まだ仕事に慣れていないのか、どこかぎこちない男の振る舞いを見て、詩織はふと感慨にふけった。かつての自分も、ちょうどあんな感じだった。酒には弱くて、何かあればすぐに萎縮し、言葉もろくに出てこない……それが今ではどうだ。グラスを重ねるたびに度胸が据わり、どんな修羅場でも笑顔ひとつ崩さずに立ち回れるようになった。沙羅の言う通りだ。酒が飲めないというのは、それだけでビジネスの機会損失になりかねない。好き嫌いはともかく、この社会には根強く『飲んで分かり合う』文化がはびこっている。詩織自身、エイジア・キャピタルにいた頃は、まさに酒の力でいくつもの案件を勝ち取ってきた。だがその代償は小さくなかった。エイジアの子会社が上場を控えていたあの時期、彼女は柊也に余計な負担をかけまいと、全てを一人で背負い込んだ。急性アルコール中毒で病院に担ぎ込まれ、あまつさえ流産した時でさえ、密に口止めをして彼には知らせなかった。今振り返っても、あの頃の自分がどうやって正気を保っていたのか不思議でならない。それでも――どうにかこうにか、生き延びてこられた。詩織は、沙羅の隣で赤くなっている秘書に向け、穏やかな口調で言葉をかけた。「お酒に慣れるのも大事だけど、焦っちゃ駄目よ。少しずつ慣らしていかないと、胃を壊すから」男は恐縮しきりで、何度も頭を下げた。「あ、ありがとうございます……!」すると沙羅が、くすりと笑って茶々を入れた。「ほら、感謝しなさいよ。江崎社長みたいに優しい人は珍しいんだから。この業界、胃に穴の一つや二つ開けて一人前みたいなところがあるものね」軽口を叩きながらも、その眼差しには秘書への期待が滲んでいる。どうやら本気で彼を育て上げるつもりらしい。詩織が意味ありげな視線を送ると、沙羅はただ静かに微笑み返した。言葉はなくとも、通じ合うものがあった。宴の熱気がようやく引き、最後の客を見送った詩織は、高村教授の部屋へと呼び出された。ドアを開けると、室内に漂う空気の重さに息を呑む。そこに集う門下生たちの表情は、一様に硬かった。いつもは飄々としている澪士でさえ、普段の軽さをかなぐり捨て、押し黙っている。「どうしたんです?何かあったんですか?」詩織が戸惑いながら尋ねると、高村教授が重々しく口を開いた。「北里市で大規模な政
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