Tous les chapitres de : Chapitre 111 - Chapitre 120

144

第111話 現場を知るために

 奏くんはもう、こちらを見ていなかった。私も資料を開く。さっき話していた未来へ行くためには、今日、自分の言葉で答えなければならない。  とにかく、強力なライバルの出現に、私の就職活動は波乱の幕開けを迎えることになったのだった。  面接会場のビルを出た頃には、冬の陽はすでに西の空へと傾きかけていた。  極度の緊張から解放された身体は鉛のように重いけれど、胸の奥には確かな熱が残っている。 「……終わったぁ」  大きく伸びをすると、冷たい空気が肺いっぱいに満ちた。  隣にいた奏くんは、「少し頭を冷やしてくる」と言って、近くの大型書店へと消えていった。  彼なりのクールダウンなのだろう。去り際に見せた、今までになく晴れやかな横顔が印象的だった。  私はといえば、ふと、ある場所へ足が向いていた。  私のもう一つの居場所であり、大切な後輩がいる場所。 『Caffe Felice』だ。  輝くん、プレゼンどうだったかな。そろそろ終わってる頃かも。  スマホを取り出すが、輝くんからの連絡はない。  まだ戦いの最中なのかもしれない。  邪魔をしてはいけないと思い、私はそのままバイト先へと向かった。今日はシフトが入っていないけれど、店長や陽翔くんに、就活の第一歩を踏み出した報告をしたかったのだ。  夕暮れの街を歩き、店の前までたどり着く。  まだ営業時間は終わっていないはずだが、入り口のドアには『CLOSED』の札がかかっていた。  その下に、設備点検のため早仕舞い、という店長の手書きがある。奥の厨房から、工具を片付ける音がした。 「あれ? 臨時休業?」  不思議に思ってガラス越しに店内を覗き込む。  照明が落とされ、薄暗くなった店内。  そのカウンター席に、二つの人影があった。  一人は、エプロン姿の陽翔くん。  そしてもう一人は、見間違えるはずもない、私の彼氏――天王寺輝くんだ。 「輝くん? どうしてここに?」  ドアに手をかけようとして、私はぴたりと止まった。  二人の間に流れる空気が、いつもの「恋のライバル同士の小競り合い」とは明らかに違っていたからだ。  張り詰めた、真剣勝負の気配。  ガラス越しでも伝わってくるその熱量に、私は息を殺して立ち尽くした。 「――頼む、七瀬」  静まり返った店内に、輝くんの声が響いた。
Read More

第112話 帰っても仕事中

 不意に、輝くんの声がした。  びくっとして顔を上げると、いつの間にか二人がこちらを向いている。  ガラス越しに目が合ってしまった。 「あ、えっと……その……」  見つかった以上、隠れてはいられない。  私は観念してドアを開け、店の中へと入っていった。 「お、お疲れ様……二人とも」 「栞! 聞いてたのか?」  輝くんが慌てて駆け寄ってくる。  その顔は少し赤く、恥ずかしそうだ。ライバルに頭を下げているところを見られたのが気まずいのかもしれない。 「う、うん。ちょっとだけ……」 「先輩、面接、どうでした?」  陽翔くんがカウンターから聞いた。私は用意していた報告を、一つずつ話した。うまく答えられなかった質問のところで、輝くんが隣の椅子を引いてくれる。 「俺も、今日だいぶ言われた」 「聞いてた。……明日、洗い場?」 「うん。先輩が厳しそうだ」  陽翔くんが肩をすくめた。その笑い方を見て、私も少し肩の力が抜けた。 「私も、頑張る」  ここで応援するだけの人には戻りたくなかった。自分が物語を作りたいと思ったことまで、恋人ができた嬉しさに紛れて忘れたくはない。 「二人とも、負けないからね。私も、夢、叶えてみせるから」  輝くんが私の顔を見て笑い、陽翔くんはカウンターの向こうから頷いた。店を出る時には、次の応募で直したい箇所がもう頭に浮かんでいた。◇ 冬の寒さが本格化し、街がクリスマスムードに浮かれ始める頃。  私たちの「それぞれの道」は、想像以上に険しく、そして急勾配なものになっていた。 「……はぁ」  大学の帰り道。枯れ葉が乾いた音を立てて舞う歩道を歩きながら、私は白いため息を吐いた。  手元のスマホには、見慣れた、けれど何度見ても心が削られる定型文が表示されている。 『誠に残念ながら、今回はご縁がなかったということで……』  いわゆる「お祈りメール」だ。  これで何社目だろう。  第一志望の『アルカディア・ワークス』の選考結果はまだ来ていないけれど、滑り止めにと受けた数社からは、ことごとく冷たい返事が返ってきていた。  私って、社会に必要とされてないのかな。  ネガティブな思考が渦を巻く。  就活生の誰もが通る道だと分かっていても、人格を否定されたような気持ちになるのは避けられない。  アパートへの帰り道
Read More

第113話 温め直した夕食

「あ、うん。……分かった」  彼はすぐに視線を画面に戻し、誰かと電話を始めた。  専門用語が飛び交う、早口の会話。  投資家との交渉か、あるいは陽翔くんに紹介してもらった業者との打ち合わせだろうか。  天王寺家を出てからの輝くんは、人が変わったように働き詰めだった。  大学の講義の合間を縫ってカフェで修行し、夜はこうして事業計画を練り直し、資金調達に走り回る。 「元・御曹司」という肩書きは、時として武器になり、時として偏見の壁となる。  彼はそのすべてをねじ伏せるために、睡眠時間を削って戦っていた。  邪魔しちゃ、ダメだよね。  私は音を立てないようにキッチンへ行き、コンビニで買ってきたおにぎりを食べた。  冷えたお米が口の中でほどける。海苔の端が唇についたのを剥がしながら、私は彼の電話が終わるのを待った。  背中合わせの距離にいるのに、彼がひどく遠くに感じられた。  数時間後。  電話を終えた輝くんが、ふぅーっと長く息を吐いて伸びをした。  彼の分の夕食を温め直した。電子レンジの明かりの中で、皿がゆっくり回る。残り時間が減っていくのを見ながら、今日届いたメールの話を、頭の中で何度も短くした。 「……終わった?」 「うん。なんとか、次の融資の目処が立ちそうだよ」  彼が振り返り、にこりと笑う。  その笑顔は、疲れ切っているけれど、充実感に満ちていた。 「すごいね、輝くん。……順調なんだ」 「ああ。七瀬のアドバイスが効いてるよ。あいつ、性格は悪いけど仕事に関しては天才的だな」  彼は楽しそうに陽翔くんの話をする。  ライバル同士の奇妙な友情。それは微笑ましいことのはずなのに、私の心にはちくりと小さな棘が刺さる。  みんな、進んでいる。  輝くんも、陽翔くんも、そしてきっと奏くんも。  自分の才能と情熱を武器に、未来へ向かって走っている。  それに比べて、私はどうだ。  ただお祈りメールに怯え、彼に守られているだけの、何者でもない自分。 「……栞? どうしたの、暗い顔して」  輝くんが私の異変に気づき、椅子から立ち上がって近づいてきた。  彼の手が伸びてくる。  いつものように、私を抱きしめて安心させてくれようとして。  けれど、私は思わず一歩、後ずさってしまった。 「あ……」  彼の手が、空を切る。
Read More

第114話 隣が遠い

 お互いの「道」を歩もうとすればするほど、二人の時間は削られ、すれ違っていく。  お風呂から上がると、部屋の明かりは消えていた。  ベッドの上で、輝くんが泥のように眠っている。  パソコンは開かれたままだ。力尽きて寝てしまったのだろう。  私はそっと近づき、彼に毛布をかけた。  月明かりに照らされた寝顔は、安らかで、そして少しだけ幼く見えた。 「……お疲れ様、輝くん」  彼の頬に触れたい衝動を抑え、私はベッドの端に背中を向けて横たわった。  同じベッドに寝ているのに、背中合わせの距離が、宇宙の果てのように遠い。  冷たいシーツの感触に包まれながら、私は強く目を閉じた。  明日は、笑おう。  彼の邪魔にならないように、私も頑張らなきゃ。  そう自分に言い聞かせても、枕に吸い込まれる涙は止まってくれなかった。  翌朝、目が覚めると、隣の温もりはすでに消えていた。 「……あ」  枕元に置かれたメモ用紙。  走り書きの文字で、『行ってきます。冷蔵庫にプリンあるから食べてね』と書いてある。  その筆跡を見るだけで、彼がどれだけ急いでいたか、それでも私を気遣おうとしてくれたかが伝わってきて、胸が痛んだ。 「……おはよう、輝くん」  誰もいない部屋で呟く。  返事はなく、冷蔵庫のモーター音だけがぶーんと響いている。  冷蔵庫を開けると、プリンが二つ並んでいた。一つを取って、戻した。一緒に食べたいと言えばよかった。そういう小さなことほど、送る文面にすると大げさに見えてしまう。  それから数週間。  季節は完全に冬へと移行し、街はクリスマスイルミネーションで彩られ始めた。  私の就職活動は、難航を極めていた。  第一志望の『アルカディア・ワークス』の選考は進んでいるものの、課題の企画書作成に追われ、精神的にも肉体的にも余裕がない日々が続く。  滑り止めの企業からは相変わらず「お祈りメール」が届き、自信は削られていくばかりだ。  一方、輝くんの事業には、小さな成果が出始めていた。 「――すごい、またニュースになってる」  大学のカフェテリア。  スマホの画面に表示された経済ニュースの記事を見て、私は小さく息を呑んだ。 『元・天王寺家の異端児、学生起業家として鮮烈デビュー』 『個人飲食店向けサービス、十店舗で試験導入へ』
Read More

第115話 送れないメッセージ

「うん……。なんか、自分が何を書きたいのか分からなくなってきちゃって」  弱音を吐くと、彼は手を止めて私を見た。  その灰色の瞳は、以前のような冷徹さはなく、静かな励ましの色を帯びている。 「焦る必要はない。……君には、君にしか描けない世界があるはずだ」 「私にしか描けない世界……?」 「ああ。例えば……あの時の熱量を思い出せばいい」  奏くんが口元を緩める。 「執事喫茶の脚本を書いた時の君は、誰よりも楽しそうで、輝いていた。……俺は、あの物語が好きだったぞ」 「うぅ……ありがとう、奏くん」  彼の不器用な慰めに、張り詰めていた心が少しだけ解ける。  奏くんも同じ会社を目指すライバルなのに、こうして私のことを気にかけてくれる。  彼の優しさが、今は身に沁みた。 「……天王寺とは、どうだ?」  唐突な問いかけに、どきりとする。 「え? あ、うん。……順調だよ?」 「嘘つくなよ」  即答された。  奏くんはパソコンから視線を外し、真っ直ぐに私を見据える。 「君の顔を見れば分かる。……寂しい顔をしている」 「……っ」 「あいつは忙しいんだろう。今が正念場だからな」  奏くんはコーヒーカップを置き、静かに告げた。 「だが、もし辛くなったら……いつでも言え。俺は、いつだって君の味方だ」  その言葉は、友情以上の熱を持って私の心に響いた。  甘えたい。 「寂しい」と泣きついてしまいたい。  そんな弱い自分を必死に押し殺し、私は首を横に振った。 「大丈夫。……輝くんの邪魔だけは、したくないから」  そう答えるのが精一杯だった。  その夜。  アパートに帰ると、部屋は真っ暗だった。  時計の針は深夜二時を回っている。 「……まだ、帰ってない」  輝くんからのLIMEには、『ごめん、今日は徹夜で作業になりそう。先に寝てて』というメッセージが入っていた。  昨日は『投資家との会食で遅くなる』だった。  一昨日は『陽翔と打ち合わせがあるから』だった。  ここ三日、彼の寝顔すら見ていない。 「……お疲れ様」  誰もいない部屋に向かって呟く。  コンビニで買った冷たいおにぎりを齧りながら、私は膝を抱えた。  輝くんは、頑張ってる。私のために。  頭では分かっている。  彼が必死なのは、私との生活を守るためだ。
Read More

第116話 残念ながら

 私は震える指で、文字を消した。  そして、代わりにこう打った。 『お疲れ様。無理しないでね。応援してるよ』  送信ボタンを押した瞬間、胸の奥が引き裂かれるように痛んだ。  これは、私の本心じゃない。  本当は、「今すぐ帰ってきて」って叫びたいのに。 『ありがとう。栞がいるから頑張れるよ』  すぐに返ってきた彼のメッセージ。  そこに添えられた笑顔のスタンプが、今の私には残酷なほど眩しかった。  画面を閉じ、私はベッドに倒れ込んだ。  彼の匂いが微かに残る枕に顔を埋める。  私、全然「主人公」なんかじゃないや。  物語のヒロインなら、こんな時、彼の支えになれるはずだ。  笑顔で彼を励まし、癒やしてあげられるはずだ。  なのに私は、ただ寂しさに震えて、勝手に卑屈になっているだけ。 「……輝くん……」  名前を呼んでも、返事はない。  窓の外では、木枯らしが吹き荒れている。  それぞれの道を歩き始めた私たちは、いつの間にか、手を繋ぐことさえ難しいほど離れてしまっていた。  その距離が、これからもっと広がっていくような予感がして。  私は、冷たいシーツを握りしめたまま、声を殺して泣いた。  輝くんの成功を喜べない自分が嫌いだ。  何も持っていない自分が惨めだ。  そして何より、彼がいなくて寂しい自分が、どうしようもなく情けなかった。  闇の中に沈んでいく意識の中で、私は思った。  このまま道が分かれてしまったら、私たちはどうなるんだろう。 「攻略対象は私じゃない!」  かつてそう叫んで逃げ回っていた頃の方が、ずっと幸せだったのかもしれない。  そんな弱気な想いが、涙と一緒にこぼれ落ちた夜だった。  世界からふいに色が剥がれ落ちていく感覚を、私はこの時初めて知ったような気がする。◇ 一月の朝のことだった。  カーテンの隙間から、冬特有の鋭利で白い光が差し込んでいる。暖房の風が唸り声を上げているのに、部屋の空気はちっとも温まらない。私は部屋の隅で、スマートフォンを握りしめたまま、まるで石像になったみたいに動けなくなっていた。  液晶画面に浮かんでいるのは、たった一通のメールだ。  件名は『選考結果のご連絡』。  差出人の欄には、『株式会社アルカディア・ワークス 採用担当』の文字が並んでいる。  そこは私の
Read More

第117話 外へ出たくて

『残念ながら』。  その五文字の後ろに、私が書いてきたものまで、全部片付けられてしまった気がした。 「……落ち、た」  事実を口に乗せた瞬間、心臓を氷のように冷たい手でぎりぎりと握り潰されるような痛みが走った。滑り止めの企業が全滅した時とは比べ物にならない。魂をごっそりと削り取られるような、底の抜けた喪失感。  あんなに頑張ったのに。  あの文化祭の「執事喫茶」の時のように、自分の持てる熱量のすべてを注ぎ込んで企画書を書き上げたのに。面接官の目を見て、物語への愛を、想いの丈をあんなに熱く語ったのに。  それでも、届かなかった。  私には才能がない。そう決まってしまったように思えた。  奏くんのような煌めく知性も、輝くんのような人を惹きつけてやまないカリスマ性も、私には備わっていない。ただの「好き」という熱量だけでは、プロフェッショナルの高い壁を越えることはできなかった。 「……ははっ」  乾いた笑いが、勝手に唇からこぼれ落ちる。  涙は出なかった。ただ、身体の中身がごっそりと抜け落ちて空洞になってしまったような、風が吹き抜けるような虚無感だけが広がっていく。  ふと、視線を上げた。  ローテーブルの上には、輝くんが置き忘れていったボールペンが転がっている。  昨夜も彼は帰ってこなかった。LIMEを開けば、『ごめん、今日も泊まり込みになる。あと少しで大きな契約が取れそうなんだ』というメッセージが残っている。  輝くんは、前に進んでいる。  天王寺家という巨大な後ろ盾を失い、ゼロから、いやマイナスからのスタートだったにも関わらず、彼は自分の腕一本で道を切り拓き、着実に結果を手繰り寄せている。  ニュース画面越しに見る彼は、自信に満ちていて、直視できないほどに眩しい。  それに比べて、私はどうだ。  彼に守られ、支えられ、甘やかされながら、何一つとして結果を出せていない。 「隣にいても恥ずかしくない自分になる」なんて大見得を切ったくせに、現実はこのザマだ。  (……惨めだなぁ)  自分が、道端に転がる石ころよりも価値のない存在に思えた。  輝くんという太陽のそばにいるには、私はあまりにも色がなくて、ちっぽけすぎる。 「……ここに、いたくない」  衝動的に、そう思った。  輝くんの気配や匂いが残るこの部屋にいると、自分の無
Read More

第118話 見つけてくれた人

 外気は、肺が凍りつきそうなほど冷え切っていた。  見上げた空は灰色で、今にも雪が落ちてきそうな重たい雲が低く垂れ込めている。頬を刺す北風が、熱を持った目元を冷やしてくれたけれど、胸の奥に居座る鉛のような塊は少しも消えてくれない。  あてもなく、ただ足を動かして街を歩いた。  駅前の喧騒、楽しげに笑い合う学生たちの群れ、ショーウィンドウに飾られた華やかな冬の装い。  その景色の全てが、今の私には分厚いガラスの向こう側にある、別の世界の出来事のように見えた。透明な壁一枚隔てた向こう側で、世界は極彩色のまま回っている。私一人だけを、モノクロの世界に置き去りにして。  (……奏くんは、どうだったんだろう)  ふと、そんな疑問が頭をよぎる。  同じ会社を受けた彼。  優秀な彼のことだ、きっと受かっているに違いない。  もしそうなら、私は彼に「おめでとう」と笑って言えるだろうか。それとも、顔を引きつらせて、心の中で毒づいてしまうだろうか。 「……最低だ」  自分の性格のねじ曲がり具合に、吐き気がこみ上げてくる。  私は、こんなに醜い人間だったのか。  輝くんや奏くん、陽翔くんが向けてくれた「好き」という純粋な感情に、今の私は到底見合わない。  気づけば、私は繁華街を抜け、ひと気のない公園のベンチに座り込んでいた。  枯れ木が寒々しく枝を伸ばし、冷たい風がヒュウヒュウと音を立てて足元を吹き抜けていく。手袋をしてこなかった指先がかじかんで、感覚がなくなっていく。  でも、その痛みがむしろ心地よかった。身体が痛むことで、心の痛みを少しだけ誤魔化せるような気がして。 「……寒い」  小さく呟いて、膝を抱えるように身体を丸める。  輝くんに会いたい。  あの温かい腕で抱きしめて、「大丈夫だよ」って耳元で囁いてほしい。  でも、今の私には彼に会う資格なんてない。会えばきっと、彼を傷つけてしまう。彼の重荷になって、足を引っ張ってしまう。  (……私、どうすればいいんだろう)  答えの出ない問いを繰り返し、ぼんやりと鉛色の空を見上げた、その時だった。 「――やはり、ここにいたか」  静寂を破る、凛とした声が降ってきた。  氷のように冷たく、けれど耳に馴染んだその響きに、私は弾かれたように顔を向けた。  公園の入り口。  モノトーンのロン
Read More

第119話 ゲームセンターへ

「携帯、見ていないのか。……天王寺が、血相を変えて君を探していたぞ」 「輝くんが……?」  慌ててポケットのスマホを取り出すと、着信履歴とLIMEの通知が画面を埋め尽くすように並んでいた。マナーモードにしていたせいで、着信音に全く気づかなかったのだ。 『栞、どこにいる?』 『帰ったら部屋にいなかった。何かあったのか?』 『頼むから連絡してくれ』  輝くんからの必死なメッセージの羅列。それを見て、罪悪感で胃が縮み上がる。 「ご、ごめんなさい……私……」 「謝るのは俺にじゃないだろう」  私は震える指で電話をかけた。二度目の呼び出し音の途中で、輝くんの声がした。 「栞?」 「ごめん。公園にいる。怪我とかじゃないの。今、奏くんに会って……少し落ち着いたら帰るから」  向こうで、長く息を吐く音がした。 「分かった。迎えに行こうか」 「もう少しだけ、待ってて。帰ったら話したい」 「うん。待ってる」  電話を切ってからも、耳に彼の声が残っていた。帰ると約束したことで、ようやく、帰れる場所があるのだと思えた。  奏くんは私の隣に腰を下ろした。  古い木のベンチが、ギシと音を立てて軋む。彼は前を向いたまま、白く濁った息を吐き出した。 「……『アルカディア・ワークス』の結果、出たんだろう?」  心臓が、ドクンと嫌な音を立てて跳ねた。  そうだ。彼も一緒に受けたのだから、通知のタイミングは同じはずだ。  私は俯き、膝の上で拳を握りしめた。爪が食い込む痛みを頼りに、なんとか声を絞り出す。 「……うん」 「俺は、通った」  淡々とした、事実だけの報告。  予想していたことだった。彼なら当然だ。彼が落ちるわけがない。  おめでとう、と言わなくちゃいけない。  そう思うのに、喉が張り付いたように言葉が出てこない。  目頭が熱くなり、視界が歪んでいく。  悔しい。羨ましい。惨めだ。  そんなドロドロしたコールタールのような感情が、涙となって溢れ出しそうになる。 「……そっか。……おめでと……」  震える声で、ようやくそれだけを吐き出した。  最低だ。全然、祝福なんてできていない。  奏くんは、そんな私を責めることもなく、ただ静かに言った。 「……月詠。自分を責めるな」  彼は、そっと私の手に自分の手を重ねた。  冷たい外
Read More

第120話 白い猫のぬいぐるみ

 けたたましい電子音と、若者たちの喧騒が渦巻く空間。  普段の奏くんなら、眉をひそめて早足で通り過ぎるような場所だ。静寂と文学を愛する氷室奏が、UFOキャッチャーの並ぶ派手な店内に立っているという構図だけで、脳が処理落ちしそうになる。 「……ここなら、余計なことを考えずに済むだろう」  彼は私の首に巻かれたマフラーの位置を直しながら、ぶっきらぼうに言った。  その耳の端が、少しだけ赤い。  もしかして、私を元気づけるために、慣れない場所をわざわざ選んでくれたのだろうか。 「どれがいい」  彼はコートの袖をまくり上げ、真剣な眼差しでクレーンゲームの筐体を睨みつけた。その横顔は、難解な論文を読解する時と同じくらい鋭い。 「え、いや、悪いよ……」 「遠慮するな。……今日は俺がエスコートすると言ったはずだ」  有無を言わせぬ圧力。  私はおずおずと、端の台に入っていた、ぶさかわいい白い猫のぬいぐるみを指差した。 「じゃあ……あの子」 「了解した」  チャリン、と硬貨を投入する音が響く。  奏くんは眼鏡の位置を中指でくいと押し上げ、操作ボタンに手をかけた。その指先はピアノを弾くように繊細で美しいのに、ボタンを叩くタイミングは恐ろしいほど的確だった。  ウィーン、ガシャン。  アームが正確な位置に降り、猫のぬいぐるみをガシッと掴む。  そして、そのまま出口へと運ばれ――コトン。 「……一発」 「す、すごい……!」  思わずパチパチと拍手をしてしまった。  彼は取り出し口からぬいぐるみを取り出すと、少し埃を払うような仕草をしてから、私に差し出した。 「……やる」 「ありがとう……! 奏くん、上手なんだね」 「アームの強度と重心位置さえ見極めれば、造作もないことだ」  彼は涼しい顔で言ったが、ぬいぐるみを渡す手が少しだけ震えているのを私は見逃さなかった。本当は、慣れないことをして緊張していたのかもしれない。  その不器用な優しさに、凍りついていた心が少しだけ溶けていくのを感じた。 「次はあっちだ」  ぬいぐるみを抱えた私を連れ、彼は次々とゲームを攻略していった。  シューティングゲームでは百発百中の腕前を見せ、エアホッケーでは手加減なしのラリーで私を息切れさせ、最後にはワニワニパニックで高得点を叩き出した。 「はぁ、はぁ
Read More
Dernier
1
...
101112131415
Scanner le code pour lire sur l'application
DMCA.com Protection Status