母が行方不明になったばかりの頃、父はイルゼの話をよく聞いてくれた。 「寂しい」と漏らせば、「きっと大丈夫さ」「父さんがいる」と優しく答えてくれたものだった。 しかし、数ヶ月も経てば対応は雑になった。 「いい加減にしろ、もう見つからない」と怒鳴るばかり。 そうして、イルゼは母のことを誰にも言えなくなった。 母は夏の夜空を閉じ込めたような青いペンダントをいつも着けていた。 角度によって不思議な光を放つ石で、その光に心奪われ──幼いイルゼはそれを見たいとよくせがんでいた。「これはね、私の母──あなたのおばあさまから貰ったのよ」 「いつかイルゼがお嫁に行く時に、あげるからね。だから大切にしてるのよ」 そう言って、優しく微笑んでいた記憶が鮮明だった。 ──だが、亡き人の記憶は時間とともに薄れていく。 最初に声が、次に表情が朧気になった。 心に〝諦め〟が芽生え、靄もゆっくり消えていった。それでもイルゼは川底の歌を歌い続けた。母を忘れぬために。 だが、そんなある夏の夜、自分を〝ローレライ〟と名乗る日は唐突に訪れた。 日中まで大雨だったせいでハンデル川は増水し、暗闇でも濁流の唸りがゴウゴウと響いていた。 そこに、やってきたのは痣だらけの黒髪の少年だった。 顔ははっきり覚えていないが、今ならわかる。色素の薄い瞳で、優しげな縁取りだったと。 子ども心に、彼が明らかな〝訳あり〟だと直感した。 夜半の崖の上に来るなど尋常じゃない。痣だらけの体に覇気の無い瞳──既にもう幽霊のようで。こんな場所に来なんて、間違いなく、ここから身を投げるつもりで来たのだろうと想像は容易かった。 そんな彼は、イルゼを見つけるなり、怯えきった顔で「誰? 何してるの?」と訊いた。 イルゼはそこで初めて「ローレライ」と名乗った。 「ねぇ。あなた、まさかここから飛び降りる気?」 思ったままを訊けば、彼はすぐに頷いた。 だからイルゼは当たり前のように引き留めた。目の前で死なれるのは嫌だった。そんな光景は見たくない。それに、ここで止めなければ絶対に後悔しそうだったから。 「酷い怪我。誰にやられたの?」 近づいて痣を指せば、「お父さん」と消え入りそうな声で彼
Last Updated : 2025-12-13 Read more