大聖堂の奥は冷たかった。石の床が朝の湿りを抱き、古い香が壁にしみついている。皇子は一歩進んで振り返った。王子が頷いた。いつも通り、公では皇子が前に。私室では王子が支える。二人の間でその合図は呼吸と同じだった。「今日は立礼だ。跪拝は撤廃する」皇子の声が木霊した。短く、よく通る。祭壇下の老司祭が目を細める。「玉座前の平伏は伝統である」「屈辱は伝統ではない」王子が半歩後ろから言葉を添えた。左手は外套の下、皇子の腰の位置に浮かぶ。触れないが、寄りかかれば支える距離。二人の契約どおり。条約婚の公開儀礼から月日はわずか。二人はあの日の誓いを更新する形で礼法を組み替えると決めていた。屈辱を抜き、同意と停止の仕組みを裏でも表でも明文化する。合意が先、手続きはその後。王家の印を押す前に、二人は互いに許可と不可を読み上げ、合図の意味を確認した。「可は、手を取る。不可は、強制の跪拝。合図は、肩に二度。停止は、『白花』」皇子が復唱し、王子が続けた。「アフターケアは、茶一杯と十分の沈黙。そして、報告」司祭たちはざわめいた。儀礼の中に私的な規則が混ざっている。だが混ざってよかった。条約婚の布が、政治に染み込むように。問題は大聖堂だけではない。地下街と納骨堂。司祭と行商と墓守が細い通路で権利をぶつけ合う場だった。国家の葬列が通るたび、誰かが頭を下げ、誰かが顔を伏せる。屈辱が堆積していた。「納骨堂の門は今日から開く。市民式典を増やす。外の広場で誓いを立てる。地下は記憶のために」皇子は予定表を捲った。そこに穴があった。若い従者が青ざめる。「あの……日取りを一つ入れ違えまして……」王子が笑った。軽い。肩の空気が緩む。「どれを遅らせる」「……司祭会議を午後に、広場の鐘を先に」「鐘を先にしよう。音で街に知らせる」皇子が頷いた。間違いは修正すればいい。儀礼は生き物だ。儀礼の稽古が始まった。香炉に火が入る。
Last Updated : 2025-12-03 Read more