All Chapters of 入籍しないなら…兄嫁になります!~冷徹社長に溺愛される日々~: Chapter 341 - Chapter 350

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第341話

絵里が気に入ったものに加えて、海鮮まで用意されていた。「絵里が好きなら、俺が作る。で、一緒に食う」裕也の眼差しがやわらぐ。甘やかすような、やさしい目だった。絵里の胸が、どくんと鳴った。「これ……全部、あなたが作ったの?一人で?」「『手料理』って言っただろ。人に任せてどうすんだよ」裕也は椅子を引き、彼女の肩にそっと手を添えて座らせる。「ほら、『料理ができる男のほうが、カッコイイ』ってよく言うだろ?」唇の端を持ち上げて笑うと、彼は軽やかに踵を返した。「タレ出してくる。すぐ食えるよ」キッチンへ消えたかと思えば、ほどなくして何種類もの調味料を抱えて戻ってくる。テーブルの上に、順番に並べていく所作が手慣れていた。つけダレ皿を手に、裕也が目を上げる。「どれがいい?」絵里はその穏やかな眼差しを受け止めた。「……ラー油ベースのたれ、お願い」「了解」裕也は迷いなく、素早く調合して彼女の前に置いた。「はい、どうぞ」「ありがとう」絵里は顔を上げ、彼の横顔をじっと見る。裕也は伏し目ながらにタレを作っている。濃い眉の下、照明が作る影が彫りの深い顔立ちをいっそう際立たせた。普段は近寄りがたいほど格のある男なのに、こうして何度も、自分のために台所に立つ。胸の奥が、こじ開けられるみたいだった。熱が、身体の内側を一気に満たしていく。はっと我に返り、裕也の手にある真っ赤なつけダレを見て、絵里は眉をひそめた。「辛いの苦手でしょ。なんでわざわざそんなに辛そうなタレにしたの?」裕也は口元をゆるめ、どこか得意げに笑う。「大丈夫、秘密兵器があるから」そう言って立ち上がり、冷蔵庫へ向かった。戻ってきた彼の腕には牛乳とヨーグルト。準備の本気度が、ひと目でわかる。裕也は席に戻ると、お鍋から煮えた具材をすくい、ひとつひとつ選り分けて彼女の器へ入れていった。「一緒に飯を食うなら、お前と同じ味を味わいたい。別々の味じゃ、なんか物足りないだろ」絵里の喉がきゅっと詰まる。「……無理して合わせなくていいのに」辛いものが食べられない人が無理をしたら、きついよ。前に一度、裕也は汗だくになって、唇まで赤く腫れた。それでも、不思議なくらい、みっともなさなんて欠片もなかった。その裕也が、ふいに顔を
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第342話

絵里はティッシュを抜き取り、裕也の額の汗をそっと拭ってやった。そのおとなしやかな笑みが、やけに愛らしい。「次は、裕也の好きな食べ物に付き合うね」裕也は眉をひそめると、彼女の手の甲を軽く叩いた。「また忘れたのか。お前は、これに見合うんだ」絵里は笑いを堪えながら頷く。「はいはい、あなたの言うとおり」裕也は満足そうに口角を上げた。「まぁ……海鮮に辛味ってのは、案外いける。俺は好きだな」絵里は彼の凛とした横顔を見つめ、目尻をふわりと下げる。「確かに。食べられないほど、余計に食べたくなるよね」裕也はそのまま箸を進めた。ときおり、辛さに息を吸い込み、汗を拭いて、牛乳をあおる。その合間にも、彼は絵里の皿に料理を取り分け、グラスに牛乳を注いでくれた。そんな一つ一つが、絵里の脳裏に深く刻まれていく。油断した瞬間、勢いよく胸の奥へ雪崩れ込んでくるみたいに。そのとき、ふと気づいた。彼に想い人がいるかどうか。いるなら誰か。そんなこと、もうどうでもいいのかもしれない、と。絵里が知っているのはただ一つ。裕也は、自分の夫だ。優しくて、あたたかい。なら、彼の過去にしがみついて何になる?食事を終えると、絵里は今度は裕也にホラー映画をねだった。断られると思っていたのに、彼はあっさり言った。「そんなに観たいのか?なら観ろ。付き合う」絵里はきょとんとして、次の瞬間ぱっと花が咲いたように笑う。「やった!」リビングの大きな画面に、『ミッドナイト・ホラー』が流れ出す。絵里と裕也はソファで肩を寄せ合い、絵里は華奢な身体を丸めるようにして、彼の体温にぴたりとくっついていた。不意に、背筋を撫でるような不穏な音楽。絵里は思わず両手で顔を覆い、見ないと思ったのに、指の隙間からこっそり覗いてしまう。その情けないほどの小動物っぷりが可笑しくて、裕也は堪えきれずに息を漏らした。「そんなに怖いくせに、ホラーか?」絵里は彼に寄り添ったまま、むすっと眉を寄せる。「怖いのと、観たいのは別なの」前は、観たくても誰も付き合ってくれなかった。和也に頼んだときなんて、鼻で笑われた。「作り物だろ。何が面白いんだよ。お前、もう少し普通のもの好きになってくれない?」あれ以来、ホラー映画なんて口にしなくなった。
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第343話

「……絵里、今なんて言った?」裕也は喉仏を上下させ、昂る気持ちを抑えきれないまま、確かめるように問いかけた。聞き逃した自分を責めるように耳を澄ました――さっきのは聞き間違いじゃないよな。かすかに、自分の名を呼ぶ声がした。それに、「好き」とも。もう一回、聞きたい。けれど絵里は、彼の胸元に頬をすり寄せたきり、静かに深い眠りへ落ちてしまう。裕也は焦らない。片腕を枕に上体を少し起こし、彼女を抱きしめたまま、じっと待った。次の寝言を……翌朝。絵里はすっきりした顔で目を覚まし、頬には血色がよく見える。なのに、向かいの裕也は、仕立てのいいオーダースーツを完璧に着こなしているくせに、顔色がいまひとつ冴えない。目の下には、うっすらと青クマ。「ねぇ……昨夜、あまり眠れなかったの?」絵里は小さな声で尋ねた。「どうしてそんなに顔色悪いの?」生まれつき整った顔立ちと、滲み出る品の良さ。多少やつれていても、目を引くのが腹立たしいほどだ。裕也はまぶたを持ち上げ、どこか恨めしそうな視線をよこす。「お前が気持ちよさそうに寝てたから、俺の寝不足が目立つんだろ」「……そうなの?」絵里は首を傾げつつも、確かによく眠れた自覚はある。口元をふわりと上げた。「裕也のおかげよ。すごくよく眠れた」裕也の口元が、ぴくりと引きつった。妻の頭、やっぱりあまり回ってない。文句を言ってるのに、褒められたみたいに受け取るなんて。昨夜、ぽつりと漏らしたあの一言、肝心なところは聞き取れなかった。ちゃんと聞きたくて、一晩まるごと待ったというのに。朝食を終え、裕也が出かける支度をすると、絵里が玄関まで見送った。「気をつけてね」裕也は眉を上げ、指先で彼女の頬をつまむ。「今夜は遅くなるかもしれない。腹が減ったら先に食べろ。待つなよ」絵里は素直にうなずき、「うん」と返してから尋ねた。「新エネルギーの件なの?」「ああ、この二日、買収の話を詰めてる。海外のトップクラスの新エネルギー企業だ」海外の新エネ車ブランドは数が少ない。だが技術水準は、国内より先を走っているのが現実だ。絵里は目を見開く。「それって、アース・テクノロジーズ?」裕也は驚かなかった。口角を上げ、横目で彼女を見る。「新エネルギーにも興味
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第344話

健は、裕也の顔に浮かぶらしくもない喜びを見つめながら、うなずいて合わせた。「間違いないですね」裕也は口元をつり上げる。健は心の中で、こっそり毒づいた。これ、本当に自分の知ってる社長か?会社じゃ冷酷無比で「閻魔」なんて呼ばれてるくせに、奥様の前じゃ絵に描いたようなスパダリに成り下がってるじゃねえか。チン。エレベーターの扉が開く。外では秘書が待ち構えていて、顔色を悪くしたまま言った。「社長、星野郁江さんがお見えです。応接室でお待ちになっています」裕也の表情が、目に見えて沈む。「朝から何の用だ」秘書は答えられず、反射的に健へ視線を投げる。「放っておけ。会議を入れろ」裕也は長い脚でさっさと歩き、まっすぐ社長室へ向かった。健は意外でもなんでもなく、慌てて頭を下げる。「承知しました」……絵里はSNSを投稿し終えると、監視カメラのディスクを再生しはじめた。年数が経ちすぎていて、日付の区分はあるものの、大まかな範囲が記されているだけ。つまり、七枚にもなるディスクを、全部見なければならない。少しでも時間を削るため、絵里は手早くコードを組み、時刻を正確に拾えるようにして、システム側で時間指定の抽出ができるよう整えた。正直、効果はてきめんだった。無駄な手間が一気に減る。けれど。先の六枚は、全部空振り。「……ない。どれにも」胸の奥が、ひやりと沈む。絵里は眉を寄せ、最後の一枚を手に取った。ここにあるはずだと、そう願いながら読み込ませる。その瞬間、文紀から電話が入った。「絵里。奈央がさ、何年も会ってないから会いたいって。今夜、うちに来て飯でもどうかって言ってんだけど」文紀の声は妙に焦っていて、断ったら今からでも拉致しに来そうな勢いだ。絵里が返事をする前に、向こうのスマホが奪われた気配がした。「もしもし、絵里?本当に会いたかったのよ。文紀も何度も呼びたがってたんだけど、照れちゃってね。ねえ、今日はおばさんの顔を立てて、うちでご飯食べていかない?」叔母の酒井奈央(さかい なお)の声だった。絵里は少しだけ、申し訳なさが胸を刺した。「……わかった。夜、ぜひ」「まあ、よかった!約束ね」後悔されるのが怖いのか、奈央は言うが早いか通話を切る。弾んだ声が最後まで嬉しそ
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第345話

「裕也に色目を使ったのだって、結局は腹の虫が収まらないだけよ。裕也だって、水原家の顔を立てて『相手してやってる』だけ。あんなの、ただの役立たずじゃない。脚本が書けるからって、だから何?」雪枝は鬱憤を吐き散らし、露骨な嫌悪と怒りを顔に浮かべた。「聞いたわよ。和也は昨日、絵里のために烈を殴ったんですって。頭を割るほどよ。赤松家は藤原家ほどじゃないけど、手を出したのが和也じゃ、こっちが分が悪い。いつかあの子が和也とヨリを戻したら……そのときは、私がきっちり思い知らせてやるわ」その言葉を聞いて、寧々は胸の奥でほくそ笑んだ。藤原家を追い出されても、雪枝が味方でいてくれる。自分が不幸なら、絵里だって幸せになれるはずがない。絵里が十年前の秘密を知りたがるほど、なおさら教えてやるものかと、寧々はそう決めた。そのとき、個室の扉が外から押し開けられた。次いで、和也が入ってくる。「和也」寧々はぱっと顔を上げ、弾む声で呼んだ。しかし和也は顔を険しくし、冷たく言い放つ。「……なんでお前までいる」「私が呼んだのよ」雪枝が間に入った。「兄妹なんだから、誤解があるなら今日ここでちゃんと話しなさい。誰かのせいで、家の中までギスギスするのは困るの」和也は鼻で笑った。「話すことなんかない。母さんも、もう二度と俺を騙して呼び出さないでくれ」くるりと背を向け、迷いなく歩き出す。突き放すような背中。雪枝が青ざめて声を張り上げた。「待ちなさい!」だが和也は振り向きもせず、足早に立ち去った。寧々はかっとなり、手のひらを爪が食い込むほど握りしめ、勢いよく立ち上がる。「母さん、心配しないで。私が和也と話してくる」雪枝は深く息を吸い、表情を少しだけ整えた。「そうね。二人でちゃんと話しなさい。外には一枚岩でいけるように」寧々は追いかけ、屋外の駐車場で、車に乗り込もうとする和也の前へ回り込んだ。「どけ。お前と話すことはない」和也は無表情のまま、全身から冷たい気配を漂わせる。かつてのように寧々を甘やかす面影など、どこにもない。寧々は胸がぎゅっと痛んだ。歯を食いしばり、低く言う。「絵里に『十年前、誰が助けたのか』を知られてもいいなら、止めないわ」和也の手が、ドアノブの上で止まった。「……何を言って
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第346話

和也は画像をタップして拡大した。その瞬間、胸の奥を鋭い刃で抉られたように痛む。大事なものを、何か決定的に失ってしまった。そんな予感が恐怖になって押し寄せた。彼は寧々を乱暴に押しのけると、車へ飛び乗り、エンジンをかける。ブォン、と咆哮を上げた車は道路へ躍り出て、あっという間に視界から消えた。絵里……よくも、他の男と結婚なんて。寧々はさっき、ちらりとスクショの内容を見てしまった。まずい、と思った瞬間にはもう雪枝へ電話をかけている。「母さん、大変なの。絵里が結婚した」ちょうど家へ戻ったところだった雪枝は、耳を疑った。「誰と結婚したって?たった三ヶ月で、当て馬を見つけるなんて、計算高すぎるわ」「たぶん……裕也かも」寧々の胸はざわついた。絵里が和也とヨリを戻すのも嫌だ。でも、それ以上に、裕也と一緒になるのだけは、絶対に見たくない。裕也はG市でも指折りの男だ。絵里なんかが、どうしてそんな男を手に入れられる?せいぜい無能のまま、脚本でも書いていればいいのに。雪枝の心臓がひゅっと縮む。裕也が以前、似たようなSNSを上げていたのを思い出した。考えれば考えるほど背筋が冷えてくる。雪枝は早口で言いつけた。「調べて。今すぐ、徹底的に」絵里が結婚したという事実より、その相手が裕也かもしれないことの方が、よほど恐ろしい。和也は藤原家にいるだけで、すでに裕也に一歩ずつ追い詰められている。もし絵里と裕也の結婚が本当なら、終わりだ。そのとき、洋二が玄関から入ってきた。雪枝の顔を見るなり、朗らかに笑う。「明後日あたり、本邸に戻って飯でも食おう」雪枝はようやく我に返ったが、夫があまりに嬉しそうに笑うせいで、逆に顔色が悪くなる。「何がそんなに嬉しいの?」胸のざわめきが収まらないまま、雪枝はつい口にする。「お義父さん、何か良い知らせでも発表するの?」「父さんじゃない。裕也だよ」洋二は機嫌が良くてたまらない様子だった。息子が婚約の話を持ち出す日を、ずっと待っていたのだ。「裕也が嫁を連れてくる。ちゃんと準備しとけ」雪枝は思わず目を見開いた。こんなタイミングで?絵里の結婚を知った直後に、今度は裕也が結婚すると言い出すなんて。雪枝は喉を鳴らし、落ち着いたふりをして尋ねる。「えっ?誰と、結婚
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第347話

絵里はおとなしく、こくりとうなずいた。小さな声で、「……うん」と言った。奈央は、まるで別人みたいに素直になった彼女を見て、胸の奥がきゅっと酸っぱくなる。中へ入ると、奈央は絵里の手を引いてリビングのソファに座らせ、あれこれと気遣った。「お腹すいてない?もうすぐご飯よ。この数年、つらい思いばっかりだったでしょ……ごめんね、ちゃんと守ってあげられなかった……それに、SNS、あれどういうこと?和也とは別れたんじゃなかったの?なのに結婚って……」「……」矢継ぎ早の質問に、絵里はどれから答えればいいのか分からなくなる。そこへ執事が数人の使用人を連れて、紙袋を抱えたまま入ってきた。手には贈り物が山ほどある。文紀は険しい顔で言った。「来るだけでいいのに、なんでこんなに買ってくるんだ。次からはなしだぞ」そう言ってソファに腰を下ろすと、すぐ奈央に視線を投げる。何か聞き出せたかって聞くように。奈央は肩をすくめ、首を横に振った。絵里にも分かった。二人には、聞きたいことがある。文紀も奈央も、根は明るくて面倒見のいい人だ。けれど、和也と付き合っていたあの数年間。絵里はSNSに投稿するたび、親族のグループだけを選んで非公開にしていた。自分がどれほど我慢しているか、どれほど和也に傷つけられているか。身内に見られたくなかったのだ。「……確かに結婚したの」絵里は先に白状することにして、二人へ微笑みかけた。文紀と奈央は息をのむ。互いに顔を見合わせ、その表情は複雑に揺れた。呆れと、心配と、悲しさ。文紀はため息をつく。「……そうか。まあ、結婚したならしたでいい。お前、和也のこと好きだったしな……」奈央も口元をこわばらせながら言った。「そうよ、絵里。幸せなら、私たちは応援する。でも、あの子があなたを泣かせたら……その時は文紀に、きっちり痛い目を見せてもらうわね」温かさが胸にしみて、絵里は慌てて誤解を解いた。「和也じゃないの。裕也よ」「うん、裕也……」文紀は途中で言葉を止めた。信じられないものを見る目で、絵里を見つめる。「……今、誰だって?」奈央は完全に固まり、声も出ない。絵里は事情をかいつまんで説明し、最後に視線を落として申し訳なさそうに言った。「事前にお話しできなくて……私の配慮が
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第348話

寝室の外で、聞き慣れた着信音が唐突に鳴り響いた。続いて、裕也が扉を開けて入ってくる。しわひとつないスーツ。すらりと伸びた体躯。あの顔は、いつ見ても胸が高鳴るほどだ。「おかえり」絵里は小走りで迎えに出た。酒の匂いはしない。代わりに鼻先をかすめたのは、ほのかなレディース香水。どこかで嗅いだことがある気もする。「こんな時間まで起きて……俺を待ってたのか?」裕也は身をかがめ、彼女の紅い唇にちゅ、と軽く口づける。近づいた途端、香りは濃くなり、ますます覚えがあるのに、どこで嗅いだのか、思い出せない。「……浮気したの?」絵里が眉を寄せると、裕也は心外だと言わんばかりの顔をした。「わざと探りを入れてきたな?勘だけで浮気認定か」絵里は表情を冷やしたまま、言い切る。「しらばっくれないで。わかるの。女の香水の匂いがはっきりと残っているわ」裕也の瞳は一切揺れない。むしろ感心したように、ふっと目を細めた。「よく気づいたな。夜の付き合いで、確かに女が寄ってきた。だが受けてない。指一本、近づけてないから」絵里の視線が数秒、裕也の顔を探る。この人は、くだらない嘘をつかない。そう確信すると、彼女は思わず笑い出す。「別に責めてないわよ。付き合いで疲れたでしょ。早くお風呂入って休んで」裕也は少し微笑んだ。「いい子だな。絵里は、よく見てる」「大げさね」絵里は背中を押すように促した。裕也は頷き、ふと思い出したように声を柔らげる。「そうだ。明後日、本邸に戻って食事がある。ついでに……俺たちのことをきちんと話そう」絵里は驚かない。公にする場の前に、藤原家の人間と正式に顔を合わせるべきだ。問題はない。絵里は素直に答えた。「うん、わかった」裕也は穏やかな目をして、彼女の額にそっとキスを落とす。それから踵を返して、バスルームへ入っていった。扉が閉まった、その瞬間。さっきまでの温和さは、裕也の瞳から消えた。深い闇。鋭利な冷たさ。獲物を見据える目。……二日後。絵里は裕也と並んで、藤原家の本邸へ向かった。広いホールには、すでに藤原家の人間が揃っている。分家筋の叔父たちまで呼びつけられ、席は妙な熱気に包まれている。裕也が結婚した相手が、いったい誰なのか。誰もが、そ
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第349話

ざわっ――と、場内がどよめいた。「……あれって、絵里じゃない?」「う、うん。水原絵里だ」「じゃあ……裕也が結婚した相手って、絵里なのか!?」嘘でしょ。一気に騒然となり、ホール中にひそひそ声が広がっていく。賢治だけは顔を引き締めたまま、微動だにしない。雪枝は入口に並ぶ裕也と絵里を見て、みるみる血の気を失った。一方、絵里は周囲の反応を眺めても、驚いた様子すらない。「怖いか?」裕也が低い声で聞き、首をひねて彼女を見る。絵里は顔を向け、深く探るようなその眼差しを受け止めて、くすりと笑って首を振った。「全然~」怖いなら、最初から結婚なんて受け入れていない。あえて「隠して」入籍したのは、正式に和也との婚約を清算するため。そして、和也と寧々の、兄妹という名に隠した歪な距離を、皆の目の前に突きつけるためだ。自分は何も間違っていない。なら、何を恐れる必要があるの?裕也は薄い唇を満足げに吊り上げ、低く、力強く言った。「安心しろ。俺に任せておけ」「うん」絵里はきっぱりとうなずく。裕也を信じている。無数の視線を浴びながら、絵里はそっと裕也の腕に自分の腕を絡めた。胸を張り、一歩、また一歩。堂々と人だかりの中心へ歩み出る。興奮した誰かが堪えきれずに叫んだ。「裕也、まさか……絵里と結婚したって言うんじゃないだろうな!?」「いや、絵里なわけないよね?」「裕也、早く言って……!」雪枝はようやく声を取り戻し、震えを押し殺すように言った。「きっと何かの誤解よ。みんな落ち着いて。裕也が説明してくれるわ」だが、その鋭い視線は絵里へと突き刺さる。刃のような、露骨な威嚇。「絵里。まさか、あなたが裕也と結婚した、なんてことないわよね?こんなに人がいるのよ。変な誤解を招く真似はやめなさい」言い捨てるように続ける。「それにあなた、元々は和也の『婚約者』だった身でしょう?」「お義母さん」絵里は微笑んだ。澄んだ瞳のまま、ぶれない声で。「私と和也は、もうとっくに婚約を解消しています。今さら何の関係もありません」少しだけ間を置き、言い切る。「それに、そもそもあのときはただの婚約でした。肩書きが付いていただけで、私と彼は恋人らしいことを何一つもしていませんでしたもの」今
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第350話

だが、絵里が口を開くより早く、裕也は冷えた声で嗤った。「お前の女?入籍の日に血のつながらない妹のために、絵里との約束をすっぽかさしたのは誰?バカなのか……それとも脳みそが入ってないのか」和也は後ろめたさに喉を詰まらせ、言葉を失った。雪枝が焦ったように声を張る。「だとしても、二人が付き合ってたのは事実でしょう?それなのに、よくそんな真似ができるわね。外に漏れたら、藤原家の顔が立たないじゃない!」絵里は今日の場が、すんなり収まるはずがないと察していた。「もう正式に婚約解消しただろう。俺は堂々と絵里と結婚した。それのどこが問題だ?」裕也の気配はひやりと刺さる。刃のような視線が一人ひとりを薙いだ。「まだ何か言うやつ、いるか?」藤原家の傍系は、みな藤原グループに食わせてもらっている。その藤原グループを握るのが裕也だ。この数年、G市の首位を揺るがせなかったのも彼の手腕。稼がせてもらっている以上、逆らえるはずがない。「婚約解消してるなら、確かに問題はないな」「そうそう。和也、お前だって前に寧々と変な噂を立てられただろ。あのときメディアが載せなかったのは幸いだった。載せたら藤原家が本当に恥をかくからだ」一気に同調の声が広がる。雪枝は、手のひら返しの顔ぶれに歯噛みした。ふと何かに思い至り、洋二を睨み据える。「……あなた、最初から知ってたの?」和也も青ざめた顔で洋二を見る。「父さん、本当なのか?」二人の詰め寄り方は、まるで自分たちだけが理不尽な目に遭ったと言わんばかりだ。賢治は黙って座ったままだったが、次の瞬間――ドンッ!杖を床に強く打ちつけ、怒気を孕んだ声を落とした。「裕也と絵里が結婚する。それのどこが悪い」「爺さん……」和也は言葉が継げない。そもそも発端は、自分の落ち度だった。入籍の日に寧々を優先しなければ、今日など来なかった。だが雪枝は引かなかった。「お義父さん、絵里は元々和也の恋人で、婚約者だったのよ?それが今度は裕也と結婚だなんて、筋が通らないじゃない!どうしてそんなことに賛成できるんですか!」「雪枝!」洋二が冷えた顔で一喝する。しかし雪枝は怒りに任せて食い下がった。「事実でしょう!こんなの、和也が可哀想よ!お義父さんも洋二も、裕也が優秀なの
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