All Chapters of 暴走する愛情、彼は必死に離婚を引き止める: Chapter 751 - Chapter 760

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第751話

信行が口を開くより早く、克典は淡々とした声で遮った。「もし昔と同じことがまた起きるなら、2度と真琴をお前のもとへ戻す気はない」実の弟だからこそ、その性格は知り尽くしている。2度と真琴を裏切らせないよう、あらかじめ釘を刺しておいた。克典の警告に、信行は鼻先で笑ってみせた。「心配するなよ、兄さん。そんな隙は見せないさ」前回、海外から戻ったとき、克典は真琴に見返りなど求めず、ただ幸せでいてくれればいいと言っていた。そして今回帰ってくるなり、真琴を裏切るなと告げてくる。長年にわたり、克典は自分の思いを心の奥深くに沈めてきた。実はずっと真琴に惹かれていた。ただ彼女の気持ちを何より大切にしてきただけだ。勝ち誇ったような信行の態度にも、克典は表情を崩さなかった。「今日言った言葉を忘れるなよ。肝に銘じておけ」信行は軽く眉を跳ね上げた。「分かってる」絶対に譲る気はないという信行の様子を、克典は静かに見つめ、それ以上は何も言わなかった。そこへ、美雲が裏庭から姿を現した。2人が出入り口を塞いでいるのを見て、からっとした声を上げた。「2人して突っ立って何してるの?用がないなら裏庭へ行って、おじい様とおばあ様の話し相手でもしてきなさい。真琴ちゃんと紗友里を見習いなさいよ。あの子たちはいつだって気が利いて、お年寄りを喜ばせてくれてるわ」2人に軽く小言を並べ立てると、美雲は邪魔だとばかりに押しやり、台所へと向かっていった。美雲の後ろ姿を見送り、兄弟は互いに顔を見合わせた。揃って裏庭へ足を向け、祖父母の話し相手を務めた。一家揃っての団らんに、由紀夫も幸子も目を細めて顔をほころばせていた。とりわけ2人がよりを戻したと聞き、祖父母の喜びようは格別だった。*正午を回り、美雲が昼食の声をかけにやってくると、真琴と紗友里は老夫婦にそっと手を添えて母屋へと向かった。信行と克典がその後ろをついて歩いた。庭を抜けながら若い者たちの声に耳を傾け、幸子の顔からは笑みが絶えなかった。こうしていられるのが本当にありがたい、家族全員で顔を揃えられるのは本当にいいものだと、何度も繰り返していた。早くひ孫の顔を見せてほしい、そうなればもっと嬉しいのに、とまで声を弾ませた。幸子の言葉に、真琴は微笑むだけで何も言わな
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第752話

家族全員が揃い、誰ひとりとして欠けていない。真琴の祖父が生きていた頃は、時折片桐家へふらりと食事に顔を出していたものだ。今となっては、訪ねてくるのは真琴1人だけだった。食卓を囲んで賑やかに箸を進める中、美雲が口を開いた。「信行と真琴ちゃんもようやく落ち着いたみたいだし、これからはちゃんと真琴ちゃんを大事にして、悲しませるような真似はしないと信じてるわ。で、そっちの2人はどうするつもりなの?そろそろ自分の将来のことも考えたらどう?」2人が口を開く間も与えず、美雲は続けた。「特に克典よ。海外勤務だと生活圏が狭すぎて、年頃の女性と知り合う機会なんてまるでないでしょ。ちょうどいいお嬢さんが何人かいるから、今回の帰国に合わせて全員会ってみなさい。実際に話してみて、気が合いそうなら付き合ってみればいいじゃない」よその家の息子たちは浮いた噂が絶えず、信行も昔は決して手のかからないタイプではなかった。だが克典は幼い頃から真面目そのもので、実直。恋人どころか、身の回りに女性の影すら見当たらない。今年でもう31になる。美雲が焦るのも無理はなかった。身の回りにも職場にも、適齢期の独身女性などほとんどいない。美雲が言い終えるや否や、紗友里が慌てて割って入った。「お母さん、克典お兄ちゃんは出会いも少なくて年もいってるんだから、お兄ちゃんのことだけ気にしてればいいでしょ。私のことは放っておいてよ。ちゃんと自分で考えてるし、今年まだ25よ。まだまだ若いわ」その言葉を聞き、美雲はすかさず噛みついた。「25のどこが若いっていうの!今年ももう終わるし、年が明けたらすぐ26よ。ここから先はあっという間に時間が過ぎるんだから。気がついた時には手遅れになってるわよ」小言を浴びせられ、紗友里は耳をほじりながら顔をしかめた。家族で食事をするたび、一番うんざりするのがこの時間だ。手を下ろし、紗友里は適当に受け流した。「お母さん、心配しないで。ちゃんと分かってるし、当てはあるから。克典お兄ちゃんの心配だけしててよ」そう口にしながらも、脳裏には無意識のうちに光雅の顔がよぎっていた。あいつとの間に未来などないと分かっている。責任を取る気などないことも痛いほど知っている。それなのに、ふとした瞬間に思い出してしまう。そうして
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第753話

美雲が言い終えると、克典は顔を上げたまま黙り込んだ。その場にいた真琴と紗友里も、つられるように美雲へ視線を向けた。美雲の焦りようは、誰の目にも明らかだった。できることなら、今すぐこの場で克典に結婚式を挙げさせたいとすら思っていそうだ。真琴の隣で、信行は母親の強引な物言いをどこか他人事のように眺め、気楽な調子で声をかけた。「兄さん、母さんも心配してくれてるんだ。せっかく帰ってきたんだし、ひとまず会うだけ会ってみたらどうだ?」茶化す信行に、由紀夫は眉間に深いつぶさなしわを刻み、低く言葉を落とした。「いい加減にしなさい。克典がめったにない休みで戻り、一家揃って食事をしているというのに、そんな話を食卓に持ち出すんじゃない。飯がまずくなる。それと美雲、克典のことはもう気をもまなくていい。あいつのことはわしが面倒を見る」他の者たちには克典の胸の内など知る由もないが、由紀夫だけはすべてを察していた。克典の心にいる相手が真琴であることを。長年誰とも浮いた話を作らなかったのも真琴のため。かつて身を引いたのも、ただ真琴の笑顔を願ってのことだ。いま目の前に真琴がいて、しかも信行とよりを戻したばかり。その2人の前で当てつけるように見合いを押しつけるなど、克典の胸をえぐるようなものだった。だからこそ、由紀夫は話を遮り、その場を引き取った。義父にそこまで言われては、美雲も眉を寄せて引き下がるしかなかった。「分かりました。お父様がそう言ってくださるなら、克典のことはお任せします」まだ何か言いたげだったが、由紀夫がこれ以上話題を続けたくない空気をありありと漂わせていたため、美雲もそこで言葉を飲み込んだ。*午後1時、昼食がお開きになった。幸子が真琴と紗友里、それに信行を母屋の温室へ誘い、トランプの相手をさせる一方で、由紀夫は克典を裏手の書斎へと呼び出した。使用人が2人に茶を注ぎ、扉を引いて静かに退室した。由紀夫は顔を上げ、厳しい眼差しで克典を見据えた。「克典、お前自身はどう考えている」克典はちょうど湯飲みに手を伸ばし、茶を含んだところだった。祖父の問いに器を下ろすと、視線を向けて薄く口元を緩めた。「どういう意味ですか?よく分かりませんが」祖父の言葉があやふやだったのは確かだ。だが、その胸の
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第754話

湯飲みを置き、克典は静かに口を開いた。「おじい様、この件は俺がどうしたいかで決められることじゃありません。真琴がどう思っているかがすべてですよ」そう前置きし、克典は胸の内を隠すことなく打ち明けた。「認めますよ。ずっと真琴が好きだったし、支えてやりたいとも思っていました。でも、それは俺の一方的な思いにすぎません。真琴が好きなのは、昔からずっと信行なんです。いろいろなことがあったけれど、それでも真琴には自分で選んでほしい。少しの後悔も残してほしくないんです。だからあいつがどんな結論を出そうと、俺は応援したいし、心から幸せを祈っています」長年、真琴に思いを寄せていたのは事実だった。だが、好きだからこそ相手を大切にし、決して負担になるような真似はしなかった。克典にとって、誰かを好きになることは独占を意味しない。もし真琴が自分を選び、共に歩む未来があったなら、決して裏切らず、大切に守り抜いていただろう。克典をじっと見据え、その言葉に耳を傾ける由紀夫の眉間には、深いしわが刻まれていた。しばらく孫の顔を見定めたあと、由紀夫は重々しく切り出した。「昔からお前は内向的で、落ち着きすぎている。感情を表に出すのが下手で、何でも胸の中に押し込めて自分で掴みに行こうとせん。真琴の件だって、本来ならお前にいくらでもチャンスはあったはずだ」もどかしさを募らせる祖父に、克典は小さく笑みをこぼした。「忘れたんですか?真琴は昔から俺を怖がっていて、顔を合わせてもまともにしゃべれなかったんです。真琴が惹かれるのは、一緒に遊んで騒いでくれる信行のような性格なんですよ」おとなしく素直な少女ほど、少しばかりやんちゃな男に惹かれがちだ。真琴もその例に漏れなかった。幼い頃から、信行に夢中だった。ここまで言い、自分が後押しすると伝えてもなお、克典は静かに見守る道を選んだ。これ以上、由紀夫に言える言葉もない。2人を無理やり縛りつけるわけにもいかなかった。思案するようにしばし沈黙したあと、由紀夫は再び克典へ視線を向けた。「そういうことなら、お前の母さんが用意した見合いの話、時間を作って顔を出してきなさい」克典が口を挟む暇を与えず、由紀夫は先回りして言葉を継いだ。「もういい年だ。いつまでもこのまま時間を無駄にするわけにはいかん
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第755話

克典の気持ちはとっくに察していた。それでも、本人の口からあそこまではっきりと、しかも祖父に向かって認められると、信行の心境はやはり複雑だった。相手は他でもない、実の兄である克典だ。そんな思いを抱えつつも、信行は真琴や紗友里、祖母に悟らせるような素振りは見せなかった。3人の相手をしてトランプに付き合いながら、午後はずっと真琴と示し合わせたようにわざと勝ちを譲り続けた。*夜になり、美雲に呼ばれて卓を片付け、夕食の席に着いたものの、そこに克典の姿はなかった。真琴の右隣に座った紗友里が、不思議そうに尋ねた。「克典お兄ちゃんは?まさかもう仕事に戻ったんじゃないでしょうね。今回は1週間休めるって言ってなかった?」真琴に味噌汁のお椀を手渡しながら、美雲はこともなげに返した。「腹をくくったのよ。お見合いに行ったわ」お見合いと聞き、紗友里は目を見張った。「お兄ちゃんが本当にお見合いに?嘘でしょ。お母さん、よく説得できたわね。結局言う通りにしたんだ」物心ついた頃から、克典は生真面目で厳格そのものだった。紗友里はこれまで、兄とどこかの女性を結びつけて考えたことなど1度もなかったし、想像すらできなかった。昔からどちらかと言えば克典によく懐いていたが、それでも兄が恋愛をする姿などまるで思い浮かばない。記憶にある克典は、浮いた話とは無縁の男だった。紗友里の驚き顔に、美雲は呆れたように息をついた。「誰もあなたみたいに聞き分けが悪くはないわよ。そうやっていつまでも引き延ばしていなさい。そのうち後悔して……」言い終わらないうちに、紗友里は慌てて割って入った。「ストップ、お母さんストップ!どうしてまた私の話になるのよ。心配しなくていいってば。お母さんにお膳立てしてもらわなくても、来年には初孫を見せてあげるから」「……」美雲は顔を上げ、まるで愚か者を見るような目を紗友里に向けた。どうしてこんなにも能天気な娘が生まれてしまったのか。紗友里のあけすけな物言いに、真琴は箸と茶碗を手にしたまま思わず吹き出した。その笑い声を聞き、信行は横から真琴へ顔を向けた。克典が心に秘め続ける真琴への思い、そして以前、貴博が彼女に寄せていた執心。それらが頭をよぎり、信行の胸がふと締めつけられた。無性に、今すぐ真琴を抱
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第756話

兄が真琴にどれほど想いを寄せていようと、信行に彼女を譲る気など毛頭なかった。そもそも人の感情は、誰かに譲り渡すようなものじゃない。互いに惹かれ合い、求め合うものだ。午後少し体を休めたせいか、道中も信行がずっと話しかけてくれたおかげで、今夜の真琴は体調もよく、車内で居眠りすることもなかった。*9時半、車がマンションの下に着くと、2人はごく自然に手を繋いで部屋へと上がった。今や信行と過ごす時間はすっかり当たり前になり、一緒にいるひとときを心から満喫していた。手を取り合うことも抱きしめ合うことも、すでに2人の日常だった。部屋に戻ってシャワーを浴び終えると、真琴は2人のためにミルクを温めた。少し前の1人暮らしの頃は、仕事を最優先にして1日を埋め尽くしていた。だが今、信行が転がり込んできてからは、生活にも自然とゆとりができ、以前よりもずっと毎日が充実していた。信行のかいがいしい世話焼きも、申し分なかった。手にしたホットミルクを飲み干し、キッチンでマグカップをさっと洗い流したところへ、信行がシャワーを終えて出てきた。真琴がミルクを温めてあると声をかけると、信行は髪を拭いていたタオルを放り出し、歩み寄るなり真琴をぎゅっと抱きしめた。唐突な抱擁。それもやけに力がこもっていて、どこか思いつめたような空気を漂わせている。真琴は思わず苦笑をこぼした。両手を信行の腰に回し、顔を上げて見上げた。「どうしたの?なんだか随分と訳ありな顔をして」出会ってから25年、信行の気性なら知り尽くしていた。腕に込められた力加減で何かを察せられ、信行は思わず吹き出した。ひとしきり笑ったあと、信行は真琴の頬に自分の頬をぴたりと寄せ、甘えるようにすり寄せてつぶやいた。「ただ、すごく会いたかった。抱きしめたくてたまらなかったんだ」毎日のように顔を合わせ、離れていたのはシャワーを浴びていたわずかな間だけだ。それなのに、無性に真琴が恋しくなり、腕の中に閉じ込めたくて仕方がなかった。そんなふうに甘えられては、真琴も背中に回した手を優しく撫でてやるしかなかった。「はいはい、好きなだけ抱きしめていいわよ」笑顔で寄り添い、まっすぐ自分を求めてくる信行には、やはり抗いきれなかった。受け入れてくれた真琴に、信行はさらに腕
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第757話

真琴はとっさに顔を背け、信行の唇を避けた。その異変を察し、信行はすぐさま表情を引き締めた。そっと右手を真琴の頬へ添える。「どうした?どこか具合でも悪いのか」真琴は信行を見つめ、首を横に振った。「大丈夫、なんともないわ。ただ、急に少し胃がムカムカして」心配をかけまいと、真琴は言葉を足した。「前にもこういうことがあったの。時間を見つけて病院で診てもらえば済む話だから」かつてうつの身体化症状に苦しんでいた頃、最初に現れた兆候が胃の不快感だった。今の感覚は、あの時の鈍い違和感とよく似ている。真琴がその病名を口にしなくても、信行には大体の事情が察せられた。頬に添えた親指で柔らかな肌を優しくなぞり、信行は言った。「いつ行きたい?俺も一緒についていく」話すうちに吐き気もずいぶん治まり、真琴は信行の手首にそっと手を重ねた。「月曜か火曜あたりに行ってみるわ。昔からの持病みたいなものだし、あまり気にしないで」信行は手のひらに少し力を込め、真琴の頬を包み直した。「分かった。その時は一緒に行くからな」そう言って、信行は再び真琴を腕の中へ引き寄せた。手の届く場所にいて、目の前にいるというのに、まだ真琴が恋しくてたまらない。どれほど抱きしめても抱き足りず、いくら触れても満たされなかった。今夜はやけに甘えたがる信行を、真琴も拒まなかった。両手を腰へ回し、肩にそっと顎を預けて強く抱きしめ合う。真琴の体調が優れないこともあり、信行はそれ以上求めようとはしなかった。就寝の支度を整えてベッドに入ると、真琴は信行を抱き寄せ、背中を優しくトントンとたたきながら眠りへと誘った。*翌日。真琴が仕事の段取りを済ませて病院へ向かうタイミングに合わせ、信行が車で迎えにやってきた。真琴は信行に頼み、かつての主治医のもとへ案内してもらった。診察室の扉が開き、並んで入ってきた2人の姿を認めた医師は、目を丸くして息をのんだ。2年前、芦原ヒルズを襲った大火災のニュースは医師も耳にしていた。その後、信行が1人で訪ねてきて真琴の病状を詳しく聞いていったこともある。まさか2年もの月日を経て、再び2人揃って目の前に現れようとは夢にも思わなかった。無事に生きてさえいれば、どんな奇跡も起こり得るということか。胃の
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第758話

信行の真剣に諭すような口調に、真琴はふと学生時代を思い出した。あの頃も信行は、たまにこうして筋道を立てて言い聞かせ、あれこれと世話を焼いてくれたものだ。体を案じてくれているのが痛いほど伝わってくるからこそ、真琴も余計な言い訳をせず、素直にうなずいた。「分かってる。ちゃんと気をつけるから、安心して」ここ最近は生活リズムも整い、真琴がしっかり耳を傾けてくれているのを確かめると、信行はそれ以上小言を重ねず、前方の道路に視線を戻した。まもなく車が東央のビルの前に滑り込んだ。信行は真琴のうなじにそっと手を添え、名残惜しそうに深く口づけてから、ようやくその体を離した。真琴は信行の頬を優しくつまみ、柔らかく微笑んだ。「心配しないで。大丈夫だから」そっと口づけを返すと、真琴はドアを開けて車を降りていった。ところが、そこから数日は仕事に追われ、息をつく暇もない忙しさが続いた。幸い、あの胃のむかつきはきれいさっぱり消え去っていた。だが、代わりに残ったのは激しい眠気だった。1日8時間の睡眠ではまるで足りず、どうしても10時間は眠らなければ体がもたない。オフィスでしっかり昼寝を挟んでいるのに、夜に部屋へ戻ると、あっという間に眠くなってしまう。この耐えがたい眠気に合わせるため、真琴は仕事の量すら大幅に削ったほどだった。*その日の夜も同じだった。帰宅して夕食を済ませ、シャワーを浴び終えるなり、真琴は枕を抱きかかえてベッドへ倒れ込んだ。枕に顔を埋める真琴を見下ろし、信行はあっけにとられて苦笑した。身をかがめて顔を近づけると、真琴の髪を軽くかき上げた。「これでもう何日放ったらかしにされてると思う?今夜くらい少しは起きてろよ」腕の中に枕をしっかりと抱え込み、うつ伏せのまま右足を布団へ潜り込ませながら、真琴はとろんとした眠たげな目でつぶやいた。「眠いの。目が開かない……明日、明日いっぱい構ってあげるから」その見え透いた約束に、信行は顔を寄せて真琴の頬へ唇を落とした。「その明日ってやつ、もう何日目だ?」真琴が言い返す隙も与えず、信行は言葉を継いだ。「最近のお前、やっぱりどこか様子がおかしいぞ。時間を作って病院で診てもらおう。このまま引き延ばすな」薄く目を開けて信行を見つめ、真琴は応じた。「
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第759話

真琴の思いがけないスキンシップに、信行は背中に回した腕に力を込め、いっそう強く抱きしめた。口元に浮かぶ笑みが、さらに深くなった。*その頃、都心の川沿いを通る大通り。紗友里は前を走る車に追突していた。真琴と信行が復縁してからというもの、真琴の仕事も私生活も慌ただしくなり、最近の紗友里はどこへ行くにも1人だった。気を利かせて真琴を誘うのを控えていた。何日もおとなしく家で過ごしていたのに、久しぶりに外へ出た途端にこれだ。エンジンを切り、ドアを開けて外へ出ると、前方の車からも運転手が降りてきた。すさまじい剣幕で詰め寄ってくる相手を前にしても、紗友里はひるむことなく、落ち着き払って声をかけた。「おけがはありませんか?救急車を呼びましょうか」信号の手前だったため、紗友里の車のスピードもそれほど出ていなかった。相手が唐突に急ブレーキを踏みさえしなければ、十分に防げた事故だ。そんな気遣いの言葉など耳に入らないとばかりに、運転席から大股で歩み寄ってきた女は、鼻先へ指を突きつけ、激高した声を張り上げた。「どんな運転してんのよ!納車されたばかりの新車なのよ。いきなりぶつけるなんて、わざとに決まってるじゃない!」紗友里は半歩身を引いて間合いを取り、服の裾を軽く整えながら冷ややかに言い放った。「起きてしまったことは仕方がありませんし、車が接触したのも事実です。そんなふうに取り乱しても、何の解決にもなりませんよ」そして相手のリアバンパーをちらりと見やり、泰然と言葉を継いだ。「車が壊れたなら直せばいいですし、おけががあるなら病院へ行けばいい。こうして車を降りて確認している以上、責任から逃げるつもりはありません。ですから、そうカリカリしないでください。どう解決したいのか、話してください」紗友里の動じない態度に、女はますます逆上した。再び食ってかかってわめき散らす。「何よその態度!ぶつけておいて開き直る気?文句の1つも言わせないつもり?そんなに偉そうにするなら新車ごと弁償しなさいよ。大物ぶってんじゃないわよ!どうせ飲酒運転でしょ。いいわ、今すぐ警察に通報してやる。それでも同じ口が利けるかしらね!」まくしたてる相手に、紗友里は胸の前で腕を組み、冷淡に返した。「どうぞ。呼んでください」紗友里の淡白な反応に
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第760話

紗友里の表情に険が走ったのを見て、女は慌てて2、3歩後ずさりした。「やましいことがないなら、何を怖がる必要があるわけ?きっちり1000万円振り込んでくれさえすれば、この話は丸く収まるのよ」揃いも揃って開口一番に1000万を要求してくる図々しさに、紗友里は思わず呆れ笑いをこぼした。相手の車に目を向ける。せいぜい2、300万の車で、しかもリアに軽く接触した程度だ。平然と1000万円を吹っかけてくるなど、誰が見ても明らかな言いがかりだった。「1000万円ね」紗友里は鼻先で笑い、ポケットからスマートフォンを取り出した。「警察を呼んで……」言い終わらないうちに、女の手が伸びてスマートフォンをパシッと払い落とした。さらにつま先で思い切り蹴飛ばし、はるか遠くへ転がしてしまう。「何よ!権力を使って揉み消そうってわけ?言っとくけど、1000万払わない限り絶対に許さないからね!」端末を乱暴に払われ、蹴り飛ばされた上に、なおも強欲に1000万円を要求してくる相手に、紗友里の堪忍袋の緒は完全に切れた。そもそも、普段から我慢強い性格などしていない。身勝手な女を冷ややかに見据え、紗友里は右腕を勢いよく振るって相手の手首を激しく払い除けた。物心ついてからこの年になるまで、こんな無礼な扱いを受けたことなど1度もない。自分に手を出してくる人間など皆無だった。紗友里の勝気な本性が、一気に弾け飛んだ。酒の入った女は、一瞬あっけにとられて目を白黒させた。だがすぐに頭へ血が上ったのか、爪を立て、紗友里へつかみかかってきた。すかさず、運転席の女も加勢に入る。元はただの物損事故にすぎなかったはずが、気づけば3人の女が激しくもみ合う乱闘劇へと発展していた。*それから間もなくして、現場に駆けつけた警察官によって、3人は警察署へと連行された。署内に通されると、まずアルコール検査が行われた。紗友里の呼気からは何も検出されなかったが、相手の女2人はどちらも酒気帯びだった。運転手のほうが多少控えめだったというだけの話だ。だが、紗友里が追突したこと、そして3人で取っ組み合いの喧嘩をしたのは紛れもない事実だった。ドライブレコーダーには相手が紗友里をゆすろうとしていた音声がしっかり残っていたものの、紗友里が激しく応戦した記録も
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