部屋のカーテンは隙間なく閉め切られていた。厚手の布が夜の気配を完全に遮断し、外の世界と内側とをきっぱりと分けている。窓の向こうではきっと風が吹いているのだろうし、街灯の光も、遠くを走る車のヘッドライトもあるはずなのに、それらはすべて布一枚の向こう側に追いやられていた。 室内に残されているのは、机の上のスタンドライトの光だけだ。 白く、やや温度を帯びたその灯りは、机の天板を丸く照らし出し、そこだけが切り取られた世界のように浮かび上がっている。光の外側はゆるやかな影に沈み、部屋の輪郭すら曖昧だ。まるで、この小さな円の中だけが現実で、それ以外は存在しないかのようだった。 航平は、その光の中心に肘をつき、静かに息を吐いた。 手元には、使い込まれた一冊のノートがある。角はわずかに擦り切れ、何度も開閉された背表紙は柔らかくなっている。表紙には濃い色のテープが貼られ、そこに黒いペンで力強く書かれた文字があった。『騎士団・第四記録』 それは彼の世界だった。 現実とは別に存在する、もうひとつの舞台。 そこでは彼は“航平”ではない。 黒星騎士団に属する無口な騎士で、冷静沈着で、常に一歩引いた位置から仲間を見守る存在。 彼はその騎士に、自分の感情を預けてきた。 怒りも、孤独も、焦りも、不安も。 言葉にできないものを物語へと変換し、騎士の台詞にして吐き出すことで、どうにか自分を保ってきたのだ。 ページを開けば、そこには緻密に構築された世界が広がっている。戦場の描写、剣を交える音、星の紋章を背負った団員たちの誓い。そして、騎士が最後まで誰にも明かさなかった本心。 本来なら、今日もその続きを書くはずだった。 放課後に起きたことなど、物語にとっては取るに足らない出来事にすぎない。 少しだけ胸がざわついただけ。 少しだけ、呼吸が乱れただけ。 それらを騎士の内面に移し替え、象徴的な台詞に変えてしまえばいい。 そうすれば、安全だ。 ――物語の中でなら、どんな感情も“設定”になる。 けれど。 ペンを持つ指先が、どうしても動かなかった。 白い紙の上に置かれたまま、インクは一滴も落ちない。 最初の一文が浮かばない。 騎士は今、何を思うべきなのか。 どんな台詞を口にするべきなのか。 考えようとすればするほど、別の光景が割り込んでくる。 昼間の教室。
最終更新日 : 2026-02-19 続きを読む