All Chapters of 手遅れの愛、妻と子を失った社長: Chapter 451 - Chapter 460

466 Chapters

第451話

時也「???」時也「!!!」時也は完全に固まった。その場に立ち尽くしたまま、頭の中がぐわんぐわんと鳴る。「柚香が遥真の命の恩人だって、本当なのか?」「もちろん!」怜人は彼をぐいっと外に押し出し、バタンとドアを閉めた。「玲奈のあの傷跡、柚香ちゃんのとまったく同じ形で再現されてるんだよ。あの傷跡が遥真の恩人と関係ないっていうなら、話は別だけどな」今朝、柚香はもう玲奈のところで確認していた。この件はほぼ間違いない。時也は一瞬言葉を失った。もし柚香が本当に遥真の命の恩人だったら、まずいことになる……そう思った瞬間、彼はすぐに怜人と同じ便の飛行機を押さえて蒼海市へ向かった。このことは遥真に伝えておかないといけない。でないと、怜人が余計なことをしに行って、遥真の機嫌はますます悪くなるに違いない。――その頃、柚香のほうでは。彼女は玲奈と一緒に、まだ人の少ないバーに座っていた。本当は真帆と気分転換に出かけて、時間になったらホテルの宴に向かうつもりだった。けれど家を出たところで玲奈に呼び出され、しかも一人で来るように言われて、ここに来たのだ。「何の用?」柚香は単刀直入に聞いた。「まさか、そこまで想像力が豊かだとはね」玲奈はあの件を認めずに言う。「でも今朝のこと、外れてるよ。遥真の命の恩人はあなたじゃない」柚香は表情ひとつ変えずに答える。「それで?」玲奈は本当らしく言い募る。「そんなに協力する気がないなら、私たちの取引はなし。この先一生、誰がその人か知ることはできないわよ」「その脚の傷で遥真に近づいたんでしょ」柚香は淡々と事実だけを口にした。玲奈の顔が一瞬こわばる。――本当に知ってるの?「井上先生が目を覚ました」柚香はその理由をあっさり告げる。「あなたが彼に接触したことも、全部話してくれた」「そんなはずない!」玲奈は反射的に否定した。どうしてもその事実を受け入れたくなかった。「本当かどうかは、自分で連絡してみればわかるでしょ」柚香は立ち上がり、それ以上話す気はなかった。「時間的に見て、もう遥真にも伝わってる頃だと思う」玲奈の瞳が大きく揺れる。柚香は一度だけ彼女を見て言った。「自分を騙した相手に、彼がどう出ると思う?」「待って」立ち去ろうとする柚香を呼び止め、玲奈は何かと引き換えに身を守ろうとする
Read more

第452話

「あなたを困らせるつもりはなかったのに」玲奈は二人のボディーガードの間に立ち、歯を食いしばるように言った。「でも、全部知ってしまって、それを遥真の耳に入れたからよ」「何をするつもり?」柚香は表情一つ変えない。その態度が、かえって玲奈の癇に障る。感情はさらにエスカレートしていった。「あなたのそういう顔、本当に大嫌いなのよ」柚香は、この人の頭がおかしいと思った。しかも、かなり重症だ。「自分の身も危ないくせに、まだお嬢様ぶって落ち着いてるつもり?」玲奈は声を張り上げた。「器材室であんなにみっともなくてビビってた自分のことを、もう忘れたの?」柚香の表情はまったく動かない。まるで滑稽なものでも見るような目で彼女を見ている。その視線に、玲奈は完全に刺激された。彼女が一番耐えられないのは、柚香にそんな目で見られることだ。どうしてあの子は生まれながらにしてお嬢様で、みんなに愛されて、遥真にまで特別扱いされるのに、自分はずっと日陰で、人に言えないような生活を送らなきゃいけないのか。どうしてよ!「この女を縛りなさい」玲奈は屈強な男たちに命じた。「奥の物置に連れてって閉じ込めて」「それ、犯罪だよ」柚香は淡々と指摘する。「もうすぐ終わる身で、犯罪なんて気にすると思う?」玲奈は冷笑し、完全に正気を失っていた。「遥真に電話して、一生責任を追及しないって約束させて、これからずっと私を守るって言わせるか、それともこの四人にあなたをめちゃくちゃにさせるか。どっちか選びなさい」柚香の心は静まり返っていた。理由は単純。彼女のボディーガード、慎吾がこっそり後をつけてきていたからだ。「自分で選びなさい」玲奈はもう理性を失っている。柚香は相手にせず、そのまま歩き出した。二人の男に進路を塞がれたとき、彼女は部屋の隅に視線を向ける。「慎吾、もう出てきて。動かないなら、こっちで警察呼ぶよ。その場合、あなたの仕事の評価には入らないからね」「それはダメです」慎吾は一瞬で飛び出してきて、真顔で言った。「ちゃんと実績にしてください」玲奈は眉をひそめる。この男、どこから出てきたの?バーのオーナーには金を渡して、柚香以外は誰も入れるなって言っておいたはずなのに。「対応できる?」柚香は慎吾の細身の体をちらっと見て、少しだけ心配そうに言う。
Read more

第453話

玲奈は思わず、いつもと変わらない表情の柚香を見た。どうしても納得できない。悔しくてたまらない!どうしていつもあの子が勝つの?どうしてあの子ばかり、みんなに守られるの?「お金ならいくらでも出す」思い切って言い放ち、視線は柚香に向けたまま。「彼女を縛って、動けなくしてくれればいいの!」二人の男は、さっきまで容赦なく戦っていた慎吾を見て、それから玲奈の、憎しみ以外なにも残っていないような顔を見比べた。そして結局、その頼みを断った。「他を当たってくれ」彼らだって馬鹿じゃない。後から来た二人のほうが、明らかに立場が上だ。依頼主も金はあるが、今の状況を見る限り、ただの女同士の嫉妬と憎しみだ。そんなことで命を危険にさらしたり、罪を犯したりするのは割に合わない。「あなたたち……!」玲奈は怒るしかなかった。「慎吾、行こう」柚香はもう相手にする気もなかった。「行かせない!」玲奈は駆け寄って立ちはだかる。その目はこれまでで一番激しく燃えていた。「遥真に電話して、全部不問にするって言わせるまでは、ここから出さない!」ここで逃がしたら、もう切り札がなくなる。その先に待っているものなんて、考えなくてもわかる。柚香は軽く一瞥しただけで、そのまま歩き出した。バンッ!「だから行かせないって言ってるでしょ!」玲奈はコップをつかんで床に叩きつけ、割れた破片の鋭い方を向ける。「これ以上進んだら、私は……!」カラン!言い終わる前に、手にしていたコップは床に落ちた。慎吾が素早く手首をつかみ、そのままひねり上げたのだ。「痛っ……!」玲奈は悲鳴を上げた。「人は自分のしたことの代償を払うものよ」柚香は静かに言う。「なりすましなんて始めた時点で、いつかこうなるって分かってたはずでしょ」「私のどこが悪いのよ!」玲奈は手を押さえながら、感情を抑えきれずに叫ぶ。「上に行こうと努力して、ちゃんと生きたいって思うのが悪いの!?あなたはお金持ちの世界で生きてて、何不自由なくて、親にも愛されて、欲しいものは全部手に入る。じゃあ私は?何もない。生まれたときから女だからって邪魔者扱いされて、思い通りにならなければ殴られて怒鳴られて。そんな家から逃げたくて、あんな生活から抜け出したくて、あなたみたいに最初から恵まれてる人よりいい暮らしをし
Read more

第454話

玲奈はテーブルの上のガラスの器をすべて床に叩き落とした。顔には狂気が浮かんでいる。柚香は物音に気づいたが気にせず、上着を慎吾に渡してから車に乗り込んだ。「どうだった?」真帆が、彼女が座るなり尋ねる。「予想通り」柚香は答えた。「追い詰められて、極端なことをしようとしてる」「じゃあ、なんで私を呼ばなかったの?」柚香は運転席の慎吾をちらっと見た。「慎吾が片づけた」「何人?」「四人」「???」真帆は少し驚いた様子で言った。「そのボディーガード、なかなかやるじゃない。顔もいいし、強いし。どこで雇ったの?私も雇いたい」「優秀なのは個人であって、会社じゃありません」慎吾はハンドルを握りながら、真面目な口調で言う。「騙されないでください」柚香「……」真帆「……」ひと騒ぎが落ち着いたあと、柚香はさっきの玲奈の精神状態を思い出し、安江に電話をかけた。今日はできるだけ注意するようにと伝える。玲奈が逆恨みして、家に来る可能性があるからだ。「お嬢様」慎吾がタイミングよく口を開く。いつも通りの落ち着いた声で。「もう一人のやつは俺ほど顔もよくないし、腕も頭も俺には及びませんが、お坊ちゃまと安江様の護衛は任せて大丈夫です」柚香は彼を見上げた。慎吾は続ける。「あいつは『無口でやることはやるタイプ』です」「じゃあ、なんで前は彼を選ぶなって言ったの?」柚香は、面接のあと二人とも残すと決めたとき、慎吾が必死に自分を推していたのを思い出した。「そのときは、常にそばにつく護衛が必要だとは思ってませんでした」慎吾はいたって真面目に答える。「家の警備だけなら、俺一人で十人分の働きはできます」柚香は何も言わなかった。慎吾はどこも悪くないが、少し自信がありすぎる。けれど、その自信は嫌味というより、どこか笑いを誘う感じだった。午後五時。柚香と真帆は宴会のホテルへ向かった。そのホテルは山の頂上に建っていて、周囲には広い芝生が広がっている。今日はパーティーがあるため、外の芝生もかなり豪華に飾りつけられていた。到着間近というところで、前方に突然、十数台のフル装備のロールスロイスが現れ、後ろには十数台の限定モデルのマイバッハが続いた。「こんな微妙な位置に挟まれるの、初めてなんだけど」真帆は一目見て、柚香に小声で言う。「ここで恨み
Read more

第455話

「そうなんだ」隼人は笑うと小さな八重歯がのぞいた。「おじいちゃんが言ってたんだ。柚香姉ちゃんが蒼海市で初めてパーティーに出るんだから、みんなに『神崎家の大事な子』だってちゃんと知らせないとって」柚香「……」隼人は後ろをちらっと見た。「後ろのは昭彦おじさんが用意した人たちだよ」真帆と柚香が振り返ると、いつの間にか黒崎家と神崎家のボディーガードが二列に並び、二人を囲むように立っていた。「さあ、柚香姉ちゃん」隼人はドアに手をかけ、終始にこやかなまま。「おじいちゃんが前で待ってるよ」次の瞬間、彼の表情がわずかに止まった。ドアが開かない。「すみません、その役目は取らないでいただけますか」タイミングよく慎吾が車から降り、自らドアを開けた。「お嬢様の専属ボディーガードは俺です。ドアを開けるのも仕事なので」隼人は手を離し、目尻を少し上げた。慎吾は手で車の上部を押さえ、まるで紳士のように丁寧に言う。「お嬢様、どうぞ」柚香「……」昔、遥真と一緒にいた頃も、こういうことがなかったわけじゃない。それでも、隼人と慎吾にこうして挟まれると、なんだか妙に落ち着かない。二人が車を降りている間、前では昭彦と和雄が待っていた。「柚香は今夜、俺と一緒に入る」和雄は小声で昭彦に言いながら、視線はまっすぐ柚香に向けている。「わかってるな」「わかってるって何をですか?」昭彦は淡々と返す。和雄は険しい顔で彼をにらんだ。どう見ても気に入っていない。「どう見てもあの子は俺の娘だ」昭彦は圧にひるまず、この件だけは一歩も引かない。和雄は容赦なく突く。「あの子は君を認めたのか?」「……」一瞬の沈黙のあと、昭彦も言い返す。「和雄さんのことも認めていないはずです」「少なくとも、俺が『おじいちゃん』だと言ったとき、否定はされなかった。安江も何も言わなかった」和雄は核心を突いた。昭彦は眉をひそめる。安江と柚香が自分に向ける距離を思い出した。「おじいちゃん、柚香姉ちゃんたち来たよ」隼人が二人を連れてきて、ついでに紹介する。「こっちは姉ちゃんの親友の真帆さん」「和雄さん、昭彦社長、こんばんは」真帆は礼儀正しく挨拶した。「そんなにかしこまらなくていい。ついこの前、君のお母さんと仕事の話をしたばかりなんだ」昭彦はやわらかい口調で言う。いつ
Read more

第456話

「大丈夫だよ、おじいちゃんはここで待ってるから」和雄は思わずそう口にした。「はい」柚香がそう返事をすると、昭彦はまるで逆のことを言った。「俺たちは先に入って中で待つ」柚香は軽くうなずく。「うん」和雄「??」すぐにでも叱ろうとしたが、昭彦が先に口を開いた。「彼女が一緒にいたくなさそうなの、わからなかったんですか?」和雄は意地を張る。「単に君と一緒にいたくないだけだ」「はいはい。じゃあ、ここでゆっくり待っててください」昭彦はそれ以上説得する気はなかった。どうせ印象を悪くしているのは自分じゃない。「このあと、彼女が和雄さんと一緒に入るかどうか見てればいいです」和雄は「待てばいいんだろう」と言い返したかった。けれど、さっき自分を見たときの柚香の反応を思い出すと、自信が持てない。結局、隼人だけを残して、自分は先に中へ入っていった。やっぱり若い者同士のほうが気楽に話せるだろう。同じ頃。柚香たちのほうでは。彼らが中へ入っていくのを見届けてから、真帆が口を開いた。「実のお父さんとおじいちゃん、けっこうあんたのこと大事にしてる感じじゃない?」「大事にしてるんじゃない」柚香の目が少しだけ暗くなる。「罪悪感だけ」あの人たちが自分に優しくするのは、過去のことに負い目があるからだ。母がその謝罪や好意を受け入れないことも、ちゃんとわかっている。だからこそ、標的を自分に変えて、自分を通して母との関係を少しでも和らげようとしているのだ。「罪悪感でも本気でも、向こうがあんたによくしようとしてる以上、避けるのは無理だよ」真帆はそこまで意固地ではなく、物事をもっと気楽に考えるタイプだった。「どうせいろんな人に注目されたり、あれこれ言われたりするなら、いっそ堂々と受け入れたほうがいい」柚香は少し考え込む。真帆はさらに言った。「神崎家の人たちって、あんたが受け入れないからって、安江おばさんやあんたに手を出さないような人たちじゃないでしょ」その一言で、柚香ははっとした。少し黙ってから、短く答える。「……わかった」「行こ、中に入ろう」真帆は彼女の腕を取って、そっと力を込める。「うん」二人は並んで宴会場へと向かった。少し離れたところで待っていた隼人が、二人に気づくとすぐに歩み寄り、気さくに話しかけて
Read more

第457話

柚香は細かいことはあえて聞かず、真帆と一緒に中へ入った。神崎家の長男が自分に何の用で呼んだのかは分からないが、どんなことでもきちんと対応するつもりだ。「柚香」真帆が声をかけ、周囲でこちらを見ている人たちにちらりと目をやる。「あの人たち、みんなあんたのこと気になってるんじゃない?」「さあ、どうだろう。たぶんそうかも」柚香は特に気にした様子もない。こういう状況は、遥真と結婚したばかりの頃にも経験している。あの頃は、あれほど地位も身分も高い遥真が、どうして落ちぶれた令嬢の自分と結婚したのか、しかもずっと手を離さずそばにいるのか、誰もが不思議がっていた。柚香自身も、同じように疑問に思ったことがある。そのとき遥真はこう答えた。――ただ、好きだから。「ここまででいいよ」隼人は言われた通り二人を送り届けると、長居するつもりはない様子で言った。「何かあったらいつでも連絡して。俺は先に行く」柚香は礼儀として軽く頭を下げる。「うん、ありがとう」隼人は付け加える。「おじいちゃんと昭彦おじさんは上にいる。もし一階が退屈だったら二階に行ってもいいよ。右手の二つ目の部屋」「分かった」柚香は一つひとつ頷いた。隼人はそれ以上は留まらず、そのまま自分の用事へ向かった。祖父からは、従姉のそばにずっと付き添うなと念を押されていた。しつこいと思われるのを気にしてのことだ。彼が去るや否や、会場にいた若い客たちの視線が一斉に柚香へと向けられた。数人ずつグラスを手に集まり、好奇心と値踏みの色を隠そうともしない。「誰か行ってみる?」茶色の長い髪を揺らす池田家の令嬢が口を開いた。「やめときなよ。彼女、黒崎家と神崎家の『お嬢様』だよ?誰が行くの」「ほんとそれ」「さっきの車降りるときの感じ、見た?神崎家の和雄様と昭彦社長でも、あそこまでの雰囲気はそうそうないよ」「まあね。でも神崎家の和雄様は、彼女をあまり歓迎してないみたいだけど」「それでも両家のお嬢様には違いないでしょ。昭彦社長と和雄様がどういう人か、分かってるよね?行きたいなら勝手にどうぞ。私は関わりたくない」「両家のお嬢様って言うには、まだ早いんじゃない?」池田家の令嬢が再び口を挟む。「今のところ歓迎してるのは神崎家の和雄様だけだし、黒崎家だって昭彦社長が態度を示してるだけでしょ」
Read more

第458話

「すみません、アルコールアレルギーで、お酒は飲めないんです」柚香はきっぱり断った。「それって、俺の前だけですか? それとも、誰に対してもそうなんですか?」杉原家の御曹司は穏やかに聞いた。柚香「?」こんなにはっきり断ってるのに、分からないの?「どうやら、俺にだけみたいですね」彼は彼女の表情を見てすべて察したように、グラスを差し出した。「柚香さんにとって唯一の『アレルゲン』になれたなんて光栄ですよ」柚香「?」真帆「?」二人とも、ちょっとおかしなその発言に一瞬ぽかんとした。「せっかくの縁だし、お酒がダメならジュース一杯くらいはいいでしょう」杉原綾人(すぎはら あやと)は新しいグラスを取り、彼女に差し出した。「知り合いになった記念に」柚香はしばらく迷った末、仕方なく受け取った。この人は杉原家の唯一の跡取り。四大名家には及ばないとはいえ、それなりの地位と影響力を持っている。よほどのことがない限り、敵に回すのは得策じゃない。将来、株を手にした後で仕事で関わる可能性だってある。「柚香さん、おいくつですか?」綾人は軽くグラスを合わせながら聞いた。「ご結婚は?」柚香「してます」綾人はまだ事の重大さに気づいていなかった。「どこの御曹司がそんな幸運を掴んだんでしょうね。こんなに若くてきれいで、しかも個性的な女性と結婚できるなんて」「久瀬遥真です」柚香はもう、彼の妙な言い回しを直す気にもならなかった。「ぶっ……ゴホッ、ゴホッ!」綾人はむせてしまった。信じられないという顔で彼女を見つめ、頭が真っ白になる。「き、君……今、誰って言いましたか?」「久瀬グループの久瀬遥真です」柚香は淡々と答えた。今夜が終われば、二人の関係も、完全に終わる。時間的にも、もう彼はすべてを知っているはず。もし連絡が来なければ、明日自分から病院へ行くしかない。「すみません!」綾人は、自分がまさか地雷を踏むとは思ってもいなかった。恋愛経験は豊富なのに、こんなミスをしたことはない。「久瀬社長の奥様だとは知らず、失礼しました」柚香はグラスを置いた。「もう行っていいですか?」綾人「もちろんです!どうぞ!」くそっ!あいつら、何も教えてくれなかったのかよ……柚香はそれ以上長居せず、真帆と一緒にその場を離れた。さっきの騒ぎも、特に気にし
Read more

第459話

「まだ経験が浅いだけで、思ったことをそのまま口にしちゃうだけよ。どうか気にしないで」真帆の母である木下美月(きのした みづき)が口を開いた。上場企業の社長だけあって、こういう場面でも柚香のようにストレートには言わない。「でも、あなたたちの言い方も正直、あまりよくないわ」「どこがよくないっていうんだ?」「言ってることは全部事実だろ」 「安江は当時、昭彦社長を利用して神崎家の株を手に入れたくせに、その一方で人の恋愛関係を壊していたのは、みんな知っていることでしょう」「それなら昭彦社長本人を呼んで聞いてみたら?」美月は穏やかな口調のまま、はっきりと圧をかける。それを聞いた瞬間、周りの顔色がわずかに変わった。安江と昭彦の関係を正確に知っている者は少ない。皆、あちこちで聞きかじった程度だ。彼が安江に本気だったのかどうかも分からない。もし本気なら、どうして突然関係を断ったのか。逆に本気でなかったなら、なぜ柚香にあれほど良くするのか。「何にせよ、安江が昭彦社長と松井家の婚約中にも関係を続けていたのは事実だ」「それは私、この目で見た」「しかも節度もなかった。結婚前に妊娠までして」「子どもを盾にして昭彦社長と結婚しようとしたんじゃない?でも相手にされなかったってわけだ」「まったくだ!」「どうやら皆さん、年だけ重ねて中身は育ってないみたいですね」普段は冷静な真帆が、珍しく感情を露わにした。仲間のために黙っていられなかったのだ。「昭彦社長が二股かけてたことは責めずに、どうして柚香のお母さんのせいにするんですか?」美月はちらりと彼女を見たが、止めなかった。友人のために声を上げることに、口出しすることはない。「美月社長、これがあなたの教育か?」人だかりの中から森本社長が前に出てきた。脂ぎった顔に不満がはっきり浮かんでいる。美月は一瞥し、淡々と一言だけ返した。「ええ」「いくらなんでも年上に向かってその態度はないだろう?」森本社長は鼻で笑い、ついでに柚香にも矛先を向ける。「それにこっちもだ。さすが安江の娘だな、品がないところは母親とそっくりだ」柚香はぎゅっと拳を握った。だが動くより先に、美月が口を開いた。その表情には珍しくはっきりとした強さがあった。「さっきの発言に対してなら、この子たちがあなたたちに水をかけたって、正
Read more

第460話

人から報告を聞かなければ、まさか自分の大事な娘がここでこんな扱いを受けているなんて、まったく知らなかった。「昭彦社長……?」「昭彦社長……」さっきまで威張っていた連中は、一瞬でしおらしくなった。昭彦は彼らを一瞥すると、そのまま柚香の前まで歩み寄り、隠しきれない心配を滲ませた目で言った。「お何を言われた?父さんがついてる」「……お父さん?」柚香の聞き返しは、あのときの安江とまったく同じだった。昭彦は珍しく言葉に詰まる。冷たい視線が、森本社長たちの上を順にかすめていく。ただでさえ妻と娘を取り戻すのは簡単じゃないのに、こうして次々と足を引っ張られる。「昭彦社長って、都合よく立ち回るのが上手ですよね。その『お父さん』なんて、私には呼べないし、認める気もありません」もともと柚香は彼にわだかまりがあった。そこに今の話を聞いて、ますます嫌悪感が強くなっていた。昭彦は美月に目を向けた。「どういうことだ?」美月は柚香をちらりと見てから、事情を話し始めた。「みんな言ってるの。安江さんがあなたと婚約者の仲を壊したとか、こっそり子どもを身ごもって地位を狙ったとか……あなたを利用して神崎家の株を奪おうとした、とか……」一つ言うたびに、昭彦の顔はどんどん険しくなっていく。まさか裏でここまで好き勝手に安江のことを言われていたとは、思いもしなかった。「私たちも噂から推測しただけで、でたらめを言ったわけじゃありません!」「そうそう」「どうかお許しを……」森本社長たちはさすがに世渡り上手で、昭彦が柚香をかばっていると見るや、すぐに言い方を変えた。昭彦の目が冷たく光る。圧のある声だった。「じゃあ、こちらも近いうちに、皆さんの税務の話でも外に流そうか。調査が入って何か出てきても、文句は言わないでほしいな」「昭彦社長、わざとじゃないんです!」「お嬢様にも謝りますから、どうかそれだけは……!」この場にいる人間で、調べられて困らない者などほとんどいない。もし本当に調査が入れば、ただでは済まない。昭彦は一瞥すらくれず、吐き捨てた。「消えろ」なおも食い下がろうとしたが、彼の一瞥に圧され、言葉を飲み込み、全員が肩を落として去っていった。「次からはこういうことがあったら、直接連絡しなさい。俺が処理する」感情を抑えた昭彦は、先
Read more
PREV
1
...
424344454647
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status