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ep31 川の流れのように

  【9】クロー・グレイシャの滞在期間は伸びていた。その理由は、二人の結婚を見届けてからになったからだ。アンとナイジェルの結婚である。その日は二人の結婚のために盛大な祝宴が執り行われた。領主の息子であるナイジェルの結婚なので当然と言えば当然だ。だが、領主が正式に認めなければ、こうはならなかっただろう。花婿となったナイジェルは誰よりも誠実そうだった。花嫁となったアンは誰よりも美しかった。コハクは憧れの眼差しで、夫婦となったばかりの二人を紅い瞳に焼きつけた。「ボク、良いことができたのかな」祝宴の後。コハクはひとり、人気のない桟橋に立って夜の川を眺めた。川面には町の灯りが揺れている。「コハクは不思議な女だな」と誰かの声がコハクの耳に届く。振り向くと、相変わらず凛としている若き公爵が近づいてきていた。「不思議って、どういう意味?」コハクは素直に尋ねる。クローは何も答えない。彼はコハクの隣に立って川に視線を落とした。「私が言うのも何だが、本当にいいのか?」「えっ、何のこと?」コハクがきょとんとしていると、クローの端麗な顔がこちらへ向けられた。「私との婚約だ」「あっ、ああ、うん......」コハクは意味の無い笑顔を浮かべてから、川の方へ向き直った。どうリアクションすればいいかわからなかった。「私たちは......」クローの視線も川の方へ戻る。「あの二人とは何もかもがまるで違う」「アンとナイジェルは、ずっと想い合っていた仲だからね。ボクの前ではできるだけそういう部分を見せないようにしてたみたいだけど」「コハクに気を遣っていたのか?」「だと思う。たぶん、ボクが寂しくならないようにね。特にアンの方がそうしようって強く決めていたんじゃないかな」「優しい人たちなんだな」「二人とも大好きだよ」「コハク」とクローが改まったように体を向けてきた。「そんな二人と離れ、貴女は私と行くことになる」「は、はい」とコハクも体を向け、彼と向き合った。「本当に嫌じゃないのか?」「嫌だったら、一緒に行きたいなんて言わないよ......」「病気の弟を救うために、私は貴女を連れて行こうとしている。そのために必要だからと、私は貴女に婚約を申し込んだ」「そうだね......」「私のことを、悪くは思わないのか?」「恩人だと思ってるよ」「それはたまたま私が貴女を助
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ep32 旅立ちの朝

  【10】出立の朝を迎える。空は晴れ晴れとしていて風は心地良い。少なくとも今日一日の天候の心配はまったく必要なさそうだ。旅立ちの日としてこれ以上ない自然の演出だ。「コハクお嬢さま......」新妻となったアンがコハクを抱きしめた。今、一同は屋敷の前に立っている。すでにクローは馬車を従えて控えている。いつでも出発できる構えだ。なお、コハクが出立することは公にはアナウンスされていない。できるだけ静かに送り出して欲しいとコハクが希望したからだ。なのでコハクを見送る人々は、アンを始めナイジェルと領主、それに屋敷の使用人たちだけだった。「もう会えなくなるわけじゃないんだから」コハクはアンの抱擁をそっと解き、やさしく微笑みかけた。コハクもアンと離れるのはさびしかった。この世界で出会った最初のかけがえのない人間は間違いなくアンだ。さびしくないわけがない。でも、もう決めたこと。ボクは行くんだ。「そうですね」アンも微笑み返した。アンの隣には夫のナイジェルが頼もしく寄り添っている。「それじゃあ行ってきます」それからコハクは全員と別れの挨拶を交わした。使用人たちも皆、コハクとの別れを惜しんだ。すでにコハクは彼らにも気に入られていたのだ。「くれぐれも道中お気をつけて行ってらっしゃいませ」と領主は普段とあまり変わらなかったが、その口調はやさしく聞こえた気がした。「それでは行こう」クロー・グレイシャが、コハクを馬車へと導いていく。コハクは後ろを振り返って手を振りながら馬車に乗り込んだ。その直後だ。「えっ!?」コハクはその顔を見て、ビックリして固まってしまう。だがすぐにクローも続いて乗車してきたので、コハクは仕方なく席に着いた。まもなく馬車は出発する。「えっ、どうして??」コハクはまだ理解できていない。いったい彼女を驚かせたこととは何なのか?「コハクお嬢さま」と、先に乗車していた女が被っていたフードを脱いだ。「本日から私、メアリー・ブラッドフォードは、コハクお嬢さまの侍女となります」「ななななんで!?」コハクは驚きが収まらない。「そういうことだ」となぜかクローが言った。「えっ、クローは知ってたの!?」「ああ」「というわけなので」メアリーが頭を下げる。「どうぞよろしくお願い申し上げます」「えええー!?」このサプライズのせいで、コハクは馬車の中か
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ep33 お好み

第二部  【1】馬車がマギアヘルム自治領を抜けたとき、時刻はすでに午後を回っていた。コハクは始終、窓から流れる景色を眺めていた。胸の中ではドキドキワクワクしていたものの、借りてきた猫のように大人しくしていた。緊張していたのもあるが、いかんせん残りの二人が無口なため、旅は静かなものにならざるを得なかった。しかしコハクにそれほどの不満はなかった。クローが物静かな男なのはわかっていたし、メアリーの生真面目さもわかっていたこと。それに......「コハク、疲れていないか?」 クローが尋ねてくる。何時間かに一回。必ず。決してしつこくはない、ちょうど良い塩梅で。コハクはその度に微笑んで「大丈夫、ありがとう」と答えた。答えながら、なぜか旅のドキドキが増すように感じた。それと同時に、やっぱりもっと話したいな......という欲求に駆られて少しだけ寂しくも思った。一方、侍女のメアリーは、二人に気を遣ってできる限り控えているようだった。しかし彼女は謙虚でありながらも泰然自若としていて、不思議な安心感があった。小休止を挟みながら、やがて馬車は〔テルストリア〕の都市部へと繋がる郊外の町に入っていく。すでに空は赤みを帯びていた。間もなく馬車はその役割を終えた。「ここからは列車に乗り換える」クローが説明する。「駅付近に宿があるので、今日はそこに泊まって、明日出発する」クローの案内で三人は宿に泊まった。〔マギアヘルム〕でクローが宿泊していた宿よりも質の高い宿だ。そのことをコハクが何気なく質問すると、クローの回答は実に単純明快だった。「その方がコハクもしっかり休めるだろう?」クローは宿屋に二部屋を要求して、メアリーもいるからと広い方の部屋をコハクに与えた。「グレイシャさまは、コハクお嬢さまへ心を配っていらっしゃいますね」部屋に入るなりメアリーが、コハクを安心させるように微笑みかけてきた。「でも......」コハクは苦笑いを浮かべる。「向こうに着くまでに色々お話して少しは打ち解けられればいいなって思ってたんだけど、それは無理そうだね」「コハクお嬢さまは......」メアリーが何やら考えてから言う。「ペラペラとお喋りな殿方がお好みなのですか?」「えっ?」虚を突かれる。まさか生真面目なメアリーからそのような質問を投げかけられるとは思ってもみなかった。いや、生真面目だか
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ep34 列車にて(1)

  【2】翌日も午前中から移動を開始した。宿屋で朝食を済ませるとすぐにチェックアウトし、駅へと向かう。「もう少しゆっくりしていくこともできるが?」クローは気遣ってくれた。むしろコハクの方が出発を急がせた。「はやく弟さんの所へ帰りたいでしょ?」「それはそうだが、今日明日にどうこうという訳ではない」「それでも早く戻るに越したことはないでしょ? 弟さんだってお兄さんの帰りを待っているはずだし」コハクは譲らなかった。それは相手を慮ったというより、そうすべきだと考えたからだ。何よりコハクはそういう性格だ。「わかった」クローは小さく頷く。「移動に疲れたらいつでも言ってくれ」クローの視線とコハクの視線が交錯する。コハクは一瞬、クールな公爵の青い瞳に揺れ動く何かを垣間見た気がした。でもそれが何なのかは判然としなかった。まもなく三人は列車に乗り込んだ。魔導列車である。その実態は、ただ乗る分には一般的な汽車とほとんど差異がなかった。子供のように楽しみにしていたコハクの期待は裏切られた。「まあ、そんなもんだよね」動き出した列車の窓から流れる景色を眺めながら苦笑する。魔法や魔力といっても、何もかもが幻想的なものとは限らない。あるいは前世の世界での『科学技術』が、こちらの世界での謂わば『魔法技術』に相応するのかもしれない。そう考えるとひどく納得した。「コハクお嬢さま?」隣に座るメアリーが、物思いにふけるコハクの様子をうかがってくる。「まだまだ到着までには時間がかかる」正面に座るクローが言う。「眠くなったら遠慮なく眠ってくれ」「ううん、大丈夫だよ。でも、眠くなったら寝るね」コハクは二人に微笑んで見せてから、再び窓の外へ視線を戻した。異世界の風景が流れていく。時間を追うごとに、最初は自然や田園ばかりだった景観も、徐々に都会の色彩を帯び始める。いずれもコハクにとっては異国情緒に溢れるもので、新鮮な気分を味わわせてくれた。だがそろそろコハクも物足りなくなってくる。「......ねえ、クロー」「どうした?」「病気の弟さん、家で療養しているんだよね?」「ああ。弟の病気の場合、病院にいる意味もないからな」「どんな感じの人なの?」「優しくて賢い男だよ」「顔は似てるの?」「どうだろうな。似ていると言われることもあれば、似ていないと言われることもある」「クロー
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ep35 列車にて(2)

「め、メアリー!?」唐突なその質問にコハクは仰天する。と同時に胸に不安がよぎってきた。確かにクローの口から直接聞いたことはない。知っているのは調査報告上の結果だけ。しかしよくよく考えてみれば、こんな若くて美しい公爵に、一定以上の関係性の相手がいない方がおかしいように思える。前世での親友ですらずいぶんと遊んでいたんだ。それこそ若き公爵の色恋の実情ともなれば、もっと豪華で華やかなものかもしれない。それはボクとの婚約とはまた別に......。「グレイシャ様」メアリーは微動だにせず続ける。「具体的に申しまして、恋人もしくは愛人、あるいはその両方か。要するにオンナはいますか?」そこまで直球で訊いちゃう? と思いながらもコハクは興味津々の気持ちが抑えられずメアリーを制止できない。「いきなり随分と直接的な質問だな……」さすがのクローもやや面食らったようだったが、質問には答えた。「いない」「だそうです」メアリーはコハクに任務完了を告げる引き締まった顔を向けた。「だそうです、じゃくてさ......」コハクは頭を抱える。おそらくメアリーは、アンに指示されたことを忠実に実行しているつもりなのだろう。生真面目がゆえの結果なのだろう。そんな彼女のおかげで知りたいことが知れたのも事実だが、もう少しやり方は考えて欲しいと言わざるを得ない。「コハクお嬢さま?」「ええと......着いたら一度きちんと話そうか」「かしこまりました」メアリーは再び物静かな侍女に戻った。勘弁してよとコハクは困り果てながら、おそるおそるクローへ視線を合わせた。すると意外な効果が現れていた。「私は以前、コハクに対して不思議な女だと言ったが......」クローの面持ちが僅かばかりだが崩れたものに変化する。「その侍女はまた異なる意味で不思議なんだな」「メアリーの場合は、不思議というより真面目が行き過ぎているだけだと思うけど......」「わかった。そういうことにしておこう」「それより」コハクは今がチャンスと言わんばかりに話題を振る。「その不思議って、どういう意味なの?」「深い意味はない。気に障ったなら謝るが、決して悪い意味で言ったわけではない」「気に障ったりは全然してないけど、相手が自分をどう思っているかってやっぱり気になるじゃん。だから訊いたんだけど......」「そうだな。強いて言うなら
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ep36 到着

  【3】都市部でも自然豊かな地域にグレイシャ家の屋敷はあった。コハクにとってはこの国〔テルストリア〕の初めての都市部。浮き立つ気持ちを抑えつつ、駅を降りるなり馬車を走らせ辿り着いた。「何だか気を遣わせて旅を急がせてしまったな。疲れただろう」屋敷の門前でクローが振り向いた。確かにここまで寝食の時間以外はひたすら移動してきたので、疲れていないと言ったら嘘になる。しかしコハクは穏やかに微笑んだ。「弟さんに会えるの、ボクも楽しみだよ」「そうか」クローも微笑んだように見えたが、突然なにかを閃いたように「あっ」となった。「どうしたの?」コハクはきょとんとする。「いや、その......」「?」「コハクのことを、どう説明したら良いかと思ってな」クローは頬をポリポリと掻いて、悩んでいる素振りを見せる。コハクには何だかその様子が可愛く思えた。クールな公爵の人間的な一面を垣間見たような気がした。「もしよろしければ私から事情をご説明申し上げましょうか?」生真面目すぎる侍女メアリーが急に名乗りを上げたが、コハクもクローも丁重にお断り申し上げた。・「クローさま! おかえりなさいませ!」いかにも公爵家らしい広くも整った敷地内へ入ると、彼らに気づいたグレイシャ家の使用人たちがクローのもとへ集まってきて恭しく挨拶した。「フランツはいるか?」クローは使用人のひとりに声をかける。「はい。あの......」 使用人は、一歩退がって立っているコハクとメアリーをチラチラと見た。「こちらのご婦人方は特別な客人なんだ」クローは続けて言った。「そのことでまずはフランツと話したい」「か、かしこまりました」使用人はお辞儀してから背中を見せ、小走りに駆け出したかと思うとピタッと立ち止まった。ちょうどその時、執事服を纏ったひとりの年配男性が屋敷から出てきた。「おかえりなさいませ。クロー坊っちゃま」「悪かったな、フランツ。すっかり留守を任せてしまって」どうやら執事服の年配男性がフランツという男だった。フランツはこちらへ近づいてきながらコハクとメアリーの姿をチラリと確認し、即座に事情を察したようだ。優秀な執事が皆そうであるように、彼もまた物事の機微に聡かった。「坊っちゃまの執務室へご案内いたしましょうか」「ああ、頼む」「それではお二人様、私がご案内いたしますので、こち
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ep37 美少年

  【4】「なるほど。そういうことがあったのですね......」グレイシャ家執事のフランツは、クローからひと通りの説明を受け、唸った。それは執事も驚くだろうなと、コハクは苦笑いを浮かべた。旅から帰ってきた当主が、いきなり婚約者を連れてくるなんて思いもよらないだろう。ましてやクローは、そう易々と女にのぼせるような男にも見えない。眉目秀麗だが、容易に女を寄せつけないような雰囲気すらある。「驚かせてしまったな。それで......」クローがコハクを一瞥する。「ルーにもこのことを説明しないといけないのだが」「ルー坊っちゃんも、大変驚くでしょうね」とフランツ。「ルーはどう思うだろうか」「ルー坊っちゃんは、とても賢い方です。クロー坊っちゃまのお考えは理解してくださるでしょう」「その点についての不安はないんだ」「とおっしゃいますと?」「ルーは賢すぎるんだ。それゆえに......いや、何でもない。とにかく、ルーが起きたら知らせてくれ」「承知しました」とフランツが返事をした時だった。突然、部屋の扉がガチャッと開いた。全員の視線がそちらへ移る。すると車椅子に乗った高校生ぐらいの少年が部屋に入ってきた。「そちらの方が、兄さんの婚約者かい?」少年はコハクを見て会釈した。長い黒髪の、霧のように色の白い美少年。凛々しい兄のクローとは違い、線の細い優男だった。それと......なんと言えばいいのだろう。底の知れない病の影のようなものを、コハクは美少年に感じ取った。「ルー!」クローが声を上げる。「扉の前で話を聞いていたのか? というか聞こえたのか?」「僕の五感が特別に鋭いのは兄さんはご存知でしょう?」ルーは目と耳を指で示した。 「それは知っているが......起きて大丈夫なのか?」「そもそも寝ていなかったしね」ルーは悪戯っぽく笑った。「たぬき寝入りでしたか」フランツが吐息をついた。「さすがはルー坊っちゃんです」「それで兄さん。さっそく僕にもそちらの素敵なフィアンセを紹介して欲しいな」ルーはコハクに向かって微笑みかけた。美少年の淡い黒色の瞳がコハクを見つめてくる。「......」コハクはつい無言で見つめ返してしまった。彼の持つ壊れそうで儚げな美しさは、兄のクローとはまた違った、人を惹きつける何かがあった。皮肉にもそれが病によって、より浮き彫りになっているよ
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ep38 グレイシャ家

その夜は、コハクたちの歓迎会が行われた。さすがは公爵家と言わんばかりに、その立派な敷地と屋敷に負けるとも劣らない豪勢な料理が居間のテーブルに彩られた。自身の希望でグレイシャ家の使用人たちとともに立ち働いていたメアリーも、食事が始まると客人としてもてなされた。当然の如く、コハクは最大にもてなされた。「事情や経緯はどうあれ、まさか兄さんがこんなに素敵な婚約者を見つけてくるなんてね」ルー・グレイシャが兄に向かって笑いかける。コハクは後に知ったことだが、弟のルーがこんなに明るく皆と一緒に食卓を囲むのはかなり久しぶりのことらしい。「からかわないでくれ」と兄のクローは困惑しつつも、弟の楽しそうなことに目を細めていた。食事が終わる頃になると、コハクはルーとすっかり打ち解けていた。優男の美少年のルーは、兄よりも人当たりが良く話しやすかった。彼の笑顔は可憐な女子みたいで、実にコハクを安心させた。「弟と仲良くなったみたいだな」クローが微笑を向けてきた。弟のルーは早々に自室へと退がり、メアリーは片付けを手伝いに立っている。居間のテーブルにはクローとコハクの二人だけ。「うん。正直、不安もあったけど良かった。ルーはとっても優しくてイイ人だね」「ルーも、コハクのことを気に入ったみたいだ」「そ、そうかな?」コハクは少し照れる。それと同時に心の中で問いかけてみた。クローはどうなの?「コハク?」「な、なんでもないよ」「今日は疲れているだろう?」「うーん、ちょっと眠いぐらいかな?」「そうか。今夜は早く休め」「まだ大丈夫だよ。むしろ今夜は何もしなくていいの?」「ルーのことか」「今日は元気そうに見えたけど......」「ああ。私が旅に出る前から良くはなかった。といっても今では良いほうが珍しいのだが。本人はそう言わなかったが、フランツによればここ最近は特に芳しくなかったらしい」「そういえば〔マギアヘルム〕に滞在している時にもクローは言ってたね、いつまでもここでこうしてはいられないって」「そうだな」「何かするなら早いほうが良いんでしょ? ボクは今からでも構わないよ? ボクが本当に役に立てるのかはわからないけど......」「早急に試したいもらいたいことはあるが、明日で構わない」「試してもらいたいこと?」「明日に説明する」「そう......」コハクはやや不
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ep39 やっておきたいこと

  【5】眩い朝陽を遮るカーテンの向こうから鳥のさえずりが聞こえる。コハクは朝早く目を覚ました。旅の疲れはあったが、今ひとつよく眠れなかった。コハクに与えられた部屋は実に立派なもので、正直なところナイジェルの屋敷よりも上質だった。綺麗だが趣のある高級西洋館のような一室は、まさに公爵夫人が暮らすに相応しい居所と言えよう。「うーん、ねむい......」瞼を擦りながらベッドから降りた。家にも部屋にも文句はないし、使用人もみんな感じが良い。不満皆無の環境なのに、満足のいく睡眠が取れなかった。「もっとクローと、話したいのにな......」はぁーっとため息をつく。もっと彼と仲良くなりたい。それだけなのに。それが叶わない。最初はそこまで気にしていなかった。まだ出会って間もないわけだし、そもそも彼は寡黙な人間なんだ。けど、弟のルーとはすぐに打ち解けられたことにより、刺激を受けたのかもしれない。兄のクローとも、早く打ち解けたいと。「冷たいわけじゃないし、むしろボクを気遣ってくれているのは伝わるし、やさしい人だとも思うんだけど......」まだ眠たい頭で思考を巡らせながら洗面所に向かうと、早くも侍女姿で仕事の支度をするメアリーと出くわした。「おはようございます、コハクお嬢さま。お早いお目覚めですね」「おはよう。なんか目が覚めちゃったから」「疲れは取れましたか?」「どうなんだろう、大丈夫だと思うけど」「決してご無理はなさらないでくださいね。何かあれば、いつでもメアリーにお申しつけください」「うん、ありがとう。何かあれば言うね」「イエス・マイレディ」朝からメアリーはうやうやしかった。朝食の時間になると、昨晩と同様クローたちと一緒に食卓を囲んだ。メアリーはコハク専属の侍女として、コハクから数歩ほど退がった壁際に控えている。「今日は僕ね?」弟のルーが嬉しそうな顔を兄に向ける。「天気も良いし、コハクを連れて散歩したいなって思うんだけど」昨日に引き続いて弟の楽しげな様子にクローは嬉しさを滲ませるが、兄は別の話を切り出してきた。「それはいいな。しかしその前にやっておきたいことがある」「やっておきたいこと?」「ルーもわかっているだろ?」「うん、病気のことだね」ルーはやや寂しそうな顔をする。「そもそも今の僕が散歩したって一時間も持たないって」「ルー、私が言
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ep40 不治の病

グレイシャ家の敷地内には、庭園とはまた別に公園と呼べるほどの大きく整えられた広場がある。その中心にコハクたちは集められた。コハクは車椅子のルーの背後に立ち、傍にはクローが、やや離れてフランツとメアリーが彼らを見守っている。「ここならば、何かあっても心配はないだろう」クローが辺りを再確認しながら言った。「もちろん私がいるし、フランツも頼りになる男だ」「でも、本当にボクにできるのかな......」コハクは自らの両の掌を見つめる。昨日は最善の努力を尽くすと言ったものの、自信があるわけではない。「コハク、安心して」ルーが肩越しに微笑んだ。「どういう結果になろうと僕は受け止めるから。だからどういう結果になろうとここまで来てくれたコハクには感謝しかないよ」ルーの優しい言葉にコハクの顔にも微笑が浮かんだ。「あ、ありがとう」クロー・グレイシャの弟、ルー・グレイシャは不治の病に冒されている。それは〔魔力硬化症〕と呼称されている病気で、強い魔力を持った人間がごく稀に罹るとされていた。通常、魔力持ちの人間の身体は、魔力が枯渇した場合を除き、絶えず魔力が循環している。しかし〔魔力硬化症〕を患うと、魔力の循環が滞り、魔力が淀んでしまう。魔力の淀みも短時間ならば問題はない。しかしこれが長時間・長期に渡って常態化してしまうと、その身体を著しく蝕んでいく。具体的には、筋力低下や体力低下を皮切りに免疫機能や心肺機能等あまねく身体機能を低下させる。
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