All Chapters of 夫と愛人に地獄に突き落とされた私を救ってくれたのは「若」と呼ばれる裏の世界の人でした: Chapter 61 - Chapter 70

94 Chapters

61話

◇ 律子がアパートに帰ってきた頃。 音羽は街に買い物にやって来ていた。 消耗品が切れてしまっていて、それに気が付いた音羽は律子から渡されていた生活費の中から数千円だけを借りて買い物に来ていたのだ。 律子は普段、仕事で家を留守にする事が多い。 大体は夜になると帰ってくるが、とても遅い時間に帰宅する事もあれば帰ってこない時もある。 どんな仕事をしているのか、音羽は律子に聞いた事はなかった。 だけど、いつもくたびれたように帰って来る律子のために、音羽は栄養満点のご飯を作るようにしている。 疲れて家事が出来ない律子のために、仕事が見つからない音羽が代わりに家事をしているのだ。 いつだったか、律子に家事をしてもらっている分のお金を支払う、と言われた事がある。 だが、置いてもらっているだけで音羽は有難かった。 むしろ、家事くらいでは置いてもらっている恩返しに足りていないくらいだ。 「早く……お仕事を見つけなきゃ……!」 逸る気持ちが声に出てしまっていた。 そして、音羽の呟きは意外と大きかったようで──。 「お姉さん、仕事探してるんですか?」 「──えっ?」 派手な容姿と服装の、若いキャッチのような青年が音羽に近付き、話しかけてきたのだった。 ◇ 青年の話を聞き、名刺を貰った音羽。 音羽は、その名刺を眺めながらアパートまでの道を歩いていた。 名刺には明らかに如何わしい店だと分かる店名が書かれていた。 だけど──。 「もう……形振り構っていられない、かも……」 お金を稼ぐためなら。 それに、こういった仕事はとても身入りが良い。 軽く青年の話を聞いた限り、音羽が昔働いていたような会社員の仕事より、遥かに早く稼げる。 ただ──。 「覚悟が……必要なだけよ……」 だけど、自分の息子のためなら。 恭を助けるためなら。 何だって出来る。 「……明日、電話してみようかしら」 律子から預かっている生活費から、数十円を借りて。 そして、公衆電話から名刺に書かれている電話番号に電話してみよう。 そう、決意した音羽は名刺に落としていた視線を上げ、覚悟を決めた硬い表情で前を見据えた。 ◇ 「ただ今戻りました……」 「音羽。随分遅かったじゃないか。買い出しに行ってくれてたのかい?」 音羽がアパートに戻ってくると、既に律子が戻
last updateLast Updated : 2026-03-04
Read more

62話

音羽と律子は一緒にキッチンに立ち、料理を作る。 手際よく美味しそうな料理を作って行く律子に、音羽は目を輝かせて料理の仕方を教えてもらった。 2人で料理を作り終え、リビングのテーブルに食事を並べ、そろって「いただきます」と手を合わせて食事を進めた。 律子の前では、音羽は明るく振る舞い焦っているのを隠そうとしているようだが、そんな態度は律子に筒抜けだった。 律子自身、何とかしてやりたい。手を貸してやりたい。と思うが、伏見に止められている以上命令に逆らう事は出来ない──。 (若も、何をもたもたしてるんだか……。早く助けてやればいいものを……) そんな事を考えながら、食事の時間は終わった。 「音羽。私が洗いもんしとくから、あんたは先に風呂に入っちまいな」 食べ終えた食器を重ね、律子が音羽にそう言うと、音羽は慌てて食器に手を伸ばした。 「そんな!お風呂は律子さんが先に……!洗い物も私がやるので大丈夫ですよ!」 「いいからいいから。洗いもんが終わったら、私は少し仕事をしなくちゃならなくてね。集中したいから、音羽はゆっくり風呂に入ってきな」 そんな風に言われてしまえば、音羽は頷く他ない。 申し訳なさそうに律子に頭を下げた。 「すみません、律子さん。では、お言葉に甘えてお先にお風呂いただいちゃいますね」 「ああ、行った行った」 音羽が入浴の準備のために奥へ向かったのを確認し、律子は食器をキッチンに持って行く。 シンクに水を貯め、食器を浸けて行く。 洗剤をスポンジに出そうとして、洗剤が無くなりそうになっている事に気が付いた。 「──詰め替えしないと駄目だね」 詰め替えはどこだったか──。 律子は、シンクの下の棚を探すためにしゃがみ込む。 扉を開けると、すぐに詰め替えボトルが目に入り、それを手にした。 「律子さん、それではお先にお風呂入りますね」 「ああ、ゆっくり入ってきな!」 律子がそう答えると、音羽はバスルームへと姿を消した。 律子は洗剤のボトルに洗剤を足して行く。 すると、手元が狂い少し零してしまった。 「──ああ!くそったれ!」 ティッシュティッシュ、と呟きつつティッシュで零れた洗剤を拭き取り、シンクに貯めた水に少し洗剤をたらして泡立たせる。 少しの間、浸け置きしておくか──。 律子はくるり、と振り向きゴミ箱に向か
last updateLast Updated : 2026-03-04
Read more

63話

翌日。 その日は律子は朝早くから仕事があるそうで、慌ただしく出て行った。 律子が出て行く寸前、あっと思い出したように律子から言われた言葉がある。 この日は、音羽は買い出しもせずに家に居てくれ、と律子に言われたのだ。 どうしてそんな事を言ったのかは分からない。 だが、律子がそんな事を言うなら相当の理由があるのだろう。 何の疑いもなく、そう判断した音羽は朝から律子の言う通り大人しく家にいた。 家の掃除や、洗濯などやる事は沢山ある。 「──よし、トイレ掃除終わり!」 音羽は、額に滲んだ汗を拭い、呟いた。 この家にはエアコンが設置されているが、音羽は律子が留守にしている間はなるべく使わないようにしていた。 居候の身で、贅沢な真似は出来ない。 滲む汗を拭い、音羽がトイレ掃除を終えて外に出た時。 ちょうど来客を知らせるチャイムが鳴った。 「──え?」 来客がある事なんて、律子から聞いていない。 音羽は戸惑いつつ玄関に向かい、ドアスコープからそっと外を覗いた。 そして、扉の前に立っている人物を見た音羽は、驚きに目を見開く。 「えっ!?」 どうしてここに。 音羽は慌てて施錠を解くと、玄関扉を開けた。 「伏見せ──蓮夜!?」 咄嗟に出てしまった、以前の呼び名。 音羽は慌てて伏見の名前を呼び直す。 伏見は、感情の読めない顔で立っており、音羽をじっと見下ろしていた。 「れ、蓮夜……?どうしたの……」 容姿が整っている人の無表情は、恐怖感を抱かせる。 音羽は伏見からじり、と後退しようとしたが音羽の行動を察知したのだろう。 伏見は表情を和らげ、口を開いた。 「──今日、時間はあるか?少し話したい事がある」 「きょ、今日ですか……?」 音羽は迷った。 律子には、今日1日部屋に居てくれ、と言われていたのだ。 伏見の言葉に頷いてもいいものだろうか──。 そう悩んだ音羽だったが、続いて伏見の口から紡がれた言葉に音羽は驚いた。 「──神田、神田 律子には話してある。音羽を借りて行くと」 「律子さんに?」 「ああ。元々神田とも顔見知りでな。……ほら、着替えてこい。外で待ってる」 「わ、分かりました……」 何だか少し腑に落ちない。 だが、律子とは昔から知り合いで、律子の許可を取っていると言うならそうなのだろう。 律子も、
last updateLast Updated : 2026-03-05
Read more

64話

「適当に座って待っててくれ」 「分かりました、蓮夜」 「紅茶で良いか?」 「大丈夫です、ありがとうございます」 リビングに通された音羽は、伏見の言葉に頷く。 そして勧められるまま、ソファに座った。 ソファに座ってしまうと、窓の高さ的に玉櫛の家を確認する事が出来ない。 今、恭が帰ってきても車を確認する事も出来ないな、と音羽は少し残念に思った。 「──ほら、零すなよ」 「ありがとうございます」 グラスを手に戻ってきた伏見は、そう言葉をかけながら音羽に手渡す。 以前のように向かいのソファに座るだろうと思っていた伏見は、音羽の隣──比較的近くに座った。 どきり、と音羽の体が跳ねる。 隣に座った伏見から、香水の爽やかだけどどこか蠱惑的な香りが漂い、音羽の胸がざわりとざわめいた。 何だか──。 悪い予感がする、とでも言うのだろうか。 伏見の横顔は、普段と変わらないように見えるが何か目に見えない感情を無理やり抑え込んでいるように見えて。 音羽の背筋に、汗が滲んだ。 「──これに、見覚えは?」 不意に話しかけられた音羽は、驚いて伏見を見やる。 伏見が「これ」と示した物を確認しようとして、顔を向けた音羽は伏見の2本の指に挟まっている名刺を見て、一瞬で顔を強ばらせた。 「どうして蓮夜がそれを──っ!?」 伏見が音羽に見せた名刺。 それは、昨日音羽が街に買い物に出た時にスカウトのような男性からもらった名刺だった。 昨夜、音羽が風呂から出た後。 律子が風呂に入っている間に上着のポケットを探したのだが、見つからなかった。 街を歩いている時に落としてしまったのか、と思っていたのだが、律子に見つけられてしまっていたらしい。 「か、返して……っ!」 音羽は慌てて伏見の手から名刺を取り戻そうと乗り出した。 だが、そんな音羽の行動を読んでいたのだろう。 伏見はあっさりと腕を動かして避けてしまう。 「──あっ」 バランスを崩してしまった音羽は、そのまま伏見を押し倒すようにソファに倒れ込んでしまった。 音羽がソファから落ちてしまわないよう、押し倒された伏見はしっかりと音羽の腰に腕を回していた。 ぎゅう、と抱きしめる伏見の腕に力が入る。 細いと思っていたが、伏見の胸元はしっかりと筋肉がついていて。 厚い胸元に抱き寄せられてしまった音
last updateLast Updated : 2026-03-05
Read more

65話

これ以上の事──。 伏見の言わんとしている事を理解した途端、音羽は顔を赤らめた。 そうだ──。 音羽がしようとしていた仕事は、そういった行為が含まれる仕事、だ。 所謂ソープ、や。デリヘル、と呼ばれる仕事。 本番行為は無いが、それに近しい行為を男性とする。 そして、その報酬にお金を貰うのだ。 「わ、分かっています……」 音羽は伏見に言われた言葉に、蚊の鳴くような声で返す。 男性との行為は、豊富ではない。 だが、自分の息子を取り戻すためだったら。 何だって出来る。 それに、報酬自体もとても高いのだ──。 報酬が高いと言う事は、楽な仕事ではない事だって分かっている。 だから音羽は伏見にそう答えたのだが。 音羽に押し倒されていた伏見の瞳が、闇を纏うように光を失った。 「いいや、音羽。あんたは何も分かっていない」 「──えっ?あっ、きゃあ!」 「こういった仕事は本番無しと謳われてはいるが、実際は本番行為が伴う事も多い」 「えっ、えっ」 伏見に腕を掴まれ、引っ張られる。 音羽を引っ張ったままどこかに向かって歩いて行く伏見は、話を止めずに進み続ける。 「男に本番を強要されたら?男女の力の差は歴然だ。それに、誰もが優しく抱いてくれる訳じゃない。無理やり事を進める男だっているし、女性に手を上げる客だって多い」 「れ、蓮夜──」 バタン!と大きな音を立て、伏見は扉を開く。 扉の奥は薄暗い。 だが、ひと目見ただけで分かる。 そこは間違いなく寝室だ──。 大きなキングサイズのベッドが1つ。 観葉植物が部屋の隅にあり、小さなサイドテーブルだけがぽつりと置かれていた。 生活感の無い、寝室。 本当に、ただ眠るだけの部屋のような寝室に、伏見は迷いなく足を進める。 嫌な予感──。 それが、むくむくと音羽の胸に膨れ上がって行く。 やっぱり会った時から感じていた違和感は当たっていたのだ。 伏見は恐らく怒っていた。 誰にも相談せず、音羽が危ない仕事をしようとしていた事に、怒りを覚えていたのだ。 「まっ、待って蓮夜──きゃあっ!」 些か乱暴に音羽をベッドに放り出した伏見。 キングサイズの柔らかなベッドに受け止められた音羽の体が弾む。 慌てて音羽が伏見を見上げると。 伏見はワイシャツのボタンを胸元まで開けているではないか。
last updateLast Updated : 2026-03-06
Read more

66話

「れ、蓮夜──」 慌て、戸惑う音羽。 そんな音羽の手を取り、伏見は自分の胸元に引き寄せた。 「ほら、脱がせろ。過去のどの行為より、1番厭らしく……性的興奮を煽るように、な」 「──っ」 低く、艶やかな声が音羽の耳に直接吹き込まれる。 音羽の背にはぞわりとしたえも知れぬ感覚が走り、無意識に足を擦り合わせてしまった。 そんな音羽の様子を見た伏見の目に、確かに情欲の炎が灯るのが見えた、気がした──。 ちらりと見えた伏見の舌が、色っぽく自分の唇を潤わせる。 真っ赤な伏見の舌が、酷く倒錯的で。艶やかで。 音羽は自分でも知らず知らずの内に呼吸が乱れていた──。 「ほら。息子を助けたいんだろう?仕事をしたいなら、覚悟を決めろ。……それとも音羽も脱がせられたいか?」 「──ぁっ」 耳元で囁かれていたと思ったら、音羽の耳がかぷり、と伏見に食べられる。 そして酷く扇情的に舌を這わされた。 微かな水音がまるで音羽の脳内を犯すよう。 びりびりと痺れる背中と、脳──。 「ゃっ、蓮夜……っ」 「ほら、俺のワイシャツを脱がせて」 伏見は音羽の耳元で艶やかに告げると、音羽の両手を自分の胸元に運ぶ。 そして、伏見は音羽から手を離し、音羽の服に手を伸ばした。 震えているのは、快感からか。それとも恐怖からか──。 伏見は自分の胸元に置かれた音羽の手が震えているのに気づいていたが、気付かないふりをして進めた。 音羽の胸元のボタンが1つ1つ、酷く焦れったく外され、肩からシャツが落とされる。 音羽の胸元が顕になり、音羽の下着まで見えた。 欲情を煽るような、赤──。 伏見はくらり、と目眩を覚えたが、それでも手を止めずに進める。 音羽の首筋から欲を煽るように指先でなぞり、胸元に手を進める。 しっとりと汗ばんだ音羽の肌が、まるで吸い付くように心地よく、伏見は当初の目的を忘れて目の前の音羽に夢中になりそうな気持ちを必死に耐える。 本当だったら、今すぐに服も。 下着も。全て脱がせてかぶりつきたい。 卑猥な言葉だって言わせたいし、喘がせたい。 気が済むまで音羽の中を満たし、滅茶苦茶に思うままに腰を振りたい──。 そんな、凶暴な欲が伏見の胸に膨れ上がる。 だが、泣かせたい訳じゃない。 ただ、お灸を据えたいだけ。 この仕事は、音羽が考えている程甘くな
last updateLast Updated : 2026-03-06
Read more

67話

「──ゃっ」 音羽の行動に、一瞬にして頭が真っ赤に染った伏見は、押し倒した音羽の首筋に勢い良く噛み付いた。 痛みに鋭い悲鳴を上げる音羽には構わず、噛んだ肌に舌を這わせ、何度も何度も吸い付く。 真っ赤な鬱血痕が音羽の首筋にいくつも散らばり、その満足感と愉悦に反応した下半身を、音羽の足の間に擦り付けた。 「ひゃ……っ」 音羽の甘ったるい声が耳元で聞こえ、そこでハッとした伏見は、勢い良く音羽の上から飛び退いた。 「え……っ、れ、蓮夜……?」 ぽうっと少し惚けたような音羽の目が、伏見に向けられる。 音羽の顔は、蕩けていて。欲を煽るように艶やかだ。 ごくり、と喉を鳴らした伏見は一旦冷静になろう、とそのまま音羽から距離を取ろうとしたが、伏見が退いた分、音羽は上半身を起こして伏見に近付いた。 「や、やります……っ、私はっ、恭ちゃんを取り戻すって言う、大事な目的があるんだから……っ、恭ちゃんのためなら、どんな事だってできます……!」 「おっ、おい音羽──っ!」 音羽は自分に言い聞かせるようにそう口にしつつ、伏見のワイシャツのボタンを外して行く。 そして、全て外し終えると今度は伏見の下半身──。 ズボンのベルトに、音羽が手を伸ばした。 「──止めろ!」 伏見は声を上げると、震えながらベルトに伸ばされていた音羽の手を掴み、止めた。 「えっ、だって……蓮夜は……」 「……違う、本当にやれ、と言うつもりは無かった……。音羽、あんたの覚悟はもう分かったから、……頼むからこれ以上下には触ってくれるな」 「──え、……あっ」 下──。 伏見に言われた言葉に反応し、音羽はそのままベルトから下──。伏見の下半身に視線を向けて一気に顔を真っ赤に染めた。 そして、慌てて顔を背ける。 「……あんたの覚悟はもう分かった。覚悟を試すためにこんな事をして悪かった。怖かっただろう?」 伏見は申し訳なさそうな表情で、音羽の頬をそっと撫でる。 先程までの力強さも、恐怖も──、艶やかさもなく。伏見の手はただただ優しかった。 いつも通りの伏見の態度に戻った──。 それを一瞬で理解した音羽は、体から力が抜けてしまった。 ぺたり、とベッドに座り込んでしまう。 「……仕事の件に関しては、もう少しちゃんと話したい。……少し待っていてくれ」 「わ、分かりました蓮夜」
last updateLast Updated : 2026-03-07
Read more

68話

衣服を整えて音羽はリビングに向かった。 伏見の言葉に甘えさせてもらい、冷蔵庫から飲み物をもらい、一気に煽った。 冷たい飲み物のお陰で体の中に燻っていた熱が冷え、消え去る。 「──ふぅ」 音羽は口元を拭い、グラスを片手にソファに戻った。 ソファに座り、音羽は両手で持っていたグラスをじっと見つめた。 (何か……何か、考えていないと──……) そうしないと、さっきの事を思い出してしまいそうで。 寝室に連れて行かれて、伏見にベッドに放られて。 そして、ゆっくりと艶やかに服のボタンを外す伏見に釘付けになって目を反らせなかった。 ベッドに押し倒されて、体をまさぐられて──。 「──〜っ」 伏見の手の動きを思い出した音羽は、顔を真っ赤にして両手で顔を覆った。 「何を1人で騒いでいる?」 「──れ、蓮夜っ!?」 すぐ後ろから伏見の低い声が聞こえ、音羽はびっくりしてソファの上で飛び跳ねてしまう程驚いた。 伏見は軽くシャワーでも浴びたのだろうか。 服がゆったりとした部屋着に変わり、髪の毛が濡れている──。 伏見の髪の毛から拭いきれていない水滴がぽつり、と音羽の腕に落ちた。 「──えっ、冷たいっ!?」 「え?ああ……冷水を浴びたからな」 音羽の驚きなど気にもとめず、伏見はあっさりと告げるとキッチンに歩いて行く。 冷蔵庫から冷たい水を取り出すと、自分のグラスに注ぎ、先程の音羽のように一息に煽った。 水を飲む度に大きく動く喉仏が、とても色っぽくて。 音羽は咄嗟に伏見から視線を外し、ソファから立ち上がった。 「蓮夜、そのままじゃあ風邪をひいてしまいます」 「……別にこれくらいで風邪なんてひかない」 「冷水を浴びたのでしょう?今が夏だと言っても、この家の中は冷房が効いていて肌寒いくらいなんですから。油断をしたら熱を出しますよ」 そう話しながら、音羽は伏見に近付いて行くと伏見の肩にかかっていたタオルを手に取った。 「──おい!?」 「蓮夜、ちょっと屈んでください。それか、ソファに行きましょう」 目を見開き、固まる伏見にそう告げる音羽。 だが、驚いている伏見は屈んでくれそうになくて。 音羽はため息を吐き出すと、伏見の手を取って歩き出した。 柔らかくて、温かい手。 それが、遠い昔の記憶とちっとも変わらなくて──。 伏見は無性に
last updateLast Updated : 2026-03-07
Read more

69話

わしわし、と優しくタオルで髪の毛を拭かれている伏見は、高鳴った胸の鼓動や戸惑いが落ち着いてくると、呆れた目で音羽を見上げた。 「音羽……あんたはさっき俺に押し倒されていた事を忘れたのか?俺にあんな事をされておいて、良くこんな風にできるな?」 「こんな風に……?」 不思議そうに首を傾げる音羽に、伏見は呆れきってしまう。 「男が──いや、俺が怖くないのかって意味だ」 伏見の言葉に音羽は小さく「ああ」と呟くと、あっさり首を振った。 「だって、蓮夜は私に仕事の怖さを教えてくれるためにあんな事をしたんですよね?蓮夜は最後まで続ける気はなかったんだと、そう思います……」 「どうして、そんな事が言える?俺がヤバい奴だったらどうするんだ?俺1人しか住んでいない家で犯されたとしても、警察は取り合っちゃくれないぞ?家に男1人しかいないと分かっていて、どうして家に来たって言われる」 「そう、ですね。だけど──……」 伏見の言葉に、音羽は真っ直ぐ彼の目を見返して告げた。 「蓮夜は、私を騙すような酷い人じゃないって、分かっているからですかね」 「──はっ。たった数ヶ月。たった数ヶ月あの刑務所で過ごしただけだぞ?それなのに……簡単に人を信用するな、音羽。世の中には音羽のような信じやすい人間を狙って近付いてくる奴だっている。あの仕事先だってそうだ。簡単に騙されて、二度とあの仕事を辞められないようにされるぞ……!?」 がしり、と音羽の肩を掴み大きな声で告げる伏見。 だが、音羽は落ち着き払った様子で伏見に笑って見せた。 「心配してくれてありがとうございます、蓮夜。昨日、律子さんから聞いて今日の午前中に来てくれたんですよね?」 「──〜何であんたはっ」 伏見は音羽の笑顔にぐっと言葉を詰まらせると乾ききった髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き回した。 (くそっ、音羽を怖がらせて諭すつもりだったのに……どうしてこんな風に笑ってお礼を言えるんだ……) 伏見は何とも言えない目で音羽を見つめると、ため息を吐き出した。 「分かったなら、もういい……。いいか音羽。ああ言う仕事は裏でどんな組織と繋がっているか分からない。そんな危険な仕事じゃなくて、違う仕事を探せ」 「……でも、色んな所に応募したんですけど、住所が定まっていないとやっぱり難しくて……。それに、銀行口座も以前使っていた物
last updateLast Updated : 2026-03-08
Read more

70話

家政婦として、働けば良い──。 住み込み──。 伏見からそう言われた音羽は、一瞬言葉の意味が理解できなくて、ぽかんとしてしまう。 だが、じわじわと言われた言葉を理解して──。 有り難さと、申し訳なさ。嬉しい気持ち。 そんな様々な感情が胸中に渦巻いた。 「だ、だけど……そんなっ、私に都合の良い事ばかり……っ」 「いや、音羽がこの家で家事をしてくれるのは、俺にとっても都合が良い。見ての通り、男の一人暮らしだ。細々とした家事にまで手が回らない。部屋数も多いしな。家の中の掃除や洗濯、食事を作ってもらえると有難いんだ」 伏見が真っ直ぐ音羽を見つめ、話す。 「それに、勿論給料だって支払う。家事代行の平均的な金額を後で出しておく。契約書も作成するし、住み込みで働いてくれると俺としては嬉しい」 「蓮夜……」 音羽に、迷いが生じている。 その隙を逃さず、伏見は一気に音羽を落としにかかった。 「──それに。この家で住み込みで働けば、音羽の息子を見かける機会が増えるかもしれないだろう?買い物の際に外に出る事だって多くなる。保育園から帰ってくる息子に会える可能性が高くなるぞ」 「──っ!」 息子──。 恭の事が、決め手になった。 伏見の言葉を聞いた瞬間、音羽の顔つきが変わり、勢い良く顔を上げたのだ。 伏見と目が合った音羽の瞳は、強い光を宿している。 強い意志の籠った、瞳。 音羽の目を真っ直ぐ見返しながら、伏見は口角を上げて笑った。 「契約成功、か?」 「──よろしくお願いします!」 ◇ 雇用主と、労働者。 伏見が雇用主で、音羽自身は伏見に雇われる労働者となった。 伏見が自分の雇用主となった以上、音羽は態度を改めようと呼び名を「蓮夜」から「伏見さん」に変えようとした。 だが、あっさりと伏見からその提案は却下されてしまい、名前呼びのままになってしまっている。 「俺は基本的に1階にある書斎や寝室を使用している。風呂や手洗いも1階を使用しているから、音羽は2階を使用してくれ」 伏見の家で働かせてもらう事になり、音羽は早速家の中を伏見に案内してもらっていた。 「蓮夜、私が入ってはいけない部屋などはありますか?1階の書斎や寝室……、は……掃除は必要ですか?」 プライベートな寝室や、仕事に関する情報などが置かれている書斎には、あまり立ち入
last updateLast Updated : 2026-03-08
Read more
PREV
1
...
5678910
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status