All Chapters of ニセ夫に捨てられた私、双子と帝都一の富豪に溺愛されています: Chapter 21 - Chapter 30

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 (婚約……? 新聞に出てるということは、もう正式な話?) (じゃあ、わたしはどうなるの? お腹の子供のことも話せていないのに、もう離縁させられてしまうの――?) 視界がぼやけた。  涙があふれても、頬を伝う感覚すらなかった。  美桜自身、なにがショックでなにが悲しいのか、理解ができなかった。  父親の無念を晴らせないことなのか、それとも、自分が離縁されて放り出されてしまうことに対する恐怖なのか、この先の生活の不安に対することなのか…。 待てど暮らせど、京は美桜のもとに帰ってこなかった。  翌日も、その翌日も。恐らく新聞で見た浅野令嬢の所に入り浸っているのだろう。  香澄のいびりもなかった。彼女も慌ただしくしているようで、美桜に構う暇もないのか、いつものように嫌味を言われたり、毒入りの食べ物を食べさせられることもなかった。 私はもう、お祓い箱―― 自分で想像したその言葉に、胸が軋んだ。 捨てられてしまうのなら、少しでも金を稼いでおこう。  1枚でも多く縫物をしようと、美桜は昼夜休む暇なく、売り物を作った。  子を持ち、かつて自分が暮らしていた幸せな家庭を築くことをうっすら夢見ていた美桜だったが、それはどうにも叶いそうにない。 伴侶が隣にいなければ、どうにもならない。「美桜様。そろそろお休みください」  がむしゃらに働く美桜を見かねた夕子が止めに入る。「お腹のお子様にも差し支えますよ」「…そうね」「今はもう、おひとりの体ではありませんから。無理はなさらないでくださいませ」 母親になるということを失念していたように思う。  あまりにも悲しくて、辛くて、つい、裁縫に逃げた。  針と手を動かしていると、無心になれるから。  美桜は腹にそっと手を当てた。  まだ目に見えるほどではない。けれど、確かにそこに命がいる。(ごめんね……) なにに対しての謝罪なのだろう。  本来なら、家族を持てることは嬉しかった。  ずっと孤独で虐げられて生きてきた美桜の中に宿った新しい命。  それは、心から大切にしたい。なのに――(あなたの父親が…いなくなるかもしれないなんて)「美桜様。夕子がついております。どうか、今宵はお体をお休めください」 「ええ。夕子さん。ありがとう。もう休むことにします」  美桜は素直に従った。床にはいり、腹
last updateLast Updated : 2025-10-18
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 倒れ込むように廊下へ飛び出した美桜の背に、鋭い声が突き刺さる。「逃げても無駄よ!」 薫子のヒールが床を叩くたびに、屋敷の静寂が震える。  振り返って見たその顔は、もう貴族の令嬢ではなかった。瞳は狂気に濡れ、笑みは氷よりも冷たい。「あなたのような女が、この家の名を汚すなんて許せない。妊娠? 滑稽だわ。まさか血の純度という言葉を知らないの?」 薫子はゆっくりと歩きながら、美桜を追い詰める。唇に冷たい笑みを浮かべた。「浅野の血も桐島の血も、混じり物のない正統。東条のような没落の家が入り込むことは、穢れなの。だから――わたくしが浄化して差し上げるわ」「やめて……お願い……」 美桜は腹を押さえ、後ずさった。  薫子の香水が甘く、息苦しいほどに香る。「お願いですって? これをご覧なさい」  廊下に飾ってあったガラスの花瓶。生けてある花をその場に捨て去り、水を見せた。無色透明のものだ。追い詰めた美桜の頬をガリ、と長い爪でひっかく。血がにじむと満足そうに頷き、少し美桜の血で濡れた指をその瓶に突っ込んだ。「ね? こんな風に穢れてしまうでしょう」 薫子はにっこりと微笑み、振りかぶった瓶を床に叩きつけた。  ガラスが砕けて破片が飛び散る。薫子の髪が揺れ、低く囁く。「貧相な女が、京様を誘惑するなんて100年早いの。京様に相応しい妻になるためだけにわたくしは努力してきたのよ。それを横取りするなんて、しかも追い出される分際で子を産む気? お可哀想に。あなたの血など、誰も望んでいないわ」「違う……この子は……私の希望なの……!」 薫子の笑みが一瞬、歪んだ。「希望? あははっ……希望って、地面に這いつくばることを言うの? お似合いよ、東条の娘」 その言葉と同時に、薫子の手が美桜の髪を掴んだ。  頭を無理やり引き上げ、耳元で囁く。喉元にはさきほど出来上がったガラスの破片が突きつけられている。「ねえ、あなた。死ぬ前に教えて。この子を京様に見せて、なにがしたいの?」 美桜は考えた。この女は理性を失っている。このままお腹の子供ごと殺されても、恐らく事件として処理されることはないだろう。新聞に自分の名も、殺された子供のことも、載ることはなく権力に握りつぶされる。  まだ西条の家でいたぶられている方が、ずっとマシな人生だった。  こんなところで殺されるために生
last updateLast Updated : 2025-10-21
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 息を詰めて、頭をフル回転させる。  目の前にいるのは、理性を失った令嬢ではない。計算高く、冷酷に牙を研ぐ女だ。薫子の狂気はただの激情ではなく、目的を果たすための手段として磨かれている。感情に流されれば、それを利用されるだけだ。 美桜はゆっくりと目を細め、震える声を必死に抑えて言った。「薫子様……お願いです。どうかお考え直しください。お嬢様の手を汚すこともございません。最初から結婚していなかったのであれば、私は潔く去ります。京様に子を見せる等、おこがましいことも致しません。すぐに屋敷を出て行きます。ですからどうか…」 薫子の瞳が一瞬だけ揺れたように見えた。だがすぐにそれは嘲りの笑みに変わる。「汚点を残すわけにはいかないわ」「でも、そんなことをすれば……浅野家の名誉にかかわります。私やお腹の子を殺せば、事件になります」 浅野家のことを口にするのは賭けだった。浅野家を持ち出せば、薫子の計算に小さな亀裂が入るかもしれない。スキャンダルを起こすことと、黙殺してしまうことのどちらが賢いか――彼女は冷酷に判断する女性だ。 薫子は扇をゆっくり閉じ、薄く笑った。「私があなたの存在が許せないの。わかる? 愛する夫を誑かされたのよ。それにあなたなんか死んだところで、誰も気が付かないし誰も騒がないわ。身寄りがない可哀相な娘ですものね」 この程度の侮辱では動じなかった。それよりも子供を殺されるかもしれないという恐怖の方が勝っている。美桜はなんとか考え直してもらおう用に、必死に続けた。「浅野家や桐島家に一切迷惑はかけません」 押さえつけられていた薫子の手から逃れ、土下座も厭わず、その場で頭を下げた。子を守るためならなんだってやる――自分はどうなってもいい、という母性がすでに美桜の中で芽生えていた。  それが母である証なのだろう。 頭を下げながら、美桜は目の端で動きを捉えた。廊下の陰に夕子が息を潜めている。夕子の目は祈るように潤んでいた。彼女が支えになってくれている。──それだけで、美桜の決意は固まった。「薫子様、どうかご慈悲を…」 床に這いつくばる美桜が物乞いのようで愉快だったが、薫子は冷たく彼女を見下ろした。  京と一夜を共にし、たった一回の契りで妊娠まで――とても許されない。どんなに謝っても、堕胎以外の罰どころか、この女を殺すまでは怒りが収まりそうにない
last updateLast Updated : 2025-10-22
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 薫子の指先が再び伸びたが、それよりも早く走り出したのが功を奏し、捕まらなかった。  頭よりも先に、腹の中の命を守るために本能が逃げろと叫んでいるようだった。 (逃げなきゃ。この子を、守らなきゃ) そのとき、廊下の陰から夕子が飛び出した。白い布巾に包まれた小さな包みが握られていた。「お嬢様、これを」 短く言葉を発した夕子の声に、美桜は手を伸ばした。指先が包を掴む瞬間、薫子の怒号が背後から響く。 「逃がすものですか!」 薫子が追ってきた。ヒールの音が近づく。だが―― 次の瞬間、夕子がわざと美桜の肩にぶつかった。  美桜はよろけただけだったが、夕子は大げさに叫びながら床に倒れた。「きゃあっ!」 包とは反対の手に持っていたバケツが宙を舞う。  透明な水が高く跳ね上がり、廊下一面に降り注いだ。 その瞬間、薫子の足元でヒールが滑った。  薫子は舌打ちしながら壁に手をつく。「なにをしているの! 下女風情が!!」 怒りの声を上げた薫子が、濡れた床を踏みしめながら進もうとする。  しかし滑る。危険だと判断し、急ぐことは止めて水を避けるように避けた。 夕子は転倒したまま、申し訳ございません、あの女にぶつかられまして、と薫子に謝っている。 美桜は悟った。今のは夕子が薫子の時間稼ぎをしてくれたのだ。  包みを胸に抱き、振り返らずにそのまま玄関へ駆け出す。 扉を開け放つと外の風が頬を叩いた。  春の前の風はとても冷たい。暖かな屋敷とは違う。けれど、生きている実感が持てる。(走れ……この子を連れて、遠くへ……!) 屋敷の門を抜け、石畳の道へ飛び出す。  だが、背後から聞こえる。薫子の叫び声が鋭く響いた。「捕まえなさい! あの女を――!!」 御者が慌てて馬を抑えるが、薫子の声に従い手綱を緩める。  馬車が大きく動いた。  蹄が石を叩き、火花が散る。 (やだ……来ないで!) 美桜は足元も見ずに走った。  腹の奥が痛む。息が詰まる。  胸を締めつけるような鼓動。 視界の端に灯が揺れた。  街道に出る――あと少し。「止まりなさい!」  薫子の叫びが追いかけてくる。 次の瞬間、目の前を走っていた馬がいなないた。「危ないっ!」 御者の叫び。  美桜は本能で腹を庇い、ぐっと受け身の体制を取った。 轟音。風圧。世界が反転する
last updateLast Updated : 2025-10-23
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 馬のいななきが響く中、車輪が石畳を削る音が耳をつんざいた。  美桜の体は、地面に弾かれるように倒れ、包みを胸に抱き、腹をかばうような状態のまま転がった。  乾いた砂利と石が頬を切る。痛みが走る。だがそれよりも、お腹の中の命の方が心配だった。(この子だけは……!) 叫びたいのに、声が出ない。  意識が遠のく中、車輪が止まり、馬の鼻息が近づいてくる音がした。頬に砂が張り付き、冷たい風が痛む。 ――音が消えた。  静寂の中、かすかな血の匂い。心労のせいでうまく立ち上がれそうにない。(……だめ。ここで捕まったら終わりなの……) うまく体を動かせないでいる美桜の耳に、重く響く声が落ちてきた。「しっかりしてください! 大丈夫ですか?」 その声は不思議なほどに懐かしい。どこか聞き馴染みのあるイントネーションだった。  目を開けると、太陽に照らされた男性が美桜を覗き込んでいた。  黒い外套(がいとう)※コートのこと を羽織り、帽子は恐らく外国製の高級なものをかぶっている。  薄いブラウンの、やや日本人離れした整った顔立ち。きりっとした形のいい眉、流し目、高い鼻梁、そして瞳の奥には、孤独を抱えた光があった。「血が……! 止血を……!」  男が迷いなくジャケットから取り出した白いハンカチを裂き、彼女の手に巻き付ける。 指先は冷たいが、その仕草は驚くほど丁寧だった。  幸いなことに大事には至らず、美桜は腕を擦りむいた程度で済んだ。 ふと、彼の胸元に、見覚えのある小さな徽章(きしょう)※身分であったり職業や所属を示すためのしるし(例・校章・社章など)が着けられているのが見えた。隣には浅野家の勲章。2つ並んでいる。  見覚えがある方は、東条家の紋章。これは、かつて東条家に出入りしていた仲良くしていた男の子に美桜があげたものだった。彼女の瞳が震えた。記憶が一気に脳裏によみがえる。「……あなたは……まさか……」 かつての記憶が脳内を駆け巡っていった。  幸せだったころの東条家。幼い美桜が、孤児たちに絵本を読み聞かせている――  浅野家が慈善事業の一環で建てた孤児院があった。東条家は浅野家と取引を開始したばかりだった。孤児院の管理を一部託されたこともあり、東条家は孤児院に出入りすることになった。そんな頃、美桜は目の前の青年と
last updateLast Updated : 2025-10-24
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