All Chapters of domの王子はsubの皇子を雄にしたい: Chapter 101 - Chapter 110

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第102話:盟約の更新

王都を発って森を抜け、二人は大聖堂の尖塔を仰いだ。鐘の音は冷たい空を裂き、人々のざわめきに魔紋の光が混じった。公開儀礼の日。条約婚の成立と、相互防衛条項の更新。旅立ちの先で出会った森の使いが背中を押したことを、二人だけが覚えていた。皇子は前に立つ。王子は半歩後ろで肩口を支え、息を合わせた。大理石に刻まれた円環は、二国の境界線を模す魔紋で、光が寄せては返す。人の足音、香油、布の擦れる音。生々しい政治の匂いがする。大司教が宣言した。「双方、誓約の更新と婚姻の公示を」皇子が頷いた。声はわずかに震えていたが、届く。「互いの境を守るため、鐘が三度鳴れば、国境を越える救援の権を与える。供給路は地下街の中層道を用い、納骨堂の聖域は緊急時の避難路とする。私的な軍は禁ず。ここに封ぜられた敵対の余地は、今、閉じる」地下街の頭領たちがざわつく。納骨堂の守り手は沈黙し、大司教は眉を上げた。「鐘は教会の権ですぞ」王子が一礼し、文書を掲げた。「鐘の数は教会に属す。ただし触発は民の生命に属す。共同評定の発動である」宰相が脇で判を押す準備をしている。王子は紙束を皇子の指へ滑らせた。練習通りの合図。皇子の肩が少し下り、呼吸が整う。彼は署名した。魔紋が瞬いて条文の文言に錠が下りる。公開の場で読み上げるのは政治契約だけだ。だが、二人はもう一枚の合意契約を用意していた。私室での可・不可、合図、アフターケア。王子は小さく囁く。「可は抱擁、口づけ、手首の飾り紐。不可は痛みを伴う器具。合図は指二本で肩、停止は言葉、セーフワードは『灯火』。スイッチ・デーは週一、月火水のどれかで柔軟に」皇子が短く笑った。誤解はもう起こさないための笑いだった。実は朝の稽古で侍従が「スイッチ・デー」の予定表を見て、軍の交代式と勘違いして衛兵全員を並ばせてしまったのだ。鎧の列が廊下に溢れ、王子は頭を抱え、皇子は苦笑いで「ごめん」と合図を送った。誤解はすぐ解け、衛兵は解散、侍従は紅茶を差し出して真っ赤になっていた。コメディは火種になる前に甘さで消す。それが二人のルールになった。儀礼は続く。二人は互いの指に細い鎖の指輪をかけ、魔紋で「
last updateLast Updated : 2025-12-13
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第103話:教育令

鐘が七つ打たれて、広場の空気が立ち上がった。大聖堂の白い階段に、王子と皇子が並んだ。光が石肌を流れる。市井の喧噪が、ひと呼吸だけ止まった。公では皇子が前に出る。約束だ。王子は半歩後ろ、肩甲の鎖が陽を受ける。指先で、皇子の袖を一度、軽くひねる。合図。息を整えて、出す時は出ろ。皇子は前に立った。喉仏が上がって、下がる。「条約婚を、ここに」声は柔らかいのに、よく通った。広場の屋台の布が揺れ、鳩が二羽、飛び上がる。大聖堂の老司祭が巻物を開いた。青銀の魔紋が紙片の縁を走り、互いの紋章を接続する。「契約の読み上げを」皇子が頷き、王子が書面を持つ。二人の手で。合意契約の条項は、政治と生活が交ざっていた。「可と不可は事前に交わす。可の例は、会議での助言、訓練での指導。不可の例は、人格の否定、強制の命令」皇子は一息ずつ言葉を落とす。市民が耳を傾ける。「合図。手を二度、押す。迷ったら一度。続けない」王子が軽く押し、皇子が頷く。魔紋が指輪に触れて淡く光る。「アフターケア。温い湯、少しの甘味、話を聞く。休む」「セーフワードは『柘榴』。誰が言っても、即時停止」最後の一文に、広場の空気が揺れた。地下街の親方たちが顔を見合わせ、納骨堂の管理者が静かに頷いた。老司祭が杖を鳴らす。魔紋が結ばれ、二つの指輪が一度だけ熱を帯びた。条約婚は成立した。祝声が波のように押し寄せる。砂埃と花びらが混ざって舞う。王子は耳元で囁いた。「よくやった」皇子は肩で笑って、小声で返す。「手、二度押してくれた」「後ろから押すのは得意だ」「公の場」「冗談だ」公開儀礼の後、王子は広場の壇から教育令を読み上げた。今度は王子が前に立ち、皇子が背で支える。二重統治のもう片面だ。「市民講座を始める。合意とケアを学ぶ場だ。公衆浴場、酒場、ギルド、祭礼。週に一度、誰でも来られる」「セーフワードを共通語とする。治安隊、縁組所、工房、地下街。『柘榴』が聞こえたら全てを止める」「
last updateLast Updated : 2025-12-14
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第104話:灰の回廊の憲章

灰の煤が指に移る。皇子は袖口で拭きながら、天井の低い回廊を見上げた。灯火は塩の芯に脂を浸しただけの粗末な灯りだが、並びが均一だと美しく見えた。王子が掌で光の高さを測り、笑った。「等間隔。まずはこれで夜目が利く」声が落ち着いていた。森を抜け、納骨堂の守り手と出会い、案内されて辿り着いた地下街——灰の回廊。ここを自治させる憲章を起草するのが、旅の次の目的だった。大聖堂の大司教、地下街長、納骨堂の守り手。三つ巴の視線が、二人に集まった。空気は乾き、遠くで鉄の鳴る音がした。「条約婚の儀を、ここで」王子が言った。大司教はわずかに眉を上げたが、頷いた。地上で祝えば、地下は置き去りになる。地下で祝えば、地上に届く噂が変わる。選択の重さを、皇子は喉の奥で味わった。祭壇代わりの石板に、銀の糸で魔紋が描かれた。誓刻の紋。ふたりが印に手を重ねると、灰色の光がふわりと皮膚の内側で温かく灯った。契約は、国と国だけではない。ふたりの身体と言葉に関する合意もまた、条約の一部だった。読み上げ役の書記官が羊皮紙を持ち上げる。王子が小さく顎を引いた。皇子は息を整えた。「合意契約、公開の条。可は——絹紐による拘束、命令の二重確認、休止の合図。不可は——可視の痕、侮辱語、公での羞恥。合図は片手二度で停止、三度で緩める。セーフワードは——」書記官がそこでためらった。群衆の視線が一斉に集まる。王子の目尻がわずかに笑う。皇子は頷いた。公開することで羞恥ではなく安心を分かち合えると、昨夜ふたりで決めた。「灰灯」ざわ、と空気が揺れた。地下街の灯の名を、ふたりの命綱にする。回廊の人々が互いに頷き合う。止めたい時に止まる手順がある。それは政治でも生活でも、最も尊ばれるべき約束だ。「アフターケアは——蜂蜜湯、抱擁、温布、言葉の確認。週一回のスイッチ・デーを第六日に設ける。公では皇子が先に立ち、私室では王子が支える」書記官が噛んだ。会衆の端からくすくすと笑いが漏れた。緊張が緩む。大司教が咳払いし
last updateLast Updated : 2025-12-15
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第105話:国庫と快楽

昼の光が大聖堂の高窓で屈折し、床に敷かれた白石に魔紋の輪を描いた。皇子は一歩前に立ち、王子は半歩後ろで肩の線を揃えた。公では皇子が前、私室では王子が支える――二人で決めた二重統治の姿勢だった。「条約婚を、ここに」声は短く澄み、鐘をひとつ鳴らしたように空間を震わせた。大司祭が羊皮紙を掲げ、条項が読み上げられる。帝国と王国の通商再開、関所の関税率、移民の相互保護――政治の骨組みに続いて、二人だけの契約が添えられた。「私約。可は、跪礼、拘束は軽度まで。不可は、刻印、公衆での羞恥。合図は、指二度の触れ。セーフワードは『灯』。週一回のスイッチ・デーを設ける。アフターケアは、温茶、軟膏、抱擁と確認の言葉」読み上げられるたび、指輪の魔紋が青白く光り、同意の紋が重なっていった。王子が微かに頷き、皇子の肩甲骨に視線を置く。その熱は見えない綱となって、皇子の背をほどよく正した。礼が終わると、鐘楼の影が伸びる。今度は国庫の話だ。大聖堂の脇室に会計官と都市の代官、地下街の組合頭が集まった。納骨堂の管理司祭も頑なな目で腕を組んでいる。「嗜好税を再設計したい」と皇子が切り出した。「香、酒、遊興の許認可料に上乗せを」組合頭が肩を竦めた。「地下の暮らしに、また縄を掛ける気かい」王子は紙片を広げ、小さな印を机に並べる。銀の粒のような税目が、静かに彼の指で位置を変えられていく。「自由は必要だ」と王子。「規律もいる。贅沢の等級で線を引く。日々の杯一杯は非課税。高価な香と長椅子付きの私室を持つ店は登録し、嗜好税を納める。代わりに、依存症の治療院と識字学校に還付する。地下街は恩赦付きで登録期間を設ける。納骨堂への供え香は聖の列に置いて免除」司祭が眉を上げた。「供え物に税はかけさせぬ。だが治療院への寄進に大聖堂の名を刻むならば、関与を約する」「名は刻むが、手は出さない」と皇子が即答した。「使い道は監査で明らかにする」議論は熱を帯び、語が重なり、机の上の印がカタカタ鳴る。組合頭が立ち上がりかけて、皇子の視線とぶつかった。その瞳に、森で会った日の影がよぎる。弱さを示すまいという決意。王子はその決意に短く力を貸す。
last updateLast Updated : 2025-12-16
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第106話:祭司の新約

鐘が七つ鳴り終わる前に、王子は大聖堂の身廊を一度だけ振り返った。石床は磨かれ、香が薄い蜜の匂いを残す。祭壇の前には帝国議会の印璽、教会の紋章、そして条約文の羊皮紙。皇子は一歩前、王子は半歩後ろ。公では皇子が前に、私室では王子が支える。その二重の約束を、ふたりは身体で覚えてきた。大祭司が銀の籠から細い指輪を取り上げた。指輪の内側には細い魔紋が刻まれており、合図語に反応して温度がわずかに変わる。祭司は聖油を落とし、ひと呼吸置いてから言った。「条約婚は、帝国と王国の共治の契り。可と不可、合図と後始末、これを明文化し、民の前に示す」侍従が羊皮紙を広げ、条項が読み上げられる。「不可の例」として書かれた文言に小さなどよめきが起き、皇子は顎を引き、胸を張った。彼の喉仏が小さく上下するのを、王子は視界の端で見た。緊張は熱に似ていた。「セーフワードは——」司会の若い司祭が思い切りの良い声で読み上げようとして、王子と目が合った。王子は穏やかに手を挙げ、短く首を振る。紙から顔を上げた司祭が一瞬固まり、小声で続けた。「セーフワードは、当事者のみに伝え、運用と記録は『ケア修士』が担う……で、ございます」緩んだ空気に笑いが混じる。地下街から来た商人たちも肩の力を抜いた。王子は内心で安堵しつつ、同時に覚悟も固めた。公の場で笑わせ、私室で支える。どちらも仕事だ。指輪の交換は短かった。皇子の指に冷たい銀が触れる。王子の指先が相手の脈に触れた瞬間、魔紋が淡く熱を帯びる。皇子の視線が一瞬だけ揺れて、それから定まる。合図を受け取った、と王子は理解した。ふたりの間だけの了解だ。儀礼が終わると、合唱の響きが蔵骨堂へと吸い込まれていく。次は地下だ。大聖堂の脇扉から石段を降りると、地下街の組合頭と納骨堂の守り手が待っていた。双方の背後に立つ人影は多い。権利の話は誰もが聞きたがる。「地下の通路を夜市に——という要望は把握している。しかし、骨に眠る者の静けさを侵すことはできない」守り手の声は低い。組合頭は肩をすくめ、油の染みた手袋を脱いだ。「だから
last updateLast Updated : 2025-12-17
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第107話:近衛の再編

鐘が鳴り止んだとき、香は白い花と冷えた石に滲んでいた。大聖堂の床に走る魔紋が微かに青く呼吸し、祭壇前の二人の影を結んでいた。ローランは息を整えた。手綱は柔らかな声で締めるのが良い。今日だけは、公で彼を前に立たせると決めている。私室での支えは、夜に回す。「合意条項、最終確認だ」「はい」羊皮紙二枚。片方は条約婚の条文。もう片方は二人だけの契約書。乾いたインクの匂い。書き手の指先には微かな黒。ローランは指で示す。「可。口頭命令。手首の誘導。首輪は儀礼用のみ」「不可。拘束時間は一刻まで。痣を残す行為。公務直前の跪礼」「合図。三回の軽いタップ」「セーフワードは……」「星砂」声が揺れたのを、ローランだけが拾う。彼は頷いた。「運用。発声があれば即時停止。遮蔽、給水、体温管理。理由は問わない。あとで話す」皇子の睫毛が震え、肩の力がすっと抜ける。そこまで書いて、二人は同時に署名した。魔紋に羊皮紙をかざすと、契約紋が淡く光って吸い込まれる。戒壇から聖職者が進み出て、条約文のほうに祝詞を重ねた。「諸国の平穏のため、この婚姻を公にする」群衆のざわめきは、雨が城壁を撫でるように広がっていく。大聖堂の外で旗が揺れ、地下街の商人が耳をそばだて、納骨堂の奥で黒衣の司祭が数珠を指に転がした。「手を」皇子の掌は冷たく、指の腹は細く固い。ローランは軽く握り、視線で合図を送って一歩下がる。公では皇子が前に。約束だ。皇子は頷いて、祭壇の階段を下りた。声は小さくない。震えはあるが、言葉は真っ直ぐだ。「本日より、両国の近衛を再編し、共治の護衛とする。大聖堂、地下街、納骨堂、それぞれに混成の隊を置く」「反対の声もあるだろう」とローランは用心深く続ける。「だから鍵は二つだ。命令は双方の印を要する。片方だけでは動かない。裏路地にも、記録を置く」老執政が頷き、ローラン・ダールが静かに目を細める。地下街の顔役は腕を組み、「記録を写しは俺の字のほうが読みやすい
last updateLast Updated : 2025-12-18
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第108話:星の温もり

鐘の音が天蓋の星を震わせた。大聖堂の床は冷たく、磨かれた石が灯の筋を拾う。王子は手袋を外し、皇子の手を取った。手は少し冷えていた。緊張の温度だ、と気づく。「条約婚を確認する」王子の声は短く、低い。祭壇の脇に置かれた羊皮紙には、国々の条章と並んで二人の合意契約が墨色の魔紋で縁取られている。星座のような結び目がふっと光り、触れられた約束だけが青白く脈打つ仕掛けだ。「可は三つ。指示語。姿勢矯正。軽い束縛の試用、私室でのみ」 「不可は三つ。跪礼の強制。痕を残す行為。公務直前の干渉」 「合図は二回の指。速度を落とす。三回で停止の確認」 「セーフワードは『星灯』」 「アフターケアは温かい飲み物、同じ呼吸、八時間後と翌日の確認」短文が交互に重なり、魔紋が一つずつ明るむ。臣下たちは息をひそめていた。式次第に「週一のスイッチ・デー」という文言が出た瞬間、読み上げ役の老書記が咳払いで誤魔化す。王子は目だけで助け船を出した。「週次交替式、だ」 「訂正する。週次交替式」小さな笑いが広がり、場の緊張がゆるむ。公では皇子が前に、私室では王子が支える。その二重統治は、条約と同じ行に記された。最後の印を押すと、星の紋が一斉に輝き、鐘楼の外から歓声が上がる。「行こう」 「うん」公開儀礼は成功だ。だが次は難所、納骨堂への参拝と地下街の代表との面会が続く。王子は皇子の歩幅を半歩だけ先に置き、背を風よけにする。石段の湿り気が靴底に絡み、灯が揺れた。香の甘い煙と古い石灰の匂い。皇子の肩が一度だけ震える。王子は軽く二回、皇子の手の甲を指先で叩いた。約束の合図。歩みを落とす。「息、上がってる」 「大丈夫……」 「言葉じゃなくて、肌で言え」石の壁に庇のような陰を見つけ、王子は皇子の手を自身の胸へ導いた。呼吸を合わせる。心拍の速さが、ゆっくり合っていく。皇子の睫毛がわずかに震え、目線が近くなる。「星灯」
last updateLast Updated : 2025-12-19
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第109話:公の寝台比喩

鐘が三度鳴った。大聖堂の柱は蜜蝋の匂いで、床に撒かれた花粉が微かに甘い。皇子は掌を袖に隠したまま、王子の指先が手首の脈をなぞるのを感じていた。落ち着け、という合図だった。彼は頷いた。公では自分が前に立つ。私室では彼が支える。それが契約だ。広場はぎっしりだった。書記が巻物を掲げる。白布に走る黒い文字は、婚姻と条約を一本に結ぶための文言だ。可、不可、合図、そしてアフターケアまで明文化されている。寝台一式の手入れ表みたいだな、と皇子は小さく笑った。笑えるくらいには今、呼吸が整っている。「公の寝台について話そう」王子が先に口を開いた。声は低く、広場を撫でるように広がる。「国は寝台に似ている。誰を招くか、どこまで触れるか、合図は何か。合意がなければ上がらない。上がらせない。終われば水を用意し、痛みを数え、眠りを守る。私たちはそれを文にした」書記が続ける。「可」として掲げられたのは、透明な会計、公開の評議、住民の同意を条件とした徴税。「不可」は徴発の恣意、礼拝の妨害、亡骸の商い。合図は鐘と色旗、言葉の合図は「灯」。この言葉が出たら、すべてをいったん止め、確認とケアに入る。アフターケアは、施策ごとに具体的な点検日と補償を記すこと。寝台のあとの水と軟膏と同じだ。地下街の入口に続く階段の上から、顔役がひょいと手を振った。「寝具税は上がるのかい?」ざわ、と笑いが起きる。王子が肩で受け止め、皇子に視線を送る。いけるか。皇子は一歩出た。「寝具税は上げない。今日は祭りだから取らない」「おお、助かる!」笑いがひとしきり弾けて、空気が柔らかくなる。いい、今だ、と王子は視線で押す。皇子は巻物の末尾を摘まみ、指輪を陽にかざして言った。「週に一度、私たちは席を入れ替える。スイッチ・デーだ。政の机も寝台も、合意のもとに交代する。公では私が前に立つ。私室では彼が支える。その逆の日もある。型に縛られないためだ」司祭長が咳払いをした。祭壇前での条約婚は例がない。だが大聖堂は民の祈りの場所で、条約も祈りの延長でなければ長持ちしない。王子は司祭長に一礼し、納骨堂の方角へ手を差し向けた。
last updateLast Updated : 2025-12-20
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第110話:外征終結宣言

大聖堂の香の煙は甘く、喉の奥で細くほどけた。皇子は肩甲骨を寄せ、下腹に重心を落とした。彼に教わった通りだ。胸の前で指を一つ、二つ。合図の練習。指の節が小さく鳴り、天蓋から吊るされた鐘のひびきが返ってくる気がした。「前へ」王子の囁きは髪に触れるほど近くて、しかし誰にも聞こえない浅さだった。「顎を上げて。今日は君が先に名乗る」皇子は頷いた。金糸で縁取られたマントの重みが背に集まり、魔紋の冷たさが手首を舐めた。右手の甲に描かれた共治紋は二重の輪、その内側に鍵と蔦。薄金色に脈打つたび、脈拍と同じリズムで落ち着いた。大司教が杖を鳴らす。石床の微震。列柱に反響し、地下街のざわめきまで揺らした。外には民衆。地下には商人と顔役たち。納骨堂の管理者も袖口の黒を整えてこちらを窺う。すべてがこの一つの宣言に絡んでいる。「外征終結の宣言を」大司教が促す。王子が半歩退いた。公では皇子が前に、という約束。その背に、彼の視線がしっかりと立っているのを感じた。「我らは遠征を終えた。最後の反乱州を自治として認める」声は喉の底で太く鳴った。胸骨が振動し、空気が確かに割れた。「軍備は、治安へ転ずる。諸都市の巡防に、辺境の灯火に。剣は鞘に、槍は行灯に」広場の縁がざわりと揺れる。地下街の顔役が肩をすくめ、納骨堂の管理者が灰白色のまなざしを細めた。大司教は杖を静かに打ち鳴らし、祝詞に入る前に王子へ目をやる。王子は短く頷いた。段取り通り。——のはずだった。若い書記が羊皮紙を取り違えたらしい。拡声の魔石に乗った声が、大聖堂に気持ちよく響く。「条約婚の付帯合意について、読み上げます。可は、手首保持、拘束は儀礼用限定、合図は二度の指鳴らし……不可は、打擲、露出、屈辱的呼称、……セ、セーフワードは『芥子』」大司教の杖が止まり、観衆が一拍の間を置いて爆笑しかけて飲み込む。王子が苦笑を浮かべて一歩進み、手を挙げた。「誤配布だ。公に開示するのは簡略版だよ。君、裏の綴じ直しを」書記は耳まで真っ赤にして頭をさげ、わたわたと羊皮紙を抱えて走った。皇子は肩の力を抜かないように、けれど唇の端だ
last updateLast Updated : 2025-12-21
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第111話:再誓約の前夜

燭台の炎が羊皮紙の縁を琥珀色に染めていた。王子は指先でそのざらりとした感触を確かめ、行間の浅い呼吸を拾った。皇子が向かいの椅子で背筋を伸ばし、首筋に落ちる髪を耳に掛ける。静かな音がする。紙が擦れ、衣が鳴る。彼らの私室は、夜の外気を遮る厚いカーテンと、温い蜂蜜湯の甘い匂いに満ちていた。「読み直そう。全部だ」王子が低く言うと、皇子は頷いた。条約婚の契約書。公開の儀で読まれた文と、その裏に綴じられた二人だけの合意契約。公では皇子が前に、私室では王子が支える。その二重統治の心臓部。明日の再誓約を前に、不足があれば埋める覚悟で臨む夜だった。「まず、合図の項だ」皇子が目を細め、行を追う。「言語の停止合図が曖昧だね」「うむ。明文化する。言葉は……『灯』にしよう。短く、場で混同しにくい。非言語は左手で三度、私の手首を叩く。叩けないときは視線を水平に二呼吸固定。どれか一つで即停止、よいか」「……『灯』。確認して、復唱して、止める。うん、いい。運用の例も書こう。儀礼の最中に私が『灯』と誤用しないために」「対外の演説では『灯』という語を使わない。火の比喩は別の言葉で代替。大聖堂側にも通達する」王子がペン先を走らせる。黒いインクがさらりと染み、文字が定着していく。その手つきに皇子は胸の奥をほどくように息を吐いた。柔らかさが喉から鎖骨に落ち、腹で熱になる。王子はそれを合図と見たのか、短く視線で褒めた。「次。可・不可の更新だ。公開儀礼以降で変わったことは?」皇子は少し考え、耳たぶを指で擦った。「公務の後の拘束は不可、になった。背中の痛みが残る。代わりに、肩の重さを抜く触れ方は可。衣越しでも。あと……」「言って」「『跪け』は、宴席では言わないで。明日は大聖堂が相手だろう?納骨堂の導師たちも見てる。あそこは古い言葉に敏感だ。誤解を招く」「了解。私室以外で命令形の語を用いない。命題は提案に言い換える。契約に追記する」政治と身体の言葉は、よく似ていてまるで違う。王子はそれを知っていた。皇子の呼
last updateLast Updated : 2025-12-22
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