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第14話(16)

 三田村は、英俊の姿を見ていない。もし一目でも見ていれば、和彦の血縁者だとわかったはずだ。それほど和彦と英俊はよく似ている。「……強面のヤクザ相手より、ヘラヘラしているわたしのほうが、少しは話しやすいだろうということで、今日はこうして先生を外に連れ出しました。あとは、気分転換も兼ねて。少なくともドーナツを食べてもらえたので、わたしの任務の一つは遂行できたようなものです。長嶺組のみなさんに怒られることもないでしょう」 よくこんなに淀みなく話せるものだと、和彦は純粋に感心する。ついでにドーナツも、あっという間に一つを食べ終えた。 数日ぶりに固形物を胃に流し込んだせいか、体の奥からじわじわと活力のようなものが湧き出してくるようだった。それとも秦と話したせいかもしれない。自覚のないところで人恋しさが芽生えていたとしても不思議ではなかった。 秦の柔らかく艶やかな存在感は、疲弊した今の和彦にはちょうどよかった。それに、今食べているドーナツのように甘い。 コーヒーを飲みながら、何から話すべきだろうかと考えた和彦は、まず秦にこう問いかけた。「――〈秦静馬〉に、親兄弟はいるのか?」 驚いたように秦は目を丸くしたあと、口元に微苦笑を刻んだ。「そういえば先生は、鷹津さんと仲がいいんですよね。刑事のくせに、口が軽い人だ」「仲はよくないぞ。……つき合いはあるが」 秦はソファに深くもたれて足を組み、天井を見上げた。「わたしは一人っ子です。それはもう、大事に育てられましたよ。中国で生まれたのに、将来を思う裕福な両親によって、香港国籍を取らせてもらうほどに」「中国……」「いわゆる上流階級というやつです。ですが、父親が権力闘争に敗れ、家族はバラバラに。このあたりの話は、血生臭い話なので割愛させてもらいます。結果として、わたしは親族がいる日本に移り住み、日本人になった。母親はヨーロッパに渡って再婚したそうです。一方の父親は、香港で復権を目指しています。……権力への執念に関しては、化け物ですよ、わたしの父親は」 最後の言葉
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第14話(17)

「だから先生は、官僚にならなかったんですか?」 和彦は唇を歪めて首を横に振る。「ぼくは、父親と兄と同じ道を目指すことは、許されなかった。……佐伯家の中で、ぼくは異物だ。取り除きたいが取り除けない、厄介な腫瘍のようなものだ」 体に溜まっている毒を吐き出しているような気分だった。苦しくてたまらないが、抱え込んだままでは、きっと息もできなくなる。「大学に入って一人暮らしを始めてから、実家とはなるべく関わりを持たないようにしてきた。ずっと。このまま、親の葬式まで顔を合わせなくてもいいと思っていたぐらいだ。はっきり言って、佐伯家の人間は嫌いだ。社会で通用する人間として育ててくれたことは感謝しているが、その代償として、ぼくの尊厳はずっと踏みにじられ、傷つけられてきた」 取り憑かれたように、佐伯家への恨み言を話し続けていた和彦だが、秦の柔らかな眼差しに気づいて我に返る。短く息を吐き出すと、ぽつりと洩らした。「――……三田村と出かけた先で、兄に会った。友人に手を回して、ぼくの行方を探らせていたらしい。弟の行方なんて捜す人じゃないのに」「怖かったんですね」「ああ。兄が怖いんじゃない。兄によって、今の生活を失うことを、怖いと思った……。ヤクザに引きずり込まれて、押し付けられた生活なのに、佐伯家での十八年間の生活よりも大事だと……、愛しいと思っている」 口にして改めて、気持ちが揺さぶられる。今のままでいいのかと自問する声がある一方で、失いたくないと願う声がある。そして、そんな願いを持つ自分に、苛立ちもするのだ。 英俊の顔を見たときから、さまざまな声が和彦の中で渦巻いている。早く決断を下してしまわないと、大事なものを取り上げられてしまいそうな切迫感が、和彦を苦しめる。「先生、そんなにつらそうな顔をしないでください。わたしは、先生の遊び相手です。息抜きをしてほしくて、ここに連れてきたんですから」 和彦の隣に座り直した秦が、肩に腕を回してくる。空になったカップを置いた和彦は、小さく苦笑を浮かべて言った。「遊び相手といっても、
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第14話(18)

 秦は口元に笑みを湛えながら、スッと目を細めた。和彦はこのとき秦に対して、ある匂いを嗅ぎ取った。筋者らしい血や硝煙といったわかりやすい匂いではない。 もっといかがわしい〈何か〉だ――。 肩を引き寄せられた和彦は秦に唇を啄ばまれながら、まとわりつくように甘く、官能的な匂いに包まれる。麻薬めいたそれは和彦から、抵抗の意思を根こそぎ奪っていた。「先生に話したのは、ささやかな秘密です。わたしの本当の秘密は、もっと物騒で罪深いですよ」 どんな秘密かと問いかける前に、秦に囁かれた。「――さあ、先生、わたしと遊びましょう」 苦い毒を吐き出したあとに、すかさず甘い毒を注ぎ込まれる。何も考えられないまま眩暈に襲われた和彦は、たまらず目を閉じた。** 長嶺組の指示により引っ越したという秦の部屋は、人と車の往来が多い通りにある雑居ビルの最上階だった。襲われたことのある男としては、常に人目がある場所のほうが安全だと判断したのだろう。 和彦は、広さだけは十分ある部屋を眺める。部屋の片隅には段ボールが積み上げられ、部屋の中央に、大きなテーブルが鎮座している。そのテーブルで仕事をしているのか、パソコンやプリンタ、FAXといったものが揃っており、ファイルや書類が散乱している。 華やかな水商売で成功している青年実業家の住居としては、色気も彩りも欠けているが、案外、外見から受ける印象とは裏腹に、秦の内面を如実に表しているのかもしれない。 ベッドに横になったまま和彦は、ぼんやりと部屋の様子を観察する。「――……先生」 秦に呼ばれて正面を見ると、優しく唇を吸われた。 秦の愛撫を受けているうちに、和彦の肌はしっとりと汗ばみ、背にシーツが張り付く。一方の秦は、服を着たままだ。さきほどから抱き締められるたびに、カシミヤセーターの柔らかく滑らかな感触に肌をくすぐられる。「ぼくに手を出すなと、組長に言われているんじゃないのか」 秦の手に、恥知らずにも身を起こしたものを包み込まれ、和彦は腰を揺らす。優しく上下に扱かれると、快感が背筋を這い上がってくる。「手を出
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第14話(19)

 どうかな、と呟いた和彦は、緩く首を左右に振る。優しく穏やかな秦の愛撫は、確かに心地いい。しかし、容易に身を任せられない。 自分が抱えている事情の他に、和彦の脳裏をちらつくのは、中嶋の顔だった。 普通の青年の顔をしていながら実は物騒な筋者で、なのに秦が絡むときだけ――厄介で健気な〈女〉を感じさせる彼を裏切っているようで、胸が痛むというより、切ない気分になる。 秦ほどの男が、中嶋が向ける気持ちに気づいていないとも思えない。どういうつもりなのだろうかと、和彦がじっと見上げると、秦が微笑を浮かべて唇を啄ばんできた。「何か、言いたそうですね、先生」「別に……」「だったら一つ、わたしの頼みを聞いてもらえませんか?」 訝しんで眉をひそめる和彦の耳元で、秦が露骨な言葉を囁いてくる。和彦は目を見開き、羞恥で全身を熱くした。「なっ……、何言って――」 和彦は慌てて身を捩ろうとしたが、かまわず秦に両足を抱え上げられ、左右に広げられる。そして、頭を埋められた。「あっ、うぅっ」 反り返ったものを濡れた舌でゆっくりと舐めあげられ、背筋にゾクゾクとするような快美さが駆け抜ける。和彦は反射的に秦の頭を押しのけようとしたが、括れを舌先でくすぐられ、体から力が抜ける。 柔らかく先端を吸われ、滲んだ透明なしずくを舐め取られる。同時に、内奥に指が侵入してきた。「んうっ……」「先生は、〈あいつ〉と仲がいいでしょう? 機会があれば、教えてやってください。男の受け入れ方を。――人を挑発するくせに、あいつは男を怖がっている。頭はいいが、感覚が獣と一緒だ。本能的に、どちらの立場が上か下か、服従を示すか否か、そういうふうにしか判断できない。男と寝るという欲望が具体的であればあるほど、あいつは苦しむんですよ。自分の理想と、本能が求めるものの違いに」 秦が何を言っているのか、最初はわけがわからなかった和彦だが、親しみを感じさせる口調から、ようやく、〈あいつ〉が誰を指しているのか理解する。「だけど先生に対しては、様子が違う。ヤクザの世界にいて、
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第14話(20)

 思わず秦の話に聞き入ってしまうが、内奥の入り口に滑らかな感触を擦りつけられ、和彦はビクリと身を震わせる。ヌルリと内奥に入り込んできたものの感触に、覚えがあった。「んっ」 突然、内奥で小刻みな振動が響き渡り、否応なく官能を刺激される。和彦は腰を跳ねさせるように反応するが、体はしっかりと秦に押さえ込まれた。 指でさらに押し込まれたローターの振動が激しさを増し、和彦の息遣いは妖しさを帯びる。やめるよう言えないのは、秦の言葉に引き込まれるからだ。「わたしは、あいつの価値観だとか、ヤクザの矜持だとかをぶち壊して、泣かせたい。暴力によってじゃないですよ。快感で、そうしたいんです。……そんなことを考えると、興奮するんです。でもあいつは、きっとこういう関係は望まないでしょうね。男を怖がって、その男の中で肩肘を張って生きているからこそ」 秦の告白を、屈折しているとか、おかしいという一言では片付けられなかった。語られる言葉に込められているのは、秦が、〈中嶋〉に向ける倒錯した執着だ。「……彼の気持ちに気づいているとは、思っていた。だけど、応える気がないから、気づかないふりをしているのかと、思っていた」 内奥にローターを含まされたまま、震える声で和彦が言うと、秦は艶やかな笑みを浮かべた。「あいつが、どんな形であろうが応えてくれるというなら、わたしは悦んで、ヤクザのあいつを犯しますよ。だけど、あいつが望んでいるのは、頼りになるが謎の多い、紳士的な先輩としての秦静馬だ。利用したり、されたりの緊張感の高い関係も望みでしょう。頭のいいあいつらしく」 しかし、ここにいる秦の望みは、外見からは想像もつかないほど動物的で、暴力的だ。直情的といえるかもしれない。 それでも、自分の望みを中嶋にぶつけないということは――この男なりに、中嶋との関係を壊したくないと思っているのだろう。「――……ヤクザも、そのヤクザに関わる男も、おかしい奴ばかりだ……」 吐息交じりに和彦が洩らすと、秦の指に唇を割り開かれ、小さな錠剤を舌の上にのせられた。驚いた和彦が目を見
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第14話(21)

「前に先生に飲ませた薬です。先生が服用している安定剤より、少し効き目が強いですが……それはご存知ですよね?」 どうしてそんなものを飲ませたのかと、秦を睨みつける。体は確かに眠りたがっているが、悪夢を見たくなくて、和彦は自分に処方された安定剤すら飲んでいなかったのだ。 秦は、和彦のきつい眼差しを平然と受け止め、愛撫を再開する。胸元に唇を押し当てながら、熱くなって震えているものを再び扱き始めた。もちろん内奥では、ローターが小刻みに、激しく振動している。「嫌な夢を見て憂鬱になるというなら、誰かに側にいてもらえばいいんですよ、先生」「……一人でいたいんだ。誰かが側にいると、自分でもわけのわからない感情をぶつけて、相手に嫌な思いをさせそうだ」「あれだけ大事にされているのに、意外に、甘えるのが下手なんですね」「余計な、お世話だ……」 秦が微かに笑い声を洩らし、胸の突起を舌先でくすぐってくる。小さく悦びの声を洩らした和彦は、仰け反って目を閉じる。 秦の愛撫を受けているのは自分なのに、頭の中で描かれるのは、秦の愛撫を受ける中嶋の姿だった。自分の体でありながら、中嶋の身代わりとして秦の愛撫を受けるのだ。 それは、ひどく倒錯した淫靡な想像で、罪悪感を薄めるための、ある種の逃避なのかもしれない。 わざと辱めるように大きく両足を開かれ、反り返ったものを濡れた音を立てて舐め上げられる。先端を執拗に吸われ、唇を擦りつけられ、舌先で弄られると、甲高い声を上げてよがってしまう。 しかし和彦は、どこかでその声を他人事のように聞いている。これは、中嶋の上げる声だとすら思っていた。 ローターを引き抜かれ、すぐにまた内奥に呑み込まされる。挿入された指にローターをさらに奥に押し込まれたとき、たまらず内奥を収縮させていた。 快感を与えられているうちに、飲まされた安定剤が効いてきたのか、眠気が押し寄せてくる。和彦はなんとか追い払おうと目を擦るが、その手を優しく秦に止められていた。「もう、無理ですよ。こうなったら、眠るしかありません」「&helli
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第14話(22)

 内奥の入り口をこじ開けられ、秦の言葉通り、〈それ〉はゆっくりと挿入されてくる。他の男たちがそうするように、発情した襞と粘膜をねっとりと擦り上げながら、否応なく内奥を押し広げていく。「悦んでますね、先生。よく、締めつけてますよ。入り口がひくついて、真っ赤に充血して……ここは、いやらしい涎を垂らしっぱなしで」 反り返って震えるものを片手で軽く扱かれただけで、和彦は達してしまう。放った精で下腹部を濡らしながら、内奥深くまで押し入ってくるものを懸命に締め付けていた。 強烈な眠気で意識は朦朧としているが、それでも和彦の体は、快感に対して貪欲だった。 内奥を犯しているのは、秦が操る〈道具〉だ。決して、熱い欲望ではない。和彦は何度も自分に言い聞かせるが、快感が深くなるにつれ、自信がなくなってくる。 自分の中に押し入っているのは、実は秦自身なのではないか――。 そんな不安に駆られると同時に、抗いがたい肉の悦びが体の奥から溢れ出てくる。 この悦びは、本来なら中嶋が味わうべきものなのだ。 一見、穏やかで優美で紳士的な男に、獣のように犯されながら、普通の青年の顔をしたヤクザが、どんなふうに悦びの声を上げ、身を捩るのか。想像するだけで和彦は、快感を覚える。 内奥を道具で擦り上げられながら、自分がよくわからなくなっていた。 犯す秦の立場で感じているのか、犯される中嶋の立場で感じているのか、判断がつかないのだ。それとも、こう思うこと自体、薬の作用によって惑乱しているのかもしれない。 なんにしても、淫らな妄想によって頭が満たされ、他のことは何も考えられなくなる。もちろん、自分の家族のことすら。 内奥深くを抉られ、うねるような熱い痺れが背筋を駆け上がってくる。大きく仰け反った和彦は、そのまま意識を手放していた。** 体を揺さぶられて目を開けたとき、自宅の寝室の天井が視界に入った。 さきほどまで夢を見ていたのだが、今もまだ、夢の中にいるのかもしれない。意識もはっきりしないまま、和彦はそう判断する。 そうでなければ、賢吾に顔を覗き込まれる状況が理解できな
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第14話(23)

**** 受け取った箱の中身がわかったとき、和彦は思わず苦笑を洩らしていた。「お前も、ドーナツの差し入れか」 和彦の言葉に、千尋は軽く唇を尖らせる。「だって先生、ドーナツならペロッと平らげるって、うちの連中が――」「仮にぼくがドーナツ好きだとしても、三食ともドーナツを食べても追いつかない量を差し入れされたら、苦笑の一つぐらい洩らしたくなる」「……一緒に食おうと思って持ってきたんだけど、他のものがいいなら、買ってくる」 捨てられた子犬のような眼差しを向けられた時点で、和彦に勝ち目があるはずもない。片手で千尋の髪をくしゃくしゃと撫で回した。「気合いを入れて食べろよ。……部屋に戻ったら、今朝差し入れしてもらった分もあるんだ」 クリニックの待合室に千尋を残し、和彦は給湯室に向かう。コーヒーメーカーに残っているコーヒーの量が心もとなかったので、インスタントで済ませることにした。 湯を沸かす一方で、ミルクや千尋専用のマグカップを準備した和彦は、壁にもたれかかって腕組みをする。知らず知らずのうちに、唇に笑みを湛えていた。 こうしてクリニックにいて、ひょっこりと顔を出した千尋とのん気な会話を交わすと、自分の日常が戻ってきたのだと実感できる。それがひどく、安心できる。 和彦は、秦に安定剤を飲まされて、ほぼ丸一日眠り続けていた。ときおり目は覚めていたが、常に誰かが傍らにいて、安心させるように手を握り、頭を撫でてくれていた気がする。夢は絶えず見続けていたが、それが悪夢だったのかどうかすら、よく覚えていなかった。仮に見ていたとしても、精神的にダメージを受けるほどのものではなかったのだろう。 目が覚め、用意された食事を胃に詰め込み、風呂にしっかりと浸かって、日常の当たり前の雑事をこなす。 現金なものだが、そうすることで和彦は、いつもの自分を取り戻せた。英俊と会った現実を受け止められたのだ。 まだどこか、地に足がついていないような感覚もあるが、これ以上、差し入れのドーナツを増やしたくないため、何事もないふ
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第14話(24)

 トレーを持って待合室に戻ると、無邪気な子供のような顔で千尋に問われた。「ところで先生、そんなにドーナツ好きだったっけ?」 和彦はぐっと眉をひそめると、千尋の隣に腰掛け、コーヒーが入ったマグカップを置いてやる。和彦はブラックで、千尋は砂糖なしのミルクたっぷりだ。 ちょうどいい皿がなかったので、客用のコーヒーソーサを持ってきたが、千尋はさっそくドーナツをのせている。朝も食べたばかりなのだが、せっかくの差し入れなので和彦も、チョコレートがコーティングされたドーナツを箱から取り出した。「……気持ちを溜め込んでいるときは、甘いものがいいらしい。一昨日、秦が買ってくれたものを、一緒に食べたんだ。別にドーナツでなくてもよかったんだが、秦の口からお前のオヤジに伝わったら、どういうわけか、ぼくはドーナツ好きということになったみたいだな」 秦の話題を出した途端、千尋は顔をしかめる。その理由を、不本意そうに本人が語った。「先生が精神的に参っているときは、俺が側についていたかった。それか、せめて、うちの組の人間とかさ……。なんでオヤジは、先生を秦に任せたわけ? あいつ、胡散臭いだろ。オヤジとこそこそ何かしているしさ」 和彦はドーナツを一口かじってから、若々しい感情を露にする千尋の横顔に視線を向ける。他の食えない男たちとは違い、千尋だけは感情をストレートに見せてくれる。とことんまで精神的に参ったあとは、このストレートさが眩しくて、愛しい。「――ただでさえ弱っているぼくに、オロオロするお前の姿を見ろと言うのか? 組長から、ぼくに近づくなと言われていたんだろ。それはつまり、お互いのためによくないと考えたからだ。ぼくだって、お前に八つ当たりして、自己嫌悪に陥りたくなかったしな」「つまり、秦ならよかったってこと?」 和彦が曖昧に笑うと、千尋はまた唇を尖らせた。その唇には、ドーナツの砂糖がついている。まるでガキだなと思いながら和彦は、指先で砂糖を払いのけてやる。「結果として……よかったのかもな。あの男のことが、少しだけわかった」 千尋がぐいっとコーヒーを飲んでから、和彦
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第14話(25)

「何もないとは言わないが、深い仲にはならない。秦は、ヤクザに囲まれているぼくにあてがわれた、ちょっと変わった話し相手、といったところだ」 露骨に疑いの眼差しを向けてきた千尋の頬を、抓り上げてやる。すかさず言い訳された。「素直に信じられないのは、俺が疑り深いというより、先生がモテすぎるせいだからねっ。なんかもう、俺が先に目をつけて口説いたっていうのに、いつの間にか先生に、ワラワラと男が群がって――」「人を、蟻に集られる角砂糖みたいな言い方するなっ」 和彦がムキになって言い返すと、千尋が安心したように息を吐き出す。ここまで、喜怒哀楽のはっきりした子供のような表情を見せていたのに、一瞬にして、落ち着いた青年の顔となる。鮮やかな変化を目の当たりにして、和彦はドキリとしていた。「千尋……」「安心した。その怒鳴り声、いつもの先生だ」 小さく声を洩らした和彦は、照れ臭くなってしまい、どう反応していいかわからなくなる。結局、千尋の髪をくしゃくしゃと撫でていた。 千尋はそれ以上、和彦が塞ぎ込んでいたことについて話題にしようとはしなかった。買いすぎたとぼやきながら、ドーナツを口に押し込み、コーヒーで流し込んでいく。和彦は、一個食べ終えたところで限界だった。「差し入れをくれたお前の気持ちだけはしっかり受け止めておくから、ドーナツはお前の胃がしっかり受け止めろよ」「……はい」 情けない顔で返事をする千尋がおかしくて、顔を背けて笑っていると、携帯電話が鳴った。すぐに千尋が電話に出る。横で会話を聞いていたが、どうやらこれからすぐに、組事務所に向かわなければならないようだ。 携帯電話を折り畳んだ千尋が、申し訳なさそうに立ち上がる。「ごめんね、先生。もっとゆっくりする予定だったんだけど……」「かまわない。お前がこうして顔を出してくれただけで、嬉しいんだ」 千尋を見送るため、玄関まで一緒に向かう。後ろ髪を引かれるように千尋は何度もちらちらと和彦を見ていたが、ドアを開ける寸前になって、我慢できなくなったように正面に回り込んできた。
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