気がして俺は無言で彼を見た。睨むように横目に一瞥――。 すると木崎は「冗談だよ」とけらけら笑って、俺の背中をばしばしと叩いた。……これで本当に頭痛がしているんだろうか。「とりあえず、気をつけろよ」 念を押すように言って、俺は再度深い息をつく。
last updateLast Updated : 2025-09-08
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近いようで…… 03

    ***  ――まだ話してんのかよ。 就業時間が過ぎると、スタッフの姿はたちまちなくなる。特に遅番は時間も時間だし、終電を気にする者もいるためそれが顕著だ。 ちなみに木崎はマンションも近く、自転車通勤だったが、それでもだいたいが人と会うだとか電話があるだとかを理由に、とっとと帰ってしまうことが多かった。 ……なのにその木崎が、今夜はまだ残っている。 厨房ではいまだ河原と木崎が話し込んでいて、俺は仕方なくホールの照明を落とした後、バックルームからも直接出入りできるカウンター席に腰を下ろした。  既にBGMも切ってあるため、シンと静まりかえった店内に木崎の声が聞こえてくる。そうでなくとも通る声だ。はっきり内容まではわからないが、その声が弾んでいるのは確かめるまでもなかった。 ……まぁ、少し待つか。 俺は密やかに息をつき、目の前の天板に持っていたクリアファイルを静かに置いた。カウンター付近は防犯のために明度が残してあるため、作業するにも支障はない。 ファイルから取り出した資料は二種類。一方の表紙に書かれていたのは〝クリスマスキャンペーン〟そしてもう一方には〝年始キャンペーン〟と書かれている。終業時間の少し前に、明日のシフトに関する話と共に、冴子さんに渡されたものだった。 やっとハロウィンが終わったと思ったら、もうクリスマス……どころか年始の話まで。 その文字を目で辿るたび、嫌でも時の流れの早さを感じてしまう。 ほんと早ぇな……。 俺は心の中で呟きながら、気だるげにその表紙をめくった。    ***  ……いま、何時だ。 一通り目を通しておいて欲しいと言われてはいたが、さすがにここで全ては無理だろうと思っていた。せいぜい数分程度の時間しかない――それくらいには木崎の話も終わるだろうと踏んでいたからだ。 なのに、気がつけば見ていたのは最終ページで、俺ははっとして顔を上げる。  店内に飾られているアンティークの時計を
last updateLast Updated : 2025-09-09
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近いようで…… 04

    ***  更衣室には、既に誰の姿もない。残っていた気配と言えば、よほど急いでいたのか、閉め損ねたらしい木崎のロッカーが半端に開いていただけだった。 ……っていうか、用があったならもっと早く帰れよ。 心の中でぼやきながら木崎のロッカーを閉めると、その背後で先に着替え始めていた河原が不意に口を開いた。「そう言えば……」 本当ならいつものように一服したいところだったが、今日は時間も時間なため諦めるしかない。仕方なく河原に倣うように自分のロッカーを開けると、その扉の脇から河原がひょこりと顔を覗かせた。「暮科、明日早番になった?」 ……だからそういう不意打ちはやめろ。  無駄に大きく開けたままにしていたロッカーの戸の意味を考えて欲しい。  いや、本当に考えられたらそれはそれで困るんだけど。「あぁ、明日は早番が足りないらしいからな」 思いがけず視線がかち合い、再び心臓が跳ねたけれど、俺はどうにか平静を装い、そのまま帰り支度を続ける。「相変わらずお前のシフトは忙しいなぁ」 「まぁ、そういう契約だから」 視線を手元に戻すと、苦笑気味に頷いた。  するとまたしても河原が「あっ」と急に声を上げ、「じゃあ、良かったら俺の次の休み……! って、だめか。俺じゃあお前の代わりなんて務まらない、もんな……」 かと思うと、次にはどこかしゅんとしたように言いよどむ。  そこでようやく顔を引っ込めた河原に、俺は小さく息をついた。河原の視線がなくなったことにほっとして――と同時に、心の中では別の意味での溜息を重ねながら。 河原の気持ちはありがたかった。だけど、それではだめなのだ。  単に彼がホールに出られないからだけじゃない。それだと――俺と河原の休みを入れ替えたのでは、結局時間が合わないからだ。 確かに休みはすぐにでも欲しい。けれども、俺がいま、何より欲しいと思っているのは、休みは休みでも彼と共に過ごせる休みなのだ。  だってもう三
last updateLast Updated : 2025-09-09
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近いようで…… 05

    ***  二人揃って店を出て、帰り際によく立ち寄るコンビニでホットの缶コーヒーを二つ買った。河原は通りに出るなり早速それを飲んでいたが、俺は暖を取るために手の中で転がしているだけだった。「――あ、そうだ」 並んで歩き出して少しした頃、思い出したように口を開いたのは河原だった。俺は彼の顔を横目に見遣った。「木崎さ、恋人できたんだって。――あ、暮科には言っていいって言われてるから……」 「……恋人?」 「そう、前からいいなって思ってた人らしいよ」 「あー……」 思わず気の抜けた声が漏れた。  いつもは仕事が終わるなりとっとと帰ってしまうはずの木崎が、わざわざ居残ってまで話していたのは、その報告だったのか。 確かに俺も、単に最近気になる人がいるという話だけなら木崎から聞いた覚えがあった。だがあいつのその手の話は本当に多いから……。  実際、その時の相手と無事付き合うことになったという報告を受けることもあるにはあるのだが、次にはもうとっくに別れたよと当然のように言われることも少なくなくて。 そんなだから、俺はもう木崎の恋愛話はまともに取り合わなくなっているところがあった。それを河原は真面目に聞いてやっていたということだろう。  ということは、木崎が思い出したという用事も、その相手とのことに違いない。 つか、それって結局惚気だろうが……。 思えば堪えきれず舌打ちも漏れる。  と同時に、あんなにも気にしていた自分がばからしくなった。「……木崎って、すごいよな」 「え?」 そんな俺の胸中など知るよしもなく、河原はマイペースに感嘆の息を吐く。「少し前から店に来てるっていう、お客さん……金髪の人? 俺は直接見たことないけど、その人とも友達になったって言ってたし」 「あぁ……あの常連……」 てか、それもあいつ、いつのまに……。 その客のことは俺も覚えている。  覚えているというか……実は俺にと
last updateLast Updated : 2025-09-09
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さざなみ 01

 店では風邪がいまだに流行っていて、その日も俺は変更ありの早番だった。  木崎は普通に早番で、河原も予定通り遅番なのに。 まぁ、それは言っても仕方ない。  ……のは分かっているが、溜息くらいはつかせてほしい。 「いいからとっとと休憩入れよ。お前が入らねーと後ろがずれ込むだろ」 俺は休憩に入る予定時刻の14時を過ぎても、なかなかそれに従おうとしない木崎を捕まえ、無理矢理2階へと続く階段前まで引きずっていった。「あー、うん、それは分かってるんだけど……って、あーっ水! ちょ、それも俺が――」 「分かってるなら早く行け!」 先ほどホールから帰ってきたばかりの木崎のテンションが妙に高い。  構わず2階へと促すが、木崎と入れ替わるように一人分の水を用意して出て行った別のスタッフの背中に、慌てて手を伸ばそうとするくらい何やら必死になっている。 俺はその肩を階段へとまっすぐ向き直らせて、呆れたように溜息をつく。「うるせぇんだよ。いいから行けっての」 「だってっ……だってほら、暮科も見てよ! あの人だよ!」 「あの人?」 「前に言ったじゃん、あの金髪の長髪の超格好いい……」 「そいつなら俺も知ってるよ」 〝超〟は言い過ぎだと思うけどな。    すると木崎が元々大きな目を更に大きくさせて、再び俺を振り返った。「そうなの?!」 「そうなのって……マジもういいから行けって」 「だって暮科、まだ見たことないと思ってたから……」 「しつけぇんだよ」 なおも食い下がろうとするその背を強めに押すと、木崎はようやく階段を上り始めた。まだ何かぶつぶつ言いながらではあったものの、間もなくその姿が視界から消える。「はぁ……」 疲れる……。  思わず深く長い息が漏れる。 木崎の後ろには、あと一人だけ休憩を控えているスタッフがいた。  俺は今日は30分単位で2回、取れるときにとることにしているからまだいいとしても、木
last updateLast Updated : 2025-09-10
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