季節がひとめぐりして、キャンパスの並木道が赤や黄色に染まる頃。 私たちを包んでいた空気は、あの嵐のような文化祭の熱狂から、少しずつ、けれど確実に手触りを変えようとしていた。「……あー、緊張する」 姿見の前で、私は何度目になるかわからないため息をついた。 鏡の中にいるのは、いつものパーカーを着た私ではない。着慣れない黒のリクルートスーツに身を包み、髪をきっちりと後ろで束ねた、どこかよそよそしい「就活生」としての私だ。 大学三年生の冬。 それは、モラトリアムという名のぬるま湯に浸かっていた学生たちが、一斉に社会という冷たい海へ放り出される季節。 そう、就職活動の本格化である。「大丈夫だよ、栞。似合ってる」 背後から伸びてきた腕が、私の腰をふわりと抱きしめる。 鏡越しに目が合うと、天王寺輝くんが、とろけるような甘い笑顔を向けていた。「……輝くん」「スーツ姿も新鮮で可愛いな。……なんだか、禁欲的な色気がある」 彼が私の首筋に顔を埋め、深く息を吸い込む。 くすぐったいような、それでいて背筋がぞくりと甘く痺れるような感触。 彼の腕は温かく、その体温に触れるだけで、張り詰めていた緊張の糸がふっと緩むのがわかった。 あれから、数ヶ月。 私たちは、この狭いワンルームで、貧しくも幸せな同棲生活を続けていた。 天王寺総帥の放った監視の目は、相変わらずアパートの周囲をうろついている。黒いセダンが路地に停まっていたり、じっとりとした視線を感じたりすることは日常茶飯事だ。 けれど、彼らが強行突破してくることはなかった。 まるで、私たちが生活の重さに音を上げて降参してくるのを、じっと待っているかのように。「……そんなこと言って、輝くんこそ準備しなくていいの?」 私は少しだけ頬を熱くさせながら、彼の方を振り返った。 今日の彼は、いつもの大学に行く服装とは少し違う。 カジュアルだけれど質の良いジャケ
Last Updated : 2026-01-21 Read more