All Chapters of ニセ夫に捨てられた私、双子と帝都一の富豪に溺愛されています: Chapter 31 - Chapter 40

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 彼の声が震えていた。  再会の喜びよりも、なぜ彼女がこんな姿でいるのかという驚きと怒りが、混ざり合っていた。「……どうしたの? 桐島家で何かあった?」 美桜は答えようとしたが、唇がうまく動かなかった。喉が焼けるように痛い。  それでも、途切れ途切れに言葉を絞り出した。「逃げて……来たの。……あの人たちは、私と……この子を……殺そうと……」 そこまで言って、息が途切れた。  一成の表情が一瞬で変わる。  凍りつくような静けさが、彼の中に広がった。「……子?」 その一言に、美桜は弱々しく頷いた。 沈黙。  彼の拳が震える。  胸の奥にある何かが音を立てて崩れていく。「そうか……」 かすれた声。  だがその奥には、計り知れない怒りが潜んでいた。 彼はかつて、東条家が没落する直前――桐島と浅野が裏で結託し、東条の資金を奪った噂を耳にしていた。  恩人である東条の死、そして死んだとされていた娘。実は生きていて、桐島家にいたなんて。  前回行った夜会で、美桜に似た人物を見たと思い、あちこち探したが見つからなかった。  霧島京が連れていた女性が美桜に似ていたから尋ねたのだが、はぐらかされた。  全てが今、目の前で繋がった。 一成は美桜をそっと抱きかかえた。  その腕には、幼い日に絵本を聞きながら眠った少年のぬくもりが、まだ残っているようだった。「もう大丈夫。誰にも君と、この子には触れさせない。僕が守るよ」 だがその瞬間―― 遠くから、聞き慣れたヒールの音が近づいてきた。  屋敷の門を出たばかりの薫子が、風にスカートをなびかせながら歩いてくる。  手には白い手袋、唇には艶やかな紅。  美しいはずのその顔に、冷たい狂気が宿っていた。怒りが顔中に滲んでいるようだ。「まあ。驚いたわ、一成。あなた、そんなところでなにを?」 声は穏やかだったが、瞳の奥にあるのは明確な敵意だった。 一成の背筋が伸びる。  抱いた美桜をかばうようにして、静かに立ち上がった。「姉上……。なぜここに?」「あなたこそ、なぜその女を抱いているの? まさか、助けようとしているの?」「当然だ。この人は――東条先生の娘で、僕の命の恩人なんだ。彼女に危害を加えるのは僕が許さない」 それを聞いた瞬間、薫子の顔色が変わった。  紅の唇がひきつり、笑みに戻
last updateLast Updated : 2025-10-25
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「平等? 優しさ?」  薫子が噴き出すように笑った。  その笑いは、哀れみと憎悪が入り混じった音だった。「そんなもの、わたくしは一度ももらえなかった。浅野家には存在しないものよ」 彼女の声が響く。口元には、狂気じみた笑みが浮かんでいた。「父は跡取りという理由だけで、あなたばかりを可愛がった。血のつながらない外の子なのに。わたくしは実の娘なのに、誰からも愛されなかった!」 薫子の瞳が潤み、紅い唇が震えた。  嫉妬と孤独がないまぜになったその表情に語り掛けるように、一成はゆっくりと口を開く。「……姉上。あなたは間違ってる。父はあなたを愛していました。ただ、それを姉上が理解しなかっただけ」「ふざけないで!」 薫子は足元の石を掴み、美桜の方へ投げつけた。ぎゅっと抱きしめて一成が美桜を庇う。石は一成の額辺りをかすめ飛んだ。はずみで被っていたハットが落ちる。  柔らかな髪質。日本人ではない、ハーフだという証の髪色。  これを隠すために、一成は恐らくハットをかぶっていたのだろう。「美桜を傷つけるなら、たとえ姉上でも容赦しない」 その声は鋭く、雷鳴のように響いた。  薫子が唇を噛みしめ、わなわなと震える。  そのまま、糸が切れたように彼女は笑い出した。「……やっぱりそう。あなたはわたくしの弟なんかじゃない。父に拾われた、ただの外の子。血の穢れた犬がわたくしの上に立つなんて許せない! 二度と姉上などと呼ばないでちょうだい!!」 薫子の瞳が憎悪で燃える。  その光は理性を失い、闇夜に怪しく瞬いた。「一成、覚悟なさい」「構わない。いつでも受けて立つ。桐島家に嫁いだのなら、持参金はたくさん持たせたはず。金輪際、浅野家からは援助しない。覚えておいてくれ」 その言葉に、薫子は目を見開いた。  唇が震え、何かを言おうとしたが、声が出ない。 一成はもう彼女を見ていなかった。  腕の中の美桜が、苦しげに息をしている。  彼女の唇がわずかに動き、弱々しい声が漏れた。「一成くん……もう争わないで」 その名を呼ぶ声が、彼の心を貫いた。こんなことをしている場合ではないと気が付いた。  姉のことなど、もはやどうでもいい。「そうだね、ごめん。行こうか。怪我の手当てをしよう」 一成は美桜を抱え直し、馬車へ向かって歩き出した。  事実上、薫子は無視され
last updateLast Updated : 2025-10-26
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 昼下がりの春の訪れの前の冷気を含んだ風が、浅野邸の庭を静かに渡っていった。  心労がたたった美桜は、馬車に揺られながら一成の腕の中で眠ってしまった。  医者は呼んであるので、家に連れ帰ったのだが…。 一成は美桜を客間の寝台にそっと寝かせ、額の汗を拭った。  彼女の顔色はまだ青ざめている。  だが、規則正しい呼吸がかすかに胸を上下させていた。  呼んでおいた医者に診てもらったが、大事には至っていないようだ。ただ、かなり細いため、しっかり栄養をつけるように言われた。「……助かったんだね」 ほっと息をつき、彼は机の上の薬瓶を手に取る。  浅野家が貿易で手に入れた外国製の消毒液だ。  清潔な布で傷口を押さえながら、彼は小さく呟いた。「美桜……君が、こんな目に遭っていたなんて…ずっと亡くなっていたのだとばかり思っていた…」 言葉にすれば、胸の奥の痛みが現実になる気がした。  浅野家の財も、地位も、すべて守るための道具にすぎない。  なのに、自分の義姉が――その権力で無辜の人を傷つけた。しかも自分にとって最大の恩人であるとともに、最愛のひとを。 彼は拳を握った。「桐島も、姉上も……ぜったいに許さない」 怒りを押し殺していると、寝台の上で美桜がうっすらと目を開けた。  光が瞳に映る。そこには、まだ消えない怯えがあった。「……ここは?」「浅野邸だよ。もう大丈夫。桐島家からは離れたから安心して」 美桜は一瞬、安心したように息を吐いたが、すぐに顔を曇らせた。「……どうして……助けてくれたの?」 一成は微笑んだ。「人を助けるのに理由なんているの?」「あ…」「君が昔、僕に言った言葉だよ。人助けに理由なんてないよね。君は僕の命の恩人なんだ。助けなくてどうするの」「そんな…なにもしていないわ…」「また美桜はすぐ謙遜する」ふっと優しい笑顔を一成が見せた。「君の悪い癖だ」 その言葉に、美桜の唇がわずかに震えた。「……あの頃のこと、覚えているの?」「忘れるわけない。孤児院で、誰も僕に話しかけてくれなかった。でも君だけが僕を差別することなく接してくれて、絵本まで読んでくれたんだよ。『あなたも同じ人間よ』って、笑って……僕がどれだけ救われたと思ってるの。美桜を助けるのは当然のことだよ」 美桜の目に涙が浮かんだ。  あの優しい時間を、彼も覚
last updateLast Updated : 2025-10-27
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  美桜は視線を落とし、手の中の温もりを感じながら唇を震わせた。  この手を握り返したら、もう後戻りできない――そんな気がした。  けれど、心の奥に溜めてきたものが堰を切ったようにあふれ出す。 「……私は、西条の家に引き取られていたの」 「西条…なんてことだ! 僕はいちばん最初に西条家を訪ねたんだ。それなのに美桜は亡くなったと言われ…絶望したんだ。恩人を救えなかったことを心から悔やんだ。だから、君が生まれたこの国をよくしようと勉学に励み、今日までやってきた。それなのに…西条は僕に嘘を教えたんだな…」  もっときちんと調べればよかったと後悔したが、彼はその時まだたったの12歳。  絶望から立ち直るために海外で必死に勉強をし、浅野家に恩返しをし、日本を豊かにする礎を築いた。  美桜をどれだけ忘れようとしても忘れられず、見合いを勧められては断り、ついには男性にしか興味がないのではないかという噂まで立てられる始末。これではいけないと思い、少し前に夜会を開いた。気が合う令嬢があれば、結婚を前向きに考えてもいいと思っていた所に、美桜に似た女性を見かけたのだ。  やはり彼女を忘れることなどできない、と思っていた矢先の再会。  そして知ってしまった真実。  彼女を傷つけ、嘘を教えた西条には罰を与えねばならない。 「もう少し詳しく教えてくれる?」
last updateLast Updated : 2025-10-28
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 その言葉は、あまりにも突然だった。「……け、結婚……?」 突拍子のない言葉だったため、理解できずにオウム返しにしてしまうほど。  一成は真剣そのものの瞳で、彼女を見つめていた。「そうだよ。形式でも、建前でもない。君を妻に迎えたい。君のすべてを受け止めたい」 その言葉に胸の奥が熱くなる。  けれど同時に心のどこかが拒んでいた。「だめよ……そんなこと、できないわ」「なぜ?」「だって……私は、もう穢れてしまったのよ。しかも、子供までいるの…」 美桜の頬を涙が伝う。  彼女は唇を震わせ、腹をかばうように手を添えた。「この子の父親は、あなたの義兄になるひとなのよ。そんな私を……妻にできるわけがない」 一成はゆっくりと首を振った。「それがどうしたの。この子が誰の血を引いていようと、君が産む子なら僕の子だ。君が生きたいと思う限り、僕が支える」「でも、一成くんの名を汚してしまうわ。浅野の名にふさわしくなるためにと、それこそずっと努力してきたのに…」「悪いけれど、僕がいちばん大切なのは美桜だよ。君がいたから僕は今日まで生きて来られた。浅野の名前より、君を守るほうが大事だ」 美桜は息を呑んだ。  その真っ直ぐな眼差しに逃げ場がなくなる。  かつて幼い日の孤児院で、寂しそうに笑っていた少年の瞳。  そこには、変わらぬ優しさと強さが宿っていた。「……あなたは、ほんとうに変わらないのね」「変われなかったんだよ。ずっと君が胸の中にいた。どんなに努力しても、どんなに出世しても、心のどこかが欠けたままだった」 一成の声が少し震えた。  彼がこんな風に弱さを見せるのは初めてだった。 美桜は黙って、そっと彼の頬に手を伸ばした。  その指先に触れる熱が、彼の心臓の鼓動と重なった。「……こんな私でも、傍にいていいの?」「君じゃなきゃ駄目だ」 一成はその手を取り、自分の唇にそっと触れさせた。  その仕草はあまりにも静かで、まるで誓いを神に捧げる儀式のようだった。 美桜の目に、光が差す。  長く続いた夜が、少しだけ明けていくような気がした。「……ありがとう、一成くん。でも、今はまだ……離縁されたというより、結婚もできていなかったと言われたばかりで……」「答えは急がなくていいよ。美桜が生きたいと思ってくれたら、それで十分」 一成の声が柔らか
last updateLast Updated : 2025-10-29
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  それから日が経った。  浅野邸で過ごすようになってから、誰からのいじめもなくなり、体を休めることも自由にできるようになり、食事も十分食べることができるようになった。美朗の周りには、かつてないほど穏やかな空気が流れていた。やせ細っていた美桜は、お腹の膨らみと共に健康的な体を取り戻しつつあった。  まだ肌寒いが、もう4月に差し掛かる頃。風に流れて花の香りがするようになった。本格的な春の訪れを告げているのだろう。  美桜は縫い物の針を手に取り、窓辺で陽射しを受けながら静かに布を縫っていた。  白い布に、薄紅の糸で刺繍を施している。すでに1枚、レースの手袋は完成させた。  一成に頼まれて、商品を作ることになったのだ。浅野財閥が本格的に洋服を手掛ける店をするらしく、少しずつでいいから商品を作って欲しいと言われたのがきっかけだ。色とりどりの生地、針などが用意されたので、美桜は退屈することなく作品を作ることに没頭している。 「やっぱり、こうしていると落ち着くわ」  そっと微笑む美桜のもとに、ノックの後、紅茶のポットが載ったトレイを抱えた夕子が入ってきた。 「お嬢様、お加減はもうよろしいんですか?」 「ええ、もう平気。あなたたちがいてくれるおかげね」 
last updateLast Updated : 2025-10-31
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  長らくの間虐げられてきた美桜は、幼い頃の縁で親切にしてくれているのだと勘違いをしていた。 一成の深い愛情を受け止めるには、まだ、心が整っていない。 きちんと結婚し、正式に浅野家に迎えられたとはいえ、没落華族の自分では彼を大成させることはできないだろう。いずれ別れることになるのだと覚悟していた。 結婚したと騙されていた自分を哀れんでくれた彼のやさしさに、いつまでも甘えるわけにはいかない。少しでも多くの縫物をして給金を稼ぎ、出る時に礼金として渡そう――子供を産むまで世話になって、落ち着いたら出て行こう、とそのように考えていた。   「たまには外に出ようか。帝都の空気を吸うと、いい気分転換になるよ」  そう言って一成が差し出した手を、美桜は一瞬ためらってから握った。 その掌のぬくもりは、嘘偽りのないものだった。  一成は馬車で移動できるように用意をしてくれた。乗り込むと隣り合わせで座り、ゆっくりと進んでいく。開放的な馬車なので、帝都の景色がよく見える。「わあ…」 久しく外を歩くことがなかったため、街の移り変わりの速さに美桜は感嘆の声を上げた。「桜が綺麗…」「君の名前は美しい桜の季節に産まれたから、美桜と名付けたのだと君の父上から聞いたよ」「ありがとう」「僕にとって美桜は、帝都一美しい桜よりも綺麗だよ。どんな令嬢よりも素敵だ」 
last updateLast Updated : 2025-11-01
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40

 喫茶店を出る頃には、日差しがやわらかく傾き始めていた。  レンガ造りの建物、日本家屋、洋館が入り乱れた街並みを歩くと、絵葉書屋や帽子店、舶来品を扱う商店が軒を連ね、まるで異国のような光景が広がっていた。「ねえ、あそこ……素敵な建物ね」 美桜が指さしたのは、白い洋風の建物の記念館だった。高い天窓とアーチ型の扉、入口には「文明開化記念館」と刻まれている。中からはピアノの音が微かに流れてきた。「入ってみようか」 二人は並んで館内へ入った。  展示室には、開港当時の衣装や外国の調度品、貿易で使われた地図や模型が並んでいた。  その一角に――ひときわ華やかな部屋があった。 それはドレスルーム。 「外国風婚礼衣装体験」と書かれた札が掲げられている。「まぁ……ここで結婚式をする方もいるのね」 素敵だな、と思った。自分には一生縁のないことだ。  飾られた衣装を見て微笑む彼女を一成が見た。「せっかくだから……ドレス、着てみよう。写真を撮ってみない?」「え?」「君に、素晴らしいドレスを着てほしい。この目で見たい」 美桜は頬を染め、ためらいながらも頷いた。「じゃあ…あなたも、一緒に着替えてくださる?」「もちろんだよ。エスコートさせて欲しい」 一成は美桜の手にうやうやしくキスを堕とした。 館のスタッフに依頼し、美桜たちは着替えることになった。一成の方が比較的早く着替えが終わった。待っていると、やがて純白のドレスに身を包んだ美桜が姿を現した。妊婦であるが、まだお腹はそこまで出ていない。コルセットを締め付けすぎずにドレスを着用しているようだ。  レースと絹が重なり、胸元には小さな桜の刺繍。彼女の名そのもののように、儚くも気高い逸品のドレス。 一成は息を呑んだ。「……綺麗だ。言葉が出ない」 彼がこの様子を撮影するために、館長がカメラを構える。  背景には文明開化を象徴する大時計とステンドグラス。  光が差し込み、二人の影を柔らかく照らした。「お互いに見つめ合ってください」 館長の声に、美桜が一成の目を見た瞬間、胸が熱くなった。  彼の眼差しは、少年の頃のまま優しく、まっすぐで――それでいて、愛を知る大人のそれだった。 シャッターが切られる。 その音が、永遠の誓いを刻む鐘の音のように響いた。「落ち着いたら結婚式は盛大に挙げよう」「
last updateLast Updated : 2025-11-04
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