All Chapters of domの王子はsubの皇子を雄にしたい: Chapter 51 - Chapter 60

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第51話:刃の夜

大聖堂のステンドグラスが、夜を青い刃で裂いていた。香と油の匂いが重い。金糸の結び紐が、二人の手首をゆるくつなぐ。条約婚は成立、公開儀礼は穏やかな終章へ――そのはずだった。矢が鳴った。骨の羽が、細い音で空気を切る。最初に血が咲いたのはアルトリウスの左肩。銀青の礼衣に赤。膝が落ちかけ、踏みとどまる。視線は前を外さない。「下がれ」ルシアンの声は鈍い鉄。体は勝手に前へ――だが結び紐が引き戻す。公では皇子が前に立つ。二人で刻んだ条。忘れてはいない。けれど血は、本能を呼ぶ。「紅葉」アルトリウスが口の内で告げる。セーフワード。不可侵の停命。ルシアンの靴裏が石に戻る。「公は私が前だ」「……命令か」「契約に基づく要請だ」低い対話ののち、ルシアンは一歩退いた。アルトリウスが右手を上げ、祭司と民へ短く通す。「背を見せるな。祈りは解く。扉は閉じず、出入口は監視。狼煙は上げない」声は細る。合図は正確。護衛の影が伸びる。内陣で羽音、二本目。ルシアンは礼装の青帯を掴む。「それは葬儀用で――」と祭司。「借りる」帯は一瞬で止血帯に変わり、肩へ巻かれる。痛みで眉が寄る。その隙に黒衣の影が祭壇脇の扉へ滑り、地下へ。石段の冷気。「地下街に抜ける」ルシアンは即座に采配した。若い従者へ目だけで命じる。「鐘楼は黙らせろ。市門は閉じるな。地下の吐き口四つだけ封鎖」「は、はい! ただ今夜、スイッチ・デーの帳面が――」「延期。記録に『不可・危急対応』。明日は倍、撫でる」従者が真っ赤で走る。空気が一瞬ほどける。別の従者が結び紐を解こうと近づき――「まだだ」アルトリウスは静かに首を振る。「結びは解かない。民の前で戻る」痛みの中の頑固さ。雄になる訓練は、こういう場面に通う。公でまず立ち、
last updateLast Updated : 2025-10-24
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第52話:痛みと撫でる手

夜明けの冷気がまだ肌に残っていた。樹皮の匂いが濃い境界の森を抜け、二人は石畳に靴底を置いた。王子は風除けの外套を直し、皇子の手首の脈を指で確かめた。いつもの癖だ。「息、浅い」 「緊張してるだけだ」皇子は笑ってみせたが、喉が乾いている音がした。大聖堂の尖塔は近い。鐘楼の影は長く、街の地下に走る小路の口が冷たい息を吐いていた。老猟師に教わった近道はたしかに短かったが、地下街の匂いと人の視線は重い。権力は、地上よりも先に地下で動く。「儀礼は公。休むのは私室」 「わかってる」王子は頷いた。公では皇子が前に立ち、私室では王子が支える。二重統治の約束は、婚姻条約の一条でもある。彼らは旅の途中、森の焚き火のそばで紙を何度も重ねた。官能と政のあいだの境界線を、線でなく帯にするために。大聖堂の扉が開いた。焼いた蜂蜜と香の甘い匂い。光は高天井から降り、床の魔紋に白い火花のような埃を浮かせた。群衆のざわめきが、小さな波になって押してくる。大司祭が契約文を読み上げる。まずは国同士の条件。それから二人の間の合意――これは封蝋した副本として大聖堂のアーカイヴに預ける約束だったが、読み上げるのは要点だけだ。「合意の範囲、可。手首の拘束、可。跪き、可。噛み跡、可。ただし露出は公の場では不可。血を伴う行為、不可。顔面打撃、不可。精神を試す言葉の投げつけ、不可。合図は三度のタップ。セーフワードは……」司祭が台本を追い、ちらと眉を上げた。王子が軽く顎で合図する。皇子は一歩前へ。「星砂」ざわり、と前列が揺れる。言葉は短く、柔らかい。しかし張り詰めた糸のように、二人の間に通電する。司祭は頷き、続ける。「セーフワード『星砂』を以て、即時停止、接触解除、アフターケアへ移行。アフターケアは、保温、補水、皮膚の消毒、心理的同意の再確認を含む。週に一度の……」司祭が目を細め、紙を持つ若い侍者に視線を送る。侍者は慌てて別の巻物を差し出した。王子が肩を震わせる。皇子は喉の奥で笑いを飲み込んだ。間違えた書付は愛らしいほど個人的だった。
last updateLast Updated : 2025-10-25
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第54話:偽装の抱擁

樹海の根が組んだ天蓋の下、湿った香りがしていた。苔と焼いた香辛料、遠くの香炉の白い線香の匂い。森の縁に口を開けた地下街は、昼でも薄暗い。大聖堂の巡礼と、納骨堂の灰衣の司祭と、商人たちが同じ石畳を踏む。表向きは平穏、足元は黒い糸だらけだ。 王子は手袋の下で指を握り、癖のある銀の指輪をひねった。魔紋が呼吸に合わせて微かに熱を返す。条約婚の印。公開儀礼で交わした誓いは魔紋で刻印され、二人の皮膚に薄い模様を流していた。視線を上げる。皇子がこちらを見て、短く頷いた。今日の段取りは決めてある。敵の前で親密を演じ、動揺と反応を見る。内通者の糸を引っ張る。 「確認、する?」皇子の声はいつもより硬かった。王子は低く返す。 「可は抱擁・口づけ・耳元での指示。不可は首筋への歯、腕を背へ固定。合図は手首に二度のタップ。セーフワードは“蒼薔薇”。アフターは温茶と呼吸合わせ」 皇子は自分の胸元を整えながら、唇の端だけを上げた。「うん。今日は君が支え、私が前に出る。公の顔は私の役目だ」 それが二人の二重統治。人前で先に立つのは皇子。私室で支えるのは王子。週に一度のスイッチ・デーは別に設ける。ちなみに手帳では明日だ。たぶん。 案内人を装った若い男が、地下街の中央広場へと二人を導いた。頭上の根から吊るされた灯が揺れるたび、魔紋の光も静かに脈打つ。王子は前を行く灰衣の司祭たちと、横目でこちらを見張る大聖堂の書記たちの肩線を測った。ひそひそ声、乾いた紙の擦れる音。潮目はここだ。 「殿下、見物が多い」王子はわざと声を外へ散らした。皇子は一歩前に出て、王子の手を取った。指先が冷えている。緊張は熱を奪う。王子は自分の熱を返すように、手を包む。 「君は、私の后だ」皇子はわざと通る声で言った。地下街のざわめきが一拍だけ止まる。誰もが、この森を越えて結ばれた条約婚の顔を求めている。 王子は膝を折るように身を寄せ、皇子の腰に腕を回した。抱擁
last updateLast Updated : 2025-10-27
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第55話:灰の王の貸し

鐘が鳴った。大聖堂の白い煙が天蓋の隙間からゆらぎ落ち、群衆のざわめきが波のように寄せては返した。皇子は前に立った。礼冠の鎖が喉元で静かに鳴る。公では彼が先だ。私室では王子が支える。それが二人の決めた二重統治の型だった。「条約婚を結ぶ。帝国皇子として宣する」皇子の声は低く、よく通った。練習した成果だ。王子は半歩後ろで指先を重ね、合図の圧を送った。一本。呼吸をあわせる、の合図。「王国王子として受ける。盟約を守る。君を前に立たせ、影で支える」王子は紙を持ち替えた。祝祷文の束と、私的契約書の束。手の中で入れ替わった。やばい。「可は拘束と、口づけと」「待て、そこは後でだ」皇子が肘で軽く突いた。観衆から笑いが漏れた。王子は喉を鳴らして、礼の文に戻した。段取りミスは笑いに変えろ。これも彼らの作戦の一部だった。緊張を溶かす甘さは、群衆に効く。聖油が布に湿っている匂い。祭壇の縁に刻まれた魔紋が青く灯る。結印の腕輪を互いの手首にはめた。銀の内側に小さな紋が彫ってある。合図と境界を示す紋だ。「合意契約をここに併記する」皇子は群衆に向けて微笑み、声を落として王子に伝えた。「可は、拘束と口づけと、軽い指示。不可は、打擲と公共の露出と、痛みでのしつけ。合図は手の圧と目で。セーフワードは茜」「了解。茜が出たら即時停止」「停止後、温い茶と膝枕」「アフターまでが契約」二人は目を合わせ、同時に頷いた。見えないところで手の圧が二本。うまくいっている、の合図。大聖堂の司祭が聖布を持ち上げた。公開儀礼の頂点だ。司祭は神を、群衆は未来を呼んだ。「両国の条約婚、ここに成立」歓声が上がった。花弁が降った。王子の心拍が跳ねた。皇子が後ろ手に、彼の指をつまむ。一本。呼吸。落ち着け。儀礼が終わる頃、灰衣の侍女が香の盆を持って近づいた。真鍮の縁に灰の印。カスパル・グレイの使いだ。侍女は膝を折り、灰を一つつまんで、絨毯の端に散らした。「灰は風で動きます」合図。地下に風穴が開いた、という知らせだった。
last updateLast Updated : 2025-10-28
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第56話:聴取の手当て

鐘が三度、湿った石の壁にほどけた。香の名残と、獣油の灯りが滲む地下回廊。大聖堂の下、納骨堂の前で、皇子は足を止めた。王子が一歩だけ前に出る。公では皇子が前に。私室では王子が支える。今は境目だ。「寒いね」と王子が囁き、肩に薄い外套をかけた。布が触れると、皇子の手首の魔紋が淡く応えた。互いの脈をなぞる契約紋。公開儀礼で結ばれた条約婚の証は、光るより先に熱を帯びる。「事情聴取の前に、することがある」王子は小さな革の冊子を取り出し、石台に置いた。二人の合意契約の写し。可と不可、合図、アフターケア。項目に赤いしおりが挟まれている。皇子は深く息を吸い、扉の向こうの気配に向かって声を通した。「ここでの聞き取りは、痛みを増やさない。あなたにもセーフワードを用意した。『麦笛』と言えば、その場で停止する。手を二度握ってくれれば一時中断。三度で中止。終わった後は、温かいものを一緒に飲む。同行者を付けてあなたの選ぶ場所まで送る。ここに明文化してある」扉がきしみ、影が滲む。若い書記のような者が、青ざめた顔で現れた。首元まで上がった呼吸。喉仏の動きが灯りで大きく見えた。「信じて、いいのですか」王子が一歩も前に出ずに答えた。「信じてもらうために、私たちは先に自分の約束を開示する。公でも私でも、契約より先に信頼の種を置く。大聖堂の上で誓ったとおりだ」書記は石台の冊子を見た。震えがほんの少し治まるのが、皇子の目にも分かった。そのとき、王子が小さく眉を寄せた。「あ、今日、スイッチ・デーだった」皇子も固まる。週に一度、役割を反転する約束。右手の小指に付け替える日付札が、まだ左手にある。書記が目を丸くして札を凝視した。「……あの、今、誰が前で……?」王子が慌てて札を指で隠した。「段取りミスだ。今日は私が後ろで支える。聴取は皇子が進める。あとでちゃんと埋め合わせをする」皇子はこっそり王子の袖を一度握り、許可を求める合図を返した。王子が二度握り返す。綻びは笑いにする。書記の口元にも、安堵の笑みがわずかに浮かんだ。「では、始めます」皇子は石台に手
last updateLast Updated : 2025-10-29
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第57話:摂政の綻び

朝の地下街は、蝋の匂いと金属の乾いた光で満ちていた。皇子は外套の襟を整え、王子の手の甲に小さく触れた。合図は短く、呼吸も短い。公では彼が前に出る。私室では逆だ。それを二人だけの契約書に書いた。インクが乾く前に何度も読み返した文句――可、不可、合図、アフターケア、週一回のスイッチ・デー、そしてセーフワード。「緊張してる?」王子が囁いた。「少し。けれど、歩く。今日は私が先だ」革靴が石畳を刻み、数えるほどの従者が影のように続く。地下街の奥、納骨堂へ続く回廊の手前に金庫番の小部屋があった。扉の鉄は冷ややかで、金具に触れる指が震えたが、皇子は鍵を見せた。森で出会った日から、彼は触れることで強くなる訓練をしてきた。王子は一歩下がり、視線で支えた。「開ける」錠が外れる音は、骨壺の隙間に落ちた硬貨のように乾いた。中は帳簿の匂いが濃い。羊皮紙が擦れ、金と塩とインクが混ざる。皇子は表紙を撫で、項目の列を追った。「寄進、祭壇修繕、納骨堂維持……地下街納付……この線、太すぎる」「増やしてる。摂政派の財布だ」王子の声は低い。皇子は頷いた。糸綴じの間に差し込まれた細い布切れの色を見て、思わず耳が熱くなる。「赤が……優先?」「今日は政治。赤縄は週末」王子が小声で笑う。「……日誌、見間違えた」そこがこの朝の可笑しみだった。二人は前夜、週に一度のスイッチ・デーを手帳で合わせた。赤印は予算会議の色でもある。王子が掌に指で丸を描いた。「日程は私が直す。君は台帳を」皇子は深く息を吸った。彼の合図は肩の下がり方、踵の角度、小さな喉の動き。王子はそれを知っている。翻って、公での彼の合図は宣言の形を取る。「ここに、署名がいる」財務官が差し出した筆に、皇子は迷わず名――称号を書いた。条約婚の草案で鍛えた筆だ。王子が添え、二人の婚姻の契約書の条文を流用して、寄進の管理権を新しい共同家政に移す条項を追記する。宗廟財の流れは、法の言葉で変わる。「この一行が橋になる」王
last updateLast Updated : 2025-10-30
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第58話:舌紋ふたたび

鐘楼に春の風がぶつかって、薄い金属音が街に流れた。大聖堂の階段で足を止めた王子は、深呼吸を一つ。今日は“舌紋”をやり直す日だった。森の小聖堂で一度失敗した儀礼。あの時は彼が急ぎすぎ、皇子の覚悟より先に触れてしまった。味だけが舌に残り、誓いは結ばれなかった。だから、今度は順序から整えると決めてきた。皇子が横に立った。外套の襟を指で正して、群衆へ軽く手を挙げる。公では皇子が前に立つ。王子は半歩うしろ、その影で息を合わせる。それが二人の二重統治の形だった。大聖堂の司祭が階上から降りてきて頭を下げた。地下街の頭領からも使いが来ていると告げた。納骨堂の番人は頑なに待たせている、とも。儀礼の場を誰が握るか。鐘の音は柔らかいのに、地面の下では静かな争いがきしんでいた。王子は皇子と目配せし、先に地下へ向かった。露店の灯が連なっている。香草と羊脂の匂いに、鉄の香りが混じっている。舌紋の染めに使う藍の虫粉がここでしか手に入らない。頭領は肉厚の手で王子の差し出した契約書を受け取り、皇子を値踏みする目で見た。「条件は?」皇子が一歩出て、頭領の正面に立った。声は凪いでいる。「税は固定率。検閲はやめる。代わりに黒市の人身売買を完全にやめる。納骨堂へ通じる抜け道は封鎖。舌紋の材料は儀礼費として寄進する」王子は黙って見守った。皇子は今、前に立つ“雄”の稽古を実務でやっている。地下街がざわめいた。頭領は舌打ちを飲み込み、肩を竦めて笑った。「皇子は筋目が通るのね。いいわ、寄進する。代わりに露台の明かり税は半減してちょうだい」皇子は短く考え、手を差し出した。「半年の試行だ」握手が落ちると、周りの商人から小さな拍手が起きた。次に二人は納骨堂へ降りた。石段は冷たく、蝋燭の火が骨壺の銀を点のように照らしている。番人は黒い灰を掌に載せたまま、二人を睨んだ。「流行りの公儀礼などで死者を畏れさせるな」皇子が前へ出る。「静かにやる。我々は見せびらかしに来たのではない」「ならば、舌紋の灰は持たせん」王子は皇子の袖に触れ、小さく首を
last updateLast Updated : 2025-10-31
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第59話:誓約の公示

朝、鐘の音が三度、帝都の屋根瓦を震わせた。王子は鏡の前で皇子の襟を直し、短い息で問いを落とした。「合図の確認」皇子は指先で彼の手首を包み、三度、軽く叩いた。減速。二度で停止。片手を上げれば離れる。「セーフワードは」「夜舟」「聞こえなければ」「あなたが私の名を呼ぶ。私は同じ言葉を返す」それだけ言えば、胸の奥に降りる静けさが同じだった。王子は肩を抱いた。抱擁の時間は長くはない。裾の金糸に朝の光が走り、皇子の横顔に勇気が宿る。「今日は、あなたが前に」「私室では、あなたが支えて」「いつも通りだ」扉の外では、段取りを読み上げる若い書記が「週一回のスイッチ・デー」と書かれた札を裏向きに持っており、従者が青ざめて飛んでくる。「逆です、殿下!表に『民と神への誓い』、裏に『私約』」王子はくすりと笑い、札を取り換えた。「間違って公示したら帝都が赤面する」皇子も小さく笑い、緊張が和らいだ。大聖堂の扉が開かれる。緑青の魔紋が床に浮き上がり、誓環が二人の前に広がった。祭司は政治の言葉を短く、倫理の言葉を長く読む。今日、市民に公開されるのは条約婚の骨子と倫理条項の一部だった。「互いの可と不可を文と印に記し、変化ある時は合意を上書きすること」「合図は三度の触れで緩め、二度の触れで止めること」「セーフワード『夜舟』は、野にあっても宮にあっても尊ばれること」「週の第七日に『交替の日』を設け、領内外の決を共にすること」聖堂の外、広場の民まで聞こえるよう、書記が碑文を読み上げる。拍手が広がる前に、ひとりの老婆が杖の音を鳴らし「そうでないのは悪だ」と言う代わりに「そうであるなら安心だ」と頷いた。世論の方向が決まっていく音がした。誰もがわかる言葉で、誰にも踏みにじれない約束を見せる。王子はそれを狙っていた。「公では私が前に出ます」皇子は宣言した。「しかし意思決定の支え、私は彼に頼ります」「頼られた責任は、支配でなく共治に使う」王子の言葉は短い。甘い声が硬い石にしみていく。二人
last updateLast Updated : 2025-11-01
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第60話:刃の夜の決算

大聖堂の床は冷たく、磨かれた石に燭の炎が揺れていた。香の匂いが高く舞い、鐘が短く三度鳴る。皇子は前に出た。王子は半歩下がり、その背中に視線で支えを置いた。公では皇子が前に、私室では王子が支える——二人が合意した二重の統治だった。司祭が契約文を読み上げる。条約婚の条項と、二人だけの合意契約が続く。「可は、儀礼における束縛、跪礼、指示の受領。不可は、痕の残る行為、呼吸を損なう行為、第三者の介入。合図は、三度の指先の叩打。セーフワードは『灯』。アフターケアは、温湯、甘味、抱擁、翌朝の気持ちの確認」「週に一度のスイッチ・デーを設ける」「吸……」「スイッチです」王子が穏やかに訂正すると、聖歌隊の端で咳払いが一つ起き、参列の貴族が小さく笑った。空気がほどける。これくらいの間抜けは、儀礼の緊張をやわらげる薬になる。王子は皇子の左手首に魔紋の指輪をかざした。薄金の紋が一瞬だけ燈り、肌に馴染む。皇子も同じように王子の右手に紋を返す。誓詞は短く、互いの責任と庇護が主語になっている。愛より先に契約、契約より先に信頼の種。ふたりはそれを人前で見せた。鐘が七度鳴り終わるころ、議会の扉が開いた。大聖堂はそのまま議事堂に転じる。地下街の顔役と納骨堂の守り手、それに大司祭が証人席に控えた。刃の夜——婚儀の前夜に起きた暗殺未遂。その決算が始まる。「証拠はここにある」王子が差し出したのは黒い札束。地下街でしか使われない裏札。札の端に摂政の印に似た刃紋が刻まれている。納骨堂の守り手が、石の欠片を掲げた。冷たい灰のような光沢。刃の夜、犯人の短剣が折れた痕だ。「この刃紋は、納骨堂の地下室に保管される御用刃の派生だ。登録なしで鋳られたものは一つ——摂政の私室につながる工房」皇子の声は、最初少しだけ震え、すぐに落ち着いた。王子が背後で息を合わせるように頷く。これは訓練の成果だった。命令ではなく、根拠と順序で場を押さえる。雄になる練習は、身体の制御と同じだけ、言葉の制御にも効く。「我こそは知らぬ」摂政は声を張った。大司祭は視
last updateLast Updated : 2025-11-02
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