All Chapters of 美人上司に甘やかされる毎日が、残業よりつらい: Chapter 121 - Chapter 130

130 Chapters

第120話

身支度を整えた二人は、華やかな装いで出発した。標準的な付添人らしい出で立ちの颯斗に対し、練は落ち着いた格子柄のスーツを粋に着こなしている。あくまで新郎を引き立てるに留めながらも、その端麗な容姿は否応なく周囲の目を惹きつけた。翼の車で新婦の家へ向かう道中、初めての付添人に緊張する颯斗へ、翼がそれとなく忠告した。「今回は大役だ。少し骨を折ってもらうかもしれない」「骨を折る?」「新婦の実家が格式を重んじる家柄でね。親族の数も多い。披露宴でいきなりスピーチを頼まれたり、二次会の段取りを任されたりするかもしれない。特にお前のように人目を引くとなれば、親戚の叔母様方に囲まれて質問攻めに遭うこと請け合いだ。覚悟しておけよ」「任せろ。親友の盾になるのは当然だ」颯斗は胸を叩いた。だが、新婦の家に到着するやいなや、颯斗は眼前の光景に圧倒された。玄関先には新婦側の親族と思しき人々がずらりと並び、一行を出迎えたのである。新婦の真梨(まり)は、笑窪の愛らしい小柄な女性だった。聞けば、半年前に翼が帰郷した際の見合いで知り合ったのだという。交際半年での結婚とは、あまりの早さに訝しむのが普通だろう。だが、翼が彼女に向ける眼差しや、彼女を語る時の無垢な笑顔を見れば、それが心からの幸福の証であることは誰の目にも明らかだった。迎え入れの儀式は、想像を絶するものだった。まず、颯斗は新婦側の親族の輪に囲まれ、矢継ぎ早に質問を浴びせられた。「お仕事は?」「お付き合いしている方は?」「翼くんとはどういうご関係?」――さながら尋問である。挙句の果てには、突然スピーチまで頼まれる始末。颯斗は緊張のあまり、あろうことか新婦の名前を「真梨子さん」と呼び間違え、会場を爆笑の渦に巻き込んだ。そして最悪なことに、練はその一部始終をスマートフォンで撮影していた。ただ撮るだけではない。ご丁寧に編集まで施し、一本の爆笑動画に仕立て上げていたのだ。赤面し、しどろもどろにスピーチする颯斗の姿は、まさしく格好の晒し者だった。式場へ向かう車中、練はその「傑作」を颯斗に見せびらかした。もし題材が自分でなかったなら、颯斗もその編集技術を素直に称賛したかもしれない。だが、これは紛れもない自分の黒歴史である。「何してやがる!消せ、今すぐ消すんだ!」「駄目だ。これは俺の心血を注いだ作品なのだから」「何が
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第121話

夜の帳が下りるにつれ、披露宴の熱気はいよいよ最高潮に達しようとしていた。朝から一日中振り回され通しだった颯斗は、すでに泥のように疲れ果てていたが、それでも新郎である翼の隣で宴会場の入り口に立ち、絶え間なく訪れる客の応対に追われていた。水を一口飲む暇さえない。もっとも、主役である翼の心労に比べれば、自分の疲れなど取るに足りないものだ。親戚縁者から有象無象の招待客まで、誰に対しても淀みなく愛想を振りまき続ける翼の鉄面皮を眺めながら、颯斗は「結婚なんて、まともな人間のすることじゃないな」と内心で毒づいていた。そんな颯斗の心中を察したのか、翼が音もなく近づき、そっと紙コップを差し出してきた。「お疲れ。一口飲んで喉を潤せよ」受け取って一気に飲み干そうとした瞬間、翼が耳元でニヤリと不敵な笑みを浮かべて囁いた。「……お前の彼氏、随分とモテてるじゃないか。しっかり見ておかないと、誰かに奪われちまうぞ」「……彼氏?」颯斗が不可解そうに翼の視線を追うと、そこには練の姿があった。練の席はステージからほど近く、通路沿いの見晴らしのいい場所だった。同じテーブルには付添人たちの親族や友人が同席していたが、練が腰を下ろした途端、周囲の人間たちがこぞって彼に話しかけていた。特に彼が心理カウンセラーだと知ると、人々の興味は一気に跳ね上がったようだ。「相談したいことがあるんです」「息子に何か不吉なものが取り憑いている気がして……厄払いもできますか?」といった、専門外も甚だしい質問が次々と飛び出す。練はこうした誤解には慣れっこなのだろう。嫌な顔一つせず、謙虚で礼儀正しい態度を崩さない。それでいて、相手に踏み込ませすぎない絶妙な距離感を保ちながら、詰め寄る客たちをスマートにあしらっていた。見知らぬ土地で独りぼっちにさせてはいないかと心配していた颯斗だったが、どうやらそれは全くの杞憂だったようだ。「やるじゃないか。あんなハイスペックで、しかもお前の好みにど真ん中の相手を捕まえるなんてな。しっかり掴んで離すなよ」翼が景気よく颯斗の肩を叩く。「……言うのは簡単だけどさ」颯斗は遠くで微笑む練の姿を瞳に映し、溢れそうになった言葉を飲み込んだ。だが、翼はここぞとばかりに食いついてくる。「で、今はどこまで進んだんだ?手は繋いだのか?」颯斗が小さく頷く。「キスは?」再び頷く
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第122話

会場では熱烈な拍手が沸き起こり、指輪の交換と誓いのキスが厳かに執り行われていた。シャンパンの栓が威勢よく弾け、ケーキカットが終わると、いよいよブーケトスが始まった。新婦の真梨が放った純白のブーケは、綺麗な弧を描いて練たちのテーブルへと吸い込まれるように飛んできた。練が反応する間もなく、隣に座る哲が迷いのない動きで身を乗り出し、その花束をがっしりと掴み取った。会場中の視線が哲に集中する。「哲、何を……!?すぐに座れ!」「いいじゃないか、俺が受け取っても」哲はくるりと向き直ると、奪い取った花束を練に押し付けた。「……君にあげるよ」予想外の行動に会場は一瞬静まり返り、直後、怒涛のような笑い声と冷やかしが巻き起こった。練は耳が燃えるほど熱くなり、その場に居たたまれなくなる。そして、すぐに感じた。ステージの下にいる颯斗の、射殺さんばかりに殺気立った視線を。「……顔色が悪いね、どうしたんだい?」哲が練の耳元に顔を寄せ、愉悦に浸るように観察する。「俺に話しかけるな。不愉快だ、離れろ!」練が暗く沈んだ表情で吐き捨てると、哲は軽薄に肩をすくめた。「いいのかい?君の助手が、血相を変えてこっちに来るよ」見上げると、新郎の後ろに控えていたはずの颯斗が、翼と何やら言葉を交わした後、恐ろしい形相でこちらへ向かってくるのが見えた。「練……お前ら!」息を切らして駆け寄った颯斗は、練と哲を交互に激しく睨みつけた。「颯斗、こちらは……」練が紹介しようとした言葉を、颯斗が荒々しく遮った。「知ってるよ。大道寺哲、だろ」「初対面ではないが、改めて自己紹介させてもらおう」哲は洗練された仕草で紳士的に微笑んだ。「俺は大道寺哲。練の家庭教師をしていた。……そして、あの可愛いフラワーガールの父親だ」「フラワーガール?」颯斗が振り返ると、フラワーガールの衣装を着たカノンがすぐ後ろに立っていた。「……やぁ」と無表情に、冷ややかな挨拶を投げる。「カノン……!?」颯斗は悲鳴を上げそうになりながら、思わず飛び退いた。――あのカノンが、哲の娘だったとは。「そんなに緊張しないでくれ。俺たちは正当な招待客としてここに来たんだから」哲はそう言いながら、皿の上のエビの天婦羅をカノンの口へと運んだ。「美味しいかい?」「……まあまあね」その奇妙な親子の団欒を目の当たり
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第123話

秘密の話をするなら、人影のない広々とした屋上がうってつけだ。エレベーターで最上階まで上がると、そこはこのホテルで最も静かで、最も眺めの良い場所だった。C字型のインフィニティ・プールが空と水面を一つに繋ぎ、夜空の下、街の灯りが星屑のようにきらめいている。カノンはプールの縁にしゃがみ込み、水面にそっと手を触れた。鏡のような水面に、幾重もの波紋が広がっていく。水遊びをするカノンに、哲が「落ちないように気をつけろ」と声をかけると、カノンは「そんなにドジじゃない」と不服そうに顔を上げた。「信じられないな。こんな子供がSAだなんて」練は手すりの前に立ち、カノンを見つめながらそう溢した。「カノンは才能のある子なんだ」「どんなに才能があっても、こんな幼い頃から血の臭いに染まるべきじゃない」練は哲を真っ直ぐに見据え、硬い口調で続けた。「子供に人殺しをさせるなんて、あんたのやりそうなことだ」哲は肯定も否定もせず、ただ手すりに身を預けた。「この子が初めて手をかけた相手が誰か、知っているかい?」「人殺しは人殺しだ。相手が誰かなんて重要じゃない」哲が顔を向けた。「あの子が初めて手にかけたのは、自分のいた孤児院の院長だよ。数百人の子供たちを凌辱した、人間の皮を被った悪魔だ」練の顔色が変わり、言葉を失った。当時、孤児院の不祥事が発覚した直後、園長は謎の死を遂げた。警察の捜査と検死の結果は「突発性の心筋梗塞」。罪を恐れての自殺だと言う者もいれば、因果応報だと信じる者もいた。だが、哲だけは、その死に不審な点があることを見抜いたのだ。「どうしてカノンが犯人だと分かったんだ?」「監視カメラの記録を見たのさ。死ぬ直前の園長と接触するカノンの姿をね」哲は練を注視した。「レン、もし君がカノンだったら……自分を、そして仲間を守れる強大な力を持っていると気づいた時、どうする?」その瞬間、練の脳裏に無数の砕けた断片がフラッシュバックした。醜い嘲笑、荒い呼吸が鳴り響き、こめかみに電気を流されたような激痛が走る。練は頭を押さえ、下唇を白くなるほど噛み締めた。哲が心配そうに肩に手を伸ばそうとすると、練はその手を荒々しく振り払った。「近寄るな!」哲は両手を上げ、一歩下がった。「わかった、離れるよ」練は眩暈に耐えながら手すりに寄りかかり、荒い息をついた。哲は練が落ち着くまで静かに傍らに
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第124話

練は胸が詰まり、目頭を熱くしながら顔を背けた。「だが、嘘はいつか暴れられる。君は実験の真の目的に気づき、そして俺の前から完全に消えた」哲は掠れた声で続けた。「君の聡明さをもってすれば、あんなラボなど檻にはならない。それでも君が留まっていたのは、俺を信じ、期待してくれていたからだ。俺はその最後の期待を、自分の手で叩き壊してしまった。君は一言も残さず、潔いほど綺麗にいなくなったね」哲の独白を聞きながら、練は忌まわしい過去を追体験していた。今、自分がどんな感情を抱いているのか、自分でも説明がつかない。複雑な思いが渦を巻き、かつての喜びも悲しみも粉々に砕き、飲み込んでいく。二人は長い沈黙に陥った。哲がタバコを取り出し、火をつけた。振り向かなくても、その匂いだけで分かった。「ダンヒル・メントール」。哲の愛用している銘柄だ。彼がこれを吸う時は、必ず何か悩み事を抱えている時だった。哲がもう一本取り出し、練に差し出した。練は一瞬躊躇したが、やがてその手を受け取った。見慣れた仕草でライターを灯す哲に、練もまた習慣のように身を屈め、揺れる火をタバコの先に移した。深く吸い込み、一口ずつ煙を吐き出す。肺を巡る煙が、縺れた思考を少しずつ解きほぐしてくれるようだった。「ヘビースモーカーが二人も!子供の前で吸わないでよ!」カノンが背後で抗議の声を上げる。「こういう時だけ子供ぶるのか?」哲がカノンの頭を撫でる。カノンはあっかんべーをして走り去った。その無邪気な仕草が、重苦しい空気をわずかに和らげた。練は紫煙の中で目を細め、哲を見た。「カノンのことを、本当に愛しているんだね」哲が頷く。「おや、嫉妬かい?」練はその挑発に乗らず、さらに問いかけた。「本気で足を洗うつもりはないのかい?あの子のためだけでもいい」「足を洗う、か」哲は低く呟いた。「だが、この仕事以外に、俺に何ができる?」「あんたには金がある。商売でも何でもできるだろう。今日のウェディング会社だって、あんたの傘下なんだろう?だからこそカノンをフラワーガールとして堂々と潜り込ませられたんだ」「今だって『商売』をしているつもりだよ」「まともな商売をしろと言っているんだ。人殺しの片棒を担ぐような真似じゃなくね」「言うのは簡単だよ」哲は灰を落とした。「この世界に入った人間は、極道の人間と同じだ。一度沈め
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第125話

「何だって!?屋上に行っただと!?」颯斗は信じられないという顔で練を見つめ、そう口にした。「そうだよ。俺と哲、それにカノンとで、屋上で少し話をしただけだけど、何か問題でもあるの?」シャワーを浴び終えた練はバスローブを羽織り、顔にフェイスパックを貼ったまま、ホテルの客室のベッドで悠々とくつろいでいた。手にテレビのリモコンを持ち、颯斗に答えながら無頓着にチャンネルを切り替えている。「何か問題でもあるのって……」練のその何食わぬ顔を見て、颯斗は怒りがこみ上げてくるのを抑えきれなかった。今夜の披露宴が半ばに差し掛かった頃、颯斗は練の姿が見えないことに気がついた。いなくなったのが練だけならまだしも、厄介なことに哲とカノンまで姿を消していたのだ。練はどこへ行ったんだ?まさか何かあったのか?一瞬にして、次から次へと疑問が頭に浮かび、ぐちゃぐちゃに絡み合った。颯斗は披露宴など放り出して、今すぐ練を探しに行きたい衝動に駆られた。しかしアテンドという立場上、無責任に抜け出すわけにもいかず、披露宴の後半は心ここにあらずで、まるで魂が抜けたかのようになっていた。どうにか披露宴が終わるまで耐え抜いた時には、すでに夜の十時半を回っていた。颯斗が急いで客室に戻りドアを開けると、そこにはベッドに寝転んでテレビを見ている練の姿があった。「それがどれだけ危険なことか分かってんのか!?」「どこが危険なの?」颯斗の問い詰めに対しても、練はまったく緊張感を見せず、無表情のままため息をついた。「はあ、最近のテレビ番組はどんどんつまらなくなっていくな……」颯斗は二、三歩で駆け寄ると、練の手からリモコンをひったくり、ピッという音と共にテレビを消した。「屋上だぞ!しかもお前一人で、一対二でやり合うつもりだったのか!?」「だからこうして無事に帰ってきたじゃないか」練は怒ることもなく、ベッドの上で寝返りを打ち、そのまっすぐで長い脚を惜しげもなく颯斗に見せつけた。「ほら、腕一本、脚一本欠けてないでしょ」「そうだな、手足は欠けてない。欠けてるのはお前の心だ、この無神経野郎」練はこらえきれずに吹き出し、顔のフェイスパックまでシワになった。「こっちは真剣に話してんのに、笑うなよ!?」颯斗はぷんぷん怒りながらベッドの端に腰を下ろし、一人でふてくされた。練はフェイスパックを剥がしてベ
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第126話

「マスター?それって何だ」「その名の通り、トップクラスの能力を持つ万能型エージェントのことだ。SAに匹敵する戦闘能力と感知力を持ちながら、SPに引けを取らない分析力と判断力も備えている。パートナーなしの単独任務もこなせる、まさにソウルエージェントの絶対的エースだな」哲がSAではないと知り、颯斗は密かに安堵の息を漏らしたが、それと同時に、心の中にまた別の疑念が湧き上がってきた。披露宴の最中、颯斗は二人から少し離れていたものの、ずっと練と哲の一挙一動を注意深く観察していた。哲を前にした時の練の態度が、どうにも意味深長であることに彼は気づいていた。「お前とアイツ、本当にそれだけの関係なのか」「そうじゃなきゃ何だって言うんだ。それ以外にどんな関係があるって」「もし本当にそれだけの関係なら、お前の心界にアイツの居場所を残したりするのか」練はハッとして、言葉に詰まったような反応を見せた。その躊躇いを察した颯斗は、自分の質問が急所を突いたことを確信し、すかさず畳み掛けた。「この前、幻蛇がアイツに化けた時もそうだった。お前が取り乱して、隙だらけになっていたのを俺ははっきりと覚えているぞ」二人は至近距離で視線を交ませた。颯斗は練の瞳をじっと見据え、その奥底に渦巻く霧を払い、練の心の奥に隠された真実を見つけ出そうとした。結局、先に折れたのは練の方だった。彼は瞳を揺らし、颯斗の視線から逃れるようにプイと顔を背けた。まただ。こいつはまた逃げようとしている。颯斗はついに自分が練の心の壁を打ち破ったことを悟った。今の練は、まさに最も脆くなっている状態だ。ここで一気に攻め込まなければ、もう二度とこんな絶好のチャンスは巡ってこないかもしれない。そう思った瞬間、長年胸の内に溜まっていた焦燥感が、火山のように激しく噴き出した。颯斗は有無を言わせず顔を近づけ、その薄い唇に思い切り噛み付いた。「痛っ……」練は驚いて息を呑み、もがこうとしたが、すぐに颯斗に手首を強く掴まれた。今回ばかりは、絶対に練を逃さないと颯斗は固く決意していた。渾身の力で練を組み敷き、同時に彼のバスローブの帯を抜き取ると、素早く両手を縛り上げ、頭の上で固く結び目を作った。「お前、正気か!?」練は顔色をサッと変え、必死に抵抗し始めたが、両手を縛られているため、どうにも抵抗のしようがない。それと同時に
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第127話

荒い呼吸をしばし繰り返した後、練は涙に潤む瞳を上げ、恨みがましげな視線で颯斗を射貫いた。「その手口……一体、どこで覚えたんだよ」「話をそらすな」颯斗はまだ物足りないと言わぬばかりに、すでに萎えかけた熱を執拗に啜り上げた。練が苦痛に耐えかねて声を漏らすまでその行為を続け、ようやく唇を離すと、顔を上げて練を凝視した。「あいつも……こんなお前を見たことがあるのか?」練は濡れた睫毛を伏せ、深く長い溜息を吐き出した。「もう、ずっと昔のことだ。今更そんなことを追及して、何の意味があるんだ」「俺は、気に入らないんだよ」颯斗は嗄れた声で低く零した。「俺はお前の過去を何ひとつ知らない。この世界でお前と唯一無二の相棒だと思っていたのに。今になって、どこの馬の骨とも知れない『哲』なんて奴が現れて……。あいつはお前の師であるだけでなく、かつての相棒だったなんてな」颯斗は胸を詰まらせながらも、内に秘めていた鬱屈とした思いを一気に吐き出した。しかし、彼がそうして激情をぶちまけた後、今度は練が言葉を失う番だった。「颯斗、お前……」練は呆然と彼を見つめ、しばらくの沈黙の後、ようやく重い口を開いた。「もしかして、ヤキモチを焼いているのか?」颯斗は一瞬たじろぎ、気まずい沈黙の中で練と視線を交わしたまま、二秒ほど硬直した。「ああ、そうだよ。焼いてるよ!それが悪いかよ!?」もはや開き直りであった。真っ赤に上気した彼の顔を見て、練は一瞬呆気に取られたが、思わずふっと笑みをこぼした。「笑うな!まだ話は終わってないぞ。一番腹が立つのはそこじゃない。あいつの話になると、お前がまるで別人のようになることだ」「俺はただ、あいつに会いたくないだけなんだ」「会いたくないのか、それとも会うのが『怖い』のか?」練の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。「……どういう意味だ」颯斗は逃がさないと言わんばかりに彼をじっと見つめた。「自分が今もまだあいつを好きなんじゃないか、そう自覚するのを恐れている可能性はないか?」その言葉が投げかけられた瞬間、練の脳内で激しい衝撃音が鳴り響き、頭皮が痺れるような感覚に陥った。信じがたいことだった。颯斗は彼と哲の間に何があったのか、その詳細など何も知らないはずだ。それなのに、自身の直感とわずかな手がかりだけで、これほどまでの核心に辿り着いたというのか。練は乾
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第128話

翌日、再び目を覚ました時には、すでに外はすっかり明るくなっていた。颯斗が枕元のスマートフォンを探って確認すると、時刻は朝の八時を回っていた。隣では練が変わらず眠りについており、彼の手首を拘束していたベルトはすでに解かれていた。身支度を整えていると、颯斗のスマホに翼からメッセージが届いた。食事の誘いで、すでに彼と真梨が車でホテルの下まで来ているという。今日、颯斗と練は午後五時の飛行機で東雲市に帰る予定なので、時間はまだたっぷりある。練はまだ深い眠りの中にあり、当分は起きそうにない様子だったため、颯斗は着替えを済ませて部屋を出た。颯斗の姿を認めるや否や、目ざとい翼は彼のうなじにある薄い引っ掻き傷に気づいた。「おやおや、お前の彼氏さん、随分と激しいんだねえ」颯斗はうなじを片手で隠し、顔を真っ赤にして吐き捨てた。「黙れ!」翼は車を出し、地元で評判のレストランへと颯斗を案内した。本当は今日、颯斗と練の二人に食事を馳走するつもりだったのだ。昨日は結婚式の準備に追われ、個人的に語らう時間が持てなかったからだ。しかし、練が起きてこなかったため、予定していた四人での会食は、結局三人で行われることになった。食事の最中、颯斗は鞄から翼に返す約束だったホラーゲームを取り出した。その見慣れたパッケージを目にした瞬間、翼はどうりでずっと見つからないわけだと大声を上げた。颯斗が今もゲーム制作を続けているのかと尋ねると、翼は力強く頷いた。最近はアートデザインの下請けをこなしながら人脈を広げており、中には彼の作品に興味を示すパブリッシャーも現れ、現在は提携の交渉を進めている最中だという。うまくいけば、以前頓挫したプロジェクトが、本当に起死回生を果たす可能性もあるとのことだった。前途は依然として不透明だが、翼には彼を支える伴侶がいる。真梨は翼の起業を支持しているだけでなく、スタジオ設立の準備まで甲斐甲斐しく手伝っているのだという。親友が公私ともに充実している姿を見て、颯斗は喜ばしく思う反面、どこか羨ましさを感じずにはいられなかった。食事を摂る以上に、二人の甘い惚気話でお腹がいっぱいになってしまった。腹ごしらえを終えた後、夫婦は颯斗を乗せて市内をドライブしようと提案したが、颯斗は練のことが気掛かりだったため、十一時頃にはホテルに戻ることにした。ホテルの車寄せで別れ
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第129話

颯斗が火急の勢いで客室へと雪崩れ込んだ時、浴室からは飛沫をあげるような激しい水音が響いていた。練がシャワーを浴びている最中なのだろう。室内を見渡せば、ベッド脇の丸テーブルには案の定、食べかけの朝食が放置されていた。数口かじられたサンドイッチに、二つのコーヒーカップ。並べられたカトラリーも二人分。それは、誰かとここで朝のひとときを共にした、明らかな痕跡だった。綯い交ぜになった感情を抱えたまま、颯斗は重い腰つきでベッドの端に腰を下ろした。やがて水音が止み、下着の上にバスローブを無造作に羽織っただけの練が浴室から姿を現す。颯斗はゆっくりと顔を上げ、射抜くような視線で彼を凝視した。「……戻っていたのかい?」練は一瞬、面食らったような表情を浮かべた。「朝飯は、さぞかし美味かったんだろうな?」その言葉に、練の表情が硬く強張る。彼は肯定も否定もせず、ただ「ふむ」と短く鼻を鳴らした。そして何事もなかったかのように洗面台へと向かい、ドライヤーを使い始める。ごく自然な仕草を装ってはいるが、颯斗の目には、その一挙手一投足が何かを隠し、懸命に逃避しているようにしか映らなかった。颯斗は立ち上がり、音もなく背後から練に近づくと、その細い腰を力任せに抱きしめた。練は驚き、ドライヤーの手を止める。颯斗は大型犬さながらに、練の肩甲骨へと鼻先を押し付け、深く息を吸い込んだ。ボディーソープの清々しい香りと、嗅ぎ慣れた練自身の柔らかな体温の匂い。――よかった、他の男の臭いはしない。「……さっき、哲を見たぞ」嫉妬の混じった、低く苦々しい声が漏れる。「フロントの奴も言ってた。あいつがお前のためにルームサービスを頼んだってな」「相変わらず、無闇に焼きもちを焼くのが好きなんだね」練はため息をつき、自嘲気味に微笑んだ。そして颯斗の腕の中でくるりと向き直ると、至近距離でその瞳を覗き込む。「ああ、確かに哲と会っていたよ。だが、話していたのは仕事のことだ。D.I.A.について、彼に教えを乞うていたのさ」「D.I.A.?……あのシステムに、何か問題でもあるのか?」「前回の治療で、剣修と銀狐の間で交わされた『賭け』を覚えているかい?」「ああ、もちろんだ」あの時、銀狐は剣修への恋の呪いを解き、二人の記憶は一時的に練へと預けられた。もし十年後、それでもなお剣修が再び銀狐を愛したなら
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