これは私が神父になったばかりの頃のお話です。私がいる教会には告解室があります。懺悔室と言ったほうが伝わるでしょうか? ラムネが恋しくなる真夏のこと。誰かが告解室に入ってきました。「神父様、いらっしゃいますか?」 凛としつつも幼さの残る声に驚き、顔を上げると、ひとりの少女がいて驚きました。 我々神父からは相手の顔が見えますけど、相手からは我々の顔が見えない造りになっています。 これは私個人の考えなのですが、勇気を出して自らの罪を告白するお相手の顔を一方的に見るのは良くないと思い、うつむきながら聞くようにしています。結局、話を熱心に聞くあまり、相手の顔を見ることになるのですが。 少女はだいたい中学生くらいでしょうか? 喪服のように真っ黒で、飾り気のないワンピースを着ていました。 この年齢の者が来ることにも驚きましたが、彼女の表情に驚きました。 懺悔をしに来る者は、自らの罪に押しつぶされそうな、この世の終わりとでも言いたげな顔をする者が多いのです。人それぞれではありますが、鬱々とした顔をしているものです。 ですが、眼の前の少女はどうでしょう? 無。 これ以上ないほどの無表情。 よく、表情のない者のことを鉄仮面だとか冷たい印象だとか言いますが、そのようなものさえ、一切ありません。 冷たさも温かさもない、無。 そう、まるで無機物的な無表情だったのです。「神父様?」 少女に呼ばれ、我に返り、彼女に謝罪しました。「申し訳ありません、少し、ぼんやりしてしまって」「今日も暑いですからね。体調は大丈夫ですか? もし、良くないのなら出直しますが……」「いえ、大丈夫です。ご心配おかけして申し訳ありません」 少女の声音は慈愛に満ちていましたが、表情は相変わらず無機物的でした。「神父様、私の話を聞いて、私に非があるかどうか、判断してほしいのです。よろしいでしょうか?」「えぇ、もちろん、かまいませんよ」 少女の年齢にそぐわない表情や礼儀正しさに、居心地の悪さを感じながら、彼女の話を聞こうと座り直します。「私、R子と言います。中学3年生です。2ヶ月前、祖父が亡くなったんです」 少女は淡々と話し始めました。この時私は、祖父になにかひどいことを言ってしまったのだろうかと考えていました。「子供の私には、親戚とか、そういうの分かりません。2軒だけ、お盆
Terakhir Diperbarui : 2025-12-21 Baca selengkapnya