All Chapters of 唇を濡らす冷めない熱: Chapter 51 - Chapter 60

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届かない、その祈り 1

「こっちです、主任〜! ああ、本当にもう! なかなか来てくれないから、何度そっちに飛んで行こうかと思ったか!」 空港のターミナルで主任を捕まえると、久しぶりだと思い切り彼女に抱きついてみせる。隣に立っている主任の婚約者である御堂《みどう》さんが、冷めた目で見ていても全く気にしない。 ふふん、むしろ羨ましいでしょう? と言わんばかりに長松《ながまつ》主任に撫でてもらって、それはもう良い気分に浸っていた。「横井《よこい》さんも元気そうね、安心したわ。私も思い切って本社に移動を決めてしまって、仕事も貴女にたくさん引き継いだから……」「紗綾《さや》は気にしなくて大丈夫だろう。横井さんがここまで元気なら、きっと新しい上司とも上手くいってるんだろうしな」 ……うっわ〜。 相変わらず優しい主任に癒してもらっていたのに、御堂さんの余計な一言で一気にテンションが下がる。 ああ、休日にまで嫌な顔を思い浮かべてしまったじゃない。 主任に抱き着いていた腕に力を込める、もちろん彼女が苦しいと感じない程度にだけど。「あらあら、今日の横井さんはずいぶんと甘えん坊なのね? 新しい仕事に慣れなくて休みが取れず、遅くなっちゃったからかしら」 ふふふ、と困ったように笑う主任。 前よりずっと笑顔が柔らかくなったのは、やはり御堂さんのおかげなんでしょうけれど。「そろそろ紗綾を離してくれないか、横井さん」 どうやら我慢の限界なのか、私達の間に割って入ってくる御堂さん。立派な大人の男のくせに、そんな事でヤキモチ妬いてていいんですか?「伊藤《いとう》さんの時の恩人である、私にまで嫉妬するとか酷くないですか? そんなに心の狭い人に、私の大事な主任は任せられないんですけど」 さっきの御堂さんの嫌味がまだ後味悪く残ってる気がして、ついつい喧嘩腰になってしまう。それくらい今の私にとって、梨ヶ瀬《なしがせ》さんの存在は悪い意味で大きかった。「あの時の事は勿論、とても感謝している。だがこれから先、横井さんが紗綾に何かしらの特別な感情を抱かないとは言い切れないからな」 ……へえ、そうきましたか。否定はしませんよ、だって私も主任の事が大好きですし? だからといって、恋人である御堂さんにまで妬いたりしませんけどね。 静かに火花を散らし合う私達を見て、主任は慌てて間に入る。「そういえば横井さ
last updateLast Updated : 2025-10-12
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届かない、その祈り 2

 大好きな主任の口から聞きたくない名前が出てきて、一気に気分が悪くなる。話をしなきゃとは思っていても、やはりそれを考えると気が重くなってくるのだ。「すみません、長松《ながまつ》主任。その名前を休日にまで聞きたくないんです。なんか、全身に蕁麻疹が出そうな気がして」 そんな私の言葉に彼女はキョトンとしているが、心の平安を保つためになるべく耳にしたくないのよ。 こうやって私が悩んでいるのも、もしかしたら梨ヶ瀬さんの計算の内なのかもしれない。そう思うと余計に腹も立って来る。「ねえ、横井《よこい》さん。その……貴女は彼のどんなところが、そんなに嫌なの? 要《かなめ》から聞いた話では、明るくて人に好かれる優しい男性という感じだったけど」「それは、彼の上っ面だけの話ですよね!? 主任も御堂《みどう》さんも、あの男に騙されてるんです!」 優しい男性ですって? 御堂さんはどこに目をつけてるのよ、やり手な課長代理だと思ったのは私の勘違いだったの? 明るくて人に好かれる、そんなのあの人の表面だけじゃない! 本当の梨ヶ瀬《なしがせ》さんは少し意地悪で、かなり計算高くて。それで……どんな時の笑顔でも、彼は心からは笑っていなくて。 すぐにちょっかい出してくるくせに、その私にも素顔は見せようとはしない。あの人は、そんな狡い人なのに。「えええ? 要が騙されてるって、そんなまさか……」 私の言葉が信じられないというような様子の主任。 でもそんな事はお構いなしに私は、梨ヶ瀬さんへ自分が持っている悪いイメージだけを話してしまう。 あの人に良いところが無いわけではないが、それを話すのは何だか悔しい気がして。「いいえ、あの男は絶対に本性を隠しています! 誰にでもにこにこと愛想いいふりをして、裏で何を企んでいるか分かりませんよ?」 主任は梨ヶ瀬さんと会ったことが無いから、彼がどんなに計算高くずる賢い男かを知らないのだ。 あの人は優しい笑顔で近づいて来て、その本心は誰にも見せようともしない。いつだって何を考えているのかさっぱり分からない。 そのわりに何度も私にちょっかいを出して、気を引くような言葉を口にする。そんなところが、訳が分からなくてイライラするのよ! そんな説明する事の出来ない私の気持ちを見透かしたように、今度は御堂さんが話に割って入る。「それで横井さんは、梨ヶ瀬の
last updateLast Updated : 2025-10-13
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届かない、その祈り 3

 本当は分かっている、御堂《みどう》さんの言うことももっともだ。 梨ヶ瀬《なしがせ》さんは、私に危害を加えようとしたことなど一度もない。それどころか、私を何度も助けようとしてくれて…… 迷惑なくらい傍にいたのも、ストーカーを近寄らせないため。その上で今後のためにと、きっちりストーカー男に釘も刺してくれた。 そんな梨ヶ瀬さんの良さが、本気で分からないわけじゃないの。 ただ……こっちのスペースには笑顔で入ってくるくせに、本当の自分は見せてくれない。彼自身のスペースには私を入れようとしない、そんな狡さが嫌なの。 でもそれを口にすれば、私は梨ヶ瀬さんの特別になりたいと言っているみたいで。それも気に入らない。 こうやって私の考えは毎回、グルグルグルグルと堂々巡りになってしまっている。 「ねえ、横井《よこい》さん。貴女だって本当は、梨ヶ瀬さんがそんなに悪い人じゃないんだって。実はちゃんと分かっているんでしょう?」 そう長松《ながまつ》主任から優しく聞かれて思わず唇を噛んだ。 主任は適当に思ったことを言うような人じゃない、私の態度を見てそう判断しているのだ。 梨ヶ瀬さんが本当に悪い人ならば、私だって素直に彼を頼ったりはしなかったはずで。頭の片隅では梨ヶ瀬さんが、信用出来る人なんだとちゃんと気付いてる。 それでも…… 「分かってるんですよ、梨ヶ瀬さんが有能な人だって事は。でも彼のなんとなく重い雰囲気とか、笑っているのに冷たさを感じる瞳が……どうしても好きになれないんです」 いつまで経っても、初めて見た時の彼の感情を読ませない瞳を忘れられなくて。いまだに、梨ヶ瀬さんとの距離を縮める気にはなれないでいる。 いつも笑ってるのに、その笑顔が本物には見えないから。そんな梨ヶ瀬さんを、好きにはなれそうになかったのよ。 それでも少しずつ関わってくるうちに、梨ヶ瀬さんのイメージは変わって……良い人なのかと信じそうになる自分が怖い。 それならば、このまま大嫌いのままでいい。これ以上近寄れば私はきっと……「波長が合わないんでしょうか? どうしても私には他の人が
last updateLast Updated : 2025-10-13
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届かない、その祈り 4

「それは……また、どうして横井《よこい》さんに?」 主任がそう思うのも当たり前で、うちの部署では今まで経験豊富な社員が課長のサポート役をやる事が多かった。なので入社して数年の私がその役に選ばれる方が珍しいのだ。 それに梨ヶ瀬《なしがせ》さんの補佐をやりたがっている女性社員も少なくないはず、なのになぜ……?  主任と御堂《みどう》さんもお互いに顔を見合わせている。御堂さんが顎に手を当て何か言いたそうにするが、結局何も言わず黙ってしまった。「私、すぐに断ったんです。まだ自分には荷が重い、もっと経験を積んでからにして欲しいと。ですが君にしか任せられないから、の一点張りで」 昨日梨ヶ瀬さんのマンションで、彼に隠れて会社に電話をかけてみた。運よく残っていた部長に繋げてもらい話をしたのだが、結局こちらが説得される羽目になって…… 何故そこまで私に拘るのかも分からないまま、結局部長に上手く話をまとめられてしまったのだ。「確かに横井さんの気持ちも分かるわ。だけどこれは、横井さんの実力を大きく伸ばすチャンスにもなるはずよ? きっと梨ヶ瀬さんの傍で、学べることは少なくないと思うの」「それは、分かってるんです。だけど、あの人の傍なんて……」 一目見た時から、この人は嫌いだと思った。距離を取ろうとしてるのに、遠慮なくこっち側に踏み込んでくるのも苦手で…… それなのに優しく気を使ってくれる、そんな一面も見せられて心がグラグラしてしまう。 今の自分は、もの凄く不安定な気がして……「今は主任も御堂さんもいなくて、私だって心細くなる時があるんです。これから私は誰に相談すれば……」 いつも元気で気の強いふりをして立って、私だって一人の人間なわけで。他人のことならズンズン踏み込むことだってあるくせに、自分のこととなるともう…… それに今は私を理解してくれる主任も御堂さんもいない、そんな時に梨ヶ瀬さんがやってきて私を振り回すのだから。 恋愛ごとで誰かに心を乱されるのなんて、まっぴらごめんなのに。「ねえ、横井さん。こうして離れていても、私にはいつでも頼ってくれていいのよ?」 主任の言いたいことは分かる、傍に居なくても私が頼めば彼女も御堂さんも力になってくれるだろう。励ましの言葉一つだって、あるのとないのでは大きく違う。 きっと二人は私の心に寄り添ってくれようとしてるん
last updateLast Updated : 2025-10-14
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届かない、その祈り 5

 いくら本社勤務になったとはいえ、長松《ながまつ》主任は私にとっては出来る上司だ。今だって本社でバリバリ仕事をしていると聞いている。 そんな彼女が、私の友人だなんて……そんな特別な関係を望んでもいいの?「……友達、ですか? 主任と御堂《みどう》さんが……私の?」 けれど主任には上司と部下という関係にこだわるつもりはないらしく、柔らかな笑顔で答えをくれた。「ええ、これからは私の友達になってくれる?」 そう言ってこちらへと差し出しされた主任の右手、私はまだ戸惑った表情のままだったがおずおずとその手を握り返した。 そんな私たちの様子を見ていた御堂さんが、今度は私に手を差し出して。私と主任は思わず吹き出してしまったが、そのおかげで緊張の取れた私は御堂さんの手を遠慮せずに強く握ったのだった。「今日からお友達、なんですよね? 私と主任、そして御堂さんは」 嬉しくてつないだ両手を上下に揺らす、子供っぽいとか言われても今は気にしない。こうして友達だとはっきり口にしたのなんて何年ぶりだろうか? いつからか恋人や友達になりましょうって、ちゃんと言葉にしなくなった気がする。こんなに大事な事なのに…… そう思ってるとすぐ傍に置いた鞄から、私のスマホのメロディーが鳴る。この音楽はメッセージで、この時間に送ってくるのが誰かも予想がつく。 鞄を開けてスマホのディスプレイを確認すれば、ほらね。「この人もなんだかんだで相当捻くれてる心配性なのよね、ふふ」 どうやら今日私が無事に主任たちと会えたかを心配しているようだ。最初は主任たちのことばかりを気にしてたくせに、いつの間にか私の心配までするようになってしまって。 ……この人は、そういう変な男性だから。 そんな私の独り言が主任たちにも気になったようなので、スマホのディスプレイを見せる。「伊藤《いとう》さんです。あの人、どうしてか私の番号を知ってたみたいで」「彬斗《りんと》君が? どうして海外にいるはずの彼が、今も横井《よこい》さんと連絡を取ってるの?」 伊藤さんは主任の元
last updateLast Updated : 2025-10-14
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届かない、その祈り 6

「今夜は紗綾《さや》さんを私が独り占めしていいんですよね、御堂《みどう》さん?」 御堂さんたちが二人で眠るはずのダブルベッドの上で、私は紗綾さんに抱き着いている。友達宣言の後、私は主任の事を遠慮なく名前で呼ばせてもらっている。 御堂さんは私に紗綾さんの隣を譲りたくないようで、部屋の端のソファーでいまだこっちを睨んでいでいるが…… 紗綾さんと一緒に一夜を過ごす、これは私と御堂さんが正々堂々とした勝負で得た権利だから気にしない。「もう御堂さん、諦めが悪いですよ? 紗綾さんとはいつも一緒に眠ってイチャイチャベタベタ出来るんですから今日くらい私に譲ってください」 遠回しに御堂さんに向かって「部屋を出て行け」と伝えてみるが、御堂さんはピクリと眉を動かすだけで…… 言われたから大人しく「はい」なんて可愛いタイプでもない御堂さんは、ソファーに肘をついたままの体勢のまま言い返す。「横井《よこい》さんは空港から降りて、紗綾を散々独り占めしてると思うが?」 バチバチと音を立てて睨み合う私と御堂さんに、困った表情を浮かべる紗綾さん。結局彼女をめぐる二人の勝負は深夜まで続いていた。 勝者は……もちろん最後まで紗綾さんのから離れなかった私に決まっていたようなものだけど。 紗綾さんと御堂さんと過ごした二日間は、本当にとても有意義な時間だった。 二人の出発を空港で見送り、帰りの電車の中でスマホを確認すると三件の新しいメッセージ。 一件は昨日と同じように心配性な伊籐《いとう》さんからで。『ちゃんと見送り終わったか、泣きながら帰るなよ?』 なんて、私が寂しがらないようにそんな言い方するんだろうな。この人は本当に捻くれていて面白い。 だけどもう二件は、今一番の悩みの種の梨ヶ瀬《なしがせ》さん。紗綾さんたちに相談に乗ってもらっても、まだ自分の中でどう付き合っていけばいいのか分からないまま。 恐る恐る、梨ヶ瀬さんからのメッセージを開くと……『明日から、よろしくね』 それだけか、と安心して二つ目のメッセージを開いて固まった。あまりに色々あり過ぎて、記憶からすっかり消え去っていた。 いいえ、このまま消えていて欲しかったのに……『鷹尾《たかお》がダブルデートの日を早く決めたいそうだよ、ちゃんと眞杉《ますぎ》さんに聞いておいてね?』 しっかりと覚えているところがこの人ら
last updateLast Updated : 2025-10-15
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届かない、その祈り 7

 月曜の朝。いつもよりも三十分早く出社した私は、眞杉《ますぎ》さんの働いている部署へと向かう。 他の社員ならばこんな早くには出社しないだろうけど、真面目な眞杉さんはそんな事はない。誰よりも早く出社して、他の社員のデスクの拭き掃除などをしているらしい。「おはよう、眞杉さん! 今日も、早くから頑張ってるのね」「ええ? 横井《よこい》さん、いったいどうしたんですか?」 私が自分の部署から離れた場所にある、眞杉さんの所に来たことに驚いているようだ。オロオロとする様子も、ちょっと可愛くて何となく庇護欲を掻き立てられる。 鷹尾《たかお》さんが眞杉さんを守ってやりたくなる気持ちも分からなくはないのだけど……「今日はね、ちょっと眞杉さんに頼みたいことがあって……」 眞杉さんに対して後ろめたさがあるせいか、途中からもごもごと聞き取りにくい感じになってしまう。 そんな私を見て眞杉さんは、眼鏡の奥の瞳をきょとんとさせて……「珍しいですね、横井さんが私に頼みごとなんて? いいですよ、私に出来る事ならば」 ああ。もしここで眞杉さんが嫌だと突っぱねてくれれば、どれだけ良かっただろう。そう神に願っていたのに、その祈りは届かなかった。 笑顔の眞杉さんを見て、純真無垢な彼女を騙しているような罪悪感に襲われてしまい……凄く胸が苦しい。 あれもこれも全部梨ヶ瀬《なしがせ》さんの所為だと、彼が悪いんだという事に出来ればいいのに! 私は眞杉さんがショックを受けることを覚悟して、自分のお願いを彼女に告げたのだった。※※「おはよう、横井さん。もう聞いていると思うが、これから梨ヶ瀬君のサポートを頼んだよ」「部長! その話なんですが、昨日も話した通り私にはまだ……」 梨ヶ瀬さんと二人、ミーティングルームに呼び出され例の件について部長から頼まれる。 それでも素直に「はい」と言えない私は、どうにか断る方法がないかと足掻く。真後ろの梨ヶ瀬さんから、痛いほどに冷たい視線を感じながら……「横井さんが適任だって梨ヶ瀬君も言っているし、私もそう思うんだ。君のステップアップにも繋がるし、頑張りなさい」「部長……」「横井さんがサポートしてくれれば、俺も心強いです。分からない事も多いのでよろしく頼むね、横井さん」 やっぱり梨ヶ瀬さんが、余計な事を部長に言ってたんじゃない! 何が私が適任よ
last updateLast Updated : 2025-10-15
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届かない、その祈り 8

 当たり前だが梨ヶ瀬《なしがせ》さんのサポート役になるという事は、彼と一緒に居る時間が増える。この人の傍に呼ばれる回数も増える。 ついでに言うと、梨ヶ瀬さん目当ての女子社員の嫉妬の視線も一身に受ける事になる。「ああー、憂鬱……」 これから先の事を考えれば考えるほどに、頭が痛くなる。今までの平和だった私の仕事が、一気に気の重いものに変わってしまったのだ。 イライラしながら梨ヶ瀬さんを睨むと、私の視線に気づいた彼がニッコリと微笑んでくる。 梨ヶ瀬さんは上機嫌だが、私は不機嫌極まりない。その事に気付いてください、余裕の笑みを浮かべないでください。物凄く腹が立つから。 しかも、そんなときに限って……「ねえ、横井《よこい》さん。ちょっといいかしら、話があるの」 すぐ傍に立っていたのは、私を資料室に閉じ込めた先輩で。とても不愉快だと言わんばかりの顔をして、私に奥にある給湯室まで着いてくるように言ってきた。 渋々立ち上がり彼女についていこうとして課長のデスクを振り返ってみると、そこに梨ヶ瀬さんはいなくて…… こんな時に限ってどこで何をしているのか分からないなんて、本当に私のことを守ってくれるつもりあるの? そんな梨ヶ瀬さんに少しだけ苛立ちを感じながら、言われるままに給湯室へと向かった。「私が言いたいこと、分かるわよね?」「はあ、何となく……」 一方的な嫌がらせをして、こんな風に強引に連れ出しておいてよく言う。私が言いたいこと、とやらもこの分だと相当身勝手な内容に違いない。 この先輩が梨ヶ瀬さんに気があるのは分かってる。どうせ今回のサポート役に選ばれた、私のことが気に入らないのだろうけれど。 おあいにくさま、私が散々断ってのこの結果なんですよ。どうにかしてほしいのなら、上司に直接掛け合ってくれません?「何となくって、横井さんって本当に生意気ね! そんなんだから、皆に嫌われてるって分からないの?」「そういうの、私は気にしないタイプなんで」 それに皆っていったい誰のことだろう? 少なくとも私の事を敵意剥き出しで見ているのは、梨ヶ瀬さんの金魚のフンである先輩を含めた数人のはずだけど。「課長が味方に付いているから大丈夫ってこと? 何それ、調子に乗らないでくれる?」「いえ、そんな事は一言も言ってませんけど?」 貴女こそ勝手に言葉を変な方へ解釈し
last updateLast Updated : 2025-10-16
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届かない、その祈り 9

 それが出来ていれば苦労はしない、何度も頼んでもこの結果が変わらないという事を知らないくせに。 簡単にああしろこうしろなんて、部外者が口を挟まないで欲しいものだわ。「分かるんでしょう? 横井《よこい》さんにはまだ荷が重いと思って言ってあげてるんじゃない」「荷が重い……ですか?」 言われなくても、それも何度も部長に伝えましたよ。きっと信じてもらえないでしょうけれど。 親切ぶって本音は全然違う所にあるくせに、私をサポートから外したくてしょうがないだけなのにね。「横井さんより私の方が梨ヶ瀬《なしがせ》課長のサポートに相応しい、そう部長に伝えてくれればいいのよ。それくらい簡単でしょう?」「それが本音ですか……」 割と早く自分の希望を言ってくれた先輩に呆れつつ、どうしたものかと考える。きっと「はい」というまでここから出す気はないのだろうし。「何ですって!?」「ねえ、ちょっと……篠根《ささね》先輩、あの……」 意外と落ち着いたままの私の返事に腹を立てている先輩に、給湯室の外にいる別の女子社員が心配そうに声をかけている。 そう思っていたのだけど……「何か楽しそうなことをしてるみたいだね、俺も混ぜてくれない?」 このピリピリとした雰囲気にそぐわない調子のよさげな明るい声音、これは間違いなく梨ヶ瀬さんのものだ。「な、梨ヶ瀬課長! どうしてここに?」 慌てた様子の先輩が外にいたはずの女子社員を見ると、彼女たちは既に梨ヶ瀬さんに後ろで申し訳なさそうに手を合わせている。 きっと梨ヶ瀬さんに上手く丸め込まれてしまい、この現場を見せてしまったのだろう。「どうしてって、ここは社員全員が使う給湯室だよね? そこに俺が来ることがそんなにおかしいのかな」 梨ヶ瀬さんの遠回しな言い方が余計に怖い。誰もが見に来れる場所でおかしな事をしている方が悪い、私にはそんな風に聞こえてしまう。 梨ヶ瀬さんはゆっくりとした動作で私の前に立ち、先輩と真正面から向き合ってみせる。この状態が彼に守られているみたいで、何となく恥ずかしかった。「篠根さんが優秀なのは知っているけれど、どうして俺のサポートに相応しいかを横井さんに言わせる必要があるの?」「それは……その、私が言うよりは話がスムーズかと思いまして」 嘘を言わないで。そうやって私を威圧して、自分から梨ヶ瀬さんのサポートを断
last updateLast Updated : 2025-10-17
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届かない、その祈り 10

「それは、その……」 梨ヶ瀬《なしがせ》さんからの質問の答えに迷う。今ここで先輩が嘘を言っていると言えば、先輩や外にいる女子社員は上司から注意を受けるだろう。 しかしこれだけ嫌がらせを受けて黙っていても、きっと彼女たちの行為を増長させるだけ。 それならば……「どうなの、横井《よこい》さん?」「……いいえ、ハッキリと篠根《ささね》先輩に梨ヶ瀬さんのサポートを断るように言われました。そのうえ自分の方が相応しいと、上司に口添えするようにとも」 そう言った瞬間、梨ヶ瀬さんの口角がクッと上がった事に気付く。どうやら彼が望んでいた答えを私は選ぶことが出来たみたいだ。 だけどそんな梨ヶ瀬さんとは反対に、真っ青になって震える篠根先輩。彼女は私をギラッとした目で睨むと……「なんてことを言うの、横井さん! 嘘、嘘です! 横井さんは、私が嫌いだからってそんなでたらめをっ!」 さっきまで私を威圧していた彼女は、なりふり構わず私を悪者にしようとしてくる。嘘なんて私は行ってないし、反省の色の無い彼女に私の中で何かがプチンと音を立てて切れた。「嘘? 何が嘘なんですか? こうやって先輩が、私を呼び出して言うことを聞かせようとしたことですか。それとも……この前、資料室に閉じ込めるなんて子供じみた嫌がらせをしたことですか?」「……横井さん、貴女!!」 カッとなった先輩が手を振り上げると同時に、私の前に誰かが立ちふさがる。いや……誰かだなんて、私を庇ってくれる人なんて一人しかいない。 間違いなく、この後ろ姿は梨ヶ瀬さんのものだ。「はい、ストップ! いくら頭にきても暴力は駄目だって分かるよね、篠根さん」 篠根先輩の上げた手は振り下ろされることなく、梨ヶ瀬さんに手首を掴まれそのままの状態になっていた。 力いっぱいに振り下ろされるはずだった腕を、梨ヶ瀬さんは軽々と止めてしまっていて。「は、離してください! 私は別に暴力なんてっ」 焦ったような先輩の声に、梨ヶ瀬さんは優しく微笑んでこう言った。「じゃあこの拳はどうするつもりだったの? 一度くらいなら目を付けるくらいで済ませようと思ったけれど、こんなに何度もだと許せなくなるのは当たり前でしょ?」「何度もって……まさか、あの資料室の事も知って?」 表面上は笑顔でも、梨ヶ瀬さんの持つ雰囲気がいつもとは違っている。その言葉の
last updateLast Updated : 2025-10-18
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