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第102話:盟約の更新

Autor: fuu
last update Última atualização: 2025-12-13 23:00:38

王都を発って森を抜け、二人は大聖堂の尖塔を仰いだ。鐘の音は冷たい空を裂き、人々のざわめきに魔紋の光が混じった。公開儀礼の日。条約婚の成立と、相互防衛条項の更新。旅立ちの先で出会った森の使いが背中を押したことを、二人だけが覚えていた。

皇子は前に立つ。王子は半歩後ろで肩口を支え、息を合わせた。大理石に刻まれた円環は、二国の境界線を模す魔紋で、光が寄せては返す。人の足音、香油、布の擦れる音。生々しい政治の匂いがする。

大司教が宣言した。

「双方、誓約の更新と婚姻の公示を」

皇子が頷いた。声はわずかに震えていたが、届く。

「互いの境を守るため、鐘が三度鳴れば、国境を越える救援の権を与える。供給路は地下街の中層道を用い、納骨堂の聖域は緊急時の避難路とする。私的な軍は禁ず。ここに封ぜられた敵対の余地は、今、閉じる」

地下街の頭領たちがざわつく。納骨堂の守り手は沈黙し、大司教は眉を上げた。

「鐘は教会の権ですぞ」

王子が一礼し、文書を掲げた。

「鐘の数は教会に属す。ただし触発は民の生命に属す。共同評定の発動である」

宰相が脇で判を押す準備をしている。王子は紙束を皇子の指へ滑らせた。練習通りの合図。皇子の肩が少し下り、呼吸が整う。彼は署名した。魔紋が瞬いて条文の文言に錠が下りる。

公開の場で読み上げるのは政治契約だけだ。だが、二人はもう一枚の合意契約を用意していた。私室での可・不可、合図、アフターケア。王子は小さく囁く。

「可は抱擁、口づけ、手首の飾り紐。不可は痛みを伴う器具。合図は指二本で肩、停止は言葉、セーフワードは『灯火』。スイッチ・デーは週一、月火水のどれかで柔軟に」

皇子が短く笑った。誤解はもう起こさないための笑いだった。実は朝の稽古で侍従が「スイッチ・デー」の予定表を見て、軍の交代式と勘違いして衛兵全員を並ばせてしまったのだ。鎧の列が廊下に溢れ、王子は頭を抱え、皇子は苦笑いで「ごめん」と合図を送った。誤解はすぐ解け、衛兵は解散、侍従は紅茶を差し出して真っ赤になっていた。コメディは火種になる前に甘さで消す。それが二人のルールになった。

儀礼は続く。二人は互いの指に細い鎖の指輪をかけ、魔紋で「

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    大聖堂の香の煙は甘く、喉の奥で細くほどけた。皇子は肩甲骨を寄せ、下腹に重心を落とした。彼に教わった通りだ。胸の前で指を一つ、二つ。合図の練習。指の節が小さく鳴り、天蓋から吊るされた鐘のひびきが返ってくる気がした。「前へ」王子の囁きは髪に触れるほど近くて、しかし誰にも聞こえない浅さだった。「顎を上げて。今日は君が先に名乗る」皇子は頷いた。金糸で縁取られたマントの重みが背に集まり、魔紋の冷たさが手首を舐めた。右手の甲に描かれた共治紋は二重の輪、その内側に鍵と蔦。薄金色に脈打つたび、脈拍と同じリズムで落ち着いた。大司教が杖を鳴らす。石床の微震。列柱に反響し、地下街のざわめきまで揺らした。外には民衆。地下には商人と顔役たち。納骨堂の管理者も袖口の黒を整えてこちらを窺う。すべてがこの一つの宣言に絡んでいる。「外征終結の宣言を」大司教が促す。王子が半歩退いた。公では皇子が前に、という約束。その背に、彼の視線がしっかりと立っているのを感じた。「我らは遠征を終えた。最後の反乱州を自治として認める」声は喉の底で太く鳴った。胸骨が振動し、空気が確かに割れた。「軍備は、治安へ転ずる。諸都市の巡防に、辺境の灯火に。剣は鞘に、槍は行灯に」広場の縁がざわりと揺れる。地下街の顔役が肩をすくめ、納骨堂の管理者が灰白色のまなざしを細めた。大司教は杖を静かに打ち鳴らし、祝詞に入る前に王子へ目をやる。王子は短く頷いた。段取り通り。——のはずだった。若い書記が羊皮紙を取り違えたらしい。拡声の魔石に乗った声が、大聖堂に気持ちよく響く。「条約婚の付帯合意について、読み上げます。可は、手首保持、拘束は儀礼用限定、合図は二度の指鳴らし……不可は、打擲、露出、屈辱的呼称、……セ、セーフワードは『芥子』」大司教の杖が止まり、観衆が一拍の間を置いて爆笑しかけて飲み込む。王子が苦笑を浮かべて一歩進み、手を挙げた。「誤配布だ。公に開示するのは簡略版だよ。君、裏の綴じ直しを」書記は耳まで真っ赤にして頭をさげ、わたわたと羊皮紙を抱えて走った。皇子は肩の力を抜かないように、けれど唇の端だ

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  • domの王子はsubの皇子を雄にしたい   第107話:近衛の再編

    鐘が鳴り止んだとき、香は白い花と冷えた石に滲んでいた。大聖堂の床に走る魔紋が微かに青く呼吸し、祭壇前の二人の影を結んでいた。ローランは息を整えた。手綱は柔らかな声で締めるのが良い。今日だけは、公で彼を前に立たせると決めている。私室での支えは、夜に回す。「合意条項、最終確認だ」「はい」羊皮紙二枚。片方は条約婚の条文。もう片方は二人だけの契約書。乾いたインクの匂い。書き手の指先には微かな黒。ローランは指で示す。「可。口頭命令。手首の誘導。首輪は儀礼用のみ」「不可。拘束時間は一刻まで。痣を残す行為。公務直前の跪礼」「合図。三回の軽いタップ」「セーフワードは……」「星砂」声が揺れたのを、ローランだけが拾う。彼は頷いた。「運用。発声があれば即時停止。遮蔽、給水、体温管理。理由は問わない。あとで話す」皇子の睫毛が震え、肩の力がすっと抜ける。そこまで書いて、二人は同時に署名した。魔紋に羊皮紙をかざすと、契約紋が淡く光って吸い込まれる。戒壇から聖職者が進み出て、条約文のほうに祝詞を重ねた。「諸国の平穏のため、この婚姻を公にする」群衆のざわめきは、雨が城壁を撫でるように広がっていく。大聖堂の外で旗が揺れ、地下街の商人が耳をそばだて、納骨堂の奥で黒衣の司祭が数珠を指に転がした。「手を」皇子の掌は冷たく、指の腹は細く固い。ローランは軽く握り、視線で合図を送って一歩下がる。公では皇子が前に。約束だ。皇子は頷いて、祭壇の階段を下りた。声は小さくない。震えはあるが、言葉は真っ直ぐだ。「本日より、両国の近衛を再編し、共治の護衛とする。大聖堂、地下街、納骨堂、それぞれに混成の隊を置く」「反対の声もあるだろう」とローランは用心深く続ける。「だから鍵は二つだ。命令は双方の印を要する。片方だけでは動かない。裏路地にも、記録を置く」老執政が頷き、ローラン・ダールが静かに目を細める。地下街の顔役は腕を組み、「記録を写しは俺の字のほうが読みやすい

  • domの王子はsubの皇子を雄にしたい   第106話:祭司の新約

    鐘が七つ鳴り終わる前に、王子は大聖堂の身廊を一度だけ振り返った。石床は磨かれ、香が薄い蜜の匂いを残す。祭壇の前には帝国議会の印璽、教会の紋章、そして条約文の羊皮紙。皇子は一歩前、王子は半歩後ろ。公では皇子が前に、私室では王子が支える。その二重の約束を、ふたりは身体で覚えてきた。大祭司が銀の籠から細い指輪を取り上げた。指輪の内側には細い魔紋が刻まれており、合図語に反応して温度がわずかに変わる。祭司は聖油を落とし、ひと呼吸置いてから言った。「条約婚は、帝国と王国の共治の契り。可と不可、合図と後始末、これを明文化し、民の前に示す」侍従が羊皮紙を広げ、条項が読み上げられる。「不可の例」として書かれた文言に小さなどよめきが起き、皇子は顎を引き、胸を張った。彼の喉仏が小さく上下するのを、王子は視界の端で見た。緊張は熱に似ていた。「セーフワードは——」司会の若い司祭が思い切りの良い声で読み上げようとして、王子と目が合った。王子は穏やかに手を挙げ、短く首を振る。紙から顔を上げた司祭が一瞬固まり、小声で続けた。「セーフワードは、当事者のみに伝え、運用と記録は『ケア修士』が担う……で、ございます」緩んだ空気に笑いが混じる。地下街から来た商人たちも肩の力を抜いた。王子は内心で安堵しつつ、同時に覚悟も固めた。公の場で笑わせ、私室で支える。どちらも仕事だ。指輪の交換は短かった。皇子の指に冷たい銀が触れる。王子の指先が相手の脈に触れた瞬間、魔紋が淡く熱を帯びる。皇子の視線が一瞬だけ揺れて、それから定まる。合図を受け取った、と王子は理解した。ふたりの間だけの了解だ。儀礼が終わると、合唱の響きが蔵骨堂へと吸い込まれていく。次は地下だ。大聖堂の脇扉から石段を降りると、地下街の組合頭と納骨堂の守り手が待っていた。双方の背後に立つ人影は多い。権利の話は誰もが聞きたがる。「地下の通路を夜市に——という要望は把握している。しかし、骨に眠る者の静けさを侵すことはできない」守り手の声は低い。組合頭は肩をすくめ、油の染みた手袋を脱いだ。「だから

  • domの王子はsubの皇子を雄にしたい   第105話:国庫と快楽

    昼の光が大聖堂の高窓で屈折し、床に敷かれた白石に魔紋の輪を描いた。皇子は一歩前に立ち、王子は半歩後ろで肩の線を揃えた。公では皇子が前、私室では王子が支える――二人で決めた二重統治の姿勢だった。「条約婚を、ここに」声は短く澄み、鐘をひとつ鳴らしたように空間を震わせた。大司祭が羊皮紙を掲げ、条項が読み上げられる。帝国と王国の通商再開、関所の関税率、移民の相互保護――政治の骨組みに続いて、二人だけの契約が添えられた。「私約。可は、跪礼、拘束は軽度まで。不可は、刻印、公衆での羞恥。合図は、指二度の触れ。セーフワードは『灯』。週一回のスイッチ・デーを設ける。アフターケアは、温茶、軟膏、抱擁と確認の言葉」読み上げられるたび、指輪の魔紋が青白く光り、同意の紋が重なっていった。王子が微かに頷き、皇子の肩甲骨に視線を置く。その熱は見えない綱となって、皇子の背をほどよく正した。礼が終わると、鐘楼の影が伸びる。今度は国庫の話だ。大聖堂の脇室に会計官と都市の代官、地下街の組合頭が集まった。納骨堂の管理司祭も頑なな目で腕を組んでいる。「嗜好税を再設計したい」と皇子が切り出した。「香、酒、遊興の許認可料に上乗せを」組合頭が肩を竦めた。「地下の暮らしに、また縄を掛ける気かい」王子は紙片を広げ、小さな印を机に並べる。銀の粒のような税目が、静かに彼の指で位置を変えられていく。「自由は必要だ」と王子。「規律もいる。贅沢の等級で線を引く。日々の杯一杯は非課税。高価な香と長椅子付きの私室を持つ店は登録し、嗜好税を納める。代わりに、依存症の治療院と識字学校に還付する。地下街は恩赦付きで登録期間を設ける。納骨堂への供え香は聖の列に置いて免除」司祭が眉を上げた。「供え物に税はかけさせぬ。だが治療院への寄進に大聖堂の名を刻むならば、関与を約する」「名は刻むが、手は出さない」と皇子が即答した。「使い道は監査で明らかにする」議論は熱を帯び、語が重なり、机の上の印がカタカタ鳴る。組合頭が立ち上がりかけて、皇子の視線とぶつかった。その瞳に、森で会った日の影がよぎる。弱さを示すまいという決意。王子はその決意に短く力を貸す。

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