残されたのは、乱れた空気と、ツンとした香水の残り香だけ。 砂利の上に立ち尽くし、遠ざかる親子の背中を見つめる。 息子の、あの光のない瞳。そして、スマートフォンの通知一つで、人が変わったように怯え切った母親の姿。 ただの子供同士の喧嘩ではない。もっと重く、湿った何かが、あの親子の間に横たわっている。 (……ひどい圧迫感) 肺の奥に、泥水が流れ込んでくるような錯覚。 陽向の肩を抱き寄せ、その温かい体温を確かめるように強く引き寄せる。 「帰ろう、陽向。お家でゆっくり、お洗濯しましょう」 「……うん」 小さな手が、私のワンピースの裾をぎゅっと握り返してきた。◇ 洗面所に、激しい水音が響いている。 蛇口から勢いよく吐き出されるぬるま湯が、洗面ボウルに張られた泡を白く盛り上げていた。 袖を肘まで捲り上げ、陽向のスモックを洗濯板に押し当てる。 固形石鹸を繊維の奥まで擦り込み、専用の硬いブラシで叩くようにして泥と絵の具を掻き出していく。 シュッ、シュッ、という規則的な摩擦音。 水が、どす黒い青色に濁っていく。 表面の泥はすぐに落ちた。しかし、繊維の奥深くまで染み込んだ絵の具のシミは、生地に頑固に居座り続けている。 「……ママ」 洗面所の入り口から、パジャマに着替えた陽向が不安そうに顔を覗かせていた。 両手で、あの泥だらけの画用紙の切れ端を抱きしめている。 「どうしたの? おやつ、テーブルに置いてあるわよ」 手を止めず、振り返らずに明るい声を作る。 「ママ……ごめん。さっき、うそついた」 陽向の声が、ついに水気を含んで震え出した。 手を止め、泡だらけの手をタオルで拭って振り返る。 陽向が抱きしめていた画用紙。そこに描かれていたのは、黒いクレヨンで力強く描かれた、背の高い男の人の姿だった。隣には、少し背の低い女の人と、小さな男の子が手を繋いでいる。 しかし、その「パパ」の顔の部分に、べっとりと黒い泥の足跡が重なり、輪郭を完全に潰していた。 「ぼく、ころんでないの。けんたくんが……えのぐ、えいってして。パパの絵、ふんだ」 陽向の頬を、大粒の涙が伝い落ちた。 「パパに、プレゼントするつもりだったのに……」 しゃくりあげる小さな体を、膝をついて強く抱きしめる。 石鹸の匂いと、子供の
Last Updated : 2026-04-15 Read more