All Chapters of 初恋と付き合ったら、車椅子の元夫が立ち上がった: Chapter 31 - Chapter 40

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第31話

美羽は、海斗の姿をじっと見つめていた。その目には、何とも言えない感情が宿っている。この子は、あまりに中野家の顔立ちだ。「ええ、海外で産んだんです」凪は海斗の背中をそっと押して美羽の前へと促した。「海斗、美羽おばさんにご挨拶しなさい」「美羽おばさん、こんにちは」「まあ、かわいいですね」美羽は海斗の頭をなでた。「海斗くんのお父さんはどなたですか?もしかして、私の知っている方でしょうか」黙って成り行きを見ていた綾は、その言葉に顔を上げて凪の方を見た。凪は息子に視線を落として言った。「この子もいつかは父親の籍に入りますから。その時になれば、美羽さんにも自然とわかりますよ」「そうですか。その時は、お祝いさせていただきますね」もちろん、これは美羽の社交辞令に過ぎなかった。二宮家の令嬢である凪が、未婚で子を産み、家を追い出された。深く考えなくても事情は察せられた。しかも子供の顔は中野家の人間によく似ている。父親は湊しかあり得ない。時系列で考えると、婚約解消の前にはもう妊娠していたのだろう。当時の凪はまだ湊の婚約者だ。彼の子供を身ごもっても、おかしいことではなかった。美羽は思わず綾に同情した。凪は不倫相手というわけでもなく、今のところ二人の家庭をかき乱すそぶりもない。むしろ、堂々としているくらいだ。これでは綾がいくら腹を立てようと、悔しい思いを飲み込むしかない。もっとも、上流階級の家では、愛人に子供を産ませること自体、珍しい話ではなかったが。表沙汰になりさえしなければ、何事もなく丸く収まるのだ。美羽はさらに少し世間話をすると、長居はせずに席を立った。綾がエレベーターホールまで見送ると、美羽は綾の手をそっと握った。「綾ちゃん。湊が元気なら、他のことは大したことじゃないわ」綾は戸惑って聞き返した。「美羽さん、何のことですか?」美羽は声を潜めて言った。「おバカさんね、子供のことよ。私たち女は、少しくらい目をつぶらないとやっていけないのよ」「美羽さん、何か誤解されているみたいです」綾は離婚を望んではいたが、愚かではなかった。美羽がこうしてカマをかけてくるのは、海斗が湊の子供だと確信したいからに違いない。もし自分がそれを認めれば、湊のだらしなさを裏付けてしまうことになる。夫婦は一心同体
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第32話

美羽は、高級車に座り、物思いに耽っていた。「奥様、旦那様より、折り返しお電話をいただきたい、とのことです」運転手が丁重に声をかけた。美羽はバッグからスマホを取り出し、誠に電話をかけた。「湊は仮病じゃないわ。顔に血の気もないし、話す声にも力がなかった。看護師さんにも聞いたの。湊は集中治療室にも入ったって。もう少しで死ぬところだったそうよ」電話の向こうの男は、ただ一言、「ご苦労」とだけ言った。そのよそよそしい態度は、まるで取引先のようで、夫とは思えなかった。「湊には隠し子がいるわ。二宮さんが産んだ、海斗くんっていう男の子よ」電話の向こうは少し黙ってから、「証拠はあるのか?」と尋ねた。「間違いないわ。あの子の顔、どう見ても中野家の人間よ」薄い唇に、すっと通った鼻筋、そしてどこか冷たい雰囲気が漂っていた。それは誠と湊、兄弟ふたりに共通する特徴だった。「湊をグループから追い出したいなら、その子を利用すればいいわ」「その必要はない」誠は即座に否定した。そして、こう付け加えた。「湊は体が弱い。それだけで十分だ」美羽は驚きを隠し、唇の端を吊り上げた。てっきり誠に良心が芽生えて、子供を利用するなんて卑怯なことはしないと思った。でも、そうじゃなくて、ただその必要がなかっただけなのね。「じゃあ、切るわね」返事を待たずにスマホを見ると、誠はとっくに電話を切っていた。美羽はスマホを座席に投げ捨て、バッグから百合の花をつかみ出した。そして、花びらを数枚、乱暴に引きちぎって口の中に押し込んだ。運転手はゴミ箱のある路肩に車を停め、静かに待っていた。美羽は最後の花びらを噛み砕いて飲み込むと、ドアを開けてゴミ箱のそばへ駆け寄り、吐き始めた。涙が出るほど吐き続け、足元がおぼつかなくなったところで、ようやくふらふらと車に戻った。運転手が薬の瓶を差し出した。「奥様、お薬をどうぞ」美羽は無表情に薬を取り出した。その味は、百合の花びらよりも、もっと苦かった。誠は運転手からのメッセージを受け取ったが、特に表情を変えることもなく、秘書に指示を出し続けた。「明朝、取締役会を開くと通達しておけ」――翌日、湊は早くから家を出た。彼が出かけると、入れ替わるように綾も会社へと向かった。まるで不倫でもして
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第33話

「必要でしたら、引き続き調査しますよ」裕也はそのまま黒幕まで突き止めることもできるが、それは綾のプライベートに踏み込むことになる。だから、それ以上の調査はやめておいたのだ。綾は少し考えてから言った。「では太田さん、お願いします。それから、見つかった証拠を私にも送ってもらえますか?」「ええ、わかり次第、メールでお送りします」裕也の仕事は早かった。終業時間前には、綾のもとへ証拠のファイルが届いた。綾はざっと目を通して、それを印刷した。帰宅して1時間ほど経った頃、湊が帰ってきた。彼はとても機嫌がよさそうだった。きっと、会社の仕事がうまくいったのだろう。その頃、凪は海斗を連れて、サンルームを改装したアトリエで絵を描いていたが、湊の帰宅に気づいてリビングにやってきた。「海斗くん、ケーキを買ってきたよ。山下さんと一緒に食べなさい」海斗はぺろりと唇を舐めると、嬉しそうに幸子の後をついていった。海斗がいなくなったのを見計らって、綾は証拠の紙を凪の顔に叩きつけた。「綾!」「綾!」湊と凪の叫び声が、同時に響いた。片方は非難するように、もう片方は怒りに震えていた。「凪、私と杉本おじさんの写真、あなたが人に撮らせたんでしょ?」もし凪が傷つけたのが自分だけだったら、ここまで怒ることはなかった。綾は誰かに迷惑をかけるのが一番嫌いだった。特に今回は、自分のせいで恩人である樹まで巻き込んでしまったからだ。凪は顔を青くして、大声で言い返した。「何をバカなこと言ってるの?」綾は負けずに言った。「証拠なら、あなたの足元に落ちてるわ」撮影者によると、依頼してきたのはマスクとサングラスをかけた女性で、綾を尾行して不利になるような写真を撮るよう指示されたという。裕也が手を回して防犯カメラを調べたところ、その女性は二宮家がある高級住宅街で姿を消していた。凪は床に散らばった紙を拾い上げ、さっと目を通した。その瞳に、一瞬だけ動揺の色が浮かんだ。湊は凪を冷たく一瞥し、その証拠をひったくるように受け取った。凪は目を赤くし、不満そうに言った。「湊、違うの、本当に私じゃないわ。そんなことしても、私には何の得もないもの。それに、両親はもう私を見捨てたのよ。こんなことに協力してくれるはずがないわ」湊は手の中のA4用紙に目
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第34話

綾は潤んだ瞳を大きく見開き、複雑な気持ちで湊を見つめた。「変な噂を流されたのは私よ。嫌な思いをしたのも私。なのに、どうして私が悪いことになるの?」「もうその話は終わりだ」なんて、公平ぶっているけど、どっちを庇っているかなんて一目瞭然だった。湊は穏やかな口調で言った。「俺は凪を信じている。凪がそんなことをするはずがない」綾はきょとんとした後、ふっと笑った。それは自分を嘲る笑いであり、湊への皮肉を含んだ笑いでもあった。湊は凪が自分を傷つけるはずがないと信じるくせに、自分が樹と何もないことは信じてくれない。綾は両手を強く握りしめた。爪が手のひらに食い込むほどに。目の前にいる男が、まるで知らない人のように見えた。いつも自分の味方でいてくれた湊は、もういない。凪親子が帰ってきた日に、死んでしまったのだ。綾は湊をじっと見つめ、そして背を向けてエレベーターに乗り込んだ。綾の笑みは凍えるほど冷たくて、湊は思わず動揺した。「綾、落ち着け」綾は聞く耳を持たず、エレベーターに乗り込んで、リビングを後にした。凪は海斗を抱き上げた。「湊、やっぱり私たちは出ていくわ。綾を怒らせたくないもの」湊は眉間をもんだ。「もう少し待ってくれ。南区の別荘を準備させるから、そしたら二人に移ってもらうよ」「ええ」凪の体がこわばり、口元が引きつった。物分かりのいい女を演じたかっただけだ。まさか本当に出ていくことになるなんて、ましてや湊があっさり了承するなんて、思ってもみなかった。幸子がキッチンから出てきた。「旦那様、夕食の準備ができました」さっきの口論をだいたい聞いていて、幸子はとても心配していた。綾は和子に育てられたご恩を感じている。湊との十数年の絆も大切にしている。だからこそ、ずっと我慢してきたのだ。あんなに穏やかな方が、追い詰められた末に、ついに怒りをあらわにしたのだ。それなのに湊は何も分かっていない。綾がただわがままを言っているだけだと思っている。「食事にしよう」「奥様を呼んでまいります」「いや、いい。井上に、綾が子供の頃から好きな、あの店の冷麺を買ってきてもらってくれ」綾は子供の頃から炭水化物が大好きだった。中野家に来たばかりの頃、和子は綾を甘やかして、好きなだけ食べさせていた。ここに来て2年
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第35話

「ロボット工学にも興味があったのか?」綾は湊を無視し、パソコンの画面に映る設計図に集中していた。開発しようとしているのは、スマートブーツのようなもの。足が不自由な人でも、それを履けば健常者のように自由に歩けるようになるのだ。大学時代から、綾は生体工学に興味があった。湊が歩けなくなってからは、彼をもう一度立たせることが、綾の使命のようになっていた。今ではその思いはさらに強くなっている。湊が健常者と同じように暮らせるようになれば、自分は何か大きな役目を果たせるような気がしていた。もちろん、湊は綾の計画も、研究内容も知らない。もし話してしまえば、湊に「足手まといだ」と思われていると勘違いされるかもしれない。綾はそれが怖かった。「ちょうど中野グループでも関連事業の準備を進めているところだ。うちで働くといい。お前専用の研究所を用意してやる」湊は買ってきた冷麺の容器を開け、綾の前に置いた。「だが、今はまず飯だ」「ありがとう」綾は冷麺の容器を手に取ると、部屋を出て行こうとした。お腹を空かせたままにするつもりはなかったので、後で何か食べに行こうとは思っていた。湊がわざわざ持ってきてくれたのだから、その手間は省けた。湊は綾を呼び止めた。「ここで食べればいい」綾は足を止め、自分の耳を疑った。中野家には、家での食事はダイニングでしかしてはいけないという決まりがあった。綾も湊も、和子にそう教えられ、ずっとそれを守ってきた。食事はダイニングで、お茶は茶室で。「いい」綾が冷麺を受け取ったのは、それが好物だったのと、お腹を空かせたくなかったから。こんな小さな親切に心を動かされたわけではない。湊が冷麺を届け、書斎で食べることを許したところで、たいしたことではない。ましてやこの冷麺は、きっと剛に買いに行かせたものだろう。こんなことで、何もなかったみたいにヘラヘラするなんて、自分にはできない。もう、8歳のみなしごだったあの頃とは違う。飴玉一つ、人形一つで宝物をもらったかのように喜び、湊の後ろを金魚のフンのようについて回って、媚びを売って、捨てられるのを恐れていた、あの頃の自分ではない。今はもう、自分の方が湊をいらない。こんな家は、もう家とは呼べない。綾がダイニングに行くと、凪が海斗にご飯を食べさせて
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第36話

「あら海斗、さっき録音ボタンを押しちゃったの?」凪はスマホをひったくると、不安そうに湊を見た。「湊、今すぐ消すわね。さっき海斗が食事中にスマホをいじっていたみたいで、まさか綾の声が録音されちゃうなんて」湊は何も言わなかった。表情は硬く、その瞳はまるで氷の湖のように、暗く冷えきっていた。彼は腕に抱いていた海斗を下ろすと、冷淡な口調で「出ていけ」と言った。海斗はその威圧感に、口をへの字に曲げたが、声を上げて泣くことはできなかった。凪は一瞬だけ得意げな表情を浮かべると、海斗の手を引いて書斎を後にした。湊の頭の中では、綾の言葉が何度も繰り返されていた。綾は、自分を必要としていないのだと。胸をぎゅっと締めつけられるように、ひどく痛んだ。それから数日、綾は家の雰囲気がおかしいことに気づいていた。でも、何が原因なのかは分からなかった。湊は、もう行き先を尋ねてこなくなった。まるで自分の存在などないかのように、わざと無視しているようだった。丸1日、湊と顔を合わせない日もあった。湊の突然の冷たい態度に、綾はなかなか慣れず、ふと寂しくなることもあった。しかし、綾は毎日プロジェクトの進行に追われるか、研究所でデータの調整をするかで、目が回るほど忙しかった。心にぽっかり穴が開いたような寂しさはあるけれど、湊の冷たい態度は、綾にとって悪いことばかりではなかった。仕事に全てのエネルギーを注ぐことができるし、湊のいない生活に、前もって慣れることもできるからだ。――今日は久しぶりの休日だった。でも数日後は和子の命日なので、その日の段取りを相談するため、美羽に会いに行かなければならなかった。例年、準備は美羽と綾が担当していた。誠は和子との関係が薄く、この行事には無関心だった。湊は仕事が忙しく、綾にちゃんと手配するように言うだけだ。誠の家へ車で向かう途中、綾はラジオから流れる中野グループのニュースを耳にした。中野グループの経営陣に大きな人事異動があった。湊が、数名の役員の職務怠慢と収賄の証拠を突きつけ、彼らを警察に突き出したのだ。そのニュースでは、会長である誠のコメントも紹介されていた。誠は、湊が事故に遭ってからやり方が過激すぎるところはあるものの、グループの経営には非常に責任感を持っていると述べた。そして、それ以上のコ
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第37話

「転んじゃって。でも、たいしたことないわ」美羽は微笑んだけど、顔の傷に響いて眉をひそめた。綾がそばに寄ってよく見ると、青あざだけじゃなく、腫れあがっていた。「気をつけてくださいね。美羽さんは美人なんだから、お顔に傷が残ったらもったいないですよ」美羽が誠と結婚した時、綾はまだ大学生だった。その頃、美羽は、女の子が好きそうなバッグやアクセサリーをよくプレゼントしてくれて、海外旅行にも連れて行ってくれた。だから綾は美羽のことが好きだった。でも、いろんなことがあって、二人はいつの間にか疎遠になってしまった。その言葉を聞いて、美羽の胸はさらに締め付けられた。あの日、美羽が誠に「湊の病気が重い」と伝えた。すると誠は次の日にすぐ役員会を開き、湊は体調が悪くてずっと会社に来ていない、という理由で新しい社長を選ぼうと提案したのだ。そしていざ挙手で採決という時だった。賛成派が手を挙げた、まさにその瞬間に湊が突然現れたのだ。しかも、とても健康そうで、元気いっぱいな様子だった。誠は自分がはめられたことに気づき、家に帰るとその怒りを美羽にぶつけた。美羽は頬に手を当てると、和子の命日の儀式の話に話題を切り替えた。「例年通りにしよう」綾は頷いた。「わかりました。じゃあ、親戚の方々には私から連絡しますね」二つの家族の他にも、毎年必ず参加する親戚が数人いる。もし他人の目を気にしなくていいなら、中野家の兄弟は命日に一緒にご飯を食べることすらなかっただろう。綾と美羽はさらに細かい部分を話し合い、そうして準備を進めることになった。綾が来るのは久しぶりだった。だから美羽は彼女を夕食に誘い、その夜のパーティーにも一緒に行こうと持ちかけた。綾は喜んでその誘いを受けた。湊と誠は二人とも人付き合いが得意じゃない。だから、こういうパーティーはできる限り避けていた。それに対して美羽は、独身の頃から賑やかな場所が好きだった。だから誠が行きたがらない時は、美羽は綾を誘って出かけていた。周りの人に聞かれると、綾のことを自分の妹だと紹介していた。そういえば、綾は結婚してから美羽と一緒に出かけたことがなかった。湊がそういう場を好まなかったのもあるし、綾自身も家にいて彼の面倒を見たかったのだ。綾と美羽は昼寝をしてから、化粧をしてドレ
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第38話

健吾は綾にちらりと視線を向けたが、すぐに颯太と話し始めた。綾の隣にいた女性二人は、健吾に釘付けになって、興奮した様子でひそひそ話していた。「うわ!あの人だれ?イケメンすぎでしょ、スターみたい。ハーフなのかな?」「青菊グループの創業者で、I国とのハーフよ。うちの父、ずっとあの人と仕事したがってたんだけど、いっそのことお婿さんにしちゃえばって言ったの」「それで?」「まだ寝ぼけてるなら、ベッドに戻って寝てろって言われちゃった」そう言うと、二人の女性はケラケラと笑った。その楽しそうな雰囲気に、綾もつられて口元をほころばせた。健吾がまだ凛のことを知らなかった頃から、綾は一方的に彼のことを知っていた。健吾は高校時代、学校のスターで、イケメンで成績優秀、おまけにバスケ部のキャプテンも務めていた。健吾が在学中、バスケ部は対外試合で負けたことがなかった。まるで太陽のような人で、その存在感を隠すことなど、最初から無理だった。当時、綾も他の普通の女子高生と同じように、健吾に関する噂話に夢中だった。あの頃の綾は、まさか自分が健吾と関わることになるとは、夢にも思っていなかった。その後、友達になり、恋人になり、そして今のようになった。昔を思い出すと、まるで壮大な夢を見ていたかのようだ。綾はワイングラスを手に取り、軽く一口飲んだ。お酒はたぶん弱い方じゃない。でも、飲み過ぎはだめだ。酔っ払うと、もう一人の自分に体を乗っ取られちゃうから……颯太は大事な客への挨拶を終えると、綾の隣に腰を下ろした。「うちの母、何を考えてるんでしょうか。まさか青木社長を呼ぶなんて……彼がいたら、どの女性が俺に注目するっていうんでしょうね?女性どころか、男の俺だってつい何度も見ちまいますよ。青木社長の顔は美術館に飾られてもいいくらい、もはや芸術品でしょう。母のあの満面の笑みを見てください。たぶん俺の相手を探すって口実で、青木社長と近づくチャンスを狙ってるんでしょう」……颯太の止まらない愚痴に、綾は思わず声を出して笑ってしまった。こんなふうに心から笑うのは久しぶりで、体中の力がすーっと抜けていくのを感じた。「おっと、また珍しいお客さんが来たみたいです。今夜は本当に賑やかですね。ちょっと出迎えてきます」颯太は立ち上がってスー
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第39話

もちろん、ただ事じゃない。男がいくら愛人を持っていたとしても、こんな格式高いパーティーに連れてきたりしないもの。湊はこの界隈では名の知れた人。凪の家もちゃんとした家柄。昔、中野家と二宮家の縁談は、誰もが知る有名な話だったのに。そんな二人が一緒に現れたら、周りがなんて言うか、考えなくても分かる。湊のこの行動は、まるで綾の顔を公衆の面前で踏みつけているようなもの。美羽は可哀想に思った。でも、夫婦の問題には口を出しにくい。自分がとやかく言える立場ではなかった。それに、湊は自分の夫と仲が悪い。だから、余計に口を出しづらかった。綾を連れてここを出ようかと迷っていると、仲の良い友達から「上でトランプでもしない?」と誘われた。綾は美羽が困っているのを察して、笑顔で言った。「美羽さん、行ってきてください。本当に大丈夫ですから」「そう……もしここに居づらくなったら、先に帰っていいからね。私を待たなくても大丈夫よ」美羽はそう言い残して、上の階へ向かった。「綾さん、どうかしたのですか?顔色が悪いですよ」颯太はジュースを一杯持ってきて、綾に手渡した。綾は両手でそれを受け取った。「颯太さん、ダンスにでも行ってきてください。私のことは気にしないでください」颯太は椅子にどかっと座ると、背もたれに寄りかかった。そして両腕を後ろの背もたれにかけたので、高価なスーツが安物のように見えてしまった。「いいえ、これが狙いなんですよ。あなたの隣にいれば、他の女性が声をかけてこないでしょう」綾は隅っこに座っていても、多くの御曹司たちがうっとりとした視線を彼女に送っていた。いつも気品があって冷静な健吾でさえ、時々こちらを見ていた。でも、彼の視線は他の男たちとは少し違っていた。颯太はそんな視線を無視して綾の隣に座った。そうすれば、女性たちも気を使って彼に話しかけには来ないだろう。「もし颯太さんに彼女ができなかったら、私のせいになっちゃいませんか?」「そもそも、結婚のどこがいいんですか。中野社長って人、聞いたことあります?」そう言うと、颯太は声を潜めた。綾はうなずいた。聞いたことがあるどころの話ではない。そういえば、颯太に自分が結婚していることを話したことがなかった。二人が会うのはほとんど研究所の中だけだった。顔を合わせれば実
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第40話

その言葉に、周りの人たちは息を呑んだ。そして、面倒に巻き込まれたくないと、そっと湊たちから距離をとった。この界隈で湊と付き合う人間は、誰もが彼の足のことに触れるのを避けていた。それなのに健吾は、湊の妻をダンスに誘っただけでなく、彼の痛いところまで突いてきたのだ。周りの人たちは、海外暮らしが長いから遠慮がないのだろう、くらいにしか考えていなかった。湊は表情こそ変えなかったが、この男が綾の絵にいた元カレだと、すぐに気づいた。「どちら様です?」「青菊グループの青木健吾です。中野グループはうちとの提携を望んでいたはずですが……誠意が足りないようですね。この話は考え直させてもらいます」綾の隣に立つ健吾は、誰も寄せ付けないような、堂々としたオーラを放っていた。湊は健吾のことを知っていた。健吾は長年I国を拠点にしており、こっちの方に姿を見せることはめったにない。直接会うのは今日が初めてだ。まさか健吾が綾の元カレだったとは、湊は全く知らなかった。「申し訳ありませんが、もう失礼しますので。妻は青木社長と踊れないと思います」そう言って、湊は綾に手を差し伸べた。「綾、帰るぞ」健吾も綾に手を差し出した。「本当にこのまま帰るのか?一曲踊ってもらえないか?」綾はぎゅっと拳を握り、指先で手のひらをなぞった。意を決すると、健吾の手に自分の手を重ねた。「ダンスは久しぶりなので、ぎこちなかったら、ごめんなさいね」健吾は口元だけを歪めて笑った。「俺がいつ、お前のことを気遣わなかったことがある?」湊の瞳が怒りに燃えた。彼は低い声でうなる。「綾!」「中野社長の元婚約者さんもまだいらっしゃるじゃないですか」健吾は軽薄な笑みを浮かべ、綾をダンスフロアへと連れて行った。二人が踊り始めると、その動きは息もぴったりだった。美男美女のダンスは、会場中の注目を集めた。凪は引きつった笑みを浮かべた。「湊、綾と青木社長はきっと久しぶりにお会いしたから、昔話に花を咲かせたいのよ」「久しぶりかどうかなんて、誰が分かるか」湊は車椅子のひじ掛けを強く握りしめ、手の甲に青筋が浮き出ていた。顔は怒りでこわばり、数メートル離れていてもその気配が伝わってくるほどだった。綾は、美羽と来たと言っていた。しかし、会場に美羽の姿は見当たらなかった
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