夢のような浮世、目覚めの刻に のすべてのチャプター: チャプター 11 - チャプター 20

25 チャプター

第11話

諒は真っ先に車から飛び降り、狂ったように一夏のもとへ駆け寄った。血の海に倒れ、見るも無残な彼女の姿を目にした瞬間、諒はもう耐えられず、嗚咽とともに泣き崩れた。和一と梓もふらつきながら駆けつける。意識を失った一夏を見下ろし、和一の頭は真っ白になり、何も考えられなかった。梓はその光景に耐えきれず、顔を両手で覆い、喉が裂けるほどの嗚咽を上げ、やがてそのまま意識を失った。――でも、一夏は何も知らない。彼女が昏睡に落ちた時には、すでに感覚は途切れ、世界から切り離されていた。記憶に残るのは、家族が再び自分を見捨て、迷いなく偽物を選んだという事実だけだった。星奈はすぐに病院へ運ばれた。彩香はお腹の子を心配して一刻も早く送り付けた。一方、一夏は――重傷のまま搬送が遅れ、数日間意識が戻らなかった。その間、星奈は何度も病室を訪れ、彩香も傍らに付き添った。「幸い星奈は大事に至らなかったわね」悪気のないその言葉は、どれほど残酷か、彩香は気づかない。誰も返事をしない中、諒だけが眉をひそめ、目配せで彼女を黙らせた。星奈は和一と梓のもとへ歩み寄り、そっと梓の手を取って慰めるふりをした。「ママ、姉さんはきっと大丈夫だから」しかし梓の目は冷たく光り、病室のベッドに目をやり、低く唸るように言った。「……私から離れなさい」さらに吐き捨てるように続けった。「それから、『ママ』なんて呼ばないで。一夏も、あなたの姉じゃない」梓はそれ以上、星奈に目を向けず、一夏を見つめ続けた。星奈の目が潤み、唇が震えた。「ママ……私は……」と言いかけた瞬間、和一が遮った。「星奈、一夏が大変な時なんだ。母さんも気が立っている、気にするな」「でも、私……」「いいから」和一は疲れ切った表情で手を振り、遮った。「年寄りには、こうも続けざまに同じことが起きると堪えられん」諒は和一と梓の様子を見て、すぐに星奈の腕を引き、そっと首を振った。「……今はやめろ。二人を刺激するな」星奈はしぶしぶ頷く。だがその目線は、病室のベッドに横たわる一夏を鋭く射抜いている。「……子供は?」諒が低く問う。「……駄目だった」星奈は痛ましげに首を振り、無意識に手をお腹にあてる。諒は黙り込む。その胸の奥に、微かな安堵が広がっ
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第12話

一夏の冷ややかな態度に、その場の空気は一瞬で凍りついた。和一も梓も、どう受け止めていいのか分からず、戸惑いと悲しみが顔に滲む。梓の目からは堰を切ったように涙が溢れ、和一の眉間には苦渋の皺が深く刻まれた。だが、医師は静かに告げる。「患者の安静を妨げないようにしてください」そう言い、二人を病室の外へ促した。病室の扉が閉まると、一夏は天井を見上げた。さっきまで目の前にいた人たちに、どこか「知っているはず」という感覚はある。だが、名前も顔も、関係も――何一つ思い出せない。考えれば考えるほど頭が重くなり、最後にはただ疲れ果てて、眠りたいという思いしか残らなかった。病室を出た和一と梓は、その足で警察署へ向かった。事故を起こしたトラック運転手に、直接問いただすためだ。署内に入ると、梓は感情の制御を失い、涙声で叫んだ。「絶対に厳しい罰を与えてください! 娘はまだ二十七歳なのに、アルツハイマーだなんて……この先、どうやって生きていけばいいのよ!」一息つくと、さらに泣きながら続けた。「五年前も事故に遭って、ようやく目を覚ましたばかりで、またこんな目に……」警察は困惑しつつも、徹底的に調べると約束した。一方、事故の運転手は精神的に追い詰められ、同じ言葉を繰り返す。「俺がぶつけたのは一人だけだ……! なのに、なんで二人も被害者がいることになってるんだ? なんで俺が濡れ衣を着せられなきゃならないんだ!」現場は私有地で、防犯カメラはほとんどなく、証拠集めは難航していた。その場に居合わせた星奈。腕には白いギプス、顔色はわざとらしく青白い。だが伏せた睫毛の陰で、瞳の奥だけがほの暗く輝き、勝ち誇った色を隠せていなかった。――監視が少ない場所だからこそ、地面に横たわる芝居ができたのだ。運転手が否定しても、誰も信じない。ただの責任逃れだと思われるだけ。星奈はそっと自分の平らなお腹を撫でた。――赤ん坊はまだいる。流産したと嘘をついたのは、事故の被害者を装うためだ。本音は、この子を失う気はない。――この子さえいれば、諒は決して自分の傍を離れない。「……ごめんね。本当ならもうすぐこの世界に生まれるはずだったのに。でも仕方ないの、全部あの女のせい。あの人さえ死んでくれればいいのに」唇に浮か
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第13話

「……一夏」諒は一歩踏み出し、一夏と星奈の間に入り、素早くしゃがむと、そっと両手で一夏の手を包んだ。声はまるで彼女を驚かせないように、丁寧に、優しいものだった。「どうして一人で出てきたんだ? 行きたいところがあれば、教えてよ。俺が押して連れて行くから」そう言いながら、諒は手にしていた毛布をそっと彼女の肩に掛けた。「これは梓さんが持たせてくれた毛布だ。冷えないようにね」「……諒!」星奈が焦った声で呼ぶ。だが諒は振り向かず、一夏の車椅子を押して歩き出す。終始、星奈に目を向けることはなかった。二人を見送る星奈の顔に、屈辱と憎悪が一瞬走る。――今は争っている場合じゃない。彼女は低く呟いた。「一夏、覚えていろ……次こそ、本当に終わりよ。絶対に目を覚まさせないから」その時、後ろから看護師の声が響いた。「椎名さん、椎名星奈さん、いらっしゃいますか?順番です、お入りください」星奈の肩がびくりと震え、慌てて手術室へ向かった。その背中を、諒は複雑な光を宿した瞳で静かに見つめていた。彼が何を考えているのか、誰にも分からない。そのとき、和一と梓が駆けつけた。険しい表情で、言葉を交わさず諒の手から車椅子を受け取る。その眼差しには、諒への不満と憤りが滲む。一夏が事故に遭って以来、二人の諒に対する態度は一変していた。「……和一さん、梓さん」諒は苦笑を浮かべ、礼儀正しく声をかける。冷ややかな対応に耐えながらも、自分の罪を痛感していた。――全部自分のせいだ。あのとき、星奈を家に迎え入れなければ……後悔は尽きない。それは、一夏が五年前の事故で意識を失っていた頃のこと。諒は絶望の淵で酒に溺れていた。ある夜、一人で訪れたバーで、酔っ払いに絡まれていた若い女性を見つけた。――星奈。大学を出たばかりで、頭を垂れてしゃがみ込む姿は、一夏に驚くほど似ていた。その一瞬の既視感が、諒を衝き動かした。酒は人の理性を溶かす。酔いに任せ、彼は一夏に酷似したその顔から目を離せず、一夜の過ちを犯した。まさか、それが子を宿すことになるとは思いもしなかった。結局、諒は星奈を家に迎え入れた。悲嘆に沈む家族は、彼女の容姿に引き寄せられるように、一夏への愛をそのまま星奈へと注ぎ込んだ。
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第14話

今回の入院生活は、前回とはまったく異なる雰囲気に包まれていた。和一と梓は毎朝早く病室に駆けつけ、手作りのお弁当を持ってきて、一夏と一緒に朝食をとった。諒は毎晩病室に付き添い、説得しても帰ろうとしない。「もう二度と、一夏をこの冷たい病室に一人にさせない」と言い、ほんの一瞬たりとも傍を離れなかった。姑の彩香は、たまにしか顔を見せない。諒の説明では、「星奈と文弘の世話があるから」だという。その名前を聞いた瞬間、一夏の胸にわずかな違和感が走ったが、すぐに病室の賑やかさにかき消された。日々は人の出入りとともに過ぎ、一夏も少しずつこの騒がしさに慣れていった。しかし、誰の目にも明らかだった——彼女は変わったのだ。口数が減り、自分から話すことはない。問いかけられても短く答えるだけ。特に諒と二人きりになると、長い沈黙が続くことが多かった。梓は、車椅子に座って窓の外をぼんやり眺める娘の姿を見るたび、涙をこらえきれなかった。和一も隣で眉をひそめ、ため息をつくばかりだった。二人は医者を呼び、娘の変化の理由を必死に尋ねた。医者は首を振り、「これほど特殊な症例は見たことありません」と前置きしたうえで説明した。「記憶喪失は、性格や生活習慣まで変えてしまうことがあります」「過去の楽しい思い出をたくさん話してあげてください。懐かしさを感じられれば、記憶はより回復しやすくなります」その日から、病室を訪れる人たちは悲しみを押し隠し、笑顔で昔話をするようになった。梓は一夏の幼い頃のいたずらや、学校での失敗、反抗期のことまで話した。続いて、大学時代の諒との出会い、恋に落ち、結婚した日のことも語った。和一は時折それに補足し、思い出話をするたびに微笑みを浮かべた。面白い話には、一夏も久しぶりに笑みを見せるようになった。その様子を見た和一と梓は、胸の重石が少し軽くなったように感じた。しかし——「結婚してからの私のこと、聞かせて」一夏のその一言で、空気が凍りついた。梓は慌てて背を向け、顔を手で覆い、溢れる涙を隠そうとした。和一はぎこちなく笑い、肩に手を置いて言った。「そのことは……諒が来たときに聞くといい。彼のほうが詳しいから」それでも一夏は追及した。「私が昏睡していた間、みんなはどうやって過ごしていたの?」和一は深
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第15話

その日、星奈は顎を高く上げ、堂々と病室に踏み込んできた。手には、小さな男の子の手がしっかりと握られている。彼女は車椅子の一夏を斜めに見下ろし、その瞳にはあからさまな嘲りが浮かんでいた。「半身不随になったくせに、何で私に勝てると思ってるの?いい加減、分を弁えなさい、さっさと消えなさいよ」一夏の視線は星奈から離れ、その隣の小さな男の子へと移った。——この子は誰……?眉をひそめ、必死に思い出そうとするが、頭の中は真っ白だった。胸に不意に悲しみが広がる。彼女は答えず、ただ星奈とその子を一瞥しただけで、すぐに目を逸らした。まるで、目の前の二人は関係のない通りすがりの人のようだった。その冷たい反応に、星奈の怒りは一気に燃え上がった。頬が赤くなるのを抑えきれない。だが、そのとき——一夏が静かに口を開いた。「……あなたのこと、知ってる」「思い出したっていうの?」星奈は驚きで目を見開いた。アルツハイマーがこんな簡単に治るはずがない。「母さんが言ってた。あなたは星奈。私に似ているから、私が昏睡している間、皆に替え玉として受け入れられた……」淡々とした口調だったが、その言葉は星奈の一番触れられたくない傷を直撃した。羞恥と屈辱で全身が震える。「……あなた、私にずっと目を覚まさないでほしかったんじゃない?」一夏の声には怒りも恨みもなく、すべてを見透かしたような諦観だけがあった。「正直、私だって時々そう思う。目覚めなければ、今みたいに自分が誰か分からないより、まだ楽だったかもしれない」星奈は歯を食いしばり、低く唸る。「本気か嘘かなんて、そんなのはもうどうでもいい。諒は私のものよ。あんたには絶対渡さない!」「諒……? 私は彼を知らないし、覚えてもいない。あなたがそこまで一緒にいたいなら、彼のところへ行けばいい。私に構うのは時間の無駄よ」その平然とした返しに、星奈はじっと一夏の顔を探った。だが、そこに揺らぎも嘘もなかった。「じゃあ約束して。二度と彼に関わらないって」一夏は鼻で軽く笑った。「彼は大人だし、自分の考えもある。私がどうこうして止められることじゃないわ。——それに、あなたが正妻ぶって、私に言うことじゃないでしょう?直接彼に話しなさい」その冷ややかな物言いに、星奈は血が沸き立つような怒り
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第16話

諒は、一夏が床に倒れているのを目にした瞬間、反射的に星奈と文弘を押しのけ、真っ直ぐ彼女のもとへ駆け寄った。その腕でそっと抱き起こし、声を震わせながら何度も問いかける。「大丈夫か?どこか、痛いところは……?」一夏は痛みに顔をしかめ、額に冷や汗がにじむにもかかわらず、唇をきつく結び、諒の前で弱みを見せまいと必死だった。星奈は諒の姿を見るなり、一瞬うろたえた。いつもの癖で彼の腕に手を伸ばそうとしたが、諒はすっと身をかわす。怒気をはらんだ鋭い眼差しが、星奈に突き刺さった。「……ここで何をしている?」「諒……、そんな怖い顔しないで……」星奈は目を見開く。これまで彼が自分に声を荒げたことなど、一度もなかったのだ。諒は慎重に一夏をベッドに横たえ、深く息を吸い込む。怒りを必死に抑え込みながら、星奈に向かって告げた。「ここにお前の居場所はない。文弘を連れて、さっさと帰れ」「じゃあ……あなたは、ここで彼女と過ごすつもりなの?」震える指先で一夏を指さす星奈の声は、焦りで震えていた。諒は眉間に深い皺を寄せ、無言で頷いた。その目は二度と星奈へ向けられなかった。「諒……もう何日も家に帰ってないじゃない。今日は一緒に帰ろうよ?」その声は急に柔らかくなり、縋るような眼差しが彼に注がれる。だが、諒は沈黙を崩さない。星奈は何かを悟ったのか、次第に声を荒げ、音量を上げた。「まさか……その障害者のために、私を捨てるつもり? 結婚式で誓ったこと、忘れたの?」「黙れ!一夏に口出すな!」怒号と共に、諒の手が鋭く振り抜かれた。「……っ!」星奈の顔が叩かれ、赤い痕が浮かぶ。ゆっくりと顔を戻した彼女は、信じられないといった目で諒を睨みつけた。その時、病室の扉が開き、彩香が飛び込んできた。星奈を庇うように前へ立ち、鋭い声で諒を叱責する。「諒! 何してるの!? 星奈はつい最近流産したばかりで、まだ体が弱ってるのよ!」星奈は彩香の腕に身を預け、大きな声で泣き出す。彩香は背中を優しく叩きながら、諒を責めた。諒は母の前で口を開きかけたが、結局何も言わず、黙ってその叱責を受け入れた。一夏は、その光景をじっと見ていた。彩香の腕の中で顔を伏せる星奈が、実は泣いてなどおらず、こちらへ向けて密かに不敵な笑みを浮
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第17話

諒の目が赤く染まり、次の瞬間、一夏を強く抱きしめた。声は震え、泣き崩れるように繰り返す。「ごめん……一夏……全部俺のせいだ……俺が、君を裏切ったんだ……」一夏は眉をひそめ、目の前で嗚咽する男を訝しげに見つめた。「……どうして泣くの? なんでそんなに謝るの?」諒が言葉を探していたその時、星奈が割り込んできた。彼女は、すでにいつもの姿を取り戻し、優雅で誇り高く、文弘の手を引いてゆっくりと諒のそばへ歩み寄った。星奈はそっと諒の袖をつまみ、わざとらしいほどしおらしい声で言った。「文弘ね……何日もパパに会ってないの」その言葉を聞くなり、文弘はぱっと母の手を離れ、諒の足にしがみついた。「パパ、どうしてずっと家に帰ってこないの? パパと遊びたいよ……」諒は一夏を横目で見やった。その視線の先の彼女は、無表情のまま何も反応を示さない。わずかに表情を引きつらせながらも、諒はしゃがみ込み、文弘の頭を優しく撫でた。「パパは少し忙しいんだ。だから今日はママと一緒に帰ってくれるか?」「じゃあ終わったら、帰ってくる?」無邪気な声で問い返され、諒は再び一夏の方を見た。その間も、星奈の目は鋭く、焦りと苛立ちが入り混じっていた。やがて彼女は小声で文弘に耳打ちする。「文弘、さっきのこと、パパに言って」合図を受けた文弘はすぐに甘えた声を上げた。「パパ……ぼく、さっき転んですごく痛かったの。お医者さんに連れてって!」一夏の目が大きく見開かれる。——さっき、自分は確かにこの子を庇った。怪我をしたのは間違いなく自分で、彼には傷一つなかったはず。視線を星奈へ向けると、彼女は勝ち誇ったように口の端を吊り上げた。なるほど——これは諒を家に連れ戻すための、幼稚で稚拙な芝居にすぎない。胸の奥がざわめく。理不尽で、悔しくて、そしてどこか既視感のある痛み。記憶を失ったはずなのに、この苦しさだけは、なぜか知っている。——きっと私は、何度も何度も、こういう思いをさせられてきたのだろう。諒が文弘に困り果てていると、ちょうど和一と梓が病室へ入ってきた。合図を受けた彩香が、文弘を連れて部屋を出て行く。一夏はもはや相手にする気もなく、ただスマホに視線を落とした。諒は何気なくその手元を見て、ふと気づく。
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第18話

病室の中は、凍りつくような静寂に包まれていた。――パシン!乾いた、鋭い音が響き渡る。その平手打ちは、まるで雷鳴のように星奈の頬に叩きつけられた。「……ド畜生が! 俺と梓がお前をどれだけ大事にしてきたんだ! それなのに、こんな真似をするとは!」和一の全身は怒りで震え、足元がふらつく。梓が慌てて支えなければ、そのまま倒れ込んでいたかもしれない。梓の顔にも怒りが燃え上がり、その瞳は鋭い炎のようだった。星奈は衝撃で視界が揺れ、頬を押さえた。目は瞬く間に赤く染まり、涙が頬を伝って零れ落ちる。その様子を見た彩香は、思わず口を挟んだ。「和一さん……星奈がやったことは確かに酷かったかもしれません。でも、意地悪な子じゃないんです。こんなふうに叩くなんて……」ちょうどその時、電話を終えた諒が病室に戻ってきた。彼の顔は青ざめ、怒りを押し殺した声は氷のように冷たかった。「母さん……二人目の子は、あいつが自分で勝手に堕ろしたんだ。それでも『意地悪な子じゃない』と言えるのか?」彩香は雷に打たれたように言葉を失い、信じられないという目で諒と星奈を交互に見た。「……本当なの……?星奈」星奈の顔色は真っ白になり、慌てふためいて諒に縋ろうとする。「諒……違うの……子どもは、交通事故で……」しかし諒は冷ややかな視線を向け、無言で携帯を机に投げ置いた。「これを見ろ」画面に映し出されたのは、一夏が車に撥ねられる瞬間だった。その体が宙を舞い、地面に叩きつけられる様子に、梓は口を押さえ、嗚咽を漏らす。和一も拳を握りしめ、目頭を赤く染めた。そして画面が切り替わる。そこには、倒れた一夏を見下ろし、薄笑いを浮かべる星奈の姿。やがて彼女は芝居がかった動きで一夏の隣に横たわった——すべてが鮮明に記録されている。「こんなの嘘よ! 合成に決まってる! 一夏、あんたが私を陥れるために仕組んだんでしょ!」星奈は必死に否定し、いつものように一夏へ責任を押しつけようとする。しかし、今や彼女の言葉を信じる者は彩香しかいなかった。文弘は怯えて泣き叫び、彩香の腕の中でもがく。諒は一歩も引かず、さらに追い詰めるように言葉を投げつけた。「……あの日、俺は中絶手術室の前でお前を見た。違和感を覚えたんだ。後で警察に確認したの
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第19話

星奈が警察に連れられて行った後、病室にはようやく静けさが戻った。和一と梓、そして彩香は、この数日で立て続けに重い衝撃を受け、すでに心身ともに疲れ果てていた。諒はそんな三人を気遣い、「今日はもう休んでください」と穏やかに促し、先に家へ帰らせることにした。文弘も彩香に連れられて病院を後にする。残されたのは、諒と一夏だけ。諒は、ベッドの上で黙ったままの一夏を見つめながら、口を開いた。「一夏……もう真実は明らかになった。星奈は警察に連れて行かれた。今回の罪は重く、そう簡単には法の裁きを逃れられないだろう」彼は一度言葉を切り、深く息を吸い込み、少し緊張を帯びた声で続けた。「……俺に、もう一度チャンスをくれないか。君とやり直したいんだ」「……どうやって、やり直すの?」一夏は静かに顔を上げ、真っ直ぐに諒を見つめた。その瞬間、諒の顔にぱっと笑みが広がる。「……話しかけてくれた……! 昔みたいに、いや、君が昔のことを覚えてなくてもいい。今の君が望む形で、一緒に生きていこう。君が笑っていられるなら、それだけでいい」一夏はじっと彼を見つめ、考えるようにしばし沈黙。やがて小さな声で一言。「……うん」諒の胸に喜びが弾けた。抱きしめたい衝動に駆られたが、今の一夏を驚かせるのが怖くて、必死に堪える。それでも、瞳の奥には喜びが溢れていた。その日から、諒は病室に来るたびに笑顔を絶やさなくなった。仕事で忙しい間は一夏の両親が付き添ってくれていたが、時間が空けば必ず病室に現れ、まるで影のように寄り添った。一夏が「北区のたこ焼きが食べたい」と言えば、長い行列に並んででも買ってきた。車椅子に長く座って疲れた一夏が立ってみたいと言えば、すぐそばに立ち、しっかりと腕を支えて一歩も離れない。そうして日々が過ぎ、一夏は諒の存在が当たり前のように感じるようになっていった。心の空白が少しずつ満たされ、笑顔が増えていく。諒の肩にもたれ、他愛のない話をすることも多くなり、以前のように一方通行の会話ではなくなった。「諒……私たち、昔も仲が良かったの?」諒が剥いてくれた果物を頬張りながら、一夏が首をかしげる。諒の手が一瞬止まり、表情が固まる。しかしすぐに笑顔を作り直した。「もちろんだ。仲が悪かったら、君が俺と結婚する
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第20話

諒の顔色は、一瞬で真っ青になった。口を開こうとしたが、喉に何かが詰まったようで、言葉が出てこない。一夏はその様子をじっと見つめ、胸の奥で「ドクン」と嫌な音がした。全身に嫌な予感が走る。それでも、わずかな期待を胸に、諒の答えを待った。「……実は……文弘は、俺と星奈の子なんだ」その瞬間、「カラン」と高い音が響く。一夏の手からフォークが滑り落ち、床に転がったのだ。目を見開き、信じられないという表情で固まる。頬に浮かんでいた微笑みは、冷たい風に吹き消されるように、一瞬で消え去った。「一夏、これには……事情があったんだ。お願いだから聞いてくれ!」諒は慌てて一夏のそばに駆け寄り、抱きしめようとするが、一夏は強く突き放した。「母さんは、星奈を私の『代わり』だって言ってた……でも、まさかその『代わり』に同居させて、子どもまで産ませるなんて……諒、それは重婚よ。犯罪なのよ!」冷え切った視線を諒に向け、一言一言を噛みしめるように吐き出す。「……一夏、落ち着いて。あの時、俺は本当に壊れかけていたんだ。君が事故に遭ってから、俺は何もかも失った気がして……君にそっくりな星奈を見て、つい彼女を君の代わりだと思い込んでしまった。それで……あんなことに……でも今は違う。君も見ただろう、俺はもう彼女と縁を切ったんだ!」諒は必死に弁解し、両手で一夏の肩を掴み、真正面から目を合わせようとした。だが、一夏の胸に広がっているのは、嫌悪だけだった。諒の顔も声も、吐き気を催すほどに不快だった。諒が何か言いかけた瞬間、「パパ!」という高い声が割り込む。文弘だった。彩香に手を引かれ、病室に入ってきたのだ。文弘の顔に、星奈の面影を見つけた一夏は、思わず皮肉げに笑った。「子どもまで作って……それでも言い訳をするつもり?」事故の日の記憶、星奈の卑劣な企み——すべてが胸を締めつける。二度も同じ男に騙された自分が、哀れで仕方なかった。「文弘がどうしてもパパに会いたいって……仕方なく連れてきたのよ」彩香は病室の張りつめた空気に気づき、困ったように言った。文弘は彩香の手を振り払い、諒に駆け寄って服の裾をぎゅっと掴む。「パパ、遊びに行こうよ!」返事がないと、くるりと振り返り、一夏を睨みつけた。「悪い女! ママを警察に
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