図書室のいちばん奥、書架に囲まれた一列の席で、三人の影が夕陽に引き伸ばされていた。光は低く、ゆっくりと床をなぞるように差し込み、影の輪郭を曖昧に溶かしていく。放課後の時間は、不思議なほど静かだった。時計の針の音さえ遠く感じられ、ページをめくる気配や、誰かの息遣いさえも、書架の奥に吸い込まれていくようだった。春の余光は、本と本のあいだをすり抜けながら、室内をやわらかな橙色に染めていく。その色は、時間そのものがゆっくりと沈んでいく証のようにも見えた。仁野は、分厚い自由帳を机の上に広げていた。観察記録用のノート。開かれた一ページには、細かな文字が隙間なく並び、いくつかの図解が、まるで思考の補助線のように貼り付けられている。――感情距離認知テスト――授業中の視線接触回数の統計どれも、本来なら無機質で、感情とは距離のある言葉のはずだった。けれど、ページを埋め尽くすそれらは、どこか体温を帯びていて、観察する側の視線や迷いまでも一緒に書き込まれているように見えた。「創作ってさ、結局は感情の実験なんだよ」赤縁の眼鏡越しに航平を見て、仁野はそう言った。説明するというより、確認するような口調だった。「たとえ虚構でもいい。自分じゃ言えない言葉を、他人の口を借りて言わせる。それができた瞬間、もう物語なんだと思う」その言葉を、航平は黙って聞いていた。反論する理由も、賛同を示す言葉も、どちらも必要ない気がしていた。隣では、綾音が小さなノートと、少し可愛らしいペンを抱えている。彼女は静かにうなずき、すでに意識の一部を「書く」ことへと移していた。「今日はね、こんな設定を書いてみようかなって思ってて」そう前置きしてから、彼女は少しだけ視線を泳がせる。「もし教室に、私たち二人しか残っていなかったら、っていう状況」言葉を選ぶ間に、ほんの短い沈黙が落ちた。「今思うと……私たちって、まだお互いをちゃんと意識してない段階にいるでしょう?その曖昧さが、なんだか微妙で……」「意識してないときのほうが、逆に一番刺激的だったりするよね」仁野が、ほとんど無意識にそう返す。言った本人も、どこまで本気なのか分からないまま。二人の視線が一瞬だけ重なり、綾音は思わず小さく笑った。その笑みを境に、彼女の声には少しずつ感情が滲み始める。「あなたの視線に、気づかないふ
最終更新日 : 2026-02-09 続きを読む