All Chapters of プライド崩壊の夜~元妻、二人目の妊娠~: Chapter 761 - Chapter 770

970 Chapters

第761話

「その紙を……金庫に?」明里は自分の耳を疑った。どこぞの希少な宝石や国宝級の骨董品だろうか。わざわざ重厚な金庫にしまう必要があるのだろうか。いったい誰が、他人の婚姻届受理証明書など盗みに来るというのか。「お前にはわからないさ」潤はまったく迷いのない足取りで、階段を上がっていった。「俺にとって、これは命より大切なものなんだ」明里はこれ以上止めるのを諦めた。一階の広々としたリビングで待ちながら、スマホを取り出し、親友の胡桃にメッセージを送った。どうしてもこの呆れた出来事を誰かに愚痴りたかったのだ。【男の人って、どうしてこうなの?】潤の突拍子もない行動は、時々本当に理解を超えている。【男なんてみんな似たようなものよ。さっき潤が金庫に入れるって話をしたら、樹も『もし俺たちが籍を入れたら、俺も絶対に金庫に入れる』って真顔で言ってたわ】その返信を見て、明里は樹の気持ちなら少しは理解できる気がした。【あなたたちがその紙を手に入れるには、まだまだ一筋縄ではいかないでしょうからね】【そっちだって、ここまで来るのに十分すぎるくらい苦労したじゃない】画面越しの胡桃の言葉に、明里はふと胸の奥に熱いものが込み上げてくるのを感じた。やがて、潤が二階から下りてくると、明里は自分から歩み寄り、その引き締まった背中にそっと腕を回した。潤もまた、明里を静かに抱きしめ返した。二人は何も言葉を交わさなかった。ただ、重なり合う互いの鼓動を感じながら、静かに寄り添っていた。「明里ちゃん……」しばらくの沈黙の後、潤が頭上からぽつりと口を開いた。「ありがとう」彼は噛み締めるように言った。「もう一度、俺を愛する機会をくれて。お前のこと、絶対に失望させない」「ふふ、こちらこそ」明里は潤の広い胸に頬をすり寄せた。「もう一度、私と一緒に歩いてくれてありがとう」「お腹は空いていないか?」潤は少しだけ明里から体を離し、その手を引いてふかふかのソファへと導いた。「そろそろ手配した食事が届くはずだ。今日は一歩も外へ出たくない。この家で、二人きりで祝おう」明里に異存はなかった。ほどなくして別荘に届けられた食事は、どれも明里の好物ばかりだった。さらに、食事と一緒に抱えきれないほど大きな花束も届けられた。目が覚めるような、鮮やかな真紅の薔薇。柔
Read more

第762話

「生理中だって……俺たちにできることは、いくらでも色々あるぞ」明里は呆れて潤を軽く睨みつけ、逃げるように席を立ち、花束を抱えた。「もう、花を生けてくるわ」キッチンで花瓶に向かっていると、背後からすぐに潤が追ってきた。逃げ道を塞ぐように背後からすっぽりと抱きすくめられ、露わになった白い首筋に熱い唇が寄せられる。「今日は俺たちが入籍した記念すべき日だぞ。こんなに特別で甘い夜に、何もしないで寝るなんて絶対にもったいないだろう」「何がしたいのよ、もう」明里は潤の腕の中で身じろぎしながら、手早く花の根元を切り落とし、水を張った花瓶に挿していった。潤は強引に明里の手を引いて、キッチンの流しへ向かった。彼女の手を丁寧に洗わせた後、そのまま抱き上げるようにして二階の寝室へと連れていく。「ちょっと、花が……」明里はまだ抵抗を試みていた。「花が好きなら、明日から毎日だって買ってきてやる」潤は有無を言わせぬ声で囁いた。「今は、花なんかよりずっと大事なことがある」「何ができるっていうのよ……」生理中だというのに。しかし、いざベッドへ倒れ込んでみると、「できること」は明里が想像するより、いくらでもあった。潤は明里に対し、惜しみなく濃密な愛を注いだ。直接的な行為がなくとも、別の甘く背徳的な方法で、二人は身も心もとろけるように満たされていった。嵐が過ぎ去った後、明里はすっかり力が抜け、指先一つ動かせないほどぐったりとシーツに沈み込んでいた。潤の逞しい腕にきつく抱きしめられたままだ。こういうことにかけて、男という生き物は本当に恐ろしいほどの才能を持っているというか、誰に教わったわけでもないだろうに、次から次へと手段が尽きないものだ。明里も今日になって初めて、身をもって理解した。潤はこれまで、自分の体を気遣ってずっと理性を保ち、手加減をしてくれていたのだということを。「お前だけだ」潤は汗ばんだ明里の耳元で、低く掠れた声で熱烈に囁いた。「昔も、今も、そしてこれからも……俺が狂おしいほど抱きたいと思う女は、世界中でお前しかいない」心も体も、これ以上ないほど限界まで満たされた、甘く濃密な夜だった。紆余曲折を経てようやく入籍を果たしたこの夜が、明里の人生において何よりも幸せな夜に感じられた。当然、潤にとっても最高に幸せな一日だっ
Read more

第763話

「自然の摂理に任せよう」などと、潤はもっともらしいことを言っていたくせに。明里には言い返す言葉もなく、仕方なく「わかったわ」と頷くしかなかった。だが、心の中では密かに決めていた。生理が完全に終わったとしても、しばらくは絶対に潤のベッドには近づかないでおこう、と。ところが、事態はそう明里の思い通りには進まなかった。その夜、朱美の家へ戻ると、二人が無事に入籍したという知らせを聞きつけた朱美が、裕之を呼び寄せていた。大人四人に宥希を含めた五人で、夕食を囲むことになったのだ。「これで正式に入籍も済ませたんだから、もう立派な夫婦ね」朱美は嬉しそうに言った。「そういえば、前に一緒に住もうっていう話が出ていたけれど、どうするつもり?」明里は内心、少し戸惑った。今は……あまり潤と同居したくない気分なんだけどな……「俺は全然構いませんよ」明里が口を開くより早く、潤が即答した。「俺の別荘なら、家族全員で暮らすにも十分な広さがあります」「それなら、私の別荘にいらっしゃいよ」朱美が提案した。「あっちなら準備も整えてあるし、アキもゆうちっちも見に行ったとき、すごく気に入ってくれたじゃない」「では、ぜひお言葉に甘えて」潤は二つ返事で快諾した。愛する妻と一緒にいられるなら、潤にとって住む場所などどこでもよかったのだ。「俺も異存はないが」裕之も穏やかに口を添えた。「ただ、仕事の都合で早出や夜遅くなることもある。みんなの迷惑にならなければいいのだが」「あんなに広い別荘なんだから、気にする必要なんてないわよ」朱美は笑った。「あなたが出入りするたびに家中がお祭り騒ぎになるわけじゃないんだから。影響があるとしたら、隣で寝ている私くらいのものよ」「なるべく気をつけるよ」裕之は微笑んだ。「君の眠りを妨げないようにね」誰よりも大喜びだったのは宥希だ。大好きな裕之と一緒に暮らせると聞いて、興奮を抑えきれない様子だった。食事が終わると、潤は新しいプロジェクトの件で裕之と書斎へ入っていった。都市開発に関わる大きな案件らしい。リビングに残された明里と朱美は、ソファに並んで座り、とりとめのない会話を楽しんでいた。その流れで、明里はふと気になっていたことを尋ねてみた。「ねえ、お母さん。裕之さんと一緒になって、もう一人赤ちゃんを産もうって考えたことはない
Read more

第764話

引っ越しの当日は、うっすらと雲がかかり、夏にしては珍しく過ごしやすい一日だった。今年の夏は異様な猛暑が続いており、宥希でさえ外に出たがらないほどだったのだ。搬出作業はすべて業者に任せてあったが、滝のような汗を流して働く作業員たちを見ていると、明里は申し訳ない気持ちになった。もっとも、荷物の量はそれほど多くない。新居には家具家電が一通り揃っているため、主に運んだのは宥希のものばかりだった。おもちゃ、ブロックの作品、そして山のような本。明里の荷物も、本だけが異様に多かった。午後一杯をかけて、すべての荷物の搬入が完了した。朱美の新居での迎え入れの準備は、実に見事なものだった。広々としたリビングのテーブルには、老舗の銘菓や瑞々しい季節の果物が並べられ、使用人たちが手際よく飲み物を用意している。邸宅の各所には、華やかなフラワーアレンジメントが飾られ、玄関先には格式を感じさせるささやかな祝いの品が用意され、新たな主となる一家を静かに、そして丁重に出迎えた。朱美と裕之の主寝室は一階にあり、宥希の部屋とおもちゃ部屋も同じ一階にある。二階には書斎と、明里と潤の寝室。三階はシアタールームとプレイルーム。屋上にはガラス張りの温室と露天プールまで完備されていた。庭も広く、朱美は片側に家庭菜園、もう片側に花壇を作るつもりらしい。何より朱美は、宥希と一緒に種をまき、収穫する喜びを味わいたかったのだ。別荘全体の内装は、シンプルで上品な、明里の好みに合ったスタイルでまとめられていた。そして二階の最も日当たりの良い場所に、明里のためだけの「個室」が設けられていた。ウォークインクローゼットも備えられ、一人でくつろぐには十分すぎる広さだ。ただ、その内装だけはピンクを基調とした、お姫様のような雰囲気に仕上げられていた。朱美は長い年月、生き別れた娘を夢に見続けてきた。もし娘が戻ってきたら、お姫様のように大切にしよう。素敵な部屋を作ってあげて、何不自由なく過ごせるように、と。現実の明里はとっくに大人になってしまったけれど、母である朱美の目には、明里はいつまでも守ってあげたい我が子のままなのだ。明里はその部屋を見て、ピンクに浸る年頃はとうに過ぎていたけれど――それでも、やはり心が弾んだ。お姫様の夢を見たことがない女の子なんて、きっといない。明里はふ
Read more

第765話

「ここは私だけの部屋だから、一人でゆっくり寝るわ」「それは却下だ」潤は両腕で明里を閉じ込めるようにベッドに手をついた。「俺たちは今や正式な夫婦だ。お前のものは俺のもの、つまりこの部屋も『夫婦共有財産』だ」夫婦の共有財産にまで屁理屈を広げるとは。明里はその得意げな顔が憎らしくなって、反論した。「ちょっと、何か勘違いしてない?ここはお母さんの別荘よ。私のものじゃないわ」潤は確かに言い返せなかった。だが、今の彼は開き直る術を心得ていた。潤は明里の首筋に顔を押しつけ、甘えるように擦り寄った。「名義なんて関係ない。お前がどこで寝ようと、俺も一緒に寝る」こうなられてしまっては、明里にはどうしようもなかった。これほど愛情を全身で表現して甘えてくる夫を、拒めるはずがない。その夜は、家族全員でダイニングテーブルを囲み、賑やかに夕食を楽しんだ。シャンパンを空け、ケーキも振る舞われ、和やかなひとときを過ごした。一番喜んでいたのは宥希だ。自分の部屋の内装には彼も意見を出させてもらっていたし、あんなに広いおもちゃ部屋まであるのだから。食後も誰も自室へ戻らず、リビングでわいわいと話し込んだ。朱美と裕之は寄り添って座っている。明里は一人用のソファに腰掛け、潤と宥希はカーペットの上に座り込み、ブロックを組み立てていた。話しているうちに、いつの間にか子供の姓の話題になった。「アキ、もし二人目が生まれたら、潤の姓にしてあげてね」朱美が言った。潤がちらりと顔を上げた。「私はどちらの姓でも構わないわよ」明里は答えた。「ゆうちっちの姓のことだって、潤が変えなくていいって言ってくれたし」「なるほどね」朱美は頷いた。「でも確かに、一人はお父さんの姓、もう一人はお母さんの姓っていうのも公平かもしれないわね」「全員、明里ちゃんの姓でも構いませんよ」潤は言った。「それはいけないわ」朱美は首を振った。「明里の戸籍は今でも村田の姓なんだから」そうだ。明里は朱美と再会した後も、手続きの煩雑さから姓は変えていなかった。だから、仮に二人目が生まれたとしても、明里の姓を継がせることはできない。姓そのものはどちらでもいいが、育ての親とはいえ、血の繋がらない村田の姓を、これからの子供に継がせる理由もないのだ。「お母さん、もしかして私の
Read more

第766話

「あなた、すっかり恋愛の専門家気取りね」明里が揶揄した。「あれだけ本を読んできたんだから、無駄じゃなかったということだ」「じゃあ、離婚する前も読んでたの?」潤は明里の額に軽くキスをした。「これから離婚なんて言葉、使わないでくれ。縁起が悪い」明里は笑いを堪えきれなかった。潤はそれから、最初の質問に真面目に答えた。「もちろん、あの頃も読んでいたさ」「役に立たなかったみたいね」明里は言った。「本を読んでも、私たち……別れてしまったわけだし」潤に配慮して「離婚」とは言わず、別の言葉に言い換えた。それでも潤は納得いかない顔をした。「別れたとも言うな。とにかく今は仲良くやってるんだから、これからは誰にも引き離せない」明里は適当に聞き流した。潤は熱を帯びた目で明里を見つめた。「なあ……生理、もう終わりそうか?」言い終わらないうちに、明里は潤の体が熱を帯びていくのを感じ取った。まったく、男という生き物はどうしてこうも下半身で物事を考えるのだろう。さっきまで普通に話していたのに、どうしていきなり発情するのか。「もう少しだけあるから、ダメよ……」潤は露骨に残念そうな顔をした。「わかった」それでも、完全に諦めたわけではなかった。しつこいくらいにキスをして、明里の手を引いて、どうにか自分の欲求を満たそうとじゃれついてくる。とはいえ、生理はいつか終わる。数日後には、明里も潤の激しい抱擁から逃げられなくなるのだ。入籍してから、潤がさらに独占欲が強くなった気がする――明里はそう気づいていた。入籍した当日、潤は迷わずSNSに婚姻届受理証明書の写真を投稿した。潤のSNSアカウントをフォローしている人は、ごく限られた身内や取引先など、そう多くはない。しかも何百日と更新していなかったアカウントが突然動き出し、あろうことか内容が結婚報告という衝撃的なものだったため、タイムラインはたちまち大騒ぎになった。明里が潤のスマホを覗き込むと、いいねとコメントの通知アイコンの数字は、あっという間に「99+」に跳ね上がっていた。仲のいい知人からは、直接電話もかかってきた。啓太からも驚きの電話があったのが聞こえた。啓太といえば、明里は彼と優香の近況をうっすらと知っていた。啓太は最近、優香に猛烈なアプローチをかけているらしいのだ
Read more

第767話

明里自身も、潤がSNSに投稿するとは思っていなかった。確かに、いつもの彼らしくない。でも明里が気になっていたのは、別のことだった。「ねえ、少しは羨ましいって思った?」明里はからかうように尋ねた。「何が?」胡桃はとぼけた。「私たち、結婚したじゃない。入籍もした」明里は言った。「これからは正式な夫婦で、財産も共有よ」「何よ、わざわざ自慢しに来たの?」「あなただって自慢できるわよ」明里は言った。「しようと思えば、いつでも」「樹にどれだけ頼まれたのよ」胡桃はくすくす笑った。「こんなに一生懸命、樹の援護射撃をしてくれるなんて」「応援っていうか……樹みたいに素敵な人を、胡桃に逃してほしくないだけよ」「逃してなんかないわ。ずっと一緒にいるもの」胡桃は言った。「結婚という形に縛られなくたって、このままでも一生やっていけるわ」明里にはもうどう言えばいいかわからなかった。実際、胡桃を本気で説得しようとすることはほとんどない。こういう話を持ち出すと胡桃が嫌がるとわかっているからだ。でも黒崎家の人たちも、胡桃の家族たちも、顔を合わせるたびに結婚の話を持ち出して、胡桃をうんざりさせているらしい。胡桃の言い分は、こうだ。結婚してもしなくても、何が変わるの?今だって彼からの愛情も、可愛い子供も、全部持っている。なぜわざわざ「結婚」という名の不自由な枠に入らなければならないの?普通に考えれば、愛し合って一緒にいるなら結婚するのが自然な流れだ。でも胡桃はそう思わない。それの何がいけないの?自分の人生を自分で決めてはいけないの?明里はそれ以上は追及しなかった。互いの子供の近況を少し報告し合ってから、電話を切った。入籍から三日後、明里は大学へ向かった。千秋と碧は入籍のことをすでに知っていて、昼休みにキャンパスの外でランチをする約束をしていた。ささやかなお祝いの席だ。二人ともプレゼントを用意してくれていた。千秋が持ってきたのは、小さなガラスの置き物だった。可愛らしくて、机の上に飾るのにちょうどいい。碧からは、彼女が手編みしたというウサギのキーホルダーだった。明里はどちらも気に入り、お礼に今日のランチ代は自分が払うと申し出たが、二人は頑として首を縦に振らなかった。最終的に、碧がまとめてご馳走してくれた。最近、明里は日常の
Read more

第768話

実は、湊は潤にも何度か電話をかけていたのだが、潤は意図的に無視していたのだ。事のきっかけは、湊の知人から連絡が来たことだった。SNSで潤が役所で撮った入籍の記念写真を上げているのを見た、おめでとう、という内容だった。湊は何も知らなかった。潤が明里と復縁した?入籍した?一応、父親なのに。何の相談も、事後報告すら受けていなかった。潤には、俺を父親として敬う自覚がないのか。腹を立てて電話をかけたが、潤は出ない。それでターゲットを変え、明里にかけてきたのだ。着信画面を見ると、相手が湊だとわかった。以前の番号は、潤によって明里のスマホからブロックされていたはずだが、別の番号からかけてきたらしい。明里の性格上、自分から着信拒否などできるはずがない。腐っても相手は潤の父親なのだから。でも潤は気にしなかった。「もし今後またあの家から連絡してくるようなら、一切相手にしなくていい」と明里にきつく言い含めていた。それでも、明里は無視できずに電話に出た。「何かご用ですか?」明里は努めて丁寧に聞いた。「……用件だと?」湊は声の底に怒りをかみ殺しきれていなかった。「俺に黙って勝手に入籍したことについて、お前から何か言うことはないのか?お前たち二人は、俺のことを親だと思っているのか?」明里はすぐに察した。入籍を事前に知らせなかったことへの怒りだろう。普通の家族なら、子供が入籍する前に親へ報告し、了承を得るものだ。現に明里は入籍前に、朱美にはちゃんと報告していた。でも湊は、普通の父親とは言えない。湊と潤の関係は、もうとっくに修復不可能に近いところまで来ている。特に、潤を失脚させるために腹違いの弟である隼人を会社に送り込んだあの件以来、二人の間の空気は完全に凍りついたままだ。「それについては、潤に直接聞いていただけますか」明里は冷静に言った。どう考えても、湊が怒りをぶつける相手は明里ではないはずだ。「お前と結婚したんだから、お前も二宮家の嫁だろう。舅が嫁に少し小言を言ってやるくらい、何か文句があるのか?」「おっしゃる通りです」明里は淡々と応じた。「しっかり、聞いています」「その反抗的な態度は何だ!」湊はさらに声を荒げた。「以前、別れる前はもう少し素直で従順だったのに、今ではすっかり潤に似て、目上の人間を人とも思わない
Read more

第769話

「わざわざ折り返す必要があるか?」潤は不満げに言った。「あの人の目には、次男しか映っていない。俺が誰と結婚しようがしまいが、どうでもいいんだろ」「そんなこと言わないで」明里は宥めるように言った。「何にしても、あなたのお父さんなんだから。先に電話を折り返してみて。もし本家へ行く必要があるなら、私も一緒に行くから」「……わかったよ。ありがとう」潤は強張っていた胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。「折り返してみる」「落ち着いて話してね。絶対にすぐ感情的にならないこと」「じゃあ、もう一回呼んでくれ」潤は甘えるように言った。「お前にそう呼ばれて機嫌が良くなれば、あの男相手でも怒らずに済む」明里は電話の向こうで、呆れたように軽く溜め息をついた。「もう、あなたって人は」「待ってるぞ」仕方なく、明里は小さな口を開いた。「……旦那様。ちゃんと落ち着いて話してね。良いお返事、待ってるわね」「わかった」その一言で、潤はたちまち上機嫌を取り戻した。「終わったらあとで電話する」明里との通話を切った後、潤は表情を引き締め、湊の番号へ折り返した。コールが繋がり、相手が口を開くより早く、冷ややかに言い放った。「さっきは重要な会議中だった。俺に繋がらなかったからといって、明里ちゃんのところへ連絡するのはやめてくれ」「連絡するなだと?」湊は開口一番、怒鳴りつけてきた。「舅が息子の嫁に電話して、いったい何が悪い!」「用があるなら、直接俺に言え」「今すぐ本家に帰ってこい!」「何の用だ?」潤は氷のように冷たい声で聞いた。「平日の昼間に仕事を放り出してまで、わざわざ帰らなければならないほどの『大事な用』とは何だ?」「用がなければ、実家に顔も出さないつもりか!」湊は怒鳴った。「お前は俺のことを、本当に父親だと思っているのか!」「父親だと思っていないわけじゃない」潤は淡々と事実を突きつけた。「あの家に、とっくに俺の居場所なんてなくなったんだ。あんたたち三人で、水入らずで仲良くやってるじゃないか」「お前もこの家の一員だろうが!俺の血を分けた長男だろう!いいだろう、親を親とも思わないというなら、二宮家の財産も跡目も、すべて放棄しろ!」潤は電話の向こうで、声を立てて静かに笑った。「放棄しろだと?勘違いするな。今の会社は、おじいさんが直接この俺に
Read more

第770話

冗談じゃない。待ちに待った明里との結婚式は、心からの祝福と幸福だけに満ちた神聖な場だ。真奈美のような存在が、土足で踏み込んでいい場所ではない。二人の未来に影を落とすような醜いものも、汚れたものも、あの場に入り込む余地は一ミリたりともないのだ。湊が顔を真っ赤にして電話を切ると、そばで聞き耳を立てていた真奈美がすかさず尋ねた。「どうだったの?」「あいつめ、すっかり自分の力だけで大きくなった気でいやがって、父親の言うことなどまともに聞きやしない!」湊はギリッと歯を食いしばった。「だからあの時、何度も言ったじゃない。会社の実権をもっとあなたがちゃんと握っておくべきだったって」真奈美は言った。「あなたが何年もあの子の好きにさせて放っておいたから、とっくに手の届かないところへ行ってしまったのよ」湊の中に、潤から会社を取り上げようという野心が明確に芽生えたのは、ここ数年のことだ。以前は彼なりに長男である潤の才覚を認め、真奈美ともそれなりに波風を立てずにうまくやっていたはずだった。だが、湊の考えが決定的に変わったのは、真奈美からの執拗な言葉の影響と切り離せない。真奈美は最初、隼人に過剰な期待をかけていた。いつか兄の潤のように、いやそれ以上に大きなことを成し遂げてくれるだろうと信じていたのだ。しかし、冷酷な現実を突きつけられた。隼人は、何をやらせても裏目に出た。彼が主導して投資した案件はただの一つとして利益を出せず、見え透いたおだてに乗せられて何度も人に騙され、莫大な会社の金を失った。経営者としての商才というものが、隼人には根本的に欠けているのだ。真奈美はそこでようやく隼人の能力に見切りをつけ、今度はすでに成功を収めている潤の築き上げた巨大な会社に目をつけた。二宮家の事業は、潤の手腕によって世界的な規模にまで大きくなった。それが全部、潤一人のものになるというのは、あまりにも不公平でおかしいのではないか、と。夜な夜な耳元でそんな恨み言を吹き込まれ、繰り返されているうちに、湊もいつしか真奈美と同じように考えるようになってしまった。「潤は父親である自分を敬わず、弟である隼人を大事にもしない。自分が死んだ後、冷酷な潤が無能な隼人を会社に受け入れて面倒を見るとは到底思えない」と。だからこそ、自分が健在で、トップとしての権力が残っている今の
Read more
PREV
1
...
7576777879
...
97
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status