บททั้งหมดของ 七年の恋の終わりに、冷酷な彼は豹変した: บทที่ 631 - บทที่ 640

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第631話

ほんの数日、出張で家を空けただけだ。その間に、妻の一族が総崩れになるなど、誰が想像できただろうか。美穂はただ泣き叫び、「助けて」と壊れたおもちゃのように繰り返すばかりだ。解決策など皆無に等しい状況に、長昭が頭を抱えかけたその時――ピンポーン。無機質なチャイムの音が、修羅場と化したリビングに響き渡った。家政婦が小走りで応対に出る。だが、戻ってきた彼女の顔からは血の気が失せていた。その背後には、制服に身を包んだ四人の警察官が、無言の威圧感を放ちながら立っていた。「柏木佳乃さんは、ご在宅でしょうか」……詩織がその事実を知ったのは、翌日、官庁街での用事を終えた直後のことだった。賢の話によれば、柏木長昭はすでに停職処分を受けており、現在は監査委員会への弁明書の作成に追われているという。栄華を極めた一族がここまで脆く崩れ去るとは、なんとも哀れみを誘う話である。金融界隈もこの話題で持ちきりだった。誰もが固唾を飲んで見守っているのは、賀来柊也の出方だ。彼はこの期に及んで、没落寸前の柏木家をどう切り捨てるつもりなのか。遠方のロケ地にいるミキもまた、この「祭り」に夢中になっているらしく、エイジア・キャピタルの公式サイトを何度もリロードしているようだ。だが、昼を過ぎてもエイジア側からも、柊也個人からも、声明ひとつ出なかった。絶縁宣言もなければ、婚約破棄の発表もない。その沈黙の代償としてエイジアの株価は暴落し、底値に張り付いたままだ。ミキは電話越しに「柏木家は全員ムショ行き確定ね」と嘲笑しつつ、呆れたように詩織に問いかけた。「ねえ、あのクズ也、どこまで強情なわけ?まさかゲス帆の一家が命の恩人とでも言うの?会社を道連れにしてまで、あの泥船と心中する気かしら」詩織にも、その真意は測りかねた。不可解な沈黙に首をかしげていると、アシスタントの密が来客を告げた。太一だった。亡き父である宇田川厳への義理もあり、詩織は面会を承諾した。だが、会議室に入ってきた太一の姿を見て、詩織は微かに眉を寄せた。半月ほど会わなかっただけなのに、彼はひと回りも小さくなったように見える。瞳は光を失って淀み、詩織と目が合うとビクリと肩を震わせる。かつての傲慢で鼻持ちならない態度は、見る影もなかった。詩織は努めてビジネスライクに
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第632話

「……はあ?ふざけんじゃないわよ!」電話の向こうで、ミキは淑女らしさなどかなぐり捨てた、ものすごい剣幕で怒鳴った。「アンタまで、自分を洗脳してんじゃないわよ!」詩織は思わず吹き出した。「私が自分を洗脳するような女に見える?」声を潜めて、冷静に続ける。「確かに、経営者としては一流よ。そこは認めるし、私も彼から多くを学んだわ。でもね、男女の情という点で見れば、彼がどれだけ額を擦りつけて土下座したところで、私への借りがチャラになることはないわ」「良かった、まだ正気保ってたわね」ミキは大げさに胸をなでおろすような音を立てると、矛先を密へと変えた。「ったく、密のやつ、まだ男への幻想が抜けてないわね。今度帰ったら、たっぷりと『教育』してやらなきゃ」「お手柔らかにお願いね。あの子、まだ彼氏とラブラブなんだから。あんまり吹き込んで別れさせちゃったりしたら可哀想よ」ミキとの他愛もないお喋りを終えた直後、詩織のスマートフォンが鳴った。警察からだった。例の交通事故の件で、新たな進展があったという。予定していた会議をキャンセルし、急ぎ署へと向かった詩織は、入り口で思いがけない人物と鉢合わせした。志帆だった。よりによって、こんな場所で出くわすとは。志帆の姿は、以前会った時よりもさらにやつれ果てていた。かつて全身に纏っていた煌びやかなオーラは消え失せ、乱れた髪と、疲労でくっきりと浮き出た目の下の隈だけが、今の彼女を物語っている。志帆の方も、ここで詩織に会うとは思っていなかったらしい。一瞬、怯えたように視線を外し、反射的に顔を背けた。その姿には、かつての傲慢さは微塵もなく、ただただ小さく萎縮していた。彼女は逃げるように早足で署内へと駆け込んでいった。詩織も後を追うように中へと入った。担当の刑事の話によれば、以前身代わりとして出頭していた運転手が供述を翻し、森田和代による殺人教唆の一部始終を自白したという。和代自身は未だに黙秘を貫いているが、証拠は十分に揃っており、法の裁きは免れないだろうとのことだった。さらに刑事は、衝撃的な事実を告げた。「被疑者は犯行後も改心することなく、あろうことか三度目の犯行に及んでいました。その悪質性に鑑み、検察も極刑を求刑する方針です」「三度目……?いつの話ですか?」詩織は耳
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第633話

その報告を聞いて、張り詰めていた佳乃の肩はようやく少しだけ下がった。とはいえ、不安が完全に消え去ったわけではない。底なしの恐怖はまだ続いている。志帆は母を落ち着かせるように、今の状況を整理して聞かせた。「叔母さんがお母さんのことを黙っていてくれさえすれば、お母さんの罪状は贈賄罪だけで済むわ。最悪の場合でも、それほど重い刑にはならないはずよ」「それより……お父さんは?どうなってるの?」佳乃がすがるような目で尋ねる。「お父さんは停職中よ。今は調査委員会への報告書を書かされてる」佳乃の瞳から光が消え、冷たい色が走る。彼女はさらに問い重ねた。「それで、柊也くんは?彼はなんて言ってるの?」「柊也くんは今、あちこちに掛け合ってくれてるわ」その言葉に、佳乃の表情がふっと緩んだ。「見捨ててないのね……よかった。やっぱり、あの子はあなたのことを本当に大切に思ってるのよ」それは志帆にとっても、予想外の驚きだった。このスキャンダルが発覚した時、世間の誰もがそうしたように、彼女もまた覚悟していたのだ。柊也は婚約を破棄し、泥船である柏木家を切り捨てるだろう、と。だが彼は違った。絶縁するどころか、コネクションを駆使して奔走してくれている。『まさかの時の友こそ真の友』と言うが、これこそが本当の愛情なのかもしれない。佳乃は独り言のように呟いた。「そういえば、あの闇金の一件……何度連絡しても柊也くんが捕まらなくて、あの時は本当に腹が立ったわ。てっきり、あなたを見捨てて逃げたんだと思ったもの。だから仕方なく、昔のツテを頼って借金したのよね。でも、後で事情を知った彼が、きっちりとそのお金を返済してくれた……」「実はね……」志帆は膝の上で固く拳を握りしめ、青ざめた顔で告白した。「あの婚約パーティーの日、私も……乱暴されたの」佳乃が息を呑む気配がした。志帆は震える声で続ける。「柊也くんは知ってるわ。でも、彼は何も言わなかった。その後も一切そのことには触れず、ただ『嫌なことは忘れて、前だけを見よう』って言ってくれたの」佳乃は言葉を失った。当時、娘に何度も問い詰めたが、志帆は頑なに否定していた。だから何事もなく済んだのだと信じ込んでいたのだ。まさか、そんな事実があったとは。そして何より衝撃的だったのは、柊也がすべてを知りながら、志帆との距離
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第634話

男もまた、足を止めた。彼の視線は、冷徹なまでに無表情な詩織の顔に吸い寄せられている。二人の間の空気が凍りつき、まるで澱んだ水底のように重く沈黙した。時間が止まったような静寂。数秒の交錯の後、詩織はふいと視線を外すと、何事もなかったかのように階段を降り始めた。すれ違いざま、視線を合わせることもない。ただ、他人が通り過ぎるのと同じ無関心さで、彼の横を通り抜けた。ざわり、と不穏な風が二人の間を吹き抜けていく。詩織はそのまま待機していた車に乗り込み、走り去った。残された柊也は、しばしその場に立ち尽くしていた。車のテールランプが見えなくなってから、やがて強張った表情で、痛みを隠すように視線を逸らした。車に乗り込むなり、詩織は海雲に電話をかけた。例の事故の件が気になっていたのだ。「ああ、あの件か」電話口に出た海雲の声は落ち着いていた。「あの日、急用が入ってね。定期検診をキャンセルして、薬だけ運転手に取りに行かせたんだ。だから、私は乗っていなかった。まさに偶然の産物だよ」それを聞いて、詩織はほうっと息を吐いた。不幸中の幸い、という言葉では片付けられないほどの強運だ。二、三言葉を交わした後、話題は仕事の話へと移った。海雲が上場のスケジュールについて尋ねてきたのだ。「それで、鐘を鳴らす日は決まったのか?」「はい、来週の水曜日に」「水曜……?」海雲は少し間を置いてから、弾んだ声で言った。「お前の誕生日じゃないか」詩織は目を見開いた。まさか、海雲が自分の誕生日を覚えているとは。「ええ、あえてその日に合わせたんです」「それはいい。実にめでたい日になりそうだ」海雲は上機嫌に笑い、ふと尋ねた。「今年の誕生日は、何か願い事はあるのか?」その問いに、詩織は言葉に詰まった。誕生日の、願い事……過去七年間、彼女は毎年、判で押したように同じ願いを二つだけ祈ってきた。一つは、母・初恵が一日でも長く生きられますように。もう一つは、柊也の悲願が成就しますように。馬鹿正直に、来る年も来る年も、それだけを祈り続けてきた。だが、今年からは変えよう。今年こそは、私自身のために願おう。――江崎詩織が、己の野望をすべて叶えられますように、と。……詩織がG市へ向かったのは、上場記念式典の前日だった。出発のその日、
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第635話

正面玄関の前では、テレビクルーがビルの外観を撮影している。巨大なデジタルサイネージには、『ココロ』と『クロニクル・オブ・アビス』の美麗なプロモーション映像が繰り返し流れていた。あれこそが、志帆が、そして自分たちが夢見ていた栄光の道だったはずだ。だが今、彼女たちは泥の中から、遥か高みにいる詩織を見上げることしかできない。インタビューを終えた詩織が、秘書やSPを引き連れてエレベーターホールから現れた。これから空港へ向かうところだ。彼女が自動ドアを抜けて外に出た、その瞬間だった。建物の影から、何かが弾かれたように飛び出してきた。美穂だった。彼女は半狂乱の形相で詩織の足元に滑り込むと、衆目も構わずその場に崩れ落ちた。「お願いします江崎さん、どうか、どうか母を許してください!」充血した目を剥き出しにして見上げ、なりふり構わず絶叫する。「お願いします、見逃してやってください!」額をコンクリートに打ち付け、何度も何度も土下座を繰り返す。とっさに詩織の前に立ちはだかったのは、運転手兼アシスタントの湊だった。彼女が凶行に及ぶ危険を察知し、壁となって上司を守る。密は憤りを隠せず、鋭い声で言い放った。「やめてください!そんなパフォーマンスで同情を買おうとしても無駄です!あなたの母親は法を犯したんです、裁かれるのは当然でしょう!」美穂とて、他に手があればこんな真似はしなかっただろう。進退窮まった末の、最後のあがきだった。彼女は密の叱責を無視し、壊れた人形のように懇願を繰り返した。「江崎さん、お願いします……母の罪を不問にしてください。このままだと、母さんは死刑になってしまう!一生のお願いです。私には母さんしかいないんです。どうか警察に許しを、嘆願書を出してください!」額の皮膚が裂け、アスファルトに鮮血が散る。それでも彼女は痛みを感じないかのように、ごん、ごん、と鈍い音を立てて頭を打ち付け続けた。詩織は冷ややかな瞳でその姿を一瞥すると、静かに密へ告げた。「警察を呼びなさい」その一言で、美穂の顔に恐怖が走った。「やめて……警察だけは嫌!」家族は皆、連れていかれた。自分まで捕まれば、本当に全てが終わってしまう。湊が低く凄味のある声で警告した。「すぐに失せろ。さもなくば、お前も突き出すぞ」美穂は弾かれたように立ち上がり、よ
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第636話

『華栄キャピタル』と『光復エンターテインメント』の上場当日。天は彼女たちの門出を祝福するかのように、抜けるような青空を広げていた。清々しい風が吹き、雲ひとつない快晴だ。大勢の視線が注がれる中、詩織は取引所の壇上へと上がった。無数のスポットライトが彼女の一挙手一投足を追い、その姿はまるで光の衣を纏ったかのように神々しい。眼下には黒山のような報道陣が押し寄せ、ありとあらゆるカメラのレンズが彼女に向けられている。絶え間なく焚かれるフラッシュの閃光は、さながら彼女のために用意された星の海のようだ。「江崎さん!初日の時価総額が早くも10兆円を突破しましたが、今のお気持ちは?」記者の大声が飛ぶ。詩織は微塵も動揺を見せず、凛としたよく通る声で答えた。「これは、ほんの始まりに過ぎません」短く、しかし力強い宣言。マイクを通して会場の隅々にまで響き渡ったその言葉には、絶対的な自信と威厳が宿っていた。一瞬の静寂の後、会場は雷鳴のような拍手に包まれた。これこそが江崎詩織だ。誰もがそう確信した瞬間だった。彼女は、権威の象徴である金色の木槌(ガベル)を手に取ると、迷うことなく振り下ろした。カーン――!澄み渡る鐘の音が、天高く響き渡る。それは、新たな時代の幕開けを告げるファンファーレだった。祝福のメッセージが潮のように押し寄せてくる。とても一人ひとりには返信しきれない。詩織はSNSに感謝の言葉を投稿することで代えた。十日後、江之本市にて上場記念パーティーおよび祝賀晩餐会を開催すること、そして友人知人の参加を心より歓迎する旨を書き添えて。送信を終えると、彼女はスマートフォンの通知を切り、静かに息をついた。今日はまだ、やらなければならない大事な用事が残っている。湊の運転する車が、ホテルの車寄せに到着した。そこには、母の初恵が待ちきれない様子で佇んでいた。詩織は車を降り、階段を駆け上がりながら母を気遣った。「お母さん、部屋で待っててって言ったじゃない」初恵は少女のように笑った。「たった今降りてきたところよ。それに、全然待ってないわ。ほら、密ちゃんも一緒にいてくれたし」側にいた密が、困ったように肩をすくめる。「お部屋でじっとしていられなかったみたいで……少し外の空気を吸いたいと仰るものですから」母の性格は詩織が一番よ
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第637話

初恵はまるで修学旅行生のようにはしゃぎ、スマートフォンのカメラロールが埋まる勢いで写真を撮りまくった。さらに、ことあるごとに詩織をフレームに引き込もうとする。「お母さんだけでいいじゃない。私、写真は苦手だって知ってるでしょ?」「あら、今日は何でも私の言うことを聞いてくれるんじゃなかったかしら?」初恵に茶目っ気たっぷりに言われ、詩織は苦笑して降参するしかなかった。そうだ。今日は自分の誕生日。けれど同時に、母にとっても忘れられない「受難の日」でもある。初恵は決して口にしなかったが、詩織を産む際、彼女は生死の境をさまよったのだと聞いている。それなのに、母は毎年この日になると、誰よりも詩織を祝福し、その時できる精一杯の贈り物と愛情を注いでくれた。今、大人になり力を持った詩織が、その無償の愛に報いたいと願うのは当然のことだった。「わかったわよ、モデルになればいいんでしょ」観念した詩織だったが、ここで一つ問題が起きた。カメラマン役を任された湊の撮影技術が、あまりにも壊滅的だったのだ。見かねた小春が「わたしがやる」と自ら名乗り出た。小さなカメラマンの腕前はなかなかのもので、その日は笑顔の絶えない素晴らしい一日となった。ディナーは、密が手配してくれた市内で最高級の展望レストランへ。案内されたのは、G市の煌びやかな夜景と港のパノラマを一望できる特等席だった。席に着いても、初恵の撮影熱は冷めやらない。詩織が大人しく被写体になっている間に、コース料理と美しいバースデーケーキが運ばれてきた。それを見て、小春が目を丸くした。「今日、お姉ちゃんの誕生日だったの?」「そうなのよ」初恵は愛おしげに小春の頭を撫でた。「後で『おめでとう』って言ってあげてね」小春は真剣な顔でこっくりと頷いた。初恵は鼻歌まじりに、一本一本ろうそくに火を灯していく。「あーあ、あっという間に二十六歳ね。あと数年もすれば三十路よ。本当に早いわねぇ……お母さんの記憶の中では、あなたはまだお下げ髪の女の子のままなのに」感慨深げに呟くと、揺れる炎越しに娘を見つめた。「さあ、願い事を」小春はじっとケーキを見つめたまま、微かに唇を震わせている。その瞳が、次第に潤んで赤くなっていた。「どうしたの?」詩織が優しく尋ねると、小春は俯いて小さ
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第638話

ただ、今の詩織にとって「ロマンチック」という言葉は、アレルギー反応を起こす劇薬のようなものだ。彼女は早々に窓の外への興味を失い、視線を戻した。とはいえ、誕生日の記念は残しておきたい。給仕のスタッフに頼んで三人での記念撮影をしてもらい、それをSNSにアップロードした。添えた言葉は飾り気なく、シンプルに。【私へ、お誕生日おめでとう】投稿が完了した直後、タイムラインに新しい投稿が表示された。ふと見れば、あの『chill』というハンドネームの人物の投稿が、自分のすぐ下に並んでいた。添付された写真は、夜空に咲く大輪の花火。そして、その一言。【誕生日おめでとう】奇遇だ。この人も今日が誕生日なのだろうか。まあ、世界中に同じ誕生日の人間など五万といる。さして珍しいことではない。詩織はそれ以上深く考えることなくスマートフォンの画面を消し、テーブルに向き直った。今日は母に誓ったのだ。仕事もスマホも忘れて、ただひたすら家族との時間を楽しむと。……舞台は、江ノ本市へ移る。志帆は、鉄格子の中でただひたすらに時を数えていた。拘置所での暮らしは、想像を絶するほど過酷だった。まだ収容されてから四日しか経っていないというのに、その体感は一年にも、あるいはそれ以上にも思えた。まるで永遠に続くかのような、鉛のように重苦しい時間。自分が実刑判決を受けて刑務所に入る――そんな未来なんて、想像することすらおぞましい。到底、受け入れられるはずがなかった。廊下を刑務官が通るたび、あるいは味気ない食事が差し入れられるたびに、彼女は鉄格子の向こうへすがりつくように声をかけた。「ねえ、誰か来てない?面会人は?」だが、返ってくる言葉はいつも同じ、事務的で冷淡な「いない」の一言だけ。こんなはずがない。柊也くんが、この私を見捨てるわけがないじゃない。きっと事態が複雑で、裏で手を回すのに時間がかかっているだけだ。そうに違いない。志帆は高鳴る動悸を抑え込むように、必死で自分に言い聞かせた。落ち着いて。焦っては駄目。どっしりと構えて待つのよ。もっと柊也くんを信じなきゃ。彼はあれほど私を愛してくれていたんだもの、必ず、絶対に助けに来てくれる。そして迎えた、運命の五日目。無機質な足音が独房の前で止まり、鍵が開けられる音が響い
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第639話

彼がここに来た理由は明白だ。心配でも同情でもない。ただ、泥沼に落ちた人間をさらに踏みつけにして、嘲笑いに来ただけなのだから。「知らなくていいのか?あいつがお前のところに来ない理由を」ドアノブに手をかけた瞬間、悠人の気怠げな声が背中から投げかけられた。志帆の足がピタリと止まる。ドアを開けるべきか、戻るべきか。激しい葛藤の末、彼女は悔しさに唇を噛み締めながら戻り、悠人と対峙する椅子にドサリと腰を下ろした。二人を隔てるのは、一枚の透明なアクリル板のみ。悠人の唇には、冷ややかで薄情な笑みが張り付いている。虫を見るようなその視線が、たまらなく不愉快だった。だが今は、その屈辱を胃の腑に押し込め、耐えるしかない。膝の上で握りしめた拳が、小刻みに震えている。「……言いたいことって、何?」「三日前、G市で『華栄』と『光復』が上場の鐘を鳴らしたよ。僕も現地で見てきたが……江崎先輩は本当に優秀だな。光り輝いていた」志帆の顔色が一瞬にして土色に変わった。握りしめた指先が痺れ、全身の震えが止まらなくなる。「そんな話、聞きたくない!」「お前が喉から手が出るほど欲しがっていた栄光だろう?」悠人は表情一つ変えず、淡々と、しかし鋭利なナイフのように言葉を突き刺してくる。「もったいぶらないで教えてよ!どうして柊也くんは来てくれないの!?」志帆は半狂乱で叫んだ。なりふり構っていられる精神状態ではなかった。ここでの一分一秒が、皮膚を焼かれるような焦燥と苦痛なのだ。気が狂いそうだった。早くここから出してほしい。一秒だって、こんな場所に居たくないのだ。「あのウィリアム教授が、どうして急にお前との関係を自供したと思う?」悠人は、依然として志帆の問いには答えず、また別の話題を振った。志帆は充血した目で彼を睨みつけた。「……どうしてよ」ウィリアムとは五年に及ぶ付き合いだ。彼がどういう人間か、どんな性癖を持っているかなど、嫌というほど熟知している。でなければ、あんな倒錯的な遊びに興じたりしない。彼は簡単に女を売るような男ではないはずだった。「俺が半殺しにしたからだよ」悠人は椅子の背もたれに体を預け、唇の端だけで笑った。その表情は冷酷でありながら、底知れぬ獰猛さを孕んでいた。「お前が江崎先輩の論文を盗用したと分かった時、俺はピンときたん
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第640話

一瞬、時が止まった。志帆は泣くことさえ忘れ、彫像のように固まった。目の前の男が何を言ったのか、脳が理解を拒んでいる。父の顔を探るように見つめ返すが、そこには冷淡さだけが張り付いていた。かつて向けてくれた慈愛など、欠片もない。ただひたすらに冷たい、他人の目だった。呆然とするしかなかった表情が、次第に驚愕へと変わり、やがて信じられないという絶望に染まっていく。「……嘘でしょ?」志帆は狂ったように何度も確かめようとした。「お父さん、嘘よね?私を騙そうとしてるんでしょ?」長昭が口を開くのさえ待てず、彼女は自問自答を繰り返す。「そうよ、嘘に決まってる」「自分だけでも助かるために、わざとそう言ってるのよね?縁を切るふりをしてるだけなんでしょ?」「分かるわ、仕方ないもの!まずはお父さんだけでも安全な場所に逃げて、態勢を立て直してから、私とお母さんを助け出してくれればいいの。私、ちゃんと分かってるから!」志帆は早口でまくし立て、必死に父の行動を正当化しようとした。だが、どれほど彼女が言葉を重ねても、長昭の冷ややかな態度は微動だにしない。それどころか、彼は懐から取り出した一枚の書類によって、志帆がすがりつこうとした最後の希望を、自らの手で無慈悲に握り潰した。アクリル板に押し付けられたのは、一通のDNA鑑定書。そこに記された『親子関係は認められない』という無情な結果が、志帆の網膜を灼いた。さらに彼女を絶望の淵へ叩き落としたのは、その日付だった。二十七年前。つまり、彼女が産声を上げた直後には、もうこの男は鑑定を行っていたのだ。志帆の精神が決壊した。こんな残酷な真実など、受け止められるはずがない。「そんなもの……!」彼女は弾かれたように立ち上がり、父親の手にある鑑定書を奪おうとした。引き裂いて、粉々にして、なかったことにしたかった。だが、無機質なアクリル板が彼女の衝動を阻む。長昭はわずかに手を引いただけで、狂乱する娘の手をいともたやすく避けた。激しい物音に反応し、刑務官が警棒で鉄格子を威圧的に叩く。「座れっ!騒ぐな!」鋭い叱責に打たれ、志帆は糸が切れたように椅子へ崩れ落ちた。顔色は死人のように青ざめている。「嘘よ……こんなの偽造よ、でたらめよ……」うわ言のように呟くしかなかった。
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