All Chapters of 離婚後、捨てられた私は人生の頂点に立つ: Chapter 291 - Chapter 300

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第291話

「いったい何のことだ?」臣は冷ややかな声で問い詰めた。雅をここまで錯乱させて泣きじゃくらせるような代物が、大したことのないガラクタであるはずがない。怒鳴られた雅はボロボロと涙をこぼすが、どんな動画なのかなんて、口が裂けても言えるわけがなかった。臣は険しい顔つきになった。「理由も言わないのに、どうやって水琴を引き留めろと言うんだ?今日、お前を拉致したのは誰だ?」「水琴よ!あいつがやったの!」雅の耳には、水琴と東が結託して自分を縛り上げた時のやり取りがこびりついて離れなかった。あのいまいましい東め、よくも私を縛り上げて、そのうえメモリーカードまであいつに渡しやがって!悔しい。このまま泣き寝入りなんて絶対にできない。「お兄様、水琴が人を雇って私を拉致したのよ……」雅はしゃくり上げながら訴えた。臣は信じられないといった様子で、半信半疑のまま問い返した。「本当なのか?」「お兄様!水琴が私を攫ったのよ、どうして信じてくれないの!?私はあなたの妹なのに!」「……俺が調べて、はっきりさせる」鷹司邸に連れ戻された後も、雅は狂ったように泣き叫び続けた。母の佳乃や臣が何を問い質しても、彼女は頑なに口を閉ざした。本当のことは言えない。臣を激怒させたくなかった。それ以上に、もし水琴があの動画をネットにばら撒きでもしたら、自分は本当に終わりだ――その恐怖で頭がいっぱいだったのだ。臣が書斎で一人考えを巡らせていると、佳乃が血相を変えて乗り込んできた。「臣!水琴が雅を拉致したなんて、どうしてあなたは何もしないで平然としているの!」「母さん、水琴はそんなことをする人間じゃない」「何が『そんなこと』よ!自分の妹の言葉より、あのふしだらな女を信じるっていうの!?まさか、まだあいつに未練があるんじゃないでしょうね?忘れちゃ困るわ、あなたはもう紗夜さんと結婚したのよ」佳乃はヒステリックに声を荒らげ、陰湿な顔つきで睨みつけた。彼女には息子の態度が全く理解できなかった。臣の眼差しが微かに冷ややかさを帯びる。自分がすでに結婚していることなど、当然分かっている――海を渡る飛行機に乗り込んだ水琴は、窓の外に広がる真っ白な雲の海を静かに見つめていた。今回のコンクール本選出場にあたり、小林学長は彼女に有給休暇扱いでの参加を
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第292話

膨大な資料と向き合い、長い時間をかけてようやく最終的なアプローチを導き出した水琴だったが――実際に執筆を始めてみると、そのテーマがいかに困難で険しい道のりであるかを痛感させられるのだった。午後六時。ドアをノックする音が響き、ルームサービスが運ばれてきた。メニューはステーキと赤ワイン、それに食後のコーヒーだ。コンクールの参加者はホテルが提供する食事を自由に選べるのだが、今の水琴にメニューを吟味する余裕などなく、適当にステーキを頼んだだけだった。時は金なり。勝負の期間は一ヶ月しかない。今回彼女が選んだ命題は非常に難易度が高く、資料やデータを集めるだけでも膨大な時間を要する。ここからは、これまで培ってきた人脈も大きな武器になるのだ。質の高い論文モデルを構築するには、基盤となる優れたデータが不可欠である。しかし、一級品の研究データなどそう簡単に手に入るものではない。その点において、水琴には一つの切り札があった。心理学博士である先輩の御堂院一慧が、最新の研究データを彼女に提供してくれる手はずになっているのだ。方向性が定まったところで、水琴はデータ構築のためのモデル探しに没頭し始めた。完全隔離環境でのクローズド・セッションとはいえ、ホテルの外へ一切出てはいけないという規則はない。参加者たちは初日の段階で、すでに顔見知りになっていた。八十名を超える参加者の中には、水琴と同じ国内から参加している者が数名おり、水琴も初日に、海明(かいめい)市からやってきた白石依麻(しらいし えま)という一つ年上の女性と親しくなった。夕食を終えた後、その依麻が水琴の部屋を訪ねてきた。「水琴、少し外を歩かない?ここの繁華街、すごく賑やかで素敵なのよ」と、依麻が笑顔で誘う。水琴はパソコンの画面に表示された論文の進捗に目をやり、少し考えてからコクリと頷いた。「ええ、行きましょうか」論文と向き合っている間だけは、灼也の件を頭から追い出すことができる。だが、こうしてふと息をつくと、どうしても彼に対する疲弊や、決別した時の痛みが胸の奥に蘇ってきてしまうのだ。気分転換が必要だった。二人が向かった『ウエスト・ストリート』は、この異国でも有数の華やかな繁華街だった。依麻に手を引かれるまま、水琴は様々なショップを見て回った。「水琴、ここのカフェ、すごく美味し
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第293話

佳乃が痛ましそうに駆け寄り、雅の肩を抱きしめた。「雅、話しなさい。あなたが黙ったままじゃ、臣も対処のしようがないじゃないの!」佳乃の目も真っ赤に充血していた。この数日、暗い部屋に閉じこもる娘を見て、彼女自身もひどく胸を痛めていたのだ。鷹司家の令嬢として、常にまばゆい光に守られた道を歩んできた雅にとって、これほどの無力感と絶望を味わうのは人生で初めてのことだった。「……動画よ」見えない手で喉を締め付けられるような圧迫感に息が詰まる。だが、今ここで隠し通したところで、後から暴露されればさらに悲惨な結末が待っていることくらい、彼女にも分かっていた。「何の動画だ?」臣の目が鋭く光る。その不穏な響きに佳乃もハッとして言葉を失い、雅を抱いていた手を思わず緩めた。雅はパニックになり、自身の両手をぎゅっと握りしめた。「水琴よ!あいつが男に10億円も払って、私の……その、破廉恥な動画を撮らせたのよ!」それ以上語る必要はなかった。「破廉恥な動画」が何を意味するのか、臣にはすぐに理解できた。だが――あの水琴が、10億もの大金を積んで雅をそんな卑劣な罠に嵌めるような真似を、本当にしたというのか?臣は鷹のように鋭い眼差しで雅を射抜いた。「お前、またあいつに何か仕掛けたな?」「わ、私、何もしてないわ!」雅は兄の目を直視できず、慌てて佳乃の背中に隠れるように身を縮めた。佳乃が雅を庇うように立ちはだかる。「臣!雅がこんなに可哀想な目に遭っているのに、あなたはまだあの性悪女の肩を持つ気!?」「今すぐあいつのところへ行きなさい!もしその動画が世間に出回ったら、この子の人生は終わりなのよ!」もしそうなれば、名門である鷹司家は南鳥市中の笑いものに転落し、佳乃自身も社交界で消えない泥を塗られることになる。「お兄様!私、本当に何もしてない!お願い、助けてよ!あんな動画、絶対に誰にも見られたくない!見られたら私、死んじゃう、本当に死んじゃうから!」雅は身を裂くような声で泣き叫び、臣の袖口を死に物狂いで握りしめて離さなかった。動画が世間に流出すれば、鷹司家がどれほどの社会的制裁と批判を浴びるかなど、臣にだって痛いほど分かっている。だが今、その致命的な弱みは水琴の手に握られているのだ。彼は縋りつく雅の手を乱暴に振り払った。「
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第294話

むせ返るようなアルコールの匂い。彼はひどく酔っていた。水琴はどうにか彼を支えながら、部屋のソファへと運び、座らせる。だが、灼也の手は水琴の腕を死に物狂いで掴んだまま離そうとしない。「……みーちゃん……」彼は虚ろな声で、うわ言のように彼女の愛称を呟いた。「どうして……どうしてこんな所まで来たの?どうして私のところへ……」水琴は、決して返ってくることのない問いを口にした。ソファに身を預けた灼也は、ひどい悪夢でも見ているかのように苦しげに眉根を寄せ、微かに震える声で彼女の名前を呼び続けた。「別れたくない……」水琴はたまらず目を逸らした。だが、その切実な声は鋭い棘のように彼女の耳から入り込み、心臓をチクチクと締め付ける。ふいに、灼也のポケットの中でスマートフォンが鳴り出した。水琴は手を出すのを躊躇ったが、二度目の着信音が鳴り響いたとき、意を決して彼のスマホを取り上げた。「灼也、どうして電話に出てくれないの?」――琉里だ。水琴の全身が硬直した。何か言うべきか、それとも無言で切るべきか。ほんのわずかに逡巡したその隙を、琉里は逃さなかった。「あなた、誰?どうして灼也のスマホに出ているの?」琉里の声に、鋭い棘が混じる。水琴は動揺のあまり、「……彼、酔って眠っています」とだけ言い残し、逃げるように通話を切った。――やっぱり、彼はまだ彼女との関係を清算していない。するつもりもないんだ。水琴は冷え切った心で彼を見下ろすと、傍らにあったブランケットを無造作に投げ掛け、自分はベッドへ向かおうとした。しかし、ソファから絶え間なく聞こえてくる彼のうわ言が、どうしても彼女の足を止める。彼は縋りつくように、ただひたすらに彼女の名前を呼んでいた。「みーちゃん……みーちゃん……っ」墨汁のように濃い夜の闇。水琴はバルコニーに続くカーテンを大きく引いて開けた。どれだけ耳を塞いでも、激しく打ち鳴る自分の心臓の音は誤魔化せない。彼と過ごしたこれまでの記憶が、走馬灯のように頭の中を駆け巡る。何も考えまいと言い聞かせても、どうにもならなかった。――灼也、あなたはいったい、私に何を隠しているの?彼女はため息をつき、ノートパソコンを開いて論文の執筆を始めた。今夜はどうせ、もう眠れそうになかった。午前四時。夜の帳が徐々
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第295話

「あくまで全体の大枠(アウトライン)だけで、完璧に仕上がったわけじゃないわ」水琴は苦笑して付け加えた。依麻と一緒に簡単な朝食を済ませると、彼女は自分の部屋へと戻っていった。水琴は限界を迎えた体をベッドに投げ出した。頭が芯から重く、足元がフワフワと浮いているような感覚がひどく気持ち悪い。泥のような眠りに落ちかける寸前、枕元のスマートフォンが鳴り出した。画面には、臣の名前が表示されている。水琴は重い瞼をこすりながら、通話ボタンを押した。「……何の用?」「水琴、雅からすべて聞いた。あいつがお前を拉致しようとしたのは本当に申し訳なかった。だが、あの動画の件だけは、どうにか……」水琴は彼に一から十まで説明してやる義理などないと感じていた。「ねえ、臣。雅がどうして私を拉致しようとしたか、知っているの?そもそも、あの動画を私に渡したのが誰か分かっている?あの動画は拉致の日に撮られたものじゃないわ。もっと前に、ある男が撮影したものよ。なぜそんなものが存在しているのか、あなたには心当たりがないの?」電話の向こうで、長い沈黙が落ちた。臣自身も、どう答えるべきか言葉を失っているようだった。水琴が再び眠りに引きずり込まれそうになった頃、ようやく彼の声が聞こえてきた。「雅がやったことについては、俺から謝罪する。ただ、あの動画だけは……」臣は奥歯を噛み締めるように言葉を濁した。水琴は冷たい声で鼻で笑った。「本当に優しいお兄様ね。妹の尻拭いばかりに必死で、彼女が裏でどんな恐ろしい真似をしているのか、まるで見ようとしていないんだから」「どういう意味だ?」「雅は私を拉致して、重人お兄ちゃんに10億円の身代金を要求するつもりだったのよ。だから私は、自分でお金を出すと交渉しただけ。雅の動画だって、私が無理やり撮らせたわけじゃない。すでに撮影されていたものを買い取ったのよ。ねえ、少しはおかしいと思わないの?」水琴は嘲るように言った。「水琴、どんな事情があるにせよ、あの動画だけは……」臣の声に焦りが滲む。「妹があなたに本当のことを言う度胸すらないのに、私に動画の交渉を持ちかけるつもり?雅からすべてを聞き出してから出直してきなさい」水琴は冷たく言い放つと、一方的に通話を切り、スマートフォンの電源を落とした。あまりにも疲れ果
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第296話

「お兄様、本当に反省してるわ……脅迫された時、私がバカだったって気づいたの。でも、どうしようもなかったのよ!お金を払わなかったら、動画をネットにばら撒くって言われたのよ!そんなことになったら私、生きていけない!絶対にダメなの!」雅は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を乱暴に拭いながら、必死にすがりついた。臣の脳裏に、ふとある記憶が閃いた。少し前、雅が突然会社へ押し掛けてきて、「今すぐ海外へ留学したい」と半狂乱で訴えてきたことがあったのだ。まさか、あの時からすでに脅迫は始まっていたというのか?「この前、お前が突然『海外へ留学したい』と言い出した時のことだ。あの時、すでに何かを隠していたな?その男と何があったんだ?」臣の鋭い追及に、雅はついに観念したようにボロボロと涙をこぼしながら首を縦に振った。「実は……あの時、動画のことで揉み合いになって、誤ってナイフで彼を刺してしまったの。死んだと思って怖くて逃げたんだけど、後になって生きていたことが分かって……」「雅、可哀想に……どうしてすぐにお母さんたちに相談しなかったの!臣にお願いしてお金を出してもらい、動画を買い取っていれば、こんな恐ろしい思いをせずに済んだのに!」佳乃は不憫な娘を思い、自身の鼻の奥をツンと熱くさせた。「そいつの名前は?」臣の声は氷のように冷え切り、水面下で煮えたぎるような怒りを孕んでいた。「東健太……本名かどうかは分からないけど、顔写真ならあるわ」雅は震える手でスマートフォンを操作し、以前ホテルで隙を見て隠し撮りしたという男の写真を臣に突き出した。写真を見せた後、雅は乱暴に涙を拭い去り、半ば自暴自棄になって叫んだ。「お兄様が助けてくれないなら、もういいわ!今すぐ水琴のところへ行って、あいつを殺して私も死んでやる!」「雅、なんてこと言うの!臣があなたを見捨てるわけないじゃない!」と佳乃が慌ててなだめる。臣は冷ややかな声で鼻で笑った。「行けるものなら行ってみろ。あいつは今、海外にいるんだぞ。どうやって手を下すつもりだ?」「お兄様には関係ない!どうせ私のことなんて、もう妹だと思ってないんでしょ!」雅が感情のままに泣き喚くのを聞き流し、臣は陰惨なほどに暗い瞳で虚空を見据えた。「動画は俺が必ず取り戻す。それから、その東という男……生き
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第297話

「えっ!?あいつ、ミコトを追ってきたわけ!?」鹿耶の声が素っ頓狂に裏返った。水琴が灼也との関係を終わらせたこと、そしてその裏に音羽琉里という令嬢の存在があることは、すでに鹿耶には打ち明けていた。先日、彼が足早に高層オフィスビルへと入っていく姿を思い出し、水琴は自嘲気味に笑う。「まさか。私に会いに来たわけじゃないわ。きっと仕事よ」「ミコト……もう、あいつのことは考えちゃ駄目だよ」鹿耶の声が、ひどく優しく、そして痛ましげなものに変わった。「分かってる」――考えないようにしよう。そう自分に言い聞かせるたびに、皮肉なほど彼の面影が頭をよぎるのだ。「ミコト、あたしやっぱりそっちに行く。そばにいてあげる」水琴はクスリと笑った。「心配してくれるのは嬉しいけど、鹿耶の実家、今すごく忙しい時期でしょう?家にいてあげて」「でも、ミコトが心配で……」今すぐにでも飛行機に飛び乗りそうな勢いの親友を、水琴は穏やかな声で宥める。「大丈夫よ。こっちでの生活はあと一ヶ月もあるんだから。実家の用事が片付いてから、いつでも遊びに来て」……雲を突くような超高層ビル。色とりどりのネオンが瞬くセント・ノアの繁華街。灼也は、豪奢なスイートルームの天井から床まで続くガラス窓の前に座り込んでいた。眼下には絶え間なく行き交う車の光の帯が広がり、そして窓の向こう側――通りの向かいには、水琴が滞在しているホテルが見える。彼がセント・ノアに飛んできたことは、水琴がこの国に到着した初日のことだった。灼也は身を翻し、キングサイズのベッドにどさりと仰向けに倒れ込んだ。脳裏に蘇るのは、昨夜の失態だ。遠峰グループの幹部たちと酒を飲み交わし、ひどく酔い潰れた彼は、ふらつく足で水琴のホテルの部屋に押し掛けてしまった。結局、本当に伝えたかった言葉は、何一つ口に出せなかった。彼の記憶に鮮明に焼き付いているのは、今朝方、彼を部屋から冷酷に追い出した水琴の、あのひどく他人行儀で冷ややかな視線だけ。そして、彼女を失ったという絶望的な喪失感だった。その時、静まり返った部屋に無機質な着信音が鳴り響いた。スマホの画面に表示された名前に、灼也の目つきがスッと氷のように冷ややかになる。琉里からだった。「何の用だ」灼也はセント・ノアへの渡航を
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第298話

論文執筆において、方向性を定めるテーマ選びは最も重要な基盤である。入り口の段階でつまずいてしまえば、その後のプロセスがすべて破綻してしまうからだ。しかし水琴は、わずか二日間で研究計画書(プロポーザル)を完璧に仕上げてみせた。その凄まじい進捗スピードを目の当たりにした依麻は、呆れたように舌を巻いた。「水琴、いくらなんでも進み早すぎじゃない?」今回の『デッカー賞』は、海外のトップ大学が共同で主催する極めて権威ある学術コンクールである。審査員の顔ぶれも非常に豪華で、各国の著名な心理学教授陣に加え、トップクラスの心理学研究所に所属する権威たちも名を連ねていた。審査員の質、そして選抜方式の厳格さが、このコンクールの絶対的な価値を証明している。さらに内部情報によれば、今回のコンクール終了後、研究所の専門家たちが優秀な人材を直接スカウトし、自分たちの研究所へ招き入れる予定だという。コンクール開始から五日目。水琴はすでに灼也のことなど考えないようになっていた。その日の課題を書き終えた彼女は、大きく伸びをした。必要なデータはすべて、御堂院一慧がメールで送ってくれている。水琴はさっそくその膨大なデータのスクリーニング作業に取り掛かった。情報をシステム化して詳細に分類し、どのようなモデリングを行うか思考を巡らせる。モデリングの設計を終えた頃には、時計の針はすでに深夜零時を回っていた。窓の外からは、激しく窓ガラスを叩きつける雨音が聞こえてくる。そういえば、朝の天気予報で今夜は猛烈な雷雨になると言っていた。まさか三十分前から降り始めた雨が、未だにこれほど激しく降り続いているとは思いもしなかった。水琴は椅子から立ち上がり、ベッドへと向かった。しかし、体を横たえようとしたその時――ドンッ、ドンッ、ドンッ!乱暴にドアを叩く音に、水琴はビクッと肩を揺らした。こんなふうにドアを叩かれたのは、この前、泥酔した灼也が押し掛けてきた時だけだ。まさか、また灼也なの……?恐る恐るドアを開けた彼女の目に飛び込んできたのは、ずぶ濡れになって立ち尽くす灼也の姿だった。水も滴るような髪、ワイシャツもスラックスも雨水を吸って肌に張り付いている。そして何より、血走った瞳には深い疲労の色が濃く滲んでいた。「灼也、あなた……っ」どう
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第299話

今日、灼也は琉里と長い時間をかけて話し合った。俺の真意を聞けば、彼女も引き下がるだろうと高を括っていたのだ。しかし、琉里の執着心は彼の想像をはるかに超えていた。彼女は一歩も引かず、決して手を離そうとはしなかったのだ。琉里との平行線の話し合いを終えた後、灼也は自分の滞在先には戻らなかった。何かに取り憑かれたように、気づけば水琴のホテルの前に立っていた。エントランスの前で冷たい雨に打たれながら、彼の中でいくつもの迷いが晴れていくのを感じていた。――俺は、高遠灼也だ。南鳥市の経済を牛耳り、一歩足を踏み鳴らせば街の権力図が揺らぐとまで言われた男だ。それが、たかが音羽琉里一人の思惑に縛られ、妥協し続けるというのか?前回、酔い潰れてこの部屋で眠ってしまって以来、水琴は明らかに俺を拒絶し、まともに向き合おうとしなくなっていた。このままでは、本当に彼女を永遠に失ってしまう。「灼也。……もう帰って。私たちは別れたって、そう言ったはずよ」水琴は表情を凍りつかせ、冷ややかに言い放った。もう、これ以上は無理だった。期待しては裏切られ、何度も何度もズタズタに引き裂かれた心は、とっくに限界を迎えていた。窓の外では、残酷なほどの豪雨が荒れ狂っている。暖房の効いた室内は温かいはずなのに、水琴の体は芯から凍え切っていた。灼也にとって、そんな水琴の姿を見るのが何よりも耐え難かった。感情を殺し、まるで精巧な人形のように冷え切った彼女。たまらず、彼は水琴の腕を引き寄せ、その胸の中に強く抱きすくめた。「っ、やめて!」水琴は激しくもがいたが、抵抗すればするほど、灼也の腕はより強固に彼女を縛りつけた。「離して!」「嫌だ」灼也の声には、一切の拒絶を許さない、切実で独占欲に満ちた響きがあった。息が詰まるほどの強い抱擁。それなのに――この窒息しそうなほどの力強さが、どうしようもなく彼女の心の奥底に安心感を与えてしまう。いつしか抵抗する力を失った水琴の鼻先に、彼の纏うシダーウッドの香りがふわりと掠めた。そして、密着した胸元から伝わってくるのは、ひどく異常なほどの熱。水琴の額が、彼の顎先に触れる。……熱い。水琴は灼也の胸板に手を当て、そっと押し返した。「……とりあえず、離れて」「どうした?」
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第300話

灼也がホテルにいないことは分かっている。なら、こんな深夜に一体どこをほっつき歩いているというの?――決まっている。またあの女、静沢水琴のところへ行ったのだ。「……っ!」琉里は手元にあったクリスタルグラスを、大理石の床に力任せに叩きつけた。ガシャァァンッ!鋭い破砕音が部屋中に響き渡り、粉々になった破片が散らばるのを見て、彼女の胸の内で煮えたぎっていた狂気じみた怒りが、ようやくほんの少しだけ鎮まった。翌朝。水琴は思いがけない人物からの着信で目を覚ました。音羽琉里だ。「お時間あるかしら?一緒にお茶でもどう?」「……何の用?」「会ってからのお楽しみよ」こちらの返事を待つこともなく、琉里は一方的に時間とカフェの場所を指定して通話を切った。水琴は切れたスマホの画面を見つめながら、訝しげに眉をひそめた。一体、何を企んでいるの?……セント・ノアの洗練された街並みに建つ、落ち着いた雰囲気のカフェ。店内に足を踏み入れると、すぐに奥の角の席で優雅にコーヒーを飲んでいる琉里の姿が目に入った。水琴が席に近づくと、テーブルにはすでに彼女の分のアイスコーヒーが用意されていた。「ありがとう。で……私に何の話?」琉里は花が綻ぶような柔らかな笑みを浮かべ、まずは水琴の頭から爪先までをゆっくりと値踏みするように見つめた。それから大げさに称賛の声を上げる。「なんだか、前に会った時とはまるで別人のようね。こんなに素晴らしいコンクールに出場できるなんて、水琴さんって本当に優秀なのね。あ、警戒しないでね?ただ純粋に、あなたを応援したくてお誘いしただけだから」そんな見え透いたおためごかしを、水琴が真に受けるはずがない。彼女はグラスに手を伸ばしかけたのをやめ、淡く冷たい笑みを返した。「応援、ありがとう。でも、ただ励ますだけなら、わざわざ異国の地で呼び出して顔を合わせる必要なんてないはずよね?」琉里はコロコロと鈴を転がすように笑った。本当に、可憐な花そのもののような笑い方だ。「もう、どうしてそんなに私を敵視するの?……でも、私が何のために来たのか、あなたならとっくに気づいていると思っていたけれど」「回りくどい言い方はやめて。私たち、お互いに愛想笑いでご機嫌取りをするような間柄じゃないでしょう?」水琴が単刀直
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